知の知の知の知 - 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会

い~な
診療所
あまみ
中
中 央
事務局
研究所
しらさぎ
つなぐの
さくら
大阪+知的障害+地域+おもろい=創造
知の知の知の知
社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所情報誌通算 2473 号 2015.5.29 発行
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水耕栽培で障害者雇用
読売新聞 2015 年 05 月 28 日
曽我さん(右)の手ほどきを受けながら水耕栽培の下準備をする
スタッフの神蔵さん
農業分野での障害者の活躍を目指し、小松菜の水耕栽
培を行う障害者就労継続事業所「愛宕ユニバーサル農園」
が、新潟市北区で事業を開始した。水耕栽培は積雪があ
る冬場でも安定した収穫が望めるため、関係者は「障害
者の雇用や賃金の安定化につなげたい」と期待を寄せる。
(米盛菜美)
社会福祉法人愛宕福祉会の就労センター「ドリームネ
クスト」
(新潟市北区)が、農林水産省の交付金を活用し、ビニールハウス(1棟)や水耕
設備を計約1000万円かけて整備した。発達障害や精神障害を持つスタッフ2人が中心
となり、小松菜の通年栽培を手がける。近隣のトマト農家、曽我新一さん(37)が指導
役を務め、栽培のノウハウを学びながら、収量を増やしていきたい方針だ。
水耕栽培は、肥料分を溶かした養液を土替わりにして、根の周りに循環させる仕組み。
土作りの必要がなく、水の温度を管理すれば栽培できるため、豪雪地帯の魚沼地域でも導
入が進んでいる。
同法人などによると、同じ作業の繰り返しが多く、自然と触れ合いながら適度な運動に
もなる農業は、障害者に適しているといい、国も農業と福祉の連携を進めている。一方で、
収穫時期など繁忙期だけ人手を必要とする作物も多く、農家側が障害者を通年雇用するこ
とは難しい現状もあった。
水耕栽培を導入したことで、季節や天候に左右されず、スタッフは同じ時間帯に決まっ
た作業を続けることが可能になった。
斉藤保則センター長(55)は「人とのコミュニケーションが苦手な障害を持つ人に対
しても農業は大きな可能性がある。安定して雇用できるよう、収益が上がる態勢を整えて
いきたい」と話す。スタッフの神蔵拓海さん(22)は「病害虫が発生するなどトラブル
もあるが、その分、収穫の喜びはひとしお」とやりがいを語る。
小松菜は年10回程度の収穫を予定しており、同センターが運営するラーメン店や、福
祉施設の給食に利用される。将来は、飲食店などに販路を拡大していく考えだ。
市ケ谷地区特別支援学校 建設予定地を変更
東京新聞 2015 年 5 月 28 日
都教育委員会は、知的障害のある子どもが通う市ケ谷地区特別支援学校(仮称、高等部)
の新設計画について、より多くの教室を確保するため、建設予定地を旧都立市ケ谷商業高
校跡地(新宿区矢来町)から都心身障害者福祉センター跡地(同区戸山)に変更する。二
〇一九年度の予定だった開校は遅れる見通し。
都教委によると、障害に適した教育を求める傾向が強まり、特別支援学校への入学希望
者が増加。高等部の普通科は入学希望者全員を受け入れており、各校では教室不足が常態
化しているという。
今回の予定地変更もその一環で、都教委の担当者は「少しでも早く造りたいが、新しい
学校では将来の生徒増に備えて少しでも多く教室を確保したい」と説明する。新たな予定
地となる障害者福祉センターは一六年に移転予定で、跡地面積が約九千八百平方メートル。
変更前の商業高跡地約六千平方メートルよりも広くなる。
当初計画では一四年度に着工予定だったが、予定地変更により設計が一六年度以降にず
れこむため開校も遅れる。さらに、敷地内の遺跡調査も必要で、開校時期に影響する可能
性があるという。
知的障害のある生徒が通う都立特別支援学校の高等部は、一四年度の生徒数が四千六百
六十三人。二〇年代には五千人を超えてピークに達する見込み。
新宿区内の生徒が通う都立中野特別支援学校(中野区)の高等部は、二十四学級百五十
