たぬき道 第 71 号 January, 2015 目次 地域ニュース....................................................................................2-5 2014 年度総会報告..................................................................................... 6-8 2014 年度タヌキクラブ総会に参加して............................................................ 9-10 「名古屋のタヌキ」の面白さ 江戸時代の本草書に垣間見える、たぬき・むじな事件の源流 ちょっと豆(狸)知識 特別授業「たぬき、タヌキ、狸」 ためふん版・著者紹介・編集後記.................................................................24 佐伯 緑............................................... 11 浅原正和.. 12-19 佐伯 緑......................................19 佐伯 緑......................................20-23 総会特別ゲスト:獅子丸君 キなんて初めて見た!」と言いながら、記念写真 をとるなどして愛嬌を振りまく子ダヌキとの一時 を楽しんでいる。ギャラリーの手伝いをしている 鈴木忠さん(68)は、「庭やウッドデッキは居 心地がいいんでしょうか、窓を開けていると、店 内まで入ってきますよ」と笑顔で話す。 人慣れした野生動物への安易な餌付け行為など は動物にも人にも不幸な結果を招くともいわれて いるが、ここ屋島の“交流”に関しては別のよう で、野生動物と人間との付き合い方はそれぞれの ようだ。 産経ニュース(2014 年 11 月 21 日) 地域ニュース 《生息・生態情報》 東京・恵比寿にタヌキ出現 体長約 50 センチ 18 日午後9時半ごろ、東京都渋谷区恵比寿のバレ エスタジオにタヌキが侵入した。110 番を受けて 駆けつけた警視庁渋谷署の警察官に保護された。 スタジオがあるのはJR恵比寿駅の近くの繁華 街。タヌキは体長約 50 センチで、抵抗する様子も 見せずおとなしく捕獲用の網に収まった。野生の 可能性が高いという。 動物ジャーナリストの宮本拓海さんは「東京 23 区内には千匹ほどのタヌキが生息している」。タ ヌキの健康状態は良好で渋谷署は都内の森に帰す ことを検討している。 日本経済新聞(2013 年 3 月 19 日) 白いタヌキが人気 三重県大紀町 三重県大紀町の大内山動物園に体毛が白い雄のタ ヌキが入園して人気を集めている。体長は約40 センチ、体重は約4キロで、ポンちゃんと名付け られた。 ポンちゃんは、1年ほど前に同県松阪市で住人 に保護された。大きく成長したため飼うことが難 しくなり、11月中旬に同園が預かることになっ た。突然変異で体毛が白くなったこと以外は普通 のタヌキと変わりがないという。 飼育担当の藤塚早栄さんは「夜行性なので昼間 は起きている姿が見られないかもしれないが、温 かく成長を見守ってほしい」と話している。 時事通信(2014 年 12 月 2 日) 高松「屋島寺」周辺で野生の子ダヌキ が出没、人気者に 香川県高松市の四国八十八カ所霊場・第84番札 所「屋島寺」周辺で、野生の子ダヌキ数匹がほぼ 毎日、姿を見せ、地域住民や観光客らの“人気者” になっている。 「あ、出てきた」。午後4時ごろ、住民が見守 るなか、近くの雑木林から子ダヌキ2匹が姿を見 せた。土産品店「扇誉(せんよ)亭」にチョコチ ョコと向かってくる。店内にある「ギャラリーア コスタージュ」のウッドデッキがタヌキ出没スポ ットだ。 2匹は体長40センチほどで茶色と黒色の毛並 み。今年9月ごろから、屋島寺周辺で確認される ようになった。警戒心が強くないようで、最近で は同店庭の垣根をくぐって庭に現れ、ウッドデッ キで餌をねだるしぐさをみせている。 「四国狸(たぬき)の総大将『太三郎狸』が戻 ってきたんだと思い、『太郎』『三郎』と名付け ました」と同店の馬場弘美さん(71)。屋島で は、空海(弘法大師)が四国八十八カ所霊場を開 創した頃、霧深い山中で道に迷った際、老人に化 けたタヌキ「太三郎狸」が山上まで案内してくれ たという伝説が残る。 屋島寺には、「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏 神・蓑山大明神が祭られており、境内には大きな タヌキの像(高さ約3メートル)が2体設けられ ている。観光などで同店に立ち寄った家族連れや お遍路さんたちは「かわいい!」、「野生のタヌ 加須でヨシ焼き、タヌキも避難 埼玉県 加須市多門寺と北篠崎にまたがる浮野(うきや) の里で26日、ヨシ焼きが行われ、地元住民でつ くる浮野の里・葦(あし)の会(坪井敬会長)の 約80人が灯油バーナーで火を付けると同時に、 木道などに延焼しないよう長いひしゃくで池の水 をかけた。 絶滅危惧種ノウルシの群生場所などがあり、貴 重な植物の生育環境保全と、害虫駆除を目的に毎 年実施している。対象面積は約8ヘクタールだが、 今年は枯れ草の乾燥具合が不十分なのと、風が弱 かったため炎が燃え広がらず、2割ほどが燃え残 った。周囲には消防車も待機して、市の広報車が 煙や灰が飛ぶ恐れがあると注意を呼びかけた。 逃げ遅れた野生のタヌキが沼の上に張り出した 木の枝に避難し、死んだふりを決め込む姿も見ら れた。 【柴田眞樹】 朝日新聞(2014 年 1 月 27 日) 2 県などによると、野生タヌキの個体数の推移を 把握できるデータはないという。11年に洲本 市・三熊山の麓で皮膚病のタヌキを目撃した環境 省自然公園指導員の生嶋史朗さん(51)は「昔 から民話にも登場する身近な動物。絶滅しなけれ ばいいが…」と懸念。一方、野生動物保護管理事 務所関西分室(神戸市)の岸本真弓・上席研究員 は「一時的に減っても耐性がある個体が残るはず。 対策を講じるほどではないと思う」と話している。 神戸新聞(2013 年 12 月 3 日) 命からがら火の海脱出 春迎える行 事でタヌキ1匹ご難 山口県 炎に囲まれたタヌキが、間一髪で難を逃れる――。 こんな出来事が8日、山口市阿知須のきらら浜自 然観察公園であった。 春を迎える恒例行事のヨシ焼きの最中に、体長 50センチほどのタヌキ1匹が炎に囲まれている のが見つかった。ヨシ焼きの担当者が棒でつつい て逃がそうとしても、どんどん奥に入ってしまう。 