政治と福祉とファッションと

政治と福祉とファッションと
──それは何の涙だったんでしょう
<良夏さんは、テレビで橋下徹大阪府
な、ごめんな、
(誕生日の)
「そこで何があったとかじゃ、ないん
知事(当時)の都構想の話を聞いた。東
22 日にくるから』と言って
ですよ。自分の中で、いろんなものがも
京暮らしの時の「東京やったら区役所でな
玄関を出ようとすると、い
やもやしていて、その日になんか、ばっ
んでもすむ」体験のある良夏さんは「ほん
つもだったら、さびしいく
と出ちゃったんだろうなって。その時、
まや、大阪府と大阪市と2個ある。二重
せに『仕事に行け』という
本来の自分に戻ったような感覚に陥りま
行政や」と納得。さらに、モデル業を再
のに、 玄 関 で 私をとうせ
した。自分のことをずっと嫌やったん
開して感じていた「大阪が東京に完全に
んぼしたんですよ。
『ごめん
やと思います。自分が東京の第一線で
負けてる。負けたくない。くやしい」との
な、お父さん、ごめんな』。
ファッションの仕事をしていたのをかっ
思いから「大阪を変えたい」との意志が強
玄関の扉を閉めた時、どっ
こいいと思っていて…。でも、そんな自
くなり、大阪維新の会から市議選に立候
かでこれが最後かなとふと
分が今は家の仕事(福祉)のために勉強
補することを決意。2011 年4月に住吉区
思ったんです。こういう話は
している。暮らしに、なじめないでいて
から出馬して 8488 票を獲得して初当選、
したことないんですけど…」
る自分が、
ずっと嫌やったんでしょうね。
2015 年4月に、前回を上回る 12779 票
──お父さんの状態は…
を獲得、得票数第3位で再選を果たした。
「 お父さんは 51 歳 でし
ごく楽しかったから、今までのふがいな
5月 17 日に行われた住民投票で、
「大阪
た。園の保育士さんが 22
さとか、
『よしよし』してくれた仲間の
都構想」は否決されたが、その理念を貫
日の朝に連絡してくれまし
あたたかさを感じて(きっと涙が…)
」
きたいとの想いは変わらない>
た…。でも翌日の 23 日に
(利用者さんと)うちとけた瞬間に、す
──どんな施設だったんですか
「ダウン症の人たちがいて、成人の知
撮 影が入っていて、マネー
ジャー(女性)が『よしか、
的障害者の支援施設でした。
(利用者さ
市議4年…確かな手ごたえ
泣きなや、撮影が終わった
んたちはみんな)すごい、きらきらして
──橋下さんとの最初の出会いは
ら泣いてもいい』といわれ
いて。いろんな工作をしたり、業者さん
「公認をもらう前の 2010 年夏、生野
て…私が喪主だったのでお
から頼まれたものをつくる作業をしてい
区の補欠選挙があって、その時のタウン
葬式も、23 日以降にしま
ました。笑顔がステキで。多分、その時
ミーティングの時でした。一番前の席に
した」
の私からは消えていた笑顔です」
すわって、帰
──撮影はどこだったん
──その日から、すっかり変わった ?
られる時に知
ですか
「はい。東京に行く気持ちもなくなっ
2015.7.30 渚の風 5号 7
り合いの議員
エーゲ海の風
「ふつう撮影スタジオは、
パリコレのあと、サントリーニ島へ。
スチール 撮 影 のモデルをつとめた
(2008 年、ギリシャ)
て、次の日から早起きして、1日も休ま
さんが『こん
大阪の中心部が多いんですが、23 日の撮
今春の選挙の時もそうでした。うまく言
ずに授業を受け、洋服も変わりました。
な子きてま
影は、住吉区の長居で初めてやったんで
えないんですけど、これからも、いつも、
あの派手な子が何日続くのかって賭けを
す』と紹介し
す。お父さんは長居の育ち。想い出がいっ
ぶれずにいたいと思っています」
していた同級生もいたんですが、見守っ
てくれて『お
ぱいつまった場所。スタジオの撮影現場
てくれて…」
話、すごいす
やメークしている時も、お父さんが『笑
──どんなブーツだったんですか
ばらしかった
顔でがんばれ』と励ましてくれているよう
です』と握手
で…。撮影が終わって初めて泣きました…」
ついやつですよ。色はベージュ、ニ―ハ
しました。
『パリまで行ったモデルさん
──長居ですか。不思議な縁ですね
イブーツ、長いブーツです」
ですよ』と紹介されて、橋下知事は『へ
「それから不思議なことがずっと続い
──社会福祉主事の資格をとってからは
え』と驚いていた。でもその時は、立候
て…。東京で受けたオーデションが、
次々
「藤ミレニアムで食介(食事介助)を
補の話はしていません。その後、公認を
決まっていきました。ギャラが振り込ま
やったり、
藤保育所にも…。基本的には、
受けてから、いっしょに写真撮影をしま
れたら、びっくりするぐらいの金額が
理事長をつとめていた伯母について仕事
した。その時は、『住吉区は激戦区、大
入っていて…。お父さんに、おいしいご
をしていました」
