1 京大受験生のための退学エントリ ver1.1 あるいは教育機関としての京都大学に対する一考察 京都大学工学部を中退します。退職・退学エントリに見習って書きます。長く続くブログとかで書くつもり はないのと、あと日記とかそういうのをやると三日坊主で終わるんで多くの人の目に触れられるように増田 に投下します。1 一般に京都大学を退学する人は少ないです。おおよそ学部ごとに数人程度であり、1 割を超えることはほぼ ありません。ほとんどの人が、京都大学に入れば、卒業します。僕も受験生の時は、なぜ京大に入ってまで、 中退するんだろうと、統計資料を見ながら不思議に思ったものです。 現役で入ってからしばらく真面目に通っていましたが、留年を機に二年ほど続けて休学し、時折思い出し たように大学に行き、気づいたら入学してから八年が経過していました。やり直す最後のチャンスが巡って きました。京都大学を退学すべきか、卒業すべきか。プレッシャーに押しつぶされた記憶を振り返り、退学を 選ぶ 2 ことになりました 3 。 退学という選択肢があることは幸せです。二回生の頃から、まずい、このままではいけないと思いました が、身動きは取れませんでした。今ようやく収入の目処がつき、次のステップに進むための覚悟と準備が出 来、なんとか退学するために必要な基盤が整いました。その意味では卒業するより退学する方がずっと難し いものです。いろんなものを捨てました。いろんなものを諦めました。しかし、自分が自分らしく、人間らし く生きるためには、これ以上在学することはできません。やっぱり退学しなければ良かったと、思うことは、 いくらでもあると思います。 それにしても、なぜ退学することになったのでしょうか。僕は色々な経験をしてきました。それは普通に 卒業していった人とはまた別の経験です。一方で京都大学の大学当局が指定するカリキュラムを中心として 履修していったという点で言えば、普通に卒業していった人と同じ体験をしているはずです。京都大学を普 通に卒業すれば、それなりの企業に就職することができます 4 。給与がそれほど高いとは言えずとも、国民年 金や健康保険ですら苦しむということはないでしょう。退学するとは、そういうことすら捨てるということ です。毎月国民年金にあえぐような生活をするということです。それでもなお、普通に卒業していった人とは 違い、自分が人間らしく生きるために退学することになったのは、何故なのでしょうか。 そこで、京都大学工学部の、良い点、悪い点を、とりわけ教育という観点からつまびらかにし、なぜ退学を 選ぶことになったのか、一つ一つ明らかにしていきたいと思います。こうした意見は常時大学当局に様々な アンケートへの回答という形で伝えてきましたが、有効な手段ではありませんでした。ですので、こういう 形で、たくさんの労力と熱意をもって、その一つ一つを洗い出し、明らかにすることで、ひとつの区切りお よび回答としたいと、そう思っています。自分のように潰される学生がいなくなるよう、大学当局には猛省と 行動を促したいと思います。 1 なおこの文書の内容には、今や古くなってしまった情報が多数含まれます。この文書のみを頼らず、別の情報源を探すことを強く推 奨します。しかし、一応は、京大生の一人が書いたものですから、価値はあると思って書きます。古くなってしまったかもしれない情報 には、できるだけ注釈をつけますが、全体として昔話になっていることをご了解下さい。 2 経過した年数からして「選ばざるを得なくなった」とも言えるでしょう。 3 他の大学に行っても同じような思いをしただろうから、京大が特別に悪いわけではない、みたいなことを言われるような気がしま す。それに対しては、その通りです、と答えるほかありません。あとは、その程度で挫折するな、みたいな。それについては後々述べる ことにします。 4 そうじゃない例もいっぱいありますが。 2 受験生の皆さんには、本当に京大を選ぶかどうか、それを中心に考えながら読んで下さい。僕は京大にも はや価値を見いだしませんが 5 、既に大学を卒業なさった大人の皆さんはともかくとして、大学受験生の皆さ んには大いに悩んで欲しいと思います 6 。退学をまたずこの時期に公開したのは、とりわけ大学受験生に読ん で欲しいと思ったからです。京大は果たして、受験生の皆さんにとって、青春の一年や二年を費やし、また入 学後四年、六年、あるいはそれ以上の年月を費やしても構わないほど魅力的でしょうか。「魅力的ではない」 と感じた、という視点から書きますが、書かれた文書を見てむしろ魅力的だと考える人もいるかもしれませ ん。 「“魅力的ではない” というバイアスが激しくかかった状態での中立的文言」という形で書いています。い ずれにせよ、自分で判断し、「京大」というネームバリューに惑わされず、自分で道を選び歩む勇気と覚悟を 身につけて欲しいと思っています。 大学受験生は賢いです。京大を受験しようとする人たちは賢いです。それゆえ「京大」というネームバリュー や、 「自由の学風」というまやかしに騙されないで欲しいと願い、そのまやかしと嘘を暴くことに重点を置い て書きます。それでもなお京大に夢を持って入るのは結構なことだと思います。しかし夢を潰されたと感じな いよう、あらかじめよく読んでおいて下さい。受験生の皆さんは、多くは十代ですから、様々な夢を抱いて いることと思います。その夢は、壊されるべきではありません。「現実」「社会」なんてものに壊されるべき ではありません。まして大学という理想と真理を追究する場で壊されるなんてもってのほかです。十代の時 に描いた夢を、簡単に打ち壊してしまう教育など、あってはなりません。 愚者は教えたがり、賢者は学びたがる ――アントン・チェーホフ 7 年を食って教えたがりになってしまいました。誰か一人でも、賢明な受験生を救えれば幸いです。 5 ただし、僕はおそらく別の大学に行ってもそこに価値を見いだせない可能性の方が高いでしょうし、京大に入っていなくても、同じ ような状況になったことが想像されます。一応の所、京大から引き出せるものはとりあえず全部引き出したつもりで、それゆえ「価値を 見いだしません」は要するに「出がらしになってしまった」ということを意味します。 6 京大を選ぶな、と僕は言いますが、他の人は京大は楽しかった、良いところだと言うかもしれません――というよりそう主張する人 の方が大多数かもしれません――しかし僕があえて京大を選ぶなと主張するのには、反対意見を聞いて欲しいというただ一点に尽きま す。普通、京大を志望して、学力以外の理由でやめておけと言われることはありません(もちろん、東大の方が優秀だから東大に行けと いうような話はあるかもしれませんが)。ですので、京大を選ぶなと叫ぶことには一定の価値があると信じます。 7 チェーホフの言葉ではないらしいです。 1 更新履歴とコメント 3 更新履歴とコメント 1 1.1 ver 1.0 15/11/15 公開 1.2 ver 1.1.1 15/11/16 以下のご指摘を受けましたので注釈をつけました。 「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」はチェーホフの言葉ではない 工学部の入試は 2015 年度から改正されている 以上二点はお詫びして訂正いたします。 また、次のご指摘がありました。 なぜ C にこだわるのか 全ての始まりであり、ハードウェアを叩くことも出来、その気になればなんでも作れる一方で、scanf で対 話をすることもできるからです。古くさいのが好きなだけで好みもあるでしょうしその辺は個人の好みかも しれませんが、scanf で「あなたの年齢は*歳ですね!」みたいなしょうもないプログラムを作る延長線上で ハードを叩けるのは面白いです。その気になればドライバも書けますし、Linux のカーネルだって C で書か れているわけです。C++でも良いと思いますが個人的には初学者にとって雑音が多いような気がします。例 えば Hello, World ですら出てくる “<<” が何を意味しているのか、あるいは名前空間という概念とか、プロ グラミング初学者にとって理解しづらいハードルが最初の方に多いと思います。Java も同様です。Perl あた りは易しくていいのですが、Perl でハードを叩くってだいぶ変態だと思いますし、ポインタや変数の概念が ガバガバなのが気に入りません(実際僕は小さい頃 Perl で掲示板を設置することに苦心していましたが、C をやったときに「int? なにそれ?」ってなったのでできれば C でちゃんとメモリの構造がどうなってるの かとか会得した方が良いと思います)。もちろん最初から Lisp に入って Lisp にどっぷり浸かることも良いと は思うんですが……。いずれにせよ好みの問題であることは否めません。 面倒なのであまりバージョンアップはしません。 1.3 ver 1.1.2 15/11/16 誤字修正 農学部の垣根は低くない すいません。 4 1 1.4 ver 1.1.2 15/11/16(おしらせ) 長すぎると言われたのでノムリッシュ語に訳しました。読みやすくなりました。 https://dl.dropboxusercontent.com/u/1373361/dropout_nom.pdf 更新履歴とコメント 目次 5 目次 1 2 3 更新履歴とコメント 3 1.1 ver 1.0 15/11/15 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3 1.2 ver 1.1.1 15/11/16 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3 1.3 ver 1.1.2 15/11/16 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3 1.4 ver 1.1.2 15/11/16(おしらせ) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 4 全学共通科目(一般教養課程)について 2.1 全学共通科目についてを語るにあたって . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6 2.2 クラス指定とは . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7 2.3 英語教育 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 9 2.4 第二外国語 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 11 2.5 数学、実験 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 11 2.6 人文系 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 12 2.7 ポケット・ゼミ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13 2.8 なぜ全学共通科目は京大を退学する主要な要因になってしまったのか . . . . . . . . . . . . . 13 工学部専門科目について 3.1 専門科目、とくに情報学科の教育について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3.2 SICP と、それにまつわる学生実験・プログラミング言語に対する学科の態度、あるいはプロ 3.3 3.4 5 6 19 19 グラマとしてのセミリンガルの話 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 19 情報学科(計算機科学コース)の抱える問題点 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 22 ハードウェア実験 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 25 今後のカリキュラムについて . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 25 3.3.1 4 6 大学設備・施設・サービスについて 26 4.1 図書館 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26 4.2 生協食堂 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26 4.3 メール . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26 4.4 ウェブ履修登録システム . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 27 4.5 寮 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 29 4.6 その他設備 29 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 入学試験について 30 5.1 工学部入試の変更について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 30 5.2 定員について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 30 まとめ 31 2 全学共通科目(一般教養課程)について 6 全学共通科目(一般教養課程)について 2 2.1 全学共通科目についてを語るにあたって まず全学共通科目から話を始めたいと思います。これは全学共通科目が京都大学に入学した全ての人が直 面し、なおかつ接しなければならない、大学という大海に挑む上での初めてのハードルであるからです。一 方で、僕が退学するに至った理由の大半はこの全学共通科目にあります。 全学共通科目は詐欺です。そして何もかも最悪です。あんなに頑張って勉強して合格したのに 8 、このよう な最低最悪のカリキュラムに出会ってもいまだ正気を保てるとは、京大生の頭の良さに感服します。僕はあ まりにも欺瞞に満ちたその内容に、心底落胆、というより目の前が真っ暗になるような絶望を感じ、大学に 通う理由のほとんどがなくなって、しばらく放心状態になりました。 全学共通科目の筆舌に尽くしがたい酷さは、およそ「全学共通科目履修の手引き 9 」に書かれた極めて欺瞞 的なフレーズに代表されます。 例えば、初っぱなの「国際高等教育院長からの言葉」からして嘘ばかりです。 