プレスリリース

BEAUJOLAIS NOUVEAU
Collection Automne 2015
ボジョレ・ヌーヴォー2015
プレス資料
1
SOMMAIRE
ヴィンテージ 2015
…………………………………………………………..………... P.3
『ぶどう畑からグラスまで』
歴史
I.
ボジョレ・ヌーヴォーとは? …….. …………..… P.4
……………………………………………………………….…………………….. P.6
「労働者の飲み物」から「商品としての」ワインへ、文明化を経験した新酒
II.
リヨンの人々が新酒の伝統をさらに強固なものに
III.
ボジョレ・ヌーヴォー現象
A. 現象の骨組みである法令
B. 魔法の品種:ガメイ・ノワール・ア・ジュ・ブラン
C. ワインビストロ、ネゴシアン、ボジョレワイン委員会の役割
2015 年のボジョレ・ヌーヴォー
…………………………………………………………………………….. P.13
経済
I.
II.
キャンペーン …….……………….. ………….. P.11
フランス国内市場
海外市場
《リヨン=ボジョレ・ヌーヴォー トロフィー》 一つの基準として ……......…… P.14
ヌーヴォー後
...………………………………………………………………..…….. P.15
参考資料 : ボジョレ地方基本情報
……………..…………………………..…….. P.16
2
Millésime 2015
豊かで、しっかりとして完璧なバランス
ボジョレにとって、とても偉大なヴィンテージ !
今年、厳しい暑さと歴史的な日照量のために、ボジョレのぶどう畑は完璧に近い衛生状態
を保つことができた。また、特に 8 月に少し降った雨のおかげで、ぶどうは素晴らしい条
件の中で成熟を終えた。このようにして、生産者はよく熟して小粒で、素晴らしい品質を
備え、厚くしっかりとした果皮を持つぶどうを収穫している。
フェノール類の成熟は完璧で、糖度は自然に上昇した。生産者によれば、ボジョレでこの
ように熟したことは見たことがないという。一方で、収穫されたぶどうは爽やかさも保っ
ている。アルコール発酵を終えた最初のキュヴェには、熟した果実、しかし火を入れたよ
うなニュアンスは全くない果実のアロマが感じられる。
口に含むと、2015 年の豊かさがはじける。丸みがありたっぷりとしているが、バランス
を全く失っていない。ワインは並外れて豊かで、豊満で、堅固なタンニンのストラクチュ
アが長熟の年であることを予期させる。タンニンはきちんと存在しているが、絹のように
しなやかで、すばらしい繊細さを帯びている。
色は濃く、深みのある色合いを見せている。2015 年は、2002 年以来で最も色が濃くなる
可能性を見せている。色と特にストラクチュアの面で、2015 年は 2009 年や、最も古くは
1947 年を思い起こさせる。いずれも素晴らしいヴィンテージで、明白な熟成能力を持っ
ていた。
2015 年の唯一の懸念事項は、数量である。厳しい暑さと、特に 2015 年上半期の乾燥のた
めに収穫量は少ない。2015 年の収穫量は、600,000 hl 近くと見られている(2014 年は約
756,000 hl であった)。
ワインは、酸、果実味、タンニンのバランスが完璧で、2015 年のボジョレを偉大なヴィ
ンテージとするためのすべての要素が揃っている。
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『ぶどう畑からグラスまで』
ボジョレ・ヌーヴォーとは?
