大略篇第二十七 大略。人に君たる者は、禮を隆び賢を尊びて王たり、法を

大略篇第二十七
大略。人に君たる者は、禮を隆び賢を尊びて王たり、法を重んじ民を愛して霸
たり、利を好み詐を多くして危うし。
四旁に近からんと欲すれば、中央に如くは莫し。故に王者は必ず天下の中に居
るは、禮なり。
天子は外に屏し(楊注:「屏」は「蔽」なり。門の外に屏を立てること)、諸侯
は內に屏するは(門の内側に屏を立てること)
、禮なり。外に屏するは、外を見
るを欲せざるなり、內に屏するは、內を見るを欲せざるなり。
諸侯其の臣を召せば、臣駕(車を仕立てること)を俟(まつ)たず、衣裳を顛
倒して走るは、禮也なり。詩に曰く、
「之を顛し之を倒する、公自り之を召せば
なり。」天子諸侯を召せば、諸侯輿を輦し馬に就くは(馬が来るのを待たずに、
輿を厩舎まで引いてゆき、そこで馬をつなぐこと)、禮なり。詩に曰く、「我我
が輿を出だす,彼の牧に于(
「於」に同じ)てす。天子の所自り、我に來たれと
謂う。
」
天子は山冕(サン・ベン、楊注:
「山冕」は、山を衣に画きて冕を服するを謂う。
「冕」は大夫以上が朝議祭礼に着用する冠)し、諸侯は玄冠(黒い服に冠をか
ぶる)し、大夫は裨冕(礼服の一つである裨服を着用し、冕をかぶる)し、士
は韋弁(なめし皮の冠)するは、禮なり。
天子は珽を御し(
「珽」
(テイ)は笏の最大のもので、天子専用、
「御」は「用」
の義)、諸侯は荼(ジョ、「舒」の古字、笏の一種で上が丸く下が方なるもの)
を御し、大夫は笏を服するは、禮なり。
天子は彫弓(彫刻附きの弓)、諸侯は彤弓(トウ・キュウ、朱塗りの弓)、大夫
は黑弓なるは、禮なり。
諸侯相見ゆるや、卿を介とし,其の教士(諸本は「教出」に作る、王念孫曰く、
「教出」は、當に「教士」に為るべし、常に教習する所の士を謂うなり)をし
て畢く行かしめ(
「以」は「使」の義に読む)
、仁をして居守せしむ。
人を聘するに珪(天子が取り扱う玉)を以てし、士(郝懿行曰く、
「士」は、即
ち「事」なり、古字は通用す)を問うに璧を以てし、人を召すに瑗(エン)を
以てし、人を つに玦(ケツ)を以てし、 を反すに環を以てす。
人主は仁心を焉に設くれば、知は其の役にして、禮は其の盡せるものなり、故
に王者は仁を先にして禮を後にするは、天施(楊注:天道の施設する所なり)
然るなり。
聘禮志に曰く、
「幣厚ければ則ち德を傷い、財侈(おおい)ければ則ち禮を殄(テ
ン、尽くして無くなること)す。
」禮と云い禮と云うも、玉帛の云ならんや。詩
に曰く、
「物其れ指し、唯だ其れ偕し(楊注:
「指」は「旨」と同じ、
「偕」は「齊
等」なり)
。
」時宜ならず、敬文(原文は「敬交」に作る、兪樾は、
「敬文」の誤
りとする。恭敬文飾の意)ならず、驩欣(
「驩」は「歓」に同じ、心打ち解けて
喜ぶこと)ならざれば、指しと雖も禮に非ざるなり。
水行する者は深に表(標識を付ける)して、人をして陷ること無からしむ。民
を治むる者は亂に表して、人をして失うこと(過失を犯すこと)無からしむ。
禮なる者は、其の表なり。先王は禮義を以て天下の亂に表す。今禮を廢する者
は、是れ表を去るなり。故に民迷惑して禍患に陥る。此れ刑罰の繁き所以なり。
舜曰く、「維れ予は欲に從いて治まる。」故に禮の生ずるは、賢人以下庶民に至
るものの為にして、聖を成さんが為に非ざるなり。然れども亦た聖を成す所以
なり。學ばざれば成らず。堯は君疇(クン・チュウ)に學び、舜は務成昭に學
び、禹は西王國に學ぶ(この三名は伝説上の人物で、その事跡は不明)
。
五十は喪を成さず(楊注:哭踊の節を備えず。「哭」は大声を挙げて泣くこと、
「踊」は胸をたたき躍り上がることで、悲しみを表す極みとされている)
、七十
は唯衰存(サイ・ソン、楊注:縗麻(麻の喪服)を服するのみ、其の禮皆略す
可きなり)するのみ。
親迎の禮(花婿が花嫁を家に迎えに行くときの禮)
、父は南に郷(
「嚮」に通ず)
いて立ち、子は北面して跪く。醮(ショウ、酒を酌んで与えること)して之に
命ず、
「往きて爾が相を迎え、我が宗事を成し、隆(あつい)く率(みちびく)
くに敬を以てし先妣(セン・ビ、母)に之れ嗣がしめ、若は則ち常有れ。
」子曰
く、
「諾。唯能えざらんことを恐る、敢て命を忘れんや。
」
夫れ行なる者は、禮を行うの謂なり。禮なる者は、貴者は焉に敬し、老者は焉
に孝し、長者は焉に弟し、幼者は焉に慈し、賤者は焉に惠す。
其の宮室(楊注:
「宮室」は妻子なり)に賜予するは、猶ほ慶賞を國家に用うる
がごとく、其の臣妾(使用人)を忿怒するは、猶は刑罰を萬民に用うるがごと
きなり。
君子の子に於けるや、之を愛するも面にすること勿く(顔色に出さない)
、之を
使うも貌すること勿く(ねぎらいの気持ちや言葉を見せない)
