笠間稲荷神社◎社報 胡 桃 THINK&TALK 神道画の魅力と力 講中を訪ねて 501 ごあいさつ 年頭にあたりまして、謹んで皇室の弥栄と国家の安泰、氏子崇敬者の皆様の平安をお祈り申しあげます。 昨年、伊勢の神宮におかれましては、十月二日に内宮、続いて五日に外宮と遷御の儀が執り行われました。遷宮は神 宮が所管するすべてのお社を造り替えるまで続きますのでまだ終わった訳ではありませんが、一つの区切りとして、内宮、 外宮の遷御が無事執り行われたということは悦ばしいことです。大神様の甦りとともに、日本が陽の昇る国家への道を 再び歩むことを期待します。 さて、大きな被害をもたらした東日本大震災から、もうすぐ三年の月日が流れようとしています。笠間稲荷神社も甚 大な被害を被りましたが、皆様に神社再建の為、尊い御浄財をお寄せ頂きましたお蔭をもちまして、玉垣の補修、壁面 の補修等、多くの修繕を終えることができました。改めまして感謝申し上げます。これからは、皆様にご心配頂いてお ります、鳥居の建立に臨むことになりますが、無事全ての復旧が終えますまで、皆様には変わらぬ、ご協力、ご指導を 頂けますようお願い申し上げます。 本年は午年、また、六十年に一度の甲午の年であります。前回の甲午の年は一九五四年、高度経済成長期が始まった 年だそうです。日本経済も力強さを取り戻し始めているやのように見える昨今、あのころのような勢いを日本が取り戻 せることが出来るかどうか、我々日本国民の力の見せ所といったところでしょうか。また、折り返しを示す干支でもあ ります。内宮、外宮の遷御という、神社界にとって、日本という国家にとって、重要な御祭りが終わり、日本という国 が再生していく折り返し地点としてふさわしい年であります。皆様にとって、本年がすばらしい年となりますようご祈 念いたしまして、簡単ではございますが、年頭のご挨拶といたします。 笠間稲荷神社 宮司 塙東男 1 笠間稲荷神社復興奉賛会 未曾有の大震災より二年半が経過し、ご崇敬者皆様のご協力に ◎ご奉賛について より復興工事も順調に進み、ようやく元の状態に戻りつつは有り 一、皆様 か ら の 奉 賛 金 は 確 定 申 告 を す る 事 ますが、この事業は多大な資財を要し、未だ完全復興には至らず、 に よ り 財 務 大 臣 が 指 定 し た「指 定 寄 附 目標とする奉賛額にも達してはおりません。 金」として、所得税や法人税の優遇措置 が受けられます。 皆 様 の 信 仰 の 場 と し て 一 日 も 早 い 復 旧、 復 興 が 出 来 ま す よ う、 全国ご崇敬者皆様の心からなるご奉賛を仰ぎたく、格別なるご支 一、ご奉 賛 は、 ご 参 拝 の お り か 郵 便 振 替、 指定取扱い銀行振り込みのいづれでも 援とご協力をお願い申し上げる次第でございます 結構です。 一、ご奉 賛 戴 き ま し た 際 に は、 早 速 大 神 様 に ご 報 告 申 し 上 げ、 芳 名 簿 に 記 し、 ご 神前に献納致し永く顕彰致します。 ◎募集目標金額 三七三,二六一,〇〇〇円 ◎振込先のご案内 郵便振替の場合 口座記号番号 〇〇一三〇‐二‐五九六一二四 宗教法人笠間稲荷神社復興奉賛会 指定銀行振込の場合 常陽銀行笠間支店 (普)一五〇六四四八 宗教法人笠間稲荷神社復興奉賛会 指定寄附金 代表役員 塙 東男 お問い合わせ先 笠間稲荷神社 復興奉賛会 TEL 〇二九六ー七三ー〇〇〇一 2 第28回 神道画の魅力と力 日本画家/鳥 居 禮 氏 笠間稲荷神社 宮司/塙 東 男 塙 この 度 は 笠 間 稲 荷 美 術 館 特 別展 第 「 六 十 二回 神 宮 式 年 遷 宮 記 念 鳥 居 禮 展 神 々 と 神 話 」 を 開 催 で き、 多 く の 方 々に ご 鑑 賞いた だ き な が ら 無 事 終 え ら れ ましたことに感謝申し上げます。 鳥 居 笠 間 稲 荷 神 社 は、 私 が 若 い 頃 か ら 学 ば せ て 頂 い た、 横 山 大 観 先 生や 木 村 武 山 先 生 とゆ か りの深い神社ですので、私もこの 場 所で展 覧 会が開 催できました こ と を、 誠 に 有 り 難 く 存 じ て お り ま す。 以 前 神 社 を 参 拝 さ せて 頂 き、 美 術 館 を 案 内 し て 頂 いた 際に、ぜひ一度この立派な美術館 で 展 覧 会 を 開 か せ て 頂 き たい と 思っておりまして、その念願を叶 える事ができました。 塙 当 社 と 致 し ま し て も 先 生の 横山大観・木村武山 ゆかりの地で展覧会 目に見えぬ 神々の美しさを世界へ TH IN K & T A L K 作 品 を 展 示 公 開 さ せて 頂 く こ と で、 第 六 十 二回 の 神 宮 式 年 遷 宮 の P R に つ な が れ ば と 思 い、 特 別 展 の 開 催 に 至 り ま し た。 平 成 十 七 年の山口 祭 に 始 ま り その 後 八 年 間 に 渡 って 三 十 に も 及 ぶ 御 祭 が 斎 行 さ れ た 遷 宮 で ご ざい ま す。 そ れ らの 祭 典 や 行 事 に 先 生 が 実 際 に ご 参 列 に な り、 描 か れ てこられた作品の一部を展示させ て 頂 き、 ご 覧 に な ら れ た 皆 様 に 遷 宮 の 尊 さ、 そ し て 厳 粛 かつ 壮 大 なスケ ールを 感 じて 頂 け た も の と 確 信 致 し て お り ま す。 