ボジョレ・ヌーヴォーを「産業的な」もしくは「科学技術的な」ワインと感じている消費
者もいるかもしれない。しかしボジョレ・ヌーヴォーは、職人のワインである。
ボジョレ・ヌーヴォーを造るには、知識とノウハウに精通していなければならない。
o 細心の注意を必要とする短期間のマセラシオン(浸漬)
o 一年を通して行われる、剪定、芽かき、誘引、摘房などの作業
o ガメイという、栽培の難しい品種
ボジョレを、ボジョレたらしめるもの― 単一ぶどう品種と醸造方法
フレッシュで飲みやすく、アロマが豊かでフルーティーなワインを造り出すために、マセ
ラシオン(浸漬)の期間を最長 4~7 日までに抑えている。このマセラシオンは複雑な技術を
要する。実際、醗酵槽からワインを移し替えるタイミングが 3 時間早まると色が淡く味わ
いが軽すぎるものになり、反対に 3 時間遅れるとタンニン分の多い渋みの強いワインにな
ってしまう。
単一ぶどう品種:ガメイ(ガメイ・ノワール・ア・ジュ・ブラン=白い果汁を持つ、果皮が
黒いガメイ)
醸造方法:ボジョレでは、破砕せず果房をまるごと醗酵させるという独自の方法をとる。
醗酵期間:非常に短く 4 ~7 日。タンニンの抽出を抑えながらアロマを最大限に引き出す。
主なステップ:
o 収穫:手摘みのみ。ボジョレとシャンパーニュだけがフランスで手摘みが一般的に
行われている産地である。
o 第一次アルコール醗酵
o プレス (圧搾)
o フリーランジュース(自然に流れ出す果汁)とプレスジュース(圧搾果汁)を合わせて
一つの醗酵槽に入れ、そこで醗酵が終了する。
o 第二次マロラクティック醗酵:微生物の働きによりリンゴ酸が乳酸に変わる。これ
により酸味が弱まり、ワインは丸みをおびた味わいになる。多くのワインの場合、
この第二次醗酵は収穫の翌月にワインを安定させるために行う。
ボジョレ・ヌーヴォーの 2 つのアペラシオン
ボジョレとボジョレ・ヴィラージュ。畑の面積は合計で 10,000ha。テロワールや生産者に
より異なった特徴がもたらされ、「ボジョレ・ヌーヴォー」、「ボジョレ・ヴィラージ
ュ・ヌーヴォー」が生まれる。
ボジョレ・ヌーヴォーとボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーは、ガメイ種から造られる
赤ワインとロゼワインのみ。
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AOC ボジョレを産する村は、ボジョレ地方の南東の 72 村。粘土石灰質と花崗岩質の土壌
で育ったこの地域のぶどうの約 52%はボジョレ・ヌーヴォーに使われる。この地域のボジ
ョレ・ヌーヴォーの生産量は 2014 年は約 130,000 hl であった。
AOC ボジョレ・ヴィラージュは、38 村。花崗岩質の土壌で、丘陵地帯が多い。
ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーはボジョレ・ヌーヴォーの総生産量の三分の一を占
める。2014 年は約 80,000 hl が、ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーとして販売された。
一口メモ:
ボジョレ・ヌーヴォー・ロゼ、2006 年に発売以来日本での評判上々
ボジョレとボジョレ・ヴィラージュのヌーヴォーのロゼは、2006 年日本で初めて商品化さ
れた。2007 年にはフランスでもボジョレ・ヌーヴォー・ロゼを発売。生産量はまだ内々の
ものだが、このフルーティーできれいなワインはヴィンテージごとに生産量が増えている。
2007 年に 2,700hl、2009 年に 5,449hl、2014 年には 5,000hl となり、2 つの AOC のうち
ボジョレが 4,900hl、ボジョレ・ヴィラージュが 100hl となっている。合計でおよそ
700,000 本となる。
ご存知でしたか?
ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーを解禁日以降に楽しんだら、数本取っておくことを
おすすめします。年末年始のお祝いや、春先のバーベキューなどに最適!
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HISTOIRE / 歴史
『ワインが新たに開けられた。つぼも樽も、ワインで一杯になっている。ワインは慎み深
く、味わいに満ち溢れ、森の中のリスように素早く流れ、カビや酸っぱい味は全くしない。
滓から流れ落ち、辛口で、生き生きとしていて、漁師の涙のように澄んでいる。ワインを
舌から離すことができない。いかにワインの気泡が落ち着き、飛ぶように光り輝いている
か見るがよい。舌の上にワインを少しだけ置いてみると、味わいが心の奥底まで入りこん
でいくように感じるだろう』
(le Jeu de Saint-Nicolas, Jean Bodel d’Arras, 1200 年 ; パリの町中で、ヌーヴォーの到着を
告げるワインの行商人 Raoulet が伝えた言葉)
