││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月 ││ 翻 ﹃春 刻 城 日 誌﹄︵二八︶ 春 城 日 誌 研 究 会 市島謙吉 ︵春城︶は、この年も賀状を元旦に認めた。その際、蒐集した印章の内から﹁敬祝春釐﹂と池大雅の刻し た﹁万物一馬﹂を選んで捺した。前者は迎春という事だが、後者は荘子﹁斉物 ﹂による。意味する所は難解である が、万物斉同とする立場による考え方で、この世にあるあらゆるものは同一という謂である。この印は、江戸後期の 1 姫路藩家老河合道臣 ︵寸翁︶の旧蔵という。 前年にいわゆる﹁早稲田騒動﹂が起こり、早稲田大学が大揺れに揺れた年だった。高田早苗を推して、天野為之派 を退け学苑の主権を維持した。改まった歳の賀状に﹁万物一馬﹂との印を用いたのは、市島なりの﹁ノーサイド﹂の 意味合いを込めたのではないだろうか。 混乱後の体制を改革する学校の憲法というべき新校規は、六月十八日に維持員会において可決、確定し文部大臣に 提出、九月に認可された。 校内紛擾の結果として、図書館長を八月に、維持員を九月に辞任し、市島は公としての校務からは身を引いた。し かし、前年八月に名誉理事の待遇を受けていた市島は、盟友高田早苗︵天野学長退任と共に高田は名誉学長を返上していた︶ と、この間に果した役割は少なくなかった。市島は、立場上表面には出なかったが、校規改定委員会の委員である昆 翻早﹃稲春田大城学図日書館誌紀﹄要 ﹃刻 ︵﹄ 二第 八六 ︶十 │二 │号 ﹃︵ 双二 魚〇 堂一 日五 誌年 ﹄三 大月 正︶ 七年一月∼六月││ ─ ─ 67 田文次郎 ︵初期の卒業生で古河鉱業の法律担当︶が再三にわたって訪問しており、市島の意見を反映させていた。 新校規による体制は秋に確立し、大隈重信総長、平沼淑郎学長が就任した。 市島にとってこの年の大きな出来事としては、六月に郷里新潟で開催された日本図書館協会の全国図書館大会、同 時に行われた同協会の新潟支部発会式であった。 この直前にインフルエンザを患い、新潟入りを延期していた市島は、六月一日に帰郷して、病床にあった母シゲを 寄留先の北蒲原郡西条の丹呉家に見舞った。二、三日親戚等と会う等忙しいスケジュールをこなしている。中でも、 市島の帰省を機会に、早稲田大学校友会が開催され新潟在住の校友との久闊を叙す等して過している。この間、イン フルエンザの治療に、東京から取り寄せたワクチンを石塚三郎 ︵長岡在住の歯科医、後に衆院議員︶から投与され激務 を乗り切った。 ︵東京大学図書館長︶等の面々。こ 全国図書館大会のメイン会場は新潟県立図書館で、総裁徳川頼倫、会長和田万吉 れを迎える側は、新潟県知事渡辺勝三郎、内務部長馬渡俊雄 ︵実父は、市島が、明治十四年に中退した時の東京大学綜理加 藤弘之︶及び新潟県立図書館長山中樵 ︵後台湾総督府図書館長︶等の協会幹部であった。連日、当地の鍋茶屋や行形亭 といった料亭での接待が続いた。インフルエンザが完治していない市島は、中座し帰宿して静養に心掛けていたと記 されている。 五日に日本図書館協会新潟支部発会式があり、同日の午後も講演会等関連の行事があったが、市島はこれに出ず、 新潟新聞への寄稿﹁衝口発﹂の口述筆記をしている。 六日に全国図書館大会が開催、来会者は三百名に達した。市島も一場の演説を行った。関連して郷土誌料の展示、 ─ ─ 68 講究会などが開催されている。七日は、越後一ノ宮である弥彦神社を参拝、同所での良寛の資料展示を見て、当時工 事中の大河津分水 ︵信濃川を現在の燕市辺で分水、日本海へ流す︶を見学した。その日は長岡に宿泊する。この時の一行 の移動に臨時列車が出た程で、百名を越える一行のため、長岡の宿は塞がったとある。 ︵長岡の実業家野本恭八郎、号互尊が開設した図書館、現在長岡市立図書 翌八日も大会関連の行事の一環である互尊文庫 館分館︶の開館に立会い、同館での北越名流遺墨展覧会や研究会等があった。 表している。翌日は、高田に移 旧長岡藩主牧野忠篤子爵も態々東京より帰郷、徳川総裁や市島等幹部へ歓迎の意を2 動し講演会、上杉謙信資料を展観し、正午に四日間続いた図書館大会を閉じたのである。 高田は、市島が明治十八年に﹁高田新聞﹂創設に関わり、新聞紙条例違反を問われ下獄した地でもあった。同新聞 社からは講演を頼まれて懐旧談を語り、歓迎の宴も開催されて出席し、夜行列車で帰京する。 、後に会長︵明治四十∼四十三年︶になり、 ︵明治三十六年︶ 市島は、日本図書館協会の前身である日本文庫協会への加入 四十一年に日本図書館協会へ改組後も会長を務めた。 この間、図書館員の講習会開催、目録規則の整備、現在も続く機関誌﹁図書館雑誌﹂の創刊に携わる等、日本の図 書館近代化の礎を築いた。そうした市島にとって、郷里新潟での大々的な大会開催は、念願でもあった。そして成功 裡に終えた事は大きな喜びであり栄誉だった。 帰京後、早稲田大学では待っていたかのように、冒頭で述べた通りの校規改正について、調査委員の昆田文次郎等 が頻繁に市島を訪れ委員会での審議の経過を報告し協議している。 市島にとって右の事以外でも、重要な出来事が続いて起きている。その最大のものが、早稲田大学歴史学教授吉田 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 69 東伍の死去であった。前年から病床に臥せっていたが、年明けに市島は吉田に転地療養を勧めた。吉田はこれを容れ て一月十九日に銚子に移った。しかし、二十一日に危篤に陥り、報を受けた市島が翌日に駆け付けたが既に死去して いた。享年五十五歳、小学校卒の学歴のみだったが﹃大日本地名辞書﹄の大著を著し、その業績に文学博士号を授与 された。今後を期待されながら惜しまれた逝去であった。 市島にとって姻戚筋にあたる吉田を早稲田大学に招き、その学業の大成を見守って来ただけにその悲しみは深かっ た。 銚子で客死した事に﹁此地利根川ニ沿ふて街を立つ。吉田の来る所以、漸く理解するを得たり。吉田は利根川ニ平 素興味を感して利根川考を著し、造詣甚た深し。此地ニ客死する奇縁と云ふべき歟﹂と記している。ここで言う吉田 の著作は、﹃利根川治水論考﹄︵明治四十三年刊︶を指している。 、田原栄 ︵三回忌︶と吉田のための 早稲田大学は三月十日に、西本願寺に於て学苑の功績者、小野梓 ︵三十三回忌︶ 法要を営んだ。市島は吉田の追悼演説を行った。 大隈重信を会長とした大日本文明協会の理事長である市島は、時局研究会を始める一方、大隈主宰の雑誌﹁大観﹂ を創刊した。又、長年力を貸してきた、盟友である坂口仁一郎の著作﹃北越詩話﹄も漸く刊行の運びとなった。 吉田と同様遠縁にあたる会津八一が、新潟県下の中学教員から、早稲田中学教頭に就任したり、市島宗家奨学生で あった江部淳夫が熊本高校から文部省勤務となる ︵その後、高知高校設立に伴い同校初代校長︶等の市島にとって嬉しい 出来事も重なった。 3 又、余暇を使って自叙伝の執筆を思い立ち、先ず幼時から書き起こした。 市島の幼少時の出来事として、生家に時の越後府判事前原一誠が寄宿していた。市島の才能を見た彼は、父親直太 ─ ─ 70 郎にこの子を引取り傍に置いて育てたいと望んだという。直太郎の反対でこの希望は果たせなかった。前原は、少年 市島に自らの書﹁忠孝節義﹂を与えた。為書に﹁己巳仲春︵明治二年︶市島雄之助 源誠﹂とある。雄之助は市島の幼名、 源誠は前原の事。若し、前原のもとに居たなら、後年の萩の乱の奇禍に遭遇していたかもしれない、と市島は回想し ている。 た際、母が寄寓する西条丹呉家の近隣の人が偶々所持して この書も、一時市島の手を離れていたが、六月に帰省し4 いたのを譲受けて、東京に持ち帰り表装をし直し家蔵とした。 ︵一九八六年三月︶から掲載して戴き、市島が早稲田大学図書館長を退任するま 春城日誌の翻刻は、本紀要二十六号 での間を一区切りとし、五十七号 ︵二〇一〇年三月︶まで続けた。 その後、大正期の原稿を研究会のメンバーが作成していた事もあり、引き続き掲載をお願いしたところ、編集委員 会の容れるところとなった。本号から再び掲載する機会を得たのは感謝に堪えない。 なお、研究会として、現在これまでに翻刻したものを改めて校訂を試みており、機が熟すならば一つにまとめる事 を検討している。 注 ︵1 ︶ 春城蒐集印について ﹃旧富岡美術館所蔵 市島春城印章コレクション総目録﹄︵早稲田大学会津八一記念博物館編刊。二〇〇八年五月︶参照。 市 島 の 印 蒐 集 に つ い て は、 自 ら 語 っ て い る と こ ろ に よ る と、 書 物 に あ る 蔵 書 印 記 を 一 時 期 蒐 集 し て い た が、 書 物 を 傷 つ け る 非を覚り、蔵書印並びに私印の実物を集める事にしたとその動機を記している︵﹁名家私印の蒐集について﹂﹃清閑﹄第七冊、 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 71 昭和十五年十二月︶。 現在、早稲田大学会津八一記念博物館に収蔵されている市島春城印章コレクションは、旧富岡美術館所蔵のもので七百余顆 に上る︵﹃市島春城印章コレクション総目録﹄︶。 市島は﹁名家私印の蒐集について﹂においておよそ千顆蒐集したとある。 昭 和 十 六 年、 市 島 は こ れ ら を 東 京 美 術 倶 楽 部 で 売 立 て た 。 骨 董 商 を 経 て 富 岡 美 術 館 が こ れ を 所 蔵 す る に 至 っ た の は 、 館 主 富 岡重憲が市島と同郷であった事によるものか。富岡は、春城蒐集印を含む全コレクションを彼の郷里の新潟県糸魚川市に移す のが希望だったと伝えられる。しかし、それは果たせなかったが、村井資長元早稲田大学総長が間に立ち早稲田大学に帰する 事になった。本文に記したが市島にとり、会津八一は遠縁でありその成長を見守った人であった。市島は一時期、早稲田大学 に 実 物 資 料 を 蒐 集 展 示 す る 施 設 ︵ 博 物 館 ︶ を 設 け た い と の 意 図 が あ っ た。 そ う し た 経 緯 を 慮 る と、 こ れ ら が 現 在 早 稲 田 大 学 所 蔵に帰したことは、泉下の市島にとって望む所であったと言わなければならない。 ︵2 ︶ 第十三回全国図書館大会 全国各地より参会者百六十余名。第一日は、新潟県立図書館に開会。和田会長の司会で、岡田良平文部大臣︵代理︶、渡辺新 潟 県 知 事 、 平 松 新 潟 県 会 議 長、 桜 井 新 潟 市 長 等 の 祝 辞 に 次 で 、 傍 証 博 く 識 見 に 富 む 総 裁 の 挨 拶 で 終 っ た 。 引 続 き 本 県 出 身 の 有 力者市島︵謙吉︶評議員は、農村図書館設置を要望せる演説を試みた。それより、積善組合仁堂における協議会並びに講演会 に移った。新潟県立図書館長山中樵より提案の﹁戦後準備としての図書館計画﹂を協議、﹁地方図書館の郷土資料﹂︵大阪府立 図書館長今井貫一︶、﹁芸亭と石上宅嗣﹂︵山形県立図書館顧問渡辺徳太郎︶の講演があった。 第二日、弥彦神社参拝に次て信濃川分水工事視察をなす。 第三日│大会│長岡市互尊文庫│協議会に入り﹁時局下図書館の対策﹂についての提案を中心として議し、﹁図書資料につい て﹂︵今沢慈海副会長、日比谷図書館館長︶の講演があった。 口龍太郎稿﹁日本図書館協会五十年史﹂より抄録︶ 第四日│大会│県立高田中学校を会場として、﹁図書館についての感想﹂︵貴族院議員石渡敏一︶、﹁上杉謙信の信仰﹂︵東京大 学史料編纂所嘱托布施秀治︶の講演、春日山、林泉寺見学。︵﹃日本図書館協会百年史・史料第二輯﹄﹁日本図書館協会五十年史 事蹟年表﹂、﹃同・第四輯﹄ ─ ─ 72 ︵3 ︶ 自叙伝執筆 市島の纏まった自叙伝は、﹃春城八十年の覚書﹄︵早稲田大学図書館蔵︶があげられる。これは、昭和三十五年に早稲田大学 図書館で翻刻発行された。その他﹃憶起録 一名来路の記﹄︵幼少から東京大学退学後 ︶、﹃枕頭日記﹄︵喀血後の闘病記︶、﹃慟 哭録﹄︵父直太郎の死去を記す︶がある。 これらは、全て新潟市の吉田文庫に架蔵されており、筆者が本紀要に翻刻掲載した。︵﹁早稲田大学図書館紀要﹂五十八、五 十九、六十号︶ ここで市島が言う﹁自叙伝の幼少時代筋書数枚を録す﹂︵二月二十七日︶というのは、内容的には﹃憶起録﹄を指すものと考 えられる。しかし、その筆致を見る限りこの年の市島のものとはかなり隔たるものがある。また、五月末まで四冊を記し、な お三、四冊を必要とするという事などから、今後の調査を俟つ必要があると考える。 館に寄託された。 ︵4 ︶ 前原一誠書幅 。この幅には父直太郎が書き入れた巻留があると 市島の﹃回想録﹄︵中央公論社、昭和十六年︶に前原一誠との交流が詳しい 書かれている。市島の没後、遺された日記など自筆資料は膨大な量であった。それらは、四女光子より一括して新潟県立図書 その後、早稲田大学において百年史編纂事業を機に、同資料の市島の日記、随筆等を大学への移管の要請があり、曲折があっ たが、昭和三十八年に本書幅を含む市島家の家記資料等一部を除いて早稲田大学図書館に納められた。 二〇一四・一〇・三一 金子宏二記 ︵春城日誌研究会 金子宏二、久保尾俊郎、酒井清、松井叶子、渡部輝子︶ 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 73 双魚堂日誌 双魚堂日誌 大正七年戊午 一月 大正七年一月 起筆 習 生 じ、 清 閑 僧 ﹂︵一オ︶房 あ る が 如 し。 寧 ろ 会 心 也。 N 印刷の賀状を発する虚礼を厭ひ、数年来百通ばかり自筆 於て用をなしたり。奥田 N [万物一馬] 捺し、若しくは一顆捺したる者を出す。 N 書くを例とし、けふもそれを繰りかへす。 の賀状を元旦 N 印二顆を上下 [敬祝春釐] 万物一馬の大雅刻印は、本年 雲 蔵、 浅 野 赤 城、 小 林 堅 三、 下 林 貞 雄、 大 江 ﹂︵一ウ︶乙 亥門等来訪。一時頃より酒を始め、晩間客の散するを待 元旦 好晴、風なし。本年、午の歳。一夜明けて馬齢を重ぬ。 ち早々寝ぬ。寝後大腸痛み終夜困しむ。 二日 神保町 N 於て化粧道具并 N 毛布を購ふ。帰宅、下 N 朝来雨。腸患あれとも早く起床。今朝、 買物 を廃す。新年 例のことく朝起、先づ接するものは、各地より来る賀章 を ふ、 蘇の杯を挙け、 の堆を為すもの也。家族と 上らさる慣 N へす。 名刺を投して去り、堂 N 例のごとし。旧蝋の感冒漸く去り、腸カタル未た 近来賀客概ね玄関 ─ ─ 74 特別 イ4 1919 574 剤を服す。内藤久寛、丁酉銀行、増田義一 書状を発す。 N 夕刻、二回利す。腹部漸く快を覚ふ。