、之を導くに道を
以てするも彊うること勿し。
禮は人心に順うを以て本と為す。故に禮經に亡きも人心に順う者は、皆(諸本
は、
「背」に作るが、盧文弨の説に依り「皆」に改めた)な禮なる者なり。
禮の大凡(すべて)
。生に事うるは、驩を飾るなり、死を送るは、哀を飾るなり、
軍旅は、威を飾るなり。
親(親戚)を親とし、故(昔なじみの友)を故とし、庸(楊注:
「功」なり。功
績のある者)を庸とし、勞(肉体労働に従事する者)を勞とするは、仁の殺(サ
イ、等差、区別)なり。貴を貴とし、尊を尊とし、賢を賢とし、老を老とし、
長を長とするは、義の倫なり(義の筋道)
。之(仁と義)を行いて其の節を得る
は、禮の序(秩序)なり。仁は、愛なり、故に親しむ。義は、理なり、故に行
う。禮は、節なり、故に成る。仁に里有り、義に門有り(楊注:
「里」と「門」
は、皆禮を謂うなり。仁には禮という拠るべきところがあり、義には禮という
通るべき門がある)
。仁其の里に非ずして之に處るは、仁に非ざるなり(原文で
は「處」は「虚」に「仁」は「禮」に作る、王念孫の説に依り、改めた)
。義其
の門に非ずして之に由るは、義に非ざるなり。恩を推すも理あらざれば、仁を
成さず。理を遂ぐるも節(原文は「敢」の字であるが。下文からして「節」に
改めた)あらざれば、義を成さず。節を審らかにするも、和(原文は「知」に
作る、上文と同じで「和」に改めた。調和の意)せざれば、禮を成さず。和す
るも發せざれば、樂を成さず。故に曰く、仁義禮樂、其の致は一なりと。君子
は仁に處るに義を以てして、然る後に仁なり、義を行うに禮を以てして、然る
後に義なり。禮を制するに本に反り末を成して(楊注:「本」は、仁義を謂い、
「末」は禮節を謂う)
、然る後に禮なり。三者皆な通じて、然る後に道なり。
(以下は死者の弔いのための贈り物について述べている)貨財を賻(フ、金品
を贈ること)と曰い、輿馬を賵(ボウ、物を贈ること)と曰い、衣服を襚(ス
イ、衣服を贈ること)と曰い、玩好を贈(生きていたときに愛玩していた物を
贈ること)と曰い、玉貝を唅(カン、死者の口中に含ませる玉や貝を贈ること)
と曰う。賻賵は、生を佐くる所以にして、贈襚は、死に送る所以なり。死に送
るに柩尸に及ばず(死に贈るもの贈襚が葬式までに届かないこと)
、生を弔いて
悲哀に及ばざるは(生に贈るもの賻賵が、遺族が悲しんでいるときまでに届か
ないこと)、禮に非ざるなり。故に吉行は五十、奔喪は百里、賵贈事に及ぶは、
禮の大なるものなり。
禮なる者は、政の輓(バン、引き綱)なり。政を為すに禮を以てせざれば、政
は行われず。
天子位に即けば、上卿進みて曰く、
「之を如何せん、憂の長きこと。能く患を除
けば則ち福と為り、患を除くこと能わざれば則ち賊と為る。
」天子に一策を授く
(楊注:上卿は、周に於ける冢宰(百官の長)の若きものなり、皆策に書して、
之を読みて天子に授け、之を深戒とするを謂うなり)
。中卿(楊注:
「中卿」は、
宗伯の若きものなり。禮義祭祀を司る官の長)進みて曰く、
「天に配して下土(天
下)を有つ者は、事に先んじて事を慮り、患に先んじて患を慮る。事に先んじ
事を慮る、之を接(ショウ、楊注:
「接」は「捷」と読む、
「速」なり)と謂う、
接なれば則ち事は優に成る。患に先んじ患を慮る、之を豫と謂う、豫なれば則
ち禍生ぜず。事至りて而る後に慮る者は、之を後と謂う、後なれば則ち事舉が
らず。患至りて而る後に慮る者は、之を困と謂う、困なれば則ち禍は禦ぐ可か
らず。」天子に二策を授く。下卿(楊注:「下卿」は、司寇の若きものなり。法
律刑罰を掌る者)進みて曰く、
「敬戒して怠ること無かれ、慶者堂に在りて、弔
者閭に在り(楊注:
「閭」は「門」なり。下文の禍福は隣り合わせと同じ内容の
ことを言っている)
、禍と福とは鄰して、其の門を知ること莫し。豫なるかな(楊
注:「豫哉」は、「戒備」を謂うなり)、豫なるかな、萬民之を望む。」天子に三
策を授く。
禹耕す者の耦立(楊注:両人共に耕すを耦と曰う)するを見れば而ち式(ショ
ク、
「軾」に通じ、車の前の横木、車上中に目上の人に会えば軾に依りかかって
行う禮)し、十室の邑を過ぐれば必ず下る(降りて敬意を表すること)
。
殺(楊注:「殺」は禽獣を田猟するを謂うなり)すること大(「甚」の義)だ蚤
く、朝すること大だ晚きは、禮に非ざるなり。民を治むるに禮を以てせざれば、
動けば斯に陷る。
平衡(楊注:磬折を謂う。立禮の法)を拜と曰い、下衡を稽首と曰い(郝懿行
曰く、「稽首」は亦た頭は手に至り、手は地に至る、故に下衡と曰う)、地に至
るを稽顙(ケイ・ソウ、頭を地につける禮)と曰う。大夫の臣は、拜して稽首
せざるは、家臣を尊ぶに非ざるなり、君を辟くる所以なり。
一命(初任の士)は郷に齒し(齒列のことで、年齢順を意味する)