2000 年を経たヌーヴォー(新酒)の歴史
I – 「労働者の飲み物」から「商品としての」ワインへ、文明化を経験した新酒
新酒を飲むことは伝統である以上に習慣であり、その歴史をたどるにはワインの起源にま
でさかのぼる必要がある。
古代:ぶどうの収穫をした人々は、潰したぶどうから造る「serva potio (労働者の飲み
物)」と呼ばれた飲み物を飲んでいた。これは水で薄めた果汁の 2 回目のマセラシオンから
造るもので、冬至まで置かなければならなかった。
中世:新酒は収穫から 2 週間というごく短期間で市場に出されるようになったが、それに
は 2 つの利点があった。
- 当時、ぶどう畑の所有者であった領主、司教、修道院長は、自分たちのワインの値段
を有利につけることができた。彼らは、多方面から待ち望まれる新酒を最初に販売す
るという特権を持っていた。ワインの優先販売権(banvin)により、販売独占権も与
えられた。この特権を有する人だけがワインを販売することができ、彼らのワインが
なくなると特権は解除され、競合相手がワインを売り出すことができるのである。
- ワインを早く販売することで、ワインの保存の難しさについての問題を避けることが
できた。質の悪い樽で保存されたワインは空気と接触して酸化し、酢になってしまい
飲むことができなかった。
13 世紀から都市の富裕層もその酒蔵が所有するドメーヌのワインを保管するようになった。
このため、限られた供給量を居酒屋やレストランと取り合うこととなり、冬の終わり頃に
は極度の品薄状態となっていた。
19 世紀、フランスのぶどう畑が拡大するまでは、ワインの市場は品薄の状態で供給が需要
に追いつかなかった。歴史的に新酒の最初の販売者は王族や領主、教会であり、その取引
が大半を占めていた。ワインの鑑定人や審査団が取引を監視していたが、「売り手市場」
の取引といわれていた。
ワインが不足し暴動にまで発展したこともある。1788 年、リヨンでは絹織物の労働者が怒
りをあらわにした。パリでは、ワインを求める「渇きの暴動」の後にバスティーユの牢獄
の攻略が起こった。
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このため、人々は毎年ぶどうの収穫をいまかいまかと待ちわびた。ワインの生産国ではど
こでもそうであるが、フランスではなおさら、収穫が終わった後は労働の終わりとぶどう
の栽培の一年を締めくくる喜びの時となった。
収穫の終わりと最初のワインの試飲を祝う各種の祭りの中でも、11 月 11 日に行われるサ
ン・マルタンの祭りは第一次大戦の終結と停戦協定の日まで、もっとも大切な時であった。
ぶどう畑で働く人々にとって、その日は家賃の支払いの日であり、労働者、見習い、召使
などにとっては雇用契約の終了の日であり、ワイン生産者と収穫者の間の支払いの日でも
あった。この日には新酒を試飲することがならわしになっており、その試飲は「マルチ
ネ」と呼ばれ、新酒を瓶詰めすることを「マルティナージュ」と呼んでいた。夕食は大ご
ちそうで、サン・マルタンのガチョウが供された。
II –リヨンにおいて、新酒の伝統はさらに強固なものに
ボジョレ地方に近接するリヨンの人々もまた、毎年収穫日を待ちわびていた。前年のワイ
ンはその頃にはすでに酸味が強くなりすぎ、すぐにでも新しいものを仕入れなければなら
なかったからである。酒屋、居酒屋、食料品店などの主人たちが新酒を一番に試飲する
人々であった。20 世紀初頭、収穫が終わるとこのような人々が直接畑を訪れ、顧客のため
に最上のキュヴェ(ワイン)を洗いざらい持っていってしまった。ワインは彼らの馬車や
ソーヌ河を船でリヨンやその周辺に運ばれる間に、ピエス(216 リットルの樽)の中で醗
酵を終えた。
当時、ワインの販売には規則もなく、統制もされていなかった。ボジョレの畑の様相は今
日とはまったく異なっていた。第二次世界大戦直後まで、居酒屋が生産元まで行って買い
付けるという習慣が続き、新酒はおもにボジョレの畑の中心部の、ブラース、サン・エチ
エンヌ・レ・ズーリール、サン・エチエンヌ・ラ・ヴァレンヌ、ヴォー・ザン・ボジョレ、
ル・ペレオンなど、合わせて 2,000ha にも満たない面積で造られていた。ボジョレの最も
早なりの区域は、いわゆる AOC ボジョレに位置する地域の大発展前に《ヌーヴォー》の
歴史的揺り籠だったところで、もっと南である。
伝統の壁は厚く、長い間ボジョレ・ヌーヴォーのための特別な市場があるとは考えられて
いなかった。1950 年代に入りようやくボジョレ・ヌーヴォーの現象が生まれ、20 世紀後
半に広がり、現在ワインの世界では並ぶもののない商品となった。
III – ボジョレ・ヌーヴォー現象
ボジョレ・ヌーヴォーの現象は、次の 4 つの要素が組み合わさることで、1950 年代に生ま
れた。
-
1951 年 11 月 13 日に制定された法令
ガメイ種という、ほとんどボジョレだけで栽培されており、見事な新酒を生むぶどう
品種