三人。教室数が足りず、視聴覚教室などの特別教室を間仕切りして使っているという。
学校外での義務教育認める法案、7月にも国会提出へ 高浜行人
朝日新聞 2015 年 5 月 28 日
義務教育の場をフリースクールなど小中学校以外にも広げる法
案が、7月中の国会提出を目指して動き出した。超党派の議員連
盟が27日、総会を開いて概要を了承し、6月中に条文としてま
とめることを決めた。今国会での成立と、2017年4月の施行
を目指す。
法案は「多様な教育機会確保法(仮称)」。不登校などで保護者
と子どもが学校以外で学ぶことを希望する場合、それを制度とし
て認める内容。現在は学校に来ていなくても出席扱いにして卒業
させるケースもあり、制度と実態が離れていることが問題視され
ていた。成立すれば、義務教育の場を学校に限った1941年以
来の転換となる。
具体的には、家庭で「個別学習計画」をつくり、市町村の教育
委員会に申請。教委に設けられた「教育支援委員会」に認定され
ると、教委職員やスクールソーシャルワーカーらの訪問による助
言が受けられる。計画通りに学べば、義務教育を修了したと認められる仕組みだ。家庭へ
の国からの経済的支援も見込む。
東京パラリンピック、共生への弾みに 体験・養成講座
朝日新聞 2015 年 5 月 27 日
2人1組になって誘導体
験をしたボランティア講
座
障害者スポーツと
そのボランティアの
ことを知ろうという
機運が高まっている。
体験の場を設け、一緒
に楽しむ喜びを知る。
目指すのは、2020年東京五輪・パラリンピック
への参加を増やすこと。障害や違いを理解して共に生きる社会の実現を、その先に見据え
ている。
「道が狭くなりますよ」
「段差に気をつけて」
3月上旬、東京都内であったボランティア養成講座。約50人の参加者がペアになり、
一方がアイマスクを着けて障害物のある部屋を歩いた。室内に介助役の誘導する声が響く。
障害者スポーツの普及を目指す東京のNPO法人「STAND」が企画した。
スポーツ通じ障害者と交流/善通寺でイベント
四国新聞 2015 年 5 月 28 日
障害者とスポーツを通じて交流するイベント「ナイスハート・ふれ
あいのスポーツ広場 善通寺大会」が27日、香川県善通寺市金蔵寺
町の市民体育館であった。参加者は和気あいあいとしたムードの中、
風船を使う競技などを楽しみ、心地よい汗を流した。
社会福祉活動の一環として障害者への理解を深める活動を行う自動
車総連と、国際障害者年記念ナイスハート基金が1992年から全国各地で開催。善通寺
では4回目となった。
県内12カ所の福祉施設から障害者や職員ら約430人が参加し、同総連香川地方協議
会の川田明議長が「みんなで仲良く助け合い、一生懸命頑張りましょう」と宣誓した。4
チームに分かれて「風船バレー」
「巨大オセロ」などの競技やアトラクションに挑戦。2人
一組で直径約1メートルの大玉を転がす競技では、悪戦苦闘しながらも大きな歓声を上げ
ていた。
慶大、小児神経発達障害「レット症候群」の一因を解明-MECP2遺伝子が変異
日刊工業新聞
2015 年 05 月 28 日
慶応義塾大学医学部の岡野栄之教授らは、自閉症やてんかんなどの症状を引き起こす小
児神経発達障害「レット症候群」の一因を解明した。同症候群患者の皮膚からiPS細胞
(人工多能性幹細胞)を経由し神経の細胞を作ったところ、性染色体にあるMECP2遺
伝子の変異により、脳を構成するグリア細胞の一部がより多く作られることを明らかにし
た。今後、レット症候群や自閉症の研究、創薬研究の進展が期待できる。山梨大学と順天
堂大学との共同研究。
MECP2遺伝子に変異を持つ2人の女性患者の皮膚を採取。皮膚の中には「正常なM
ECP2遺伝子を持つ細胞」と「変異したMECP2遺伝子を持つ細胞」の2種類の細胞
が混在している。これらの細胞を使って、MECP2遺伝子の「正常型」と「変異型」の
2種類のiPS細胞を作製できた。
作製した2種類のiPS細胞から神経細胞や神経幹細胞を作ると、MECP2遺伝子の
正常型に比べ、MECP2遺伝子の変異型の細胞はグリア細胞の中でも血流調整や神経伝
達物質の調整などを担う細胞「アストロサイト」が多く作られることを突きとめた。