ま た 昨 年 は 古 事 記 編 纂一三 〇 〇 年 に あたり、神道古典の一つである同 書 を 通 して 神々と 神 話の 世 界 に 触 れられた方 がたく さんおられ ま し た。 そ の よ う な 方 達 に と り ましては先生の作品はよりいっそ う 味 わい 深 い も の と し て 感 じ ら 塙 東 男 れたのではないかと思います。 木 村 武 山 先 生 は この 笠 間 の 生 まれで、私の祖父である塙嘉一郎 と親友でありました。 明 治 三 十 九 年、 横 山 大 観・ 下 村 観 山・ 菱 田 春 草・ 木 村 武 山 先 生 等 が 天 心 先 生 に 従い五 浦 にて 絵 の 研 究 を さ れ ま す が、 先 生 方 が 東 京の行 き 帰 りに 笠 間に寄 ら れ、 神 社 で 席 画 会 が 行 わ れ た そ うです。 笠間稲荷神社 宮司 3 鳥 居 先 生 は 神 道 画 家 の 第一人 者 で あ り ま す が、 何 故 この 道 を 志されたのでしょうか。 タブーを破り 神道画の道へ 鳥 居 私 は 若 い 頃 か ら 神 道 の 美 を描きたかったのですが、当時は ま だ 神 道 とい え ば 戦 争 とい う よ うな考えが多い時代でしたので、 み な 神 道に 触 れることを 避 けて い ま し た。 し か し、 西 洋 美 術 史 ではタブーを 破 ることが 歴 史 的 画 家 の 特 徴 で し た。 タ ブ ー を 破 ろ う とす ると 当 然 孤 高の道 を 行 か な く て は な り ま せ ん が、 全 く 平 気 で し た。 そ れ は、 横 山 大 観 先生が仰ったように、孟子の「自 かえり なお いえど ら 反 み て 縮 く ん ば、 千 万 人 と 雖 も、 吾 往 か ん 」 とい う 言 葉 の よ う な 雄 々 しい 気 迫、 士 気 が 絵 に 込 め ら れ ている か が 日 本 画 の 場 合 重 要 と 考 え てい ま し た し、 無 謀 に も 江 戸 以 前の日 本 絵 画のす ば ら し さ を 自 分 が 継 いでい か な く て は な ら な い と 思 って い た か ら で す。 そ し て 具 体 的 に 何 を 受 け 継 ご う か と 考 え た と こ ろ、 ご 皇 室 を 根 源 とす る日 本の伝 統 的 な 美 し さ を 広 め、 自 然 と一体 の 温 か み の あ る 絵 を 描 き たい と 思 う よ う に な り、 さ ら に 日 本 の 美 術、文化を探求していくと神道、 神 社 に 行 き 着 き ま し た。 そ し て 二 十 七 歳 の 頃、 保 田 與 重 郎 氏 の 『 日 本 の 美 術 史 』の 巻 頭 の口 絵 おおいや に 神 宮の 御 敷 地の 覆 屋の 写 真 が 載っておりました。その見たこと も ない、 気 が 充 満 し た よ う な 空 間の凄さに感動しました。 塙 神 道 を 描 く とい う こ と が タ ブ ー と い う の は、 神 道 や 祖 先、 神 様の 御 霊に 対 す る日 本 人の 畏 れ 多 い 気 持 ち か ら も き ているの で し ょ う。 神 道 でい う 慎 み の 心 で す。 仏 教 で は 仏 像 を 人 前 に 見 せ ま す が、 神 道 で は 御 神 像 は や た ら に 見 せ ま せ ん。 この よ う な 気 持 ち か ら 神 社の 祭 事 な ど を 描 いたり写真に撮ったりはしなかっ た の で し ょ う。 神 様 を 描 く とい う こ と に あ た り、 どの よ う な こ とを意識されていますか。 鳥 居 常 に 心 を 穏 や か に 保 ち、 幸福感を感じるということです。 ま た 画 室 を 清 浄 に して 庭 を 整 え るとういことも実践しています。 ま た、 神 話 の 世 界 は 装 束 の 資 料 が残っておらず、せいぜい残って いて弥生時代ですので、あとは想 像 に 任 せ る し か あ り ま せ ん。 古 代 の 雰 囲 気 を 出 す た め に は、 縄 文 時 代 や 旧 石 器 時 代 まで 意 識 を 飛 ば して 描 か ないと 神 様 に は 近 づくことができません。そういう 要 素 を 出 す ことが 出 来 るか ど う か。 浅 学 な が ら 神 様 は 光 に 満 ち たキラキラしたものであり、エネ ル ギ ー に 満 ち 溢 れ、 初 々 し く 清 ら か で 美 し い、 ま さ に 神 道 の 思 想 そ の も の とい う イ メ ー ジ が 私 の中にあります。そういった要素 を 出 す こ と が 出 来 れ ば、 神 様 の 温かさを表現出来ると思います。 理 想 と し て は 飾った と き に 部 屋 が パ ーっ と 明 る く な る よ う な 作 品を描きたいですね。 塙 私 は この 特 別 展 の 中 で 倭 「 姫 の 祈 り 」とい う 作 品 に 感 銘 を 受 け ま し た。 