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-
ぶどう栽培者とネゴシアンの情熱、そして彼らの、畑をより良いものにしていきたい
という意志
ボジョレというフランスの国民的な、フレンドリーなワインをを愛する多くの愛飲家
の参画
A – 現象の骨組みとなった法令
ボジョレ・ヌーヴォーの法規の歴史は 1951 年 3 月 11 日の、産地からの間隔を置いてのワ
イン出荷原則の廃止によって始まった。この日までワインの販売は綿密なカレンダーによ
って出荷の割合や出荷日などが事細かに決められていた。これは軍隊に供給するためであ
ったが 1951 年春、このカレンダーは廃止されるに至った。この後、ボジョレ・ヌーヴォ
ーにとって鍵となる日が続く。
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1951 年 9 月 8 日、官報に掲載された「1951 年のワイン販売」についての省令により、
1951 年の AOC ワインは、1951 年 12 月 15 日以降にしか販売できないこととなった。
1951 年 10 月、生産者はボジョレ生産者協会の名のもと、ボジョレのワインは新酒で
あり早く販売したいという申請をおこし、すぐに許可された。
1951 年 11 月 13 日、関税間接税総局により、「12 月 15 日の解禁を待たずに、今現在
から販売することのできる AOC ワイン」が特定された。対象となったのは、ボジョレ、
コート・デュ・ローヌ、ブルゴーニュ(白)、ブルゴーニュ・グラン・オルディネー
ル、ブルゴーニュ・アリゴテ、マコン(白)、ガイヤック、ガイヤック・プルミエー
ル・コート(白)、ミュスカデである。すぐに出荷出来たか否かは、INAO(国立原産
地統制名称研究所)の事前の許可を得ているかどうかに左右された。この 1951 年 11
月 13 日こそが、ボジョレ・ヌーヴォー現象の正式な誕生の日であった。当時の販売量
は、約 15,000hl(200 万本ほど)であった。
15 年間、ボジョレ・ヌーヴォーの解禁日は決まっていなかった。年により数日の差が
あった。1952 年 10 月 20 日、ボジョレへの期待から、11 月 3 日という解禁日が提唱
された。1953 年には 11 月 1 日となった。
1967 年 11 月 15 日の政令により解禁日を固定することとし、ボジョレ・ヌーヴォーに
ついては毎年 11 月 15 日午前 0 時と定められた。例外は 1977 年の一度だけで、この
年は天候の影響で収穫が大幅に遅れたため 11 月 25 日の 0 時に解禁された。この頃の
作付け面積は 20,000ha、ワイン生産量は 220,000hl であった。
1985 年に新しい改定があり、500,000hl に及んでいたこの年の出荷がスムーズにすす
むように、11 月の第三木曜日がボジョレ・ヌーヴォー(およびその他新酒)の解禁日
として制定された。この 11 月の第三木曜日という日付は今日でもなお有効である。
B – 魔法の品種
《ガメイ・ノワール・ア・ジュ・ブラン》
ガメイは現在その多くがボジョレで栽培されている。全世界で 30,000ha のガメイが栽培
されているが、そのうちボジョレで 50%以上を占める。ボジョレの畑内では、98%がガメ
イを栽培している。ガメイはプティ・ガメイ、ガメイ・ロン、またはブルギニヨン・ノワ
ールと呼ばれることもあるが、粘土石灰質とボジョレの花崗岩質の土壌に最適の品種であ
る。
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この品種には栽培上の特殊な性質がある。抵抗力が強く豊作となる品種だが、栽培は難し
い。その活力をコントロールし収量を抑えるためには、細心の注意を必要とする。
丸くコンパクトにまとまった果房のガメイは、ピノ・ノワールとグーエの交配により生ま
れた。ワインはとても多彩で、若いうちは果実味豊かで味わい深いワイン、そしてエレガ
ントな熟成向きのワインも生み出すことができる。
早熟の品種で、ワインは鮮やかな、澄んだ赤い色で、とてもアロマが豊かである。醸造方
法により、果実味が主体のアロマがすぐに現れるワインを生み出すことができるため、特
にヌーヴォーに向いた品種でもある。
しかしながら、ガメイは注意深い仕事を必要とする。ボジョレの生産者はそのことを良く
理解していて、ガメイの自然の勢いを抑え最高の表情をあらわれるよう、長い年月をかけ
て経験を重ねてきた。
C –ワインビストロ、ネゴシアン、ボジョレワイン委員会の役割
『ボジョレは、長年にわたり、首都を制覇してきた。ガメイから造られるこのワインは爽
やかで、飲みやすく、ヌーヴォーであれば、フレッシュなぶどうのような果実味が豊かで、
多くのレストランのテーブルや格好いいカフェのカウンターで、スペシャリテとして扱わ
れてきた 』 (P. Bréjoux, Les vins de Bourgogne, in Dictionnaire de la langue du vin,
Martine Coutier).
