検討委員会のワークショップについて 検討委員会が旧宇和病院跡地の有効活用を検討する前提条件として次の内容を 確認し、協議検討を行うこととした。 ① 平 成 26 年 度 ま ち づ く り 市 民 ア ン ケ ー ト htt p: // ww w. ci ty .s ei yo. eh im e. jp /d oc s/ 20 130 31 70 03 04 / ② 卯之町「はちのじ」まちづくり基本構想 htt p: // ww w. ci ty .s ei yo. eh im e. jp /d oc s/ 20 150 21 80 00 32 / 【第2回 旧宇和病院跡地利用検討委員会 ファシリテーター 日 羽鳥 ワークショップ】 剛史委員長 程 : 平 成 27 年 8 月 21 日 ( 金 ) 18: 30~ 20: 30 ①地図を見て、旧宇和病院の思い出話 旧宇和病院の周辺地図を見ながら、周辺の施設などを含め、それぞれの思 い出話を行った。性別、年齢、出身地などが異なっている者による話で地域 に眠っている新たな発見や知らなかった歴史を知ることができた。 ②西予市のワクワクするところ それぞれの視点で西予市のワクワクすることを語り、価値観の違いや共通 のワクワクを知ることができた。 ③西予市のダメダメなところ それぞれの視点で西予市のダメダメなことを語り、価値観の違いや共通の ダメダメを知ることができた。 ①地図を見て、旧宇和病院の思い出話(現在の状況を含む) 大分類 人 イベント 小分類 内容分析 西予市の支 西予市宇和町の精神的な支えとして旧宇和病院が存在 えとしての し て い た 。参 加 者 の 多 く の 方 が 親 類 の 入 院 や 病 気 な ど で 旧宇和病院 お 世 話 に な っ て お り 、高 齢 化 が 進 む 中 近 隣 の 住 人 に と っ の存在 ては宇和病院の移転を惜しんでいるようであった。 子どものイ 学習発表会や運動会など子どもたちのイベントに対す ベント る思い出が多く、文教地区としての思いが強い。 市民発信型 「 卯 の ほ た る 」や「 Z -1 グ ラ ン プ リ 」な ど 地 元 の 人 が 企 のイベント 画 ・ 運 営 者 と し て 盛 り 上 げ て い る イ ベ ン ト が あ り 、継 続 的なイベントとしてまちづくりに貢献している。 福祉施設 昭 和 25 年 に 町 村 組 合 立 宇 和 病 院 が 建 設 さ れ 、 そ の 後 、 福祉施設などの併設が進んだことから病院や老人ホー ムのイメージが強い。 学問の地域 旧 宇 和 町 小 学 校( 米 博 物 館 )と 宇 和 町 小 学 校 の 両 方 に 通 学 し た 委 員 も い た 。ま た 、中 学 校 に 加 え て 保 育 園 も 周 辺 施設 に は 設 置 さ れ て お り 子 ど も た ち が 安 全・安 心 に 暮 ら せ る 地域であることが分かる。 ま た 、愛 媛 県 立 東 宇 和 高 等 女 学 校 が 愛 媛 県 立 東 宇 和 高 等 学校となったという歴史を語る方もいた。 アクセスの J R 卯 之 町 駅 か ら 約 1. 5 ㎞ 程 度 離 れ て い る 上 に 、道 も 狭 良し悪し く 、ア ク セ ス が 悪 い と い う 意 見 が 多 か っ た 一 方 で 、道 が 狭いために散歩コースとして最適でるという意見もあ 交通 った。 細い路地 米博物館への通り道や松葉城への登山口などもの印象 も強く細い路地を抜けるコースイメージがあった。 商店街 当時は商店街がにぎわっており買い物によく来た思い 出 が あ っ た 。ま た 、商 店 街 を 抜 け る 細 い 道 は デ ー ト ス ポ ットとなっていたようだ。 暮らし 自然 生活感を感 昔 の よ う な 賑 わ い が 無 く な っ て も 、こ こ に し か な い 心 地 じる よい生活感を感じることのできる場所である。 郷の池で花 郷団地ができるまでは郷の池にボートがあった記憶が 見にボート あ る 。ま た 、卯 之 町 一 番 の お 花 見 ど こ ろ と い え ば 郷 の 池 と言われており当時は花見客で賑わっていた。 ②西予市のワクワクするところ(強み) 大分類 人 小分類 内容分析 当たり前の 面識のない人にも気軽に挨拶を行うなど人の温かさを ことを当た 感 じ る こ と が で き 、普 段 か ら 何 気 な い コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ り前にする ンをとることができる。 若手クリエ 重 伝 建 地 区 を 中 心 に 、多 く の ク リ エ ー タ ー が 在 住 し て お ーター り、個展やイベント等を行っている。 