新年初刊の北越新 報、 余 の﹁ 百 道 楽 ﹂ 二 頁、 新 潟 新 聞、 余 ﹂︵二オ︶の﹁ 衝 四日 前、坪内を﹂︵三オ︶訪ふて話し、 教来話、夕刻 話して別 話す。帰宿後、同宿の井上と酒を 甚し。朝 N 後再訪、十二時 晴、春気意外 朝 る。酔後、山田清作、土屋 る。東京宅へ絵はかきを発す。熱海細工茶棚を購ふて、 口発﹂第一回壱頁を掲出す。明朝、熱海へ赴くにつき行 李を調ふ。午後二、三来客あり。下剤の結果しば〳〵利 帰宅後昂居室の用 至り漸く眠を得たり。 N 協議す。 答書を発 N 供せんとす。今夜井上と対酌酣酔し N し、早く寝ぬ。 て臥す。十二時 付正午 N 暖。内藤久寛より来書、直 N 教来訪、﹂︵三ウ︶出版部の件 の を受け。談話を 書面を発す。坪内を訪ふ。偶々宮田脩来訪 N つゝけて夕刻帰宿す。 付学校の事を話す。坪内より午 N 新潟新聞社 す。土屋 晴、昨日より較 五日 三日 晴。熱海へ出発 下 N 会す。此度は例年より﹂︵二 N 会す。又、小田原 N 会す。国府津 N 付、九時家を出て九時四十五分の汽車 N 投 Nす。車中、平沼淑郎、前田多蔵 田原の女婿夫婦 N 車、電車出発を待合中根岸錬次郎 の電車中 ウ ︶都 合 よ く、 熱 海 行 の 軽 便 鉄 多く待つことなく乗る N を得、夜に入り熱海へ入る予定の処、四時半到達す。定 六日 晴、風。家信に接す。単衣、烟草其他小包宅より到達。 口屋、大混雑にて一室の空室なく、前夜着したる井 上辰と同室す。東京より携帯の鴨と菓子を坪内へ持せ遣 井上先つ東京へ帰へる 宿 る。東京宅へ二、三の絵はかきを発す。例なから熱海 N 井上去る。坪内を訪ふて半日出版部の刊行物 つき協議 N 付、朝より杯を挙く。十二時、 N 於ては安眠を得る能はす。 し、 晩 間 山 田 清 作 を 伴 ひ 来 り、 宿 に て 晩 酌 ﹂︵四オ︶を 与 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 75 帰京と決す。 N 渉り、多少原稿を書く意にて材 N 小弥太の訃を聴く。 滞在十数日 N にす。村井銀行之諸 七日 晴。熱海 料携帯の処、雑踏の為不快を感し、今朝急 九日 所得 N 付来話。踵て本田信教来話。 N 付割引料為持遣る。電話料并 N 晴。佐伯、吉田東伍の病状 丁酉銀行手形切替 購ひ、流逸 N 瓢を購ふてかへる。 N 税納了る。午後、児の室用の火鉢を小川町 新開作の馬鈕鉄印を購ひ高木方 N 荘 見送らる。車中帰京の客 坪内逍遙来訪、軽便の発車場 細貝正邦の易の原理と応用を読む。﹂︵五ウ︶ 十日 晴。今朝、昂、大磯 付来書。坪内雄 N 書状を発す。校友高橋与左衛門一身上 N を共にし午後去 付来話、馬越恭平宛添書を与ふ。吉田東伍を訪ふ N て其病状を見る。小田島桂香来話、午 の件 蔵、菊池三九郎 を交ふ。在大阪奥田雲蔵より身上の件 在る六四郎方へ赴く。内藤と電話 N を以つて填塞し雑踏云はん方なし。携帯の小説に読み耽 付、今日内子 N を﹂︵四ウ︶喫し、二時四十五分発汽車にて帰宅。 る。途中チラ〳〵降雪あり。十二時半小田原着。国府津 於 Nて午 八日 晴。吉田東伍旧蝋より病症憂ふべき容態 を見舞 遣 Nる。種村宗八、出版部を近かく会社組織とな 付 N来訪、長時間話して去る。菊池晩香より雲柑、 る。 閑 す件 佐野辰三より梨果、台湾和泉文三よりカラスミを贈り来 乗して酒前茶後録第四巻書き始め八葉筆し了 N る。一昨日来北陸大風雪、踵て昨日東海道米原辺大風雪、 口 清策来訪、物を贈らる。紐育発中村康之助の賀状到達。 古池より長尾秋水竹の半切一幅を購ひ改装を托す。 晴。三輪潤太郎、山田清作、種村宗八、古池聿三来訪。 十一日 る。﹂︵六オ︶ 汽車不通と報せらる。三十年来の大寒気と云ふ。季女を 伴 ふ て ﹂︵五オ︶神 田 一、 二 入 用 の 新 刊 書 を 購 ひ、 浅 草 N 金田 飯 Nし、活動写真を見てかへる。 ─ ─ 76 来る。四時より高田 N 招かれ上 N 午後、酒後録を筆す。新たに早大の会計主任となりたる 土屋啓造、新任の挨拶 ﹂︵六ウ︶ 野梅川 抵 Nり飲む。今夜、昂、大磯よりかへる。 十二日 を共にし 付、長時間話して去る。湯浅吉郎、 N 晴。市村英輔︵校友︶、金子馬治の紹介にて来訪、南北 社の美術書編輯之事 京都より帰京、同志社騒動の始末を話す。午 十四日 朝来曇天。午後一天雪を催し、寒気殊 甚し。古池二、 N 変す N 訪ひ、相携へて N を共にし、帰途四谷平山堂を訪ふてか 調印す。内藤を会社 N 三 の 幅 を 持 参。 近 か く ﹂︵七ウ︶出 版 部 を 株 式 組 織 午 N 付其の書類 る N 東京倶楽部 贈る。 N 書を発す。山 N へる。坂口五峰新潟発書状到る。晩間、内ヶ崎作三郎来 話。細貝正邦の易書を内藤 十五日 晴。田原柳城紀念録製本成る。坂口五峰 て別る。酒後録を筆す。午後巻菱州来訪。真島桂次郎寒 気見舞状到る。新潟新聞社より総会通知来る。真島桂次 田穀城 長文の書状を発し、五峰の越人詩話を紹介する N 郎 復 Nす。日本石油会社株主総会の通牒至る︵来ル廿五 余 の ﹂︵八オ︶談 話 を 新 潟 新 聞 差出す。吉田東伍 N 連載につき種々の注意を N 日︶ 筆記を一括して小包 申し送る。并 N 長尾秋水幅代七円五十 N 簡し吉田東伍の病状を報す。午後、 N 簡して転地治療を勧む。古池 N 銭払済。高橋義彦 高木を訪ふて若干の払をなし、唐物大箕局を購ふ。又、 飯し、丸善を訪ふて、ヲー N ﹂︵七オ︶ 十三日 日曜 晴。校友志手環来訪、応永版経を齎し来り示す。季女を 伴ふて銀座 物を購ひ松喜 N シ N 惜しきもの也。孤村と同村の好みある余、 N 池田孤村筆銀地極彩色蓮の袋戸二枚を購ふ。これ現下要 なきも、真 休息し N マルカイムの詩集アルバムなどを購ひ、神田流逸荘 ヤヴ大砲型の風鎮四個を購ひ、今川小路風月堂 てかへる。在熱海坪内逍遙より来書。西鶴一代男読了。 放擲他人の有となすに忍びさる也。増子来話。﹂︵八ウ︶ 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 77 十六日 種村と電話 話す。古池聿三、対山人花鳥の幅を齎らし N 来る。星巌詩幅を出して此幅を購ふ、価四十五円也。三 を共にす。万暦赤絵の陶器を預る。 晴、風。原久一郎、一身上の件 輪潤太郎来訪、午 付来話。高田俊雄、種 N 村宗八、小久江成一来訪。出版部の組織変更を機とし、 招かれ築地福山田 N 飲む。内子病む。 N 今夜、横山俊次郎 十九日 荒川、小柳両人を罷め山田清作を代りに入るゝ件 付内 N 渉る。菊屋、花を携へ来る。横山俊次郎よ N 議、長時間 晴。高橋義彦 付書状を発す。伊東祐穀 N 出京を﹂︵一〇オ︶もとむ。日清 N り十八日招宴の書状来る。良寛会の通知書到る。島根県 生命保険会社へ利子仕払の件 発電、急 N 出先より大鳥居弃三の書到る。田中唯一郎より長崎の䩹 方へ悔状、香典為持遣す。高木方へ使を遣り不用品二点 々思立、銚子へ赴き 金十円也買物代の内金遣す。山田清作来訪。 N 物を購ひ、四谷 N 蘭渓 N 平山堂を訪ふて書画明墨を購 N 晩食し帰宅。不在中、小田島桂香来 N 城より来書。夜に入り高橋義彦より返電を得。 訪。今夜、昂同人を会して三弦のさらひを為す。山田穀 ひ、利助と三河屋 神楽坂 ︵一〇ウ︶三百円と記入。高木より古銅大筆架を購ふ。二時 粉本表装を托す。新築家屋の申告手続を為す。建築費千﹂ 頼。二月中出来の約也。暁斎松浦武四郎宛書簡并 たる旨を報ず。表具屋古沢来る。六曲小屏風壱双調整依 ︵ママ︶ 吉田東伍妻来り、昨夜東伍転地を 遣す。外 子一ツ箱贈らる。酒後録を筆し、終日家居。﹂︵九オ︶ 十七日 教来話。森脇美樹、山田清作又来る。三島良 昨日来寒気一層甚し、晴。伊東祐穀母の訃到る。原久一 郎、土屋 蔵より蟹を贈らる。高橋義彦 付 N 到 N 及はさる事となりた N 於て発表せさる N 再び吉田東伍の病状を報 N 改める N し、出京を需む。出版部の内容を学校 方針 付 N、此際組織を急 るにつき、種村宗八右協議旁来訪。午後、落合の荘 付事を托す。出版部の組織変更 N り、物を整理し夕刻帰宅。﹂︵九ウ︶ 十八日 晴。小林堅三来訪 ─ ─ 78 二十日 ﹂︵一一オ︶掲く。高橋 N 答ふ。関 N 書状を発 N 托したるも N 電報并 N 晴。土佐鉄綱揮毫当帰の画額、旧蝋表具屋 の出来、坐敷 し、吉田東伍の病気 つき云々す。山田穀城 N 写真す。高木方 N 飯し、浅草公園の N 太郎来話。末女を伴ふて九段坂壇上方 立 N寄、銅筆架代払了。銀座の松喜 り小林堅三を明日中銚子へ達する様派遣 申合せ、自分は明朝八時半の汽車 る筈 N 決す。 N 出発、学校よ N 二十二日 入り憩ひ、八時三 N 一時 今朝五時、銚子より吉田の病状益々危篤の電話到る。六 絶へず茶屋 N 時半、倉皇両国の停車場へ向け出発す。発車時刻 間余の時を剰し、寒気 十分発車。余、往年千葉 来りたることあり、以往は初 N 活動を観、夜に入り帰宅。高橋義彦より廿二日一番にて 達し、観音 N 入れば、昨夜発之 N 着。更らに人車にて十七、八町、飯沼 N めて也。﹂︵一二ウ︶佐倉、東金等を経、十一時四十五分銚 子 上京の旨電報あり。外同人より二通の郵書到達す。 二十一日 入り病室 N 家族は今朝着の由にて枕頭に在り。病人は昨夜来人事不 堂前の吉田の旅宿吉野屋 省にて、最早絶望の有様なるに落胆す。東京より今朝前 晴。内藤久寛より石油消費税の件 吉田東伍、銚子転地先より来書。古沢表具屋を招き山県 田医学士も来着、病症の尿毒症なることを聞く。当地へ ﹂︵一一ウ︶付電話来る。 N 元帥并 小 N蘋の幅装潢を托す。学校図書館へ若干の図書 遺尿 N を寄贈するに付、坪内大造を招き図書の解説を筆録せし なく、且つ二合の酒を一合尽したり。但し、布団 到着吉田の動静を聞くに、十九日午後八時着、当夜別状 書状を発す。酒後録を筆し半日を消す。巻石 N む。多くは草稿類にて紀念となるべきもの也。吉田東伍、 小田島彦 ありしと云ふ。﹂︵一三オ︶二十日も別条なく子息両人を東 在り。昏々として食を断ち、晩間宿の主婦の N 京へ戻し、此夜も二合の酒を尽したりと。二十一日は、 終日辱中 書 Nを投して、交用の画を請ふ。夜に入り千葉県出先よ 達す N り吉田危篤の報あり。取りあへず吉田宅へ往き、今夜、 夫人、佐伯、﹂︵一二オ︶前田医学士同伴、徹夜銚子 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 79 入り、初めて苦悶の状と満身痙レンを N 陥りたりと云ふ。佐倉よりは順天堂院長 N 医 を 迎 へ 通 宵 看 護 を 尽 し た る も、 其 效 な く N 点燈せんとて室 認 ぬ。 急 益々危篤の状 来る。此地利根川 N 沿ふて街を N 佐藤恒二博士も来診あり。午後、東京より小林堅三来着。 当地二、三の校友見舞 絶命。東京よ N 客死する奇縁と云ふべき歟。東京 N 二十三日 雨。吉田遺骸、銚子 附する予定の処、今朝 N 積み、本日午後五時半の急行汽 N 於て荼毘 N 模様を変し、連結貨車 車にて一同附添帰京と決す。﹂︵一四ウ︶内ケ崎、先つ帰京。 高橋義彦、小田島彦太郎東京より来着。午後納棺、一同 見送り 来る。千葉駅より喜田貞 N N 吉田宅 N 、親族は馬車にて直 N 九時両国着。棺は棺車 N 関 す る 事 務 を 処 理 し 一 時 帰 宅。 坪 内 よ り 新 刊 N 到る。当夜両国 て葬式 学校各部の人々多数出迎ふ。吉田宅 N 吉、煙山専太郎、東京より態々慰問の為め来り乗り込む。 平素趣味を感したりて利根川考を著はし、 四、五の人、停車場 N 立つ。吉田の来る所以、漸く理解﹂︵一三ウ︶するを得たり。 護して銚子駅を五時四十分出発。銚子の町民総代として 吉田は利根川 造詣甚た深し。此地 へ二、三のはかきを出す。七時十五分終 り早大理事総代として内ケ崎作三郎来る。又、横井春野 読む。新聞記者、 N ﹁名残の﹂︵一五オ︶星月夜﹂を贈らる。市島九郎より菓子、 来る。十二時頃神主来り慰詞を枕頭 博士の臨終を聞かんとて四、五来る。大略を説示す。東 高橋義彦より蟹を贈らる。賀田直治、朝鮮より帰来、物 二十四日 京の朝日、中外新報より電話にて余の説話をもとむ。多 故博 N を贈らる。 就く。横井春野 N 忙中大略を話す。高橋義彦着﹂︵一四オ︶京、明朝一番当方 へ出発の電報来る。午前二時寝 晴。今朝、物を齎らして内子、吉田方へ見舞 行く。神 N 士の履歴を口授し、筆記せしむ。此地東京 楽江巻石、前日依嘱せし小切を揮毫して携へ来る。䩹子 骨 N 比すれば気 N 遣す。関太郎、小久江成一、菊屋来る。菊屋 N 清潔を欠き N を礼 温十度位暖なり。旅館下級にて、室寝具共 不快を覚ふ。 ─ ─ 80 付晩間三人と会食す。高田早苗 N 董代十円払。午後、増子喜一郎来訪。高橋義彦、旗野蓑 織、小田島彦太郎来訪 付、 N 棺を送り、一時近く吉田方へ帰 官、平田盛胤也。十一時半、﹂︵一六ウ︶全く式を了り、余 等親族、代々幡火葬場 対し二割、外 へり直ちに帰宅。日本石油会社より旧株 N 特別配当五分計壱百八十七円五十銭受領。右は下半期 N 松平、牧野を招く N 分配当なり。良寛会より来書。賀田直治結婚につき鰹節 より廿七﹂︵一五ウ︶日、自笑軒 到り葬儀の部署 N 利子壱百六十一円余渡す。晩間、吉田葬儀の為出京之石 棺前 を麻布宅へ為持遣す。良寛会へ金十円寄附申込む。昂名 侍して帰宅。旗野、今夜余 N 余をも招く旨申来る。晩食後、吉田方 等を協議し、十一時 の家 宿 Nす。 塚三郎、松木弘﹂︵一七オ︶来訪。晩食を共にして長時間話 義不動産所得税九円三十六銭納付。日清生命より借入金 付来訪。吉田方へ N す。在熱海坪内雄蔵より来書。 二十五日 書状を発す。午後、谷中斎 N 晴。賀田直治、明後日結婚内宴の件 賻䮒 見 N舞物を贈る。高田 臨む。巌谷小波より千里閣 N 晴。今朝、島田三郎より電話にて吉田東伍を悼むの挨拶 二十七日 場 於 Nける手島精一の葬儀 坪内よ N 賛﹂︵一六オ︶成之返簡を投す。高木方に N て凉鴻一古銅筆立等を購ふ。横山又次郎の前世界史刊成 あり。在熱海坪内雄蔵へ返書を投す。高田早苗 勧進状到る。直 り出版部より配達を受く。今夜、吉田方へ行かす、早く 払了。 N 至 り、 賀 田 N 列す。出席者後藤男、仲小路廉夫婦、 直治結婚の内宴 N 二、三重要の事を協議し、﹂︵一七ウ︶紅葉館 議を開き、遺産を調査し壱万五千円を得たり。遺著其他 十一時、吉田方へ到り祭典後、親族会食。終つて親族会 りの来書を転送す。竹石幅代三十五円、平山堂 式を執行 N 臥す。在熱海坪内逍遙より来書。 