ワインビストロはボジョレ・ヌーヴォーのプロモーションにおいて重要な役割を果たして
いる。ワインビストロの中でも原動力となっているのは、1954 年以来アカデミー・ラブレ
が授与している「Coupe du Meilleur Pot(もっとも美味しい一杯の賞)」を受賞したパリ
のビストロである。このアカデミーはブルイイ山のふもとのシャトー・ティヴァンで、マ
ルセル・グランシェとクロード・ジョフレイのもとに集まった芸術家とジャーナリストの
陽気な仲間たちにより設立された。彼らやその他の熱心な人々の力により、ボジョレ・ヌ
ーヴォーは単にリヨンの産物としての枠を越え、生き生きとして美味しいワインとしてパ
リのビストロのテーブルに並ぶこととなった。
1959 年には、ボジョレワイン委員会(UIVB)が設立され、翌年からプロモーションを統
括。2004 年、名前を Inter Beaujolais へと変更。
1966 年、パリに 250 の酒販店舗を展開する Nicolas(ニコラ)が、初めてボジョレ・ヌー
ヴォーを紹介する特別なイベントを行った。
作柄がとても良かった 1976 年、メディアは「ボジョレ・ヌーヴォーがパリのあらゆるカ
フェバーやバーを制した」と評し、「パリ中が新しく生まれたワインを支持するために結
集した」とも報じた。
ボジョレ・ヌーヴォーとその販路に着目した地元のネゴシアンは、ボジョレ・ヌーヴォー
の発展のための素晴らしい媒介役でもある。1960 年代末、ボジョレ・ヌーヴォーの現象が
広まって行ったとき、ネゴシアンは国外の市場にも目を向ける。まずヨーロッパ各国を制
覇し次に北米へ、1982 年にオーストラリアへ、1985 年には日本とイタリアへ、さらに 90
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年代には東南アジア、その後、ベルリンの壁の崩壊後は中・東欧へと進出していった。そ
して現在は中国やブラジルへも進出している。
『ボジョレ・ヌーヴォー到着』、 このシンプルなフレーズはおそらく、ビストロの店主が、
黒板に書いて、カウンターの上に掛けていたのであろう。11 月の第三木曜は全世界の消費
者が待ちわびる日となったが、正確に言えば、『ボジョレ・ヌーヴォー到着』 は複数形と
するべきであろう。多くの生産者がいるように、ボジョレとボジョレ・ヴィラージュのヌ
ーヴォーも多彩だからである!
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ボジョレ・ヌーヴォー キャンペーン 2015
時の流れの中で・・・
ボジョレワイン委員会(Inter Beaujolais)は今年も、ボジョレ・ヌーヴォー、ボジョレ・
ヴィラージュ・ヌーヴォー(*1)の一層のイメージアップを狙い、フランスの創造性やノ
ウハウを全面に打ち出したにキャンペーンを展開する。2015 年のキャンペーン・テーマは
《時計の世界》。綿密さと正確さ、伝統と現代性が融合する時計の世界とボジョレ・ヌー
ヴォーには多くの共通点がある。時間をかけて、時流の中で、よい時を経過して・・・ ボジョ
レ・ヌーヴォーは、まさに時の流れの中に!