、再命(大夫)
は族に齒し、三命(卿)は、族人七十と雖も敢て先んぜず。上大夫、中大夫、
下大夫(この句の上下には脱文有りとされている。意味は不明なのでこのまま
掲載しておく)
。
吉事には尊を尚び、喪事には親を尚ぶ。
君臣も得ざれば(楊注:「不得」とは、聖人の礼法を得ざるを謂う)尊からず、
父子も得ざれば親しまず、兄弟も得ざれば順ならず、夫婦も得ざれば驩ばず、
少者も以て長じ、老者も以て養わる。故に天地之を生じて、聖人之を成す。
聘は問なり(訪問、他国に大夫を使わしてご機嫌伺いをすること)
。享は獻なり
(訪問の際に物を献ずること)
。私覿(テキ)は私見なり(訪問の儀礼が終了し
た後で私的に謁見すること)
。
言語の美は、穆穆皇皇(楊注:
『爾雅』曰く、
「穆穆」は「敬」なり、
「皇皇」は
「正」なり)たり。朝廷の美は、濟濟鎗鎗(多くの士が乱れずに整然と並んで
いること)たり。
人の臣下為る者は、諫むること有るも訕(そしる、楊注:上を謗るを「訕」
(セ
ン)と曰う)ること無く、亡ること有るも疾むこと無く(楊注:
「亡」は「去」
、
「疾」は「嫉」と同じ、惡むなり)
、怨むこと有るも怒ること無し。
君の大夫に於いては、三たび其の疾を問い、三たび其の喪に臨む。士に於いて
は、一たび問い、一たび臨む。諸侯は疾を問い喪を弔するに非ざれば臣の家に
之かず。
既に葬りて、君若くは父の友、之に食せしむれば則ち食す、梁肉(ご馳走)を
辟(
「避」に通ず)けざるも、酒醴(
「醴」
(レイ)は甘酒の意であるが、ここで
は「酒醴」で酒の類)有れば則ち辭す。
寢(居室)は廟に踰えず、讌衣(エン・イ、王念孫曰く、
「設」は當に「讌」と
為すべし、字の誤りなり。
「宴」の意)は祭服に踰えざるは、禮なり。
易の咸は(「易」は『易経』、「咸」は易の卦の一つ)、夫婦を見わす。夫婦の道
は、正しくせざる可からず、君臣父子の本なり。咸は感なり。高きを以て下き
に下り,男を以て女に下り、柔上にして剛下なり。
聘士の義と(君主が士を招聘する意義)
、親迎の道は(花婿が花嫁を迎えに行く
儀式)
、始めを重んずるなり。
禮なる者は、人の履む所なり。履む所を失えば、必ず顛蹶陷溺(テン・ケツ・
カン・デキ、つまずき倒れ、穴に落ちたり溺れたりする)す。失う所は微なる
も其の亂を為すこと大なる者は、禮なり。
禮の國家を正すに於けるや、權衡の輕重に於けるが如く、繩墨の曲直に於ける
が如きなり。故に人禮無ければ生きず、事禮無ければ成らず、國家禮無ければ
寧からず。
和鸞(カ・ラン、原文は「和樂」に作るが、増注は「和鸞」の誤りだとする。
「和」
、
「鸞」共に車上に備え付ける鈴)の聲、步めば武象(
「武」
、
「象」共に周の武王
が作った音楽)に中り、趨れば韶護(ショウ・カク、「韶」は舜の音楽、「護」
は殷の湯王の音楽)に中るは、君子律を聽き容を習いて、而る後に出(原文は
「士」に作る、先謙案ずるに、
「士」は「出」と為すべし)づればなり。
霜降りてより女(妻の意)を逆(むかえる)え、冰泮(とける)くれば殺(楊
注:
「殺」は「減」なり。徐々に減じていって止めること)す、内は十日に一た
び御す(楊注:
「内」は「妾御」を謂うなり。妻妾のことで、妻妾を御すとは閨
房の行為のこと)
。
坐すれば膝を視、立てば足を視、應對言語には面を視る(子が父に対するとき
の視線の在り方について述べている)
。立てば前を視ること六尺にして、之を大
にするも、六六三十六、三丈六尺なり。
文貌(外面的な文理)情用(内面的な誠実)は、內外表裏を相為す。禮に之れ
中りて、能く思索する、之を能く慮ると謂う。
禮なる者は、本末相順い、終始相應ず(「本」、「始」は文貌、「末」、「終」は情
用を指す)
。
禮なる者は、財物を以て用と為し、貴賤を以て文と為し、多少を以て異と為す。
下臣は君に事うるに貨を以てし(人民から税や珍品を集めて君に献上して、君
の歓心を買うこと)
、中臣は君に事うるに身を以てし(身を以て社稷を守ること)
、
上臣は君に事うるに人を以てす(賢人を推挙すること)
。
易に曰く、
「復して道に自らば(楊注:
「復」は「返」なり、
「自」は「従」なり)
、
何ぞ其れ咎あらん。」春秋に穆公を賢とするは(「春秋」は『春秋公羊伝』、「穆
公」は秦の穆公)
、能く變ずることを為すを以てなり。
士に妒友有れば、則ち賢交親(
「近」の義)づかず、君に妒臣有れば、則ち賢人
至らず。公を蔽う者、之を昧と謂い、良を隱す者、之を妒と謂い、妒昧を奉ず
る者、之を交譎(コウ・ケツ、兪樾曰く、「交」は「狡」と読む。「狡譎」で、
ずる賢く偽り欺くこと)と謂う。交譎の人、妒昧の臣は、國の薉孽(ワイ・ゲ
ツ、楊注:
「薉」は「穢」と同じ。國を汚して禍を為すもの)なり。
