著者の診療歴・病歴 高齢者の病気は複合疾患

序
著者の診療歴・病歴
私が,大学病院にいた昭和 40 年当時,我が国の死因の第一位は,高血圧による高血圧性脳出血
で,ヨーロッパで多いとされた高血圧性心疾患は極めて少ない病気でした。その頃の日本人の食事
は欧米の人達とコレステロールなどの食事摂取内容が異なっていたのです。私は,循環器科医とし
て,脳循環代謝,高血圧,脳卒中,脈管病を,研究対象として診療をしていました。その後,有用
な多くの降圧薬が開発され,大学から国立病院に出た昭和 55 年,脳卒中は脳出血から脳梗塞へ,ま
た日本人の生活習慣の変化からか,今まで殆どなかった高血圧性心疾患が増加し,私も脳梗塞,高
血圧,不整脈患者,脳卒中後の認知症患者など多岐に亘る患者さんを多く診るようになりました。
「ふらつく」
「しんどい」などを主訴とする多くの患者さんは,頭(脳)の病気ではないかと,私を
受診されてきましたが,その多くは,当時,流行していた非A非B肝炎(輸血後肝炎),今日で言う
C型肝炎でした。その肝炎の患者さんが当病院の歯科で処置された直後に,私はそこで抜歯を受け
その時に感染したのだと思いますが,私も急性肝炎に罹患しました。50 歳でした。肝炎ウイルス研
究の進歩を勉強し,インターフェロンα注で一旦治ったのですが,70 歳にして肝細胞癌が発症,8
年目の今日なお闘病生活を送っています。
70 歳で診療を辞めましたが,その後,高血圧関係,脳卒中後の認知症,生活習慣病,癌(肝癌)
などの相談や講演,老人病の講義の依頼が多くなり,また福祉大学,看護学校の講義,加齢と共に
私自身を襲ってくる視力・聴力障害,足腰痛のこともあり,循環器,脳卒中,精神神経疾患,不治
の肝癌を経験するに至り,死ぬまでに学んできたことを残したいと,本書を書くに至りました。
本書の内容は,病気のことが中心になりますが,薬や医療内容を知るための必要な医学的な基礎
知識,医者の色々,医療倫理など,医療周辺の事項にも触れました。
高齢者の病気は複合疾患
高齢者の病気は多岐に亘ります。加齢に伴って,高血圧,糖尿病,高コレステロール血症など生
活習慣病と言われた疾患に,癌,循環器(心血管)病,整形外科的(骨関節筋)疾患,認知障害やう
つ状態,皮膚病,視力と聴力の障害などといった高齢者疾患が加わってきます。診療は総合的に行
われなければなりませんが,包括的に相談にのってくれるところはまず見当たらないでしょう。整
形外科医に係っていたのに,気がついた時には癌は全身に転移していたといった苦情はありがちで
す。症状から,病気に気づき,早めに対処していただくのが,本書の目的の1つです。
高齢者(老人)総合診療科は存在しない・その弊害:大学病院には老人科という診療科がありま
すが,教授が糖尿病専門だったり,高血圧専門であったりして,高齢者疾患を総合的に診るまた教
える能力を全く持ちません。結局,患者さんはそれぞれ専門の診療科で検査を受け,予約制でも待
たされて診察を受け,順番を待って殆ど対話のない診察を 15 分以内に受け,処方箋をもらって病
院の支払い窓口で順番を待って,検査診察代を支払い,外の薬局で処方箋の薬を貰うといった丸1
日かかる毎日を送っていることは少なくありません。その弊害は,働けるのに働けない,夫婦とも
病気で家族の対話,円満さを欠くようになる,土曜,日曜しか買い物に行けない,遊びにもいけな
いといったこと以外に,違った診療科から出た薬剤が,この病気には使用してはならない禁忌薬で
あったり,併用注意の薬であったり,同種同効の薬であったり,どれかの薬剤が病状を悪化させて
いる医原病を生み出していることがしばしばです。薬剤性疾患は増える一方です。薬剤投与が病気
を生み出している医原病は,医薬分業で専門薬剤師がその弊害の任を担うことになっていますが,
医学の進歩につれ,それを指摘できる薬剤師が極めて少ないのが現状です。
いくら医学が進歩しているとはいえ,病気には,治る病気と治らない病気,それに自然に治る病
気があります。加齢と共に治らない病気になる確率が高くなります。その治療の多くは解熱薬のよ
うに症状を緩らげる対症的な療法であって,完治させることはできません。しかし,その症状が,
老化に伴う生理的な自然現象なのか?,それは予防できないのか?,老化と病の接点は?,その接
点で病気にならないようにできないのか?,急に死の転帰をたどる事になりはしないか?,何科の
医者に係ればよいのか?,近医にかかっていて大丈夫なのか?,こうした疑問に答える書物とし
て,少しでもお役に立ち利用していただけるように,ということが本書の目的の1つです。大病院
にはコンサルタント外来がありますが,自施設の診療科を薦めるだけであって,他施設を薦めるこ
とはまずありません。そして総合病院は紹介されてきた患者さんが殆どですから,殆ど役に立って
いません。マスコミの言う名医は当てになりません。今日の名医療は良い結果を残しているチーム
医療です。いくら1人の医者が神の手などと言っても1人では何も良い手術はできません。
かかりつけ医に病院を紹介してもらう前に,薬剤性ではないかなど今の状態を本書で調べ,自身
で経過をみるだけでよいのか,紹介して貰うならどの診療科がよいか,を決めていただくのがよい
と思います。
本書を利用していただける方
患者さん,その家族:自身が患っている病気について詳しく知りたいとき,近親高齢者の病状か
ら身内の方がどうしたら良いか迷うとき,医者の言った意味が分かりにくかったとき,医者は検査
の結果はどうもないと言うが病状が思わしくないとき,他に病気があるのではないか診(み)落とし