こ の 作 品 か ら は、 倭 姫 命 が天 照 大 御 神の御 杖 代 と なって、大神の鎮まるべきところ を 求 めて 各 地 を 巡 幸 し、 伊 勢 の 地まで導いてこられたご苦労と、 神に対する 祈 「 り 」の 深 さ が 伝 わってくると共に、先生の神道に 対 す る 直 向 き な 思いが 感 じ ら れ ます。 鳥 居 こ の 作 品 は、 神 宮 斎 主であらせら れま す 池 田 厚 子 様 が、 祭の際に長時間に渡 り真剣に祈りを捧げ られておられる姿を 参考にさせて頂いてお り、国家の安泰・皇室 の弥栄を願われる深い 祈 「 り 」を表 現してお ります。 塙 ま た、 新 た に 当 社の御 祭 神である宇 迦之御魂神の図像を 4 Rei Tori 鳥居 禮 氏 日本画家。昭和27年東京生まれ。武蔵野美術大学において日本画や民俗学を学ぶ。27 歳の頃、伊勢の神宮の御敷地に感銘を受け、神道画を描き始める。全国各地で個展を開 催。平成12年茨城県南の日本画作家展(つくば美術館) 、15年日本の桜展(島田博物館) 、 18年鳥居禮展 (河口湖ミューズ) 、21年~23年鳥居禮展 (小國神社) 、22年日本の美・霊峰 富士展(三嶋大社) 、23年遷宮絵画展(神宮徴古館) 、25年鳥居禮展~神々と神話~(笠 間稲荷美術館)などを開催。また、平成19年にはウクライナ国立美術館で邦人初となる 個展を開催。ウクライナの新聞4紙に一面で取り上げられ話題を呼ぶ。特に伊勢神宮に 関する作品を多く制作し、平成20年から4年の歳月をかけ、神宮式年遷宮諸祭画を30点 作成、 「豊受大神宮正殿の図」と共にせんぐう館に収蔵し、神宮崇敬会より表彰される。 また、平成25年神宮式年遷宮遷御の儀にて内院庭燎所役に任命される。他にも平成14 年大円寺の四季襖絵作成、16年諏訪大社上社「榊図」 収蔵、22年三嶋大社「三島の富士」 収蔵など神社、仏閣において多数の作品を描く。 平成27年秋にはエストニア国立博物館にて個展開催予定。 倭姫の祈り▶ 描いて 頂 き ま した。 鳥 居 拙 い 知 識 で す が、 宇 迦之御魂神は 日本文化の元 となる稲作と 深い関わりが あ り、 大 切 な 神 様 で あ る とい う 認 識の も とに 描 か せて 頂 き ま し た。 宇 迦 之 御 魂 神 の 図 像 は あ ま り残っておりませんので、それら の 少 ない 資 料 を 参 考 に 致 し ま し た。 ま た、 そ れ ら は 少 し お 年 寄 りでしたので、今回は若々しいお 米 の 生 気 に 満 ち た 感 じ に し たい と 思 い ま し た。 眷 属 で あ る お 狐 様は皆様に喜んで頂けるように、 目に力 を入れ可 愛 らしく 描 きま した。 塙 先 生の 作 品 を 拝 見 さ せて 頂 い た 中 で、 若 い 世 代 を 意 識 さ れ て 描 か れ ている 物 が あ る よ う に 感じました。 鳥 居 美 術 に よ り お 年 寄 り か ら 子 ど も ま で、 多 く の 方 を 神 の 道 に 誘 う とい う こ と が 私 の 使 命 で あると思い、特に若い方々も味わ いや す い 表 現 を 心 が け て お り ま す。 塙 神 道 は 古 典 の 中 に 神 々の 道 を さ ぐ り、 私 達 の 生 き 方 の 指 針 と し てい ま す。 先 生 の 作 品 で あ る 神々と 神 話の 世 界 に 誘 われ た 多 く の 若 者 が 日 本 とい う 国 や 日 本 人 と し ての 麗 しい 姿 を 改 めて 見つめ 直 し て く れ れ ば よ り よい 社 会 が 作 ら れ てい く こ と に な り ま す。 今 回 の 笠 間 稲 荷 神 社 での 展 覧 会 で、 先 生 の す ば ら しい 絵 画 に 触 れ ら れ た 若い方 も 心の 清 ら か さ や 明 る さ を 感 じ 取 って く れたのではないかと思います。神 道の大 切 な 価 値 観である 淨 明 正 直の心をもって神の道を一人でも 多 くの人 が 実 践 して く れ れ ば日 本の伝 統 文 化の継 承 発 展 ととも に 理 想 的 な 国 作 り が で き るので はないかと思います。 第六十二回 神宮式年遷宮 塙 さ て、 昨 年 は 神 宮 の 二 十 年 に一度 の 式 年 遷 宮、 出 雲 大 社 の 六十年に一度の御遷宮、また、熱 田 神 宮 創 祀一九 〇 〇 年 な ど、 神 社界にとってまことにおめでたい 年 と な り ま し た。 神 宮 の 遷 御 の 儀へは 私 も 参 列 さ せ て 頂 き、 今 回で四度目の参列となりました。 天下第一、 二つとない 日 本の重 儀である大 きなお祭りに参列さ せ て 頂 け て、 大 変 有 り 難 か っ た で す。 参 列中は御皇室の安泰、 国 民の幸 せを 祈ると と も に、 茨 城 県 の 多 く の 皆 様 に も 御 奉 賛 を 頂いたの で、 皆 様 の お 気 持 ち が 神 様 に も 伝 わ る よ う に、 そ ん な 気 持 ち で 参 列 さ せて 頂 き ま し た。 先 生 は 遷 御の儀に 御 奉 仕 をなされ まし たね。 鳥 居 誠 に 畏 れ 多 く も 私 は 内 宮 の 新 宮 内 院 庭 燎 所 役 を 仰 せつ か り ま し た。 