二十六日 赴むく。神官、棺前 N 而棺 N 着。十時より式を行ふ。祭 N 出棺。途中葬列を廃し、親戚馬車 N 晴。今朝七時、吉田方 後撮影し、直 尾 N行。九時半、青山斎場 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 81 小宮五百松夫婦︵賀田新妻の親︶等十六、七名。 二十八日 昨夜来雪あり。今朝積むこと二、三寸、今年の初雪也。 図書館協会の大会を開く件 付林静治より来信。余より N 掲載せられ今朝贈附を受く。加賀幸三出京来訪。 N 材料を与へたる市島家の事蹟一月、二月号博文館の農業 世界 来 話。 学 校 よ り 吉 田 氏 付其案を作る。落合の荘 N 不用の図 N の逸事談話を 報告す。午後、小田島桂香 N 云々の通知 N 朝鮮本を学校 N 市島九郎︵神屋毅一郎の子、早稲田在学生︶、種村宗八、 踵て川上法励来る。種村宗八、小林堅三、三輪潤太郎又 表具屋来る。古池、楊伯潤の浅絳山水大幅を持参。在大 へ﹂︵一九オ︶引取る件 弔慰金の件䮒 N 阪奥田雲蔵より来書。北堂へ反物を小包にて送る。午後 を得たるにつき、高橋義彦 付、学校より非公式 N 閑を得、茶後録﹂︵一八オ︶を筆す。大正六年度宅地祖第二 来る。澄泥研一、印二顆を購ふ、代済。 掲載 N 晴、風。三輪潤太郎より来書。故吉田震 三十一日 期分十三円余納了。平山堂より二月二、三両日売立目録 を送り来る。日清生命より利子の計算を改め、二十円を 減して返却し来る。 新潟両新聞 書を携帯。張交屏風幅二持かへる。郷人の張交屏風を作 二十九日 晴。市島九郎より来書。関太郎来訪、外平内動録の執筆 らんと欲して半日材料を検出す。二、三枚不足 を贈り来る。 ﹂︵一九ウ︶書を発して割愛を頼む。越後赤塚内より納豆、 N 付桂香 N 未完の分を談話し筆録せしむ。これは往年天野、学長た 訪ふて、 N N 入り帰宅。種村宗八より﹂ N らんとして失敗の歴史也。午後、高田を動坂町 出版部其他の件を協議し、夜 付丹呉康平より、本年六月新潟県 N 来書。田中四郎左衛門母の訃到る。 ︵一八ウ︶ 三十日 晴。吉田死去の件 ─ ─ 82 二月 出席、主人役をつとむ。此日、閑を偸み収蔵の硯を検す。 大小各種三十を数ふ。在金沢寺島元重より来書。 晴。朝吹英二の葬式︵青山斎場︶ 三日 物 を 購 ひ、 松 喜 牛 肉 店 N 一日 晴、風。小田島桂香より来書。湯浅半月、山田清作、花 女を伴ふて銀座 活 動 写 真 を 見 て 薄 暮 か へ る 。 不 在 中、 N 士図書館設置の件 四日 して快を覚ふ。 書を与ふ。半夜、腹痛を感し天明 N 眠る能はす。服薬 付来訪。午後、小雨あり。佐伯叔作 N 賀田直治夫妻来訪、反物を贈らる。又、角田喜三郎、富 酒飯を済ま N 臨み、式後同伴の季 N 田準一来訪。山田より実伝小説六冊贈らる。川上法励来 し、﹂︵二一オ︶浅草 訪 掲載之故吉田博士の逸事を二時間余 N 付 N、新潟新聞 談話筆録せしむ。朝吹英二の訃到る。午後、田中四郎左 衛門﹂︵二〇オ︶母の葬儀 臨み︵両国回向院︶、了つて美 N 術倶楽部の売立を見てかへる。高橋義彦より来書。田中 へ香典三円遣す。故吉田博士の逸事談を新潟新聞へ遣す 書状を発す。桂香より返書来る。高木を N 晴。腹痛癒え八時起床。市島琢造、高橋義彦より来書。 付 N山田穀城 訪ふて物を購ふ。 越後校友山岸估太郎の訃到る。賀田直治と市島﹂︵二一ウ︶ 付、電話を以て交渉す。賀田直治へ市島九郎 N す。平沼淑郎、稲葉君山 書を発す。菊屋来り、 N 履歴書 茶幅を持参、勘定前回分残額六円五十銭払済。 付談話を請ふ。乃ち筆記 N せしむ。田中唯来話。山岸へ悔状を出す。坪内士行より 花田準一、故吉田博士の経歴 其一の 九郎の件 二日 引つゝき故 N 所感を口授筆録せしむ。新潟吉田和 N 晴。増子喜一郎来話。川上法励来る。昨日 吉田博士の逸事䮒 男﹂︵二〇ウ︶より来書。市島九郎来訪、物を贈らる。午後、 任せて書画を出し示し、 N 出版部の新年宴会を開らく。 N 久代金也、浅野赤城来訪、問 共 娯 Nむ。今夜、築土梅月 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 83 来書。午後、閑を得て下物 書状を発、病状を問 N 出すべき不用の道具を検し、 N 若干を得たり。在新潟坂口仁一郎 ふ。晩間、関太郎来訪。﹂︵二二オ︶ 五日 六日 雨。賀田直治方へ人を遣し、反物を遣﹂︵二三オ︶す。今日 付、 N 訪ふて云々の相談をなし、 N 托し香典金三円也為持遣る。内藤より依頼の件 N 午後、山崎直三父の葬儀あり。差支会葬出来兼、小林堅 三 井上辰九郎を本町若尾銀行 ケンドン金物修繕出来。大阪木崎好尚より山陽の遺簡を 会し、書簡を久原家へ売却の件 去つて内藤を日石会社 頼みたる箕局の N 載せたる雑誌を贈り来る。山崎直三父直胤の訃到る。平 月堂 曇天。湯浅半月、三木武吉来訪。菊屋 山堂より落札の古銅研屏︵三十五円︶持たせ遣す。水谷 購ふ、値百円也。大阪出先山田東洋より細書あり。﹂︵二 協 七日 今朝雨晴る。朝 訪ふ。﹂︵二四オ︶ N 訪ふて、日石増 N 臨 N 付来話。巌 N つき協議す。森脇来訪、文明協会より金壱百円 N 図書館大会を開く件 N 資趣意書案を協議し、内藤を日石 み、午後二時、井上辰九郎を若尾銀行 谷小波へ千馬会募集金十円送附。日清印刷の重役会 受取。林静治、新潟 を発表 後、昆田を訪ふて学校の会計調査報告 飯し、高木を訪ふて、漢銅大香炉︵びんかけ︶を N 付内議す。今川小路風 N N 竹紫、昂を坪内士行一休禅師の踊のため云々の依頼をな 訪ふ。偶々書物屋村口半次郎 N し来る。﹁大学及大学生﹂記者大津貞蔵、故吉田東伍の つき来談。客散して後、 N 渉る談話を筆録せしむ。 N 三ウ︶ 事歴の談話をもとむ。二時間 三木武吉区会議員選﹂︵二二ウ︶挙 茶後録を筆す。種村より来書。九日、会津八一、佐々木 訪ふ旨を報し来る。原白光 N を 示 さ る 。 内 藤 よ り 電 話 来 り、 護邦を伴ふて、坪内を熱海 ︵久一郎︶より近作二 付種々内談あり。夜に入る N 訪ふ。内藤より日石会社を増資 二時自動車を駆り麻布 N して、五千万円と為す 議してかへる。 ─ ─ 84 八日 酒を贈らる。大石 付云々す。二、三家へ紹介状を N 晴。増子、山田清作来る。山田より 正平来り水藩史料の件 与ふ。吉田の遺骨を明日郷国へ持行く 付、内子上野 N 見送る。深更、石塚三郎より電報にて 吉田遺骨出発時限を照会し来る。 十日 日曜 曇、午後雨。江部淳夫より来書。内藤久寛より過日の趣 意書を訂正をもとめ来る。安蔵吉次郎より来書。表具屋 付、未亡人挨拶 N N の為来る。植木屋を僦ふて玄関横袖墻を修理す。十六日、 直し仕立の事、外 N 来り張交屏風の張替を為す。地袋茶室用二枚、二枚折屏 風半隻﹂︵二五ウ︶孤村画地袋を坐屏 日清生命会社の総会の議案到達す。余の新潟新聞のため 関する記事、昨日到達 N 対山幅修補を托す。不動産商会回復計画 談話して筆録せしめたる故吉田 の同新聞紙上より掲載を始む。富山の小沢隆一よりタラ 鈴木湊、綿貫助次郎来訪、且物を贈らる。不用品一車、 付中島重太郎、 N バ蟹を贈らる。小波より自筆の小切﹂︵二四ウ︶を贈らる。 謝書を発 N 招かれ、原宏平、 N 行く。角田竹冷、坪内逍遙、和田万吉 N 築地の三五亭 N 高木方へ遣す。石塚三郎より来書。巌谷小波 昆田文二郎と共 す。今夜、賀田直治 落合の荘を訪ふて、若干の物を齎らしかへる。 九日 紹介す。昆田文二郎、学校の N 書。日石総資二十七日株主総会を開く通牒来る。﹂︵二六オ︶ 晴。市島九郎を賀田直治 気来訪。内藤と電話を交換す。三田村玄龍来訪、膝栗毛 絹紙を寄せて書画を請ふ。張交用也。市島九郎より来 N 考証の序文を乞ふて去る。井上円了、寺島元重より余の 十一日 紀元節 曇天。朝来日石増資趣意書を書き直し、正午 つき来話。本田信教、小林正 N 揮毫をもとむる為め小切を寄せ来る。午後、児女と芝辺 内藤へ郵送す。越後人物伝編纂 会計調査報告を発表の件 を散策し物を購ふて﹂︵二五オ︶かへる。小沢隆一へ謝書を 表具屋 托したる佐久間象山仲氏易序跋一巻、蘭渓粉本 N つき原山要太郎来訪。 N 成り、 N 発す。今夜八時発汽車にて、吉田遺骨を擁し未亡人出発 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 85 して別る。内藤より使にて余起案の趣意書を清 を寄せ来る。金沢市寺島元重 書状を発す。巻菱洲来る、 N 一巻装成る。奥田雲蔵、日石入社決し、大阪の住友を辞 午 を して出京来訪、多時話す。宇尾野藤八長男潔、学業の件 ︵ママ・万︶ もと N 付あり。字句の修正を菊﹂︵二七ウ︶池晩香 和田曼揮 N 付す。表具屋へ依頼之六曲小屏風 む。平山堂より書画売立目録を遣す。逍遙䮒 毫の小切を表具屋へ 簡して、也軒の揮毫を依頼す。 N 晴。坂口五峰より今朝着京の報あり。菊池晩香加筆の趣 十四日 壱双出来。広田金松 ︵ママ︶ 書して つけを贈らる。﹂︵二 付 N来訪。熱海の坪内を訪問の会津八朔より来書。内藤 万の魚の 嘱したる画成る。小田島桂香より来書。 N へ書状を発す。奥田より 六ウ︶ 十二日 晴。和田万吉 安蔵吉次郎来訪、宗家の経歴を載せたる農業世界二冊携 意書を内藤 送付す。竹冷より揮毫の短冊到来、謝書を N 付坪内を熱海へ訪問帰来、今朝 N 書状を発す。田代英一来訪、 N 小切の配合を試む。永 N N 書状を発す。午後より新調屏風 昂地を引きたる礼とし N 楽倶楽部 て十円の三越切手を送り来る。植木屋 連載之吉田博士 N 分にて完結。夜来雨あり。 る。新潟新聞 付ての談話、本日着の N 円払済。刊行会近刊百家随筆中蕉斎筆記を読み、夜に入 竹垣結手間代五 N 於ける坪内士行稽古 N 一身上﹂︵二八オ︶の件を云々して去る。熊本の江部淳夫 帯。種村、出版部の件 立寄、古銅研屏代三十 N 為持遣る。在熱海坪内逍遙 し、帰路平山堂 訪ふて増資趣意書を加筆し、日 N 午 N 来話。内藤を日石会社 本倶楽部 付更らに二通差入、期限六十 N 五円払。更らに花瓶一を携へかへる。貯蔵銀行手形︵六 〇〇、と一〇〇〇︶期限 ︵ママ・桂香︶ 謝状を発す。小田島鶏口 N 答 N 日間。和田万吉﹂︵二七オ︶ ふ。長屋の墻根両三日前より植木屋修理之処、今日成る。 十三日 晴、風。森脇美樹来訪。捧亦七来訪、一身上の事を云々 す。在熱海坪内逍遙より来書。揮毫を頼みたる小切二枚 ─ ─ 86 十五日 晴。内藤より書簡を岩崎家へ売却の件 ﹂︵二八ウ︶ 付来書。坂口五 N 峰、小沢隆一、石野元蔵来訪。表具屋を招き、朝来六枚 折小屏風壱双張交を為す。半双張り了る。真島桂次郎よ り良寛会へ出品の件 付来簡。坂口より紫微を贈らる。 N 付来訪。 N 山県有朋和歌、野口小蘋観音外、河鍋暁斎証文装禎成る。 浅川保平、区会議員選挙の件 十六日 拠れば、北堂去八日丹呉へ仏事 N 行かれ入 N 晴、風。仏国巴里発吉江喬松より来書。﹂︵二九オ︶丹呉達 三より来書 口にて身体の自由を失はれ、医師之診断にて軽症の中風 と知れ、三日ほと丹呉 静養、その後回復されたりとあ N 答 Nふ。表具屋来り張交を為す。正午 成る。良寛 N り。右 付 N丹呉康平へ書状を発す。宇尾野藤八より来書、 直 つき、 N 招飲の電話来る。真島桂次郎より良寛会へ出陳の二幅 N 到達。 十七日 日曜 晴。内藤より依頼の支那留学生を世話する組織案 今朝取あへす余の意見を認め、長文の書状を発す。日清 生命保険の配当金三十七円五十銭︵妻の分も同様︶領掌 ︵一割二分︶。丹呉康平より母の病状通知あり。昨日、丹 散﹂︵三〇オ︶策、銀座伊 N 万年筆を購ひ、浅草之活動を見、薄暮帰宅。在金 N 呉達三報する所と同じ。日比谷 東屋 付来書。不在中、関太郎来 N 沢寺島元重より蒲鉾を贈らる。吉田未亡人来訪、物を贈 らる。関野貞、海外へ留学 訪。 十八日 晴。田原未亡人来訪。宮田修、学校之会計調査報告、 々 つ N 進みたりとて壱通を齎らし来り贈らる。こ N 発表する 書状を発す。内藤と N 会䮒 美 N術院より来書。丹呉達三 は雪かれたる也。多時、学校之将来 会︵支那留学生 対する︶ N つき数時間青柳と話し、食 N き話す。青柳篤﹂︵三〇ウ︶恒を招き、内藤より依頼之善満 れにて余等の 諸般の事を協議 於て松平、牧野と共 N 入る N 電話にて話す。山田清作来話。午後二時より九段魚久方 文 N明協会の幹事会を開き、夜 す。高田﹂︵二九ウ︶より廿日自笑軒 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 87 事後別る。在西条北堂へ見舞として小為替発送。 十九日 訪ふて、其依嘱の善満協会 N つき話し、 N 晴、風。巻菱洲、角田喜三郎、並木覚太郎来訪。十時、 内藤を日石会社 二十一日 郵送す。関太郎、昆田文二郎来話。 N 二通の書状を発す。越人詩話印刷見積 N 晴。旗野澄子、上京来着。並木桂処より来簡、二詩を示 さる。内藤久寛 書を越後坂口五峰 川上法励、近日帰国 付来訪。午後二時出游。高木を訪﹂ N 十二時帰宅。午後、善満協会発起案を起草す。井上円了、 ︵三二オ︶ふて物を購ふて帰へる。 晴。増子喜一郎、関太郎来る。大鳥居弃三、森脇を招き、 二十二日 寺島元重、江部淳夫より依頼の物を揮毫す。﹂︵三一オ︶青 柳篤恒より来書。 二十日 付協議す。預け N 文明協会の時局研究会を大隈邸 開く N 晴、風。種村宗八、森脇美樹、木村大見、小野塚弘︵植 金弐百五十円引き出す。午後、平山堂を訪ふて観山幅売 残りたる品物若干、弐百円に N 物保護会社技師︶、並木覚来訪。良寛会々場日本橋倶楽 却の事を托す。旧臘売立 て売却を了りたることを聞く。花瓶一、利斎松炭斗を購 幅一︵真島蔵︶為持出 N 陳す。内藤と電話を交換す。宇尾野藤八より来書。二時 ふてかへる。表具屋 部へ良寛幅二︵家蔵︶、碑文䮒 訪ふて、其の近かく獲たる書画十 半、高田半峰を動坂 N 直し 買求めんと N 来書。賀田直治より朝鮮着の報到る。朝倉亀三より来書。 表具﹂︵三二ウ︶屋へ遣る。松井郡治、田代英一より N 托したる幅箱二出来、山県の書幅 N 数幅を見る。携帯の小蘋観音小品、梅園の幅の代りに贈 飲む。松平、 N 大阪の山口吉郎兵衛、余の書簡巻を二万円 招かれ自笑軒 N 牧野、塩沢、両田中、坂本、前田来会。在上海岸至より 申来る。夜来小雨。 る。﹂︵三一ウ︶四時より高田 絵はかき消息を受く。 ─ ─ 88 二十三日 返書を投す。十時、日本 N 小雨。今朝、使を内藤方へ遣し観山幅持帰へる。村井銀 行へ金二百円返済。