口は能く之を言い、身は能く之を行うは、國の寶なり。口は言うこと能わず、
身は能く之を行うは、國の器なり。口は能く之を言い、身は行うこと能わざる
は、國の用(用具)なり。口は善を言い、身は惡を行うは、國の妖(妖孽、わ
ざわいの義)なり。國を治むる者は其の寶を敬い、其の器を愛し、其の用を任
じ、其の妖を除く。
富まざれば以て民の情を養うこと無く、教えざれば以て民の性を理むること無
し。故に家ごとに五畝の宅、百畝の田ありて、其の業に務めしめて、其の時を
奪うこと勿きは、之を富ます所以なり。大學(国都にある学校)を立て、庠序
(ショウ・ジョ、地方にある学校)を設け、六禮(冠・昏・喪・祭・郷・相見
の禮、「郷」は郷の代表者が司る酒の禮、「相見」は、士が人と会見するときの
禮)を修め、七教(原文は「十教」に作る、王念孫はにより「七教」に改める、
父子・兄弟・夫婦・君臣・長幼・朋友・賓客の教え)を明らかにするは、之を
道びく所以なり。詩に曰く、
「之に飲ませ之に食わせ、之に教え之に誨(おしえ
る、諭して教える意)う。
」王事具わる。
武王始めて殷に入るや、商容の閭に表し(「商容の閭」、賢人商容が住んでいる
村の門、「表」は、旗を立てて其の徳を賞揚すること)、箕子の囚を釋し、比干
の墓に哭して、天下善に (
「嚮」に通ず)う。
天下は國ごとに俊士有り、世ごとに賢人有り。迷う者は路を問わざればなり、
溺るる者は遂(楊注:
「遂」は径隧、水中の渉る可きの径を謂うなり)を問わざ
ればなり。亡人は獨(楊注:
「獨」は自ら其の計を用うるを謂う。独善の計の意)
を好む。詩に曰く、
「我が言を維れ服(
「行」に読む)え、用(
「以」に読む)て
笑と為すこと勿れ。先民(古の賢者)言える有り、芻蕘(スウ・ジョウ、
「芻」
は草刈、「蕘」はきこり、芝刈りをして入る人のこと)にも詢(はかる)れ。」
博く問うことを言えるなり。
法有る者は法を以て行い、法無き者は類を以て舉ぐ。其の本を以て其の末を知
り、其の左を以て其の右を知る。凡そ百事は理を異にするも相守るなり(守る
べき要は一つである)。慶賞・刑罰、類に通じて、而る後に應ず。政教・習俗、
相順いて、而る後に行う(楊注:人の心に順いて、然る後に行う可きなり)
。
八十の者は、一子は事(楊注:
「事」は、力役を謂う)とせず,九十の者は、家
を舉げて事とせず、廢疾にして人に非ざれば養われざる者は、一人は事とせず、
父母の喪は、三年事とせず、齊衰・大功(齊衰(シ・サイ)
・大功は、五等に区
別された喪服の名)
、三月事とせず、諸侯從り來るときと(
「來」は原文では「不」
に作る、楊注:
「不」は當に「來」と為すべし)
、新たに昏有るとは(新婚の者)
、
期事とせず。
子謂う、子家駒は續然(ゾク・ゼン、意志が強く阿諛追従しないこと)たる大
夫なるも、晏子に如かず、晏子は功用の臣なるも、子 に如かず、子 は惠人
なるも、管仲に如かず、管仲の人と為りは、功に力めて義に力めず、知に力め
て仁に力めず、野人なり、以て天子の大夫と為す可からず。
孟子三たび宣王に見えしも、事(政治の事)を言わず。門人曰く、
「曷為れぞ三
たび齊王に遇いて、而も事を言わざる。」孟子曰く、「我先づ其の邪心を攻(お
さめる、
「治」の意む、邪心を正す意)む。
」
公行子之の燕に之くや、曾元に塗(「途」に通じ、道路)に遇う。曰く、「燕君
は何如。」曾元曰く、「志卑し。志卑き者は物を輕んず、物を輕んずる者は助を
求めず。苟くも助を求めざれば、何ぞ能く舉げん(賢者を推挙すること)
。氐・
羌の虜となるや、其の係壘を憂えずして、其の焚かれざるを憂うるなり。夫の
秋毫(シュウ・ゴウ、ほんのわずか)を利して、害は國家を靡(ほろぼす、王
念孫曰く、
「靡」は「滅」なり)ぼす、然も且つ之を為すは、幾(楊注の或説に
「幾」は「豈」と読むとある)に計を知ると為さんや。
」
今夫の箴を亡う者、終日之を求めて得ず、其の之を得るは、目明を益すに非ざ
るなり、眸(楊注:眸子を以て審らかに之を視るを謂う)して之を見ればなり。
心の慮に於けるも亦た然り。
義と利とは、人の兩つながら有する所なり。堯・舜と雖も民の利を欲するを去
ること能わず、然れども能く其の利を欲するをして其の義を好むに克たざらし
むるなり。桀・紂と雖も民の義を好むを去ることを能わず、然れども能く其の
義を好むをして其の利を欲するに勝たざらしむるなり。故に義の利に勝つ者を
治世と為し、利の義に克つ者を亂世と為す。上義を重んずれば則ち義は利に克
ち、上利を重んずれば則ち利は義に克つ。故に天子は多少を言わず、諸侯は利
害を言わず、大夫は得喪(得失)を言わず(楊注:皆貨財を謂うなり。貨財の
多少、利害、得失のこと)
、士は貨財を通ぜず(貨財を流通させて利益を上げる
ことをしない)。國を有つの君は牛羊を息(楊注:「息」は繁育なり)せず、質
