お役立ち伝言板・編集後記 第21回つむぎ新春コンサート 第38回全国大会 in ひょうご 大会テーマ「とどけたい 20 年のありがとう」 ~わすれない震災を つたえよう私たちの今を 未来につなぐ権利条約と平和~ 日時:2015年10月9日(金) 10日(土) 会場:神戸国際展示場2号館(全体会場) 問い合わせ先:きょうされん第38回全国大会 in ひょうご実行委員会事務局 ◆ プロフィール TEL: 078-582-4016・FAX: 078-582-4017 共にソロとして活動していた高田志麻、白 命の輝きを語りかける「音色」求めて つむぎ福祉会 9・10月行事案内 ピアノ 榊原契保 9月11日(金) 10月10日(土) そらまめ作業所 一泊旅行 11月12日(木) 9月17日(木)~18日(金) ポンチセぴりか 18:30開演 (17:30開場) 参加協力券:2000円 ドーンセンター 7階ホール 京阪・地下鉄谷町線「天満橋」駅下車 1番出口より東へ350m JR東西線「 大阪城北詰」駅下車 2番出口より西へ550m 日帰り旅行 日時:2016年1月16日(土) 17時開演 会場:ドーンセンター(7階ホール) 2008年には、二人の制作・歌唱による楽 曲『story』が、サカイ引越センターの全国 向けテレビCMのテーマソングに採用された。 一般(中学生以上)前売り:2,500円(当日3,000円) 小学生・席が必要な未就学児 :1,000円 介助者無料 保育あり(有料 1名 1000円・要予約) その他にも、中部電力グループトーエネック や、高須クリニックのCMソングに彼らのオリジナル曲が 10月2日(金) 生活介護 Kakara(カカラ) ガーデンイベント 9月17日(木) 10月13日(火) 地域の催し 大阪ガス チャリティバザー 9月29日(火)・10月2日(金) (青年の自立支援センターゆう 参加) 南部なかまのスポーツ祭典 9月5日(土) 連絡先: TEL・FAX 0745-62-5055 (梅本哲世方) 高田志麻 ボーカル・ギター・ピアノ 白井大輔 ボーカル・ギター・ハーモニカ デュオ。関西を中心に、ライブや番組出演な どの活動を展開している。 ポプラ保育園 敬老参観日 運動会 井大輔により2004年に結成されたフォーク (ポンチセぴりか そらまめ作業所 カカラ参加) 採用されている。 スポーツ関連では、日本女子プロ野球兵庫スウィングス マイリーズ球団歌を書き下ろす。 のことは 東京海上日動・東京海上日動あんしん生命保険代理店 (株)朋友にお任せ下さい! TEL. 0798-76-5800 FAX. 0798-76-5880 (株)朋友は(有)メル企画を通して 社会福祉法人つむぎ福祉会の運動を 応援しています! お気軽に御相談下さい !! ◇◆ちいさな家から ◆◇ 中 学生の頃、『戦争を知らな い子供たち』と言う曲が流行って いました。あれから三〇年、二〇 〇一年に国連難民高等弁務官カブー ル事務所長の山本芳幸さんが『カ ブールノート 戦争しか知らない 子どもたち』を出版。そして今年、 国連パレスチナ難民救済事業機関 保健局長の清田明宏医師が、パレ スチナ自治区ガザ地区の子どもの 姿を捉えた写真絵本『ガザ 戦争 しか知らない子どもたち』をポプ ラ社から出版。生まれてから来る 日も来る日も頭の上を戦闘機が飛 び交い、がれきの中で生きる毎日。 戦争は人間の尊厳をも破壊して しまいます。少年兵は最前線で多 くの人間を殺しました。知らない うちにこの国も恐ろしい方向に向 かおうとしています。子どもが戦 争に送られていいのでしょうか。 子どもが誰かを殺してもいいので しょうか。未来を生きる子どもた ちに平和な地球を! 自動車・火災 ガン・医療・生命保険 編集者 中谷路子 発行者 石井 守 〒546-0003 大阪市東住吉区今川4-10-3 TEL.06-6708-6566FAX.06-6777-1910 http://www.tsumugigroup.net 2015年 9・10月号 第57号 編集・発行 社会福祉法人つむぎ福祉会 れた。