レット症候群は女児1万5000人に1人の割合で発症する。現在のところ根本的治療
法はないという。レット症候群のマウスを使い病態の解析が行われているが、実際の患者
の症状を完全に再現できていなかった。
「ふびんで」 知的障害の娘を殺害容疑で母逮捕 北海道 朝日新聞 2015 年 5 月 28 日
自閉症の娘を殺害したとして、北海道警は28日、札幌市西区西野2条3丁目、無職佐
藤和子容疑者(64)を殺人の疑いで逮捕し、発表した。佐藤容疑者は「自分が死んだら
自閉症の娘が1人になるのがふびんだった」と供述しているという。
道警によると、佐藤容疑者は27日午前11時ごろ、自宅で娘の由紀子さん(42)の
首を刃物で刺して殺害した疑いがある。由紀子さんは首に複数の傷があり、部屋のベッド
で血を流して倒れていたという。
佐藤容疑者は犯行後、妹に電話で「娘を殺した」と連絡。その後、行方がわからなくな
っていたが、同日夕方、北海道石狩市内で捜査員に発見された。佐藤容疑者の首には刃物
で切ったような傷があり、道警は、無理心中を図った可能性もあるとみて調べている。
由紀子さんは北海道江別市内の障害者支援施設に入所。平日はこの施設で暮らし、週末
に自宅に戻る生活だった。16日に帰宅して以降、施設に戻っていなかったという。
生後間もない長女虐待=容疑で30歳父逮捕-大阪府警 時事通信 2015 年 5 月 28 日
生後間もない長女に暴行を加えけがをさせたとして、大阪府警捜査1課などは28日、
傷害容疑で父親の会社員市野竜児容疑者(30)=大阪市浪速区大国=を逮捕した。
同課によると、
「泣きやまなかったのでいらいらして20回ぐらい揺さぶった。抱いて落
としたこともあるが、けがをさせるつもりはなかった」と容疑を一部否認しているという。
逮捕容疑は2014年9月19日~12月4日、当時住んでいた同市大正区の自宅マン
ションで、生後1~3カ月だった長女に暴行を加え、急性硬膜下血腫など加療約半年の傷
害を負わせた疑い。
同課によると、吐いたり視線が不自然になったりするなどの異変に気づいた妻(29)
が長女を病院へ連れて行き発覚した。当時、市野容疑者は妻と長男(1)
、長女の4人暮ら
しだった。長男への虐待は確認されていないという。
更生保護出前講座も
社明運動府推進委
大阪日日新聞 2015 年 5 月 28 日
法務省主唱で今年65回目を迎える「社会を明るくする
運動」の大阪府推進委員会(委員長・松井一郎大阪府知事)
が中央区大手前4丁目の大阪保護観察所で開かれた。7月
の強調月間を前に、関係者が効果的な運動の展開に向け機
運を盛り上げた。
出席者に紹介された「アカルイーネ」の着ぐるみ
同委員会は新日本海新聞社大阪本社や司法、更生保護、
教育、商工、社会福祉など約140の機関・団体で構成。
26日にあった会合には約100人が出席した。
昨年の実施報告に続き、今年の行動計画として各種啓発活動や作文コンテスト、保護観
察所職員による「更生保護出前講座」の実施などを紹介した。また同委員会のマスコット
キャラクター「アカルイーネ」の着ぐるみ2体も登場。ヒマワリとハートをモチーフにし
た愛らしい姿と所作を披露し、各地の間連イベントでの活用を呼び掛けた。
知事代理で出席した小河保之副知事は「皆さんの長年の献身的な活躍で地域に根差した
運動に成長。引き続き協力をいただきながら、犯罪や非行のない社会づくりの機運をさら
に高めていきたい」とメッセージを代読した。
「総合区」協議入り説明 住民投票後初の区政会議
大阪日日新聞
大阪市を廃止し、特別区を新設する「大阪都構想」を
否決した17日の住民投票後最初の区政会議が25日
夜、生野区で開かれた。清野善剛区長は「(住民投票の
結果を受け)橋下徹市長から指示が出た」と述べ、区役
所担当者が、区長権限を強化する「総合区」設置の協議
が始まることを区民の代表者らに伝えた。
住民投票後初となった生野区の区政会議=25日午後、大阪市生
野区の生野区役所
この日の生野区政会議では総合区に関する区民側の
意見、質問はなかったが、地元選出の朝倉秀実府議(自
2015 年 5 月 27 日
民党)は「市議会で十分時間をかけてやってほしい」と総合区に言及。住民投票の実施を