遷 御 の 儀への 御 奉 仕 は、ただただ有難いものでした。 美しさや、 畏れ多さを一心に感じ、 感 動 致 し ま し た。 そ の 上、 大 神 様 の 懐 に 抱 か れ ている よ う な 安 心感もございました。印象深かっ た こ と は、 庭 燎 の お 道 具 の 点 検 に誰もいない内院に入ったときの ことです。真新しい白木の高い瑞 垣 に 囲 ま れ、 雲 の よ う な お 白 石 の 中 に 御 正 殿 が そ び え た ち、い ままで味わったことのないような 幸福感と温かさを体験しました。 そ こ は ま る で、 天 界 の 御 宮 を 写 し た も のの よ う に 私 に は 感 じ ら れ ま し た。 日 本 の 美 術 を 深 く 研 究 す る と西 洋 と 違 うのは 温 か さ で す ね。 江 戸 時 代 以 前 の 日 本 の 伝 統 的 な 美 とい う も のはそういったもので し た。 そ の 温 か さ を 描きたいと思ってずっ と 絵 を 描いて き たの で す が、 そ の 時 感 じ た 温 か さ は、 ま さ に そ れ そのものでし た。 今 ま で 私 が 絵 を 描 く に あ た って 心がけていた事が、間違いでは無 かっ た と 神 様 が 教 え て く だ さっ たような気がしました。 塙 そ れ は 貴 重 な 体 験 を な さ れ ましたね。 神宮の式年遷宮は今年で第 六 十 二回 を 迎 え、 現 在 ま で 受 け 継 がれて き た 最 も 大 切 な 御 祭 で あ り、 国 の 重 要 文 化 財 と し て 扱 われて然りであると思います。神 宮は日本における最高の聖地で、 全 国の 神 社の本 宗 として 格 別の 信 仰 を 集 め てい ま す。 皇 室 の 御 祖 神 で あ り、日 本 人 の 大 御 祖 神 である天照 大 御 神さまをお祀 り し、 私 た ち の 総 氏 神 に あ た り ま す。 先 生 は 神 宮 に 対 し て、 どの よ うな思いがおありですか。 鳥 居 浅 学 な が ら、 神 宮 は 古 代 の理 想 的 な 生 活 を そのま ま 残 し 伝えているタイムカプセルのよう な 存 在 で あ る と 思い ま す。 御 正 殿 な どの 建 築 も、 装 飾 が 多 少 変 わ る こ と は あ る よ う で す が、 基 本 的 に は 変 わ り ま せ ん。 あ の 唯 一神明造は世界で一番美しい建物 で あ る と 思 い ま す。 石 造 り で は 絶 対 にで き ない 極 めて 立 体 的 で 宇 宙 的 な 美 し さ、 平 明 で あ り な が ら、 も の す ご く 深 く て 曲 線 も 少 し あ る、 神 社 の 美 の 極 み だ と 思 い ま す。 ど この 神 社 で も そ う 5 TH IN K & T A L K だ と 思 い ま す が、 特 に 神 宮 で は 自然と一体で循環システムがしっ かりしていて、自給自足であり、 昔 の 形 を 残 す こ と を 厳 守 し てい る の で、 神 宮 に 行 く と 日 本 の 理 想 的 な 生 活 を 体 感 で き るでしょ う。 自 然 破 壊 が 叫 ば れ る 中、 世 界中が一番必要としていること、 今 後 人 間 は ど の よ う に まっ と う な 生 活 を す れ ば よいの か、 そ の モデルが神宮にあると思います。 神 宮 は 美 し さ を 感 じ、 心 身 を 整 え、 見 え ない 神 の 教 え を 学 ぶ 所 で あ り、 世 界 最 高 の 清 ら か な 聖 地であると感じます。一番大切な の は、 神 社 と は 古 儀 を 継 承 す る も の で す が、 そ れ は 未 来 の 為 の ものだということです。 日本の伝統文化を 世界へ 塙 式 年 遷 宮 で は 神 さ ま の お 住 まいで あ る お 宮 を 造 替 え る だ け で は な く、 調 度 や 神 宝 も 新 調 し て 新 しいお 宮 に お 遷 り 頂 き ま す。 二 十 年 に一度 全 て の も の が 元の通り新しく作られますから、 一三 〇 〇 年 前 の 建 築 や 調 度、 神 宝 が その ま ま 現 代 に 再 現 さ れ ま す。先生のおっしゃられた通り古 代の理想的な生活を残しながら、 日 本 の 伝 統 的 な 技 術 や 美、 精 神 が 瑞 々しい 命 と し て 今 日 ま で 継 承されてきました。 私 も も う 何 度 も 神 宮にお 参 り し て い ま す が、いつ 見 て も 美 し い 御 社 殿 と 御 敷 地 で、 心 が 洗 わ れる感覚を何度も味わいました。 一昨年、外宮前に「せんぐう館」 が オ ー プ ン し ま し た。 実 際 の 御 正 殿 の 御 扉 を は じ め、 外 宮 御 正 殿の原 寸 大 模 型や 渡 御の様 子 を イ メ ー ジ し た 縮 小 模 型、 遷 宮 の 資 料 や 宮 大 工の 道 具 な ど が 展 示 されていて、初めて神宮に訪れた 方 に も 興 味 を 抱 いて 頂 け る 内 容 で し た。 