学問研究を深めるためには、しっかりとした基礎が確立されている必要があります。また、高校 までの受け身の勉強とは異なり、大学では自分自身で学ぶことを決めなければなりません。皆さ んは、本格的な専門教育に移行する前に、こうした知的営為の転換を果たす必要があります。10 なるほどもっともらしい言葉ですが、現行の全学共通科目は「しっかりとした基礎が確立」できるような 内容では到底ありません。 また、 前述しましたように、大学では、高校までとは異なり、自分で何を学ぶかを決めることになりま す。このことは、皆さんが大きな自由をもっていることを意味しますが、同時に、自分で決めな ければ何も始まらないことも意味します。皆さんは、皆さん自身の責任で勉強することになるの であり、自らの学生生活が有意義なものとなるか否かは、自分次第です。11 これも嘘です。「自分で何を学ぶか」を自分で決められない(!!)のが、京都大学工学部のシステムで す 1213 。 この章では、以上に述べた言葉がいかに大学当局の無責任を象徴する言葉であるかを明らかにすることを 目標として 14 、努力したいと思います。 その説明にあたっては、まずクラス指定という制度について言及しなければいけません。 8 ただ勉強の割合は十人十色でしょうし、僕はあまり勉強せずに(これは例えば医学部や理学部の学生よりは、という意味であって、 それなりに勉強しましたが)、偏差値が低いからという理由で工学部に入りました。これは最悪の決断でした。 9 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/zenkyo/guidance 10 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 11 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 12 工学部以外でもそうですが、工学部は全学部を通じてもっともカリキュラムの締め付けが厳しいと思いますので、名指ししました。 13 ただし、 「工学部情報学科を選んだ」というのは自分の判断であり自分の責任です。 「入ってから考えれば良い」という甘い考えが回 り回って災いしたという面も大いにあります。 14 大人ならその程度の嘘に気づけよ、と思われるかもしれませんが、受験生だった頃、つまり 17 歳のガキにとって、 「“京大の” 責任 者であっても、おおっぴらに嘘をついて平気な顔でいられる」という現実は理解の範疇を超えるものでした。概ね大人は悪いことに言及 しませんが、この「言葉」には嘘ばかりが綴られており、「都合の悪いことを言及しない」ということ以上に悪質です。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 2.2 7 クラス指定とは 大学に入学すると、機械的にクラスを振り分けられます。まず学部順内でクラスが――最大は工学部の 21 クラスまで――割り振られ、次に学科順、次いで選択した第二外国語の順で振り分けられます。例えば工学 部情報学科に入学したら、工学部ですから、1 組から 21 組まであります。情報学科なので、20 組か 21 組に 限定されます。中国語を選択すると、21 組になります 15 。といった調子です。ですのでクラスは選ぶことが できません。これは強制です。 次にクラス指定が行われると、これも機械的に授業をハメ込まれます。例えば「21 組の学生は木 1・2 限の 誰それが講義する微分積分学を履修せよ」といったものです。この指定については、別表 16 が詳しいですの でご覧下さい。 このクラス指定科目は、おおよそ学部の要求する内容を確実に履修せよとの意味で設定されています。例 えば情報学科であるのに微分積分学や線形代数学を学ばないのは命知らずと言えます。がしかし、クラス指 定によって履修させられる講義は、時間や曜日を指定することができず、その帰結として講義を行う教員を選 ぶことは不可能です。「この曜日・時間に開講される**先生の授業を履修せよ」といった指示が飛びます。 そこに選択の余地はありません。 つまり、悪い先生に当たったら、ご愁傷様、で終わるのです。教員には様々な種類があります。講義に熱意 を込める人、込めない人。教育が上手い人、下手な人。忙しい人暇な人。必然、教員の質にはバラつきが出 ます。もし、教員を選べたら? と考えることは許されません。熱意がなく講義に向いていない教員に当た ればそれで終わりです。教育が上手い教員に自然と人が集まるというシステムになれば、教員にとっても学 生にとっても有益なはずですが 17 、クラス指定という形で無理矢理指定されるがゆえ、良い教員を探したり、 聞き出したりすることはできません。 このことは極めていびつな状況を生み出します。既にクラス分けされた学生を、大学は無理矢理色々な教 室・時間に割り振ります。割り振られた後、教員が強制的に決まります。また、学生が教員を選べないという だけではありません。教員も、工学部に至っては 21 組にまで散らばった学生を相手するために大量に動員さ れます 18 。やる気のある教員、ない教員、関係なく動員されているようです。明らかにやる気無く、もしく は明らかに鬱陶しいと思いながら講義している教員は、学生からすれば丸わかりです。ちょうど教員が、隠 れて居眠りしている学生や、カンニングを行っている学生を簡単に見つけられるが如くです。動員されてし まう教員があまりにも不幸だと思います。京大ですから教員は全て一流の学識を持ちますが、教育はまるで ダメという人はたくさん存在します。そんな人を無理矢理一回生の授業に引っ張り出しても、何の意味も無 いばかりか、学生を不幸にする上、教員の手間を激増させることになります。 この状況を見れば、クラス指定という制度がいかに不幸を生み出しているかが分かると思います。つまり クラスを選べず、授業を選べず、また教員も、それに従って総動員され、授業の善し悪しに極端な差が発生し 15 これは独・仏・露語の学生数に対し、中国語を選択する学生の方が多いという現象を表したものです。情報学科の定員は 90 名で、 うち 40 名ぐらいが中国語を選択します(最近は減っているらしいですが)。従って、2 つのクラスに分けるに当たって、中国語選択者 (ただし 90 人中 40 人ぐらいしかいないので、アラビア語などマイナー(失礼)言語の履修者も入れて 50 名程度とします)/その他選 択者でクラスを割り振ります。 16 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0208.pdf?1427274846 17 しかし教員側に「学生がたくさん集まったから」という理由でのインセンティブは全くありません。講義というものは、研究から むりやり教員を引きはがし、塾講師と同じ、「やりがいの搾取」を行うことでしか成り立っていません。ストライキを起こす、サボター ジュを起こすべきは、学生ではなく教員でしょう(そんなことできる暇も手間もあるわけないですが)。 18 なぜならば、21 組あれば、21 個の教室があり、21 人の教員が必要になるからです。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 8 ます。教育の上手い教員にたくさんの学生が集まり 19 、教育の苦手な教員は学部一回生の科目などからは撤 退し研究に没頭する、これが本来あるべき姿ですが、京大当局はどうもそのことを意に介していないようで す。なぜなら京大生は一般に頭が良く、教員の質に関係なく、微分積分学や線形代数学の初歩はマスターでき てしまうからです。でも、そうだとしたら、微分積分学に至っては 2 コマ連続 3 時間もの時間を、学生を椅 子に縛り付けておく意味は、どこにあるのでしょうか? 無理矢理教員を動員し、無理矢理学生をひっつける。“時代の趨勢” を理由として出席を厳しく管理する。 早くも京大生は一回生からディアスポラの憂き目に遭い、何が何だか分からないまま大学の指定した科目を 受けさせられるという状態に陥ります。 さて、もう一度引用しましょう。 前述しましたように、大学では、高校までとは異なり、自分で何を学ぶかを決めることになりま す。このことは、皆さんが大きな自由をもっていることを意味しますが 20 そう、つまり、嘘です。 「自分で何を学ぶか決め」るチャンスは存在せず、 「大きな自由」はどこを探しても 見当たりません。クラス指定科目は、一回生の時間割の半分以上を占めます。強制的に時間割の半分を埋め られた後、いったいどこに「大きな自由」があるというのでしょうか。外堀を埋めて良いとは言ったかもし れませんが、内堀まで埋めて良いとは言っていないはずです。合間合間に行われる授業を必死で探して、そ の中からなんとか興味のある科目を選び出しますが、例えば「ラテン語を学びたい」と考えたのに、その時 間はクラス指定で埋まっているという状況に陥ったとき、学生はどう解決すれば良いのでしょうか。もちろ ん、二回生からはクラス指定科目は減っていきますが、一年後にまた取れば良いなんて悠長な話ではありま せん。三回生からは実験が始まり、1 限から 5 限まで拘束されるようなことが増え、四回生では卒業研究や院 試対策に追われることになり、三回生以降で全学共通科目を取ることはおよそ不可能に近いことです。一回生 で履修できなければ、後のチャンスは二回生の一度きりだけ? はい、原則としてその通りです。二回生の 時、別のクラス指定科目や、必修の専門科目が入っていれば、終わりです。留年しない限り、学ぶチャンスは ありません。 誤解の無いよう申し添えておくと、クラス指定は 90 パーセント強制ですが、あえてクラス指定以外の時間 で、授業を取ること自体は、不可能ではありません。例えば自分のクラスに指定された木 1・2 限の微分積分 学を取ると、別の面白そうな科目が取れないというなら、金 1・2 限の微分積分学を取れば良い――それは確 かに可能です。がしかし、授業は「クラス指定で指定された学生以外は、定員を制限し、指定されたクラス 以外の学生はまず最初に落とされる」という規定があります。例えば 50 人収容の教室で、微分積分学が行わ れるとしましょう。クラス指定された学生で 45 人埋まりました 21 。さて、ここに 10 人の別のクラスの学生 がやってきたとします。そうしたら 10 人で抽選です。45+10=55 人のうち 5 人が漏れるのではなく、10 人の 中から 5 人が漏れます。抽選に漏れると、その曜日・時限の微分積分学を取ることはできません。微分積分 19 ただし人気授業過ぎると教室に入りきらなくなったりします。この点で言えば、無理矢理 21 組に振り分けて少人数相手に講義させ るというのは「正解」なのかもしれません。ただし、学生はそのせいで苦しんでいるという事実を見逃している、あるいは見て見ぬふり をしているようでは、犯罪であると思います。例えば、個人的な案ですが、学生が溢れてしまった講義では、教室を二つに分けて、片方 はストリーミングで講義の様子を流すなどの対策もあるのではないでしょうか。初回や二回目では学生が棒立ちになっているが、サボっ ていくから学生の数が減っていき、教室に余裕ができるから問題ない――この構図は、60 年代の大学紛争の時代と全く変わらない、前 時代的すぎる構図が繰り返されているだけだと思います。 20 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 21 概ね履修できる最大の定員は、クラス指定の学生でほぼ全て埋まるように設定されています。この 5 人の枠は、他の学科から来る 人などではなく、前年度に同じ単位を落とした人のためにあるようです。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 9 学を取らないと、基本的には、二回生に進級することが難しくなります。泣く泣く、もとの自分のクラス指定 科目を履修することになります。もしその泣く泣く履修する講義の教員が教育に向いておらず、そのくせ出席 を厳しく管理してレポートを乱発したりなどするとしたら? ここで明言しておきましょう。京都大学は、自由に学びを求めて放浪できる場所ではなく、大学側に強制さ れたカリキュラムを押しつけられて、予備校のように通わされる場所です。 京都大学は、そのくせ「自由の学風」を標榜し、カリキュラムの不自由さを訴える学生に対し、「それは自 分の学び取る努力が足りないせいだ、何のための自由の学風だ」と責任を押しつける場所です。 他の大学でもそうなのかもしれません。しかし僕が口を極めて非難したい理由は、 前述しましたように、大学では、高校までとは異なり、自分で何を学ぶかを決めることになりま す。このことは、皆さんが大きな自由をもっていることを意味しますが 22 という欺瞞的なフレーズを平然と口にするからです。自分で何を学ぶかの制限をクラス指定という形で思 いっきりかけておきながら、大きな自由などと大言壮語する姿は醜悪で目に余るものがあります。 大学受験生の皆さん、騙されないで下さい。大きな自由はありません。これをしろ、あれをしろの命令を いくつも行う一方で、「自由の学風」と名乗る二枚舌に騙されないで下さい。自由は存在しません。あるとす れば、極めて制限された自由です。無理矢理取る科目・時間を決められた後に、隙間にちょいちょい挟まれた 講義だけで、 「教養を身につけることができた」などと口にできるほど恥知らず――世渡りが上手――ならと もかくですが。 2.3 英語教育 京大の全学共通科目における最大の癌は、英語教育です。 悲惨です。 悲惨の一語に尽きます。正視に耐えないほど悲惨です。 英語教育はほとんどの場合非常勤講師によって行われます。例によってクラス指定で教員を選ぶことはで きません。そして非常勤講師の質が、あまりにも、あまりにも、あまりにも劣悪です。適当なテキストを買わ せ、その場で適当に訳させるだけ。「なんとなく学生に侮辱されたから」というよく分からない理由で、講義 をほっぽり出して途中で退出する。語学の単位を落としたら進級できないことを知っているから、単位を人質 にしてやりたい放題です。それは学生の態度が悪いからでは、という指摘はもっともですが、内容は「なんか ムカつく」のような理由であって、こっちが黙っていれば「なんか不満でもあるのか、喋れ」、何か喋ったら 「うるさい、黙れ」。理不尽でしかありません 23 。また「京大生のくせに」と口癖のように言うなど、 「俺は京 大卒じゃないけど京大生に教えてやっている」という学歴コンプレックスで異常に満たされた教員でした 24 。 そういう教員を追い出す術はありません。そしてそういう教員を「選択しない自由」もありません。クラ ス指定があるので、他の講師の授業に入り込む余地は全くありません。