ずっといじめられっ子だったという高田。血のつな がらない義父とのつらい記憶が残る白井。悲しい過去を持 つ2人の思いが込められている歌に、数多くの視聴者が心 場しており、出場した回全てで400キロバトル超えという を打たれた。15分の映像に反響を受けた視聴者より、多 好成績を収めた。 くのリクエストがあり、再放送も果たす。 東日本大震災の発生以降は、被災地でもたびたびライブ 8月には、尾崎豊、玉置浩二、トータス松本らと音楽制 を開催している。また近年は、関西のAMラジオ局で放送 作のパートナーとして、数々の名曲を発表している須藤晃 される生ワイド番組向けに楽曲を書き下ろすことが多い。 がプロデュースした「走れオオサカ」をリリース。 【テーマソングを手掛けたラジオ番組】 保険 ワライナキ特番「ありのままで ありのままで」が放送さ 『熱唱オンエアバトル』(NHK総合テレビ)にも3回出 ◆ 主な活動履歴 1本でも人参!! 2013年3月、NHK総合/NHKBSプレミアムにて、 MBSラジオ 「上泉雄一のええなぁ!」 ABCラジオ 「おはようパーソナリティ道上洋三です」 (朝日放送アナウンサー、道上洋三からのリクエスト) KBS京都 「森谷威夫のお世話になります‼」 (KBS京都アナウンサー、森谷威夫からのリクエスト) 【全国・地域・球団歌】 日本女子プロ野球リーグ サウスディオーネ 球団歌「フルスイング」 大阪タカシマヤ 朝のテーマソング「朝のNUMBER」 JAならけんイメージソング「未来に種をまこう」作詞・作曲 1 第21回つむぎ新春コンサート出演者の紹介 2 主張:国民の平和と安全を守る 3 地域とのつながり 「NPO法人ウイルハート ゆう・スペース」 理事長コラム 絆を紡ぐ 「バリ島から尚美さんが来られました」 ◆ ご来 場お待 ち しています ◆ 今年で21回目を迎える新春コンサートは、TVCM音楽・ ラジオでご活躍のワライナキの高田志麻さん、白井大輔 さんをお迎えすることができました。お二人の音楽をきっ かけにして、つむぎ福祉会の活動を知り、ご来場者の人 生に新しい1ページが加わり、生活に変化をもたらすこ とができれば素晴らしいと思います。 わたしたちは、音楽には様々な力があると信じて、21 年間コンサート活動を行ってまいりました。ワライナキ のお二人とご来場の皆さまとともに一つのハーモニーを 奏で、一人ひとりの思いを紡いでいきましょう。 第21回つむぎ新春コンサート実行委員会 4・5 特集:子や孫に伝えたいこと 6 なかまの窓:カカラ収穫祭 新コーナー これからの社会福祉研究 7 桂福点さんのお気楽島通信・小藪さんが走る 8 お役立ち伝言板/編集後記(小さな家から) 主張:国民の平和と安全を守る 桂福点さんのお気楽島通信・小藪さん走る 国民の平和と安全を守る 「国民の平和と安全を守る」という言葉を口に出しながら、全く反対の態度を主張し合って いるのが今の国会に出されている「集団的自衛権」に関する論争です。安倍政府は、日本国民 ⑦ ベトナムに行った時のお話 の命と暮らしを守るためには、「アメリカ」と一体になって戦うというのです。「集団的」とい う言葉は、日米安保条約に基づいての日本にとってアメリカとの協働以外ありません。ここに 何年か前に仕事でベトナムへ行きましてね。 たんですわ。 日本人の眼科のドクターが日本で治療や手術をし、お この発言の後、資料館一階に行き、その展示物に私は は、アメリカは永久に絶対正しいという考えがあります。事実はどうでしたか。アメリカはベ 金をもってベトナムで医療を受け辛い人に無料の手術と 驚きました。それはアメリカ軍隊がベトナム人に行った トナム侵略戦争で失敗し、今になって謝罪もしています。ベトナム戦争後でも、イラクやアフ 治療をされてまして、その先生に招かれ出かけました。 拷問道具の展示やったんです。どれも致命的な負傷を与 ぼくはベトナム戦争のことを話には聞いていました。 