大相撲の土俵作りを支えた

地域の歴史―54
大相撲の土俵作りを支えた
町屋【1・8 丁目】荒木田ヶ原の土
大相撲初場所が始まり熱戦が繰り広
げられていますが、残念なのは日本人
の横綱がいないことです。一日も早く
日本人横綱が出現し、白鵬との間で好
取組をしてほしいと願うのは私だけ
でしょうか。ところで、大相撲につき
ものの「土俵」。この土俵ができたの
は江戸時代の始め頃のようです。巨漢
土俵づくり作業中
力士同士のぶつかり合いから怪我を
守るためには、粘土質で粒子の細かい
土が求められていて、その条件に、最
も適していたのが荒川区町屋に広が
る「荒木田ヶ原」の土でした。
戦後、町屋地区も急速な市街化に晒さ
れその役割が終わり、現在は利根川流
域の春日部方面からの土を使用して
明治時代の相撲風景
いるようです。土俵は 1 週間ぐらい前
から呼び出しなど 45 人位の方が 3 日かけて手作業で作ります。
4 トン車 2 台分の量を使います。大相撲の歴史には荒川区産の
土が必要だったというのは何とも嬉しいかぎりです。
「荒木田ヶ原」「尾久の原」は
桜草やすみれ草見物の行楽地
右の浮世絵は江戸時代の尾久の原の風景で、桜草を見に来た
見物客ですが、荒木田ヶ原も春の時期は大勢の花見客で賑わっ
ていた場所です。