踏まえ「大変なコストとエネルギーを費やしたので無駄にならないよう生かしていきたい」
と語った。
総合区をめぐっては、都構想に反対した自民党などが対案として提示。都構想否決を踏
まえ、橋下市長も18日の市役所所属長会で「総合区を前へ進めてもらいたい」と指示し
ていた。
伝える…虐待の記憶を
関西テレビワンダー 2015 年 5 月 27 日
父親から虐待された過去を語ることで、虐待防止に取り組む女性がいます。
「自分がされた虐待は誰にも味わってほしくない」という強い思いが、彼女の活動の原
点です。
【上原よう子さん】
「お母さん、助けて。お父さんこんなことする。母は我慢してって。あ
んたが我慢すればこっちが被害を被らんで済むんで、あんたが我慢してくれたらいいって
言った」
母親にも我慢を強いられ、誰にも相談できなか
った過去について、語る上原よう子さん。
京都府北部で生まれ、幼い頃から17歳まで、
父親から虐待を受けて育ってきました。
中学のある時期からは学校にも行かせてもら
えず、鍵をかけられた部屋で暮らしていました。
母親はやがてガンで入院し、一人残された上原
さんは、毎日のように父親から殴られ続けたと言
います。
【上原さん】
「いつ殺されるか分からない。いつレイプされるか分からない、いつ殺してる
か分からない。我慢の限界で、もう一度、入院してる母の元を訪ねて、「お母さん助けて」
と母に助けを求めた。そうすると今度は母が助けてくれたんです」
虐待から目を背けてきた母親が、上原さんが17歳の時に、初めて手を差し伸べました。
母親は一時退院をして、17歳の上原さんを車で大阪に送り届け、一緒にアパートを探
してくれたのです。
やがてできた恋人に初めて過去を打ち明けた
ことで、上原さんの人生は一変します。
【上原さん】
「「一緒に乗り越えよう。結婚しよう」
と言ってくれた。嬉しくて泣きました。号泣」
恋人と結婚し、3人の子どもを儲けた上原さん
は、ビクビクし続けた人生に終止符を打つことが
できました。
【上原さん】
「「ただいま」って言ったら「おかえ
り」っ
て言ってくれる普通の家庭をずっと望んでたわ
けで、それがやっと手に入った。あ、これが家族
なんだと思えることができ、この家族を大切にし
ないといけないんだと思うことができました」
普通の主婦として暮らしていた上原さんは、あ
る日、虐待事件のニュースを見て、犠牲になった
子どもと、かつての自分自身を重ね合わせました。
【上原さん】
「黙って見過ごして一生終える選択もできたわけですが、それで、一生後悔す
るだろうなあと思ったので、最初は誰かがしてくれるだろうと思ってて、A君B君助けて
も何の得にもならない、誰かしてくれる、他人事だった。でも他人事ではだめだ。その誰
かに自分がなれるならその誰かになろうと」
そして、3年前に立ち上げたのが、NPO法人『虐待問題研究所』です。
研究所では今、講演活動のほかに、様々な悩みを抱える人たちのカウンセリングを行っ
ています。
【上原さん】
「良かったですよね。お話下さって」
【女性】「
(娘が)堰を切ったように。凄い溜まってたんだなあって。もっと早く言ってく
れたらという気持ちもあったんですけど…」
【上原さん】
「お母さん頑張ってるから私がって思ってたのかもしれませんね」
【女性】「凄い優しい子なんです」
【上原さん】
「そうなんですか。お母さんに似て」
子供を虐待から救うためには、まず親を救わな
ければならないと上原さんは考えています。
虐待問題研究所では、カウンセラーの養成も行
っています。
【傾聴トレーニングの様子】「
(態度が)硬い」
「「近い」と言われ、離れても「硬い」
」
「どうされました?」
「帰ります」
「すいません。帰ります、ですよね!」
上原さんの活動に刺激を受け、これまでにおよ
そ30人が、虐待防止活動のカウンセラーになり
ました。
月に一度、それぞれの経験を元に勉強会などを
開いています。
【カウンセラーによる勉強会の様子】「自分では
意識してなかったんですけど、苦悩を抱えながら、潜在的に自己肯定感が低かったり、自
尊感情が低かったりして、20歳の時、なぜか死にたいと、自分では思いたくないのにそ
ういう感情を抱えて生きていた時期がありました」