えるのではなく、時間をかけて苦痛を加え続け、死に至 しかし、戦争は終結していても、未だに爪痕が濃ゆい場 らしめる悪魔の玩具です。つめはぎ機、歯を抜く道具、 所でした。戦争資料館があり、様々な解説や資料が置か 骨を粉砕するもの、なかでも目を覆う品がありました。 れてましたんですわ。たくさんのツアー参加者がいたの 小さな台が有刺鉄線に囲まれていて、そこに家族を裸で いますが、アメリカ自体が揺れ動くのですから、自ら「絶対正しいアメリカ」などあり得ない ですが、その中に80代の男性がいました。通訳の方が枯 放り込んで箱を縮める、もちろん何があるかはわかるは ことを証明しています。「絶対正しい」者を作ることは、その口実が何であれ、正しくありま 葉剤のことについて丁寧な解説をしてくださいました。 ずです。こどもが泣き叫べば親は身に覚えのないことも それは平和についての考え方を押しつけるような言い方 認めさせられます。私はこの野蛮な道具を見ていて、わ もせず解説してくれていました。 ずか何十年前のできごとだったのかと気づき身が凍りま ガニスタンなど国連の決議もないままに支援援助という口実で軍事攻撃をし、成果を口にしま すが、国内外から「民間人が大量に殺された」、「かえって国内の混乱を深め拡大した」など いくつもの批判が出ています。今の政権は「あれは今とは違った政権のやったこと」などと言 せん。必ず悲劇的状況になります。ヒットラーもスターリンも北朝鮮だって、当初は平和と暮 らしを守ることを掲げて、国民的シンボルになったはずです。 そんな中、先ほどの80代の男性が日本の原爆の方が大 した。ずいぶん文化や医療科学も進んできた時代にこん 重要なのは、平和と安全を守る基本的態度はどうあるべきか、ということです。それは徹底 変じゃと大きな声でいったのです。私は思わずその場を な非人間的野蛮行為がなされていたことは驚異であり、 した平和主義だと思います。紛争の解決の手段として武力を使わないという日本国憲法の思想、 一人で移動しました。どうして、こんな発言がでるのだ 情けない。これを平気にさせることが戦争なんやなあ。 世界遺産とも言われる9条です。解決は、粘り強い交渉、国民的規模の交流で、互いに相手国 ろう戦争に正義や悪があり、自分たちはが正しく被害者 の状態と国民の願いを理解することが前提にあります。経済的進出、産業拡大だけではなく、 だという意識があるのやないかいな。 私はアメリカという国と足並みを揃えようとする日本 に未来の希望が見いだせまへん。両国はいつまでも戦争 日本は戦後、侵略戦争の加害者であることを認めよう のすべてを認めず、命を奪うことに罪を感じない。安保 文化学術に交流や力を入れる、ここに力を注ぐことです。軍事力を誇示しこれを大上段に掲げ としないまま今日に至ってきてます。そこに日本人の戦 ならぬアッポタン条約で堅く結ばれとるんちゃいまっか。 ることは、この交流、互いの信頼を歪め傷つけます。 争に対する意識のお粗末さが生まれているような気がし 軍事行動すなわち、戦争は、相手を殺し傷つけ、武器はもちろん、町や施設を破壊するのが 戦闘です。戦争とは「破壊」することですから国民の折角の労働の成果を無にし、さらに過酷 この夏、歴史は動く! な労働を強いることに繋がります。国民を殺し障がいを与えることになります。私たち国民に は何の利益もありません。 私の住む大阪市西区にはユニークな若者支援の団体があります。NPO法人ニューワーク ス。就労や起業を通じて収益をめざそうというもので、昨年発足し、すでにエアコンのクリー 物資だけでなく人間性を歪め破壊するのも戦争であり、ころしあいの戦闘です。ベトナム戦 ニング事業が動き出しました。昨年暮れのホノルルマラソンのツアーで、若干の剰余金が出 争帰りのアメリカ兵に大量の自殺者や精神障がい者を生んだのは有名ですが、直接戦闘の無かっ たので、運営の一助にとカンパしていました。マラソンを楽しんで自立の支援に役立つなん たとされるイラク派遣の日本の自衛隊員の中からも、自殺者が多かったことは既に公然の事実 てすてきなことだと思います。