を錯くの臣は(楊注:
「錯」は「置」なり、
「質」
(シ)は「贄」と読む。贈り物
として生贄の雞豚を君主に差し出して臣下となった者)雞豚を息せず、冢卿は
幣を脩めず(楊注:
「冢卿」は上卿。
「幣」は「敝」に通じ、破れた所)
。大夫は
場園(田と畑)を為めず、士從り以上は皆な利を羞ぢて民と業を爭わず、分施
を樂しみて積藏を恥づ。然の故に(是の故に同じ)民は財に困しまず、貧窶(ヒ
ン・ク、貧しくてみすぼらしい者)者も其の手に竄(いれる、楊注:
「竄」は「容」
なり)るる所有り。
文王の誅は四(四國を誅伐した事)、武王の誅は二(二人を誅殺したこと)、周
公は業を卒え、成・康(成王・康王)に至りて則案(二字で「則」の義)ち誅
無きなり。
多く財を積みて有ること無きを羞ぢ、民の任を重くして能えざるを誅す。此れ
邪行の起こる所以にして、刑罰の多き所以なり。
上義(原文は「義」を「羞」に作る。王念孫曰く、
「羞」は當に「義」と為すべ
し)を好めば、則ち民は闇に飾り(「闇」は一人のとき、「飾」身を整え修める
こと)
、上富を好めば、則ち民は利に死す。二者は治亂の衢(ク、分かれ道)な
り。民の語に曰く、「富を欲するか、恥を忍べ、傾 せよ(楊注:「傾 」は、
身を傾け命を絶ちて求むるを謂うなり)
、故舊を絶て(昔なじみを捨てて、損得
だけで人と付き合え)、義と分背(分れて背くこと)せよ。」上富を好めば、則
ち人民の行いは此の如し、安んぞ亂れざるを得んや。
湯旱にして禱りて曰く、「政節(先献案ずるに、「節」は猶ほ「適」なり)なら
ざるか、民をして疾ましむるか。何を以て雨らざること斯の極に至るや。宮室
榮んなるか、婦謁(婦人の言が用いられること)盛んなるか、何を以て雨らざ
ること斯の極に至るや。苞苴(ホウ・ショ、賄賂)行わるるか、讒夫興るか、
何を以て雨らざること斯の極に至るや。
」
天の民を生ずるは、君の為にするに非ざるなり。天の君を立つるは、以て民の
為にするなり。故に古は、地を列ねて國を建つるは、以て諸侯を貴ぶのみに非
ず、官職を列ね、爵祿を差(
「分」に読む)つは、以て大夫を尊ぶのみに非ざる
なり。
主の道は人を知り、臣の道は事を知る。故に舜の天下を治むるや、事を以て詔
げずして萬物成る。農は田に精なるも、而も以て田師と為す可からず、工賈も
亦た然り。
賢を以て不肖に易うは、卜を待ちて而る後に吉を知るにあらず。治を以て亂を
伐つは、戰を待ちて而る後に克つを知るにあらざるなり。
齊人魯を伐たんと欲し、卞の莊子(「卞」(ベン)は魯の邑、莊子はそこに住ん
でいる勇者)を忌みて、敢て卞を過ぎず。晉人衛を伐たんと欲し、子路を畏れ
て、敢て蒲を過ぎず。
知らざれば而ち堯・舜に問い、有ること無ければ而ち天府に求む。曰く、先王
の道は、則ち堯舜のみ、六芸(盧文弨曰く、「貳」は、當に「芸」に作るべし、
聲の誤りなり。六芸は、書・禮・詩・易・樂・春秋を指す)の博は、則ち天府
のみ。
君子の學は蛻(ゼイ、ぬけがら。楊注:蝉の蛻の如し)の如く、幡然(楊注:
「幡」
は、
「翻」と同じ。古いものから脱却して、新しいものに進化すること)として
之に遷る。故に其の行くにも效(ならう、学習の意)い、其の立つにも效い、
其の坐するにも效い、其の顏色を置き(身じまいを正すこと)
、辭氣(言葉語気)
を出だすにも效う。善を留むること無く(楊注:善有れば即ち行い、留滞する
こと無し)
、問を宿すること無し。
善く學ぶ者は其の理を盡くし、善く行う者は其の難きを究む。
君子の志を立つるや窮するが如し。天子・三公の問と雖も、正も是非を以て對
う(先謙案ずるに、君子は窮達を以て心を易えず、故に志を立つるも常に窮時
の如し)
。
君子は隘窮(困窮)するとも失わず,勞倦するとも苟くもせず、患難に臨みて
も茵席(イン・セキ、原文は「細席」に作るが、郝懿行は「茵席」の誤りだと
言う。「茵」はしとね、「席」はむしろで、平常の状態を意味する)の言を忘れ
ず。 、寒ならざれば以て松柏を知ること無く(一年のうち寒い時期も無けれ
ば、落葉樹と違って一年中青々している常緑樹の松や柏の木に目が向くことは
無い)
、事難からざれば以て君子を知ること無し。日として是に在らざること無
し(一日でも正道を踏み外すことは無い)
。
雨は小なるも漢は故に潛し(この句、楊注は未詳とする、諸説有り、それらを
参考にして、
「漢」は「漢水」
、
「潛」は「深」の意に読み、雨は小降りでも降り
続けると漢水も深くなり、ついには溢れ出すことになると言う意味に読む)
。夫
れ小を盡くす者は大に、微を積む者は箸わる、德の至れる者は色澤洽く(身の
色艶も行き渡っている)
、行い盡くれば而ち聲問(評判)遠し。小人は内に誠な
らずして之を外に求む。
言いて師を稱せざるは之を畔と謂い、教えて師を稱せざるは之を倍と謂う。倍