- 2015 年のキャッチフレーズ「Les
Beaujolais Nouveaux sont arrivés
(ボジョレ・ヌーヴォー到着ぱ)」
を各メディアへ配信。この一文でボ
ジョレ・ヌーヴォー、ボジョレ・ヴ
ィラージュ・ヌーヴォーの幅広い品
揃えを伺わせる(※)、とても簡潔な
がら効果の高い手法。(※フランス
語原文ではボジョレ・ヌーヴォーが
複数形で示されており、ただひと
つのヌーヴォーではないことを示唆
している)
- 今年に入ってから、フランスの主
要な流通業者への情報提供、関心を
高める活動を実施。更に、夏以降は
ぶどうの成熟から収穫までの状況を
定期的に配信。
- ボジョレ・ヌ―ヴォーの特設サイ
トを開設。
www.lesbeaujolaisnouveaux.com
動画やコラム、レシピなど、コンテ
ンツ多数ぱ今年の夏以降、継続して
情報を追加しています。そして、こ
のサイトの狙いとは?さまざまなメ
ディアでの情報提供、そしてボジョレ・ヌーヴォーについての新たな発見をもたらし、
「飲みたい!」欲求を刺激
- 2015 年、ボジョレ・ヌーヴォーは業界向けの媒体のみならず、Facebook、Pinterest など
の SNS も賑わわせてきた。ボジョレ・ヌーヴォーのフォロワーは増加の一途をたどって
おり、アドベント・カレンダーの形式をとった秒単位のカウントダウンが、解禁までの待
ちきれない気持ちを支えている。さらに情報や驚きを提供、プレゼントも!
- 解禁当日にはパリでイベントを開催。生産者団体がその歴史をひもとくべくパリを訪れ、
すばらしいと予想される新たなヴィンテージを紹介し、話題の渦をつくる
- フランス国内の2大ラジオ局で、規模を拡大してキャンペーンを展開。2週間にわたる
続く新しいボジョレ・ヌーヴォーのメッセージで、解禁を迎える喜びはより長く続くこと
11
となる。2週間という期間のラジオキャンペーンは今年が初めて。計300のスポット放
送で、ボジョレ、ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーの職人技のワイン造りが明らかに。
このように、複数のメディアを使った今年のキャンペーンによって、2015年のボジョ
レ・ヌーヴォーはより多くの人にとって欠かせないものとなるはず!さらに新しいヴィン
テージは偉大な品質と見込まれており、ボジョレ・ヌーヴォーの《大使》として、たくさん
の「発見」をもたらすものと期待されている。
日本では解禁日にはボジョレワイン委員会の会長が来日、解禁を祝います!
*1 2014 年、ボジョレは、210,000hl のヌーヴォー、2,790 万本分相当を、フランス国
内と輸出市場で販売。輸出第一位の市場は日本であり、アメリカ、ドイツがこれに続く
12
経済(エコノミー)
ボジョレの産地は、合計 3,000 の生産者 (すべての AOC 含む)、12 のコーペラティヴ
(生産者組合)、169 のネゴシアン(ボジョレ、マコネ、ブルゴーニュ、その他フランス
および国外)から成る。2014年市場に出荷したボジョレ・ヌーヴォーは 210,000hl(約
2,800 万本)。これはボジョレ全体の 1/3 にあたる。残りの 2/3 は新酒ではなくボジョレと
ボジョレ・ヴィラージュ、および 10 のクリュ(ブルイイ、シルーブル、シェナス、コー
ト・ド・ブルイイ、フルーリー、ジュリエナス、モルゴン、ムーラン・ナヴァン、レニエ、
サン・タムール)。
2013 年には 95,000hl が 112 ヶ国に輸出され、これはボジョレワイン全出荷量の 45%を占
める。ボジョレは輸出においてフランスワインを牽引するワイン生産地のひとつである
(全出荷量に対する輸出量の割合において)。
I - フランスにおけるボジョレ・ヌーヴォーの消費
2014 年、フランス国内では 115,000hl のボジョレ・ヌーヴォーが出荷された。大手チェー
ンで 50,000hl(およそ 700 万本)、レストランや酒販店といった伝統的な流通で 65,000hl
が扱われた。
フランスでボジョレ・ヌーヴォーの売上がもっとも高いパリでは、8,300hl(110 万本)が流
通した。
(Iri Secodip 調べ)
II - 海外市場
2014 年は 95,000hl(約 1,300 万本)が海外 112 国に輸出された。
輸出量上位 10 か国は下記の通り。
日本 :54,935 hl (730 万本)