朝倉亀三 至り谷信次郎 N 時々開﹂︵三四オ︶会の件 N 付 N 投票をなし、大隈侯を杉山重義と同訪、 N 文明協会の研究会を侯の邸 協議し、侯の同意を得てかへる。平山堂へ観山幅を遣す。 売却せしむる為めにて、差向八百円受取。 N 右五百円にて、旧臘平山堂より融通の五百円差引返却、 右は千円以上 三百円正金にて受取。今日好天気、漸く春めく庭園 橋倶楽部の良寛会 余。郷里より態﹂︵三三オ︶と東京へ持来るもの百四、五十 てゝ諸樹の新芽を検す。巻菱洲来話。自叙伝を作らんこ 到り、陳列の遺墨を観る。点数二百 N 点、実 良 N寛遺什の大観也。一時帰宅。北堂より代筆の 小川、 N 渡す。古沢 N 付 N 飲み十時帰 N 出 N 書状到来、病状追々軽快の様子也。良寛会へ寄付金十円 招かれ自笑軒 N とを思ひ立ち半日籠居、其案を立つ。小川為次郎と高田 半峰 N 帝国劇場へ行く。光と N 渡済。三時、坪内士行之劇見物 会し、終 N 半峰の宅 表具屋 出金分返却。金七十円月末家内用金、内子 晴。関太郎来訪。内藤へ金二百五十円、観山幅引取 二十六日 旗野澄同伴す。駐露日本大使引揚の新聞号外出づ。 教、 出 版 部 の 件 宅。﹂︵三四ウ︶ 観山幅売却を托す。﹂︵三三ウ︶土屋 N 二十四日 日曜 晴。安田恭吾、関太郎、朝倉亀三、平山堂利助来訪。利 助 付 N来訪。原宏平より来書。客散する後、女児を伴ふて 外出。高木方 十五円渡す。高木を訪ひ、午時、中華亭 N る。﹂︵三五オ︶ 到 達。 外 出 中 菱 洲、 渤 海 蔵 真 帖 を 携 帯 し 来 り 留 置 き 去 を与にす。松井郡治へ答書を発す。丸善を訪 高田と午 物を購ひ、十円勘定の内へ払。銀座の松 N 活動写真を見、夜に入り帰宅。 N 喜 飯 Nし、付近の金春館 ふて、雑書を購ふ。三月五日府会議員補欠選挙の入場券 つき、区役所投票所 N 不在中、大阪の小川為次郎来訪。 二十五日 晴。今朝八時、牛込区会三級選挙 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 89 二十七日 晴。増子喜一郎、会津八一を中学の教頭と為す件 付来 N 話。種村、山田清作、巻菱洲来話。小田島、古池、菊屋 へ書状を発す。吉田東伍宅より故人の小照三枚を贈らる。 午後、筆硯 親しみ、自叙伝の幼少時代筋書数枚を録す。 N 岱海翁、迷庵二小幅装 N 今回始めて也。巻菱洲再訪、渤海蔵真帖八冊購入、金三 十五円渡す。真島桂次郎より白魚を贈りたりとて書状あ り。 三月 一日 晴。良寛会事務所へ使を遣り、出品の幅、真島并 表具屋 直 Nしを頼みたる二幅外 成る。会津八一、吉田春太郎︵東伍長男︶より来書。夕 義彦分共引取。高橋義彦、明日出発、上京を報じ来る。 答ふ。真 N 高橋 N 刻より雨。内子、雛壇をかざる。夜来降雪。青柳篤恒よ 真島桂次郎 書状を発す。又、会津八一の書 N り来書。﹂︵三五ウ︶ 二十八日 の剰り米を搗く。此米 島より贈られたる焼白魚到﹂︵三六ウ︶達。日本石油会社よ り増資決定の通牒到る。歳首の は越後より取寄せたる者也。真島より良寛会へ出品の二 至 る も 已 ま す。 満 園 白 N 皚々、脱葉の樹木、葉の代りに雪を戴き、空濶を感した 幅、鉄道便にて発送す。閑 雪。 昨 夜 よ り 降 り つ ゝ け 午 後 る庭園賑かになる。硝子越しに雪景を賞す。巻菱洲、窮 を録す。三田村玄龍より嘱された膝栗毛輪講の版本第二 草す。尚ほ推敲を要す。 N 乗して自叙伝中幼児の思出 N を訴へて来る。若干の金を与へて、他へ抵当に入り居る 巻 題する序文を試み N 菱湖の印を取り出しに遣る。菊屋花を携へ来る。堆朱の 晴、風。寒気再襲。今朝、落合の荘へ雑幅、二、三の什 二日 り続き、樹枝圧せられて折れんとす。家人、竿を携へ雪 器、植木など為持遣り、﹂︵三七オ︶二枚折屏風二取寄せる。 瓶敷を購ふ。自叙伝幼少時代を書きつゝく。午後も雪降 在りて斯の如くする﹂︵三六オ︶こと を払ふて扶く。都下 N ─ ─ 90 り通俗クラシックの件 付来書。関太郎、早大紛擾始末 N を脱稿して携帯。朝倉無声より来書。湯浅吉郎、巻菱洲 小田島桂香来訪、古銅印壱顆を購ふ、代十円払了。賀田 直治より結婚祝物を贈り来る。閑 教、十 乗して自叙伝幼年時 N 来訪。巻 付来話。 N 答ふ。菱洲、典物となしある印を携帯し来る。一 N 菱湖用印五顆、菱潭遺印五、 N 決し内渡し N 寿山大印二顆あり。 N 此内菱湖遺印尤も佳也。百円の価にて購ふ 定め、譲受 N 付横 N 其の先人の遺墨一幅を贈る。今日、 N 遺物出版の協議を為す。同し件 井春野来訪。高橋 来訪、故吉田震 菱洲より買受たる蔵真帖、内藤へ贈る。午後、高橋義彦 種村宗八来訪。内﹂︵三九オ︶藤へ使を遣はし百五十円受取。 晴。朝来、表具屋来り、二枚折屏風張込越後屏風成る。 五日 して切手を贈り来る。白張二枚折屏風出来。 為め已むを得さる也。﹁大学及大学生﹂雑誌より謝礼と 証を取る。それほどの価あるにあらさるも、本人を救ふ 三十円、残金は菱洲の必要 応し出金する N 六顆、立基刻﹂︵三八ウ︶印壱顆、外 函大小十数顆を収む。中 朝倉 日本願寺の法要︵小野、田原、吉田の為︶之件 菱湖遺印代の内三十円相渡す。土屋 N 佐々木護邦外二、三 N 付協議す。山口剛、 N 代を筆す。五時より神楽坂青陽楼 を会して通俗クラシックを出版する 会津八一も来会。 三日 散策す。高橋義彦、出 N 語りつゝく。午後、児女と 晴。小田島に托したる柳湾扇面到達。鴇田良之輔の訃到 る。坂口五峰来訪、十二時 共 例 Nの﹂︵三七ウ︶ことく浅草辺 N 付、学 N 京来訪の約あるにつき三時帰宅。来る十日、西本願寺 於て小野東洋、田原栄、吉田東伍の法要を営む 校より来書。亦、右 つき小林堅三来り、指図を受けて N かへる。膝栗毛の序文草稿を在熱海坪内 投し、其の加 N 壱尾贈らる。﹂︵三 筆を乞ふ。晩間、高橋義彦到る。晩酌を共にして話す。 桂香も同席。高橋より越後より携帯の 八オ︶ 四日 晴。内藤と電話にて日石増資其他の件を話す。出版部よ 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 91 晩間、京都大丸の下村、 来訪。図書館より六朝玉 䮒 六朝写本皇侃義疏瑠璃版本二部つゝ贈り来る。これは N 横井春野を招き、故吉田博士紀念録編纂主任を托す。又、 高橋源一郎を招き、吉田の遺稿材料整理を托す。高橋を 早大﹂︵四〇ウ︶第一の貴重図書の粉本也。坪内逍遙より来 面し︵侯一昨日来足痛 N る。三田村玄龍 を共にし、三時過 語る。此間、昆田文二郎 納めたるが、尚残余の者 N 付来訪。家記、家﹂︵四一オ︶ 、遺墨の類、 N 桐箱 N 納 め 置 く こ と 旧 の 如 し。 寺 N 納 め 紛 乱 を 避 く。 先 考 篆 体 遺 書 N 書物箱 N 島元重、高橋源一郎より来書。 ︵自筆本︶は、別 を整理して唐櫃一個 前年整理して小長持䮒 明協会の件 来訪。校規委員会の経過を報告して去る。森脇美樹、文 留めて午 書状を発す。原宏平より来書。広井を N 晴。渋谷豊治来談。古池聿三、種村、関、広井一交々来 八日 さる。 書、過日頼みたる膝栗毛の序文拙稿を充分加筆して遣は 付来り高橋と会 N 留めて晩酌中、旗野蓑織、家事上の事 す。夜来雨あり。﹂︵三九ウ︶ 六日 雨。原宏平より来書、前日托したる短冊数枚揮毫出来。亦、 つき協議す。菊屋来る。 N 余 縁 N故ある名和緩の遺簡を贈らる。大鳥井、森脇来訪、 大隈邸 於 Nける文明協会研究会 銅吏の匣出来。紅砡獅紐印材を購ふ。原宏平 謝書を発 N 装置す。佐藤吉五 N す。午後、高木を訪ふて二、三の物を購ひかへり、小品 後、侯 招かれ行き、侯主宰の雑誌発刊 N 付、香典五円を遣す。﹂︵四〇オ︶ N を捜索し、二十点を得て購入の提蠱 郎倅死去 七日 雨。十時より大隈侯邸 付 N其相談を受く。午 九日 晴。膝栗毛輪講の序分の稿を三田村鳶魚 にて蓐中にあり︶、文明協会研究会の件を協議し、二時 半帰宅。五十公野村の渋谷豊治、原宏平の紹介にて不在 聿三、河鍋暁斎の印一顆を齎らし来る、購入る。明日の 郵送す。古池 N 中来訪。保険︵生命︶金半季分納了。高橋源一郎来訪。 ─ ─ 92 追悼会 大 N隈侯欠席 N つき云々の電話﹂︵四一ウ︶侯の邸よ N り来る。関太郎、表具屋古池、森脇等来る。村井銀行 簡し、十三日二百円割引頼み其の承諾を得。午後、落合 の荘へ新調の六枚小屏風壱双、二枚折半隻為持遣る。小 田島桂香、浅野赤城、益田信五郎、高橋義彦、続々来訪。 飯して別る。此日、赤城長岡 N り鮒寿司を贈らる。高橋義彦 早大所蔵玉 N の覆本を贈 る。野口多内より奈良漬、在奉天山崎恒四郎より烟草を 贈らる。外出中、奥田雲蔵来訪。帰宅後夜に入るまで雑 録を筆す。 十一日 晴。昨夜雨風甚しく、庭前の柘榴復仆る。長尾秋水詩画 半切幅装成る。古池聿三 晩刻、伴ふて四谷三河屋 図書館の為めに画したる海府笹川流の大額面を齎らし来 期分﹂︵四三オ︶国税十三円納了。丁酉銀行八百円手形九日 金十五円渡す。大正六年度四 N り示す。文部省より余の目録編纂委員の嘱托を解くの通 簡し約手の裏書をもとむ。内藤よ N り鮭卵二鑵を贈らる。堀江源吾来訪。小田島桂香、三田 示さる。田中唯一郎 期限の処、本日約手切替る。内藤より支那紀行の稿本を 於て、故小野梓三 N 牒到る。﹂︵四二オ︶ 十日 雨。午前十時より築地西本願寺別院 を共にして話す。三田村より物を贈ら る。山田清作来話。午後、坂口五峰来話。二時頃より又 村玄龍来訪、午 降雨。人を傭ふて仆れたる柘榴を扶け起す。 十三回忌、故田原栄三回忌䮒 次き、安部 N 故吉田博士の為めに法要 N を営み、読経後平沼早大代表者開会の演説 つき順次追 N つき、余吉田 N 十二日 晴、風。落合の荘 付内藤 N 至り物を整理し、若﹂︵四三ウ︶干の物 N つき、高田小野 N 磯雄田原 移り遺 N 懐 演 説 を な し、 終 つ て 大 隈 侯 の 演 説 筆 記 を 信 常 朗 読 す ︵侯病気の為︶。右終つて十二時半、永楽倶楽部 を齎らし帰へる。井上円了より来書。游支紀行 を共にす。卓上、金子子爵の小野君を 族を招待して午 細書を発す。池田孤村の蓮 N へ、越人詩話 付坂口五峰 N 懐ふの演﹂︵四二ウ︶説あり。三時過ぎ帰宅。下村正太郎よ 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 93 の袋戸、坐屏 仕立替出来。外 N 夜、金沢の横山兄弟と共 印代の内十 N 円渡す。種村、石野来り、出版部の事を協議して去る。 就ての追懐談を口授筆記せしむ。巻菱洲 N 坂口五峰来話。午後、小説を読み時の移るを忘れ、三時 茶室地袋二枚出来。今 N 招かれ築地の芳野 N 庭中 十五日 晴。黄 書状を発す。下村正太郎 N 時 N 書状を発す。 N 不参之事を報す。原兵作より西洋烟草を贈らる。謝書を 来り紅梅発く。宗家へ書状を発し、法要 N 脇美樹来訪。﹂︵四五オ︶ 過外出。高木を訪ふて物を購ふ。内山省三より来書。森 かへ N 転飲、酣酔家 N 大隈信常 N 屋 飲 Nむ。又、横山兄弟と福山田 る。 十三日 晴、風。水原の原兵作より来書。又、物を贈らる。田中 幅代残金 N 唯一郎来話。村井銀行より﹂︵四四オ︶金弐百円借入。高橋 三郎、小久江成一、内山省三交々来る。古池 発す。坂口五峰 関、前日筆記の稿を持参。来客無きに乗し庭園掃除 書状を発す。早稲田大学より会計調 N 勘定の内 N を移す。渋谷豊治 寄せたるものにして、基金寄 N 麦酒を傾け宿酔を解き、按摩を僦 N 付案内状到る。表具屋古沢 N 十円渡す。宗家より二十五、六両日即生院一周忌、慈晃 院廿七回忌法要 二十円相渡す。午 る。これは寄附者たる余 刷行し理事の書面を添へ︶を贈り来 N 到る。 N 査報告︵学報外別 招かれ、大隈邸 N 注文せる夜具出来。夕刻 N ふて夕刻まで仮寝す。白木屋 より大隈侯主宰雑誌発刊の相談 余 N 親しみ、 N 同様のものを配布し、昨年校紛 N 附﹂︵四五ウ︶者全部 後、諸般の相談を為す。侯も出席、来会者、高田、 晩 等を強へたる其 を雪かん為め也。午後、筆研 高橋作衛、町田、田中︵穂︶、塩﹂︵四四ウ︶沢、浮田、五来、 雨。新潟新聞社より五峰の越人詩話紹介の余の談話筆記 十六日 自叙伝を録す。夜来雨あり。 余の談したる吉田故博士 N 渡辺︵亨︶、坂本︵嘉治馬︶等。横井春野より来書。 十四日 晴。関太郎来る。過日追悼会 ─ ─ 94 戻し来る。多少訂正を加ふる処あるか故也。田原武夫よ の件 付来話。 N 口清策来訪。午後、坂口五峰、余の越 つき草﹂︵四七オ︶稿を一括して新潟新聞の山田 N 付多少の補正を作り、今度にて全部纏 N まりたる 人詩話紹介の稿 付、内山省三内藤の支那紀行の件 N り来書。稲岡嘉七郎、書簡を為持窮を訴へ来る。坂口五 峰越人詩話出版の件 穀城 当り、階上の N 掲載方を托す。大隈信常より N に付来訪。﹂︵四六オ︶自叙伝を録して午後に至る。日清印 酒二瓶贈らる。児の居室、隣家の二階下 郵送し、近日紙上 N 刷より本間を招き、越人詩話印刷上の打合を為す。五峰 下宿人往々悪戯を為す。高く墻屏作り遮断せんとし、今 日より、右工事 接す。雨、 N 贈り来る。 再訪、留めて晩間対酌す。橋本佐武郎母の訃 徹宵降りつゝく。 十九日 N 取かゝる。夜に入り山崎直三より物を N 十七日 日曜 雨ふる。朝来自叙伝を筆録す。露都発片上伸年賀の絵は 付、予告を出すことを山田穀城 N もとむ。平山堂利助来訪。本田信教、増子喜一郎、小田 好晴。越人詩話紹介 到り薄暮かへる。佐野辰三より来書。夜 N かき、今漸く到る。柏崎宿屋より物を贈らる。又、季女 と散策、浅草 出し、 N 島桂香交々来る。﹂︵四七ウ︶西条萱堂へ物を小包 掲載の越人書画原書一束、五峰よ N に入り又自叙伝を録す。寝﹂︵四六ウ︶後、涙香の小説を読 二十日 り到達。坂本四方太遺族より寄附金の謝書到る。 伝を録す。越人詩話 萱堂病中厄介を受けたる人々に配つ料とす。午後、自叙 於ける余の演説稿 N む。 十八日 晴、風。内藤へ返稿。学報へ追悼会 を送る。稲岡、小田島 晴。数日前より自叙伝中趣味方面の事を執筆し、今朝に 悔状を N 投す。関太郎、古池聿三来る。表具屋古沢へ勘定の内十 て一冊全部書き了る。幅箱二個出来。五峰来訪、越人詩 書を発す。橋本左武郎 N 幅代六円渡す。吉田未亡人、旗野澄 N 円渡す。古池聿三 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 95 口清策、森脇 居 訪ふて話し、三時大隈邸 N 到る。文明協会の﹂︵四九オ︶ N 時局研究会の発会を催す。四十名程の学者、実業家を侯 話へ挿入之書画を選定 美樹、日清印刷の本間﹂︵四八オ︶等来る。