そういう教員にあたってしまったら、 諦めるしかありません。クラス分けしてしまった以上、工学部では 21 組それぞれクラス指定され、21 人の教 22 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 23 それとも「社会の理不尽さ」を教えるためにわざと開講してるんでしょうか? 24 ちなみに本人からは「4 共(校舎名)」が旧名称だった時代から教えているとの自慢がありました。 10 2 全学共通科目(一般教養課程)について 員が教育に当たりますが、21 人無理矢理引っ張ってくるせいで質がゴミのような教員がやってきます。教員 を公募し、厳選して 21 人採用するというシステムではなく、21 人という数字が帳簿で釣り合ってさえいれ ば良いぐらいの認識のようです。テキストの内容はセンター試験レベル以下。入学試験において、あの長大 で、倒置や修飾が大量に施された高度な英文を訳するために、必死で努力し、ようやく合格した意味はどこ にあったのでしょうか? 正直言って目も当てられません。ゲロ以下の汚物です。腐臭が漂って吐き気がします。もはや英語教育をし ない方が良いです。あんな人格破綻した教員までも動員して、学生を 90 分椅子に縛り付けているような余裕 はないはずです。優秀な京大生がこんなしょうもない授業で毎週 90 分を潰されていいのでしょうか? 僕は バカだからそういうのに巻き込まれても日本の科学界に影響を与えることはありませんが、とても優秀な同 期も同じ授業を取らされているわけです。国は大学を G 型 L 型に分類するそうですが、極めて問題のある非 常勤講師までも動員して無理矢理学生を当てているような状況で、グローバルなんて口が裂けても言えない はずです。京大とかそういう、高々日本国内の一大学に対して、異様なコンプレックスを抱いている教員に教 えさせて、グローバルと平気で口にする。良心に問いたいと思います。なぜそんな無責任なことを言えるん ですか。心は痛みませんか。恥ずかしいと思わないのですか。 英語は週二回あって、二つを別々の教員が受け持ちますが、両方ともハズレという現象はよっぽどです。片 方があまりに酷かったので片方だけ言及しましたが、もう一人も指導力に欠けており、やはり大学での英語 教育を行う技量があるとは思えませんでした。 同じ繰り返しになりますが、クラスを無理矢理割り振った結果、クラスの数だけ教員が必要になり、それ も教員の数が充足されさえすれば問題ないとの認識で、極めて人格に支障のある非常勤講師すら毎年引っ張っ てくるような状況で、まともな英語教育などできるはずがありません。そしてこれがたまたま僕だけの問題 であれば良いのですが、どの後輩に聞いても「全共の英語ってそういうものですよね」と言うだけです。ど こも似たり寄ったりで、しかも全く改善されません。フィードバックが全く行われません。全学共通科目の 英語は、「そういうもの」として、毎年連綿と続いています。 大学当局は TOEIC やら TOEFL 対策講座を開くとか抜かしているようですが、質の悪い非常勤講師をク ビにするような知恵は持ち合わせていないようです。そもそも大学に来てまで TOEIC の勉強なんかするもの ですか? 自分で対策本を買って自習した方が良いのではないですか? なぜ「講義」という、講師とふれあ い、密にコミュニケーションできる最大のチャンスで、TOEIC などという、所詮は民間団体のやっているテ ストの対策なんかに時間を割くのでしょうか?25 英語でディベートをするとか、英語のみで発展的な日常 会話を行えるようにするとか、そういう TOEIC 等では行えない講義 26 を展開すべきです。今のようにただ 英文をその場で訳させるだけという授業では受講する価値が全くありません。そんな授業なんか受けなくて も、祇園や清水寺のあたりにでも行けば外国人観光客がいくらでもいるんですから、その人相手に「英語苦 手なんですけど∼」みたいに 30 分ほど雑談でもしていた方が遙かに有益です。 英語による講義についても、開講されてはいますが、申し訳程度の開講で卒業単位になったりならなかっ 25 別に僕は指標としての TOEIC を否定するわけではありません。個人の英語力を評価することにおいて、大いに意義があると思い ますし、スコアはきちんと本人の英語力を表すと考えています。しかし大学がわざわざ卒業単位に加算するほどのものですか? それな ら講義などやらずに卒業の条件で「700 点以上」などと書けば良いだけの話です。ロクな講師も集められないくせに、「TOEIC 対策講 義を主催しますよ」なんて甘い言葉を受験生や保護者に聞かせて、「あぁ安心だな」と思わせるのは、ただの詐欺です。 26 実を言うと、そういう講義は存在します。しかし卒業単位に加算されず、劣悪な質の英語講義の方が必修となっています。だから単 位を人質にして恫喝する教員が居座るのです。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 11 たりして積極的に受講することができません。例の「言葉」には、 皆さんが、このように国際化した社会において学問研究に従事し、あるいは、社会の様々な分野 で活躍するためには、しっかりとした国際的視点とともに、十分なコミュニケーション力を身に つけることが必要です。英語で提供される科目のほとんどは、外国人の教員によって担当されて おり、英語によるコミュニケーション力の向上だけでなく、異なる環境で培われた価値観や思考 方法の理解にも資することと思います。これらの科目の履修を通じ、皆さんが国際的な感覚を身 につけられるよう、期待しています。27 と書かれていますが、要はこの人が言いたいのは、英語で開講されているなら内容はなんでもいいという ことであって、英語で開講させてますけど内容は知りませんと暴露しているだけです。英語講義の数も大し て多くありません。教員と密にコミュニケーションを取れる場も少なく、たいていの場合英語で一方的にしゃ べってるだけで日本語と大して違いはありません。何がコミュニケーション力ですか。4chan の hentai 板で モザイクの除去でもやってた方がよっぽどコミュニケーションになります。 英語教育はもうやらないでください。バカになります。 2.4 第二外国語 第二外国語が抱えている問題は英語教育で述べたことと、あまり大差ありませんが、非常勤講師が少ない だけ英語よりはマシと言えます。が、これもクラス指定ですので教員を選べません。僕が履修した中国語の 教員は、kyoto-u.com28 で「段ボール箱に 100 円を入れるよう指示された。強制ではないが単位がかかってい るので入れざるを得なかった」などという告発を(僕が履修する二、三年前に)受けていました。これが本 当かどうかは分かりませんが 29 、やはり人格に問題のある教員であるという事実は確かでした。 ただ第二外国語については批判を控えます。いま第二外国語の中国語を完全に忘れてしまったのは、おお むね自己責任ですし、中国語が役に立たないと感じるのは自分だけかもしれません。しかし「役に立つ」た めの講義が行われているとも思えません。教員側が、「あぁまた一回生どもか、どうせ忘れるんだろうな」み たいな考えで講義をしているのは見え見えです。結局そうなるのは、第二外国語の存在意義を問われた際に、 きちんとした受け答えができない状態であるにも関わらず、作ってしまったものはしょうがないと無理矢理 カリキュラムを押しつけているからだということになると思います。 2.5 数学、実験 工学部ですから数学に触れないわけにはいきません。ですのでガッチリ取るべき単位を指定されるのは致 し方ありません。が、教員総動員の状況は変わりません。数学となると非常勤講師では間に合わないのか、助 教以上の教員が務めているようですが、教育の専門家ではないですし、しかもやはりクラス指定で無理矢理 講義の数を増やした結果、必要な教員数が無闇に増え、質は混沌としていて専門科目への橋渡しができるの 27 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 28 凋落して久しい京大生用のコミュニティサイト。 29 本当であれば懲戒処分が妥当でしょう。僕もそういう悪評を聞いていたのでいざとなったら当局に告発すべく身構えていましたが、 そういうことはありませんでした。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 12 か極めて疑問です。教員によってレベルの差がありすぎ、僕が履修した微分積分学では、理学部から引っ張 られてきた教員が珍妙かつ難解な話を始めたので、慌てて高木貞治の本を買ってウンウン悶絶しながら自習 しましたが、あるいは別の所では、 「数学を語れ」みたいな禅問答の試験一発で通したなどという話もあり― ―もしクラス指定さえ無ければレベル別で授業を開講できたであろうに、クラス指定という制度があるおか げで、学生は「たまたま良い先生だった」「たまたま微妙な先生だった」というような「偶然」「運任せ」を 強いられてしまうのです。あと酷かったのは、数理統計だかなんだかそういう講義で、全く同じタイトルの 講義なのにもかかわらず、測度論から始める教員と、確率分布の各特徴だけを天下り的にやって棄却域がど うのこうのという話しかしない教員がいました。今もそうなのかは知りませんが、測度論をきちっとやる講 義とルベーグ積分のルの字も出ない講義が同じタイトルなのは、さすがにまずいと思います。 なお数学系科目は単位を落とす学生があまりに多いのか、線形代数学や微分積分学などでは再履修クラス が用意されています。びっくりするかもしれませんが、線形代数学 A(再履修)の試験では、 「2 × 2 行列同士 のかけ算」みたいな問題が出ました。講義は再履修だと驚くほどレベルが落ちます 30 。それでいいのか? という感じはしましたが、再履修だろうがなんだろうが、同じ科目を履修したと見なされ、卒業の際に不利 になることは一切ありません 31 。言うまでもないことですが、レベルの高い講義で単位を取った事によるイ ンセンティブもありません 32 。 あと物理学実験の担当教員 33 が異様に疲れているように見えました。あれはおそらく学生のための実験準 備やら、レポートの添削やら、あまりにも仕事が多すぎるのが原因だと思いますので、何とかした方が良い ような気がします。 2.6 人文系 当たり外れが多すぎます。でも、たまーに、ものすごい当たりを引くことができます。留年したことによっ てクラス指定の縛りから抜けだし、ケインズや聖書、美術史等々、面白い科目を取ることができたのは幸い でした。 そういえば大澤真幸先生は喋りが上手くて面白かったですが 34 、前期の授業を終え、後期も履修しようとし たらセクハラで退職なさったのは極めて残念です。他にも多々面白い先生がいて、知的興奮を刺激され、「京 大に行って良かった」と思えたのは人文系科目を履修しているときだけでした。 人文系科目の良いところは、なんと言っても「無理矢理動員された」教員が少ないことです 35 。教員の各々 によって教え方は様々ですが、基本的には「あ、無理矢理講義に引っ張られてきたな」とあからさまに感じ る教員は少ないように感じました 36 。 30 数学は本当に苦手だったので助かりましたが。 31 それどころか大学の成績表にも再履修であることは書かれないので、 「あれ、平成 20 年度入学なのになんで線形代数学を 21 年に履 修してるんだろう?」と相当詳しく見ないと気づかれることすらありません。 32 ちなみに「理学部向けである」という警告のついた、同名の講義が存在します。 33 講義の性質上教員は 5,6 人ほどいましたが、基本的には非常勤講師(ポスドク?)が担当していたような記憶があります。 34 しかしヨブ記を引用して適当ぶっこいたりするなど博学ではありますが都合の良い解釈が多く眉唾物です。喋りだけは本当にうまく て面白いです。なお「ふしぎなキリスト教」はヤバいと思いますので何らかの形で言い訳しておいた方がいいです(「やっぱりふしぎな」 という続編が出てるらしいですが読んでません)。あれを読んで「キリスト教って不思議だな∼」って言ってる後輩を見ると、やべぇな と思います(日本人のキリスト教知識は大抵適当でしかも偏向しているので、訂正するのに時間と労力がかかりすぎます)。なまじっか 話がうまいだけに引き込まれてしまうのです。 35 実際はそうでもないかも。 36 理系科目の教員はみんなおよそ疲れていて、板書にひたすら精を出すだけで、 「無理矢理やらされている」というオーラを背中から 放ちながら講義しています。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 13 ただこれについては理系学部から見た全学共通科目(一般教養科目)という話ですので、文系学部から見 ればそびえ立つクソだらけなのかもしれません。そしてやはりクラス指定の呪縛から逃れるには、留年しか なかったというのも事実です。留年したおかげで教養が身についた――不真面目な奴ほど教養がつくなんて 馬鹿馬鹿しい話です 37 。 2.7 ポケット・ゼミ これは唯一、褒めるに値するものです。教員と数人程度の学生が一つの部屋で話し合い、教員の持っている 知識を直接ゼミナール形式でもらえて、しかも議論までできるという美味しいチャンスです。教員の前で数 人で議論するという機会は、一回生の段階においては、他の場所においてほとんど与えられないからです 38 。 知的興奮をダイレクトに刺激される場でした 39 。 ですが、取りたいポケット・ゼミ(以下ポケゼミ)は基本的には定員 40 を超えたら抽選です。また、理系 の学生が理系のポケゼミを履修した場合卒業単位に加算されないこともあります。加えてポケゼミは原則在 学期間を通じて一回しか履修できません。これは極めて残念なことです。ただしポケゼミの拡充は僕の在学 期間を通じて行われており、前期のみ開講だったのが後期も開講するようになるなど、年度ごとに良くなって いるようです。ポケゼミについては唯一大学当局の判断を称えるべき点だと考えます。とはいえまだまだ整備 段階で、受験生の皆さんが期待出来るほどのものではまだないと思います。カリキュラム的にもおまけ的扱 いにされてしまっています。 逆に言ってしまえば、全ての全学共通科目はポケゼミ的であるべきです 41 。しかし実際問題として教員の 数が足りません。ポケゼミがなくても教員は足りていないのに、これ以上ポケゼミを増やす余裕はおそらく ないでしょうし、これ以上拡充することはやはり難しいと思われます。 2.8 なぜ全学共通科目は京大を退学する主要な要因になってしまったのか クラス指定の話には何度も言及しますが、基本的に全学共通科目はこのクラス指定のせいで、合間合間に適 当に講義を割り振って埋めていくというような状態を招き続けています。