アメリカ合衆国: 13,613 hl (180 万本)
イギリス:3,930 hl (52.4 万本)
ドイツ:3,241 hl (43 万本)
ベルギー:2,382 hl (31.8 万本)
中国:2,024 hl (27 万本)
カナダ:1,699 hl (22.7 万本)
オランダ:1,370 hl (18.3 万本)
イタリア: 1,198 hl (16 万本)
ラトビア:1 084 hl (14.5 万本)
欧州連合全体:18,431 hl (250 万本)
(出展:Ubifrance)
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リヨン=ボジョレ・ヌーヴォー トロフィー
一つの基準として
中東部ブルゴーニュのエノログ主催、ボジョレワイン委員会(Inter Beaujolais)およびロ
ーヌ、ローヌアルプ地方の協賛により、第 15 回リヨン=ボジョレ・ヌーヴォー トロフ
ィーが 11 月 15 日(日)、リヨンで開催される。
ボジョレ・ヌーヴォー到着の 4 日前に、100 人ほどの醸造家、ソムリエなどの専門家が世
界中から集まり、厳正な雰囲気の中ボジョレとボジョレ・ヴィラージュのヌーヴォーの赤
とロゼ 400 本ほどのサンプルをブラインドで試飲、分析、評価する。優秀ワインに、金・
銀・銅のメダルが与えられる。
すばらしいワインの造り手への称賛とともに、消費者がワインを選ぶ際のガイドとなるこ
とを目的としている。
トロフィーの結果は、11 月 16 日(月)以降
オフィシャルサイト www.trophee-beaujolais.com で発表されている。
このトロフィーは、アジア市場、特に日本市場での評価が高くなっている。
14
ヌーヴォーの後
AOC ボジョレ、AOC ボジョレ・ヴィラージュの生産者は、ボジョレ・ヌーヴォー造りの
みにとどまらない。11 月第三木曜の解禁日までのハードな仕事と、その年の初めての
AOC ワインの販売を祝う祭りが終わると、生産者たちは勇んで「その後のワイン」の熟成
にとりかかる。これらのワインは、ヌーヴォーよりも長い醗酵と春までの熟成により生ま
れ、一般にヌーヴォーよりもストラクチュアがしっかりとしている。
天気の良い日々が訪れ、ボジョレ・ヌーヴォーの解禁日である 11 月第三木曜が楽しい思
い出となったころ、生産者は「その後のワイン」を瓶詰めする。
平均して、AOC ボジョレと AOC ボジョレ・ヴィラージュでは、それぞれ熟成向けのボジ
ョレを約 130,000 hl 生産している。
熟成向けのボジョレを醸造するために、生産者は細心の注意を払ってぶどうを選ぶ。ボジ
ョレワインの醸造方法は一様ではない。生産者の数だけ、検討できる醸造方法がある。
ボジョレ・ヌーヴォーと比べてマセラシオンの期間は長く方法も異なる。ボジョレ、ボイジ
ョレ・ヴィラージュは 6~9 日(クリュ・デュ・ボジョレは 20 日以内)。色素と成分、タ
ンニンを最大限に引き出すことが目的である。このため生産者は、ピジュャージュ(櫂入
れ)、ルモンタージュ(液循環)、デレスタージュ(液抜静置)を行う。その後春まで熟
成させ、瓶詰めする。
熟成向けのボジョレワインは、ヌーヴォーよりもはっきりとしたストラクチャが特徴で、
それにより長熟に適したワインとなっている。
x
15
(参考資料)
ボジョレ地方基本情報
ぶどう畑の合計栽培面積
15,732 ha
ぶどう品種
ガメイ・ノワール・ア・ジュ・ブラン
(全生産量の 99 %)
2014 年の生産量
751,287 hl
AOC 数
12
ボジョレのクリュ : ブルイイ、シェナ、シ
ルーブル、コート・ド・ブルイイ、フルー
リー、ジュリエナ、モルゴン、ムーラン・
ナヴァン、レニエ、サン・タムール
ボジョレ・ヴィラージュと
ボジョレ
生産者数
2,900
平均面積
10 ha
認可された AOC の生産高
AOC クリュ・デュ・ボジョレ 52 hl/ha
AOC ボジョレ・ヴィラージュ 52 hl/ha
AOC ボジョレ
52 hl/ha
ボジョレ・ヌーヴォー出荷量
(2014 年)
210,000 hl / 2,800 万本
ボジョレ・ヌーヴォー輸出量
(2014 年)
95,000 hl / 1,260 万本
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