発行日 2015/ 7/ 2 ●●● <校訓> ● ● ● 切 学校教育目標 磋 琢 ●●● 北 海 道 芽 室 高 等 学 校 磨 知性を磨き、自主的に学習できる力を育てる。 情操を豊かにし、思いやりの心を育てる。 身体を鍛え、たくましい実践力を育てる。 校長 山 崎 雅 明 目指す学校は 、先生方が いつも明るく、笑顔で元気な学校 講演 ★ご飯にしよう!★ 南極料理人 西 村 淳 さん ■ 1952 年、北海道留萌市生まれ。作家兼料理人。網走南ヶ丘高校を卒業後、舞鶴海 上保安学校に進学し、卒業後、巡視船勤務の海上保安官となる。そして第30次と第38 次の二度「南極観測隊」に参加。一度目(第30次)は「昭和基地」、二度目(第38 【西村 淳さん】 次)は「ドームふじ基地」で越冬する。隊員たちの食事まわりすべてのことを担当する 「調理隊員」という肩書きの一方で、通信・雪上車、車両メンテナンス・観測気球打ち上げのサポート、氷サ ンプリングのサポート、チェーンソーマン、大工、ボイラーメンテナンス、野外観測旅行のナビゲーター、雪 穴堀り、燃料輸送・・・など、氷点下の世界でさまざまな仕事をこなす。 ■ 巡視船<みうら>の教官兼主任主計士として海猿のタマゴたちを教えたあと、2009 年に海上保安庁を退職 して札幌に戻り、食を通して様々なコミュニケーションを図る「オーロラキッチン」を設立 。同年、越冬生活 の毎日を綴った爆笑エッセイである著書『面白南極料理人』が『南極料理人』として映画化された。主演は、 堺雅人。現在は、講演会、料理講習会、テレビ、ラジオ、執筆など 多方面で活躍中。 □ 南極観測船「しらせ」は、毎年11月14日に晴海埠頭から南極に向けて出港 します。船は南下し、赤道を越えインド洋を越えて、2週間ほどかけて西オース トラリアの港町「フリーマントル」に到着します。ここで生鮮食品を購入し、い よいよ南極行となるのですが、この停泊中は実に貴重な数日間でした。文字通り 「文明圏」での生活は、この後1年間ほど不可能になるわけですから、越冬隊員 は寝食を惜しんで遊び回ることになります。 □ 【出港】 そして12月の始めにいよいよ基地に向けて出港となり、ここで観測隊諸氏 は、晴海埠頭を出港してから毎晩続いた海上自衛官達との大宴会、赤道祭など のイベントを通した楽しい思い出がリセットされ、海のむこうで待っているで あろう南極大陸での厳しい環境や困難が心で一気に増幅され、緊張感がにわか 【しらせ】 □ に押し寄せてきます。 現在は、日本からオーストラリアまでの「しらせ」の行程は、海上自衛隊のみが向かい、南極観測隊は 別動 で、成田からパースまで飛行機で空路となっています。おまけに「しらせ」はご時世からかドライシップ(ア ルコール禁止)となっています。味気ないと言えばそれまでですが、「自分たちの払った税金で酒なんぞくら いやがって」等とおっかない顔をして怒鳴り散らす人達が増えてきたからなあ・・・ 。それでもねえ・・・。 □ ともかく、「フリーマントル」を出港すると「しらせ」は、台風や低気圧の巣で ある暴風雨圏に入ります。映像でもわかる通り、この暴風雨圏を通過するまで船は 容赦なく揺れまくります。 □ この暴風雨圏を通過すると一転して海は穏やかになり、やがて最初の氷山が見え てきます。この氷山の崖の高さはどの位だと思いますか。 実は300mもあるのです。海の中には深さ1kmまで届 【南氷洋(暴風圏)】 く巨大な氷の塊なのです。氷山が見えるようになると、隊員達は南極モードに気持ち が切り変わります。ここからは一面が氷の海になります。ここが、ドラマ『南極物 語』で、積み荷を海に流してしまったところです。ドラマでは、 キムタクが講釈を垂 【最初の氷山】 いました。 れていましたが、この場面で「そんな暇あったら早く動けよ!」と突っ込みを入れて □ 「しらせ」から、まず昭和基地に行きます。ドラマを見てもわかる通り 、昭和基 地に行く方法はヘリコプターを使います。