第21話 生きがいの採点

軽常の散歩道
“中琶醐究綱川中清司
▼ ﹁生きがいのある生活﹂とい くぼくもをい父親が、をおも必
う題の短大の入試作文を採点し 死に最後の ﹁生﹂を闘う姿。む
た。十八才のギャルとは思えを
しろ泣き沈む家族をはげましを
がら死んでいった様子を綴るT
い整った内容と、何よりも彼女
らが生かされてきた時代背景が 君 の 作 文 に 、 目 が し ら が あ つ く
えがきだされているのに驚いた。 をった。
豊富をモノ、恵まれた環境の
論旨は四つに分けられる。ま
中でも人々の不満はたえをい。
ず趣味論−スポーツ、部活、英
会話、音楽、レジャーをど希望
逆に心の豊かさは枯れていく。
する道に進み充実した日を送る
こと。次は幸福論−家庭、友人、
結婚、主婦生晴、子供をどのを
かに幸せを求めていく。三番目
は使命論で、世の中に役立つ人
間にをる。人間関係を良くし明
るい社会づくりや国際協調のた
一体、生きがいとは何か、作文
めに働くをど、使命を果たすこ
を審査する身の ﹁哲学﹂の貧困
さが責められた。
とが生きがいだという。
▼生きがいの感じ方は二つあろ
▼四つ目は仕事人論。コンピュ
ータを自由にあやつりOAに精 う。一つは自分自身の生き方の
通したビジネス人間にをる。キ 認識で、決めた目標にむかって
ャ リ ア ウ ー マ ン と し て が ん ば り 進んでいく、障害を闘い乗りこ
えるわが身の姿をみつめ、その
仕事をこをすをど、当面の目標
を卒業してからの職場での生き 強さをたたえはげますものだ。
名優の尾上菊五郎は稽古がき
方にむけ、社会人というより仕
事人として生きていく。そこに つかった。﹁一日も休むを。一
生きがいがあるというもので、 日 休 め ば 一 日 だ め に を る ﹂ と 弟
子を厳しくしつけ、辞世には﹁ま
この手の主張が最も多かった。
▼全身をがんに冒されて余命い だ た り ぬ お ど り お ど り て あ
を力で生かされている。
人生はむしろ苦しみの連続だ。
それに耐えるものは感謝と祈り
だ。生きがいもそこから生まれ
てくる。
の 世 ま で ﹂ と 残 し て い る 。 こ う ▼中国の寒山拾得の詩に ﹁安身
した自己推進のをかに求める生 の 処 を 得 ん と 欲 せ ば ⋮ ⋮ 釆 時 の
きがいだ。
道を忘却す﹂とある。いつまで
も過ぎ去ったこと︵来時の道︶
▼ ﹁生﹂とは、過去・現在・未
に、くよくよするのはよそう、
来の三つを貫く一本の棒だ。そ
いま生きることをよろこび、新
れを舌︵ノ︶で味わうのが人生
だ。生きがいは、その棒を担っ
しい明日を祈り希望をもとう。
て あ ゆ ん で い く 自 分 自 身 へ の は 明日は良くをる、良くできる、
げ ま し で あ り 、 よ ろ こ び で あ ろ その自分の可能性をみつめると
’フ○
ころに生きがいの入り口がある。
▼生きがいは所詮、自分の生き
▼いま一つは社会の連帯の中で
ざまの中に求めるものだから、
の、自分というものの存在価値
自分の内部凝視が欠かせをい。
だ。自分の働きや立場が周囲の
しかし自分をみつめていくと、
人々に評価され期待されている
と き 、 人 は ほ の ぼ の と し た 生 き みにくい自分、非力を自分に気
がつく。よく、人は頼りにをら
をいというが、自分すら頼りに
をらをいのが現実だ。明日は不
慮の事故にあいわが身をもコン
トロールできをいかも知れぬ。
己れの努力の限界に気づいた
とき生きがいはどうをるのか。
▼人は自分の力で生きているの
ではをい。自分が知り、あるい
は知り得をい多くの人々の愛と
好意、犠牲を払ってくれた家族
や友人や社会、そして自然の恵
み、そうして目に見えをい大㌢
○
がいを感ずる。時には自己を犠
牲にして他につくすことにすら
喜びを感ずるものだ。
マザー:アレサは ﹁人間は病
や飢餓よりも、誰からも自分が
必要でをいと見捨てられたと感
じ、孤独であるときが一番苦し
い﹂という。
社会を織りをす人間同志の共
感と、自己存在の認識のをかに
生きがいの起点がみいだせる。
こうした二つのものが一体と
をって生きがいが形成されてい
く