走ることも旅行もみんな大好き。相談のうえ、旅行部会を立ち上げるところまで話が です。 進んだのは自然のなりゆきでした。 「天皇陛下ばんざいと言って死んだ戦友はいなかった。みなお母さんと言って死んだ」、「戦 闘は人間に勇気など与えない。狡猾で、臆病で、相手を信じない人間を作るだけだ」高校時代 の古典を教えてくださった軍隊帰りの国語教師の言葉を今でも覚えています。 朝日新聞には、「学会員を裏切る、公明の暴走」、「自民支持でも安保法案反対」という、実名 入りの投稿が載っています。今回ばかりは、「政治は他人(ひと)ごと」では、すまされませ ん。これを機会に、政治こそ身近にある諸問題の土台になっていることをしっかり見つめたい と思います。 というわけで、最初の企画は来年5月のゴールデンウイーク「カナダバンクーバーとビクトリア 花と街歩きの旅」 に決まりました。世界一住みやすい街と定評のあるバンクーバーは私もマラソンを走って知っていますし、大阪から の直行便もあります。みんなで旅するなんて楽しいことですよ。趣味のランニングがこんなところで役に立つとは思 いませんでした。費用はできるだけ押えます。行ってみようと思われる方は私まで連絡を下さい。(※連絡先は編集部 にお問い合わせ下さい。) 暑いこの夏をさらに熱くしたのが、安保法制をめぐる議論でした。これ以上憲法の拡大解釈をしてはいけないとこ ろまで行ってしまったんじゃないか、70年前、2千万人もの人がなくなる無謀な戦争を起こした反省から、日本国 民は争いは話し合いで解決すると決めたのにおかしいんじゃないの、というのが圧倒的な世論です。歴史の転換点に 私たちは立っているようです。そんな思いをさらに抱かせてくれるのが、若い人たちの動きです。若者たちが動く時、 (つむぎ福祉会 理事長 石井 守) 歴史は動きます。マラソンに加え旅行も歴史的な動きも、私の中に一緒に入りこんで来ました。 (つむぎジョギングクラブ 小籔和男) なかまの窓・“いいとこ見つけ隊”が行く 地域とのつながり 地域とのつながり 生活介護 Kakara(カカラ) 理事長コラム NPO法人 ウイルハート ゆう・スペース 所在地:大阪市東住吉区針中野4-10-3 1,2階 毎週金曜日のお昼前につむぎ福祉会本部事務所にお弁 当が届きます。450円で、主菜・副菜4種類とデザー ト。ボリュームたっぷりで栄養バランスも考えられてい ます。配達しているのはゆう・スペースのメンバーさん 収穫した野菜㊤ バジルの葉は袋に 7月25日、kakara農園の初めて 詰めてお土産に㊦ の収穫祭を催しました。 Kakaraの利用者さん、職員、 地域の方、他の施設の利用者さん ゆう・スペースでは、湯里で開所当時から、調理作業に が、沢山の野菜を収穫できました。 の作業はすべてメンバーの方が役割分担して行っていま 取り組んでこられ、1999年に弁当調理の営業許可を 収穫後にKakaraの室内で、採 す。メニュー考案、材料の買い出し、盛付、袋入れ、配 取得し、地域の老人給食にも取組んできました。長い歴 れた野菜を使っていろんな料理を 達、片付けなど。15名ほどのメンバーの方が生き生き 史の中でメンバーの方の関わりを増やして地域に根付い 厨房の方が作って下さいました。 と働いている姿がすてきでした。配達は天気が悪くても、 ています。営業活動は特にせず、専ら口コミで広がって い、とても盛況でした。 ゴーヤチップス キーマカレー 様に届けて、美味しいと言っていただくのがうれしいと。 いるそうです。 お弁当作り以外にもパソコンやビーズ手芸、音楽療法 人気メニューはカレイ(魚)料理、八宝菜だそうです。 など、各自のペースで様々な活動に参加されています。 トッピングは、畑で採れたズッキー 450円という値段で大丈夫ですか?と聞くと、毎週コ メンバーの方にとって、生きがいを感じる場所になって ニです。 スト計算を行って材料の無駄がないように企業努力をし いると思いました。 