辛い過去を持つ人たちが、自らの経験を生かすことで誰かを救えるかもしれないと気づ
き始めました。
【虐待やDVを受けてきた女性】「あ。ここなら
自分の苦しんできた人生が意味あるものにでき
るんじゃないかなってと。何かの役に立てたとし
たら」
互いに辛い経験を語り合い、受け止め合います。
【親のDVを見て育った女性】「暴力だけじゃな
い。目の前で母親が血を流してるのを見てる子ど
もの姿。やっぱり客観的に見たらそれはきついよ
ねって。30歳までは生きてないと思ってた。父親に殺されるんとちゃうかな、母親に殺
されるんとちゃうかってぐらい、すごい思い込みですよ。当時」
【聞く女性】
「貴重なお話をすいません」
【親のDVを見て育った女性】
「スッキリしました。心が軽くなった形があります」
【元夫から、DVや子どもへの虐待を受けていた女性】「負のスパイラルからちょっと片足
出られるかもしれないっていう、自分の考えが間違ってなかったんだよねって気付いても
らえるきっかけになると思うので、それはすごく刺激になります」
誰にも相談できなかった過去。
打ち明ける勇気と受け止める人の存在が、“虐待の連鎖”を絶つカギになることを上原さん
は伝えています。
【上原よう子さん】
「ずっと持ってるといつかきっと爆発する時が来ると思うんですね。誰
かに言うことで救われることもあると思うんで。一人で悩まずに誰かに相談するとかも大
切じゃないかなって」
開設から半年、子どもシェルター
新潟日報 2015 年 5 月 28 日
6月に開設から半年となる「子どもシェルターぽると」の内部
(NPO法人「子どもセンターぽると」提供)
6月6、7日に講習 新潟 ボランティアの参加呼び
掛け
虐待や養育放棄などで帰る場所のない未成年者を
受け入れる一時保護施設「子どもシェルターぽると」
が昨年12月1日に新潟市内に開設されてから、間も
なく半年となる。未成年者を対象とした県内初のシェ
ルターとしてニーズはあるが、支援するスタッフの確
保が課題だ。運営するNPO法人「子どもセンターぽると」は「子どもを理解し、継続的
に関わってくれる人にスタッフとして参加してほしい」と呼び掛けている。
<児童相談所と連携、ニーズ多く>
シェルターは15~19歳の女子が対象で定員6人。1週間から2カ月程度の滞在を想
定し、スタッフが24時間体制で見守るほか、食事や衣服を無償で提供する。また、子ど
も一人一人に担当弁護士が付き、親子関係の修復などを支援する。虐待で家庭から逃れた
子どもなどを想定して場所は公表せず、外部との接触を極力絶って利用者の安全を守って
いる。
2月中旬から5月中旬までに18歳未満の女子3人が滞在した。期間は6日~1カ月半。
いずれも児童相談所(児相)から「保護は必要だが、児相内でのほかの子どもとの関係か
ら対応が難しい」などの理由で一時保護委託として受け入れ、退所後も継続的に弁護士が
相談に乗っている。ホーム長の女性によると、規則正しい生活やスタッフとの食事作りと
いった活動を通じ、包丁の使い方など基本的な生活を身に付けた少女もいたという。
県中央児童相談所(新潟市江南区)の小嶋真次長は「児相にも一時保護所はあるが、限
られたスペースで小さい子どもも多い。県内では年長者の受け皿となる施設が限られる中、
児相としても頼りにしている」と話す。
児相との連携が進むだけでなく、自治体や医師などからの問い合わせも徐々に増えてい
る。
「思った以上にニーズはある。今後は児相が関与できない18、19歳の未成年の受け
入れに向け、さらに周知を図りたい」。ぽると理事の黒沼有紗弁護士は力を込める。
<ボランティアスタッフ確保が課題>
一方で開設当初からの課題であるスタッフの不足は解消できていない。運営には正規職
員3人に加え、食事作りや見守りを担うボランティアの協力が欠かせないが、新潟青陵大
や県立大の学生を中心に、昨年度のボランティア養成講座を受講した市民約20人で賄っ
ているのが現状だ。一時は40人程度を確保したが、子どもへの接し方に困難を感じたり、
日程調整ができなかったりして辞めていく人が多いという。
黒沼弁護士は「急な受け入れが必要な時に臨機応変に対応できるスタッフを確保したい。
悩んでいる子どもには『じっと見守ること』が一番大切な仕事。それを理解した上で協力
