5 小渕志ちと玉繭

小渕志ち
(1847~1929)
1847
(弘化 4)
1862
(文久 2)
1879
(明治 12)
1885
(明治 18)
1929
(昭和 4)
1957
(昭和 32)
群馬県勢多郡(現・群馬県
前橋市)に生まれる
糸繰り技術を身に着ける
豊橋へ移住
糸德製糸工場を始める
82 歳で没
糸德製糸工場 廃業
玉繭と精繭
通常の繭を精繭(せいけん)と呼ぶのに対し
て2頭で作った繭は玉繭と呼ばれ、小渕志ち
が実用化するまでは、屑繭扱いで真綿原料で
あった。
群馬県で糸繰り技術を身に着けた小渕志ちが、たまたま豊橋二川町に宿泊した折り、この地の人々に製糸の技術を教
え、そのまま住みつき1885(明治18)年製糸工場を起こした。その後、玉糸製糸の技術を工夫し、1892(明治25)年から
玉糸専業の「糸德製糸工場」へと転換した。これが機となって、この地方が玉糸地帯として大きな発展をみることとな
った。1888(明治21)年には
大林宇吉が志ちの工場で玉糸繰糸
の伝習を受けた工女6名を雇って
座繰玉糸の工場を起こし、1901(
明治34)年には、大林宇吉等の尽
力により、三遠玉糸製造同業組合
(現三州玉糸共同組合)が設立された。
玉糸製糸
豊橋の製糸工場群
高橋製糸場