つむぎ福祉会広報プロジェクトチームです! これからの社会福祉の形を様々な取組みから探り、私たちの事業の ヒントにしていきたいと思います。 第1回目は堺市役所地下食堂“森のキッチン”へ施設見学に行きま した。この施設は社会福祉法人コスモスさんが運営されていて、障が 理事長コラム 絆を紡ぐ (9) バリ島から 尚美さんが来られました お店のロゴ 奥に授乳室と遊び場 法人の理念を追求するためにも事業に踏み切ったそうです。 予算や期間がギリギリの中、提供するメニューや家具など、社会貢 献をしたい!という地元の企業、農家、団体の協力のもとで完成。社 員食堂としてだけでなく、障がい者、お年寄り、小さなこどもとその お母さんなど、誰もが過ごしやすい場となるよう工夫されていました。 「地域のつながりを深めたい」「障害者がいきいきと働ける場を作 りたい」という想いから出来上がった森のキッチン。 見学を終え、改めて私達の仕事は、夢をもつこと、そして、それを叶 えるための強い想いと様々な人の協力が大切なのだと感じました。 (広報PT 綱木彩佳:サポートセンターコットン) どなたも嫌がらず責任感を持って取組んでいます。お客 カレーは、キーマカレーで上の ~『森のキッチン』への視察~ いのある方がスタッフとして働いておられます。店舗ロゴには、森の 漢字の上の木を降ろして「上下の関係なく、みんなが手を取り 繋が りを持って暮らす」という意味が込められているそうです。 市役所食堂ですがおしゃれなカフェのような雰囲気… コスモスの 職員さんでもあり、森のキッチンの代表である増田さんにお話を伺い ました。この事業を始めるとき、法人内で反対もあったそうですが、 9時30分頃に伺うと住宅街のマンションの1階を改 当作りは水と金で調理は調理師さんが担当し、それ以外 来てくださった皆さんに振る舞 人参の葉っぱサラダ う・スペースを訪ねてきました。 て、何とか今の価格を維持しているとのことです。 収穫できるかどうか不安でした ゆでトウモロコシ Ⅰ氏がおいしそうに食べているお弁当が気になり、ゆ 装した厨房で、8名ほどの方が作業していました。お弁 も参加されました。 収穫祭のメニュー です。前日には注文確認の電話が入ります。 広々とした施設を視察する広報PTのメンバー 「ナマ」です。尚美さんの説明は、参加者を笑わせなが ら歯切れ良いテンポで進められます。 感心したのは「ャ」と言う「はい、そうです」を意味 する言葉についての説明です。彼女は、バリの人が本来 肯定を意味する言葉の「ャ」と言っても、否定を意味す る場合もあることを知って欲しいと言われるのです。イ ンドネシアの人は恥ずかしがりで、はっきり「出来ませ バリ島から尚美さんが来られました。子どもたちが学 ん」とはなかなか言えない人が多いそうです。そこを見 年末の長い夏休みに入ったので、日本の学校を体験させ 抜かなければ、プライドを傷付けることになってしまう たいとのことでした。バリ島では、英語とインドネシア と言われるのです。なるほど、全く同感です。私自身子 の2つの言葉を小学校から習うそうです。尚美さんの子 どものころそうでした。子どもだけでなく、対人スキル どもたちは上手に日本語を使います。子どもが使う日本 が弱い状態の人だけでなく、一般に普通にあることで、 語は家庭だけです。それで混乱しないのでしょうか。 会話では十分配慮しなければならないことだと思います。 尚美さんが、日本に来られてすぐ開かれた、「サバイ 「いじめ事件」の報道を見ると、この観点が全く欠けて バル・インドネシア語教室」に参加しました。島国で東 いると思う場合がよくあります。少し前までは、「恥ず 西に長く広がっているインドネシアは「地方の言葉」が かしがり」で「強いプライド」をもつのは、日本人の特 多いというのは頷けます。私がこの旅行で最初に覚えた 徴だったはずです。 言葉は散歩するという意味の「ジャラン、ジャラン」で 尚美さんのバリでの成功は、偶然に当たった事業を展 す。「ジャラン」は道という意味ですから、なるほど、 開したからではなく、この気配り、この優しさにその要 納得です。