雲 峰 特別養護老人ホーム 眺峰園 平成25年1月 冬号 〒694-0013 島根県大田市川合町吉永1025番地1 ホームページ http://www.ssw.or.jp/korei_chouhou/ 或る日の昼下がりに・・・ 電話 0854-82-2830 FAX 0854-82-2986 E-mail [email protected] 眺峰園ユニットケアの実践 特別養護老人ホーム眺峰園 グループリーダー 平井瑞枝 立ち並ぶ店先の看板や、狭い歩道・・そこここにほのかな懐かしさを感じる町並みの景色が、車窓 の向こうで後ろへと流れている。 そこはかとない侘びしさが、胸の片隅に無いと言えば嘘になるが、なぜかそれ以上に心を包み込む 温かなものが、体いっぱいに広がっていっているのが分かる。 「久しぶりのおうちはどうでしたか?」 前を見つめながら、隣で運転しているいつもの介護員さんが、優しく問いかけてきた。この人が傍 にいてくれると、何となく安心する。 ・・・どうやら私は自宅に帰省し、また園に帰るところらしい。 「ご家族の方と一緒にお昼ご飯を食べられたり・・、あ、それから昔のアルバムを出して写真を見 ながらお話が弾んだそうですねえ。またいい時におうちにお送りしますよ。」 さっきあった事もあまり覚えていないけれど、そんなふうに言われると、ああ私も家族と繋がって いるんだとふと感じることができる。私の年齢もはっきり分からないし、時に訳の分からない事を言っ てくる人に混乱する事もあるけれど、私の戸惑いを笑顔で受け止めてくれる人が近くにいる。私は家 には住んではいないようだけれど、でもここにいてもなんとなく大丈夫のような気がする。 年を重ねるにつれ、認知症になったりすることは、 ごく自然なこととも言えます。認知症になられた戸惑 いや苦悩は、なられたご本人しか分かることはできま せん。しかし、ご本人を取り巻く私たちが、お気持ち や立場を理解しようとすることで、その苦悩を随分軽 減することが出来ると思います。 入居者の方それぞれ、在るがままを受け入れられる 場所としてご本人と職員、ご家族の方と一緒に歩んで 行きたいと願っています。 川合に生きる、川合と生きる(第1回) 眺峰園が大田市川合町に移転して、もうすぐ2年になります。 これまで、コスモスまつりや川合町文化祭、川合小学校学習発表会など、地域の行事に参加したり、夏まつりや敬老会な どの眺峰園の行事に地元吉永の方々、川合保育園の園児のみなさんにお越しいただいたりと、地域交流を行ってきました。 その地域交流の一環として、この広報誌「雲峰」において、川合町に暮らす方々を取り上げ、その方をとおして川合町を より深く知りたいという思いから、「川合に生きる、川合と生きる」を今号から新たに連載することになりました。 記念すべき第1回のゲストは、物部神社のご近所に暮らす「静間茂喜(しずましげよし)さん」です。 静間さんと眺峰園とのご縁は、静間さんのお父さんである静間茂斗さんが、眺峰園で書道の先生として指導しておられた 時から始まっています。 そのお父さんが眺峰園に入居され、そこから息子の茂喜さんとのおつきあ いも始まりました。 静間さんに、川合町やご家族への愛情について、たっぷり語っていただき ましたので、ご紹介します。 【川合の同級生】 「川合は昭和30年に大田市となりましたが、それまでは安濃郡川合村と いいました。私の同級生は、中学の時で84名程度、2クラスありました。 子どもの頃の私のあだ名は『せいかん』です。『静間』の音読みです。」 「これは川合の土地柄なんだろうと思いますが、中学の同窓会の出席率がとても高いんです。私たちが59歳の時、中学 の修学旅行にちなんで、関西方面に出かけ、『修学旅行同窓会』を行いましたが、50名程度の同級生が参加していたと思 います。郵便局員だった古銭収集家の同級生が幹事です。もちろん、担任だった先生も来られました。大阪から奈良へ行き、 春日ホテルに宿泊しましたが、猿沢の池の南側に修学旅行で宿泊した旅館があったと思い、みんなで探しました。結局見つ かりませんでしたが、よい思い出です。