がいそん 積が認められただけで、地下構造と見られる施設は確 に建物が建ち並ぶ街村的な集落のあり方を示している 認されなかった。以上のことから、中央部の石敷き遺 と判断される。 野路町は、「吾妻鏡Jなどの文献に登場する中位の宿、 構は炉の地下構造と考えられ、よって、第 2号炉の形 「野路指Jが存在したとされる地域であり、今西の調 態は、中央部に炉を設け、両側に排浮坑を持つ長方形 査結果から、野路岡田遺跡が「野路指Jの一部あるい は 、 f 野路宿 jと何らかのかかわりがある集落である珂. 箱型炉であると判断された。 (草津市教育委員会藤居期) 能性が高まったといえる。 (草津市教育委員会清水一悦) 9 . おがどっさり@五がざくざく 草津市内ヶ町遺跡 8 . 製鉄炉の形態が長方形箱型炉であることを確認 門ヶ町遺跡は草津市西渋川町一荷に位寵する、弥生 草津市野路小野山製鉄遺跡 時代から鎌倉時代にかけての集落跡である。今回、ピ 8次発掘調査によって、弥生・ ル建設工事に先立つ第 1 野路小野山製鉄遺跡は、国道 1号線京滋バイパス建 古墳・平安時代の遺構・遺物が出土した。 設に伴い昭和 54~58年度に調査が行われ、その結果、 製鉄炉 1 1基、木炭窯 6基、大鍛冶跡 l基、塀をめぐら 弥生時代の遺構には大溝、方形周溝墓、円形平地式 せた管理用倉庫 l棟、工房跡 7棟など、奈長時代の製 住民、土坑などがある。大溝は調査区西端で一部を検 鉄に関する一連の遺構がまとまって発見されたことか 、深さ1. 2m 。方形周溝墓は一辺 4~5 出した。幅 6m ら、わが図の製鉄技術の発展過程と古代田家における m 程度の規模で 9基以上ある。埋葬施設・盛土などは 鉄生産体制の実態を解明するうえで不可欠な遺跡とし 確認できなかった。調査区北端では約 4 mの範聞で柱 0年に国史跡に指定された。 て昭和 6 穴が集中する箇所があり、平地式住居であろう。これ せまぐわ らの遺構から、弥生時代中期前半の土器、木器(狭鍬)、 今回の調査は、史跡整備計画の一環として地下遺構 を再確認し、復元整備の方法を探ることを目的とする 若器が出土した。石器は農具(石庖丁 6 ・石鎌? 1)、 もので、第 2号製鉄炉を対象として行った。 2・磨製石剣 2)、工具(片刃お斧 5・ 武器(打製石鍛2 はまぐ 1 ) ば 刃石斧 9・砥石 1 8・石鋸 7・石錐 3・石小刀 2、 ) 蛤 以前の調査では、第 1、 7、 9号製鉄炉が完掘調査 され、これらの中で残存状況の良好であった第 1号炉 石製品(緑色凝灰岩製管支未製品 1 ・擦痕のある素材 では、遺構中央部の片側に石列が認められ、その内側 科片 3 ・不要剥片多数)など多種多様である。サヌカ はくへん が熱を受けていたことなどから、この部分は炉内から イトにも剥片があり、石鍛など小形製品は遺跡内で製 流出された浮(さい)が流れた湯道と理解され、炉本 作していたようだ。 古墳時代の遺構は調査区南部に備在し、溝. 1間四 体はその奥側の部分に構築された円形自立炉という形 方の掘立柱建物 1棟などがある。溝からは 6世紀の須 態の炉と判断されていた。 恵器・土蹄器と共に石器(砥お 6)、石製品(丸玉 3 ・ ところが、これに対し遺構の平面形態や中央部の石 列の存夜から、湯道とされた部分に炉が構築される伝 統的な長方形箱型炉であるという考え方が出され、遺 構の復元整備を行うにあたっては、どちらかに決定す 議室長区全景(右下が北) 平玉 1)、滑石製長1(紡錘車未製品 2 .鏡形模造品 1 ・ 有孔円板・剣形 1 ・勾玉形 1 ・管玉 1 ・臼玉・原石・ 製鉄炉地下構造の石敷き遺構 剥片多数)などが出土した。 これまでに門ヶ阿遺跡、では玉っくり関連遺物が発見 る必要があった。今回の調査の結果、第 2号炉の中央 1 届3列の石が長方形に配され、その上部に木炭、 部には1 されており、今回の調査でも弥生時代の管玉生産・古 鉄浮等が置かれていることが確認された。また、以前 墳時代の滑石製模造品生産にかかわる遺物が出土した。 の調査で炉床とされていた部分には、焼土と木炭の堆 争によって微細な滑石製品を とくに遺構埋土の土壌洗 i 5
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