沿岸の昭和基地からから内陸に 1,000km 入ったところに業界用語で「天国に一番近い基地」と呼ばれる、「ドームふじ基 地」があります。目的地は、まだ 1,000km 先ということになります。とりあえ ず、昭和基地に越冬に必要な物資を全てヘリコプターで運びます。その作業は、海 上自衛隊の担当になっています。越冬隊の食事は越冬する料理人(私です)が料理 【昭和基地】 そうだったので、越冬隊員に「欲しい」という人がいて、頼んでみたらオーケーがでました。ヘリコプターが をするのですが、海上自衛隊員には弁当が当たりました。その弁当がとてもおいし 越冬隊9人分の弁当を運んできました。最高に美味しかったです。ヘリコプターを1回飛ばすのに100万円 □ 以上かかるので、非常に高価な弁当です。すべて税金ですけどね 。 いよいよ南極大陸沿岸から、雪上車で物資を引っ張りながらほぼ一ヶ月かけて 登っていきます。南極では方位磁石が役に立ちませんから、雪上車で移動すると きにどうして道に迷わないか不思議に思いませんか。 もちろんちゃんと方向がわ かるような機器を使うのですが、いちいちそんな機械を使っていたのでは手間が かかってしまいます。実は、道を間違わないように経路に水ドラと呼ばれている ドラム缶を置いているのです。中に入れて一番重たくなるのは油ではなく水で す。でも、水は南極ではすぐに凍ってしまいます。凍らないうちにドラム缶に詰 められるように中身はおしっこになっています。これなら、人さえいれば必ず供 【雪上車コンボイ】 給できます。 □ 途中ホワイトアウトを何回も経験することもあり、この移動は非常に大変な行程です。その困難を乗り越え て「ドームふじ基地」に着いたときの感激はひとしおです。でも、感激して抱き 合うということはありません。移動している1ヶ月間お風呂に入っていないた め、非常に汚くて臭いからです。真っ先にお風呂に入ります。ところで、「ドー ムふじ基地」に登っていくと言いましたが、「ドームふじ基地」は標高 3800m にあり、富士山より4m 高い場所に位置しているからです。ですからそこの 自然 環境は「昭和基地」とは問題にならないほど厳しく、 気温は平均―57℃で、最 低気温は―70℃。常に強風が吹き、風速50m 以上のブリザードも頻繁に吹き 荒れています。また、富士山と同じような高地のため、 空気は地表より2割少な 【ドームふじ基地】 く、ちょっと動いただけでも息切れをします。お湯は 100℃にならず、85℃で沸騰します。 □ 吐いた息がドライアイスになるので、吐いた息を吸ったら大変なことになりま す。油断するとすぐに顔の皮膚が凍傷になります。凍傷になったらすぐにお湯 の中に顔を突っ込まないと皮膚が壊死して削れてしまいます。 湿度は非常に低 いので、洗濯物はすぐに乾きます。洗濯して濡れた服を外に出すと瞬時に水分 が凍ります。それを大きく振ると、氷がバッと飛んで水分がなくなり、瞬時に 乾きます。「ドームふじ基地」では、花火がなくても花火を楽しめます。マグ カップにいれたお湯を空間にぶちまけると、瞬時に凍結して煙状態と言うか、 【氷の花火】 花火のようにパーッと散るからです。 ◆ 越冬隊を構成するのは、それぞれに特化した技術を持つ、各分野のプロフェッショナル。 気象学者、雪氷学 者、通信・ネットワーク担当、機械担当、ドクターは、日本に帰ればそれぞれが各組織の第一線で活躍してい る人です。つまり、研究員や設営隊員は一人一人が各部門の事業主で、部長も課長もない。 上司もなければ部 下もありません。例えるならプロ野球球団のようなもので、プロの集まりだからお互いを 100%信頼できる し、居心地がいいんですよ。 ◆ 料理というのは、みんなをつなげる道具です。その料理を担当していた私は、隊員にとって最も大切な存在 でした。私は、冷静に各隊員とその時々の場の空気を観察し、違和感があれば料理 を通じて調整する、“場を 作る”プロとしての役割を担っていたのです。 ◆ 基地内は19℃の快適な室温に保たれているのだが、それでも一歩外に出ると白い地獄・白い砂漠が広が り、生物の存在は皆無です。ウイルスさえも生存不可能な場所です。当たり前ですが、 南極大陸にスーパーマーケットはありません。補給不可能な環境でも、隊員諸氏の食へ の願望はとどまることを知りません。 ストレスを溜めないためにも隊員の途方もない願 望に応えつつ一年間飯を作れというのだから、いくら仕事とは言え途方に暮れることも しばしばです。ある日のリクエスト。「肉じゃがが食べた~い!!」 肉じゃがには醤 油が必需品。なのに醤油がない。じゃーん!コーラで煮て醤油の色を付けて肉じゃがが 【肉じゃが】 完成。とても好評でした。 ◆ またこんなリクエストも。「コリコリポリポリした野菜が食べた~い」 砂漠の真ん中で「もぎたてのフル ーツアラカルトが食べたい。それもキリリと冷えた奴」位に匹敵する、肉じゃ がどころでない、言語道断・実現不可能のリクエストです、これは。「あほ! 馬鹿!非国民!アンポンタン!そんな物あるわけねえだろ。死ね!とはもちろ ん言わないけれど、反省しなさい」とはもちろん言わず、必死で考え、 思い出 したのが冷凍野菜の存在。ニンニクの芽は中ほどをつまみ、皮を静かに引っ張 るとスルリとむける。それをタンタンと切って、かつおぶしをたっぷりかける と「冷凍にんにくの芽のおひたし」の完成で す。おもむろに口に入れると甘さ と香りがフワリと広がり、隊員諸氏には大好評の一品で した。 ◆ 【冷凍キュウリの酢豚風】 ドクターは、とても料理に興味を持っていました。でも、彼の作る料理は超不味かった んです。よせばいい のに、彼は料理にチャレンジして、考えられないような不味い料理をみんなに提供しました。それでも最後の 方では、ちゃんとしたものを作るようになりましたが、 彼の作る料理は、隊員にとって恐怖の対象でした。 ◇ ドクターは医学以外については、ずぶの素人です。この素人の発想が功を奏したことがあります。実は、南 極で一番教えてもらったのは、問題が起こった際や何か議論を交わすときに専門外の人を入れておくと、予想 もしていなかった方向から突破口が見つかる、ということです。 ◇ 「ドームふじ基地」で、手持ちの燃料が尽きかけるという、絶体絶命の危機を迎えたことがあったんです。 燃料がなくなってボイラーが止まると、室温は徐々に下がり、外気温と同じ-70 ℃にまでなってしまいま す。一瞬にして隊員全員が冷凍保存状態になる。燃料は水と同じぐらい貴重です。基地の燃料庫にはドラム缶 で約40本が入れられていて、1 日に使用する暖房用の燃料はドラム缶の約半分。つまり 80日分は基地内の 燃料庫に入っています。 ◇ 残りは、もし基地が火事になった場合に被害を防ぐため、建物から 150 メートルほ ど離れた場所に備蓄しています。備蓄場では数台のそりの上にドラム缶が並べられて いて、手持ちの燃料がなくなると、そりごと雪上車で引っ張ってきます。つまりは、 車が動かないと燃料は運べないわけです。 ◇ あるとき、動かせる車両が一台もない状況に直面したんです。 車両を越冬させる際 は、不凍液や燃料を抜き取っておかなければなりません。それができておらず、不凍 【備蓄ドラム缶】 液が凍りついていました。雪上車は、単なる雪上のオブジェと成り果てて。手持ちの燃料はあと1 週間分。こ のヤバイ状況が隊員たちに凄まじいストレスとなって重くのしかかっていました。内部分裂寸前の大喧嘩も起 こって・・・。 ◇ とはいえ、生命の危険を回避することが最重要だとの認識は共通していたので、 9人集まって知恵を出し合 っていました。「クレーンつきのクレーン部分だけをなんとか稼働させ、クレーンのワイヤーで引っ張る」と か、「電動ポンプのホースを継ぎ足し、150メートルのラインを作って流す」などいろいろな打開策が出まし た。