時事フランス語 和文仏訳の約束事 第 14 回 語感を磨く (1) 彌永康夫

時事フランス語 和文仏訳の約束事
第 14 回 語感を磨く (1)
彌永康夫
言葉は技術?
以前に「外国語は技術!」と題した短文を目にしたことがある。『外国語を身につけるための
日本語レッスン』という本の広告文なのだが,その中に大要次のような部分があった。「欧米人
は言葉を使うための技術を小さいころから身につけている。それゆえ,彼らと対等に語り合うた
めには,文法や語彙力だけでなく,その言葉を操るための技術を習得する必要がある。」ここで
筆者が「言葉の技術」と呼んでいるのは,「説明や報告,議事録のまとめ方,レポートや論文作
成,討論やプレゼンテーション,文章の要約や批判的分析という,言葉を用いて生活し,仕事を
するうえで重要なさまざまな知識」のことである。
このような技術論は,文学のようにいわば「感性」とか「美意識」を伝えることを主眼とする
分野では,必ずしも通用しないのではないか,という疑問を持つこともできる。しかし,事実を
事実として伝える,あるいは考えを正確に伝達することが問題となる限りは,「技術」を無視す
るわけには行かない。
「語感」とは何か
それと同時に,単なる「技術」では解決できない部分が多いということも,語学というものの
特徴として挙げられるだろう。そうしたものの一つに,文章の組み立て方,言葉の選び方など,
文法とは別の部分で言葉を成り立たせているものがある。そうした領域には単なる文法上の規則
とは離れた,個人の感性,言葉に当てはめれば「語感」というものが必ず入り込んでくる。語感
とは,三省堂の『大辞林』によると,「1 その言葉から受ける感じ。言葉が与える印象。ニュア
ンス。2 言葉に対する感覚。言葉の細かい用法・意味の違いなどを区別する感覚」と定義されて
いる。2010 年末には岩波書店から『日本語 語感の辞典』が刊行された(中村明著)。その「ま
えがき」には,「あした」と「あす」と「明日」,「休み」と「休息」と「休憩」,「医師」と
「医者」,「台所」と「キッチン」と「勝手」など,多くの例を挙げて,「(こうした語は)そ
れぞれ似たようなものをさすが,ことばによってみな感じが違う。各グル-プに共通する,その
言葉が何をさすかという部分を「意味」と呼び,同じグループでも単語ごとに異なる,どんな感
じのことばかという部分を「語感」と呼ぶ」と説明されている。さらに続けて,中村明は「言語
感覚の鋭い人は,適切な表現を的確に判断し,きっぱりと最適の一語をしぼりきる。最適の一語
にたどりつく道筋は二つある。一方で「意味」の面から,「人類」「人間」「人」「人物」「人
材」,「宵」「晩」「夜」...といった語のそれぞれの違いを明確に識別し,「ふれる」と「さわ
る」,「ふくらむ」と「ふくれる」の微妙なずれを見分ける。と同時に,他方で「語感」の面か
ら,「夕方」「夕刻」「夕暮れ」「夕間暮れ」「日暮れ」「たそがれ」,「妻」「家内」「細君」
「かみさん」...といった同義語群からそれぞれの感覚の差を感じとって使い分ける」と書いてい
る。そして,「ひとつの文章が生まれるまでには,無意識のうちに発想や表現のさまざまなレベ
ルでの選択が積み重ねられる。その過程での人間の在り方が,結果として姿を現す言語作品に移
っているからである」とも述べている。翻訳も一種の「言語作品」には違いないので,そこには
それを作成する「人の在り方」が反映されるのだとすれば,どのような文章にも,一つしか「正
解」がないということはないだろう。
前回までの「繰り返しを避ける」で見てきたように,フランス語では単語や言い回しのすべて
について,つねにその言い換えの可能性を考えておくことが必要である。それはいわば「言葉の
技術」の問題だが,それではどのような言い換えを選ぶか,あるいは選べるかを決めるのは,単
なる技術ではなくて,感性ないしは語感によるところが大きいのではないか。
「同義語」と「適切な語」
それと同時に,ほぼ同じ意味を持つとされる語が複数あるとしても,特定の文脈の中で「適切
な propre」と判断できるものは一つしかないかもしれない。たとえば Le Robert の『同義語・ニュ
アンス・反対語辞典』のまえがきに次の一節がある。