だが、タヌキは自力で炎を脱出。水路を泳いで 渡って対岸の茂みに姿を消した。一部始終を撮影 した全日写連宇部新川支部長の永冨賢治さん(6 4)は「こんな所にタヌキがいるとは。助かって 何よりです」 。【大野博】 朝日新聞(2014 年 3 月 12 日) 皮膚病のタヌキ 旧田辺市で年々増加 伝染病流行の影響? 淡路島内のタヌキ激減 兵庫県の淡路島内でタヌキの姿を見かけることが なくなり、関係者らは激減している可能性がある と見ている。原因について、猟友会や農家らは、 2011年ごろに疥癬と呼ばれる伝染病が流行し、 被害は島内全域に及んでいると指摘している。 (大 月美佳) 疥癬はダニの寄生によって起こる伝染性の皮膚 病。激しいかゆみがあり、全身の毛が抜け、冬場 の寒さなどで死に至る場合もある。 「ぐんと減っている」と実感するのが、県猟友会 中淡支部の平山正澄支部長(76)=兵庫県洲本 市五色町広石上。11年冬、池の近くやイノシシ のわなのそばで毛がなくやせたタヌキの死体約1 0匹を目撃した。例年は何匹もわなにかかるが、 12年は1匹だけで今年は姿を見ない。島内全域 の山林をパトロールする淡路森林組合の濱本哲也 さん(56)も1年前に疥癬のタヌキを見て以来、 出くわしていないという。 タヌキはビニールハウスに穴を開けて果実を狙 い、イチゴ農家にとって天敵。実家がイチゴ農家 の男性(52)は今年2~3月に毛が真っ白なタ ヌキを2、3回見た。「やせこけてみすぼらしか った。最近は姿を全然見なくなった」 南あわじ市には例年、牛舎に入り込んだり、交 通事故にあったりしたため処分を求める通報が5 ~6件ある。しかし12、13年は通報がゼロに なった。 3 和歌山県の旧田辺市で、野生動物が発症すると致 死率が高い皮膚病「疥癬(かいせん)」に感染する タヌキが増えている。市からの依頼で疥癬タヌキ を調べているふるさと自然公園センター(同市稲 成町)の鈴木和男さんの調査で分かった。201 3年度は沿岸域にも広がり、13 地区で 67 匹を記 録した。今後、沈静化するには数年かかるとみら れている。 調査報告によると、市全体では、09 年7月に龍 神村で疥癬タヌキが初めて確認され、その後、中 辺路町や本宮町、大塔地域へと広がりを見せてい る。旧市で本格的な流行は 11 年秋ごろからで、記 録数も同年度に 28 匹、12 年度 57 匹、13 年度 67 匹と年々増えている。 旧市内の地区でみると、 11 年度は三栖と秋津川、 上秋津の山間部に集中していた。12 年度は三栖と 長野が多いものの、秋津町や新庄町、上屋敷など 広範囲に広がりを見せた。13 年度では秋津町や稲 成町で記録が多く、江川や上の山、芳養など沿岸 域でも確認されるようになり、旧市全体に広がっ た状態となった。 鈴木さんは「記録数の推移から、旧4町村では 感染のピークを過ぎ、旧市内ではピークを迎えて いる段階だと思う」と話している。 疥癬センコウヒゼンダニという微少なダニが皮 膚に潜行寄生して起こる病症。発症した動物は絶 えがたいかゆみのため、かいたりこすり付けたり して全身の毛が抜けてしまう。このダニは人の皮 膚では増殖しないため、人が感染しても悪化しに くいという。ペットのイヌが疥癬タヌキと接触し た場合には感染する可能性がある。 紀伊民報(2014 年 6 月 30 日) ンスを披露。訪れた見物客を楽しませた。 【吉田博 行】 朝日新聞(2014 年 4 月 7 日) ウミガメの卵、食害相次ぐ イノシシ・タヌキの標的に 日本各地でウミガメが産んだ卵がイノシシやタヌ キなどの動物に食べられる被害が相次いで報告さ れている。環境省は今年度から、被害実態の調査 に乗り出し、監視カメラを設置するなど対策を検 討する方針だ。 日本の砂浜で産卵が見られるのはアカウミガメ、 アオウミガメ、タイマイの3種。いずれも環境省 のレッドリストで「近い将来野生での絶滅の危険 性が高い」 (絶滅危惧1B類) 、 「絶滅の危険が増大 している」 (絶滅危惧2類)に分類されている。環 境省は地元のボランティアやNPO「日本ウミガ メ協議会」の協力を得て、2004年度から東京 都から沖縄県まで41の砂浜で産卵状況を調べて いる。調査によると、産卵場所となる砂浜の保全 や漁業による混獲の防止対策が進んだ影響で、産 卵回数は増加傾向にあり、アカウミガメは12年 度に最大の9661回の産卵が確認された。 一方、08年度以降、ウミガメの卵が食べられ る被害が増えてきた。沖縄県西表島の2カ所の砂 浜ではリュウキュウイノシシによる食害が深刻で、 多い時には全体の6割の産卵巣で被害が見られる という。沖縄本島北部ではクマネズミが子ガメや 卵を食べている例もある。宮崎県や鹿児島県、愛 知県でも動物による食害が報告されている。 環境省の生物多様性センターは、狩猟人口の減 少や耕作放棄地の増加でシカやイノシシなどの野 生動物が増えていることに加え、人の持ち込んだ 家畜やアライグマなどの外来種が野生化している ことが原因と見ている。 【香取啓介】 朝日新聞(2014 年 10 月 22 日) 《文化・民俗情報》 タヌキ、行列 洲本城跡でさくらまつり 兵庫県 洲本市の国史跡、洲本城跡で花見を楽しむ「洲本 城さくらまつり」が6日に開かれた。同市に伝わ る民話の化けタヌキ「柴右衛門」にちなんだ仮装 行列や踊りのほか、桜餅の振る舞いなどがあった。 桜の名所でもある洲本城跡の魅力をPRしよう と、淡路島観光協会などでつくる実行委員会が今 回初めて開いた。時折雨が降るあいにくの天気の 中、タヌキに扮した行列が石垣に囲まれた城跡を 行進し、桜が咲くステージで手品師がパフォーマ 4 タヌキみこし、元気よく 小松島で金長まつり 小松島市中田町の金長神社周辺で11日、小松島 春のまつり・金長まつり(同運営委員会主催)が あり、子どもみこしや稚児行列が繰り出すなど多 彩な催しでにぎわった。 地元の小学3~6年生児童19人が、タヌキの 人形などを乗せたみこし2体を担いで金長神社を 出発。元気よく約400メートルを練り歩いた。 きらびやかな衣装を身にまとった稚児15人の行 列も続いた。 子どもみこしに参加した南小松島小3年の酒井 悠希君(8)は「重かったけれど、みんなで担げ て楽しかった」と話した。 神社に隣接する公園では、徳島文理大学3年の 柴崎奈美さん(20)と福井あゆみさん(20) が、自作の紙芝居「阿波の狸合戦」を初披露。ス テージで読み上げると、親子連れらが興味深く見 入っていた。写生大会や餅投げなどもあった。 徳島新聞(2014 年 5 月 12 日) 和水にようこそ、交流の祭り 初の「立石タヌキ踊り」 熊本県 和水町で11日夜、小さな祭りが催された。