自由の学風が泣いています 42 。合 間合間に適当に入れるから、楽に単位が取れる講義を探し始め、まともな教養と称すべきものは身につきま せん。 ですから、 37 ただし僕は世間一般で言うところの「教養」なる幻想に対し多少批判的です。所詮は週一回 90 分の講義で学んだだけのことであっ て、それをもってして「教養ある」人間になれたとは、個人的には言えません。 38 また「与えられるのを待つな」という議論になるかもしれませんが、 「教員にアポを取り、90 分なり時間を取ってもらった上で、何 人か同じ興味を持つ学生を集め、議論の場所を設定する」ことは現実的になかなかできません。毎週一回 90 分もの間京大の教員と語り 合うことができる、というチャンスをポケゼミ以外で経験することは難しいでしょう。 39 それはたまたま「当たり」の教員に出会うことができただけなのかもしれません。教員と葉鍵板(!)の話ができるとは思いません でした。 40 若干名。多くは数人程度。 41 京大が帝国大学だった時代は、東京帝国大学の「講義」偏重に対して少人数制のゼミナール形式を重んじていたらしいですが、その 精神を受け継ぐ講義は本当にごくわずかにしかありません。ほとんどの講義がパワポの垂れ流しです。 42 ちなみにですが、二重登録という形で、強制的なクラス指定講義に出席せず、他の興味のある講義に出席し、クラス指定講義は試験 一発で通すという抜け穴が用意されていた時代もありました――というより実際「そのために」二重登録という制度が存在しました―― が、現在は、ウェブ上で時間割を組むので、二重登録はシステム上不可能です(実は「二重登録願」を書けば良いのですが、A4 一枚に びっしりと「合理的な理由」をひたすら連ねないといけませんし、そこでどういう理由を述べたのかはもはや覚えていませんが、いずれ にせよ却下されました)。確か文学部などは、二重登録できなくなるからという理由で、学部としてウェブでの履修登録に反対していた ような記憶がありますが、それは本当に六年とか七年前の昔話です。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 14 学問研究を深めるためには、しっかりとした基礎が確立されている必要があります。また、高校 までの受け身の勉強とは異なり、大学では自分自身で学ぶことを決めなければなりません。皆さ んは、本格的な専門教育に移行する前に、こうした知的営為の転換を果たす必要があります。43 という言葉が欺瞞に思えるのは、 「しっかりとした基礎」を作るために多種多様な講義を開講しているとい う看板を掲げているにも関わらず、教員を適当に総動員させ、ひどい質の非常勤講師まで引っ張ってきて、無 理矢理履修させるようなカリキュラムを作っているからです。「自分自身で学ぶことを決め」ることは許され ません――クラス指定された科目の合間合間に偶然素晴らしい講義が存在するという幸運に恵まれない限り。 センター試験レベル以下の教科書をなぞるだけで「知的営為の転換」を行えるでしょうか。「とりあえずや れ」で指定された第二外国語で「知的営為の転換」を行えるでしょうか。無理矢理研究室から引っ張ってき た教員がモゾモゾと講義するような状態で、「知的営為の転換」を行えるでしょうか。 はっきり言いましょう。無責任です。自分で発した言葉ぐらい、忘れないで下さい。こんな場所で、こんな カリキュラムで、「自分自身で学ぶことを決める」ことはできません。自由などありません。ないならないで 構いません。なんとなれば工学部を選んだだけで十分に「自分自身で学ぶことを決めた」ことになるでしょ う。しかし、クラス指定による強制的な履修という制限を自ら作っておいて、 「自分自身で学ぶことを決めろ」 「大きな自由を持っている」などと平然と口にするのは恥知らずです。「自由の学風」という看板を今すぐ下 ろすべきです。下ろした上で、「我々は強制的にやらせている、これは諸君らのためだ」と言うのであれば、 それで納得します。がんじがらめのカリキュラムからちょっと逸脱しようとしただけで留年する状況では、ま ともな教養が身につくとは思えません 44 。 このような状況が起こっていることについては、何度も何度もアンケートにおいて指摘していますが、改 善されることはありません。A 群 B 群といった旧科目群をバラして再構成するようなことをやらかしたらし いですが、そんなものが根本的な解決になるわけありません。教員の質とどのような授業が行われているか を徹底的に見直さないと、全学共通科目の教育は悲惨なまま放置され、ボロボロの知識で無理矢理専門科目 へ押しつけるような状態が発生し続けます。「点検・評価」というページで毎年のアンケートを載せています が、僕は毎回数千字で徹底的に、かつ教員の実名を使ってまで指摘して、こうしてはどうかといった改善提 案も行っているにもかかわらず、全く掲載されません。三行以上の文章は読めないんでしょう。アンケート 結果の感想欄でたまに長文が載ってるのは、 「短いコメントだけ載せていたら都合が悪いから、手頃な長さの 意見を貼り付けておけ」っていうことなんでしょう。アンケートを受けて何か反省した様子も見られません。 単に点検しただけです。点検して問題があるのに放置しています。「群の廃止」みたいな小手先でできる、見 た目の派手な改革はやりますが、抜本的な改革は何もしません。ゲバ棒と火炎瓶の時代から何一つ変わるこ とのない悲劇が、21 世紀になっても繰り返されている姿は、むしろ古典に触れているようで愉快ですらあり ます。一度講義に飛び入りで入ってみてはどうですか。ランダムに選んだ教室で三十分でも座ってみればど うですか。いかに劣悪な教育が行われているか――あるいは質の高い教育をする教員と、その他の教員との 差異がどれほど明白に現れるのか――一目瞭然なはずです。 43 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 44 これは「たかだか 90 分の授業では教養とは言えない」という僕の言葉に反しますが、 「たかだか 90 分の授業」を楽に取れるからと いう理由だけで履修する科目にするか、これを学びたいと思って履修するかでは、学習効果がまるで違います。そして「学びたいと思っ て履修」する科目が、時間割の全てを占めているべきです。時間割の一部を強制的に決められ、その合間合間の講義を探すような状態で は、不可能じゃないけど可能とは言えない、という結論しか出ません。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 15 学生も教員もただただ不幸です。京大に自由はありません。京大は、受験生の皆さんが予想だにしないほ ど、がんじがらめで息が詰まるような、理不尽な制限をあなたに押しつけます。「自由の学風」は、誰かが言 い出したのを、勝手に当局がパクっただけの方便です。カリキュラムがダメだと言い張っても、「それは自由 の学風だから自分で勉強しろ」と言い出すだけです。濫用にもほどがあります。学ぶ機会をこれ以上無く締め 付けておきながら、大きな自由があると豪語する。無闇矢鱈に授業を増やし、水増しされた講座を見て「充 実した教育」と自慢する。英語講義を受けろと言いながら、英語で何を講義しているのかまるで興味を持た ない。劣悪な教育しか提供できていないにも関わらず、その一方で、 皆さんは、皆さん自身の責任で勉強することになるのであり、自らの学生生活が有意義なものと なるか否かは、自分次第です。45 ――などと、学生に全ての責任を負わせる。 受験生の皆さん、「自由の学風」とは、大学が現実――まともに教育を施せていないし、施すための知恵 も設備も何も用意できていないという現実――から目をそらし、全てを学生の責任として押しつけるために 作り出したまやかしの言葉であり、責任逃れのための言い訳です。京大に入ってまでアホになるための教育 を受ける必要はありません! それゆえ受験生の皆さんに強く警告しておきます――「京大では、専門科目にとらわれず、多種多様な知識 を吸収し、いくらでも教養を取り入れ、成長することができる」という幻想を抱いているなら、今すぐ捨て て下さい。そんなものを探そうとしても、クラス指定科目で埋められて、幅広い教養を深めることなど到底 不可能な造りになっています。合間合間に割り振った適当な講義で、ひたすらパワーポイントでの紙芝居を 見せられるだけです。ただただ、単位なるものを収拾する作業ゲーになるだけです。それを回避したいなら、 一回か二回の留年は覚悟すべきです 46 。また教員も、“京大は「自由の学風」をスローガンと掲げている” と いうことを念頭に置いて講義して欲しいと思います。自分の講義が魅力的なら出席など取らずとも自然と学 生がいつきます。実際、出席なんて一度も取らない上、どの学部学科の必修でもなく、単位認定はレポート一 発なのに、一回目から最終回まで席がびっしり埋まり続ける講義というものは実在します!!47 学生が逃げる のは教員の責任です。その責任について、何らかの償いをする必要は全くありませんが、出席を取るなら取 るで、それに見合った講義を提供できるか考えて欲しいと思います。 京大生が持つ「教養」は、たいていの場合、大学とは別の場所 48 でいきなり出会った体験から成り立って います 49 。京大生が教養があるように見えるのは、主として頭のう指数が高いから、そのような特殊な体験 に「出会う」確率が他の人より高いというだけです。教養を身につけたいならクソ非常勤講師の自己満足で 行われる英語の授業なんて真っ先に切らねばなりません。カリキュラムが酷いと訴えても「大学は自学自習 45 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0191.pdf?1427272763 太字は筆者による。 46 実際こうして見ると、留年することはむしろ健全であるように思えます。 47 普通レポート一発だったら誰かのノートを借りれば良いという理由で学生数はどんどん減っていきます。減らないのは、教員から来 るパワーが並外れて高いことを意味します。 48 確かに大学の講義でも、それを手に入れることができなくはないですが、延々と述べている通り、カリキュラムにクラス指定という 縛りがあるせいで、素晴らしい体験に出会える頻度が低くなっています。それゆえ僕は口を極めて全学共通科目を批判しているわけで す。カリキュラムの縛りさえなければ、もっと自由で幅広い教養の大海原に出航できたかもしれないのに(逆に言えば留年してカリキュ ラムの縛りから解き放たれたとき、貴重な体験に出会いましたが、気軽に「もうちょっと教養を身につけたいから」という理由で留年と いう手段を執れる人はまれでしょう)。 49 ただし僕は「講義に出ずアルバイトに精を出すべき」という言説は間違っていると思います。僕は留年という手段で大学から色々な ものを引き出しましたが、普通の京大生は留年などしないので、必然、大学以外の場所から引っ張ってきた教養の方が多いということで す。 16 2 全学共通科目(一般教養課程)について だから自分で学べ」と突き放す、「自由の学風を勘違いしているんじゃないか」と脅迫する、これが日本で二 番目と言われる、「自由の学風」をスローガンに掲げる大学のやり方です。俺は知らない、お前のせい、その ために作られたまやかしの「自由の学風」という看板に、多くの受験生が惹かれていく現実には目も当てら れません。 個人的意見になりますが、自由を当局が看板にした時点で、自由は終わったと考えます。いっそのことがん じがらめに拘束していることを公言し、むしろ制限を強くすると宣言した方が、「どうやって抜け出るか」を 学生が考えるようになって、なにがしかの「自由」を発明するはずです 50 。今の京大生は、単に飼い慣らさ れているだけで、何もしていません。「京大」という巨大なネームバリュー、時計台とクスノキの権威に押し つぶされ、考えを止めてしまっています。「自由です」と言われて、本当に自由だと思っていますか。僕は思 いません。専門科目、必修科目を一つか二つほど蹴っ飛ばして、別の授業を取るという、そんな一歩すらも、 踏み出せない学生ばかりです。 そしてそれは自分も同じです。自分に言い聞かせてきました――カリキュラムが窮屈に感じるのは自分の せい、学び取る努力が足りないせい、教員を訪ね歩くような積極性が欠けているせい。でも、一歩引いてみる と、全然違う景色が見えてきました。言い切りましょう、大学が悪いです。窮屈に感じるのも、努力が足りな いように感じるのも、積極性が欠けているように感じるのも――全てにおいて、大学が介入してきて、学問 の自由を邪魔しているからだと気づきます。大学が、自分のせいではなく学生のせいだと言い張るなら、こっ ちも自分のせいではなく大学のせいだと言い張りましょう。なかなかの突っ張り合いですが、大学という組 織は個人一人で反抗するにはあまりにも大きすぎます。耐えきれなかった結果が四度の留年です。四度の留年 の間、いろんな講義を放浪し、ようやく他人にペラペラ面白話ができる程度の「ペラペラの教養」が身につ きましたが、普通の学生が四年も留年できるわけがありません。 大学当局が「京大は自由」と言い放ち、そして京大生も「京大は自由」だと自分に言い聞かせ、本当は自 分のせいではなく、大学のせいであるはずなのに、京大生自身が自分のせいだと安直に結論づけている 51 姿 は、正視に耐えないものです。本当の意味での自由を知っているなら、大学当局が吹聴する「自由の学風」は 唾棄すべきスローガンだと思えるはずです。「自由の学風」を軽蔑し、正しい「自由」を求め歩く覚悟と勇気 を持ち合わせて欲しいと思います。 受験生の皆さん。本当に自由が欲しいなら、京大なんか来ない方が良いです。ここに自由はありません。一 方、自由はないと分かった上で、自由になるための抜け道を探したいと思うのであれば、それは素晴らしく 京大生らしいと思います。いやむしろ、「まやかしの自由」をまざまざと見せつけられることは、「本当の自 由を探し訪ね歩く」きっかけになるので、来た方が良いということになるかもしれません。来るなら来るで 覚悟を決めて来て下さい。本当にクソばっかりなのか、あるいはダイヤモンドで満たされているのか、その 目で直接確かめるということも重要です。僕は留年という形でしか自由になるための抜け道を知り得ません でしたが、京大に合格するぐらい頭が良ければ、もっと面白い抜け道を探すことができるかもしれません。 京大生は「思ったより京大には変な奴が少ない」などと言いますが、「自由」というフレーズに騙されたに も関わらず、なんとなく受け流して処理出来るようになっているぐらいスマートだということです。