丈夫 ? がんばってよ』といわれました」
飯食べさせられたのにとか、苦しい思い
──今春の選挙では1万票以上を集めて
の中で、上京を決めました。今やったら、
パリコレへ…でも大阪は
女性票も多かったようですね
もっといろいろしてあげられたのに…」
──帰阪してからのモデルの仕事は
違うな、ということ。若いお母さんにす
「今でもはっきり覚えています。いか
「今回の選挙で感じたのは、4 年前と
「最初は、大阪ではもうやらない、と
ごいご支援いただいた。初めての時は『モ
まけてたまるか…覚悟の瞬間
思っていましたが…。きっかけはパリ
デル出身 ? 大丈夫かな、あの子』と、女
──お父さんと共有した時間が、暮らし
コレ。2008 年夏に、パリに行けるオー
性からの批判が多かった。でも、今回は
の要になっているんですね
ディションがあって、伯母が冗談半分
『女性に応援してもらえてるね』(スタッ
「はい。大人になってからは、住吉区
に『やってみたら』というので受けたら
フ)
。とくに、若いお母さんが「よしか
にはほとんど行くことがなかったんです
受かって、日本代表としてパリにいける
ちゃーん、良夏先生がんばって」と声援
よ。東京やパリに行っていて…。それが、
ことに。パリに行って1週間ぐらいギリ
を送ってくれた。4 年間の仕事をみてく
ここで選挙もやって…。理事長に就任さ
シャのサントリーニ島
(エーゲ海)
に行っ
れてる。そういったお母さんたちの目線
せていただいて…。完全に、お父さんに
て、また(モデル業に)火がついちゃっ
にたってやらないといけないな、と」
呼び戻されたなと」
て。
大阪に戻ってから、
昔の事務所に入っ
たんです」
──なるほど
「でも、
(関西では)あれあれというぐ
らいに、仕事が少ない。言葉悪いですけ
ど、
あまりにプロ意識がすたれていて…。
──お父さんはどんな人?
「父は、困っている人に手を差し伸べ
父の死…東京へ
る、優しい人でした。そんな父の教えを、
──モデル、福祉現場、政治…と多彩な
今も想います」
経歴ですが
「きっと全部つながっています。父の存
──決意を持って語る時、目力として
「キッ」と表情に出てきますね
マネージャーが『人材派遣の規制緩和で
在が、すごく大きくて。私が一番忙しいと
いっぱいモデル事務所ができている。プ
きに、父は亡くなったんです」
らあるんじゃなくて、すごいつらい時にあ
ロのモデルより、ギャラの安い読者モデ
──2003 年、23 歳の誕生日(7月 22
ります。まけたらあかん、それは、父の心が
ルが使われる。可愛ければいい、という
日)の時ですね。
弱かったから。いままでの人生のなかで、
時代なんだ。あんたらみたいなプロは、
「私は当時、中央区に住んでいた。父は、
「まけてたまるか、というのは、常日頃か
父の死は、すごくつらかった。こんなにつ
なかなか使ってもらえない』
。私が少し
自宅(外を見やりながら)、そこの園庭が
らいんやったら、なんでも私、出来るわ。
休んでいる間に、大阪はすっかり衰えて
自宅だったのですが…、その時は独り暮
東京に行って、なんでもやったる。2003 年
しまった。有能な人材も企業も、みんな
らしでした。私は大阪で忙しくなっていた
7月、そう奮い立って上京を決めたんです」
東京へ…そんな時です。大阪維新の会の
ころで、亡くなる3日前の7月 19 日に父を
──覚悟の瞬間ですね。
都構想に出会ったのは…」
訪ねたのが最後でした。その時、
『ごめん
「はい。そして、それは、2011 年と
追加インタビュー(6月28日夕)
美容と福祉
大阪・北浜の喫茶店。
「話したいこ
とが、いろいろあって…ファッションだ
けでなく、美容と福祉って、すごいつ
ながってますよね」。
実は、良 夏さんは、美容 整 体サロ
ンのプロデューサーもしている。夢は、
サロンの近くに託児所をつくること。
「子どもが出 来たら仕事(整 体 師)
をやめなければならなかったり、お客
様も子どもさんがいたら、なかなか美
容に時間がかけられない…。そんな課
題を解消できる『女性支援』のサロン
です」
一気に、話し始めた。
「女性は、いくつになってもきれいで
いたい。メイクで、心がハッピーにな
る。たとえば、メイクセラピーです。老
人ホームでも、保育園でも、おしゃれ
をしていくと、目を輝かせて声をかけ
てくれます。みんな、
おしゃれが大好き。
汚い、
給料が安い)イメー
3K(きつい、
ジをつくっているのは、私たち(支援す
る側)です」
「モデルは、面白くなくても笑 顔を
つくるのが仕事。そこから学びました。
面白いとか幸せやから笑顔になるので
はなくて、笑 顔になれば幸せになる。
笑顔をつくれば、それが脳に逆流して、
そう悪くない気持ちになる…」
おしゃれをする、笑顔をつくる…そ
れは、みんな心遣いから生まれる。
そういえば、最初の取材の時も、こ
の日も、帰り道に不安なこちらを、さ
りげなく駅まで送ってくれた。