町外 からの住民転入が増えた立石自治会が、子どもか らお年寄りまで参加できて、新旧住民の交流が深 まるようなイベントに、と新たに作った。道を歩 くとタヌキによく出くわすことから、 「立石タヌキ 踊り」と名付けた。 企画から運営まで中心に担ってきた区長の池田 裕さん(69)によると、立石地区は約100世 帯のうち、若い世代の約40世帯が最近増えたア パートに住んでいる。小学生は13人いるが、親 がほとんど転入者のため、高齢の旧住民たちとの 交流が少ない。 そこで高齢者が中心の大正琴愛好家グループや、 地域の芸能を伝える若者のグループなどに呼びか けて、タヌキの面などをかぶった子どもたちの踊 りを創作。8月の夏休みから10回以上の練習を 重ねた。11日午後7時半から立石公民館の庭で、 大正琴や笛、太鼓、バイオリンの生演奏に合わせ て子どもたちが踊りを披露した。 見に来た人には団子が振る舞われ、祭りの雰囲 気を盛り上げた。池田区長は「コミュニティーの 絆になることを実感した。一つの文化として根付 いていければいいと思う」と語った。【村上伸一】 朝日新聞(2014 年 10 月 15 日) 《その他の情報》 タヌキ専用トンネル:設置から 20 年 東京・町田 踊る子ダヌキ「ぽんぽこぽん」 木更津・證誠寺で狸まつり 千葉県 童謡「証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬ きはやし) 」に合わせて子どもたちが踊る狸まつり が18日、歌のモデルになった木更津市富士見2 丁目の證誠寺(しょうじょうじ)で開かれた。 1919(大正8)年に木更津を訪れた詩人の 野口雨情が、伝説を元に童謡として児童雑誌「金 の星」に発表。中山晋平が曲をつけたという。 タヌキや和尚さんに扮した保存会の女性陣によ る狸囃子の踊りの後、市立木更津第一小学校の子 供たちが子ダヌキに扮して童謡に合わせて踊った。 途中、音楽が止まってしまうハプニングがあった がご愛敬。子供たちはアンコールにも応え、拍手 喝采を浴びていた。 朝日新聞(2014 年 10 月 19 日) タヌキ、列車を占領!? 信楽駅で催し/滋賀県 東京都町田市成瀬の市道の真下に小さなトンネ ルがある。両脇の山林をつなぐ「タヌキ専用ト ンネル」だ。住民の要望で1994年に設置さ れた。市によると、「タヌキ専用のトンネルは 世界初」とか。 市道は市が管理する「かしの木山自然公園」 の脇にあり、山林を断ち切るように通る。90 年代初めまで、タヌキが車にひかれる事故が相 次いだ。タヌキ保護の機運が高まり、トンネル は完成した。 年月を経て「存在を忘れている住民も多い」 というトンネル。タヌキがどれだけ通るかは不 明で「税金の無駄遣い」と批判されたこともあ る。現在はほとんど人の手が入っていないトン ネルだが、自然と人間の共生を訴えかけている ようでもある。【黒川晋史】 毎日新聞(2014 年 12 月 22 日) 車衝突、大学院生死亡 北海道・比布の国道、 1人重体2人けが 【比布】24日午前5時ごろ、上川管内比布町基 線1号の国道で、石狩市花川南9の3、大学院生 石田龍馬さん(24)の乗用車と、小樽市オタモ イ2、運転手菊地晃一さん(42)のトレーラー が正面衝突。石田さんは頭を強く打ち、搬送先の 病院で死亡が確認された。乗用車の助手席に同乗 していた女子大生が意識不明の重体、後部座席に いた20代の男女2人は骨盤骨折などの重傷。菊 地さんは足に痛みを訴えているという。 旭川中央署によると、乗用車の4人は同じサー クルの仲間で、移動の途中だったとみられる。現 場は片側1車線の直線で、事故当時、路面は乾い ていた。 同署は乗用車が対向車線にはみ出し、トレーラ ーに衝突したとみており、乗用車の進行方向にタ ヌキの死骸があったことから、事故との関連につ いても調べている。 北海道新聞(2014 年 11 月 25 日) 29日に運転を再開する甲賀市の信楽高原鉄道、 信楽駅で16日、ホームが無料開放された。県内 外から約350人が訪れ、停車中の列車を前に記 念撮影などを楽しんだ 毎年11月に信楽町観光協会が開催している 「信楽たぬきの日」の催しの一環。ホームに停車 中の列車内には信楽焼のタヌキの置物約70体や 沿線の近くで色づいた葉が飾られた。 家族4人で訪れていた大阪府枚方市の小学3年 末延怜明(さとあき)君(9)は「タヌキが列車 の中にいっぱいいて驚いた。今度は動いている列 車に乗って、信楽がどんなところか見てみたい」 と話した。 朝日新聞(2014 年 11 月 17 日) 5 2014 年度総会報告 3 ヶ月も経ってからこれを書いているので、詳細は忘れている…佐伯 緑 (写真:瀬川也寸子) 2014 年 9 月 27 日 12:00 群馬県甘楽郡下仁田駅 集合。初日は 9 人プラス 1 頭が参加。 上信電鉄の終着駅である下仁田駅は、趣のある小さな駅だ。すぐ裏が鏑川で、古い民家やお 店がある。電車の到着を待っている間、周りの山々の形が面白いなと思って眺めていたのだ が、二日後、日本ジオパークに認定されている特殊なランドスケープだということを知る。 (この山たちが、他の土地から滑ってきただとーっ!)そこから一路、西上州やまびこ街道 を西へ、トンネルを三つくぐってわき道へ入ると、急勾配になる。私の(常時ツーシーター をトランスフォームして 4 人乗りにし、パートタイム 4WD で FR、 5MT のミッドシップもど き 660cc)ハイゼットカーゴは、重たい酒類を鈴木車に移して、なんとか無事に神津牧場へ 13:00 ころに到着した。駅からの標高差は約 800m。入り口の駐車場で弁当を広げる。その 後、私の同僚でもある竹内さんと合流し、牧場内を案内してもらいながら、散策することと なった。1887 年創立の神津牧場は、牛はジャージーのみの珍しい牧場だ。仔牛は、齢別に 分けられ、小さい子たちは個別に飼育されている。観光客も自由に触れられ、乳搾りやバタ ー作りにも参加できる。飼育動物は、ウシのほかブタ、ポニー、ヤギ、ウサギなどがいる。 とりあえず高いところへと、展望台ルートを歩く。鈴木さん一家は日帰りで、獅子丸くんと 皆、名残惜しそうにしていた。私は彼の残り香にうっとり。夕方、ビール持込で鉄板焼きを 頬張った。牛乳風呂のあと、竹内さんのガイドでナイトツアーに出かけた。仔牛の飼育場所 では、さっそくタヌキの姿が見られた。竹内さんのフィールドでもある周辺の牧草地の行く 先々で、ライトを照らすとシカの目が多数光る。そこここに数十はいる。牧場周辺で、いっ たいどれほどのシカが生息しているのだろうか。宿に戻り、そのまま宴会となる。 <親指を乳首と思ったか、吸い付く仔牛> <ジャージーをジュージューだと?