「フランス語は豊かな言語であるが,同時に無駄を嫌う。“同義語”とか“同価値”と言われ
る語が一つの分野,一つの文書の中で完全に互換性を持つことはまれである。一般的な意味は同
じであり,総合辞書において同じ定義をされる語であっても,多くの場合にそれぞれの語にはそ
れに固有の意味があるのである。La langue est riche mais aussi économe. Il est rare que des mots dits
“synonymiques” ou “équivalents” soient parfaitement interchangeables dans une phrase, un texte. S’ils
partagent le même sens général et reçoivent éventuellement la même définition dans un dictionnaire
général, ils ont le plus souvent une valeur spécifique.」
「日本語における語感」
『語感の辞典』の「まえがき」から明らかなように,日本語には「意味」の上からは同じこと
を述べるにしても,「語感」の面から見ると全く異なる単語が多く存在する。翻訳する際にも,
そうした違いを意識しないと,原文筆者が抱いている考え方とかイメージを,正確に伝えられな
いことになりかねない。もっとも,日本語については,筆者だけでなく,翻訳者にもそれぞれ固
有の語感があり得るし,それぞれの語が持つ意味や語感が時代とともに変遷することも否定でき
ない。
ここでは二つだけ例を出して,その扱い方や,訳語選択について考えてみたい。最初の例は次
のものである。
1) 風潮
-「政策の中身を問うよりも,威勢の良いスローガンを掲げたり既成政党に「敵」のレッテルを貼
ったりして民意を引き寄せる風潮はもはや欧州だけの現象ではない。日本とて同じだ。」(『朝
日新聞』)
2012 年のフランス大統領選挙に関する記事からの引用だが,ここで取り上げるのは「風潮」と
いう語である。これは一見,とくに大きな問題を提起するように見えないが,実際にそれを目の
前にすると,きわめて扱いにくい言葉であることがわかる。実際,日本語では「風潮」は「...す
る風潮がある」などと主語として使われることが多いが,それを直訳した la tendance existe que ...
という構文はいかにも不自然である。もし tendance という単語を使うにしても avoir tendance à ...
としなければならないだろう。ただし,あえて訳す必要があるのか,あるとしたらその意味をど
う解釈すべきか,という疑問に捉われることも多い。意味について言うと,「風潮」を和仏辞典
で調べれば tendance か courant と出てくるだろう。しかし『語感の辞典』に明らかなように,この
言葉にはどちらかといえばマイナス・イメージが伴う(「憂うべき風潮」など)。辞書に出てい
る訳語だけではいささか「役不足」の感がある。あえて訳すとしたら,そしてそれを主語に据え
るとしたら,tendance に fâcheuse とか regrettable といった形容詞を付けるというような工夫をし
なければならない。それよりはむしろ「意訳」して tentation としたほうがフランス語としてはる
かに通りがよいだろう。上の例文について試訳を下に挙げておこう。
La tentation de mobiliser les électeurs, non en leur exposant en détail les programmes d’action qu’on
préconise de mettre en œuvre, mais en lançant des slogans autant accrocheurs que creux ou en apposant
l’étiquette d’ennemi aux partis traditionnels, ne touche pas seulement les pays d’Europe, mais s’étend
désormais au Japon.