世界各国の言葉には、日本語に通じる面白い 因があったのだと思いました。 発音がありますが、お菓子は「クエ」食えです。名前は、 (つむぎ福祉会 理事長 石井 守) 特集:子や孫に伝えたいこと 津野さんは1935年1月生まれで80歳、戦争が始まった翌年の4 月に下関盲唖学校に入学しました。入学する前月に製鉄所の設計師だっ た父が海南島に長期出張になり、母と5人の兄弟(本人含む)で母の 実家に身を寄せ、そこから学校に通いました。当時は義務制ではなく、 学校に入れただけでもありがたいような時代でした。母は、幼い5人 の子どもを抱えて実家に身を寄せたということで、たいへん気兼ねを していただろうと、津野さんは振り返ります。 見えない恐怖 8月15日に戦後70年を迎えました。終戦の年に生まれた人も70歳。 8月6日に行われた広島市の平和記念式典では被爆者の平均年齢が80 歳を超えたと報道されていました。戦争を体験した人は年々少なくなっ ています。戦後70年を迎える年に安全保障関連法案が国会で審議され ています。この法案が通れば、集団的自衛権を限定容認することになり、 「存立危機事態」と判断されると戦争をすることになるかもしれません。 戦争で犠牲になった多くの人々が私たちに何を伝えたかったかというこ とを再度考えたいと思い、視覚障がい者で戦争を体験された元府立盲学 校の教師であった津野幸治さんにお話をお聞きしました。 昭和19年には、下関の町も空襲に見舞われることがありました。ちょうど通学 バスに乗っていた時に空襲警報が出ました。当時は警報が出ると、運転手が客を 憲法九条を抱きしめて 日本は今、憲法9条を投げ捨て,「戦争する国」に変えられてしま うのか重大な歴史的岐路に立っています。 今国会に上程されている「戦争法案」を何としても廃案にと、日 本全国、世代と分野を超えて反対運動が大きく広がりつつあります。 連日の国会前集会は言うにおよばず、大阪でも特に7/18 扇町公園 の1万人集会。7/19 8200人のSADL及びSEALDs主催の青年達 による御堂筋ドラムパレードなど若い世代の創意あふれる取組は際 立っています。私も大変元気を頂きました。 戦後の団塊の世代である私は、小中高大学と戦後民主教育の最も 戦中から戦後障がい者の立場は変わったか? 民主的な部分を体験し、教えられてきました。小学校のホームルー 避難させる役目をしていました。全盲の津野さんは警報が出た時に一人で逃げる 21年春に父が引き上げてきて家族一緒の生活が始まりました。中学2年生から北九 ムでは、先生からよく言われたことを今でも忘れられません。「い こともできず、只々恐怖を感じていましたが、乗り合わせたバスの運転手さんが 州市に盲学校が開校し、そこに通います。戦後の復興の中で若い新卒の先生たちは意欲 やなことはイヤ、おかしいことおかしいとはっきり言える大人になっ 津野さんを連れてバス会社まで逃げてくれました。その後も、空襲の恐怖は常に 的でその教師に影響され、「頑張って勉強したら、何でもできるのでは?という期待が てください。自分の意見をしっかり持ち、主張できる人になって下 付きまといます。見えない恐怖は想像を絶するものだと思います。 わいてきた」といいます。当時の盲学校には理療科しかなかったが、普通高校に行ける さい。それが出来なかったからあの戦争を止められなかったんです」 のではないかという期待をもつようになっていきました。新しい時代の流れの中で、知 戦後続いてきた憲法擁護、9条守れの戦後民主主義の力が、また営々 事、県教委も理解を示し、普通高校を受験することになりました。結果的には不合格。 と築いてきた私達の努力が、今厳しくためされつつあります。 集団疎開 昭和19年8月位から学童疎開が始まりましたが、 昭和20年5月になって、下関盲唖学校にも集団疎 開が行われることになりました。下関から9つ目 の町のお寺の本堂に疎開しました。小学部の20名 の生徒と先生2人とお手伝いの上級生との生活が 始まりました。