> 6 <牛の行進、ヤギも混じる> <ホイエ豚?すごい勢いで飲んで、最後には自分も パンに入るブタさんたち> 28 日 朝は各々散策にでる。売店や小川のまわりに獣道が、宿舎のすぐ裏にイノシシの新 しい糞があった。朝食は、クリームシチューとパン、ジャージー牛乳だ。望月さんが、神津 バターを買って皆に振舞ってくださった。美味い。午前中は牧場内を、タヌキの痕跡探し。 足跡や獣道はすぐ見つかった。廃屋となった牛舎には、古いため糞が多く見つかり、ミイラ 化したタヌキの屍骸も横たわっていた。昼に諸藤親子と合流するため、下仁田まで戻る。昼 食後、成田さん、望月さん、中根さん、四ツ井さん、竹内さんが帰途につく。夕食は、また 鉄板焼きにしてもらって、暗くなってから牧場内を歩いた。もちろん、その夜も宴会だ。 <↑ためふん場&足跡→> 7 29 日 早朝、牧場内を散策した後の荒船山が雲の中に映えるころ、佐伯は一人で荒船風穴 へ向かう。もうススキが見頃を迎えている。駐車場まではすぐだったが、そこから急な坂道 をぐるぐる下った先に、風穴はある。風穴の冷風は、外気温が低いので感じられなかった。 またぐるぐる登って宿舎に戻った。朝食後、今度は駐車場まで車で風穴に行くことになった。 坂道では、雪乃ちゃんと志乃ちゃんは、大人たちを置いて、駆けていった。この風穴があっ たから、蚕種が貯蔵でき、年に何回も養蚕ができたということで、風穴がなければ、世界文 化遺産もなかったことになる。お昼は下仁田のお蕎麦屋さんでとり、廃校跡の下仁田町自然 史館にて、下仁田ジオパークについて学ぶ。下仁田町の中心地を中央構造線が通っているそ うだ。化石も、石も色々置いてあり、時間があっという間に過ぎていった。すぐ前の川沿い に有名な跡倉クリッペのすべり面が見られるというので、全員川を渡ったが、志乃ちゃんと 雪乃ちゃん、後に諸藤母も、楽しそうに長靴を水没させていた。15:00 ころ、下仁田駅で解 散となった。総会(?)は、確か午前中にしたよ うな気がする…。 <クリッペのすべり面にて↓&風穴→> 8 2014 年度タヌキクラブ総会に参加して 今回、総会に参加された総勢 12 人+1 匹(♀8♂5)の何名かの方にいただい た一言感想文です。 ◎今回初めてタヌキクラブ総会に参加したのですが、タヌキの研究をされてい た方やタヌキが大好きな方、そして本物のタヌキにまでお会いすることができ てとても充実した3日間でした。 タヌキについての知識はまだまだ未熟なので色々な話を聞くことができ、一緒 にフィールドで痕跡を探すことができたので、これからの研究に生かしていけ ればと思います。ありがとうございました。 市川颯太 (タヌキクラブで勝手にボーイと命名されました。 (^0^) 。 ) ◎コスモスの咲く高原でタヌキ親父とタヌキ娘と獅子丸の会合はゆるくあたた かでだまされたようでした。 あとから思うとこれは夢ではなかったかと。 田抜き者コスモス咲く野で空騒ぎ 田有りの我もゆるく集わん 成田眞治 解説;みんなの名前にはさすがタヌキクラブ、田がありません。田は私だけ。 ◎有難うございました。今回は楽しいタヌキクラブでした。瀬川さん佐伯さん 身体に気をつけて下さい。次回も… 望月真一 ◎星がキレイでびっくりした☆ タヌキがみれなくて残念だった。 雪乃 ◎子牛が可愛かった(*´∀`) 志乃 <ウシさん HAPPY DAY PHOTO By MOROFUJI> ◎タヌキの侵入防止対策はとても参考になった。最後に寄ったジオパークが楽 しかった。瀬川さんのお昼のメニューに笑わしてもらった(  ̄▽ ̄) (ランチメニュー解説;ジオ定食(スープ付 600 円)ワンプレートにチキンカツ、カレー、ポテトサラダ とライス。ライスには地層を表すバルサミコソ-スとパセリ?の粉末が縞模様となっていました。味は今一 つではありましたが面白い発想!segawa 記) 初日から参加できなかったのは残念ですが、たっぷり遊べました。 9 母 S.M ◎9月27日の夜、牧草地に現れるシカの群れはすごかった。ライトを当てる と稜線に隠れるまで多数の目が光る。立派な角を持つ雄もいた。輝く目の群れ の上には満天の星。タヌキは通い慣れた様子で、仔牛の餌桶に頭をつっこんで いた。昼も動物尽くしで、人なつっこいヤギ達の囲いの中になぜかシカが1頭、 当然のように暮らしていた。参加者も多様性に富み(異種混合は始めて。獅子 丸くん、お疲れ様)、有意義な総会となった。 佐伯緑 ◎今回の総会は、初参加の方が半数も占めていて、その中でも注目を集めたの が、ほんまもんのタヌキのししまる♂くんでした。それにしても皆さんすぐに 馴染んでしまい、とても楽しく有意義な総会の日々でした。オプショナルツア ー最終日にはノスリ 2 羽とハイタカ 2 羽が私たちの上空を同時に舞い、また、 下仁田自然史博物館では地層のお勉強(クリッペ(根無し山/山が横にスライドして別の 地層の上に移動してきた状態のもの)とかジオ(地質・地形)パークのことなど)をし、展 示されていたもの(めずらしい断層)が目の前の川にあり、そこにも行けて、 大感激!地球の営みって野生の生き物も含め、やっぱり凄いなーと思いました。 また来年もタヌキクラブの皆さんにお目にかかれることを楽しみにしていまー す。今回ゲストで、牧場案内をしてくださった竹内さん、お世話になりました。 また参加された皆さまにも感謝いたします。ありがとうございました。 TANU HIME SEGAWA <コスモス&木洩れ日 PHOTObyNARITA> 10 「名古屋のタヌキ」の面白さ い、河川・インフラ・人口密度・農地・森林など 佐伯 緑 の属性を組み込んで分析すれば、人間側の解釈は 結果として得られるだろう。しかし、相手は野生 名和氏に『 「名古屋のタヌキ」なう』を投稿して タヌキである。早計は禁物だ。しかも、生データ 頂いてから、 「たぬき道」が長い春夏秋冬ごもりに は一期一会。現地の再調査が必須である。 入ってしまった。ここに紙面を借りてお詫びを申 し上げます。 さて、70 号(and 幻の 70・71 合併号…紙媒体 名古屋城 のみ存在)に掲載された『 「名古屋のタヌキ」なう』 について、読み解くのは役者不足だが、面白さを 味わった者として、一言書いておきたい。 まず、このような広域にわたる調査は、特に都 市圏では珍しい。そして 11 科 16 種もの哺乳類が 確認されているのも凄いことだ。220 万人を超え る大都市(市としては全国3位)で、しかも東京 や大阪と同じく大規模な戦火を経験し、その後の 開発という名の環境大改変を経ている地である。 第1のポイントである「はじめの 3 日間が勝負 か?」について、カメラトラップ・ハッピーのタ ヌキは問題ないと思う。