麗澤海外開発協会タイ・スタディツアーの感想 内尾太一 2015

麗澤海外開発協会タイ・スタディツアーの感想
内尾太一
2015 年 4 月からの外国語学部講師としての着任を控えた筆者は、同年の 2 月
10 日から 19 日まで麗澤海外開発協会(RODA:Reitaku Overseas Development
Association)の主催するタイ・スタディツアーに参加する機会に恵まれた。最
初に滞在したメーコック・ファームでは、麗澤大学関係者による息の長い支援
活動の軌跡を辿ることができた。続いて訪れた「ルンアルン暁の家プロジェク
ト」では、30 年近くタイの山岳民族のために尽力してきた一人の日本人女性と
の対話を通じて、彼女の関わってきたコミュニティの変遷を追体験することが
できた。また、最終日のバンコクでは、現地でビジネスに取り組む麗澤大学の
OB との面会も叶い、改めてこの大学が教育を通じて国際的なネットワークを築
いていることを実感した。
実に学ぶことの多い 10 日間だったが、本稿では、今回の経験を振り返りつつ、
1 つのトピックに焦点を絞って、考えを深めていきたい。そのトピックとは、自
身がこれまで学んできた文化人類学の観点から、大学生向けスタディツアーの
教育効果を高めるため手がかりを探ることである。そのことに関連して、今回
のスタディツアーで得られた気づきは、自身が 2015 年度より担当する「短期海
外研修」の引率の際に、実践していきたいこととも関連している。
では、異文化との出会いで得られる学びとは具体的にどのようなもので、い
かなる工夫をすればその質を高めていけるのだろうか。大学で修める学問は、
そのための道具箱のようなものであり、文化人類学も幾つかあるその内の一つ
である。ところで、今から 7〜8 年前まで、
『世界ウルルン滞在記』というテレ
ビ番組があった。芸能人が、日本人にとって馴染みの薄い国や地域で 1 週間ほ
どホームステイをして、異文化を体験していくというものだ。文化人類学のア
プローチは、これと少し似ている。自分たちとは違う言葉を話し、異なる生活
習慣を持つ人々と一緒に長い時間(少なくとも 1〜2 年間)を過ごしながら、そ
の言語を習得しつつ、彼ら独自の価値観やルールを明らかにしていく。また、
そうした調査研究を通じて、自分たちの国の文化を別の視点から理解しようと
したり、文化を越えて共有される人間の「生(life)」のあり方に考えを巡らせ
たりもする。こうした一連の知的生産のためのプロセスを、
「フィールドワーク」
と呼ぶ。
このフィールドワークを念頭に置きつつ、より有意義なスタディツアーにつ
いて考えていきたい。ここでまず、原点に立ち返って「スタディツアー」とは
何かについて確認しておく。通常の観光旅行とは異なり、NGO をはじめとする
国際交流や国際協力団体の活動現場を訪れ、視察や見学、体験学習を通じて現
地の事情や住民との相互理解を図ることを目的とした、1 週間から半月程度の団
体ツアーのことを指すことが多い。その特徴のひとつに、企画者側に伝えたい
特別なメッセージがある場合が多く、スタディツアーの期間中にその意図が参
加者に効果的に伝わるようなプログラムが組まれている点が挙げられる。今回
のタイ・スタディツアーも、これらの説明が当てはまるだろう。では、具体的
にここにフィールドワークの要素を加えるとはどういうことか。本稿では、フ
ィールドワーク中に行われるインタビューと、参与観察という二つの調査方法
を挙げたい。
「インタビュー(interview)」は、就職活動の場においては面接を、新聞やテ
レビでは記者による報道を前提とした取材訪問を意味するが、文化人類学では、
調査地で出会った人々との様々な種類の対話(アポイントメントをとったうえ
での面談だけでなく、日常的にそこいらで行われている井戸端会議への参加も
含まれる)を通じて、言語情報を中心としたデータを収集することを指す。そ
の際、フィールドワーカーは、情報提供者の話に熱心に耳を傾け、必要に応じ
てメモを取り、さらに深く知りたいと思ったことについてタイミングを伺って
から質問をする。この作業を、何人もの相手を対象に繰り返していく中で、そ
の地域で暮らす人々の生活について理解を深めていく。この種のインタビュー
は、1 時間以上かかることが普通で、調査を行う側は専ら聞き役である。相手の
話の中には、自らの関心とはかけ離れた話題も多く含まれる。しかし、それを、
自分の興味のない話だから、と遮ったりはしない。何が新たな発見につながる
かわからない以上、対話の最中に、そのような判断を下すことを文化人類学の
インタビューは戒めている。とにかく相手の話を傾聴することである。結果は
後からついてくる。ゆえに、インタビューの場では、情報提供者が気持ちよく
話したいことを全て話せたかどうかを、調査の成功の基準とする考え方もある。
スタディツアーにおいても、こうしたインタビューにみられるような、自ら
何かを明らかにしようとする積極的なコミュニケーションの姿勢と、情報提供
者に対する敬意の払い方を参考にすることができる。今回のタイ・スタディツ
アーにおいては、メーコック・ファームのアヌラック・チャイスリン氏、サハ
サートスクサー・スクールの校長、チェンライ・ラチャパット大学の日本語学
科の学生たち、ルンアルン暁の家プロジェクトの中野穂積氏など、現地に暮ら