畔の人、明君は朝に內れず、士大夫は諸に塗に遇うも與に言わず。
行に足らざる者は に過ぎ(言葉を飾り、しゃべり過ぎること)
、信に足らざる
者は誠言す(言葉だけは誠らしくする)
。故に春秋に胥命ずるを善しとして(
「胥」
は「相」に読む、楊注:
『春秋』魯公三年、
「齊公・衛公は蒲に胥命す」
、公羊伝
曰く、相命ずるなり、何ぞ相命ずると言う、正に近ければなり、古は盟せず、
結言して退く。血を啜りあって誓いをする盟を行わず、言を結んで誓いを立て
ることは、古の行いに近いことで、善い事であるとほめている)
、詩に屢々盟う
を非とするは、其の心一なり。善く詩を為す者は かず、善く易を為す者は占
わず、善く禮を為す者は相せざるは、其の心同じきなり。
曾子曰く、
「孝子は、言は聞く可きを為し、行は見る可きを為す。言の聞く可き
を為すは、遠きを ばす所以なり。行の見る可きを為すは、近きを ばず所以
なり。近き者 べば則ち親しみ、遠き者 べば則ち附く。近きを親しみて遠き
を附くるは、孝子の道なり。
」
曾子行(去るの意)る、晏子(齊の晏嬰)郊に從いて曰く、
「嬰之を聞く、君子
は人に贈るに言を以てし、庶人は人に贈るに財を以てすと。嬰貧にして財無し、
請う君子に假りて、吾子(あなた、友人同士の呼称)に贈るに言を以てせん。
乘輿の輪は、太山の木なるも、諸を檃栝(イン・カツ、ため木)に示(置く)
くこと三月五月なれば、幬采(チュウ・サイ、轂と輻)敝るるを為すも、而も
其の常に反らず(車の轂と輻が壊れても、外輪の木の輪は元の真直ぐな木にも
どらない)
。君子の檃栝は、謹まざる可からざるなり。之を慎めよ。蘭・茞(シ)
・
槁本(皆香草の名)
、蜜醴(ミツ・レイ、密のように甘い酒)に漸(ひたす、楊
注:
「漸」は、
「浸」なり)せば,一佩にて之を易う(この句の解釈は諸説有り、
香草を蜜醴に漸せば、其の価値が上がる説と下がる説がある。価値が上がるの
であれば、
「一佩易之」は佩玉と交換できるほどになるという意味になり、価値
が下がるのであれば、一度腰に帯びただけで捨て去るという意味になる、前者
の説を採用する)
。正君香酒に漸せば、讒して得可けんや。君子の漸す所は、慎
まざる可からざるなり。
」
人の文學(学問)に於けるや、猶ほ玉の琢磨に於けるがごときなり。詩に曰く、
「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し(「切」は骨の加工、
「磋」は象牙の加工、
「琢」は玉の加工、
「磨」は石の加工)
。
」學問を謂うなり。
和の璧は、井里の厥(盧文弨は、
「厥」は「橛」に同じとする、しきみ石と解釈
しておく)なりしも、玉人之を琢きて、天子の寶と為れり。子贛(コウ)
・季路
は故鄙人なり、文學を被り、禮義を服して、天下の列士と為れり。學問して厭
わず、士を好みて倦まざるは、是れ天府なり。
君子は疑わしければ則ち言わず、未だ問われざれば則ち言(原文は「立」に作
る、王念孫曰く、「立」の字義通ず可からず、「立」は、亦た當に「言」と為す
べし)わず、道は遠きも日々に益(すすむ)むなり。
知(知人)多くして親(親友)無く、博く學びて方無く(進むべき道が無い)、
好多くして定め(定見)無き者には、君子與せず。
少にして諷誦(諸本は「少不諷」に作る、王念孫曰く、
「少不諷」は、當に大戴
記に從いて「少不諷誦」に作るべし。
「諷誦」とは経典を暗誦して読み上げるこ
と)せず、壯にして論議せざれば、可なりと雖も、未だ成らざるなり(学問が
それなりに出来るようになっても、成就する所までは行かない)
。
君子壹に教え、弟子壹に學べば、亟(すみやか)に成る。
君子進(仕える意)めば則ち上の譽を益し、下の憂を損(減らす意)ず。能く
せずして之に居るは、誣うるなり(君主や民をいつわり欺くこと)
。無益にして
厚く之を受くるは、竊なり(位を盗むもの)
。學なる者は必ずしも仕うるが為に
非ざるも、仕うる者は必ず學の如くす。
子貢、孔子に問いて曰く、
「賜(子貢の名)學に倦めり、願わくは君に事うるに
息わん。
」孔子曰く、
「詩に云う、
『溫恭たり朝夕、事を執るに恪(つつしむ)む
こと有り。
』君に事うること難し、君に事うること焉んぞ息う可けんや。
」
「然ら
ば則ち、賜願わくは親に事うるに息わん。
」孔子曰く、
「詩に云う、
『孝子匱しか
らず(毛伝に、
「匱」は「竭」とあり、とぼしいと訓ず、愛情が豊かである意)
永く爾(
「汝」に通ず)類(毛伝に「類」は「善」とある)を錫(「賜」に通ず)
う。
』親に事うること難し、親に事うること焉んぞ息う可けんや。
」
「然らば則ち
賜願わくは妻子に息わん。」孔子曰く、「詩に云う、『寡妻に刑らしめ(「寡妻」