同じ個体が連日または同 日に連写されたり、兄弟や夫婦で仲良く写ったり、 図 1.出現が確認されたメッシュ 日本の野生動物の中でもなかなかのフォトジェニ もう一つ面白いと思った地点は海沿いのメッシ ックぶりなのである。ただし、日数について、地 ュである(図 1 の円) 。Google Earth で「訪れて 域・時期・密度差はあると思われる。 みる」と、この二つのメッシュは庄内川河口の反 次に面白いと思ったのが、三次メッシュが隣り 対側で接していない。☆の方は藤前干潟があり緑 合って撮影の有無がある場所だ。北区と守山区に 地にも繋がっているが、撮影された対岸のメッシ 多く見られる(図 1 の楕円:原本図 2 から無断転 ュでは、倉庫群や焼却場などが、ほんの少しの緑 載・可変) 。 地と共に道路に囲まれている。海の恵みを得てい タヌキの生息スケールについては、いまだ研究 るのか、ここのタヌキに聞きたいものだ。 されているとは言い難いが、三次メッシュという このような広域調査を踏まえて、焦点を絞った 1km のスケールは(カメラ等の配置・密度にも因 現地再調査(踏査等)の必要性が見えてくる。も るのは自明として) 、2 週間で定住個体を確認する し、もっと多くのメッシュで同じようなデータ(2 目的には適当であろうと思う。 週間での撮影の有無)が得られたら、さらに興味 では、なぜ 3 日程度でカメラトラップされるメ 深い地点が炙り出されるだろう。 ッシュと、2 週間も写らないメッシュが隣り合っ こんな大都会にタヌキが生きている。 ているのだろうか。土地利用図と重ね合わせると、 How? そして Why? 写らないメッシュを東名と第二環状が分断してい 彼らは幸せだろうか? た。このようにリモートセンシングや GIS など使 私としては、この辺が知りたい…。 11 『江戸時代の本草書に垣間見える、たぬき・むじな事件の源流』 浅原正和(京都大学霊長類研究所) 時は大正 13 年(1924 年)、「たぬき・むじな事件」と呼ばれる事件が起こり ました。「事実の錯誤」に関する判例として大学の教養科目などでよく扱われ るため、比較的有名な事件でもあります。どのようなものだったかというと、 栃木県の猟師が季節により禁猟とされていたタヌキを狩猟してしまったことに より起訴されるのですが、猟師自身は「タヌキ」ではなく「ムジナ」を狩った と思っていたことにより、一審では有罪となるも、最終審で無罪となった事件 です。つまり、猟師は「タヌキ」と「ムジナ」は異なるもので、自分が狩った タヌキは「ムジナ」と呼ばれる動物だと考えていたわけです。このように、「タ ヌキ」という言葉が示す動物は必ずしも現代の私たちがタヌキと呼ぶ動物とは 限らず、時代や人によって違いがあり、一定ではなかったということがわかり ます。なかでも、タヌキとアナグマは混同されることが多かったようで、この 猟師も「タヌキ」がアナグマを指す語と考えていたようです(夏井,2012)。 このような、たぬき・むじな事件でみられた錯誤の源流はいつごろからあった のでしょうか? 現代において動物の分類は西洋の博物学の伝統を受け継ぐ分類学が担ってい ます。一方で、江戸期以前の日本では本草学と呼ばれる学問があり、それによ って動物の分類体系が構築されていました。本稿では、これら江戸期の本草書 において、「タヌキ」や「ムジナ」は現代で言うどの動物を指す呼び名として 使われていたかをふりかえってみようと思います。 まず、江戸時代の本草学の歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。江戸 時代はヨーロッパで同時期に起きたのと同じように博物趣味が流行した時代で、 多くの本草書や博物図譜が作成された時代でした。そのきっかけとなったのは、 一つの書物の刊行とされています。それは中国で 1596 年に発刊された李時珍著 『本草綱目』で、中国における本草学の集大成であり、そして博物学的な色彩 を多分に帯びた書物でした(西村,1999)。この書物は 1604 年くらいまでには 日本にも輸入され、読まれていたようです(西村,1999)。その後、日本でも 独自の本草書や博物書が出版されるようになります。なかでも代表的なものが 1709 年に刊行された貝原益軒『大和本草』や、1713 年刊行の寺島良安『和漢三 才図会』、1803 から 1806 年にかけて刊行された小野蘭山『本草綱目啓蒙』です。 これらは『本草綱目』を参考に書かれており、『本草綱目』に載っている事物 が日本における何に当たるのか、それを比定することに多くの力が割かれてい 12 ます。またそれに加えて独自の研究を行ってもいるようで、『本草綱目』には みられない詳細な記述もみられます。これらの書物は国立国会図書館が画像化 しており、オンラインでみることができます。さっそく、「タヌキ」と「ムジ ナ」が何を指す名前として扱われているかみてみましょう。 ※以下、動物の呼び名については「」つきで、現在の動物分類における動物種 を指すときは「」なしで記述します。また、以下の書物において動物分類は『本 草綱目』にならい、漢字の名前で項目分けされています。今回はそれをどのよ うな日本語の名前(カタカナで記入)に当てているか、そしてその動物をどの ように説明しているか(=現在でいう何の動物に対応しているのか)というこ とに着目してみていきます。 『大和本草』では 貝原益軒『大和本草』は日本ではじめて独自の研究を行った本格的な本草書 と言われています。『大和本草』には「タヌキ」と「ムジナ」の名を持つ動物 が特徴とともに書かれています。 「貉」(「ムジナ」):貒に似る・貉貒貛は同類、うち2つ(貉貒)が本邦 に生息 「貒」(「マミ」/「ミタヌキ」):狸の類・四足の指が5つに分かれてい る・体が肥え、肉は脂が多く美味 ここで「貒」(「マミ」/「ミタヌキ」)と呼ばれる生き物ですが、5本指で あること、美味とされていることからアナグマを指しているのではないかと考 えられます(タヌキは4本指に見えるのに対し、アナグマは5本指:米田ほか, 1996)。『本草綱目』の「貒」の項目には美味であることは記述されています が、指の数に関する記述はありません。そのため、指の記述に関してはおそら く独自の研究に基づいているものと思われます。しかし、「貉」(「ムジナ」) に関しては詳細な情報はありません。また、「貍」とよばれる生き物の記述も あります。 「貍」:数種いる 「猫貍」:臭くて食べられない・円頭・尾が大きい 「虎貍」:臭くなく食べられる・尖頭・日本に多い 「九節貍」「香貍」:本邦にあり(そのほか説明無し) 13 「玉面貍」:尾が牛に似て面が白い?