す人々と対話する様々な機会に恵まれた。参加した学生たちはときに言葉を失
ったように沈黙し、ときに活発に発言をした。行く先々で出迎えられる側の彼
らのこうした反応は、現地の情報提供をするホスト側の心情に影響を与え、そ
の対話の満足度を左右する。経験的にいって、話し手は、自分が話に対する聞
き手の反応を、聞き手が考えている以上に、気にする傾向にある。同意や理解
を示す相槌や、話の最中にメモをとる行為、自分からさらに情報を引き出そう
とする質問は、一般的に歓迎される。
聞き手側も、質問することによって、ピンポイントで自分の知りたいことを
学べるチャンスが広がることは言うまでもない。一方で、聞き手側は「無反応」
というのも、話し手に対する一つの、しかもネガティブな、反応であることを
しっかりと考えなければならない。ホスト側が、現地での日々の業務の中から
時間を捻出して、日本からのスタディツアー参加者の対応をしてくれている以
上、双方にとって有意義な機会とするための努力は当然、ゲスト側にも求めら
れる。殊に、現地で用意された対話の場では、自ら学ぼうとする意欲や未知の
ものに対する好奇心、すなわちインタビューの基本姿勢、を行動の中で示すこ
とが、日本の大学生による相手への礼の尽くし方のひとつといえよう。
インタビュー以外に、文化人類学のフィールドワークでよく行われる調査法
が、参与観察(participant observation)である。参与しながら観察をする、と
は、中に入りながら外から見る、といっているようなもので、一見矛盾してい
るようにも聞こえる。より平易な言葉で表現すると、
「つかずはなれず(“close、
but not too close”)」の状態になれること、だといえるだろう。文化人類学者は、
自らと調査対象との距離の取り方に関して、こうした意識をもって異文化の調
査を続けていく。彼らは、その文化の中で実際に長期間暮らし、現地社会に溶
け込んで初めて見えてくるような事柄を記述する。つまり、アウトサイダー(外
部者)でありながら、インサイダー(内部者)の考え方を反映したデータを収
集するための方法が、参与観察だといえる。そして、そのためには、必然的に
現地語の習得や、現地の人々との信頼関係の構築(学術的には「ラポール」と
いう言葉で表現される)が必要となる。
では、この方法のどの部分が、スタディツアーでも役立てられるだろうか。
研究者が 1 年以上かけて行うことを取り入れることは、敷居が高く感じられる
かもしれない。少なくとも、今回のスタディツアーの参加者が、現地で出会っ
たタイの少数民族のコミュニティの中で参与観察を実践することは、困難だろ
う。しかしながら、個々の参加者が、この方法を意識することで、さらに滞在
期間中の学びを深められる可能性は十分にあると考える。参与観察の、
「つかず
はなれず」という感覚が、短期間のスタディツアーの中で新たな発見をもたら
し得るとすれば、それは対タイ人(現地の人々)との関係ではなく、他の日本
人参加者との関係においてである。ここで、今回のスタディツアーで振り返っ
てみたいのは、期間中に毎晩行われてきた参加者同士のミーティングの場面で
ある。そこでは、その日一日の感想をひとりひとりが順番に述べていき、それ
を全員でシェアするというスタイルで行われた。このとき、自らがこの団体の
中で参与観察をしている、という意識をもってみるとどうであろうか。自分も
そのメンバーの一員でありながら、他の日本人参加者の発言をじっくりと聴き、
外国に来た彼らの物事の感じ方や、ホスト側の人々の話からの影響の受け方を
注意深く観察してみる。同世代のメンバーは、一日の中でどの部分を強烈な印
象として心に刻んでいるのか、また、引率している教職員は自分たちからどの
ような反応を求めているのか、同じ時間を過ごしながらもこうした問いを、
“あ
えて”自分が全く無関係の人間であるかのように考えてみるのである。
こうした相対化によって、参加者の思考は、一般にスタディツアーが参加者
に対して期待するような、
「限られた時間の中でタイ(外国)の現状を知って欲
しい、その上で日本での『当たり前』を省みて欲しい」、というメッセ―ジとは
異なる次元へと到達する。そして、そこは、目に映る物事の背景にある社会構
造まで見透かそうとする文化人類学の思考体系とも重なる領域でもある。企画
者側によってデザインされた「日本人にとっての物珍しさ」や「カルチャーシ
ョック」とはいかなるものなのか、というところまで考えをめぐらせることに
より、スタディツアーは、単なる非日常の体験以上の考察の対象となるだろう。
スタディ・ツアーに参加しながら、ツアーそれ自体の表層に覆われた骨組みま
で観察できたとすれば、その学生は、少なくとも分析能力において、企画者の
想定を上回る成長を遂げたことになりはしないだろうか。
そろそろ本稿を締めくくりたい。ここでは、文化人類学で常用されるインタ
ビューと参与観察という二つの調査法を、スタディツアーの随所に活用するこ
との意義について議論を展開してきた。そのための事前研修の工夫や、滞在中
の実践の様子、具体的な教育効果についての検討は、2015 年度以降の課題とし
て位置づけられることになる。どうやら、国際交流・国際協力専攻の教員とし
て、早くも新たな研究テーマが一つ見つかったようである。