高校生の頑 小 さ な 地 域 で は あ る が 、全 国 高 等 学 校 駅 伝 競 走 大 会 へ の 張り 参加など指導者の充実と生徒の真面目さが光る地域で ある。 食 豊 富 な 野 米・麦・レ ン ゲ 栽 培 の ほ か ,シ イ タ ケ ,野 菜 を 産 し 特 に 菜・米 宇和盆地で収穫される米は甘みがあり人気がある。 名水百選 石灰岩が溶食してできた鍾乳洞から湧き出る観音水は 全国名水百選のひとつに選ばれており多くの観光客で にぎわっている。 シルク 野 村 の 生 糸 は 糸 が 膨 ら ん で い て 、光 沢 が あ り 、そ の ブ ラ ン ド 力 は 今 も 絶 大 。能 装 束 の 復 元 に も 使 わ れ て お り 、伊 産業 勢 神 宮 で 20 年 に 一 度 行 わ れ る 式 年 遷 宮 ( し き ね ん せ ん ぐう)の御用生糸となっている。 交通 アクセス J R 卯 之 町 駅 に は 特 急 が 停 車 、高 速 道 路 の イ ン タ ー チ ェ ンジもありアクセスが非常にいい。 相撲 野村町に代表される乙亥大相撲はプロとアマ交流戦を 行 う 日 本 唯 一 の 大 会 に 代 表 さ れ る よ う に 、生 活 の 中 に ス ポーツが根付いている。 文教のまち 日本初の女医となったシーボルトの娘「楠本イネ」や、 江 戸 時 代 末 期 の 蘭 学 者・医 学 者「 二 宮 敬 作 」を は じ め 多 文化・ス く の 偉 人 を 生 み 出 し た 地 域 で あ り 、「 文 教 の ま ち 」 と し ポーツ て古くから文化・歴史を大切にしている。 重伝建地区 西予市卯之町地区が国の重要伝統的建造物群保存地区 と し て 全 国 86 番 目 の 選 定 を 受 け た 。 卯 之 町 は 、 農 村 部 に お い て 商 品 生 産 、流 通 の 発 展 に 伴 っ て 発 展 し た「 在 郷 町 」と し て 、白 壁 、う だ つ 、持 ち 送 り な ど の 特 徴 あ る 町 並みが保存されている。 ICT ネット環境 市 全 体 に 光 ケ ー ブ ル が 張 り 巡 ら さ れ て お り 、ネ ッ ト 環 境 は最適 は最高である。 ジオパーク 日 本 最 古 級 の 黒 瀬 川 構 造 帯 な ど の 個 性 的 な 地 質 や 、四 国 カ ル ス ト 、宇 和 海 リ ア ス 海 岸 、河 岸 段 丘 と い っ た 特 徴 的 自然 な 地 形 、 海 抜 0 m か ら 1 ,4 00 m ま で の 海 ・ 里 ・ 山 に 多 種 多様な生態系が備わっておりジオパークの認定を受け た ③西予市のダメダメなところ(弱み) 大分類 人 食 小分類 内容分析 中高生の活 中 学 、高 校 に な る と 市 外 の 学 校 に 行 く た め 若 者 が 少 な く 躍 なっている。 少子化・高 高 齢 化 、少 子 化 に よ り 子 ど も の 数 が 減 っ て お り 、地 域 で 齢化 子どもの声がしなくなった。 交通マナー 自転車、自動車の交通マナーが悪い。 外食 外食する場所が少ない レンタカー 車社会になっているにもかかわらずレンタカー文化が 生まれない。 産業 雇用 商店街 観光客が訪れても閉まっている商店が多い。 就職 就職先が少なく、人口の流出が激しい。 無駄な施設 同 一 の 目 的 施 設 が 数 多 く 存 在 し て お り 、無 駄 を 感 じ る こ とが多い。 施設 子ども 子どもが安心して遊ぶことのできる場所が少ない。 図書館 満足の出来る図書館がないため足を運ぼうと思わない。 宿泊 宿 泊 施 設 は あ る が 、空 き 家 な ど を 活 用 し て 体 験 型 の 宿 泊 施設があればより魅力的になる。 自然 宿泊 観光客が気軽に宿泊できる施設が少ない 体育館 市内に良い体育館がない。 自然保護 ジオパークの認定を受けているにもかかわらず山林に 膨大なゴミが落ちている。 イベント 合 併 を し て 10 年 以 上 が 経 過 し て い る が 、 海 と 山 の 交 流 はもちろんいまだに各町がバラバライベントを行うな ど統一性がない。 交流 子ども 子 ど も 同 士 の 交 流 機 会 も 少 な く 、さ ま ざ ま な 体 験 や 物 事 を知る機会を失っている。 観光 イベント情 観 光 、イ ベ ン ト 情 報 の 整 理 が さ れ て い な い た め 、ど こ に 報の整理 行 け ば い い の か 分 か ら な い 上 に 、イ ン フ ォ メ ー シ ョ ン セ ンターもない。
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