本邦の貍とは別か これはもともとジャコウネコの仲間を貍と称していたと思われる『本草綱目』 の記述を踏襲しているものと思われます。なお、「玉面貍」は「牛尾貍」=ハ クビシンなどではないかと思われます。また、もしかすると「虎貍」はアナグ マの情報が混じっているかもしれません。ひとまず、確定できないことは多い ですが、『大和本草』の記述から、アナグマを「マミ」、あるいは「ミタヌキ」 と呼んでいたとの推測ができます。 『和漢三才図会』では 寺島良安『和漢三才図会』はどちらかといえば百科事典的な性格が強く、『本 草綱目』など先行する文献からの引用が多いと言われています。ここにも「貍」、 「貉」、「貒」の3種が載っており、以下のように記述されています。 「貍」(「タヌキ」):数種あり・斑がある・果実を食う、等 「貉」(「ムジナ」):眠りを好み、人が近づいても目を覚まさず、竹でた たいて目を覚ましてもまたすぐに眠る。あるいは眠りを好むのではなく、 それは耳が聞こえないためで、人を見れば逃げる。(いわゆる“タヌキ寝 入り”をする?) 「貒」(「ミ」):美味である これらの記述に関しては『本草綱目』の記述が維持されているだけと考えられ るものが多いです。「貍」(「タヌキ」)に関しては斑がある、果実を食う、 木に登るのが速いなどの記述があり、『本草綱目』におけるジャコウネコにつ いての記述が維持されていると考えられます(「猫貍」、「虎貍」、「九節貍」、 「玉面貍」等記述あり、補足に背中の文様が八字のものを「八文字貍」と称す るとある。また、「霊猫(ジャコウネコ)」が貍の類であるとしている)。ま た、「貉」(「ムジナ」)に関しては寝たふり、いわゆる“タヌキ寝入り”を するとの記述があり、タヌキの特徴として言い伝えられていることに近いよう に思われます。「貒」(「ミ」)に関しても、美味であるという記述があり、 アナグマの特徴に近いと考えられます。これら「貉」や「貒」の特徴に関して は『本草綱目』にもそのまま記述されている内容であり、『大和本草』におけ る「貒」のように独自に特徴を記述した部分がありません。そのため、比定す る際にどの程度、独自の研究が行われているかはわかりません。しかし、記述 された特徴を意識して比定しているのは確かだと考えられますので、おおむね 14 「ムジナ」がタヌキを指す語として使われており、「ミ」がアナグマを指す語 として使われていたと考えて良いと思われます。 『本草綱目啓蒙』では 一方、その百年後に書かれた小野蘭山『本草綱目啓蒙』ではどうでしょうか。 『本草綱目啓蒙』は小野蘭山の講義を弟子が記述したもので、彼のそれ以前の 50 年余りの間に集められた研究成果がまとめられているようです(西村,1999)。 そこでは「タヌキ」と「ムジナ」がはっきり区別されています。色など見間違 えの可能性が高いものや解釈の難しい特徴を除き、わかりやすい特徴を列挙す ると以下のようになります。 「貉」(「ムジナ」):昼は目が見えず、耳も聞こえないため人が近づいて も動じず、寝ているように見えるが、実は寝ておらず、もしこれを打て ば驚いて走り去る(いわゆる“タヌキ寝入り”をする?) 「貒」(「ミ」/「マミ」/「ミダヌキ」):狸の類・四足の指が5つに分 かれている・体が肥え、肉は脂が多くて美味 ここでも「貉」(「ムジナ」)は寝たふりをするとの記述があり、『本草綱目』 や『大和本草』にある記述に近いですが、内容が少し異なっており、より“タ ヌキ寝入り”に近い状況を説明しているように思われます。そして、 「貒」 (「ミ」 /「マミ」/「ミダヌキ」)は『大和本草』と同様、アナグマを指し示してい るようです。しかし、「貒」に関しては「首が痩せて長い」など、アナグマと は異なる別の動物の情報が混じっているような記述もあり、また「鼻のあたり が黒く、目のあたりが白い」という、日本産のどの小型食肉類にも該当しない 記述もあります。このように複数の動物に関しての情報が混ざっている可能性 もあるのですが、指の数など、定量的な特徴を考えると、おおむねアナグマを 指していると考えて良いと思われます。一方で、「貛」(「アナホリ」)とい う(足が速いなどの特徴をもつ)特定しがたい動物がありますが、これがのち の「アナグマ」の名につながっていくようです。 一方で、「貍」という動物の記述もあり、これも「タヌキ」と呼ばれていま す。 「貍」(「タヌキ」): 「猫貍」:肉に臭気があって食べられない・マミダヌキと呼ぶが貒をマミ と訓ずるのとは別 「虎貍」:肉に臭気が無く薬食に良い 15 「サルデタヌキ」:猿に似た手に蹼(みずかき)がある・木に登る 「八文字」:全身黒色で額に八の字の白斑がある・鍛冶屋のふいごに皮を 用いるとき特に勝れるとされる、等 このように「貒」と「貍」が「タヌキ」と呼ばれており、「タヌキ」は比較 的広い意味を持った言葉として使われていたようです。 これら動物の名前の関係は複雑で理解するのが難しいのですが、ひとまず「タ ヌキ」・「ムジナ」の名称とタヌキ・アナグマの関係についてまとめると、1709 年刊行の『大和本草』ではアナグマを「マミ」、あるいは「ミタヌキ」と、「タ ヌキ」の語の派生形として呼んでいたようです(図 1)。一方、1713 年刊行の 『和漢三才図会』ではタヌキを「ムジナ」、アナグマを「ミ」と呼び、またジ ャコウネコ科の仲間に関する記述に「タヌキ」の語を当てていたようです(図 1)。 さらに時代が下り、1806 年刊行の『本草綱目啓蒙』では、タヌキは「ムジナ」 と呼ばれ、アナグマは「マミ」や「ミダヌキ」と呼ばれていたようです(図 1)。 つまり、1924 年に栃木県の猟師が認識していた動物の名前は、1806 年の『本草 綱目啓蒙』での呼び方に近いものだったのではないかと考えられるわけです。 江戸時代後期の図譜や『Fauna Japonica』について ここでもう少し時代を下って、江戸時代後期の図譜を見てみますと、1811 年 に「白狸」、1855 年に「狸」と書かれた動物画が描かれていますが、それらは 明らかにタヌキの姿をしており、「狸」(=『本草綱目啓蒙』によれば「タヌ キ」)という呼び名がタヌキを指し示すものとして使われていることがわかり ます(それぞれ東京国立博物館・博物図譜データベース・画像番号 H0005498 『緑? 軒動物図』、H0020888『博物館獣譜』)。また、高木春山(?~1852 年)の『本 草図説』を見ますと、タヌキ(白いタヌキを含む)と考えられる複数の図画に 「狸(タヌキ)」との表記がなされています(西尾市岩瀬文庫所蔵)。このよ うに、江戸時代後期の博物図譜では「タヌキ」という単語がタヌキを指し示す ものとして使われ出しているようです(図 1)。