60歳の時には同窓会を東京で開催しましたし、62歳の時には、小学校の修学旅行 で行った小倉で開催しています。担任の先生は一昨年亡くなられましたが、川合の同級生の絆は、中学卒業から55年が経 過した今でも固いままです。」 「私は高校卒業後、川合に帰省するまで通算49年間、名古屋で暮らしていました。川合に帰省したきっかけですか?ひ とり暮らしとなった父の家の冷蔵庫を開けたんです。その冷蔵庫の中に傷んだ食材を見た瞬間、『これは帰らなければ!』 と確信したことが帰省のきっかけです。ところが、実際に帰省したものの、名古屋に馴染んでいた私には川合の『リズム』 がまったく合わず、とてもイライラしました。本当に精神的に辛く、また2年間名古屋に戻ったんですが、その後いよいよ 帰省したとき、私の心の支えになったのが同級生の存在でした。」 【物部神社】 「私が子どもの頃は、物部神社の境内や、神社の裏の八百山が 遊び場所でした。そこでターザンロープで遊んだり、それは楽し い思い出です。最近は、神社の祭りもだんだん質素になってまし たし、若い人の興味も薄れてきたように感じます。ですが、毎年 元日には、物部会で夜を徹して蕎麦を振る舞っており、今年は去 年よりも多くの方に来ていただきました。」 「春日造」の物部神社本殿 神馬 パーソロン号 「石見尊徳」と呼ばれた岩谷九十老の頌徳碑 【父との思い出】 「私は4人兄弟の長男で、2人の弟と妹が1人います。父は30歳前に終戦を海軍兵学校があった江田島で迎えました。そ の後、小学校教師としての道を歩み始めますが、久手小学校が初めての赴任地で、大屋小学校で教頭を務めた後、大田小学 校の校長になりました。プライベートでは、書家の岸田大江師に師事し(岸田大江師は手島右卿師に師事)、また、講道館 の名誉6段も取得するという経歴です。」 「ただ、私にとっての父は、とても怖い存在でした。高校入学時にも、本当は野球部に入りたかったのですが、『勉強の 妨げとなるから』という理由で弓道部に入部させられたり、私にとって父の言うことは絶対でした。」 「怖い存在だった父ですが、私には今でも忘れられない思い出があります。大学入試も終わった高校3年の初春、やるこ とがないので、父には内緒で土木工事のアルバイトをすることにしました。自分で職安で探してきた、側溝を直したりする アルバイトです。その時の現場は久利の辺りだったのですが、当時大屋小に勤務していた父が、通勤バスの中から土木工事 に汗を流す私を見つけてしまったのです。その時、私は父と目が合いました。瞬間怒られる!と思いましたが、でも、父は 怒っていませんでした。にこっと、穏やかな笑顔でした。その笑顔は、今でも忘れることができません。」 「お父さん」静間茂斗さんの書 川合小学校「成」 眺峰園「和顔」 【眺峰園との出会い、現在の私】 「父は長い間、自宅を兼ねたアトリエで書道教室を開いていましたが、年齢を重ね、教室を閉じました。すると、すぐに 身体機能が低下したんです。父は『お前に迷惑かけるな。施設に入るなら、眺峰園か恵寿苑がいい。』と言っていました。 施設への入所を待っていた時、一度他の施設から入所の誘いがありました。迷いましたが、『まだ自分が父を看れるから。』 と、そのときはお断りしました。とはいえ、私も見とおしの持てない中での介護を続けているうちに疲弊しつつあり、『ど うしたものか』と思っている時、ちょうど眺峰園から声がかかったんです。眺峰園で書道教室をしていたこともありますし、 眺峰園のユニットリビングから見える川合の山々の緑を見て、父も感激していました。眺峰園に入居できて、よかったと思っ ています。」 静間さんにはこの取材に2時間以上もお付き合いしていただきました。奥さまの邦子さんも一緒です。話を伺い、「川合 町と家族への愛」を、静間さんからほとばしるほどに感じました。静間茂喜さん、邦子さん、お忙しい中お付き合いいただ き、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。 なお、静間家の愛犬の名前は「ごん太」くんです。 「ごん太」くん 新年のご挨拶 今年は「巳」年ですが、どのような意味の年か調べてみました。