どうしても tendance を主語にするのならば,la tendance ... existe ... en Europe comme au Japon と
することは可能だろう。しかし,たとえそうしても,マイナス・イメージが伝わらない。「風潮」
が主語になっている日本語を訳すときに,tendance を主語にすること自体が,無理な文章構造の
原因になるのである。それならば,les hommes (partis) politiques ont tendance à ... ; c’est un phénomène
qui ...と,文を途中で区切ることで,何とかフランス語らしい文にできるかもしれない。ただ,こ
れはいかにも「面白みのない」文で,しかもかなり不自然な印象を与える。そうかといって,「風
潮」をまったく無視してしまうと,筆者がそれを「憂えている」ニュアンスがはっきりと伝わら
ない恐れもある。こうした例では,文章構造を根本から考え直す以外にないと思える。
2) 市民
もう一つ,日本語の語感に関連して,「市民」という語を取り上げる。これは時事問題の分野
では頻繁に登場する言葉である。しかし,その正確な意味とか使い方には,時代や個人によって
かなり違いがあるように思える。本来は「都市」の住民を意味する語であることは確かだが,政
治学や政治思想,哲学などにおいては,歴史的に「市民」の意味は大きく変化してきた。しかし
現在マスコミでこの語が用いられるとき,単なる「国民」あるいは「住民」の同義語として用い
られているのか,あるいは,たとえば「市民運動」という言葉に典型的にみられるように,特定
のコノテーションをもって使われているのか,必ずしも明らかではない。私の世代に属する者に
とっては,『語感の辞典』に「選挙や社会運動として実際にこの語(市民)が使われる場合は「国
民」よりかなり左傾化した活動の色が濃く感じられる」と書かれているのを見ると,むしろ衝撃
である。しかし,「なぜ日本では「市民運動」が恰好ワルイのか?」と題するネット上の書き込
み (http://satoshi.blogs.com/life/2011/08/city.html) などを見ると,こちらの「語感」が時代とずれて
いることに気付かざるを得ない。ところで次の例文における「市民」の使い方を見てほしい。
-「朝日新聞の国際世論調査では,市民の 8 割以上が原発に反対し,7 割近い人々が 10 年以内の
原発閉鎖を望んでいた。」(『朝日新聞』)
これは 2011 年 3 月の福島第 1 原発の事故の影響の一つとして,同年 6 月にドイツ政府が「脱原
発」の方針を決めたことを取り上げた社説の一節である。ここで「市民」と筆者が書いたのは,
「国民」や「住民」とは区別する意図があったのだろうか。「市民」を辞書通りに訳して citoyen
としてもよいのだろうか。かなり大きな疑問がある。なぜなら,citoyen は「Être humain considéré
comme personne civique」とか「Personne ayant la nationalité d'un pays à régime républicain」(いずれ
も PR)と定義されるからである。また,もう少し原理的な定義を試みるならば,「Personne qui vit
dans un État, considérée du point de vue de ses droits et de ses devoirs civils et politiques」(Antidote)と
いうこともできるだろう。しかし,上の例文における「市民」をそうした意味における citoyen と
訳すのは,誤訳ともなりかねない。なぜなら,こうした世論調査は国民全体を対象になされてい
ないので,もし 80% des citoyens allemands se déclarent opposés à la production d’électricité d’origine
nucléaire とするのはいくらなんでも行き過ぎだろう。ここは citoyen ではなくて,世論調査に関す
る記事でこうした場合に用いられる personne interrogée, répondant, sondé などの言い回しを使うの
がもっとも無難だろう。たとえば次のようにである。
Selon un sondage réalisé dans différents pays par l’ASAHI, plus de 80% des personnes interrogées en
Allemagne sont hostiles à l’utilisation de l’atome pour la production d’électricité et près de 70%
souhaitent la fermeture d’ici dix ans des centrales nucléaires.
「市民」を citoyen と訳すと誤訳になりかねない例をもう一つ出そう。
-「対リビア介入の時と同様,「市民の保護」を理由に軍事介入できる環境が整った。」(『朝日
新聞』)
実際,この「市民」は「国民」とか「住民」でも,あるいは「民事・政治面における権利と義
務を持つ存在としての国民」でもなく,「軍人」と対比した「一般市民」を指していると解釈す
べきだからである。例文の試訳は次のようにしておこう。
Ainsi sont désormais réunies les conditions pour une intervention militaire au nom, comme ce fut le cas
en Libye, de la “protection des populations civiles”.
次は逆に,「市民」を citoyen とするのがもっとも適切と思われる例である。
-「緑の党,国民党系を加えれば,統合支持派は七割に近い。EU 市民の統合支持は不変と見るべ
きだろう。」(『東京新聞』)
これは 2014 年 5 月に UE 加盟国内で実施されたヨーロッパ議会議員選挙を論評した
『東京新聞』
の社説からの引用である。この「市民」はまさに選挙権の行使を通じて,「民事・政治面におけ
る権利」を行使する「市民」であるから,「国民 ressortissant national」でも「住民 habitant」でも
なく,citoyen なのである。例文の試訳を見てほしい。
Avec l’appoint des Verts et des Libéraux, les partisans de l’Europe unie occupent environ 70% des sièges,
ce qui permet de penser que les citoyens du Vieux Continent restent acquis à l’unification.
「市民」という語に関しては,日本語から見ても,フランス語から見ても,なお多くのことを
述べておきたい。しかしそれは次回に回すことにしよう。
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