とはいえ、『本草図説』におい ても「爪が長い」などの特徴が付記されたアナグマのように見える図画に「貒」 との表記がなされているほか、『獣類写生』に収録されている、1850 年に捕獲 されたという「貒(ミダヌキ)」は明らかにアナグマの姿をしており、アナグ マに関しては古い呼び方が残っていたようです(西尾市岩瀬文庫所蔵) (図 1)。 なお、西欧の分類学に日本の動物を紹介する書物となった『Fauna Japonica』(哺 乳類に関してはテミンクが分担し、1842 から 1844 年にかけて刊行)では、タヌ キを3種あるとして、「Hatsimon-si」、「Mami-tanuki」、「Tanuki」を挙げて、 また「Muzina」を夏毛のタヌキ、「Tanuki」を冬毛のタヌキの呼び名としていま 16 す(京都大学図書館電子図書館のものを参照)(図 1)。一方で、アナグマは日 本名「Anakuma」として紹介されています(図 1)。この書物のもととなる情報 はシーボルトの日本滞在期間である 1823 から 1829 年にかけて集められたもの ですので、記述されているのはそのころの情報と考えてよいでしょう。つまり、 19世紀に入って少し経った頃になりますと、現代のように「タヌキ」という 名前がタヌキを指すようになっていた(あるいはそう認識する人が多くなって いた)一方、アナグマは未だに「マミ」「ミダヌキ」と呼ばれることもあった、 ということのようです。これらの記録には地域的な方言なども影響している可 能性もありますが、『本草綱目啓蒙』などそれ以前の書物と比較すると、この ような名称の変化が19世紀に入ってから起きたことのように見えます。たぬ き・むじな事件においては、明治に入ってからの法律がこの新しい呼び方で作 られた一方で、栃木県の猟師はそれよりも少し古い呼び方、すなわち、『本草 綱目啓蒙』に記されているような呼び方を使っていたために錯誤が生じてしま った…というようなとらえ方ができるかと思います。 このような呼び方の混乱が生じた理由の一つは、江戸期本草学の分類学とし ての未成熟さが挙げられるかと思われます。近代的な西洋の分類学では標本(模 式標本)を基準として種を定義します。そのため、命名された名前の指す動物 が何であるかは明確であり、また後の時代に命名を検証することもできます。 最近もリンネがアジアゾウを記載した際にアフリカゾウの標本を元にしていた ことが明らかとなり、リンネの記載の参考となった別の個体が模式標本として 指定しなおされるということもありました(Cappellini et al., 2013)。200 年以上 の時を経て過去の命名の検証が可能なのはモノを保存していたが故です。とこ ろが本草書では説明文があるだけであり、その文章もいくつか異なった動物が 混ざり合っている可能性が捨てきれないものです。このようなシステムとして の未成熟さは、本草学が西洋の分類学に取って代わられてしまった理由のひと つではないかと考えられるのです。 補足1:なお現代中国では貛(Huan)はアナグマ類(Arctonyx や Meles、Melogale) を、貉(He)はタヌキを、狸(Li)はジャコウネコ科一般を指す名称として使 われているようです(Wozencraft, 2008)。 補足2:タヌキ・アナグマ以外の動物、例えばハクビシン等に関しては今回取 り扱いません。 17 補足3:ジャコウネコ科は本草綱目より霊猫(ジャコウネコ)という言い方も あり(霊貍とも)、江戸後期の図譜ではそのような呼び方をしているものが多 いのですが、ここでは触れません。 補足4:地域的な違いについては、川瀬善太郎著『たぬき』(1916 年)に渡瀬 博士の説として、「ムジナ」が日本古来の名称で、「タヌキ」は中国語の「田 狗」から転じて生じたものであるため、中国文学(ママ)の早く輸入された中 国地方以西では「ムジナ」と呼ぶ者なく「タヌキ」といい、一方東北地方では 「タヌキ」と言わず多くは「ムジナ」と呼ぶ、と記されている。 補足5:なお本稿における推定は、『大和本草』~『本草綱目啓蒙』までは動 物に関する生態・行動・形態・味などの説明文から動物種を推定している一方、 博物画以降では動物の形態的特徴を元に動物種を推定している点に注意が必要 です。ここでは生態や行動などの特徴が本草学者に誤解されていないことを前 提としています。 文献 夏井高人(2012)狸狢事件再考 法律論叢 第 85 巻:327–385. 西村三郎(1999)文明のなかの博物学(上・下) 紀伊國屋書店 米田政明,有本誠,戸田光彦,平田聡子(1996)野生動物調査法ハンドブック 財団法人自然環境研究センター Cappellini E. et al. (2013) Resolution of the type material of the Asian elephant, Elephas maximus Linnaeus, 1758 (Proboscidea, Elephantidae). Zoological Journal of the Linnean Society 170: 222–232. Wozencraft WC. (2008) Order Carnivora. In Smith AT. and Xie Y. eds, A guide to the mammals of China, Princeton University Press. 18 狸 ては餘り歡迎されない。 ちょっと豆 知識 四、八文字相 佐伯 緑 胴の上部の方の黒色が特に多く、八の字 タヌキは、第二次世界大戦前に、毛皮のた に見えるもの。頸部から兩側にかけて黒 めに養殖されていた。特に、福島、北海道、 色の毛が八の字を描きたる色相で十文 静岡、岡山、京都などで多く飼育されてい 字との區別が明瞭なるものと然らざる た記録がある。福田(1937)によると、毛 ものとがある。 皮について以下のような記述がある。 五、黒色相 これは全体殆んど黒色を以て被はれて 一、タヌキ相 ゐるもので、極めて稀にしか存在しない。 全体が灰褐色で、上毛(刺毛)に白輪が 刺毛の突端全身的に黒色を帯びてゐる あり、開き皮でゴマの目立つもの。 もので前者の様に明瞭な色相をしてゐ 二、十文字相(p24 参照) ない。 脊筋の通りに縦走する黒色の條斑があ 六、ムジナ相 り、前肢と兩肩とをつなぐ黒帯が伸びて 夏毛に似て毛が粗く、毛色は淡い灰褐色 脊上で黒色の十字を結び、他は淡黄褐色 を呈し、脊の下部から肩にかけて黒いも を呈するもの、これは毛皮として最も歡 の、これはアナグマに似てゐるのでこの 迎される。 名がある。毛皮價値は下等である。 三、白色相 全体僅かに赤味を帯びた白色を呈する 引用文献:福田源太郎.1937. たぬき.