僕はス マートに生きることができず、また鈍感であり、「自由」が欺瞞であることを何年も見抜けず、七転八倒した 50 もっともその前に、京大から受験生が逃げていって、京大が没落するという未来しか見えなかったりもしますが。 51 単なる「大学は良くて、自分は悪い」という認知バイアスです。 2 全学共通科目(一般教養課程)について 17 あげく、ようやく本当の意味での「自由」の意味に気づき、それゆえ「退学」という選択肢をも手に入れま した。受験生の皆さんは、京大に入って、教職員が「自由の学風」と偉そうに垂れ流しているからといって、 「これが自由なのか」と思わず、 「自由じゃないじゃないか」と怒れる程度には、みんな頭が良いはずです。本 当に自由で真理を見通す力があるならば、この現実を「そういうものだからしょうがない」と従容として受 け入れることはできないはずです。大学は「社会とはそういうもの」として何もかも諦めて大人になる場所 である、という言説は一見もっともらしいですが、そうであるならば、さっさと「自由の学風」とかいう看 板を下ろして、「京都就職予備校」とでも名乗った方がよろしいでしょう。真理を究め透徹した頭脳を得るべ き場所は、今や、強制的なカリキュラムによって学生を締め上げる、予備校よりも予備校らしい場所へと堕 しています。予備校をお望みでしたら素晴らしいところです。就職も良いし是非来て下さい。予備校だと割り きって来ている学生がほとんどです。 ですから受験生の皆さん、心して聞いてください。合格しても京大に自由はありません。なるほどこれが 自由かと、納得しないでください。「これが社会というものだ」「この理不尽に耐えるのが大人なのだ」など という言説に耳を傾けないでください。常に真理はどこにあるのか探してください。「これが社会だ」という 強烈な同調圧力に屈せず、本当の意味での自由を探し、見つけ出してください。マスプロ教育の中では自由 を見つけることはできません。ゼミナール形式の講義をするには教員の数と時間が足りなさすぎます。今の 全学共通科目は、前にも後ろにも進めない、三手詰めの詰め将棋みたいなものです。もちろん詰められる側 は学生で、詰める側は「時間」です。三手すなわち三年経ったら詰むことが分かっていますが、防ぐ方法は 「待った」をかけるか、諦めて投了するか、将棋盤ごとひっくり返すしかありません。いつまでも「待った」 をかけられるわけがないので、単に詰みます。こちらが最善策を取っても、一年、二年、三年で詰んでしま います。四年目は詰んだ後の後処理です。 「本当の自由」のもとで育まれるはずの “真理” を探す場所として、京大は残念ながら不適切です。「京大」 という名前に乗っかっておごり高ぶる愚かな大学当局の下で、「京大」という名前に押しつぶされる学生があ まりにも多く見受けられます。京大には巨大なネームバリューがあります。それゆえ退学や留年を視野に入れ たとき、「俺は京大卒という肩書きを失うのか」という恐怖心から、目の前が真っ暗になって身動きできず、 自縄自縛で海に沈むことになります。肩書きに真実はありません。でも大学に真実はあるかもしれません。し かし京大は、その名前のまぶしさから、真実が見えづらい場所になり、多くの学生が真理を見通す視力を失っ てしまっています 52 。学歴のせいで目が潰れているのは、他ならぬ京大生自身です。 京大はがんじがらめに縛ってきます。しかし抜け道はあるかもしれません! 合格したら抜け道を必死で 探してください。そこに必ず「解」があるはずです。その解は正解ではないかもしれませんが、何度でもト ライしてください。抜け道にこそ正解が存在します。まぶしすぎる学歴という名の光を避けて、暗闇に真実 52 ちなみに 20 年前、オウム “真理” 教が流行して、高学歴の学生が次々取り込まれていったのは、真理が大学に存在しないことに気 づき、別の所に求めた結果、あまりにも見えやすくわかりやすい「教祖の言葉」に行き着いて、それが真理であると勘違いしたからに他 なりません。勘違いして、しかも「これこそ真理のはずだ」という強固なバイアス――本当に「自由」を知っているなら、そんなバイア スで盲目になってしまうことはないはずです――に基づいて行動した結果が、一連のテロ事件です。真理は安易に手に入るものでは絶対 にありませんし、それはたいてい、バラバラで、一個一個ではまるで真理とはかけ離れているように見えるものです。役立たなく感じる ものを身体に染みこませ、一つにし、そして行動するのが真理を究めるという道でしょう。様々に悩み探究することで、ようやくその 帰結として何らかの正解らしきものを見いだすことができます。別個と思われていた質量とエネルギーの間に働く法則が見いだされる まで、世界はアインシュタインの登場を待つほかなかったのと同じであり、そのアインシュタイン自身も、一つ一つ理論を構築していっ て、その帰結として E = mc2 を導き出したのと同じです。劣悪な教育が行われると、真理への道は閉ざされ、知を後退させてしまうば かりでなく、間違った “真理” を語る誰か別の「教祖」に導いてしまうという結果を招きます。全学共通科目が酷いということはどれほ ど危険なことか、大学当局が真剣に考えることを望みます。 18 2 全学共通科目(一般教養課程)について を求めて下さい。大学が管理し、飼い慣らすための「自由」という監獄から逃げ出したとき、初めて「自由」 の本当の意味と、尊さが分かるはずなのです。 ここまで書いたことは、受験生の皆さんが晴れて京大生となったならば、講義が始まってから二週間も経 てば誰でも悟れることです。しかし二週間経ってからでは既に遅いのです。始まる前から「全共はクソのそび え立つ絶望の地である」と構えておいた方が良いでしょう。 3 工学部専門科目について 19 工学部専門科目について 3 3.1 専門科目、とくに情報学科の教育について 工学部情報学科の専門科目は全学共通科目よりもさらに多くの変化が起こっています。全学共通科目より も学生の声が届きやすく、また教育結果としても、研究室に配属されてきた学生を見ることで評価すること ができるので、まだ全学共通科目よりは学生の変化に対し敏感です。ですのでまだ全学共通科目の「どうし ようもなさ」つまり「言っても言っても直らない(直さない)」クソさに比べれば、専門科目はまだはるかに マシです。 また教授陣の定年退職が相次いでおり、既に古い情報が多くなっているため、多くの場合注釈をつけます が、現在どうなっているか聞こえてくる情報も加味して書きますので、全体としては昔話ではあるものの、そ の残滓が今も残っている、という認識で読み進めて下さい。 3.2 SICP と、それにまつわる学生実験・プログラミング言語に対する学科の態度、ある いはプログラマとしてのセミリンガルの話 一回生の後期から SICP の授業があります。そして情報学科の学生に対する強烈なプレッシャーです。学生 を潰すためにやっているとしか思えません。 なんと! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !2015 年度から SICP が無くなりました。ようやく教育効果が無いことに気づ いたようですね。ですので以下は、自分が受けた体験談として語ります。二、三年経ったらちゃっかり復活し てるかもしれませんが。 多くの学生は C ですらマトモに書いたことがありません。自分だってたしなむ程度には書いていましたが、 情報学科の一回生というのはタッチタイピングすらできなかったりします。これを責めるのは野暮というもの で、入学試験は全て筆記であり、使うのは鉛筆でありシャープペンであり、――確かにセンター試験に BASIC が出たことは出ましたが、それはほとんどの京大生にとって関係のない話で、ともかくプログラミング経験 がゼロなのは仕方の無いことです。 その学生にいきなり Scheme です。関数型言語に対する意見は様々と思いますが、かなりの割合の学生が脱 落します。この講義がきっかけで計算機科学コースを諦め数理コースに行く学生が多数存在します。 Scheme については「この程度ならほとんど説明不要」ぐらいの認識で適当にイントロダクションがあるだ けで授業は加速度的に進んでいきます。Scheme という文法と、アルゴリズムやデータ構造といった概念が有 機的に結合することはなく、なんとか再帰を実装することぐらいはできますが、それ以降は何をやっている のかサッパリ不明、与えられた問題を Scheme という形に暗号化していくような作業になります。これではプ ログラミング嫌いを助長するだけです。 果たして何人の学生が、アルゴリズム・データ構造・再帰処理・リスト・ツリーなどを頭に叩き込み、目的 に確信を持って Scheme のコードを書けているのでしょうか。一回生後期に開講するにしては、内容は高度す ぎ、また高度な授業に対応するための時間も少なく 53 、プログラミング経験がほとんど無い中での関数型言 語は理解不可能に等しく、かろうじて理解できるにしても授業で求められる範囲まで追いつくには時間が足 53 これが二回生ないし四回生ぐらいで行われるなら、じっくりと自習する時間も増えるでしょうが、一回生後期は全学共通科目も大量 に残っており非常に忙しく、SICP にじっくり腰を据えて立ち向かうことは困難です。 20 3 工学部専門科目について りなさすぎます。結果、ただひたすら目の前の問題を解き、毎週レポートとして提出することに追われ、何 一つ Scheme でプログラミングできる楽しさを得られません。せっかく Scheme をやるのに、「そんなものも あったなぁ」で終わってしまう 54 のは残念としか言いようがありません。 ただ、本当にこの辺りは、自分の頭の悪さだけが原因なのかもしれません。Scheme をやって苦痛でしかな かった、関数型言語に対する嫌悪感だけでなく極めて強い敵意まで生まれた、それは自分だけかもしれませ ん。ただ、何よりも嫌だったのは、学科が「一回生から Scheme をやらせている」という自慢みたいなことを 他学に言いふらしているところです。そりゃぁやらせてるしやらされてますけど、「やらせている」って自信 を持って言われても困ります。果たして一回生というタイミングでやらせる意義があるんでしょうか 55 。 まさか「一回生にやらせてるぞ!」という自慢のために一回生後期に配置してるんでしょうか? 表向きは 多分否定すると思いますが、正直、授業を受けた側としてはそういうエクスキューズのためにやらされてい る感じがしてなりませんでした。――さらに附言すると、「ただコーディングする機械を作るのではなく、そ の裏にある理論を学ばせる」ことを目的としていると、これもまた自慢のように言いますが、実のところ「教 科書の内容の理解」と「Scheme でのプログラミング」の二つが、授業とレポートという形で引き裂かれてし まった結果、「ただ(Scheme を使って)コーディングする機械」が発生しているというところに目をそらさ ないで欲しいと思います。少なくとも、教科書の内容を読んで、Scheme で表現し、それを再び教科書が目的 とするデータ構造などの概念に還元するというサイクルを作るには、一回生後期という時期は早すぎます。C ではこう書くが、Scheme を使うとこんなに簡単に書けて、SICP はそういうことを言いたいんだよ、という メッセージが込められていれば分かるのですが、SICP という権威に頼って、それのみを根拠として教えてし まうと、Scheme しか知らない(しかもその Scheme の知識も極めて怪しい)学生を作るという、いびつな状 況を作り出すことになります。 セミリンガルという話を思い出します。海外で子供を育てればネイティブの英語に触れられて楽じゃない! と思った結果、母語を見失うという現象です。端的に言うと、それです。その状況を作り出しています。 Scheme に対する敵意を抱かせ、C に対する恐怖心を植え付ける。依って立つべき基盤が一体どこにあるのか わからない状態に追い込むのは極めて不自然、不適切だと思います。基盤は「アルゴリズム」という概念であ り、表現する言語が違うだけ――というのがおそらく本質的な意味での「情報学」だと思いますが、それを表 現する手段を Scheme 一本に絞ってしまった結果――しかも Scheme という表現手段の解説が極めて雑 56 で あった結果――基盤がガタガタのまま砂の御城を築き上げることになり、講義が終わるとあっという間に基 盤ごと陥没します。見渡す限り、セミリンガルになってしまった学生ばかりのような気がします。依って立つ べき基盤であるアルゴリズムの知識はガタガタ、Lisp も C もマトモかどうか怪しい、そういう状況です。僕 は、何が自分の母語なのか分かりません。C も Java もやりましたし、yacc と lex で Tiny C と OCaml のコ ンパイラまで作りましたが、正直言って何がなにやら分からないままプログラミングしており、今のモダン なソフトウェア開発に応用する力が存在するかどうかは極めて疑問です。 極論ですがプログラミング言語は教える必要が無いのです。少なくとも情報学であればアルゴリズム 57 、 数学を教えておけば、それの表現は C だろうが Lisp だろうがすごい H だろうがなんでも構わないわけです。 54 もしかしてそんなアホは自分一人かもしれませんので、 「終わってしまった」の方が適切でしょうか。 55 ないから無くなった訳ですが。 56 やっぱり自分の不勉強が原因なんでしょうが。 57 チューリングマシン的な数学的話から、探索とかグラフ理論とか画像処理技術とか諸々も含む、広い意味でのアルゴリズム。 3 工学部専門科目について 21 が、貧弱なプログラミング言語の知識しか無ければ、アルゴリズムも数学も役に立ちません。つまり、しっか りとしたプログラミング言語という知識、表現があってこそのアルゴリズム、数学なわけです。言語もしゃ べれないのに概念を表現することができるでしょうか。最近はようやく二回生向けにまともな C の導入があ る 58 ようですが、それでも嫌々やっているようです。「どうせ C なんか簡単なんだから自分で勉強しろよ」 と。まぁ確かにそりゃあそうですし、悠長にポインタとはこーゆーことですよーとか言ってられる時間がな いというのも分かります。何よりプライドが許さないでしょう。天下の京大生がポインタで躓くなんて! み んな平気なふりをしていて、水面下で必死こいて勉強したりググったりしていますが、もう、そういう強が りはやめた方が良いと思います。Mew59 を使ってメールを出しましょう、みたいなトリビアルな課題 60 を出 すよりは、一回生からちゃんと C を教えましょう 61 。 あと、C でソーティングをしていたと思ったら、突如 Java に切り替わって http サーバ・クライアントを 実装させられたのには面食らいました 62 。