午頃より烈風起 の名 付半日を消す。 N る。午後、平山堂を訪ふて書画を観る。 間 物を購ひ、浅草公園 N 活動写真 N 二十三日 付二時 N 付山田清作来話。森 N 晴、風。古池聿三より正林葭陽の幅を購ふ。宗家法要 付香と為替を贈る。珍本出版経画 N 渉る談話あり、食後又、一時間談話を持続し、九時 N それより小島少将︵惣次郎︶の世界戦争の経過 て案内し、侯より先つ挨拶を兼ね一場の演説あり。 N 二十一日 大祭日 晴、風。今朝、庭上霜を見る。二十三日日清印刷会社宴 散会。夕刻より雷鳴り天候変し寒気加はる。 つき、森脇、明日大隈 N 会の案内状到る。長岡の今泉鐸次郎来訪、物を贈らる。 煙山専太郎、故吉田博士奨学金 飯 Nし、高木方 邸の会 付 N来訪。奥田雲蔵も亦来る。正午出遊、今川小 路風月 後帰 脇美樹﹂︵四九ウ︶又来る。十時、早稲田中学社員会を大隈 邸に開らき、会津八一を教頭と為す件を決す。午 を見、夜に入り帰宅。不在中、五峰、越﹂︵四八ウ︶人詩話 招かれ、上野 N の挿絵目録を携へ来り、右を貽して去る。高田半峰より 行き、夜に入り帰宅。 N 付来訪、半日余の家 N 在り。内藤久寛 N N 簡す。新潟新﹂︵五〇オ︶聞社へ北越詩話紹介の原稿残部を 遺墨排列の件 て北越詩話へ挿入之書画を持参。坂口五峰、北越詩話の 晴、古池聿三 二十四日 日曜 幅代十円渡す。小田島桂香より使を以つ N 常盤華壇 宅。茶語録を筆す。日清印刷会社の宴会 余の談話を請ふ。即ち﹁図 N 来書。 二十二日 晴。種村宗八来り、読書眼 臨む。 N 付来話。故山本知士弟清蔵来訪。踵て N 書館生活の十二快﹂を話して筆録せしむ。高橋源一郎、 故吉田遺稿の件 並木覚太郎来訪。十一時、日清印刷会社の重役会 午後、越人詩話見本刷を携へて、坂口五峰を牛込南町の ─ ─ 96 郵送す。町田忠治と電話にて話す。午後、松井郡治来訪。 二十六日 風。実業学校廿九日維持員会、四月一日帝国ホテル 於 N て長岡銀行支店披露の案内来る。昨夜電車中、万年筆と 付来話。 N 付ての顛末筆記を読む。又、酒前 N 又、煙山専太郎、故吉田博士の奨学金募集の件 高田半峰の早大紛擾 印入の銭入を失ふ。三河屋会金十八円三十九銭預る。種 付協議す。﹂︵五一ウ︶ N 材を購入る。午後、浮田、杉山、森脇、並木を余の宅 N を共にして別る。古池より賀茂川石、菊屋より紫水晶印 岡図書館の為めに画したる海府図の副本を贈らる。午 村宗八、山田清作、日清印刷の本間来訪。浅野赤城、長 付告別 N 茶後録を筆す。神楽江巻石、近日名古屋へ遊歴 の為来る。 二十五日 晴、風。不用品を高木方へ為持遣る。内藤へ預け置く手 付、町田 N 会して、文明協会事業 簡三百余巻を大阪の山口吉郎兵衛へ売却の件 忠治より電話﹂︵五〇ウ︶之照会来る。大橋篤之、朝鮮より 二十七日 晴、風。山田清作来訪。高橋源一郎より来書。十時より 帰来、物を贈らる。坂口五峰来訪。天候変し雨降る。午 後、閑を得て酒前茶後録を筆す。夕刻より四谷三河牛肉 出游、神田、銀座辺 簡す。会津 N 入り帰宅。古池、 N 田結庄千里の画幅を持参。不在中、会津八一来訪。 物を購ひ、夜 N 店 於 Nて一ツ橋時代帝国大学同窓会を開らく。来会者、 付幸田露伴、内田魯庵 N 話。越佐会を余のため 八一より来書。良寛会より図書二部贈らる。小林堅三来 晴。珍書複製の件 二十八日 土方、田中館、山内皓、原田、隈本、小野徳太郎、堀達、 長谷川方丈、三宅雄次郎、根岸錬次郎、藤沢利喜太郎、 立寄、呉春扇面 N 田中正平、中原貞三郎、野呂景義。次回の幹事隈本と余 也。横井春野より来書。此夜、平山堂 の幅を携へ帰へる。﹂︵五一オ︶ を共にして別る。昆田文 四月二十日開会の事﹂︵五二オ︶ N N 付云々す。野口多内来訪、午 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 97 二郎へ学校紛擾史中若干の書類を 付す。午後、坂口五 托したる揮毫出来。 N む。鴛鴦を贈る者あり、煮て 峰来話。真島中太郎来訪。今泉也軒 終日客 接 Nし、晩間漸く 晩酌の下物とす。 二十九日 対 Nする余の紹介文を四月一日より掲載し始むる 雨。宗家より来書、且つ法要の菓子を贈らる。五峰の北 越詩話 旨、新潟、北越両新聞紙上長文の予告を載す。小﹂︵五二ウ︶ 林存、湯浅吉郎、大鳥居弃三、森脇美樹、巻菱洲、新潟 の中谷仁、平田正雄交々来る。中谷より物を贈らる。又、 十円相渡す。午後、 N 到る。関太郎、煙山専太郎来訪。 N 渋谷豊治来訪、物を贈らる。巻菱洲 落合の荘 三十日 挿 N 石代の内十 N 書を投す。五峰来訪、越人詩話 N 雨。幸田露伴、内田貢より返書到る。古池 五円払。幸田成友 入之書画を整理し半日を消す。五峰飯後去る。雨窓﹂︵五 蕭然。閑 三オ︶ 自叙伝を録す。又、千里の読墨痕を読む。 N 買物代十円払。小久江成一来話。読墨痕を読 N 三十一日 晴。古池 和田、内田、安田︵善之助︶、 N み且つ抄す。半日人を傭ふて庭園を掃除す。四時より山 田清作のため浜町小常盤 付凝議す。露都留 幸田成友を会し、稀覯図書複製の件 N 学中の片上伸帰朝来訪あり。﹂︵五三ウ︶ 四月 一日 晴。高橋源一郎より来書。菊屋花を携へ来る。印材代払 済。種村来話。図書館員を招致して五峰の詩話へ入る書 招かれ行く。吉 N 画の目録を作る。石塚三郎来訪、物を贈らる。今夜長岡 銀行支店開業披露のため、帝国ホテル 田楽浪、浜村蔵六遺墨表装成る。 二日 晴。田辺碧堂、山田清作、森脇美樹、小﹂︵五四オ︶林存、 古池聿三交々来訪。碧堂より新詩を示さる。印刷会社へ 北越詩話カット原稿上巻分七十余枚渡済。高橋源一郎来 ─ ─ 98 小島成斎幅を購ふ、代金の内五円払。百科辞典第八、九 巻出来の報告あり。文明協会より五十円領収。閑 対する紹介文、今日着の郷国二新聞 N て自叙伝を筆録す。森脇美樹来訪。斎藤和太郎次女結婚 訪。余の北越詩話 若干の手入を為す。 N 乗し N 掲 N出を始む。植木屋を僦ふて庭園 於て披露の案内状到る。朝 N 招集するの通牒、 N 付、来十三日築地精養軒 N 故吉田親族会議を来四日、申請人宅 裁判所より到る。午後、間を得て茶後録を筆す。アリゾ 倉亀三より来書。﹂︵五五ウ︶ 並槻村、伊藤健太郎交々来訪。坂口より柳湾、北海、旭 晴。山田清作、関太郎、坂口仁一郎、並木覚太郎、越後 六日 ナ州グランド、カンヨン発中村康之助絵はかき到る。加 藤万作妻、成田より来訪。﹂︵五四ウ︶ 口清策、吉村慎一、内山省三 三日 大祭日 晴。赤堀又次郎、林瑛、 堂の書画を贈らる。又、伊藤より物を贈らる。伊藤、丹 交々来る。古池聿三来る。正午より出遊、浅艸 呉康平紹介にて書画の鑑定を乞ふ為来る。喜代四長男、 付、補助として金二十円遣す。午後、自叙 N 飯し、 N 中学へ入学 高木 立 N寄帰宅。坂口五峰新潟発書状到達。夕刻より早 臨む。会場帝国ホテル。此会、会津八 N 伝を録す。二ヶ月目にて理髪。晩間昆田文二郎来話。踵 稲田中学の宴会 一教頭となりたる披露兼ね教師の慰労を為す。浮田和民 ﹂︵五六オ︶ て石塚三郎来る。 贈る。昨夜来感冒の気味にて関節 付物を N 仏痛を覚ふ。客去る N 子喜一郎、石塚三郎交々来る。石塚、今夜帰県 健太郎書画を携へ来り、鑑定を請ふ。高橋与左エ門、増 晴、雨。茂野市松窮を訴へ来る。若干の金を与ふ。伊藤 七日 より長男結婚の披露の書状到る。 四日 つき、祝詞を送る。古池来る。 N 没頭す。 N 晴。山田清作、森脇美樹来訪。植木﹂︵五五オ︶屋を指揮し て半日庭の手入れ 五日 晴。浮田和民子息結婚 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 99 後温臥す。新潟図書館より六月図書館協会大会の件 付 N 伊藤より頼まれたる書画 つき広田、今泉の鑑定を披露 N し、書画を伊藤 返却す。山田清作、坂口五峰より来書。 N 来書。古池、江馬天江、鳥羽石隠の幅を齎らし来る。坂 付、煙山、﹂︵五七ウ︶ 口 N N 臨み、 N 訪ふ、不在。雨中東台の桜花を N 到り図書館協会の評議員会 N 於ける大会の件を協議し、十時帰宅。 N 雨。春寒甚し。朝来坂口五峰、山田清作、﹂︵五八オ︶田中唯、 十一日 六月新潟県 観。五時南葵文庫 和田万吉を帝大図書館 書を投す。電話料一期分十六円五十銭納済。三時外出、 来話。古池聿三来る。文明協会より金百円請取。五峰 故吉田博士紀念資金募集の件 接す。山田清作、内山省 N ﹂︵五六ウ︶ 口五峰より来書。 八日 晴。感冒小快、起きて朝来人 み、 三、森脇美樹、古池聿三交々来る。古池より坦庵竹の竺 幅を購ふ。客去り自叙伝を録して午後二時頃より 蓐中 入 Nり、トルストイの隠伿を読む。 九日 晴。種村宗八来話。踵て坂口五峰来訪。共 森脇美樹交々来る。十一時、内藤久寛を会社に訪ふて話 北越詩話へ N 挿入すべき墨蹟を点検し、排列順序を定むるため半日を 飯してか N す。帰途、高木方 立寄り物を購ひ、風月堂 N 消す。広田金松来る。二、三の幅の鑑定﹂︵五七オ︶を今泉 後家居、雨窓茶後録を筆す。又、聱 調印了。古池聿三坦庵幅代渡済。更ら N 付、 N の論画竹偶草録を へる。煙山専太郎より来書。高木へ勘定の内十円払。午 関し長時間協議して去る。 N 請 Nふ。午後、新潟図書館司書山中樵来訪、六月新潟県 開 N会の図書館協会の大会 読み且つ抄す。山田穀城より来書。 揉ませて夜 N 親類会議決定書 雨霽、尚寒し。佐伯叔作来訪。吉田家遺産相続の件 十二日 入る。夜来 N 三時頃より疲れて臥し、按摩 雨あり。 十日 雨。森脇美樹来訪中、伊藤健太郎来る。広田も踵て到り ─ ─ 100 に張﹂︵五八ウ︶子祥を購ふ。森脇、湯浅来訪。日清印刷所 挿入カットの稿を交付す。明日より門長 N 付多少の修理を為す。大工、畳屋終日仕事を N へ五峰稿本䮒 屋を貸す なし一日にて了る。斎藤和太郎次女結婚 付祝物を贈る。 N 文部省より目録編纂委員手当半季分二十円受取。越佐会 散策。銀座 N 物を購ひ松喜牛肉店 N 、小菅一よ 飯し、金春館の活 N 動を見てかへる。不在中、坂口より越後味 添書を与ふ。高田半 N り果物を贈らる。二、三の訪客不在中来る。伊藤健太郎 より来書。 幅代渡す。且つ久須美 N 十五日 晴。古池 会を開く より来書、来二十日余の為めに早大紛擾の雪 N 対する意見書を送り来る。 N 落合植木屋、一、二の樹を移植す。 付来話。稲葉岩吉より支那 已む。午後、山田清作来訪。旗野蓑織、澄子縁談の件 至り 口五峰来訪。北越詩話挿入の墨蹟を按排し、正午 N 書を発す。増子喜一郎来訪。﹂︵六〇オ︶目黒孝平、坂 N 峰 若干金と謝書を送る。歴史図録第八 N 旨申来る。余の文部より嘱託を受け、目録編製担当中助 力したる坪内大造 付、更らに六十日間継続と N 輯成る。小田島桂﹂︵五九オ︶香より来書。 十三日 雨。貯蔵銀行手形二通期限 雨気未た去らず。広田金松来る。小竹書、留客処の額を 十六日 カットを整理す。午後雨 N して手形切替へる。在福島市島貞二の訃到る。小田島桂 香 答 Nふ。坂口五峰来訪、共 購ふ。古池聿三、関太郎来訪。午後、落合の荘 貸す。敷 N 送り来る。帰宅、再ひ外出、神保町 金二十円取り、毎月家賃十円の事。 図書を購ふてかへる。今日表長屋を仁木清 N 平より塩数の子壱 高田図書館安藤恵順より来書。在北海道和泉﹂︵六〇ウ︶佳 到る。 N 及むて已む。京橋鎗屋町 N 酒を購ふて飲む。 N 窓蕭然、自叙伝を筆して夕刻 吉良屋より特 ﹂︵五九ウ︶ 十四日 日曜 雨気濛々たり。朝来自叙伝を録すること三枚。児女に促 されて外出。電車にて市街の桜花を観なから日比谷公園 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 101 会社へ北越詩話コロタイプ原稿上巻分再整理の上渡し済 む。平山堂利助より朝吹紫庵短冊一幅を贈らる。茶室袖 十七日 晴。山田清作、佐伯叔作、坂口五峰来訪。客去る後自叙 墻出来。午後より風吹き急 つき話す。小田島 N 致したり。出席者平生 越佐会大会を N 対し慰労の意を N つき詳細の演説あり。余の為めに N 人余の血属也。 を雪く。 付来書。郷里、 N 藤塚浜不動院住職長松俊恭、去十六日死去の報到る。此 十一時帰宅。丹呉達三より北堂の病況 余も又一場の挨拶をなし、越佐会長辞任の披露を為す。 ︵六二ウ︶経歴 三倍し、増子、羽田等より余の﹂ N 開らき、早大紛擾の為め迷惑したる余 午後平山堂を訪ふ。五時より神楽坂末吉 の規約を立案す。古池聿三に張子祥幅代残金二十円払了。 より小竹紅蘭の小切を贈らる。内藤より依頼の日華学会 晴。広田金松、種村宗八、小久江成一来話。村山駒之助 二十日 橋源一郎より著書を贈らる。 日華学会の規定趣意書の起案を托し﹂︵六二オ︶て去る。高 暖気を覚ふ。内藤久寛来訪。 N 伝を録す。福岡県立図書館開館式の案内到る︵四月二十 付、小林堅三 N 慣れ、けふも外出せすして已 N 日︶。午後、横井春野来訪。所得税の件 書 N状を発す。頃日家居 む。夕刻より又雨﹂︵六一オ︶を催し来る。 十八日 晴。古池、賈明湖の山水小品持参。小林堅三、坂口五峰 運ひ、昻居室 N 石を運搬し了る。而して N 小石を敷き若木の樹を移植す。自叙伝を録す。 N 来訪。植木屋来り、玄関前の大石を後園 雨垂れ落 岸本能武太より来書。夕刻 据付 到 Nらす。 十九日 訪ふて、日華学会 N 晴。七時半頃地震あり。高田と電話を交﹂︵六一ウ︶ゆ。九 時、内藤を会社 勘定未済 N 桂香より来書、帰国を報す。植木屋来り石を据付、後園 手入を為す。平山堂を訪ふて、売立の残品䮒 の総勘定を為し決済了る。出版部より二百円借入。印刷 ─ ─ 102 会を催す。近かく露国より﹂︵六四オ︶帰来の片上伸、海軍 中佐橋本の講話あり。時刻前より行き、諸般の斡旋を為 二十一日 日曜 晴。日華学会の趣意書を草し、規約と共 す。此日来会五十名。五時済。増子喜一郎午前来訪。坂 会 散策、図書を購 N ﹂︵六四ウ︶ 乗して明詩を写す。 N 招かる。日清印刷の本間を招 N 書を投す。北越詩話 N 貼付 N 掲出すべ N き越人遺芳﹂︵六五オ︶写真の用済分六十枚アルバム 行を依頼す。坂口五峰 き、五峰の北越詩話の見本︵余の紹介文同載︶壱千部刷 月四日図書展観の午 雨。早起、詩を鈔す。小林正気来訪。和田維四郎より五 二十六日 終日烈風。 作、森脇美樹来話。午後、客なく閑 晴。朝来詩を鈔す。五峰の越人詩話稿を整理す。石田善 二十五日 ふて帰へる。半日書を鈔す。 来り示す。小林堅三来話。午後、神田 晴。風。坂口五峰 二十四日 口五峰より来書。 内藤へ逓送す。 N 書を発す。 N 同盟 N 到らしめ N 返書を投す。浅野赤城近作を齎らし N 大倉集古館開館の案内状︵五月一日︶到る。