そ の 中 に 先 生 が 描 か れ た 神 道 画 のコー ナ ー が ご ざ い ま した。 鳥 居 神 宮 か ら 思 し 召 し が あ り、遷宮の諸祭三十三種のうち、 三 十 種 を 描 か せて 頂 く ことに な りました。今まで描いたことのな い 表 現 が た く さ ん あ り、 大 変 苦 労 し ま し た が、 と て も 勉 強 に な り ま し た。 神 聖 で 厳 粛 な 祭 祀 と 活 力 に あ ふれ た 神 領 民の両 面 を 表 現 し な け れ ばい け ま せ ん。 ま た、 五 〇 〇 号 の 外 宮 御 正 宮 の 絵 は 描 いている と き に 御 正 宮 の 強 烈 な 立 体 感 と 宇 宙 性 を 感 じ、日 本 人の 宇 宙 的 立 体 表 現のす ば ら し さ に 感 動 致 し ま し た。 せ ん ぐ う 館 で 御 正 殿 の 御 扉 の 隣 に 飾っ て頂いて、本当に畏れ多いことで ございます。 塙 御 正 殿 の 絵 は 入 口 す ぐ に 飾ってあったので、強烈なインパ ク ト と 共 に、 御 正 宮 の 美 し さ や 清 ら か さ が 感 じ ら れ ま し た。 そ の 他の 諸 祭 を 描いた 絵 も 厳 粛 に 行 われる 祭 祀の 様 子 がひしひし と伝わってきました。 ま た、 先 生 の 個 展 で あ る「 G ALLARY いせのもり」も開 店 さ れ ま し た ね。 どの よ う な 思 いで開かれたのでしょうか。 鳥 居 伊 勢 の 地 元 で 神 宮 に 崇 敬 の 念 が 深 く、 塾 経 営 者 と し て も 有 名 な 安 藤 大 作 さ ん が、 伊 勢 の す ば ら し さ を 私 の 作 品 に よ って 伊 勢 か ら 広 め 日 本 を 変 え ま しょ う、 と 提 案 し て く だ さ り、 そ の ことがきっかけとなり、二人とも き わ め て 純 粋 な 思 いで 始 め ま し た。 塙 先 生 方 の 伊 勢 の す ば ら し さ を 伝 え たい とい う 純 粋 な 思 い が 込 め ら れ てい る の で す ね。 神 宮 を参詣し感銘を受けた参拝者が、 先 生の 作 品 を ご 覧 に な るこ とで 大 神 様 ま た 神 宮の美 しさ を 感 じ 取り、またお参りに来たいと思っ てくださることでしょう。 鳥 居 伊 勢 の す ば ら し さ、つ ま り は 神 道のす ば らしさ を日 本 人 の み な ら ず、 世 界 の 皆 さ ん に 広 めることが、私の目標としている と ころ で す。 日 本 の 文 化 が 世 界 に 広 ま る 事 に よ り、 世 界 が もっ と 過 ご し や す く な る とい う 確 信 が あ り ま す。 日 本 語・ 日 本 食 の 文 化 は か な り 広 ま りつつあ り ま す が、 本 当 の 日 本 美 とい う も の はまだまだ伝わっておりません。 平成二十七年の秋にはエストニア 国立美術館で個展を開きますが、 そ こで も 神 道 を 通 し て 皆 さ ん に 日 本 の 文 化 が 持つ感 動 を 与 え ら れ れ ば と 思 い ま す し、 この こ と が 神 社 神 道 の お 役 に 立 つの で あ ればとても幸せです。エストニア の皆さんをびっくりさせたいです ね。 ま た、 茨 城 県 民 と し て 茨 城 県 全 体 や 笠 間 稲 荷 神 社のお 役 に も立てればと思います。 塙 エストニアでも多くの方々に 日 本の文 化 を 理 解 して 頂 け る と あ り が たいで す ね。 先 生 が 魂 を 込めて描かれた神道画を通して、 神 道 や 神 宮 の す ば ら し さ、日 本 の 伝 統 文 化 が 多 く の 方 々に 伝 わ る こ と と 信 じ て お り ま す。 今 後 ま す ま すのご活 躍 とご健 康 を 祈 念 致 し ま す。 本 日 は お 忙 しい 中 ありがとうございました。 6 祭事予定 一月 一日 歳 旦祭 三日 元 始祭 初 甲子祭 五日 釿 始祭 七日 昭 和天皇祭遙拝式 十日 初 事比羅祭 十四日 尖 閣諸島安全祈願祭 十五日 古 札炎上祭 二十二日 御 本殿畳表奉納奉告祭 二十五日 初 天神祭 三十日 旧 大祓式 三十一日 旧 歳旦祭 五日 釿始祭 十時 「 木 造 り 始 め 」 と も言い、釿とは手斧 のことで、釿を以て 用材を造り始める儀 式です。 大工さんの仕事始 めの儀式です。 十五日 古札炎上祭 十時 一年間御守護いた だいたお礼や、お守 りなどご崇敬者より 納められたものをお 焚き上げして、その 御神恩に感謝しこの 一年の無病息災を祈 る神事です。 別名「どんど焼き」 とも言われます。 7 祭事予定 二月 三日 節 分追儺式 四日 初 午大祭 七日 北 方領土返還祈願祭 八日 針 供養祭 十一日 紀 元祭 十四日 祈 年祭・初穂講大祭 四日 初午大祭 初午祭は二月 の最初の午の日 に行われるお祭 り で、「 事 初 め 」 「仕事初め」の日 として大切にさ れています。 祭事予定 三月 十二日 旧 初午大祭 十六日 絵 馬祭・絵馬炎上祭 二十一日 春 季皇霊祭遙拝式 十六日 絵馬祭・絵馬炎上祭 絵馬祭は絵馬に託さ れた皆様の御祈願が成 就しますよう祈念する 祭典で、絵馬を回収し た後、神社境内に於い て絵馬炎上祭を斎行 し、拝殿前にてお焚き 上げします。 