C も Java も教えたいのは分かりますが、C が突如 Java に切り替 わるような実験を組んでセミリンガル状態にするのは不適切です。C なら C だけでやらせるべきですし、自 分で勉強しろよと突き放した割りには C はソーティングでストップさせて Java を教えるというのは不自然で す。C を教えると決めたのだから、http サーバは C で書かせるべきだと思います 63 。 どの言語も「母語」にならず、貧弱な表現力しか無いのに、概念を教え込もうとするのはいびつとしか言い ようがありません。一回生、二回生のうちは、C なら C 一本に絞って徹底的にしごき上げ、コンパイラも作 らせて、概念を流し込むべきです。Scheme は言語としては極めて小さく元々表現手段が限られていますが、 中国人向けに日本語のサブセットである「∼アルヨ」を教えても何の効果も無かったのと同じで、一回生後期 にやらせる言語としては奇天烈すぎます。京大生は頭が良いので、セミリンガル状態になっても別の高級言 語を身につけることでなんとかリカバーできますが、学生の学力をアテにして教育は無理強いでも構わない とするのならそれは間違いだと思います。もし「C の詳しい説明は一切しないから自学自習でなんとかしろ」 というんだったら学生実験をも廃止すべきです。半年間、2 日間 1 限から 5 限まで(ただし 2 日間のうち 1 日 は 3 限から 5 限)かける学生実験は、できる人がやれば最初の 30 分で終わります。そういう人を半年間、し かも 1 限から 5 限まで縛り付けるなんて、損失としか言いようがありません。ここでもカリキュラムを強制 しておきながら「自学自習」で責任逃れをする構図が繰り返され、大いに白けました。 SICP に価値はあると思います。学ぶ理由もあると思います。しかしそれが「SICP だから」「MIT でも使 われているから」という理由で盲目的に取り組むのは、ただの権威主義です。 「SICP は MIT でも使っている 教科書で、京大ではなんと一回生から授業があるのです!」……と自慢するのはまぁ結構ですが、ほとんど SICP の内容を理解できず、ただ与えられた課題を必死で Scheme に書き直すだけで何が何やらよくわからな いまま授業が終わる、という一回生を生み出している以上、それは自慢にならないと思います 64 。 58 にもかかわらず今の一回生は Java をやっているらしいです。何がしたいんですかね。 ということは Emacs を最初に全員が使わされるわけですが、酷く重くて使えなかったので、vim にしました。課題提出は別 のメールクライアントでやったような気がします(Gnome に入ってたメールクライアントだったかな)。 60 これも時代の趨勢でなくなりました。アホみたいな時代もあったもんです。 61 Java じゃなくて。二回生は C でコーディングさせられるのに一回生に教えるのは Java なのは意味不明です。 62 C と Java はかなり離れた言語のはずですが、なにをやりたいんでしょうか? オブジェクト指向でしょうか? それなら学生実験 も C ではなく C++にすべきでは? 63 そんなに Java をやらせたいのであれば、二回生後期をまるまる割くことはないでしょうに。 64 ちなみに Scheme の言語仕様がコンパクトなせいで、表現手段が限られるために、同じ問題に対する解答のバラエティは少なくな ります。これはどういう状態を生み出すかというと、要は、ネットに落ちてる解答のコピペが増える(教える側としてはコピペを見つけ づらくなる)ということです。「何を書いているか分からないがコードはコピペしておく。そのコードの説明は教科書に書いてあるとお りの内容をアレンジして書く」――まるでサールの中国語の部屋みたいですね。 59 Mew 3 工学部専門科目について 22 おそらく四回生でやらせれば見違えるほど教育効果は高くなると思いますが、何が何でも一回生にやらせな ければいけないみたいな雰囲気を感じます。それは間違ってるんじゃないでしょうか。少なくとも C か Java と 同時並行的に Scheme を教えるべきです。例えば SICP の教科書の例題をまず C ではこう表現するが、Scheme ではこう表現する、そのような内容であれば問題ないと思います 65 。それならアルゴリズム・データ構造・ 再帰・リストなど、SICP の教えたがっていることはよくわかるからです。ところが、Scheme を無理強いし、 Scheme 一本で通そうとした結果、Scheme は “all Greek to me” となってしまいます。これで Scheme ないし Lisp 系関数型言語 66 が後々まで付き合わなければならない存在なら大変ですが、三回生の学生実験では Lisp 系言語は選択しなくとも単位を取れてしまいます 67 。従って “all Greek to me” となってしまった学生は置き 去りにされていきます。 SICP なんてネットでググれば一発で日本語訳が出ることですし 68 、必要なときに必要なだけやればいいん じゃないでしょうか。ただ単に無理強いして毎週レポート提出させて「SICP をやらせました!」と自慢する のは不適切です。「SICP の授業も一応やってるんですけどねぇ」というトーンならともかくですが。結局社 会に出て「SICP ちゃんとやっとけばよかったなぁ」と思うことになるわけですが、仮にも well-educated な 学生を輩出するつもりであるなら、一回生の後期に突然現れて突然去って行く 69 ようなやりかたをせず、三 回生ぐらいまで C や Java と同時並行的に徹底してやらせるべきです。C の基本は「自分で自習しろ!」な一 方で、SICP は「講義でやらせるぞ!」という態度に切り替わるのは、単に何を強制したいかの違いであって、 SICP は講義で指定しないとどうせやらないだろう――そんな感じで決まっているのだと思います。ですが、 講義で指定したところで、教科書の内容をスライドに要約して流すだけでは教育効果はありません。C との比 較、数学的裏付け、他の高級言語への応用など、教科書に書かれていない内容を講義すべきと思います。そう なっていないのは単に「SICP をやらせています!」という言葉を発したいだけだからではないでしょうか 70 。 3.3 情報学科(計算機科学コース)の抱える問題点 情報学科の教育の問題点は、結局どういう学生を育成したいのか、目的がブレすぎているというところに 尽きます。コードを書くだけの単なるプログラマを育成したいわけではないようですが、数学やアルゴリズ ムの講義が学生実験と綿密に結びついているわけでもありません。筆記試験で yacc のコードを書けと言われ たときには転がり落ちそうになりました。講義が先に進みすぎていて、学生実験は遅れすぎています。学生実 験が遅れすぎにもかかわらず、実験では C と Java を行ったり来たりで迷走していて、さらに事態を複雑化さ せています。メチャクチャです。表現力の育成と、論理の構築は、常にリンクさせてカリキュラムを組むべき です。二つのリンクをばっさり切り落としていた象徴である SICP がなくなったのは歓迎すべきことですが、 まだ C と Java の間で揺れています。 65 こうすれば「講義」の意味があると思います。つまり、結局 SICP を解説するだけなら、講義なんていらねぇなって思うわけです。 SICP はそれ単独で自学自習できるわけですし。SICP の授業は――少なくとも僕が受けた講義の記憶では――ごく単純に教科書をなぞ るだけの内容で、それなら本読むだけでいいのでは? と思ったりしました。 66 ぶっちゃけ何が関数型言語なのか僕は定義を知りませんが。 67 僕は OCaml のコンパイラを作らされたので、おつきあいはまだまだ続きましたが、OCaml 以外の言語を選択することも可能です。 68 しかも最近改訳されました。 69 計算機科学コースに行くと二回生前期もおつきあいしますが、なんか尻すぼみで終わった記憶があります。 70 これは一般のプログラマも同様で、 「みんなやっているから」という理由でやるのは不適切だと思います。日本語訳をとりあえずプ リントアウトし、やらなくても良いから眺めて、やる気を刺激される場合にだけやれば良いと思います。「やらなければいけない」とい う強迫的心理のもとでは、身につくものも身につきません。どうせすぐに忘れます。 3 工学部専門科目について 23 学生実験は、母語がどこか分からない、表現手段を持たない学生を生み出し続けています。一、二回生では 徹底してプログラミングに慣れさせて表現力を身につけ、その上で二回生から三回生にかけて専門的な知識 を植え付けていくというのであれば、まだなんとかなると思いますが、一回生では Java、二回生では C、か と思ったら二回生後期はまた Java、三回生だと C/yacc/lex に戻ってきて最後は C やら OCaml やらの選択で 終わる。何が何やら訳が分かりません。何をさせたいんでしょうか。ほとんどの学生は、C であれ Java であ れ、十分な表現力を持っていません。結局研究室に入ったり、社会に出たりする直前で、泥縄式に覚えること になります。 プログラミング言語は第二外国語みたいな扱いをしてはいけません。与えられた問題を見て、自由自在と は言えなくとも、これは何時間あるいは何日、何ヶ月かかるかなと正しく推測し、そして実際に(不細工で 効率が悪いものでもよいから)コードに還元できる程度の能力が必要です。C なり Java なりを一回生終わり ぐらいで選択させて、その後腰を据えて徹底的に表現力を磨く訓練をすべきです。あるいは表現力は自分で 磨くように求めるのであれば、C でソーティング、Java で http サーバみたいな視点のブレたフラフラの課題 は不適切です。プログラミングは人工言語とはいえ、意図したとおりの表現力を身につけるには、濃密かつ 長期間の、地味で、しかも血の滲むような訓練を必要とします。ごくたまに、そういった人工言語の習得を 得手としている学生がいるだけで、ほとんどの学生はきっちりとポインタで躓きます。躓くんですから「そ れぐらいなんとかしろ」ではなく、徹底して「どう使うのか」「どう書くのか」を教えなければなりません。 ポインタで躓くなんて恥ずかしいとか言ってる場合じゃありません。情報学科には、確かに C なり Java なり に習熟した人間が多く入学しますが、かなりの割合の学生は C どころかターミナルを開いたことすらありま せん。どっしり構えてとことん磨き上げるような教育をしてこそ、有益な成果物を生み出していくことがで きるはずです。 逆に教育を一切しないのであれば、それはそれで構わないと思います。要はポリシーが一貫していれば良 いのです。全学共通科目と同じで、一方では自学自習を強い、一方ではカリキュラムを強制するやり方では、 失敗するだけです。既に十分な表現力を身につけている学生は、1 限から 5 限まで拘束されるような実験から は解放されるべきですし、そうでない学生に対しては、とことん面倒を見るか、あるいは放置するか、はっき り態度を決めるべきです。どっちつかずではセミリンガルを生み出してしまうだけです。プログラミングなん て他学部でもできます。当然大学生でなくてもできます。なぜ情報学科で学ぶのか、学ばなければいけない のかを念頭に置いて欲しいと思います。確かな理論に裏打ちされたコードを書くことができる人材を生み出 すことを主眼とするなら、放任するのか強制するのか分からないような状態を放置することはできないはず です。SICP だって有用なテキストのはずなのに、結局そのテキストを生かすことができなかったのは、表現 力は一朝一夕では身につかないという点を見落としてしまったからに他なりません。理論を教えて、理論に 基づいたコードを書く、表裏一体で実戦的なコーディング技術を教えるべきです。画像処理、人工知能、機 械学習等々あれだけ多数の講義を開催しておいて、その表現方法の育成=実装のための知識が貧弱なのでは、 意味がありません。何よりもコードを書いてこその計算機科学コースのはずです 71 。教えないなら教えない で構いません。C や Java を行ったり来たりで混乱させるような今のやり方よりはマシです。でも、プログラ ミング言語はたくさん書かないと身につきません。徹底して表現力を磨き上げる訓練を施すべきです。「そん 71 コードを書かなくても紙上で理論を構築することはできますので、そう言った意味ではこの言説は間違いですが、最低限不自由なく 数式をプログラムとして表現できるだけの力は持たないといけませんし、何より数理コースとの差別化が図れなくなります。 24 3 工学部専門科目について なのは専門学校でやれ」というような話なのであれば、中途半端な課題など出さずに学生実験をゼロにすべ きです。学生実験がなくなった分の時間を、各々のレベルに応じてコードを書く訓練に当てれば良いのです。 実際「プログラミングなんか専門学校でもできる」というありがたい教えを入学時に頂戴しましたが、結局 実験では「専門学校でもできる」というよりそれ以下のレベルでプログラミングを学ばせており、「ああいう 風に言っちゃったけど学生のレベルが実際問題ついてきていない……」と後ろめたそうにやっている姿は「や れやれ」という感じです。言わんこっちゃない。いかな京大生といえども、躓く所は一緒です。躓いてリカ バーする時間が速いだけです。きちんと教えれば、ぐんぐん実力は伸びるので、もう無闇にプライドをむき 出しにせず、素直に一から教えましょう。 いっそプログラミングさせる実験は無くして、一定の目標値みたいなものを設定し、進捗状況を時折聞い て時々尻を叩く 72 ことにしてもいいと思います。いずれにせよ、現在は表現力の豊かな学生に出席を強要す ることでその貴重な時間を奪ってしまい、そうでない学生は迷走させられた上泥縄式に習得する羽目になる という、誰にとっても不幸な実験内容になっています。言語の習得はたとえ人工言語といえど一朝一夕にでき るものではないことを自覚して、一回生二回生のうちに徹底的にやらせるべきです。 もし入学したら一回生、二回生のうちに、C 一本で良いから、徹底的に書きましょう。効率的なアルゴリズ ムとか、美しいコードとか、そういう話を気にする必要はありません。最初のうちは、オブジェクト指向とか いう概念すらも知らない方が良いです。またモダンなプログラミングとか Objective-C が流行とかオススメの 言語はこれとか、そういうのも一切聞かない方が良いでしょう。slideshare みたいなところに載っている話は 高度すぎて勉強になりません。表現力はしょっぱいコードを大量に量産した後に生まれるものです。環境とか エディタとかそういうのもどうでもいいです。gedit かメモ帳か秀丸でも使うことです。