出遊﹂︵六三オ︶ 浅艸の書肆 書状を発す。 N 二、三の図書を購ひ金田に飯し、活動写真 N を見てかへる。村山駒之助 二十二日 つき丹呉達三 N つき香典を送る。印刷会 N 晴。北越詩話三、四、二巻を整理し印刷所へ遣す。北堂 へ金若干郵送。市島貞二死去 社の重役会 臨む。北堂病状 N 乗し﹂︵六三ウ︶張 N 森脇美樹来訪。午後雨。内子歌舞伎座へ行く。日清印刷 拡張の為め七万円の増払込を決す。閑 N動して茲 又々騒動起り、昨日終 N 於て、旗野美の里前婦と再結婚 N 交屏風 四 N、五近獲の小切を張込み夜に入る。 二十三日 雨。今朝日比谷大神宮 付 N内子行く。実業学校 休校を為す。天野、落第生を暗 芭蕉像を入れ、茶 N 第二回文明協会時局講話 N たりと風説す。近購の木製時代厨子 室 置 Nく。午後一時、大隈邸 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 103 飯し、金春館の活動写真を見て N 三、四 N 掲載の為﹁袖珍本﹂と題する談話の腹案を立つ。 N 出産の祝として 廿九日 、松魚節を贈らる。﹂︵六六ウ︶ 臨む︵午前十時青山斎場︶。神田風月堂 N 和田万 N 飯し二、 N 早朝驟雨一過。坂口五峰より来書。大島久満次死去 葬式 付 N かへる。高橋義彦出京を報す。在新潟鎌田松造より子供 の巾箱本を購ひ、銀座 薄田貞敬、奥田雲蔵来訪。十時より外出。神田 資す。五峰より来書。所得税届を為す。 読書眼 N 完結を告く。二枚折屏風半双、表具屋 N 付ての余の紹介評論文二十五回掲出、今日 N し、他日の参考 五峰の詩話 到達の新潟新聞 書を発す。 N に遣し張替をたのむ。児懇意の大久保植木屋より桜草五 鉢を送り来る、佳品也。内藤久寛 二十七日 雨霽。大島久満次の訃到る。菊屋花を携へ来る。文明協 付田中唯、森脇美樹を招 N 三の書店を訪ひ、若干の書を購ひ、帝大図書館 会発展資金募集の﹂︵六五ウ︶件 き多時凝議す。増子喜一郎来話。坂口仁一郎より来書。 吉を訪ひ、新潟 三十日 ﹂︵六七オ︶ 河内広次郎来り物を贈らる。坂本三郎来訪。 宅。高橋義彦、浅野赤城来訪。置酒夜に入る。不在中、 於ける大会の件を協議し、午後二時帰 N 又丹呉達三より来書。関太郎来訪。内藤久寛へ使を遣し 銀行之用あり行き、 金二百円請取。図書館協会へ寄附金也。午後散策、神田 書店 図 N書を購ふ。帰宅後又兜町 帰路驟雨 立入り飲む。雨罷み、神田の N 晴。和田万吉へ使を以て高橋義彦所蔵経屏風を遣し、注 遭ふ。中華亭 N 書肆 巾 N箱本を十数部購ふてかへる。外出中松井郡治、 記を乞ふ。種村宗八来る。読書眼 掲載すべき余の談話 N 羽田智証同伴来訪。﹂︵六六オ︶ 午 を取て見る。高木順来訪。在越後小田島桂香より来 を共にして別る。北越詩話広告用見本植字終り、校 を筆録してかへる。山田東洋来訪、近作の画を贈らる。 晴。堀江源吾、坂崎坦編輯の日本画誌大観を持参、一本 正 廿八日 購入。北越詩話見本を作るため、表紙掲出の文を稿す。 ─ ─ 104 書。坂口五峰の書到る。和田維四郎珍蔵書目を贈らる。 谷村一太郎より来書。五月十一日大隈邸 於て中学社員 N 出て若干の巾箱本を購ふ。高橋源 N 入り雨。﹂︵六七ウ︶ N 会の通知来る。坊間 一郎より来書。夜 五月 一日 抵り、 N 雨。早起、警語を鈔す。和田万吉へ使を遣り、経屏風を 受取、高橋義彦宿へ為持遣る。午時永楽倶楽部 会 列す。二時大倉集古館 N 招かれ到 N 平沼叔郎、博士となりたるを祝し、又、片上天弦の帰朝 を祝するため午 を共にして別る。 会し、余より案を示し協議す。高橋義彦、今夜 N つき晩 N 余の宅 帰国 三日 晴、風。表具屋来り、二枚折屏風張交を了る。山田清作、 付、其方案を協議 N 相見繁一来訪。大﹂︵六八ウ︶鳥居、森脇来り巡回大学を文 明協会の事業として開始せんとする す。北越詩話吹聴用見本出来、差当り百部新潟へ郵送す。 巾箱本を漁る。坂口五峰 N 書状を発す。 N 河内広次郎来る。出版部より北の哲学史二冊外一配本。 午後出遊、坊間 古池聿三、林谷の幅を持ち来り示す。高木を訪ふて二、 三の物を購ふ。 四日 揮毫。 晴、風。早起。和田万吉依嘱の書画帖﹂︵六九オ︶ N り観る。在北海道真島平三郎より来書。又、坂口五峰の 書到る。大鳥居弃三帰京、物を贈らる。吉田東伍百日祭 在青島肥田野畏三郎より来書。和田維四郎蒐集の図書陳 を受く。又、巾箱本 臨む︵大隈侯邸︶夜に N の つ Nき、吉田宅へ行く。坂口より電報到る。﹂︵六八オ︶ 於て展観、午 N を漁る。午後、大観雑誌編輯会 列を保険協会 晴、烈風。小林正気、増子喜一郎、河内広次郎、日清印 入り帰宅。市島九郎より来書。 二日 返電を発す。午後、吉田の紀念録 N 付、高橋義彦、高橋源一郎、横井春野を N 刷の本間来る。坂口 遺稿出版の件 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 105 飯し、活動 N 忌の為め紀念の書を需めて去る。午後、坪内逍遙を訪ふ て話す。小久江成一来訪。松井郡治より来書。徳川頼倫 八日 蓴﹂︵七〇ウ︶を贈らる。晩酌これを下物とす。 N 侯より銀婚式祝物を贈らる。伊藤伝十郎より水原瓢湖の 雨中歩し、 入り帰﹂︵六九ウ︶ N もとむ。児女と出游、浅草之書店 N 五日 日曜 小雨。早起、茶後録を筆す。内田省三来訪。丁酉銀行手 形裏書を増田義一 巾箱本数種を購ひ、金田 路驟雨 晴。本間健四郎来訪、物を贈らる。種村宗八、田代亮介 Nふ。電車混雑、乗る能はず。上野 投し帰宅。久胃を病む、前田医師来診。関太 N 来訪。新潟校友より寄合書の絵はかき来る。午後外出、 漸く電車 郎を招き故吉田紀念録之案を交付す。外出中﹁大観﹂記 下谷の書肆 寸珍本を漁り若干を得てかへる。疲労を感 N 者池田林儀来訪。又、昆田文二郎来る。夜に入り雷鳴あ 寝所 N 入り前田を招 N 見ず。恐らく一時何等 N 咳嗽已ます、心臓の動気甚し。直 晴。今朝、盥嗽の際喉部より多少の﹂︵七一オ︶出血あり。 九日 して仮寝。逍遙の新作﹁義時﹂を読む。 N り。 六日 晴。種村、山田清作、池田林儀来る。池田を志賀重昂 紹介す。坂口五峰病を得て入院の趣、長谷川病院より寄 異状を旧患部 N き診を乞ふ。別 漬を贈 せたる書状到達。﹂︵七〇オ︶村上、日出谷より味 かの刺激 ︵ママ・樵︶ 在り。中野平弥、 N り来る。和田万吉より来書。午後、斎藤精輔、百科大辞 去七日死去の趣、同人孫欽治より報あり。丁酉銀行約手 付、今日更らに差入る。新潟市図書館長山中雄よ N 依るならんと服薬して蓐中 N 典近刊第九巻を持ち来り贈らる。 期限 り来書。小田島桂香、河内広次郎来訪。今夕、文明協会 七日 晴。大掃除執行。朝来大鳥居、森脇、山田清作、小田島 の相談会を開く予定の処、余病臥のため他日 延はす。 N 彦太郎交々来訪。伊藤伝十郎又来り、故人退蔵三十三回 ─ ─ 106 校正 N を小包にて 付す。平沼淑郎﹂ 書 N状を発す。逍遙の義時読了。今夜酒を廃す。 新潟の坂口五峰 ︵七一ウ︶ 十日 雨。咳嗽止み身体異状を見す。早朝より起き、気分平日 書状 N 香見舞品等 N 出たる事と知ら N 付、嗣子欽治宛悔状䮒 N と異ならず。昨朝の事全く一時の刺激 る。中野平弥死去 小包にて出す。森脇、関、湯浅来訪。真島平三郎 N 外出 N を発す。山田清作来る。白井雅義より来書。午後、事 み詩を鈔す。又、新斥富史を﹂︵七二オ︶読む。終 下剤を服して両三回利す。且つ頓服剤を服す。晩 会あり、行かず。熱追々昂進、夕刻三十八度四分 後、 上る。 熱三十七度五分となる。坂口五峰より来電。今夜出発上 京を報す。 在 N 下る。蓐を N 移して臥する。隣室児三絃を弾す。留連旗亭 N 十二日 日曜 晴。今朝五時体温三十七度。九時三十六度 茶室 るか如し。為めに一喚す。昆田来話。森脇、清水﹂︵七三オ︶ 書を発す。前田来診、腸 N N 余出席し得さる N 入るまで三十七 N 多少の申分ありとの事 N 泰次来訪。高田より来書。午後、坂口五峰来訪。坪内逍 遙 て尚三、四日静養を要す。熱は午後夜 浅草の朝食屋を訪ふて、寸珍本、俳書若干を購ふてかへ る。巌谷小波より千馬会展覧会︵五月二十一日常盤木ク 度三、四分。 晴。大鳥居弃三を招き、今日の協議会 十三日 ラブ︶の案内状到る。 十一日 雨、霽。坂口仁一郎、向井雅義、高田早苗 為意見を陳ぶ。日清印刷より本間を招き、北越詩話の件 書状を発す。 N 河内広次郎帰国旅費五円遣す。山田清作来る。宮本仲へ 湯浅半月来訪。踵て山田清作来る。万屋来る、不用講義 書﹂︵七三ウ︶状を発す。 N 付二、三協議す。菊屋花を携へ来る。小菅一、坪内大 N 中学の社員 N 造等来る。今朝下剤を服す。五峰 紹介状を与ふ。朝来四支仏痛を覚ふ。体温を験するに、 あり。今夜、大隈邸 N 正午三十七度七分あり。医の診を受く。流行感冒と判定 し半日﹂︵七二ウ︶蓐中 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 107 録を売却し、前月同店より買入書物代䮒 村口書店書物 N 臥しなから聴く。夕刻二回利す。 N 代払済。午後、名古屋の三弦の名手三太郎、児を訪ひ来 り共 弾 Nす。余、隣室 停滞物漸く一掃。 十四日 付、 N 曇。今朝床を払ふ。内藤と電話にて話す。長岡西郡久吾 より来書。又、高橋義彦より来書。村山駒之助来訪 ︵ママ・カット?︶ 架中の書画を出して﹂︵七四オ︶回覧。関太郎、山田清作来 る。坂口五峰来訪 付、北越詩話カツ挿入其他の事を共 N 整 N理し、午後二時去る。落合の留守居来る。墻根の修 理代渡す。古池聿三、杏坪七絶の幅を持来り見す。河内 広次郎帰国 付、更らに六十日間割引 N 付金五円遣す。今夜入浴す。 N 十五日 晴。村井銀行二百円約手期限 頼み済む。伊藤退蔵三十三回忌紀念帖を揮毫す。長岡の 漬一 飯し、村口書店 N を贈らる。又、大隈信常 二、三の骨董を購ふてかへる。 N 訪ふて話す。帰途、今川小路風月堂 N 寸珍本を購ひ、高木 N 水原宇尾野藤八より味 方り此の贈を得、何等の N より余の愛嗜の佳酒三瓶を贈らる。五日医戒を守りて杯 を絶ち、厨下酒亦尽きたる時 の味 載すべき小本談の稿を修む。夜に N 郷里﹂︵七五オ︶より来りたる N 幸ぞ。来月の読書眼 入り、大隈へ謝書 漬を添え人を遣す。 十六日 晴。宇尾野藤八へ礼状を発す。竹村良貞、石田友治︵町 付、 日 清 印 刷 の 本 間 を 招 き N 田忠治紹介にて︶、増子喜一郎交々来訪。坂口五峰、又 来 る。 北 越 詩 話 印 刷 の 件 云々の事を処す。大木操妻、西条より帰へり来訪、北堂 捜索。二、三点を得てかへる。﹂︵七五ウ︶ N の病状を報す。午後事 Nみ散策。又、巾箱本を本郷上 野辺 晴。早朝一、二の客来る。踵て種村、森脇、藤本慶祐等 十七日 落合の荘へ二枚折屏風外三、四点為持遣る。坂本三郎来 来訪。古池聿三に対山観音幅代払済。賀田直治より自家 答書を発す。﹂︵七四ウ︶種村宗八来訪。 西郡久吾、高橋義彦 N 話。踵て古池、森脇来る。十一時、内藤を日本石油会社 ─ ─ 108 研究論文のパムフレット二冊を贈り来る。大木操より鶏 の母雛を贈らる。落合の荘 飼養を試む。十時より雨ふ N 義母来訪。物を贈らる。田中唯一郎 N 乗し近 N 書を投す。日本 N 内藤寄付金壱百円渡済。午後、閑 N を共にして別る。竹村良貞 る。賀田直治妻䮒 来話。午 図書館協会 陳列し独 N 図書をあさる。大檜樹外一、 N 入る。数人植木屋来る。本日仕事 N 英一来訪。午後出游、神田 二の樹を購ふて庭園 ﹂︵七七オ︶ 未了。小久江成一妻の訃到る。夜来雨あり。 二十日 巾箱本を購ふてかへる。高田俊雄、山田清作 N 雨。早朝小久江成一を訪ふて弔ふ。香典五円携帯。小川 町の書店 来話。水道使用料、長屋分共五円余納了。廿五日帰国と かく獲たる巾箱本百程﹂︵七六オ︶を大平卓の上 至り巾 N 決し、郷里の各方面へ通知状を発す。午後二時過より浮 り自ら娯む。三時より雨中外出、神田より上野 箱本を捜索し、薄暮帰宅。雨益々ふる。中野葬儀の菓子 て来訪。 N 二十一日 の要件 き巡回大学其他の要件を協議す。日清印刷の渡辺、会社 田、杉山、大鳥居、森脇来訪。文明協会の幹部会を開ら 到り物を整理し、植木の手 N 到達。 十八日 雨。霽。九時より落合の荘 入などして、十一時帰宅。季女を拉して再ひ外出。神田 晴。朝来植木屋来り一昨日の仕事を継﹂︵七七ウ︶続す。新 物を購ふてかへる。加賀幸三、 N 書を投す。川上邦 N 風月堂 飯 Nし、上野辺 り、出版部の図書経営䮒 臨む。︵小石川関 N 早大の校規改正後 N 於て、高 N 来 口駒井町大泉寺︶式後、高田、坪内と相携へ余の宅 N 調印を需めて去る。小久江妻の葬式 基来話。早稲田実業学校の鈴木幹事、決算書を持ち来り 書状を発す。内藤久寛 N 潟の山中樵 基つき、昂持株 N 和田万吉より来書。﹂︵七六ウ︶ 十九日 日曜 晴。日本石油会社二月廿七日増資決定 付来話。新潟県知事渡辺勝三郎、田代 N 三十株と同数の申込をなす。上島長久の訃到る。石田友 治巡回大学の件 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 109 田に雅量を必要とする件 臨む。早大変革の際、 N 付二時間計論談す。それより N 相携へて笑福亭︵上野潤心︶の会 付招待す。広井一来訪。 N 事を共にせし十二名出席。偶々平田譲衛、﹂︵七八オ︶大阪 より校規委員会の為出京 二十二日 晴。植木屋、昨日 ふて、出版部の出版計画 つき協議す。﹂︵七九オ︶夜に入 N 磯 N N て左の事を成し了る。 N 付協議す。夜来雨あり。 N 徳永工手学校々長其他と会見し、理工 り神楽坂青陽楼 N 科講義録 植木屋三人連日来り、今日 置きたる大石の周囲 N 滝山に檜大小二本を植、空きを塞く。昂居室の隅 竹の袖墻を作る。昂庭園 馴と楓樹を植、風致を添。茶室屋根のトヨ取換。松 引続き来り後園を修む。石田友治、 N 菊屋、小田島来る。小田島を留め、十一字内藤を日石会 取る。﹂︵七九ウ︶ の緑を摘み了る。池中、河骨多きに過ぐ。半ば刈り を共 二十四日 雨。低気圧甚し。今朝九時、内藤を会社 大学発起 関する創 N も来り、巡 つき広井 N 監査役を託して其の承諾を得。神田 N 内藤の調印を得たり。又同時、 N 、内藤の保証にて長岡銀行より引出し得る 此事業 便路を開らき、保証状 業費五千円 付種々協議の末、右 N 訪問。広井一 N 訪ふてかへる。午後、 N 社 訪 Nひ、又、昆田を古河会社 坂口五峰来訪。五峰去る後、小田島尚留まり、晩 にして別る。湯浅吉郎来話。関太郎又来る。大鳥居弃三 より来書。