感染症の動向と臨床化学 - 琉球大学医学部附属病院

「感染症の動向と臨床化学」
・化学反応複合体としての感染微生物
山根 誠久 (琉球大学・医・臨床検査医学分野)
微生物と感染症を専門とする検査部長として、検査部を構成する臨床検査技師の集団を評価してみると、(1) 微
生物検査を担当・経験した者は生化学検査を担当するのに苦労が少ないが、(2) 逆に生化学検査を長年、担当・
経験してきた者が微生物検査を担当するとなると非常な苦痛と困難が伴う (多少、一方的な偏見ではあるが)。検
査部長としての大きな疑問・・・
“何故、一方通行なのであろうか”
・・・どうも生化学検査を専門とする臨床検
査技師は、原因と結果に最も単純な“1 対 1 の因果関係”を好むのに対し、微生物検査を担当する者は「生物現
象はそんな単純なものではない」と心得ている違いではないかと考えている。生化学を専門とする方々に、微生
物を理解してもらう目的から、
“微生物とは化学反応の複合体である”という極々当たり前の演題で解説してみ
たい。
・ 微生物との出会い・・・influenza virus
医学部を卒業して、直ちに研究生活に入った自分が最初に手掛けた研究対象がインフルエンザウイルスである。
対象がウイルスであるから、最も単純な構造・・・RNA・構造蛋白・(宿主細胞に由来する) 脂質成分のみであ
る。しかしこの単純なウイルス粒子が見せる多様な生物現象にはしばしば魅惑される。例えば・・・ウイルス粒
子の表面は赤血球凝集素 (hemagglutinin: HA) とノイラミニダーゼ (neuraminidase: NA) というふたつの糖
蛋白で覆われている。この組み合わせが実に興味深い。NA は宿主細胞膜の表面に分布する各種の糖蛋白糖鎖の
末端にある N-acetyl neuraminic acid (NANA) を切り離す機能をもつが、逆に HA はこの NANA をレセプター
部位として認識し、吸着する。実はこの NANA こそ、インフルエンザウイルスにとっての“self・non-self の識
別”という大きな課題を解決している。宿主細胞と同様に糖蛋白で覆われているインフルエンザウイルスは何故、
お互いに感染しあわないのか???・・・感染すべき細胞は NANA をもち、兄弟関係にあるウイルス粒子は NANA
をもたない・・・実に巧みな二刀流
・臨床細菌学との出会い・・・Multi-multi assay
臨床検査の領域に足を踏み込み、必然的に細菌の同定という極めて厄介な仕事が加わった。大学紛争の影響で細
菌学を 3 ケ月で修了した者には、今さら大腸菌の同定なんかできる筈はない。そこに“神の助け”
・・・誰にで
もできる「数値同定 (numerical identification)」の開発。とにかく、細菌の示すありとあらゆる生化学反応を同
時に、すべて実施し、その陽性・陰性の判定から確率論的に推測同定するものである。この数値同定は、現在の
大型測定機器をベルトコンベアーで結んだ生化学検査室と瓜二つである。未知の検体 (細菌/血清) に純度の高
い、ありとあらゆる基質を、数多く並んだ反応ウェルのなかで混和、反応させ、その色の変化から酵素活性を検
出する (multi-multi assay)。
“従来法”と称せられるようになった・・・培地が分注された 1 本の試験管から、
3 種類の糖の発酵、ガスの産生、硫化水素の産生など、数多くの性状を読み取る必要はなくなった。しかし今こ
の時期、昔懐かしい従来法 (single-multi assay) と枝分かれ (flow diagram) での同定に復活への強い衝動を感
じている・・・21 世紀への夢・・・ size technology・・・logical single-multi assay・・・signal detection
・ 生物は反応複合体である
我々ヒトを含め、あらゆる生物は遺伝子をもち、機能的な蛋白で構成されている。我々に敵対する微生物も然り
であり、なにも遺伝子ですべてが解決する訳ではない。機能的な蛋白は酵素活性を示し、抗原性も提示している。
感染症とは機能的な蛋白とヒト生体との生物現象であり、化学反応複合体として微生物を認識することで、新た
な予防、治療への道が拓かれると期待される。
哲学 (philosophy) がすべての学問体系の頂点にあるように、感染症へのアプローチは社会科学、自然科学を
総合的に組み合わせた視点から計画、実行されていく必要性を強く認識したい。