プログラミング上級 者の言葉は、初級者にとって害悪でしかありません。誰にも見張られていない状況で、goto だらけで gets ま で混じるダサいコードで構わないから、scanf でコンピュータと対話しながら実装し、何かを作り上げ、バッ ファオーバーランも自分で経験して学べば良いのです。“なんで使っちゃいけないの?” というのは、自分で 「やらかした」後になるほどと思えば良いのです。バッファオーバーランが起こったら何が発生するのか身を もって知っていないと、なぜ gets を使ってはいけないのか、頭ごなしに(今やコンパイラにさえ)怒られる のか、本当の意味では分からないはずです。幸いにして今やジャンク品の PC なら 1 万円ぐらいあれば実験 用として買うことができます。そこでバッファオーバーランや無限ループを派手にやらかしても誰にも怒ら れません。とにかく身に叩き込むというのが重要です。 ファインマンが「ご冗談でしょう∼」の本で、 「機械で逆正接の表を作るのがなんか楽しくなっちゃって、そ の表なんか既にみんな持っているのに、ずっとそれを出力させる方法を考えるのに没頭してしまった」人の 話をしていましたが、そういう体験をすべきです。なんか楽しくなっちゃった経験を持たないと、プログラミ ング言語は身に付かず、むしろ水と油のように、すぐに分離してしまうものです。 あと、マリオメーカーは是非やりましょう。 72 たとえば「ソーティングを実装せよ」等の課題を複数出しておき、ソシャゲのイベントみたいに、期限までに提出した課題数に応じ てポイントを溜めていく方式が考えられます。 3 工学部専門科目について 3.3.1 25 ハードウェア実験 学生実験をゼロにすべきと書いた手前、恥ずかしいのですが、実を言うと一つ言及していないことがあっ て、それがハードウェア実験です。これは、とても良いものでした。講義と実験が有機的に結びついていたか ら、すなわち論理回路 (AND/OR/etc) →汎用 IC による加算器の実装→フリップフロップの学習・アセンブ ラの学習→ CPU の実装と、習ったことがきっちり実現したからです。CPU の実装は CAD で図面を引いて FPGA に流し込むというもので、ブレッドボードに比べればちょっと退屈でしたが、実験用のボードは音を 鳴らすこともできたので、実験が進んでいくとあちこちからピロピロ音が鳴ってきたりするなど愉快だった 記憶があります。クロックを一個ずつ送り込んでいってきちんと計算結果が出たり、クロックを上げるとぶっ 壊れたりするなど、楽しいものでした。これは有益です。 ハードウェアという意味では、64 スレッドかなんかある UltraSPARC で、手で並列化した効率最悪のしょ うもないプログラムを限界までぶん回すという核実験をやった覚えがあります。あれも使ってるのは一部の 学生だけで宝の持ち腐れになっていますから(そうでもない?)、どういう風に使うのかきちんと指導した方 が良いと思います。 3.4 今後のカリキュラムについて 一回生から三回生まで教育してきた学生を研究室という場で迎えるからか、カリキュラムは最悪というわけ ではないですし、SICP が無くなったように、全学共通科目に比べて遙かに学生の意見がよくフィードバック されています。しかし、入学時点で十分なプログラミングの技量を持つ学生に対して、その要求に応えられる ようなカリキュラムが組めているとも思えませんし、逆に何の技術も持っていない学生を鍛え上げるカリキュ ラムになっているとも思えません。中途半端が一番良くないです。ポリシーを一貫させるべきです。専門的 な知識を豊富に持ち、しかもそれを豊かな表現力で実装できる学生を輩出するのが役目というものでしょう。 現状では、講義と実験が結合しておらず、チグハグな状態で研究室に転がり込む事態を招いています。コード を書くという表現力の育成というものは、講義の合間合間や、ブレブレの学生実験を通じて行えるものでは なく、初歩からの徹底した反復訓練が必要であり、大学側が思っている以上に困難であることを知って欲しい と思います。 逆に言えば、コードを十分に書ける学生にとっては、画像処理の話も探索木の話も今更でしょうし、ほと んどの講義が受けるに値しない講義になってしまいます。もうそれは仕方ありません。「PDCA サイクルの PDCA とは何か」みたいなテストに付き合わず、さっさと中退した方が良いと思いますし、世間はそれを責 めるべきではありません。ただ、ハードウェア実験だけは、なかなか他ではできないので、出席しておいた 方が良いと思います。 ガチガチにカリキュラムを決めておいた上で、技量があれば hack してカリキュラムを回避できるような穴 をわざと作るのも一つの手かと思います。ただしその実現可能性については知りません。どっちみち態度を しっかり決めて、C にせよ Java にせよ表現力の貧弱な学生が多いという現実を直視し、そして現実的に対応 して欲しいと思います。 4 大学設備・施設・サービスについて 26 大学設備・施設・サービスについて 4 全体としてリニューアルされつつあり、耐震工事と同時に劇的ビフォーアフターを遂げた校舎も多いので、 悪くはないのですが、新しくなった結果、悪くなったところもあります。 4.1 図書館 使いやすくて良いです。 さらに MyKULINE というオンラインで図書検索・貸出状況照会ができるシステムはとても便利です。割 となんでもありますし、こと図書館に関して言えば素晴らしいと言えます。 4.2 生協食堂 在学中にどんどんマズくなっていきました。 というだけでなく、全体的にオシャレになったにもかかわらず、メニューの数は減る一方で、今や丼もの は 4,5 種類ぐらいしかありません。昔の中央食堂にはいくら丼とか海鮮丼まであったんですが 73 。厨房の広 さも狭くなっているような気がします。確かに綺麗にはなりましたが、それは見た目だけで、上の方の本棚 は背表紙だけの飾りが入っているツタヤ図書館みたいなもんです。今や「北高南低 74 」と呼ばれた時代はな く、「すべて平等に価値がない」という感じです。ぼっち席とかどうでもいいというか。あとハラール認証を 掲げてるのは良いんですが、食堂の職員がきっちり豚/それ以外を区別できているかどうかかなり疑問です。 ハラールを徹底するなら皿や食器も別にすべきです。そこまでうるさいムスリムがいないだけで、「とりあえ ず豚肉使ってない」という理由だけでハラールをおおっぴらに自慢するのはまずいと思います 75 。 4.3 メール KUMOI という学生用メールアドレスですが、これがかなりのクソです。マトモに IMAP で接続できず謎 の遅延が発生するなど信頼性が極めて怪しいです。そのため信頼性を担保するために POP で使っている人も 多いです。 それから、 Mac OSX の標準メールアプリから KUMOI 接続した際に、exchange, imap, pop でのメール受 信、smtp でのメール送信ができないなどの不具合が度々報告されております。接続できない場合 は、Web からご利用いただくか、Thunderbird などのメールツールをご利用ください。76 という話もあります。確かにここまで Mac が普及するとは入学時には思いもしませんでしたが、今や学生 のほとんどが使っているであろう Mac OS の標準アプリで使えないのは致命的です 77 。個人的には、あまり 73 いくら丼は 800 円とかしたような気がしますし、学生にとっては確かに高かったですが。 74 でも南部食堂は別にまずくなかったです。多分北部が美味すぎただけです。その北部が南部並みに落ちてしまったのは残念としか言 いようがありません。 75 そういう状況でハラール認証出しちゃう機関もどうかと思いますが。 76 http://www.iimc.kyoto-u.ac.jp/ja/services/mail/kumoi/ 77 OS X の Mail.app はとても使いやすいですし。 4 大学設備・施設・サービスについて 27 に使えないので、GMail に転送させて使っていますが、受信はともかく送信ができないので、わざわざ Web でログインしています。 実は入学時は「DeepMail」というこれまたかなり怪しいシステムが使われていました。DeepMail は Javascript などほとんど使われていないような古き良きウェブメールでしたが、それゆえ DeepMail の方が信頼性に優れ ていました。少なくとも今の「マトモに届くの?」という状態よりはよっぽどマシです。 ちなみに Microsoft Office と GMail で競争がなされたとの噂を耳にしました。GMail になるらしいという 噂を聞いたときは喜んだものです。ところが蓋を開けてみると……。 僕は Microsoft は好きです。Surface も買ったし、(LTE 接続がなんか怪しいことを除けば)気に入ってい ます。が、Office 365 は本当に救いようがないですし、メールの信頼性もカスなので、フラストレーションは 限界に達しつつあります。多分 Word とか Excel のクラウド環境も一緒に提供できるからとかそういう感じ で大学当局が MS に丸め込まれたんでしょうが、クラウド環境で Office を使うのなんて面倒くさくてたまり ません。 学生全員が使うもの、それも非常に重要な連絡に使うものなんですから、信頼性が怪しいのは一刻も早く 改善すべきです。 4.4 ウェブ履修登録システム いわゆる KULASIS というやつで、履修登録からシラバスの閲覧、オフィスアワー、学生への連絡など様々 な機能を一元化して提供しているシステムです。これ自体はまぁまぁ使いやすいと言えます。ですが作ってい る会社が京大の隣の謎の会社です。京大のポータルサイトを作るのは、京大のことを知悉していなければな りませんから、京大に近い会社に頼むことに一定の合理性はあるかとは思いますが、競争入札が行われた形 跡すらないのは不適切であるように思えます。 また KULASIS の開発は 10 年近く前まで遡ります。UI はなんというか、ブラクラ踏まないように Javascript を切れと言われていた古き良き時代を思い起こさせます。問題なのはパッチワーク的に機能が追加されてい ることで、履修登録機能も、最初は全学共通科目だけだったのが、次第に学部専門科目も履修登録できるよ うになり、さらに成績表をダウンロードする機能も、本来なかったのに後付けで実装されました。 おそらくフルスクラッチで開発したら要求仕様が複雑すぎて、また金もかかりすぎるので不可能なのだと 思いますが、今の状態もかろうじて保たれているだけで危ういと思います。特にセキュリティ的にまずい箇 所が多数ありそうです。誰かが本気で攻撃したらかなりやばいことになる気がしてなりません。認証に関し ても、学生番号でも、ECS-ID(学生番号とは別の ID 番号)でもログインできるようになっていて、これは まずいと思ったのか 78 平成 21 年度入学者以降は ECS-ID を使ってポータル経由でログインして下さいとい う案内がありますが、完全に別々に設計したはずのポータルから KULASIS に接続させるため、これも抜け 穴になりそう、というかセキュリティホールをわざわざ新しく作っているようなもんだと思います。 そういえば、全学共通ポータルのログイン画面は京大のロゴと ID 入力欄、パスワード入力欄の三つしかな い超絶シンプルなものですので、難なくフィッシングサイトを立ち上げられます。たいていの京大生はメール アドレスを公開ないし各所に通知していますから、そのメール宛に「全学共通ポータルがリニューアルされ 78 学生番号は入学年度や学部学科でほとんど決定し、実際の番号は 4 桁でそのうち 1 桁がチェックディジットですから事実上学生番 号はジェネレータを作ればすぐにでっち上げられます。 4 大学設備・施設・サービスについて 28 ました、一度確認のためにログインして下さい」とか「KULASIS に不具合が出ているのでこちらからアクセ スして下さい」みたいな攻撃もできそうです。ほとんどの学生は http と https の区別なんてつきませんし、 ヘッダまで見る学生なんか学年に百人もいるかどうかわかりません。大学からのメールだと思ってほいほい 釣られる学生は、全学生数の 1 パーセントだとしても数十人に及びますし、数十人分の ID・パスワードを知 ることができたらマジでなんでもできちゃいます。成績表から履修登録内容、電話番号等々フルセットで個人 情報を一人頭 10 万円で売り飛ばすとしても、100 人で 1000 万円のシノギにはなるわけです 79 。もっと低く 見積もって 0.1 パーセントだとしてもやはり数人は釣られてしまいます。学生はそんなに金を持っていないの で釣ったところでどうするんだって感じもしますが、攻撃者が金目的でなく、京大生の詳しい個人情報が目 的だとしたら、事態は深刻です。KULASIS には電話番号まで登録されていますし、どの科目を履修している か知ることができれば、教室に待ち伏せして何かやる、といったことも可能でしょう。後は本人になりすま して何かやるとか、電話番号に電話をかけて「ご実家の電話番号を登録することになりましたので」からの 「学費未納ですよ、重複かもしれませんがそうであれば返金しますのでとりあえず払ってください」みたいな コンボも決められそうです。とにかく「京大生」というワードはその性質を知る攻撃者にとって十分に魅力 的だと思います。 一応、情報セキュリティ対策の e-Larning というウェブ教材みたいなのはあって、必修ではありますが、ほ とんどの学生は読み飛ばしているでしょう。ワンタイムパスワード用のトークンを配れとまでは言いません が、何らかの別の認証(SMS でも良いと思います)が必要なのは論をまたないはずです。 実際 KULASIS は、成績表を KULASIS 経由で受け取れるようになった際、最初の一発目で他人の成績表 を配布するという失態をやらかしており、そのときは何時間か緊急メンテしてようやく何とかなりましたが、 キッチリと新聞沙汰になりました。今でもかなり危ない橋を渡っていることが容易に想像できます。その手の 手段を持っている学生が本気でやれば、退学処分になるし当然法にも反するのでやらないと思いますが、成績 表を全部まるごと頂くことなんて普通にできるんじゃないかなとか思います。まして日本の法の支配の及ば ない中国あたりからアタックをかけられたら一発でドボンという感じがしていて、誰かが中国のヤバイ人た ちやアノニマス的な組織なんかに依頼して攻撃するという事態も十分あり得ると想定した方がいいのではと 思います。あるいは全くシンプルに DDoS 攻撃しちゃえば当分再起不能になって休講通知とかが出せなくな るでしょうし、あるいは履修登録確定寸前で鯖落ちして、復帰した後確定画面を見たら “ぼくはまちちゃん” が踊っているなんていう事態も想像できます。 