﹂︵七八ウ︶ 二十三日 す。 対する金融 N 表具屋へ N 晴。植木屋引つゝき来る。真島桂次郎より来書。巌谷小 波より千馬会の揮毫二枚を贈り来る。直 書状を発す。内藤より文明協会 N 辺 大隈信常 真夫来訪、物を贈らる。町田忠治と電話にて話す。坂口 旅行用の二、三の物を購ふてかへる。外出中、高村 N 問題 付 N云々の電話来る。偶々広井一来訪。急 大鳥居、 N 森脇を招致し、広井を加へて文明協会の経済問題を討議 付﹂︵八 N 五峰の書 接す。森脇を招致し、巡回大学の件 N し十二時にて皆去る。午後、種村宗八同伴坪内逍遙を訪 ─ ─ 110 〇オ︶云々す。山田清作、稀書複製の件 付、浅川保平、 N 付、高村真夫よ N 書を投して、明日 N 選挙 付 N来訪。又、湯浅吉郎来話。長岡銀行支店広井一 宛内藤調印の証書を投郵。和田万吉 帰国の事を告く。故吉田東伍肖像の事 り来書。 二十五日 雨。穂積陳重より来書。巻菱洲来る。肥田野畏三郎より 原稿を郵送し来る。大鳥居弃三来訪。上島長久の葬儀 N 書状を N 臨む。葬場芝増上寺也。山中樵、真島平三郎より来﹂︵八 書。小田島、内藤、高村、種村、小久江等 〇ウ︶ 二十六日 付、余の携帯すべき真 N 来る。真島中太郎来る。 N 低気圧未去らず。今朝体温三十七度、頓服薬を以つて熱 見舞 延き多時話す。近日帰郷 N を解く。昆田文二郎玄関 病牀 入り終 N 熱のた N 三十八度六分に上る。頓服薬を投 N 島家三軒への贈り物を託し遣る。夕刻より悪寒を感し発 熱あり。夜 す。二時間後発汗渾身を沾ふし熱漸く解く。終 め晩食を廃す。本日前田医師来診。下剤を与へたる外方 剤昨日と異なるなし。﹂︵八一ウ︶ 二十七日 晴。今朝無熱。下剤を服して利す。小田島桂香方へ人を 遣し、研代四十五円払済。西条北堂へ書状を発す。臥し N 越後 赴 Nかんとする也。読書眼の原稿を修め出版部に遣 て檀几叢書を読む。又、吉井勇の源氏物語情話を読む。 より出発前多忙を極む。今夜坂口五峰と共 N る。低気圧甚しく、昨日来気甚だ勝れず、三時頃より悪 正午体温三十七度。食気なく喫煙も厭なり。唯だ苺のみ 発す。例 寒を覚ふ。折角今夕五峰と同行帰郷を決したるを、已む 尤も口に適ふ。寝から小本漁りをなし、琳琅閣より二種 いや なく発程を見合わせ、新潟の友人、親戚等へ四、五の電 延き、昨夜紅葉館 N 付、昆田、早速、渡辺と内密会合の模 N 様を報して﹂︵八二オ︶去る。終日無熱。 校規其他之件 N を送り来る。田中唯一郎来訪。病床 異状なしと云ふ。服 N 報を発し、蓐中の人となる。夕刻発熱三十八度、医師夜 入 Nり来診。前日の感冒再発。他 薬して温臥す。﹂︵八一オ︶ 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 111 二十八日 臥 Nす。石塚三郎より来書。直 答書を発す。近衛 N 晴。早朝下剤を服す。体温平熱。唯た熱後力なし。亦、 茶室 公爵家売立目録、平山堂より配布し来る。火災保険期限 尽 ん と す る に つ き、 豊 国 火 災 の 社 員 来 り 、 今 後 の 率 を 付調印す。夜に入り雨。﹂︵八二ウ︶ N N 云々す、決せす。森脇美樹、内藤の保証に対し差入るべ き証書を持参 二十九日 雨。今朝試みに床を払ふ。客を謝して常のことく坐敷 対して酒前 N 坐す。気分いまだ病人なり。水谷弓彦より巾箱本三点を 贈らる。皆女子用也。謝書を発す。半日几 飲を試む。酔 N 茶後録を筆す。気分回復せされど終日正坐、敢て疲労を 感せす。三十一日夜行帰省を決す。晩 あらす N ﹂︵八三オ︶ を発せず。薬を廃せずして飲む。酔を買う所以 と一笑す。 三十日 晴。西条より来書。明晩出発と決し寝台券を購ふ。小林 堅三来る。高橋義彦より来電。余の発程期を問ふ。踵て 書状到来。文求堂を訪ふて二、三の巾箱本を購ふてかへ 到り、琳琅閣其他より N 返電を発す。深更高橋より来 N る。一旦帰宅の上、急に又下谷 若干の図書を購ふ。高橋 電 三十一日 接す。 N 於て今 N 出てて物を購ふ。帰宅 N 曇後晴。山田清作を招き稀書複製の件を云々す。午後よ り越後行之行李を整ふ。神田辺 後﹂︵八三ウ︶平田譲衛来訪。学校の新校規委員会 付同文電報を発す。昆田文二 N 日議了の事を報し、且つ多時善後の事を話して去る。新 潟の諸方面へ、今夜出発 付来話。今夜八時の夜行汽車にて帰省の N 上る。﹂︵八四オ︶ N 郎、学校之件 途 友人坂口五峰を促し、其の著北越詩話を出版せしめ ば了らず。 自叙伝の稿を起し四冊成る。尚三、四冊を録せされ 大正七年一半尽く 一 今年々首吉田東伍を失ふ。洵とに悲痛の事となす。 一 一 ─ ─ 112 んとし、月余之れを幇けて終 印刷所 N 付、余等の N を雪かんため学校より計算 N 渉り N 托するに至 N 対する紹介文、二十数回 N 掲出す。 N る。余の此の著述 新潟北越両新聞 早大紛擾 時局研究茶話会を起し、両三回開会す。 た発表するに至らず。但し、先駆として大隈侯邸 文明協会の一事業として巡回大学の計画を立つ。未 一 山田清作のため稀書複製会を発起す。﹂︵八四ウ︶ 一 一 会を開らく。 書を発表し、毫髪不都合なきを証す。 一 越佐会、余のために雪 一 五月初旬より巾箱本蒐集を始む。満一ケ月蒐集。尚 流行感冒 五十余種。 一 半季書画四百円、骨董三百円購入。当世名家小屏風 罹り五月中両度臥蓐。﹂︵八五オ︶ N 一 張交壱双、越後人屏風半双を作る。巾箱本蒐集代百 昨年来未決なりし平山堂総勘定決済。 五十円。 一 後園 袖墻を作り、大石を置き若干の樹木を植。風 N 一 致漸くとゝのふ。 刻︶] 本年一半の行事大要右の如し。﹂︵八五ウ︶ [以下十四丁白紙] [帰去来辞︵吉田半 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ﹂︵八八ウ︶ ─ ─ 113 双魚堂日誌 大正七年 六月以降 松井郡治外二、三子出迎ふ。直 篠田旅館 N 入る。出迎 N 忙 N 電 N 書状を発す。山田清作 N 諸氏の外、坂口五峰、斉藤庫四郎等交々来訪。接客 殺せられ疲労を感す。内藤久寛 より渡辺崋山日誌の複製見本を贈り来る。丹呉康平 報を発す。感冒後、身体疲労を感する甚し。石塚は近頃 顕著の効ある注射を試むべしとて、東京へ注射薬を電報 誘 は ん と す。 余、 疲 労 の た め ﹂︵一ウ︶辞 し、 N 注文す。午後、坂口、松井郡治再訪。又、松木弘来り、 N 余を酒樓 N 置酒して話す。夕刻皆去る。林静治、晩間来話。寝後、 施す。栗林貞吉、石塚 石塚来り電機按摩を余の関節 N 下車、直 N 西条の庵室 N 北 N 東京宅へ端書を出す。八時五 N 東京より携帯の物を贈る。 二日 五時起床。真島桂次郎䮒 分新潟を発し、十時過中条 堂を訪ふ。北堂二月頃より中症の病あり。近頃漸く快方 向はれ、格別憂ふべき模様なし。唯た足部不自﹂︵二オ︶ N 頒つ。丹呉を訪ふ N 宿す。丹呉主人、近か N 由也。携帯の物を丹呉、丹後外知人 て再び北堂を訪問し、今夜丹呉 ─ ─ 114 双魚堂日誌 大正七年六月以降 六月 一日 会して話す。二、三の絵はかき N 久須美東馬、加賀幸三、川上法励、山田 N 穀 城、 須 藤 鮭 川、 山 中 樵、 佐 野 ﹂︵一オ︶辰 三、 石 塚 三 郎、 潟着。停車場 を車中より発す。米山辺より雨降り出づ。八時四十分新 過ぐ。車中、牧口義矩 昨夜々行汽車にて東京上野を発し、今朝五時、直江津を 特別 イ4 1919 575 にて発す。康平、停車場 真平在らす、其息幹治と話し、終 十時三十六分の汽車 N く庭園を拡張り従外園外にありし十数樹の老松を園中の 人曳の仂を僦ふて濁川 ︵ママ、来カ︶ ものとす。余、主人と検分、一、二の意見を陳し、且つ の坐敷 導 か る。 此 楼 一 方 川 N 沿 ひ、 一 方 ﹂︵三ウ︶高 く N 真島を訪ふ。近年築きたる楼上 N 下車、二 N 主人 拝 N松の二字を号とすへきを言ふ。此家代々松を号 老縦を望み、位置甚た佳也。川を隔る農村、眼前母屋の 送り来る。新発田 の一字となす例あるか故也。一友人来り北堂庵の附近農 茅屋を塀を隔てゝ望む所、宛前謝蕪村の画也。余、自然 ︵ママ・樹カ︶ 家 余 Nの姓を録したる前原一誠の幅ありと語る。余、借 の風趣を賞し、主人の意匠を称す。午 五時高橋の家を訪ふ。偶々益田信五郎在り。主人一泊を 中、仲太郎外眷 の ﹂︵二ウ︶に て 己 巳 仲 秋 与 市 島 雄 之 助 源 誠 と あ り。 雄 之 属皆出てゝ接す。欵晤時を移す。偶々海老瀬高橋義彦よ り て 観 る。 唐 紙 聯 落 忠孝節義の四字を縦書したるも N 助は余の幼名なり。静かに検するに、巻留めに家翁手書 り来電、新潟への帰途立寄るべきを云ふ。四時別を告け、 割愛を N の一箋を貼す。意ふに余か家よりでたる者也。余、幼名 を見て坐ろに懐かしき感あり。食指動き所有者 勧 む る 切 也。 乃 ち 其 意 趣 味 談 ﹂︵四オ︶ N 請ふ。所持の人源誠の何人たるを知らす。余の請を快よ 耽る。主人刀剣趣味あり。二、三の名刀を出し示さる。 任 せ、 深 更 N く納る。余、謝するに金五円を以つて、所持者は坂上助 丹後を訪ふ。 N 題署を要む。乃ち匆卒古光薀兮の四 N 字を筆す。古光堂は高橋の刀剣趣味より命したる堂号也。 剣の匣を出し、余 雨。今朝、高橋より近年獲たる印数顆を示さる。亦、刀 四日 一々録する暇あらず。夜来雨あり。十二時臥す。 丸︵烈公の事、懐剣也︶曰某々々、 曰く安綱、曰く猪 若干の金を贈り、当分 N 此幅の復へる、奇縁と云ふべし。﹂︵三オ︶ N 右衛門と云ふ人にて因縁無き微々たる貧家なり。五十数 年後、旧主 三日 早起。北堂を訪ふて話し、北堂 別を告け、丹呉康平同伴本郷 N 不自由なからしむ。丹呉達三、須貝彦松より物を贈らる。 九時、北堂 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 115 九時辞し去り新潟 向 ひ、 十 時 ﹂︵四ウ︶新 潟 N 着 す。 新 N 聞社より山田穀城来訪、十二時頃余の談話を筆録せしむ。 ︵ママ・沼︶ ﹁衝口発﹂の題にて続載すべき稿也。昨夜、平野淑郎来 昨夜来着。今朝、侯䮒 N 行七時着す。外出中、県知事、内務部長の訪問を受く。 五日 晴。徳川侯一行の過半、余の宿 差出したる旨 N 報し来る。山田穀城、上野喜永次、野本恭八郎交々来訪。 和田と会談す。西条より小箪笥鉄道便 N 校友安藤、斉藤、荒川等 N 今朝、石渡敏一、三輪田元道、国府犀東東京より来﹂︵六 港同宿。中野欽治来訪、平弥の病状を云々し且つ物を贈 を与にす。東京内藤久寛より二百円為替入 酬ひ、坂口五峰、 N 於ける N 臨み、一時一先帰宿。午後より講話会を図 N クドキ 至りて已む。 N 開く。余は、此間を利用し山田穀城を延き、衝 N 口発の談話を筆記せしむ。一時より四時 書館内 支部発会式 石 塚 を 訪 問 し、 余、 鎌田松造、新潟新聞社を歴訪、十時新潟図書館 N 招かれ N 行形亭 午 N 着、皆大会 オ︶ らる。午時平沼と共 書状到る。高橋源一郎、数通の家信到る。長谷川轍、舟 馬渡内務部長を訪ふて、昨日の訪問 臨席之為也。九時、旅館を出て渡辺知事、 N 崎仁一、高杉四郎︵弥彦宮司︶、鎌田松造、林静治等交々 来 訪。 晩 ﹂︵五オ︶間、 坂 口 五 峰 と 共 特効ありと云ふ。 N 取寄せ呉れ 石塚よりワクシン注射を受く。東京より特 N キン たるもの也。エンフルエンザ菌駆除 今夜、市内の校友三十数名、平沼淑郎䮒 新潟市 N 招かれ、行形亭 N 飲む。 N 応 し 数 紙 揮 毫。 今 ﹂︵六ウ︶夜、 N 加茂文庫の大橋永三郎来訪、文政年度三条大地震の口説 ︵ママ・一字重複︶ 余の為めに鍋 N 中山樵 渡済。 N 中、吉田和男来訪、物を贈らる。内藤久寛寄附金壱百円、 来会者六十名。今夜早く会を辞し、帰宿して臥す。外出 徳川総裁以下幹部と共 茶屋 校 N友会を開く。校友を代表して松井より余余か早 及ぶ。此会、主として N 節 壱 冊 を 贈 ら る。 人 の 嘱 の事 大 尽 Nしたる効績の大なることを演説し、平沼、又早大 紛擾善後につき傍ら余雪 N 協会幹部一 N 招かれ佐藤と共 N 飲む。今夜、徳川総裁䮒 会 す。 坂 口 N 余の在職中の労を慰する為めに開らきたり。偶々校友﹂ 移 Nり深更 ︵ 五 ウ ︶会 席 上 佐 藤 伊 助 別室 ─ ─ 116 晴。早起、四、五の絵はかきを東京宅へ発す。家信到る。 新聞社より人を遣し、余 を廃し、半時間談話を筆録せ 往年の同社在社中の懐旧談を N 快 晴。 五 時 起、 出 発 之 準 備 を 為 す。 匆 忙 中 ﹂︵八オ︶高 田 七日 真島桂次郎来訪、物を贈らる。石塚三郎、高橋四郎、沖 請ふ。辞する能はす、朝 六日 荘蔵、加賀幸三、川上法励等交々来る。十時より新潟﹂ しむ。五時五十五分、徳川総裁外同人百十数名と共 山浦より越後鉄道にて弥彦へ向け発す。県知事、有志者 白 N ︵七オ︶図 書 館 を 会 場 と し て 十 三 回 全 国 図 書 館 大 会 を 開 く。 於て一場の演説を為す。閉会 N 多く送り来る。途中汽鑵 来会者三百名。余も式場 後、郷土資料の陳列を一覧し、一同撮影の上一先旅宿へ 彦駅 故障を生じ、四十分後れて弥 N かへる。午後、積善組合の仁堂を会場として図書館協会 説明を為す。高松宮司に迎へられ、宮を拝す。此宮前年 つき詳細 N の研究会を開らく。中野へ物を為持遣る。坂口五峰来訪、 炎上、今漸く回復、規模前よりも大。費す所の工費、実 三 十 ﹂︵八ウ︶二 万 円 也。 陳 列 図 書 の 内、 国 上 渡 辺 村 阿 N 着。車中、渡辺技師、大河津派水工事 N 同伴図書館陳列の書を再覧す。丹呉康平来訪。新潟県市 新潟富史、亀井 N 各方面より各種の図書を贈り来る。中 良寛書入之万葉集、鈴木文台の 部家の良寛遺墨数巻䮒 N マ マ ︶ N 投し、大河津 N ︵ 達し、一行トロツタ数台 N 汽車 N 算法等あり。熊本江部淳夫より来書、文部省へ転任の事 を 訪 ひ、 寺 前 よ り 数 午後一時半也。照明寺 の舟 を喫し、順徳帝の遺址 分 乗 し て 築 港 ﹂︵九オ︶を 検 N 於て午 N 分乗、署長の案内にて要所を観、終に寺泊に入る。于時 派水工事を見んとて其地区 りしを遺憾とせり。小憩の後、直 遺墨数巻尤も刮目。啻た時間迫り委しく閲するの暇なか 招かれ、又、 N 招かる。それ N 於て渡辺知事 N 臨む。招待を受けたる者百五十名、 N を 内 ﹂︵七ウ︶報 す。 積 善 組 合 の 仁 堂 を 訪 ひ、 又、 石 塚 を 訪ふて市長の招宴 会場鍋茶屋也。此夜、同処 新潟新聞社 招かれ、又、松井、松本等 N 不用の雑具を入れ、荷造りを為す。 