しかし、決め手はなく・・・。途方にくれかけていたとき、私たちを救ったのは、初の南極越冬 で素人だっ たドクターの提案でした。 ◇ 「そりからドラム缶を降ろして、人力でドラム缶を転がしてくれば いんでない?」 ◇ 凍った地面は氷の上だから滑るかと思えばそんなことはなく(氷は溶けて初めて滑るのです)、ザラザラし たグラニュー糖が降りかかった砂場のような状態です。更には、ちょっと重量があ るとズブズブのめり込んでしまうようなコンディションです。- 70℃の中を転が そうとは誰も考えもしないし、絶対に無理だと思い込んでいました。そんな中での ドクターの発言でした。 ◇ これは発想の大きな転換でした。ドクターは、トライアスロンで身体を鍛えてい た人で、「トレーニングだと思ってやってみる」とやる気満々で。気温- 75℃、風 速10メートルの強風の中、転がしたり押したりして、時間をかけて基地まで ドラ【ドクタードラム缶転がし】 ム缶を運んできました。前例ができると翌日からは、ほかのメンバーも動き出し、10日で3そり分の36本 のドラム缶を運ぶことに成功したんです。 ◇ 越冬隊の最大のミッションは、無事に1年間を過ごし、みんな揃って帰国することです。この出来事は、そ のミッションの最大の障害でした。専門家から見ると「低酸素、超低温、強風下で行 うには無謀なほど危険な行為」かもしれない、バカバカしいドクターの思いつきが、 越冬隊に覆いかぶさろうとしていた暗 闇を見事に吹き飛ばし、ミッションの成功に 導きました。皆さんの会社等でも、プロジェクトが 行き詰まったときは、そのこと と全く関係ない部門の人を加えると思いがけない 解決の糸口が見つかるのではない 【みんなでドラム缶転がし】 でしょうか。 □ ドクターは、素人の発想を奔放にズケズケと出してくれた最大の貢献者ですが、料理に関しては素人以下の まずさでした。みんな、ドクターの料理を残していましたが、 そんな中一人だけ、どんなに不味かろうが、必 ず料理を完食する人物がいました。 □ そんな彼が中学生のときのことです。母親の作る弁当が不味くて見た目も悪かったため、 友だちの前で弁当 を広げることが恥ずかしくて仕方ありませんでした。 それで彼は、弁当の中身を食べずにすべてゴミ箱に捨て ていました。ある日、お母さんが「お前の好きな卵焼きを弁当に入れたからね」と言って、彼に弁当を手渡し ました。学校で弁当箱のふたを開けると、いびつでところどころ焦げた卵焼きが入っていました。「なんだこ んなもの」と彼は口も付けずにゴミ箱に捨ててしまいました。 □ 家に帰ると、母が「卵焼き美味しかった?」と聞いてきたので、彼は「あんなものゴミ箱に捨てた。もう弁 当なんか作らなくていい」と吐き捨てるように言ったんです。 母は、悲しそうな目をして、次の日からは弁当 を作らなくなりました。それから1ヶ月後、母親は彼の知らない病気で死にました。 □ 父親と母の遺品の整理をしていたときに、母の日記が見つかりました。日記には、 毎日彼に作っていた弁当 についての記述が書かれていました。あの日の記述は「 手が思うように動かなくて、卵焼きがキレイに焼けな い。もっとキレイな卵焼きを作ってあげたかった。」 となっていました。母親は、子どもの前では気丈に振る 舞っていて、病気のことを一切知らせていなかった のです。彼は、母が病気で不自由な手で一生懸命弁当のお かずを作っていたことを、日記を読んで、このとき初めて知りました。日記は、卵焼きを作 った日で終わって いました。彼は激しく後悔しました。 □ それ以来、彼は、どんな料理でも絶対に残さないと決心しました。 だから、あれほど不味かったドクターの 料理も残さずに完食したんです。 ■ 食べることはコミュニケーションの原点。一緒に食事をすることで 人間関係が うまくいきます。南極越冬隊の料理人を担当して、つくづくそのように感じま す。ご飯をともにすることで、殺伐とした心にも潤いが戻っていきます。