8 例大祭 四月九日は笠間稲荷神社 御 創 建 の 日 と さ れ、 年 間 六十ものお祭りが斎行され ている中で最も重要な祭典 です。 こ の 日 は 午 前 十 一 時 に、 正装した宮司以下神職、献 幣使、献香、献茶を御奉仕 いただく各宗匠、氏子総代、 全国より招待者が、雅楽を 奏でる伶人、舞姫等に先導 さ れ な が ら 参 進 し、 お 米、 お酒、海の物、山の物など を大神様にお供えし、皇室 の弥栄、国家の繁栄、世界 の 平 和 を 祈 る と 共 に 氏 子、 崇敬者、国民の幸福を祈願 します。 祭事予定 四月 三日 神 武天皇遙拝式 九日 例 大祭 十五日 佐 志能神社臨時祭 二十九日 昭 和祭 昭和祭 昭 和 」 と は、 四 書 五 経 の 一 つ 書 経 「 ぎょうてん 「尭典」の「百姓昭明、協和萬邦」より、 国民の平和および世界各国の共存繁栄 を願う意味から考案されました。 「みどりの日」から「昭和の日」に変 更され、「激動の日々を経て、復興を遂 げ た 昭 和 の 時 代 を 顧 み、 国 の 将 来 に 思 い を い た す 」 と 定 め ら れ て お り、 当 社 で は、 崇 敬 者 の ご 祈 祷 に 併 せ て 日 本 国 民 お よ び 世 界 平 和 を 願 い、 昭 和 祭 を 斎 行します。 9 祭事予定 五月 十日 御 田植祭 十七日 講 社大祭 講社大祭 全国各地より当社 へ団体で参拝される 先達講元(崇敬者団 体の長)世話人の参 列のもと、大神様に 世界平和と国家の安 泰、そして各講中の 繁栄と講員各位の御 隆昌を祈願する大祭 です。 祭事予定 六月 下 旬 車 の茅の輪くぐり 三十日 夏 越の大祓 夏越の大祓式 大祓式は飛鳥時代の大宝律令 (七〇一年)によって国家的規模の行 事 と し て 制 定 さ れ、 半 年 間 に 知 ら ず 知らずのうちに犯した罪穢れを祓い 清め心身共に新しい生活の出発を祈 る神事として六月と十二月に斎行さ れました。 紙で出来た人形(ひとがた)に氏名・ 年 齢・ 生 年 月 日 を 書 き 込 み、 そ の 人 形 で 身 体 を 撫 で、 息 を 三 回 吹 き か け て 罪 穢 れ を 移 し、 我 が 国 最 古 の 祓 い 「中臣祓」の式を以て大祓式を執り行 い、 境 内 に 設 け ら れ た 生 気 に あ ふ れ る 茅 で 編 ん だ「 茅 の 輪 」 を、 8 の 字 を 描 く 様 に 左・ 右・ 左 の 順 序 に て 三 回 く ぐ り、 祓 い 清 め ま す。 大 祓 の 神 事 の 後、 決 め ら れ た 所 役 の 手 に よ り 人形を大海原に祓い去ります。 10 二日 赤字…祭典 緑字…行事 黒字…講中参拝・正式参拝 神宮式年遷宮遥拝式 図画コンクール審査 宮城県神社庁白石市刈田郡支部 支部長佐藤武比古様 鳥居禮作品奉納 國學院大學栃木高等学校父母会 会長廣澤造酒雄様 二十一日 神 宮大麻・暦頒布始奉告祭 会津雅楽会会長君島義範様 二十五日 甲 子祭 神嘗奉祝祭 十七日 退職公務員連絡協議会古河支部支部長篠崎泉様 十八日 菊まつり開催奉告祭 十九日 菊まつり開場式 白石市刈田郡神社総代会会長佐竹達雄様 国際ロータリー第2840地区 十一日 太田ロータリークラブ会長田部井敏弘様 八日 十日 ◆十月 平成二十五年 東毛敬神講・初雁興業 株 ( 笠 ) 間稲荷講・ 東京八方講 埼玉丸元講 五丁目友の会 太田青年会議所理事長倉嶋慶秀様 十六日 太田青年会議所OB会様 十八日 鶴澤美枝子様 九日 十日 八日 ◆九月 大洗磯前神社禰宜吉田卓史様 國學院大學指定神社実習班長鬼海靜玲奈様 三十一日 稲 荷神社宮司伴野健一様 笠間稲荷神社日誌 本社御田植祭 事比羅祭 末社祭 國學院大學指定実習開始 國學院大學指定神社実習班長藏重昂之様 献燈祭 旧大祓式 筑波山神社権宮司岩佐弘史様 十九日 中秋祭 二十三日 秋 季皇霊祭遙拝式 小笠原流弓馬術礼法奉納式 ▲小笠原流弓馬術礼法 ◆七月 六日 霞ヶ浦北浦水産加工業組合土浦支部 水神講・松戸鎌ヶ谷木材同業組合 七日 十五日 ロータリー財団総括委員長山崎清司様 笠間稲荷神社敬神婦人会総会 二十日 笠間稲荷神社敬神婦人会会長塙菊枝様 二十四日 当 社責任役員会・総代会 代表理事組合長川上好孝様 茨城県中央農業協同組合 三十日 末社本殿遷座祭 三十一日 財 ( 日 ) 本相撲協会巡業部千田川順様、 東関大五郎様、振分精彦様 ◆八月 一日 二日 四日 六日 十日 十八日 宇都宮笠間講 二十五日 真 岡加波山登山講 二十六日 甲 子祭 二十七日 ド イツ連邦共和国ラー市園芸課長ソトル様 ▲献燈祭 11 大河原稲荷神社崇敬会 東京紋三郎講・東京中央講 野辺八雲神社宮司小山清様 氏子会長堀江久仁於様 菊花早咲き品評会 二十七日 図 画コンクール表彰式 あきる野市野辺八雲神社氏子総代会 二十八日 尚 歯祭 二十九日 茨 城県敬神婦人連合大会 茨城県敬神婦人連合会会長塙菊枝様 三十日 講社大祭 四日 五日 六日 八日 九日 神事流鏑馬 寄居笠間講・増森新田講 東京国立講・越谷穀信講 立野神社氏子総代会会長大久保正様 立野神社宮司戸澤務様 築比地笠間講 