「わたしのための断食か」 ゼカリヤ7章全節 ~ゼカリヤ書連続講解説教 9~ イントロダクション ~7 章と8章はゼカリヤ書の挿入 ⑴ ゼカリヤ書のアウトライン ① 8つの幻:1~6章 ② 断食に関しての質問と答え:7~8章 ③ メシア来臨とイスラエルの回復:9~14章 メシアの初臨~拒絶:9~11章 メシアの再臨~受容:12~14章 ⑵ 7章と8章の歴史段階 ① ダリヨス王の第4年、9月(1節) 幻から約2年後であり、神殿完成を2年後に控えている 幻が成就しつつあり、順調に見える再建事業 ② 宗教行為・儀式に関する疑問 その実践に意味があるのだろうか? 外側に見えるものと内側の実質とのかい離はないか? 7章では「主のことばがあった」(1,4,8)により3つに区分する 本論 Ⅰ ベテルの使者からの質問 1~4節 1) 代表団を送る 自らでは判断できない問題があった 主に問うために~祭司たち、預言者たちに尋ねる 2) 質問内容 5月の断食を継続するべきか それは神殿崩壊記念の断食・エレミヤ52:12~14 捕囚中のユダヤ人は70年間、断食を行っていた 今や神殿が完成しようとしている。果たして断食に意味があるのか? 3) 現在でも断食をするべきか? イエス時代のユダヤ教徒は週に2回断食していた 教会史の中でも同様に断食が必須であると教えられてきた 新約聖書で断食は勧められているか Ⅱ 主の答え~①その動機を問う 5~7節 1) わたしのための断食だったのか ベテルだけでなく、すべての民に対する普遍的な教えである 第7の月の断食~ケダルヤ王の殺害記念・Ⅱ列王25:25 「自分たちのため」とは? 飲食においても、断食においても、関心は自らを喜ばせるため‘ フォーカスは主に対してのものであったか 儀式のための儀式、共同体からの評価やそこから得られる安心感 2) 主のことばを聞いたか 捕囚前の時代にどうであったか 先祖らはその時代の預言者たちに啓示されたことばをどのように扱ったか あなたたちはどのように主のことばを扱ってきたか? Ⅲ 主の答え~②悔い改めへの招き 8~14節 1) 預言者たちの教えの要約 4つの動詞に要約される~正しいさばきを行え、憐みを実践せよ、弱者を虐 げるな、悪をたくらむな 主への愛は、隣人への実践愛に顕れるもの 主イエスの教えと合致・『いけにえよりも、あわれみを好む』(マタイ9: 13,12:7) 2) 民の応答はどうであったか 彼らの肩、耳、心の様子 その結果は神の「大きな怒り」4 3) 不従順とは耳を傾けないこと 「呼ばれた時も、彼らは聞かなかった」 常に神は人に語っておられる~「被造物によってはっきり知られ、認められ ている」(ローマ1:20) 結果・神に聞いていただけない段階に陥る バビロン捕囚と国の荒廃につながった~6章15節との対比 結論 聞くことの幸い~箴言1:23~33 1) 聞くとは、 「主を恐れること」(29) 信仰の第一歩(ローマ10:17) 信じること、愛すること、従うことにつながる 2) 聞かない実情、、 拒み、顧みず、無視し、受け入れない(24~25) 聞かずとも宗教行為に熱心であることはできる 己の願望、欲情など、自己に固執しているため 聞くとは、その己の牙城を砕くこと〝聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥″ 3) 耳を開くものの幸い 「今すぐ、わたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう」23節 真の意味で聖書の言葉を理解できるようになる イエスの言葉を理解できなかった群衆の例~ヨハネ12:32~36 イエスの預言は彼らの律法理解と相いれない 初臨と再臨の区別が理解できていないため その知識をイエスは与えていない イエスの答えは「光を信じなさい」というもの 道徳性と信仰への招きであった
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