は「正妻」、「刑」は「法」、妻を教化しそれに従わせること)、兄弟に至(及ぼ
す意)り、以て家・邦を御(毛伝に、
「御」は「治」
)む。
』妻子は難し、妻子焉
んぞ息う可けんや。」「然らば則ち賜願わくは朋友に息わん。」孔子曰く、「詩に
云う、
『朋友は攝くる攸、攝くるに威儀を以てす(
「攝」はたすける、
「攸」はと
ころ、朋友は互いに助け合い、立派に助け合うものだ)。』朋友は難し、朋友焉
んぞ息う可けんや。」「然らば則ち賜願わくは耕に息わん。」孔子曰く、「詩に云
う、
『晝に爾于きて茅かれ(
「于」は行く、
「茅」ちがや、ここでは動詞で“ちが
やをかりとる”と言ういみに読んで、
“ちがやかる”と訓ず)宵に爾索綯(
「宵」
は夜、
「索」は縄、
「綯」はなう、二字でなわなうと訓ず、
“なう”とは何本かの
縄をより合せて一本の縄を作ること)え、亟に其れ屋に乘れ(屋根に登って修
理すること)
、其れ始めて百穀を播け。
』耕は難し、耕焉んぞ息う可けんや。
」
「然
らば則ち賜息うべき者無きか。」孔子曰く、「其の壙(墓場の塚)を望めば、皋
如(コウ・ジョ、高き貌)たり、顛如(テン・ジョ、こんもりとした貌)たり、
鬲如(レキ・ジョ、釜をふせた貌)たり、此れ則ち息う所を知らん。
」子貢曰く、
「大なるかな、死や、君子も焉に息い、小人も焉に休む。
」
國風(諸国の民謡を集めた詩経の一部)の色を好むや、傳(注釈)に曰く、
「其
の欲を盈(みたす)たして而も其の止まるところを愆(あやまつ)たず。
」其の
誠は金石に比す可く、其の聲は宗廟に内る可し。小雅は、汙上に以(楊注:
「以」
は、
「用」なり、
「汙上」は「驕君」
(驕り高ぶって入る君主)なり。
)いられず、
自ら引きて下に居り、今の政を疾(にくむ)みて以て往者(文王、武王を指す)
を思う。其の言は文有りて、其の聲は哀有り。
國の將に興らんとするや、必ず師を貴びて傅を重んず。師を貴びて傅を重んず
れば、則ち法度存す。國の將に衰えんとするや、必ず師を賤しみて傅を輕んず。
師を賤しみて傅を輕んずれば、則ち人に快有り(楊注:人、意を肆にすること
有り)
、人に快有れば則ち法度壞(やぶる)る。
古は、匹夫五十にして士(「仕」に通ず)え、天子諸侯の子は十九にして冠す。
冠して治を聽くは、其の教至ればなり。
君子なる者にして之を好むは、其の人なり(諸説有り、金谷博士の説に従って
おく、君子である人を好きになれる人は、その人も亦君子になれる)
。其の人な
るものにして教えざるは、不祥なり。君子に非ざるものにして之を好むは、其
の人に非ざるなり。其の人に非ざるものにして之を教うるは、盜に糧を齎(も
たらす)し、賊に兵を借すなり。
自らその行いを嗛(ケン、不足の意)とせざる者は、言濫(みだり)にして過
ぐ。古の賢人は、賤しきこと布衣為り、貧しきこと匹夫為り。食は則ち饘粥(セ
ン・シュク、
「饘」は濃いかゆ、
「粥」は薄いかゆ)も足らず、衣は則ち豎褐(小
僧の切る粗衣)も完からず。然れども禮に非ざれば進まず、義に非ざれば受け
ず、安んぞ此(上文の「言濫過」を指す)に取らん。
子夏貧にして、衣は縣鶉(ジュン・イ、つぎはぎの衣)の若し。人曰く、
「子は
何ぞ仕えざる、」曰く、「諸侯の我に驕る者には、吾臣と為らず、大夫の我に驕
る者には、吾復た見ず。柳下惠(魯の賢人)は門に後るる者(二説有り、城市
の門限に間に合わない者で、無頼者と解釈する説と、
『孔子家語』により、門限
に遅れた夫人で、其の者と同じ衣で一夜を過ごしたとする説、どちらに解釈す
るも善し)と衣を同じくして、疑われざるは、一日の聞に非ざればなり。利を
爭うこと蚤甲(楊注:
「蚤」は「爪」と同じ。爪の先)の如くなれば、而ち其の
掌を喪わん。
」
人に君たる者は以て臣を取るに慎まざる可からず、匹夫は友を取るに慎まざる
可からず。友なる者は、相有つ(互いに助け合うこと)所以なり。道同じから
ざれば、何を以て相有たん。薪を均しくして火を施せば、火は燥に就き(火は
乾燥した薪に行く)
、地を平かにして水を注げば、水は濕に流る。夫れ類の相從
うや、此の如く之れ著しきなり。友を以て人を觀れば、焉んぞ疑う所あらんや。
友を取ること善人なれ、慎まざる可からず。是れ德の基なり。詩に曰く、
「大車
を将(たすける)くること無かれ、維れ塵冥冥たり(
「大車」は牛に引かせた荷
車、小人を指している、介添え役としてそれについて行くな、埃が舞い上がっ
て前が見えない)
。
」小人と處ること無からんことを言えるなり。
藍苴にして路(あらわ)に作すは(楊注はこの句の義は未詳だとする、非常に
難解であり、諸説があり、どれも決め手に欠ける。諸説を参考にして、
「藍」は
「濫」の義に、
「苴」は「漫」に読み、
「濫漫」でみだりにの意に解し、
「路」は
「露」の借字とすし、妄りに自説を掲げて、目立とうとしていると解す)