アルミ製の点字盤で家族に手紙を この経験から、不合理なことに対してもの言える人間になりたいという気持ちを募らせ、 普通科があった大阪府立盲学校に通い、その後東京教育大の特殊教育学科で学び、母校 の府立盲学校の社会科の教師になりました。 津野さんは、戦争中に障がいを持っていることで、周囲から不利益を受けた経験はあ が戦争に勝つことのみを目的に国家総動員法の下で、ものが言えなかった時代です。知 を出しました。返事を待つのが唯一の楽しみでした。疎開生活で一番つらかった らず知らずのうちに、津野さんは、目立たないように、静かにしておくことが身につい のは、食べるものがないひもじさとシラミの痒さでした。そんな生活に耐えられ ていったのではと言われます。 ず、少し目が見える子の中には逃げ出す子どももいました。 昭和20年7月、下関の町は、大きな 空襲を受け、下関盲唖学校は寄宿舎を 残して校舎は焼け落ちました。母の実 家も焼けてしまいました。しばらくの 間家族との連絡も取れず、自分ひとり になってしまったのではないかという 心細い気持ちとすべてを失った不安感 でいっぱいでした。夏休みになりやっ と下関に帰ることになり家族と再会す ることができました。住む家もなくなり、家族で長門市の山奥の遠い親戚を頼っ て父の帰りを待ちました。 下関盲唖学校は、焼け残った寄宿舎で昭和20年10月に授業が再開しました。 で、9条を守れと訴えていきます。 尚、12月12~13日、劇団「きゅう」による創作劇、戦後70年 の記録「憲法九条を抱きしめて」を公演いたします。 (そらまめ作業所 白倉和昭) まりなかったと。「大人になったら強い兵隊になれよ」「国の役に立てよ」と国民全体 書き、上級生に仮名を振ってもらって家族に手紙 下関空襲から戦後 後世の人々に言い訳をしないために、自分の言葉で自分のやり方 藤野高明著 『楽しく生きる』を読んで 人生のはじめの頃、戦争の遺物によって 光を失い、手を失う。 黙ってはいられない その先の人生になんの喜びがあろうかと 大変な時代になっているなと実感します。過ぎ去れば、懐かしくなるという人もいま 思っても仕方のないこと。 すが、津野さんの戦争体験は、ひもじさと、心細さと、不安感だけです。 けれど藤野さんの著書には人生の喜び・ 「戦争はあかん」という当たり前のことを、経験した自分たちが伝えていかなければ 楽しみが明るい文章で記されています。 ならない。「黙っているわけにはいかない」と。 失われたものの大きさに嘆き、社会が障 津野さんは言います。「過去のことでは済まされない、未来の子どもたちに顔向けが できない」と。 安倍首相は「積極的平和主義」という言葉を使わ れます。積極的って何だろう?と考えると、この世 ※本著書の申込み先 TEL 06-6708-6566 FAX 06-6777-1910 つむぎ福祉会 がいを受け入れてくれないことに絶望。 しかし藤野さんは道を捜し、人生の楽し みを再び獲得されていかれます。 その強さ、命の輝きは戦争によっても から差別や貧困を積極的になくすこと。平和と安全 たらされるこの世の闇を祓ってくれるようです。人とのつながりが のために行動すること。だとすれば、憲法9条を積 生きる喜びの源であると藤野さんはおっしゃいます。 極的に広めることこそが積極的平和主義になるので はと思います。今年も「憲法9条にノーベル平和賞 昼間は机を出して、授業をし、夜は片づけてそこで寝るという状態でした。中学 を」の候補に推薦されたそうです。地球規模で考えると、全ての国が人類最大の破 1年生になってやっと校舎ができました。 壊行為である戦争をしないことが一番の選択ではないかと思います。 人のつながりを、人生の喜びを断ち切る争いはあってはならぬも の。すべての人が楽しく生きられる世の中を願う。 藤野さんの生き方にその願いを痛感させていただけたご本でした。 (つむぎ福祉会本部 柴田典子)
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