福 もの、これはタヌキの白子(白變)であ 田養魚場 養狸部. って極めて稀であるが、しかし毛皮とし 19 特別授業「たぬき、タヌキ、狸」 佐伯 緑 2014 年 10 月 31 日、東京都文京区立湯島小学校で、タヌキの話をする機会があ った。二年生が「証城寺の狸ばやし」を学習発表会で発表する準備中に、いろい ろ知りたくなったということで、タヌキクラブに藤田先生から話をして欲しいと 連絡があったからである。 明治 3 年開校の湯島小学校は、学問の神様、菅原道真公が祀られている湯島天神 のすぐそばにある。二年生は 2 クラス、全校で 258 名という大都会の中にありな がらゆったりとした環境だ。 当日のメニューは、以下の通り。タヌキの毛皮と骨の標本も持参した。 一応タヌキに興味を持ってもらってから、生態学、系統分類学、比較形態学、民 俗学などへと進む予定…(笑)。計 44 枚のスライドと 4 本の動画を用意した。 20 まずは、イタチ、アナグマ、アライグマ、テン、キツネ、タヌキ、 (たぬき顔の) ネコ、ハクビシンの写真を並べ、タヌキ当てクイズから。子ども達は、初めから なかなかのハイテンションである。小学校の教師をやっている高校時代の悪友か ら「小二の集中力は短いよ」とのアドバイスを受けていたので、すぐビデオに移 った。捕獲個体を放逐する際に撮った「つかまえたタヌキをはなす」と「つかま えたアライグマをはなす」。動く動物はやはり子どもを惹きつけるようだ。動き とか大きさなどの違いを見てもらう。それから私の持論である「タヌキは何でも できる、得意はないけどね」シリーズに突入する。 その一「木にものぼれる・・・でもアライグマやハクビシンには負ける」 その二「およげる・・・でもイタチには負ける」 その三「土をほることもできる・・・でもアナグマには負ける」 その四「とりやけものを狩ることもある・・・でもキツネには負ける」 その五「寒いところでは冬ごもりする・・・でもクマには負ける」 その六「とかいでも山おくでもすめる・・・でもさとやまが住みやすいなぁ」 で、食性(四季折々の食べ物)や社会構造(家族や子育て、分散など)の話へ繋 いだ。 それから休憩代わりにと、持ってきた毛皮と骨をさわってもらうことにしたとた ん、カオスになりかけたが、藤田先生の「前から1列ずつ、毛皮触ってから骨!」 という一声で秩序が生まれ(さすがプ ロフェッショナル)、それでもワイワ イと「ふわふわぁ」 「堅い」 「これどこ の骨?」などと言いながら、しっかり 触る子ども達。気持ち悪いとか汚いと か言う子はいなかった。(骨は一応ア ルコール消毒していったが。) 思わぬところで時間が経ち、3 時間目と4時間目の間の休憩 時間はないことになり、そのま ま続行。 21 「タヌキは化かすの?」というセクションの初めに、忍者タヌキということで、 小さい穴に一瞬で入るところや高いフェンスを登るビデオを入れた。さすがにタ ヌキ寝入りの動画は持っていないから NARUTO の「狸寝入りの術!!」の1コ マを拝借(©集英社)。そして私の意見ということで「タヌキは化かさないけど、 人は(かってに)化かされる」という結論のところで「よくわからないことはタ ヌキのせいにしよう」ということになったかも知れないと言うと、 「かわいそう」 というかわいい声が聞こえた。 それから、民俗学的に狐と狸、形態学的にキツネとタヌキの違いを説明した…が、 ここの小学生の知的好奇心と理解力は侮れない。 次に、狸が強くて恐れられていた隠神刑部の時代から、陰嚢ばかり強調され滑稽 になっていく江戸時代の狸の錦絵、信楽焼の“進化” 、現代のアニメ(e.g.犬夜叉、 ドラえもん、妖狐×僕 SS、月刊少女野崎くん)やゲーム(e.g.マリオ)の狸で尻 尾に縞々が入るという現状、そして以外と尻尾がまともな(?)狸キャラ達(e.g. PONTA、ぽんちゃん、きさポン、ぴたポン…みんな「ポン」がついているなぁ) などを紹介した。 最後に、分福茶釜と二種類の狸囃子に触れ、おまけとしてリアルタヌキを忘れな いようカメラトラップで撮った写真集で締めた。 それからがすごかった。途中でもしばしば手を挙げて質問する生徒達がいたが、 ここで正式に質問タイムとなった。次々と質問は尽きない。とうとう給食の時間 まで食い込んで、準備中に少し息がつけたくらい。給食時間も質問攻めに合うと 22 ころだったのを、藤田先生が「10 分、佐伯先生に食べる時間を」とおっしゃって くださったのを「5 分で食べます」と言って、早食いには自信があるので掻き込 んだ。 ほんの一部を紹介すると… 「どうしてタヌキは今の色になったの?」 「キツネとタヌキの頭の骨は似ているのに、どうしてあんなに顔がちがうの?」 「なぜ東アジアにしかいないの?キツネは旧北区全体にいるのに?」(←小二の 質問!) 「食べたことある?」 「どうして木に登れるのに降りるのが下手なの?登れたら降りれるでしょ」 . 「タヌキはため糞から何がわかるの?」 「夜に目が光るのはなぜ?」 「狸寝入りをしたら他の動物に食べられないの?」 5時間目が始まるというので、ようやくお暇できた(笑)。こんなにタヌキに興 味を持ってもらうなんて、狸(?)冥利に尽きるひと時、凝縮した本当に楽しい 時間だった。後日、子ども達から一人ずつお礼の手紙というか感想文を送られて きて、それは私の宝物になった。 23 ✌Latrine Board✌ おもしろいものがある。狸が上目遣 いでお茶をいれてくれるそうだ。 http://gigazine.net/news/20140604-fukuju -tanuki/ (福寿たぬきフタいらず急須) ♨著者紹介♨ 浅原 正和:京都大学霊長類研究所所属。 タヌキを含む、哺乳類の歯と頭骨の形態進 化を研究。 【紙での掲載が遅くなりすみません。 み】 懲りずにまた書いてください。○ 佐伯 緑:(自己紹介) 相変わらず空手三昧 タヌキクラブ事務局 の日々だが、去年、ラジオ出演したとき、 たまたま聞いていた指導員がびっくりした 〒300-0334 そう。タヌキのことも考えていますって。 茨城県稲敷郡阿見町鈴木 2-57 ラピュタⅠ 105 号 ☯編集後記☯ 佐伯 緑方 明け、明け、明けましておめでとうござ http://www.tanuki-club.com/ います。たぬき道が迷路になり、次元を 郵便振替口座 00990-2-140951 超えてさまよっていましたが、ようやく 再開しました。本年もよろしくお願いし み ます。○ 年会費 千円 タヌキクラブは、タヌキについて科学的及び文化的知識・情報を蓄積し、人々 の交流を図り、楽しく遊びながら、まじめに野生動物について考える団体です。
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