「巳」(み、し)とは、干支(十二支)の6番目、「起 こる、始まる、定まる」などの意味があります。また、「漢書 律暦志」では、「止む」の意味の「巳」とし、草木の生長 が極限に達して次の生命が創られはじめる時期と解釈されています。「巳」は動物に当てはめると「蛇」になりますが、古 来より、「蛇」は信仰の対象となっており、祭祀や祀りごとの「祀」に「巳」が用いられているのは、「祀」とは自然神を 祀ることをいい、自然神の代表的な神格が「巳」(蛇)だったからとのことです。ちなみに、今年の恵方位は、南南東(正 確には南南東よりやや北寄り)とのことです。こうして、「巳」を読み解いてみると、今年は実のある、成果のある年にな りそうな予感、また、そうしていかなくてはならないという思いを抱いた年明けです。 入居者の方で「年男、年女」になられた方々を紹介します。 特別養護老人ホーム眺峰園 生活支援課長 黒田宏美 大正6年生まれ 静間 茂斗様 田中ハツエ様 堀 タカ様 昭和4年生まれ 朝倉 正様 岩谷八千代様 大谷マス子様 岩谷千代子様 おめでとうございます!!健康で充実した1年を過ごされますように、職員一同努力してまい ります。どうぞ、よろしくお願いします。 MyFavorite テーマ「心に残る1冊」 My Favoriteとは?・・・眺峰園職員がテーマに沿って「大好きなものを紹介する」という、なんのひねりもないコーナー です。 ■ なでしこユニット ユニットリーダー 渡部 奈緒 ◎村瀬孝生/おばあちゃんが、ぼけた。 私がおすすめするのは「おばあちゃんが、ぼけた。」です(^^)作者が働いていた特別養護老人ホー ムや宅老所でのできごとを書いた1冊!認知症の方は先のことなんて考えず、「今」このときこの場 を、その人なりに一生懸命生きてる・・・たとえ辻褄が合わないようなことでも。食事や入浴、排 泄介助ももちろん大切な介護だけど、その人の「今」に付き合うことも、私たち介護職員の大切な 仕事だと書いてありました。そして、笑顔は連鎖し、周りまで笑顔にするとも書いてありました。 たいへんなことも楽しいことも、介護現場で働いているからこそ共感できる1冊だと思います。作者 の対応や考え方に深く感心し、自分自身の気づきにつながったので、みなさんもぜひ、読んでみて ください(*^^)v字も大きいので読みやすいですよ~♪ ■ 看護師 細貝 涼子 ◎小沢真理/世界でいちばん優しい音楽 私が紹介する1冊は、「世界でいちばん優しい音楽」というマンガです。はっきり覚えていません が、10年くらい前に読んだような気がします。このマンガは、若くして最愛の人を事故で亡くした女 性が、いろいろな出来事がある中で、一人娘や出会った優しい人たちに支えられながら生きていくお 話です。切ない内容でもありますが、母子のやり取りを見ていると自然に笑顔になれるし、とても優 しい気持ちになれると思います。 最近、もう一度読み返してみました。私にも一人娘がいるので、子どものことを考えながら読みま した。ときには「もーっ!」って子どもに腹を立てることもありますが、子どもの存在が自分を元気に してくれているし、無条件で愛おしいし、守るべきいちばん大切な宝物だな!と改めて実感しました。 ■ 生活相談員 多根 啓吾 ◎村上龍/69(sixty nine) 受験生だった高校3年生のとき、同級生に勧められてこの本と出会いました。自分と同じ高校3年生の ケン達が校長先生の机の上で○○○したりする物語を、大爆笑しながら読んだのをよく覚えています。 受験勉強の合間に、なんどか読み返しました。そんなに楽しんだこの本ですが、高校卒業から20年弱経っ た今に至るまで、「もう一度読んでみよう!」という気持ちには、なぜかまったくなりません。おそら く37歳の今は、もはやこの本のタイミングではないのかなと思います。本との出会いもタイミング、そ して眺峰園でのみなさんとの出会いもタイミングやご縁かなという気持ちをこの本に与えられたという 意味で心に残っています。
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