中国を旅した日本知識人の眼差し 〜夏目漱石と芥川龍之介の新聞掲載紀行から〜 神戸学院大学大学院 博士課程 徐茜 テーマ:近代における中日関係の変化は、中日甲午戦争(1894 年)の勃発から始まったとい える。日本の勝利によって、従来日本人が中国に対する崇拝や憧れの感情が変化し、さらに変 貌していった。また日露戦争(1904〜1905 年)や第一次世界大戦(1914〜1918 年)で、中国 が再び被害国となっていた。戦争が終結すると、新聞雑誌には戦争体験録や論述が満載し、中 国の情報を国民に提供していた。 こういう時代背景の下、多くの日本知識人が中国へ出向いた。中国文化を教養の基礎として 身につけた彼らは、自分の目で当時の中国を確かめた。その中で、夏目漱石と芥川龍之介がい る。夏目と芥川はどんな目線で中国をみて、そして紀行文を通じてどのように中国を表現した のか。本発表は、夏目漱石と芥川龍之介の中国紀行を素材に、彼らが見た中国を検討してみた。 検討する視点: 1、旅行以前について ①中国文化との関わり 夏目漱石と芥川龍之介は、中国文化とどのような関わりを持っているのか。 一方は欧米留学の経験を持つ英文学者で、もう一方は中国趣味を持つ漢文学者なので、二 人は中国文化に対する姿勢も異なっていると考えられる。ここで、夏目と芥川が書き残した 日記、文学作品を手がかりに、二人と中国文化との関わりを分析した。 ②中国旅行の目的 夏目漱石は日露戦争が終わってから 4 年後、芥川龍之介は第一次世界大戦が終わってから 3 年後に、中国へ旅立っていた。それぞれ違う時代背景に、彼らは何の目的で中国へ出向い たのか。ここで、時代背景を明らかにした上で、書簡や紀行文などを考察し、二人が中国へ 旅立ったきっかけと目的を検討した。 2、紀行からみた中国への眼差し 旅行後、夏目と芥川はどのように紀行文を綴り、読者に向けて中国を紹介していたのか。本 論は、先行研究を踏まえて、二人の紀行からみた中国への眼差しを検討した。 具体的にいうと、二人が書いた書簡や、同時期で発表した作品を参考しながら、中国関連の 表現、エピソード、論述をまとめて分析した。それをベースにして、二人が中国のどこに注目 し、どのように表現していたかを検討し、中国へ投じた目線を比較してみた。 本発表は、近代日本知識人の中国観を考察する一つの試みと位置づけている。知識人たちの 中国紀行を考察するによって、各時期において、日本知識人が中国文化、政治、社会に対する 受け止め方について理解を深めたい。
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