埼玉県トラック協会草加支部・安行笠間講・ かさま落語会 假屋崎省吾の世界 示現流奉納 菊花遅咲き品評会 神奈川県文化財協会会長八幡義信様 岩手県神社庁東磐井支部支部長藤元修様 ▲神事流鏑馬 ▲假屋崎省吾の世界 立野神社護持会会長藤田佳史様 大和古流奉納 十日 辻ヶ岡笠間稲荷神社奉賛会 十一日 坂東市岩井職工組合 光和観光サービス東部案内所 東京東両国八町睦笠間勇山講・ 三峯山奥之宮神璽講社・松伏地区笠間講・ 下前笠間稲荷神社講・五辻笠間講・南百笠間講・ 明治祭 菊花中咲き品評会 東武観光岩槻・番匠免講 笠間・友部街商組合 ◆十一月 一日 二日 三日 十三日 匝瑳立身太々講・ 安全運転管理協会吾妻地区協議会 十五日 霜月祭 野田市睦講 茨城県人会連合会会長海老沢勝二様 十六日 かさま狐の嫁入り 正徳講 十七日 舞楽祭 十九日 西茨城神社総代会会長徳藏常松様 小松稲荷講・塩原温泉笠間講 二十一日 当 社責任役員会・総代会 二十二日 熊 野速玉大社宮司上野顯様 埼玉県酒造組合中部ブロック 二十三日 新 嘗祭・献穀献繭祭 浦向笠間稲荷講 二十四日 伝 統武術奉納演武大会 川口平和講・船橋大日講 三十日 菊まつり千秋楽 茨城県菊花連盟副会長菊池信美様 茨城県菊花連盟菊花品評会表彰式 有 ( 山 ) 崎石材店・長須職工組合 明治神宮権宮司宮崎重廣様 ◆十二月 一日 五日 七日 ) 芸術院会員福田千恵様 十一日 刀剣研師佐々木卓史様 十八日 ゼリア新薬工業 株( ・ロ ) サラーンド 株( ・)有( 伊)部 二十二日 御 火焚串炎上祭 二十三日 天 長祭 二十四日 甲 子祭 二十七日 サ ンコー 株 ( 二十八日 鹿 島祓 三十一日 大 祓式 12 ▲図画コンクール表彰式 講 うになったと言います。 けてもらったことがきっかけで、塚崎地区の方々も講に参加するよ 明典氏の時に、親交のあった塚崎地区の森久夫氏に世話人を引き受 当初は高柳地区の方々だけで参拝していましたが、二代講元・島村 した「笠間稲荷高柳講」が結成され、今日まで参拝を続けています。 参拝者の増加に伴い、渡来敬将氏を初代講元として地域の名前を冠 名 柳 講 は や む な く 解 散 し、 個 人 有 志 が 参 拝 を し て い ま し た。 戦 後、 を開始しました。しかし、戦争により講の存続が困難な状況になり、 高柳講の前身とも言える「名柳講」を結成して笠間稲荷神社へ講参拝 門氏の分家である渡来敬将氏と名戸ヶ谷地区に住む木村己之助氏が、 弥右ヱ門氏が当社を信仰していたことにはじまり、戦前には弥右ヱ で参拝する笠間稲荷高柳講。江戸時代末期頃、高柳地区に住む渡来 千葉県柏市高柳にお住まいの講元・酒巻肇さんを筆頭に役員十五 名が近隣の方々に広く声を掛け、毎年三月にバス二台・八十名前後 加しています。笠間稲荷高柳講では、昇殿祈祷が終わるまでは飲酒 だ っ た 為、 参 拝 は 種 蒔 き な ど で 忙 し く な る 前 の 三 月 に 行 っ て お り、 元々農業を営 む講員が大多数 重ねています。 加の為の工夫を る な ど、 講 員 増 費を安く設定す までの参拝旅行 と、 小 学 六 年 生 もらえるように 参拝に参加して れて積極的に講 にも子どもを連 い世代の人たち 現在は高柳地区に十三名、塚崎地区に二名いる講役員が運営の中 心となり、毎年一月に役員会を開催して講参拝後の視察・見学旅行 をしない、また参拝前に親族等にご不幸があった講員は社務所に入 祈り申し上げ、次回のご参拝を心よりお待ちしております。 酒巻講元を中心に、世話人の皆様のご助力により御神縁を結ばれ ました講員皆様方のご多幸と笠間稲荷高柳講のさらなるご発展をお て日々元気にご活躍されているとのことです。 七十五歳以上の講員が三十名以上参拝し、稲荷大神様のお力を戴い 稲 荷 大 神 様 へ の 感 謝 の 思 い を た く さ ん お 聞 か せ 頂 き ま し た。 毎 年、 る」「笠間稲荷神社を信仰した分しっかり御加護を感じる」といった 家族も健康に過ごし、病気をしないことにいちばんの御神徳を感じ 近年は三月の第一日曜日を講参拝日と定め、農家以外の方も多く参 計画等を練り、各地区に募集をはかっています。参拝後の視察・見 る前にお祓いを受ける、といった決まりがあり、それらを遵守する ▲お忙しい中、取材当日にお集まり頂きました役員の皆さん。 前列左より、世話人・渡来武さん、講元・酒巻肇さん、会計・ 高山庄さん。後列左より、世話人・伊原邦夫さん、元副講元・ 大久保正雄さん、副講元・酒巻明さん。15名の役員の皆様が、 毎年1月に世話人会を開催し、講中参拝の準備等にご尽力い ただいております。 学旅行では笠間焼きの窯元や那珂湊の魚市場、小美玉市の花木セン 「平 成22年、前 講 元・渡 来 泉 さんより引き継いで講元に就 任しました。高柳地区は昔か らお稲荷様をお祀りしている 農家が多く、自然と稲荷大神 様を信仰していました。笠間 様の御加護をいただいて家族 も皆健康に過ごしているので、 ひとりでも多くの講員を参拝 に誘い、御神徳を実感しても らえればと思っています。 」 ことで参拝後はより一層気持ちが良いというお話を伺いました。 昭和 15 年生まれ(73 歳 ) 職業:農業 趣味:旅行 自由民主党高柳幹事・明治神宮 崇敬会役員・東葛ふたば農業協 同組合総代 ター等様々な場所を訪れており、参加者の楽しみの一つとなってい 酒巻 肇 ます。