、知に
似て而も非なり。懦弱(気弱)にして奪い易きは、仁に似て而も非なり。悍戇
(カン・コウ、粗暴)にして鬭を好むは、勇に似て而も非なり。
仁義禮善の人に於けるや、之を辟(
「譬に通用す」うるに貨財粟米の家に於ける
が若きなり。多く之を有つ者は富み、少く之を有つ者は貧しく、有ること無き
者に至りては窮す。故に大なる者は能くせず、小なる者は為さず(
「大」
、
「小」
は仁義禮善に対して謂う)
。是れ國を棄て身を捐つるの道なり。
凡そ物は乘ずること有りて來る。(王念孫により、「乘」は衍字とする)其の出
づる者は、是れ其の反る者なり。
流言は之(主語の「流言」を指す)を滅ぼし、貨色(貨財と女色)之を遠ざく。
禍の由りて生ずる所なり、纖纖(微細)自り生ずるなり。是の故に君子は蚤く
之を つ。
言の信なる者は、區蓋の間に在り(郝懿行の説に依り、「區蓋」は不知疑惑の意に解
す、知らないことや疑わしいことに目を向けること)。疑わしきは則ち言わず、未だ問
わざるは則ち言(諸本は「立」に作る、郝懿行により、「言」に改める)わず。
知者は事に明らかにして、數に達す、不誠(不忠)を以て事う可からざるなり。
故に曰く、
「君子は ばしめ難し、之を ばしむるに道を以てせざれば、 ばざ
るなり。
」
語に曰く、
「流丸(的から外れた流れ矢)は甌臾(オウ・ユ、的の後ろに流れ矢
を止める為に作った土盛)に止まり、流言は知者に止まる。
」此れ家言(宋子や
墨子の如く、一派を成す者の言)邪 の儒者を惡む所以なり。是非疑わしけれ
ば則ち之を度るに遠事(
(古の聖人の言行)を以てし、之を驗するに近物(身近
な出来事)を以てし、之を參するに平心を以てすれば、流言も止まり、惡言も
死せん。
曾子魚を食らいて餘有り。曰く、
「之を洎(キ、王念孫は「泔」は「洎」の誤り
だと言う。
「洎」は水に浸して煮ること)にせん。
」門人曰く、
「之を洎にすれば
人を傷わん(腐って人を害する意)之を奥(ウツ、盧文弨は「奥」は「鬱」の
意であるとする。塩漬けか酒漬けにすること)するに若かず。
」曾子泣涕して曰
く、
「異心(悪気)有らんや。
」其の聞くことの晩きを傷むなり。
吾の短なる所を用(「以」の意)て人の長なる所に遇(あたる、楊注:「遇」は
「當」なり)ること無かれ。故に塞(短所を覆い隠すこと)ぎて短なる所を避
け、移りて仕(こと、楊注:「仕」は「事」と同じ、「事」は能くする所なり)
とする所に從うべし。疏知(楊注:
「疏」は「通」なり。
「通知」は物知りの意)
なるも法あらず、察辨なるも僻を操り(「察辨」は明察、「僻」は邪、明察では
あるが、行いは邪僻である)
、勇果(勇敢)なるも禮無きは、君子の憎惡する所
なり。
多言にして類(規範類例)なるは、聖人なり。少言にして法(法則)あるは、
君子なり。多も少も法無くして流湎(楊注:
「喆」は當に「湎」に為るべし。
「流
湎」で、でたらめに振舞う意、
「然」は助字で「焉」に同じ)すれば、辯ずと雖
も、小人なり。
國法の拾遺を禁ずるは、民の分(己に見合った取り分)を無みすることを以て
得ることに串(
「習」の義)うを惡めばなり。夫の分義有れば、則ち天下を容れ
て治まり、分義無ければ、則ち一妻一妾にして亂る。
天下の人、各々意を特(楊注:
「特意」は、人人意を殊にするを謂う)にすと唯
(「雖」に通用する)も、然れども共に予(くみする、楊注:「予」は「與」と
読む)する所有るなり。味を言う者は易牙(齊の桓公の料理人)に予し、音を
言う者は師曠(晋の平公の樂師)に予し、治を言う者は三王(禹王、湯王、文・
武王)に予す。三王既に已に法度を定め、禮樂を制して之を傳う。用いずして
改めて自ら作ること有らば、何ぞ以て易牙の和を變じ、師曠の律を更むるに異
ならん。三王の法無くば、天下亡ぶるを待たず、國死するを待たず。飲みて食
わざる者は、蟬なり、飲まず食わざる者は、浮蝣(フ・ユウ、かげろう)なり。
虞舜・孝己は孝なるも、親は愛せず、比干・子胥は忠なるも君は用いず、仲尼・
顏淵は知なるも世に窮す。暴國に劫迫せられて、之を辟くる所無ければ、則ち
其の善を崇び、其の美を揚げ、其の長ずる所を言いて、其の短なる所を稱せざ
れ。惟惟として而も亡ぶ者は、誹ればなり。博にして而も窮する者は、訾(そ
しる)ればなり。之を清くして俞々濁る者は、口なり。
君子は能く貴ぶ可きを為すも、人をして必ず己を貴ばしむること能わず。能く
用う可きを為すも、人をして必ず己を用いしむること能わず。
誥誓(コウ・セイ、「誥」は告げる言葉、「誓」は誓いの言葉)は五帝に及ばず
(無かったの意)、盟詛(メイ・ソ、「盟」は生贄を殺して血を啜り誓約するこ
と、
「詛」は禍福の言葉で神前で誓うこと)は三王に及ばず、質子を交うるは五
伯に及ばず。