〳〵へ顔を出して、十時帰宿。西条より出したる小箪笥 到達。深更 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 117 分し、停車場前 市街を距る里余、牧野家之 のある所也。近年道路を拡 臨む。又、北越新報同人 N 招かれ其小宴 N 臨 N 地を修め大いに面目を改む。他日、公 張修理し、又、 投し、六時長 N 園と為すの目的を以つて従前より大いに地区を拡張し、 上陸し、一同臨時汽車 N 岡 着 N。余は総裁外幹部と共 城東第一の勝区也。三時辞して帰へる。数通の絵はかき 投す。長岡の旅 N 館、一行を以て塞かる。到着後、まもなく牧野子爵、特 を東京へ発す。今夜長岡市長に招かれ、協会員一行長岡 大野屋 N 東 N京より帰り来り余の室へも訪問あり。今夜、長岡市 会 館の宴会 臨む。疲労の為早く辞し、帰 N 招 Nかれ常盤楼の晩 り臥す。 於て N む。七日発行東京新聞は、近衛公売立総売高百万円を抜 きたりと報す。校友高木来喜来訪。石塚歯科医院 八日 晴。数日の睡眠不足、昨夜来漸く補ひ得て、今朝稍々健 九日 晴。今朝六時、一行高田 投す。大阪の永田好三郎、 N 向け出発す。九時、高田着。 N 柳糸郷 N 到り大会の席 N 於て布施秀治 N 列す。今日正午に N 会す。此人謙信研究 N 多年没 N 謙信文庫あり。文書類は﹂︵一一オ︶皆此文庫中のもの N 也。場内 校 て大会終了を告く。会場内に陳列の謙信文書を見る。此 を訪ひ更らに小学校 坪谷水哉、今井貫一と旅館を共にす。小憩の後、図書館 余は高橋義彦と共 付今夜 N 第二回ワクシン﹂︵一〇ウ︶注射を受く。明早朝発 N 深更行李をとゝのふ。 康 の 回 復 を 覚 ふ。 下 林 貞 雄 の 書 ﹂︵九ウ︶状 を 東 京 宅 よ り 転送し来る。又、家信 接す。長岡市長河島良温来訪。 N 到りその開館式 N 踵て高橋義彦、石塚三郎、覚張等来話。明晩、高田より 帰京と決し寝台券を購ふ。互尊文庫 於 N 陳列の北越名 N 臨む。此文庫は野本恭八郎十万円の寄附に依り成りたる ︵ママ・二︶ 者也。場所は三島億次郎の第址也。館内 流の遺墨を展観、一同記念撮影を為す。午後より館 て図書館参会者の研究会を開く。又、一面表町小学校を 与ら N 到り観る。此地 N 対し講演会を開く。余、両者共 N 従つて悠﹂︵一〇オ︶久山 N 会場として公衆 ず。牧野子爵 ─ ─ 118 頭、謙信伝の著あり。此処 午 N を済ます。新潟より一 ︵ママ・徳︶ 会中徳川侯 かへる。高田 N 宴を張る。出発前一時 N 別を告げ中席して、柳糸郷 N 新聞同人十数人余の為めに此処 間半の時を剰すを以つて出席を諾し、且つ一場の演説を 紹介し、此人か N 万余の図書を寄贈したる始末を云々す。一 N 行 加 Nはり来れる佐藤荘松を松川総裁 新潟図書館 為し、紀念揮毫をもなし、九時二十二分の汽車 登 N 帰 N 帰宅す。病後十日間郷 N 於ける奔走は備さに疲労を感せしめたり。然れとも N 雨。定刻七時上野駅 里 似たり。丹呉康平より茶二斤、斉藤和太郎、市村英 N 健康漸く復したるもの石塚二回の注射与つて効あり N し 幸 着す。直 N 就く。国府犀﹂︵一二ウ︶東、三輪田玄道も共 N 投し帰 N 講演会を開く。余、与らす。高橋義彦を拉 N 京の途 時、小学校 し、春日山を訪ふ。此地余か往年高田新聞在社中、曽遊 京す。 絶頂 N N 十日 の処、十八、九年前小川某、公園を営まんとし、資を四 励まされ終 N 方 募 Nり謙信社を建つ。其後、県の力を籍り道路﹂︵一一ウ︶ を開鑿し頗る旧観を改む。高橋 立寄り石渡敏一 N 来り揮 N 揮毫を乞ふ。余辞せす膽仰の二 N り、馳眺爽快を覚ふ。帰路、林泉寺 会す。寺僧、余等両人 字を書し春城謙と款し、石渡を顧みて曰く、爰 輔等より物を贈り来る。終日家居、茶後録 帰省中の事 N 毫するもの何んぞ限らん、唯た謙信の居城を号と謙信の つき余の帰郷を促す。昆田文次郎長文の電報、新潟より を録す。学校の重大事を決する日、漸く まるに﹂︵一三オ︶ 逆戻りして今日接手す。石塚三郎より十五日歯科病院開 名を名とする者天下唯た吾れ一人ある耳と一笑す。一覧 帰へる。高田新聞社長伊藤恭蔵、 N 漬を贈らる 晴。内藤久寛より訪満紀程を送り来る。増子来る。踵し 十一日 院式の招待状到る。北堂より味 立寄﹂︵一二オ︶らんことを以つてす。 N 後、車を馳せて高田 余 請 Nふに新聞社 此新聞創設の際、余与りたる因故より社員 一場の演説 N 臨み、宴 N を為さんことを需む。余、諾して一場の旧夢談を為す。 終つて偕行社を会場として催せる市の歓迎会 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 119 て昆田来訪。学校の改正校規 伴ふ諸問題につき長時間 N 話して去る。豊国火災保険会社員松川松次郎来訪、余の 今日より梅雨季 十三日 入る。﹂︵一四ウ︶ N 梅天濛々。今朝無熱。茶室 臥す。森脇を招き文明協会 N 保険期満ちたるにつき、更らに家屋七千﹂︵一三ウ︶円、物 茶話会の事を処す。前駐独米大使ゼラードの在独四年の 遣り照会す。 N 品三千円総計壱万円とし、近日約束を為すことを協定す。 したる小箪笥未着につき、人を上野停車場 反訳成り文明協会より配本を受く。去る七日新潟より出 引致され、昨年余か購入の一幅その N 此保険料三十一円五十銭也。出入書画商古池聿三不正の 所業ありとて警察 未着 付、新潟石塚へ書状を発し取調頼み遣る。真島桂 N かゝり合にて警察へ持参を要する事となり、多賀を代人 謝書を発す。橘井 N 挨拶の取次を頼む。本 N を贈らる。直 書を投して、徳川総裁 N 十四日 夜帰国の由。終日無熱。 り来る。下剤之為め三回利す。午後、坂口五峰来話、今 間健四郎より来書、且本間精一郎事歴一冊﹂︵一五オ︶を贈 清五郎 次郎より来書、且干 ﹂︵一四オ︶ 書を発す。植木屋を N として遣す。品物は持帰へる。市島九郎、白井雅義来訪、 物を贈らる。内藤久寛、石塚三郎 僦ふて庭樹の手入を為す。 十二日 付、更 N 晴。山田清作、小沢隆一、坂口仁一郎、森脇美樹、田中 唯一郎交々来訪。貯蔵銀行約手二枚、本日期限 病牀を徹せず。阪本三郎来訪、新校規の欠点を云々す。 付水薬服用をとゝむ。尚、 晴、曇。朝来無熱。通じ過ぎる N 高田方へ往き説明せしむ。小久江成一、山田清作来訪。 らに割引六十日頼み入切替済。金沢発和田万吉の絵端書 依頼の寸珍無地本七十冊製本成る。湯 N 橘井清五郎挨拶のため来る。和田万吉より新潟行挨拶状 到る。山田清作 付下林へ治療代五円遣す。 N 浅吉郎来話。欣二、脚気性 午後、疲労を感して臥す、体温を検するに三十七度也。 壱 N 到る。長岡市長䮒 林静治より謝書到る。豊国火災 N 医を迎へて手当を為す。琳琅閣より巾箱本二種為持遣す。 ─ ─ 120 万円の火災契約を為す。巾箱本 録し喫烟 檀几叢書﹂︵一五ウ︶を抄 N Nはし検査をもとむ。林静 書状を発す。巻菱洲より物を贈らる。終日 N 代ふ。尿を医師 N 治、山中樵 無熱、入浴。晩間、新潟より出したる小箪笥到達。 付来訪、自画の団扇数干を贈らる。 N る。午後、疲労を覚へて仮寝、按摩を迎ふ。﹂︵一六ウ︶浅 野赤城、今夜帰国 在朝鮮板橋菊松より来書。堀元恭来訪、遇はずして還す。 十七日 臥す。 N 今朝到達の新潟新聞、余の﹁衝口発﹂の掲載を始む。種 付坐敷 N 晴。高橋義彦より来書。越後より携帯の前原幅改装の為 村、小久江宛書状為持遣る。長岡銀行支店より取引 雨。今朝体温三十六度七分。茶室陰気 表具屋へ遣す。家屋税府市税十五円余納了。市島九郎、 する書類到達。印鑑発送了。前田来診。高田来訪、病牀 十五日 関太郎来訪、不遇還す。籠居、書を抄す。高橋義彦より 食事を共にして学校の事を内議す。出版部より金五十円 十八日 晴。山田清作、複製会出版の二冊出来 付来訪。森脇美樹来訪。神楽江卷石遊説を了 N 付持参。昆田、 N 開業の寄合書端書到る。高橋源一郎、伊東祐穀より来書。 関 N 燻製の鰛を贈らる。広井一、斉藤樹来訪。旅行中の談話 一時借入。抄録無聊を慰﹂︵一七オ︶す。新潟より石塚病院 付云々の来電あ N をなし、﹂︵一六オ︶斉藤をして筆録せしむ。賀田以武来訪。 於て病院開業式 石塚三郎、今夕新潟 N り。当方より祝電を発す。植木屋勘定十二円払済。終日 筆録を事とす。 学校の件 り帰来、自製の杯を贈らる。琳琅閣より二、三の巾箱本 付内話す。小久江誠一来訪。日清印刷 N 書状を発す。午後、坪内逍遙来訪、 N 換ふ。一昨日来小本二冊 N 十六日 日曜 晴。朝来抄録を事とし、喫烟 長時間学校の件 橋義彦、伊東祐穀等 を購ふ。表具屋へ托したる小波の幅出来。西条丹呉、高 付長 N 既 写 Nし了り、今日、山陽の唐絶新選の謄写を始む。山 中樵、岡正雄より来書。昆田来訪、校規改正の件 時間話して去る。学校より新校規を内見せよと回付し来 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 121 会社より半期謝金﹂︵一七ウ︶を受く。清水泰次、支那へ赴 用の図書を為持遣り、一、二の物を取寄せる。落合留守 昂進。野本恭八郎より来書。 N 居病む。薬料二円遣す。夕刻悪寒を感し臥す。食後体温 三十六度より三十七度 く 付 N告別の為来訪。 十九日 二十二日 今朝体温三十七度。聊か頭痛を覚ふ。一昨日来便秘、或 晴。今朝漸く健康の回復を覚ふ。五時前起床。菊屋、花 を携へ来る。巾箱本箱調整依頼す。並木覚太郎来話。万 は懐虫の仕業にあらずやと思はれ、便秘を解くにつとむ。 徳川頼倫侯より廿五日招かる。歴史図譜、山田清作を以 屋来る。不用の雑書を売る。内子と出游、物を購ふてか 若干の払を為し、印譜二、三種を購ふ。 N て坪内逍遙方へ﹂︵一九オ︶遣す。午時、体温依然、昏々と へる。村口書房 高木方 壱 N双の茶壺を購ふ、勘定払済。帰宅後又抄録、 して眠る。下剤を服す。夕刻 答書を発す。徳川侯廿五日招待を辞す。種村来訪、過 N 挿む。注文の小本箱二個出来。更らに八個注文す。内山 今朝無熱、聊か疲労を覚ゆれと気分よし。菊屋来り花を 二十三日 発汗甚しく熱去る。内山省三より来書。 両三回利す。熱尚低下せす、解熱剤を服して眠る。半夜 至り熱度昂進。前田来診、 N 夜に入る。﹂︵一八オ︶ 二十日 雨。昨夜来咳嗽多し。朝来全く吹烟を廃す。石田友吉、 山田清作来話。昆田文二郎、学校の問題につき来訪。抄 録 付来 N 托したる小波の幅装潢成る。此日、唐絶新 N 没 N頭する半日。午後、増子喜一郎、学校の件 話。表具屋 選写し了る。関太郎来る。晩間潤雨到る。 三﹂︵一九ウ︶種配本。森脇美樹、大工吉五郎来訪。小沢隆 日 出 版 部 よ り 当 坐 借 入 金 五 十 円 返 却。 出 版 部 近 刊 図 書 梅霖鬱陶敷、朝来客来らす。檀几叢書中より端渓硯石考 一、石塚三郎より来書。又、新潟県知事渡辺勝三郎、佐 二十一日 謄写し了る。昂﹂︵一八ウ︶を落合の荘へ遣し不 N を巾箱本 ─ ─ 122 渡巡 中発したる絵はかき到る。渡辺勝三郎 す。晩間、昆田文二郎来訪、天野復帰問題 一書を発 N を抄し半日を消す。今日、日清印刷会社半季総会を開く、 書を投す。三輪田太郎より来書。雨窓粛然、会心の詩 N 本日より薬を廃す。 二十七日 を与にして 紀念写真帖を寄せ来 N 山田清作と午 N 到り、寸﹂︵二一オ︶珍本を漁り十七 N 晴。山田清作来訪、同伴神田南明館 ふて寝所 入る。 N 二十八日 曇。早朝指物師より小本箱十二個持参。朝 N 本箱代三十一円五十銭払。関太郎、大鳥居弃三来話。倉 対し半﹂︵二一ウ︶季一割九十円の配当を受く。菊屋来る。 対し三百七十五円也払込了。日清印刷会社より株持 N の巾箱本を分類して装置し了る。日本石油増資持株三十 前、二百種 前日の分共計四百五十円也。四時頃疲労を感し按摩を僦 る。小久江成一来訪。印刷会社より謝金壱百円を贈らる。 かへる。弥彦の宮司より建築史并 種を得たり。日本橋中華亭 合書店の図書即売会 開らきたる市下聯 N 行かず。豊国火災より保険証到来領手。半夜激震あり。 付渋沢、中 N 上らず。 N 野、大隈侯訪問の結果、侯不承諾の報告あり。雨亦降る。 三十七度 N 付 N 付来訪。 N 赴﹂︵二〇オ︶く N 至り漸く眠る。 N 今夜熱の来たらんことを虞る。幸 但た睡眠を得す。午前二時 二十四日 晴。市島九郎、朝鮮の賀田皮革会社 来訪。高橋源一郎、吉田故博士遺稿出版の件 白井雅義外二、三の来客あり。米沢渡辺徳太郎より桜桃 付人を遣す。 N 謝書を発す。寸珍本謄写二 N むて後罷む。落合留守居病気 一函贈り来る。渡辺徳太郎 時間、 二十五日 小雨。今朝病牀を払ふ。小林堅三、大鳥居弃三、森脇美 を共 話して去る。白井雅義より来書。﹂︵二 樹、田中唯一郎来話。又、小田島彦太郎来訪、午 にし午後に至る 〇ウ︶ 二十六日 終日雨降る。客の来るなく亦門を出るに懶し。白井雅義 翻 刻﹃春 城 日 誌﹄︵二八︶││﹃双魚堂日誌﹄大正七年一月∼六月││ ─ ─ 123 を共にして別る。弥彦の 書状を発す。午後、学生岸良隆来り接す。出 N 石知蔵来訪、長時間話す。午 高松四郎 飛鴻堂石印本五帙外二、三の書を購ひ、 N より帰来の姉崎博士の講演を聴く。参考として米国大使 館より活動写真を借り受け映画す。姉崎の講演後一時間 渉る大隈侯の談話あり。余、会を主宰す。来会者五十 N 余名。不在中、真島信城夫婦、養子を伴ふて挨拶之為来 游、文求堂書店 琳琅閣を訪ふてかへる。 学校の同人、坪内、田中穂、田中唯、 N 訪あり。真島中太郎も来る。高田より云々の電話来り、 明日高田宅 N 二十九日 急 坂本三郎、塩沢会合の事を﹂︵二三オ︶決し、それ〴〵へ電 於ける文明協会の茶話 N 会につき云々して去る。第二回茶話会講演筆記成る。茶 話にて交渉す。高橋源一郎より来書。﹂︵二三ウ︶ 晴。森脇美樹来訪、明日大隈邸 後録を筆﹂︵二二オ︶す。大伝馬長岡銀行支店を訪ふて、広 井と話し、金二百円文明協会分同行より引出す。帰路、 風月堂 飯 Nして帰へる。広田より秋月の幅戻り来る。新 要を購ふ。午後、児女と共 飯してかへる。 N 再ひ出、浅草之書肆を訪ふ N 潟県知事渡辺勝三郎より来書。文求堂より巾箱本通鑑纜 て一、二の書を購ひ、金田 三十日 梅雨去り好天気を得たり。初夏の暑熱を覚ふ。児女の為 朝神田 物 Nを購ふ。帰来、寸珍﹂︵二二ウ︶本の分類目録を 作る。坂口、今朝出京云々の電話あり。午後より大隈邸 抵 Nる。第三回文明協会の茶話会を開らく。近かく西洋 ─ ─ 124
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