本気で一度調査した方が良いと思います。何があるか分かりませんし、退学も懲役も怖くないサイコパス がやらかすこともありうると思います。成績表ぶっこ抜きだけじゃなく履修登録をぶっ壊したりシラバスを 改ざんしたり、虚偽の学生呼び出しを作ったり、偽の休講通知を出したりするなど、多分やろうと思えば色々 できます。確か学生向けの一斉メールを送信する機能もあるので、「本日京大内でテロが起こったので全員た だちに帰宅して下さい」みたいなメールを流すことができたら最高にヤバイと思われます。 このように KULASIS はフィッシング、データベース改ざん等、いろんな攻撃に耐えられるかどうかかなり 怪しいシステムです。なまじ使いやすいだけに京大生は全員 KULASIS に頼っています。電話番号から成績 表に至るまで、個人情報を大量に蓄積しています 80 。一度やってしまったら新聞一面という事態にも発展し 79 “相場” は知りませんが。 80 成績表は一定の期間外ではアクセスできませんが、オフラインになっているのか、オンラインだけど見られなくなっているのか、ど ちらかは知りません。 4 大学設備・施設・サービスについて 29 うるシステムです。そして問題なのは、このシステムを開発しているのが京大の隣の謎の会社であって、責 任を取れるのかどうか謎であるということです。成績表誤配布の時も、ちゃんとした責任追及が行われたの か分かりません。なあなあでやっていると必ず深刻な事態を招きます。今後一年、二年はないかもしれませ んが、あるいは明日かもしれません。今このときも、着々と進行中かもしれません。僕がこんなことをわざ わざ言いふらさなくても、京大生にちょいと聞いたらすぐに全部分かるので箝口令を敷いたところで意味は ありません。 それからスマートフォンへの対応が怪しいのは、設計時点ではこんなことになるとは思いもしなかったで しょうし、仕方ないことだと思いますが、今や本当に PC を持たずスマホだけで通信するような学生もいる ので、これもなんとかしないといけません。 4.5 寮 さっさと建て直した方が良いと思います。京都の家賃は高すぎます。 4.6 その他設備 改装工事でトイレが綺麗になっていったのはとても素晴らしいです。旧 10 号館のトイレは酷くって洋式便 器はガタガタでしかも扉が微妙に閉まりきらない、しかもいつもくさいなどヤバイ感じでした。受験生の皆 さん、トイレは綺麗です。このことがどれぐらい大事かは、大学で一日の何割を過ごすかを考えれば明らか です。便所飯も余裕です。 他は特に言うことはありません。 5 入学試験について 30 入学試験について 5 5.1 工学部入試の変更について 工学部は 2015 年度の入試から第二志望学科まで書かせるようになったそうです 81 。 今すぐやめないと大変なことになると思います。 正気を疑います。第一志望で入ってすら微妙だったと後悔するぐらいなのに、第二志望で妥協した学生のモ チベーションが高いわけはありません。農学部のように、学科同士の垣根が比較的低いならともかくですが、 工学部は学科同士の垣根が極めて高く 82 、隣の学科は別の大学です 83 。そんな状態で第二志望に入って、今 は構いませんが、研究室配属されて、さあ卒業研究だ、修士課程だという段になってモチベーションの低い 学生を抱え込んでしまった学科、研究室、指導教員はどうするんでしょうか? 絶対に頭を痛めるはずです。 「大学院で専攻を変更すればいい」というのなら卒業研究はなおざりになるでしょうし 84 、転学科を簡単にす るのであれば第二志望まで入試時点で書かせる意味がないでしょう。「そういう奴が数人程度いてもかまわな い」という考えは後々災いしかもたらさないと思います。もうどうなっても知りません。受験生の皆さんは 第一志望に落ちたらそれはもう京大工学部に落ちたんだと思って蹴って下さい。蹴らなくても良いですけど、 間違ったなと思ったら半年で退学するぐらいの勢いが必要です。学生にとっても、教員にとっても不幸です。 こんな変更ばっかりしているから劣化東大なんて言われるんです。もう「京大」という名前を冠しただけの ただの就職予備校ですって開き直っているんであればともかくですが。第二志望も可とするなんて、そこま でするほど受験生に困ってるんでしょうか? 受験生の質はますます劣化するように思えます。僕みたいな のが通ってる 85 時点で、受験生の質なんて考える方がバカなのかもしれませんが 86 、それでも一応は東大と タメを張るつもりでいる 87 んなら、最低限の矜恃は見せておいた方が良いと思います。いくら全学部を通じ て偏差値が最低だから 88 といって、そこまでプライドを捨てるのは見ていられません。 5.2 定員について 全学共通科目であれだけ教員が足りず学生の教育が失敗している時点で、定員が多すぎるのだろうと思い ます。おそらく今の半分か、三分の一ぐらいが適切だと思います。現在の定員の半分は学費を搾り取るための 餌だという認識なのであれば、それで構わないと思いますが、それだったらせっかく国立大学法人で、多額の 助成金をもらっているわけですし、定員をばっさり切って学費の分は助成金の増額で賄うのが得策でしょう。 非常勤講師の人件費も削減できます。定員が半分になると研究室の運営が困難になるとかの話になるのであ れば、きちんと教育の質にメスを入れないと、ずるずると転落していくだけです。 81 2015 年度からそうなっていたらしいので訂正します。 82 例えば建築学科のカリキュラムがどうなっているのか、情報学科から見ても全く分かりません。徹夜で製図しているらしいという話 だけは耳にしますが、サークルが同じでいつも顔を合わせているというような場合でなければ、入ってくる情報なんてそんな程度です。 83 電気電子学科の人は電総大(注:電気電子系講義が多く行われる「電機総合館大講堂」の略。今は名称が変わってるかも)とか自称 してるぐらいですし。 84 修士進学が前提になっているから卒研の質はどうでもいいってことでしょうか? 85 今更こんなことを言っても仕方ありませんが、これでも入学試験の席次は平均点より 50 点 (1000 点中) ぐらい上でした。その後勉 強しなくなってしまって今や見る影もありませんが。 86 ということは、入学試験の席次はあまりモチベーションや将来の研究に影響を及ぼさないということかもしれません。入試では全国 でも一、二を争うほど質の良い問題をきちんと作っているのに(そういえば 2011 年度の化学は駿台に「きちんと練られているとは思え ない」とか痛罵されていましたが、少なくとも理系数学の質に関しては京大が一番だと個人的に思っています)、もったいないことです。 87 いるの? 88 そういえば今もまだ医学部保健学科(現在の名称は忘れた)が最低なのかもしれませんが。 6 6 まとめ 31 まとめ 国立大学法人となってから、京大は色々変わったと言われます。良くなったところもあるし悪くなったとこ ろもありますが、国立大学法人となってから入学した自分にとっては、良くなったところも多いと感じます。 しかしそれはあくまで「ミクロ的視点で見れば良くなったところが多い」というだけの話で、マクロ的な巨 大な質量が動かないのであれば意味がありません。いくら地団駄を踏んでも地球の自転には何も影響を与えな いのと同じです。そして「良くなった」ところは、例えば校舎が綺麗になったとか、そういう見た目の問題だ けで、肝心の教育の質はまるで良くならず、戦時設計の木造貨車のごとく、いびつなまま走り続けています。 これは単に助成金を増やしたり削減したりするといった、金の問題、あるいは仕分けの問題で済むような 問題ではありません。むしろ、助成金を倍額にしても、大学は良くならないでしょう。自学自習を根本の概念 として据えることは誠に結構ですが、それであれば無意味なクラス指定などの制限は撤廃すべきですし、卒 業単位も柔軟に決められるようにすべきです。中途半端に締め付けておいて、残りの責任を全部学生に負わ せるやり方ではこれからも教育は失敗し続けます。幸いにして入学試験の質が良いので、学生の質もそれな りに担保されており、結果として卒業生の質も悪くないので、見た目的には教育が失敗しているようには思 えません。しかし、それは京大生自身が大学を見切って自分で努力したおかげです。全ての京大生が、あま ねくゼミナール形式で行われる徹底した密な議論と、知的興奮に満ちあふれた学生生活を享受できていれば、 どんなに良かったことでしょう! 現実問題として京大は入学試験の質が良いだけです。教育は最悪で、その最悪さを学生に無理矢理補わせ ることで成り立っています。これは既に助成金の問題ではないし、もちろんのこと、G 型 L 型とかいう分類 の問題ではありません。大学改革の話が出るたびに、助成金の話も、G/L の話も話題に上がりますが、例え ば今ですら全学共通科目の英語を間に合わせの非常勤講師で埋め合わせているような状況なのに、これ以上 少しでも悪くなったら、即座に崩壊することは容易に想像できます。むしろ減らして様子を見てはいかがで しょうか。スクラップアンドスクラップで行ったらいいんじゃないでしょうか。是非ともやってみて下さい。 ――ここまで延々述べてきたように、京大の教育には問題が非常に多く、まともな教育を提供できている とは言えません。が、それはそれで一種の均衡状態を作り出しています。つまり、表面上、意外とうまくいっ ているのです。自由の学風という看板で受験生を釣り、学生を騙し、責任を押しつけ、カリキュラムを強制 させた上、劣悪な授業の穴埋めを学生の自学自習の能力のみに頼り押しつけるという構図は、書き出すと極 めて問題だらけなわけですが、学外から見れば、それなりに優秀な人材が入学し、それなりに優秀な人材と して卒業していき、それなりに優秀な成果を上げるように見えます。しかし、本当に、京都帝国大学が発足 した当時の精神を取り戻すような抜本的な改革ができたなら、教育の効果は十倍、二十倍にも高まりますし、 学生は入学前とは見違えるように優秀になって卒業していくことでしょう。そうなれば「コミュ力」みたいな 低レベルで馬鹿馬鹿しい議論をするまでもなく、本物の知恵と教養を身につけた “学士” を生み出すことがで るはずです。 結局そうなっていないのは、大学の責任です。今は学生の自助努力で何とかなっていますが、じわじわとど うにもならなくなっていくと思います。優秀な教員は定年退職を迎え、学生は東大に逃げ、お公家さんみたい にのんびりしていることはできなくなっていくはずです。帝大時代の精神を忘れた今の京大は、ただの劣化 東大、いや東大と比較することすらおこがましい、ただの就職予備校です。予備校に研究室がくっついてる 32 6 まとめ だけです。潰れたのが僕一人だけならいいんですが、既にして結構な人数が潰れていますし、これからも同 じようなことを繰り返すでしょう。助成金とか G/L とかそういう次元の問題ではなく、基礎が既に腐ってい るという問題は非常に深刻です。虚偽データで杭打ちしているようなもんで、既に大学自体が傾いています。 無闇矢鱈に偏差値が高いだけで、見返りはほとんどありません。就職だってできる人とできない人がいます し、学歴が無敵というわけでもありません。京大の価値はどんどん落ちています。それは決して、僕の内部 での数値が下がっているだけというわけではありません。社会、世界全体を見渡して、落ちているのです。 以上述べてきたことは教育機関としての京大に対する評価です。研究機関としてどうなのかは、自分自身 がほとんど研究していないので判断を保留します。ですので研究機関としては 100 パーセント素晴らしいと しておいてもいいでしょう。ですが、大学は教育の場、研究の場という二つの柱で成り立っているのですか ら、教育という柱が折れてしまっている今、研究の場という柱が近いうちに崩壊するのは目に見えています。 ツギハギの耐震補強工事で今は何とかなるとしても、空前の少子高齢化の時代である今を基点として、十年 後、二十年後を見据えたとき、その将来に対しては極めて悲観的にならざるを得ません。 現実を直視すべき時が迫っていると思います。「大学はこういうもの」「よくあること」「どこもそう」で済 ませられる余裕はなくなりつつあります。京大は危機を迎えています。そしてその危機を認識していながら、 何の対策も打ち出せないままでいます。 今、僕は国民年金をわざわざ払い込むような生活です。めんどくさいし鬱陶しいです。でも、四年間余分に 大学に通い、その間色々と行動した結果、次のステップに進む準備ができ、一歩一歩理想に近づいています。 生活はそんなに豊かではありませんが、それなりに幸せです。何が起こるか分からないのは人生の常です。ま さか現役で入った大学を四回も留年するとは思いませんでした。ただ、人生において大失敗をした場所が、京 大であったのは幸運だったと思います。理想と現実の差異はいかなるものか、理想を打ち砕かれたときにはど うすれば良いのか、挫折したときにはどう行動すれば良いのか、チャンスを掴むには、あるいはチャンスを逃 したときはどうすればいいのか、それらを学んだのがこの八年間であり、京大という場所です。ですから大学 には恨みも持っていますが、感謝もしています。それゆえ新しく生まれ変わり、優秀な人材を生み出す機関に 生まれ変わることを期待します。教育の失敗を放置して、間接的ないし直接的に理想と現実の差を教えるよ りは、常に理想を追い求め、そのために変わり続ける組織であって欲しいと思います。受験生の皆さんには、 「今の京大は悪い」としかお伝えすることができませんが、あるいは京大に入って声を上げ、自ら努力するこ とで、大学を変えていくことができるかもしれません。それを担うのは、僕のような退学していく人間では なく、京大に新しく入る現在の受験生であり、“京大の教育は本質的に失敗している” ことにきちんと気づい て、その上で「大学とはそういうもの」と諦めず、対処できる力を持った人間です。もし「大学とはそういう ものだ」という諦めと共に入学するのであれば、悲惨な結末が待っているでしょうし、「大学を少しずつ変え ていかねば」という問題意識を持って入学するのならば、素晴らしい未来が約束されることと思います 89 。 大失敗の後始末と、大失敗のフィードバックによって、生きています。これから何があってもそれほど驚か ないでしょう。八年間地獄を渡り歩いてきました。だいたいのことには覚悟ができています。 そろそろ行く時間です。 89 念のため申し添えておくと、大学改革はゲバ棒やバリケードでは成し遂げられません。地味かつ徹底的に声をあげていくことが必 要です。京大生全員が共感を得られるような行動を先導できる学生が増えて欲しいと願います。
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