で は、みんなで一緒に「ご飯にしよう」。 ~~校長のひとりごと 【オーロラ】 ~~ ● 西洋人は成功すると豪邸に住み、自家用飛行機やクルーザーを手に入れ て、長期間のバカンスを楽しんでいるというイメージがある。それに対して、 日本人のお金持ちは、いろんな役職に就かされて多忙を極めている。成功者の イメージとして、【西洋人=働かない】【日本人=忙しい】となる。 ● そもそも「労働観が根本的に違う」と『現代語古事記』などの著書で知ら れる、元皇族出身の竹田恒泰さんはいう。西洋社会のベースにあるのはキリス ト教だ。その教典である聖書の冒頭「創世記」にその労働観が記されている。 アダムとイブが、エデンの園にあった禁断の木の実を食べたことで神の怒りに ふ れ 、「 お 前 た ち は 一 生 苦 し ん で 地 か ら 食 べ 物 を 取 る 」と 言 わ れ る 。つ ま り 、労 働 は「 神 の 言 うことを聞かなかった罰」なのだ。 ● だ か ら 、額 に 汗 し て 働 く の は 、昔 は 奴 隷 だ っ た 。人 々 は お 金 持 ち に な っ て 労 働 か ら 解 放 さ れ 、 裕 福 な 生 活 を す る 成 功 者 に 憧 れ た 。8 0 歳 を 過 ぎ て も 働 い て い る と 、高 齢 に な っ て も ま だ 罰 を 受 け て い る こ と に な り 、「 気 の 毒 に 」思 う の だ 。西 洋 人 に と っ て 労 働 は 生 活 の た め の 手 段 以 外 の 何 も の で も な い 。だ か ら ア フ タ ー フ ァ イ ブ に は 、仕 事 の こ と な ど 一 切 考 え な い 。報 酬 の 高 い 仕事を求めて転職を繰り返す人は有能な人と思われる。 ● 一 方 、日 本 人 の 労 働 観 は 、「 働 く こ と で 周 り の 人 を 幸 せ に す る 」で あ る 。だ か ら「 傍( ハ タ ) を 楽 に す る 」と い う 意 味 で「 働 く 」と い っ た 。仕 事 は 生 き 甲 斐 で あ り 、8 0 歳 を 過 ぎ て も 働 い て い る と 尊 敬 さ れ 、羨 ま し が ら れ る 。ア フ タ ー フ ァ イ ブ に 酒 を 飲 み な が ら 仕 事 の 話 を し て い る サラリーマンはざらにいる。価値観の違いなのだ。 ● 西 洋 人 に と っ て 、日 本 人 の 労 働 観 な ど 大 変 理 解 に 苦 し む こ と だ ろ う 。西 洋 人 は 、成 功 と い う 山 頂 に 立 た な け れ ば 幸 福 感 を 味 わ う こ と は な い 。と こ ろ が 日 本 人 は 、も ち ろ ん 山 頂 に 到 達 す る ことも喜びだが、その途中に落ちているゴミを拾うことにも喜びを感じる不思議な感覚を持 っ て い る 。つ ま り 、成 功 す る 前 に ,そ の 過 程 で す で に 幸 福 感 を 抱 い て い る 。そ う 考 え る と 、西 洋 の労働観や成功哲学を持ってきても、それは大して日本人を幸せにはしないのではないか。 ● 夢 の 実 現 、成 功 の 人 生 よ り 、目 の 前 の ご 縁 を 大 切 に す る 日 々 の 暮 ら し に 十 分 幸 せ を 感 じ る の で あ る 。そ れ を 竹 田 さ ん は「 和 の 精 神 」と 呼 ん で い る 。「 上 」に 上 っ て い く よ り 周 り の 人 た ち と の 和 の 方 が 日 本 人 は 大 事 な の だ 。そ ん な「 和 」の 社 会 を 実 現 す る こ と が 、本 当 は 人 類 の 夢 な のではないか。
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