また、五年ほど前から地域の老人会にも声を掛けるほか、若 講元 役員の皆さんは、毎朝ご自宅の神棚に手を合わせ、一日・十五日 には榊を替えるなどして稲荷大神様をお祀りされています。「自分も 中を訪ねて 笠間稲荷高柳講 当社には古くから「講中」 という団体で参拝される崇敬者の組織があります。 地域、血縁、仕事仲間など、稲荷大神様とご神縁を結ばれた様々な講中が 全国各地で活動しています。今回、ご紹介するのは・・・ 13 「講中を訪ねて」でご紹介させていただく講中を募集しております。訪問、取材へのご協力を宜しくお願い致します。 笠間稲荷神社 ご案内 月詣り 当社には「月詣り」をされ る崇敬篤い方が大勢いらっ しゃいます。 月 詣 り と は、 月 毎 に 大 神 様 の 御 加 護 を 受 け、 前 月 よ り の 平 穏 無 事 を 感 謝 し、 新 たな護神徳を頂くことであ り ま す。 月 詣 り の 方 に は 神 苑に咲く花を表した御幣を 授 与 し て お り ま す。 ど の 月 からでも始めて頂けますの で、 ご 希 望 の 方 は 受 付 ま で お申し出下さい。 祈祷案内 交通安全 お 車 に 乗 ら れ る 方、 小 さ なお子様が安全に過ごされま すよう、当社では交通安全の 御祈祷を行っております。 また、社務所脇の祓戸神社 に お い て、 お 車 の お 祓 い も 行 っ て お り ま す。 大 神 様 の ご 加 護 を い た だ き ま し て、 大切なお車や同乗者の方々 に 災 い が あ り ま せ ん よ う、 新 車 購 入 時 や 車 検 の 際 な ど、 節目となるときに当社で車 のお祓いをされてはいかが でしょう。 初( 穂料 五千円より ) 当社ホームページからも ご祈祷のご予約が頂けます。 ◎ホームページ 検索 http://www.kasama.or.jp/ 笠間稲荷神社 奉納募集 当社では威儀物や祭典に 用いられる祭具のご奉納を お 受 け 致 し て お り ま す。 ご 奉納頂ける方は笠間稲荷神社 社 務 所 ま で ご 相 談 下 さ い。 ご奉納頂いた方の御名は末 永 く 顕 彰 さ せ て 頂 き ま す。 ま た、 こ れ ま で に ご 奉 納 頂 きましたご崇敬者の皆様に 厚く御礼申し上げます。 ◎奉納者芳名 「絵画 宇迦之御魂神」 鳥居 禮 殿 14 まっしゃ Q 笠間 稲 荷 神 社 の 御 本 殿 の う し ろ に あ る 小 さ な お 社 は 何ですか? A 笠間 社で、末社 と い い ま す。 向 稲荷神社に付属する神 やまくら じんじゃ かって左の小さなお社が山倉神社(高皇産霊神・建速須 佐之男神・大国主神) 、大きなお社は四つある扉の左よ あわしまじんじゃ はりくよう とうふ Q 末社 の 粟 島 神 社 の 前 に 豆 腐 が 置 い て あ り 、 針 が 刺さっているのを見かけました。あれは何ですか? A 二月 曲 八日は針供養 の 日 で す。 昔 か ら、 折 れ た り こんにゃく がったりして使用できなくなった針を豆腐や蒟蒻 つくよみじんじゃ しらやま 、菅原神社(菅原道真公)、白山 り粟島神社(少彦名神) な ど 柔 ら か い も の に 刺 し て 感 謝・ 供 養 し、 ま た 裁 じんじゃ すがわらじんじゃ 、月読神社 (月 神社(菊理媛命・伊邪那岐命・伊邪那美命) 縫技術の上達等を祈願する日です。当社でも二月八 あわしまじんじゃ 読尊)です。当社へご参拝の折は、どうぞ御本殿うしろ 日 は 針 供 養 祭 を 斎 行 し、 医 薬・ 裁 縫 の 神 様 の 少 彦 その他、ご質問等ございましたら、 神社社務所までお問い合わせ下さい。 笠間稲荷神社社務所 ☎0296(73)0001 を備え、ご参拝の皆様の針をお受けしております。 名神をお祀りする粟島神社前及び拝殿前には豆腐 の末社へもお詣り下さい。 すがわらじんじゃ てんまんぐう Q 末社 の菅原神社について教えて下さい。 A 菅原 (天満宮)に お 祀 り さ れ て い る の は、 神社 すがわらのみちざねこう てんじんさま 学問の神様・菅原道真公で天神様とも呼ばれ ます。道真公の生前のご事跡から、とりわけ 4 学業成就や受験合格の神様として篤い信仰を 3 集めています。毎年一月二十五日に初天神祭 を斎行しています。 2 1月25日は菅原神社前で初天神祭を斎行しております。 2月8日に粟島神社前に針供養の為の豆腐が備えられます。 8月1日午後3時より、末社前にて末社祭を斎行しております。 中秋の日に月読神社で中秋祭を斎行しております。すすき、団子 をお供えいたします。平成 26 年は9月8日に斎行致します。 1 3 4 1 2 社報 「胡桃」 No.32 平成25年12月発行 発行所/笠間稲荷神社社報編集委員会 茨城県笠間市笠間1番地 電話0296 (73) 0001㈹ FAX0296(73)0002 テレホンサービス0296(73)0003ホームページhttp://www.kasama.or.jp/ Eメール[email protected] 編集発行人/塙 東男 本誌の写真、イラストレーション、記事の無断転載を禁じます。 15
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