てはいないかが心配なとき,海外に出張しているとき,外国の病院を受診される前,など,本書が
参考になると思います。服用している薬の作用を知って,何か調子の悪いのは服用している薬の副
作用だろうか,他科から貰っている薬と相互作用がないかなどを知り,薬局で質問する疑問点を求
めるためにも利用して下さい。
対象のコメディカル:コメディカルとは,共に医療に携わる方々で,薬剤師,看護師,理学療法
士,福祉士,介護士,検査技師,医事課の保険請求担当者,医療機関の管理者,介護施設の職員な
どの人達のことです。また看護学校,検査技師学校,医療福祉大学,リハビリテーション学校の講
師,学生の参考書として,医療関係者の教育講演の参考にしていただければと思っています。
MR(medical representer):製薬会社には,MR といって,薬の宣伝に病院や診療所を訪れる人
たちがいます。必ずしも医学部や薬学部出身の方ではありません。かえって文系の人の方が社会的
な常識があって,医者との会話がうまく運ぶことが多いようです。そうした MR の方々の医療に関
する教育に利用下されば幸いです。
家庭医:大病院での医者の全員は専門分野に分かれて所属し,その分野の疾患ばかりを診ていま
す。その専門医が,いざ開業すれば専門分野の患者さんばかりを診ることは難しくなってきます。
日常の診療に間違いがなかったかを調べる参考にしていただくのにも,本書がお役に立つのではな
いかと思います。
分かり易く書くことの難しさ
高齢者という書き方は,日常の医者と患者さんの間,患者さんからの私などへ質問される場合な
どでは一切用いられません。老人,年寄り,年をとった,ご老体などと言います。文部科学省が認
めている大学での診療科は老人科であって,高齢者疾患診療科ではありません。高齢者という語句
は保険証などに書かれていることが多いため,多くの方は理解しておられます。しかし,疾患と言
やまい
う表現は一般に理解されていません。何故そこが悪い,何の病気でしょう,何々の病で倒れた,な
どとは言いますが,疾患という表現はまず使いません。しかし,こうした文書には,分かりやすく
といっても,こうした医学用語を用いざるを得ません。
医学は,非常に多岐に亘り,疾患,症候群,症状は数えきれず,その苦しみや感じ方の表現は,
地方によって,国によって異なります。痛み一つをとってみても,本人の苦しみは,他人には正確
に理解できません。本人が訴える痛み,苦しみの表現も決して的確ではないでしょう。また訴える
表現は方言が多く,その訴えを理解できないと診断を誤ります。一部関西弁での訴えを書きました
が十分ではありません。
患者さんの相談に応じる立場と,医療関係者を教育する立場とで書き始めたのですが,どうして
も専門的な用語が入り,説明は入れたものの中々誰にでも分かるようには書けません。ある程度,
専門的にならざるを得ません。しかし,自分の患っている病気についてだけは,よく勉強している
患者さんがおられます。新聞や広告では,かなり専門的な用語が用いられていますから,ご自身の
病気のことを詳しく知りたい患者さんは,本書を繰り返し読むと,分からない医学用語もかなり理
解していただけるようにしたつもりです。患者さんでも,特に医療関係の仕事をなさっておられた
方は,ここに記載した程度の内容を要求される事がしばしばあります。利用者の要求を幅広く,少
し深くしたことをご理解いただければと思います。
著者も,一般の方々と同じように,老化に伴う病に患わされていますが,最後まで,生き甲斐と
心の健やかさを求めていきたいと思っています。その老医の立場で,自身が経験している老化に伴
う心身の障害と,それにどう対処していくかについての相談・アドバイスを可能な範囲内で書いて
みました。
“癌に医者はいらぬ”など,今日の社会機構を知らない間違った考えの書籍が売れていま
す。医療の介入が許されるか否かは,自身が決めることです。本書の書き方は,医者向けではなく,
患者向けの文体になっているところが多いと思います。著者が医者であり,患者だからです。
本書の利用法
症状,病名から項目を探す:本書の目次や索引から,その項目を探してください。受診した医者
が「年のせいだ」と言って,取り扱ってくれない場合,何か潜んでいる病気があるかもしれません。
今なら治る癌の初期かもしれません。本書を見てください。
最新の情報はインターネットで:医学は,科学的に,政治的に,経済的に,時代と共に発展し,変
化していきます。科学的な進歩はインターネットで検索することができます。医学は,日進月歩で
す。最先端の医療を執筆しても,印刷にまわった時点で,もう古くなっている内容が一部あるで
しょう。とくに遺伝子診断,再生治療,抗癌薬はめざましい進歩,発展が続いています。最先端医
療のインターネット情報は,多少とも宣伝的な大げさな要素があり,まだ一般に行われていない,
評価されていない治療が,多分に含まれていて治療研究である可能性があります。正しい情報を開
示して貰い,その医療の内容をよく理解した上で医療の介入を受けて下さい。そして,本書での内
容と対比してご検討下さい。
老化に伴う基本的な身体症状は,そんなに変わるものではありません。今日の我が国の医療体制
では,完治しない病の治療選択肢の全て,複数の持病への一般的な対処,心のケア等については,
受診して相談しようにも,とても医者が話せる時間的な余裕はないでしょう。先端治療の選択肢
は,患者さんの自律の下,同意があって初めて,高度先駆的医療の介入がなされますが,その補助
的なアドバイスを本書ができればと願っています。
2012 年4月
著者 額田 忠篤