してくれる人に参加してほしい」と話している。
子どもセンターぽるとは、2日間のボランティア養成講座を受講することを前提に、常
勤スタッフ(資格要件あり)とボランティアを募集している。次回は6月6、7の両日。
県弁護士会館(新潟市中央区)で開き、ぽると理事らが子どもへの接し方などを講義する。
参加費無料。6月1日締め切り。問い合わせは、ぽると事務局、025(211)8030。
■[子どもシェルター] 2004年に全国初のシェルター「カリヨン子どもの家」を設
立したカリヨン子どもセンター(東京)によると、子どもシェルターは北海道や京都など
全国に13カ所ある(うち2カ所は休止中)。開設は全国に広がっており、大阪では5月3
0日に弁護士らが開設に向けた総会を開催し、来秋にも受け入れを始める計画だ。このほ
か、兵庫県や沖縄県などでも弁護士らが設立に向けて準備を進めている。
映画、舞台最期まで情熱 今井雅之さん死去
読売新聞 2015 年 05 月 29 日
俳優の今井雅之さんが亡くなった28日、出身地の豊岡市では、ゆかりの人たちが思い
出をたどり、
「また舞台に立つ姿を見たかった」と、早すぎる死を惜しんだ。
初監督作品「SUPPINぶるうす ザ・ムービー」を古里で撮
影する喜びを語る今井さん(2003年8月、豊岡市城崎町で)
母校、旧日高町立日高東中(現・豊岡市立日高東中)
の恩師で、養父市人権教育推進協議会長の正垣亨さん(7
5)は、4月に今井さんからかかってきた電話が最後に
なった。今井さんは「調子が悪い。何とか映画を撮影し
たいが、残念だ」と話したという。
映画とは、今井さんが原作、脚本、演出を手がけ、知
的障害者を題材にした舞台「手をつないでかえろうよ~シャングリラの向こうで~」の映
画化のこと。その話を聞いた正垣さんは、今井さんの同級生が障害児学級で学習すること
になった時のことを思い出した。今井さんは「算数や字の読み書きが遅れているだけで、
なぜ別々に学ばないといけないのか」と抗議をしに来たという。
正垣さんは「
『手をつないで……』の原点には、あの時の同級生の存在があったのかもし
れない。教室で雪合戦をするなどイタズラもしたが、とても友人思いだった」と振り返っ
た。
豊岡市では2003年10月、今井さんが初めて監督を務めた映画「SUPPINぶる
うす ザ・ムービー」のロケが行われた。
市役所旧本庁舎での撮影で、刑事役でエキストラ出演した中貝宗治市長は「(4月の舞台
降板の記者会見は)病気でやつれ痛々しく見えたが、舞台への思いを失っていないことが
伝わってきた。復帰を期待していただけに、とても残念だ」と語った。
◇夢追う姿、今も心に
「今ほど好きなことができる時代はない。本気を出せば道は必ず開ける」。1997年、
今井雅之さんをインタビューした時の言葉が今も心に残っている。
俳優の原点は、中学生の頃、豊岡劇場で見た映画「パピヨン」
。ダスティン・ホフマンと
スティーブ・マックィーンの演技に感動し、「この銀幕に僕は出る」と心に決めた。新作が
かかるたび同市日高町の自宅から10キロ以上離れた同劇場へ自転車で通い、スクリーン
の演技を何度も見て覚え、自宅でまねをした。下積みを経て成功をつかんだのは、特攻隊
員を描いた舞台「THE WINDS OF GOD」
(1988 年初演)だった。自ら脚本を手がけ、主
演を務めたこの作品の制作に先立ち、今井さんは元特攻隊員と会い、戦死した仲間の話を
聞いた。もっと生きて、やりたいこともあっただろう若者たち。その思
いを舞台から伝えたい、と強く思ったという。
戦中と比べ、若者が自由に夢を追える素晴らしさを、自身の半生をた
どりながら熱く語ってくれた。戦後70年の今年、あの舞台は全国各地
を巡り、上演中だが、出演はかなわなかった。せめて、レンタルDVD
で映画版を見ながら、「夢にピュアに生きてきた」と笑っていた彼をし
のびたい。
(松田聡)
月刊情報誌「太陽の子」、隔月本人新聞「青空新聞」、社内誌「つなぐちゃんベクトル」、ネット情報「たまにブログ」も
大阪市天王寺区生玉前町 5-33 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所発行