大学教育について -良い就職活動へ、どう変えるべきなのか- 4年1組3番 植木 崇 完成年月日 1 月 7 日 目次 はじめに 第1章 日本の就職活動 第1節 過去から現在に至るまでの就職活動 (1) 就職協定の歴史 (2) 倫理憲章の歴史 第2節 混迷する就職活動 第2章 学生の意識・大学教育と就職活動の分離 第1節 学生は何を考えているのか 第2節 大学教育と就職活動の分離 第3章 大学教育の現状把握 第1節 日米の比較 第2節 比較して見えたもの 第4章 大学教育をどう変えるのか 第1節 見えてきた課題 第2節 教える側 第3節 教わる側 おわりに 参考文献・参考URL あとがき 1 はじめに 最近、就職活動に関するニュースをよく耳にする。一番大きなニュースとしては 2015 年からの就職活動の時期が従来の 12 月解禁 4 月選考開始から、3 月解禁 8 月選考開始に変 更になったことである。今回の変更の目的としては大きく 3 つあり、1 つ目が学生の学修 時間の確保、2 つ目が留学等の促進、そして 3 つ目がインターンシップ等キャリア教育の 早期実施の期待である。これらの目的は経団連や政府が目論んでいるものであるが、同時 に長年問題となっている就職活動の早期化・長期化にメスを入れるものでもある。 今回の変更をプラスと捉えるかマイナスと捉えるかは人によって別れるものであるが、 よく耳にする就職活動のニュースというのはマイナスのものが非常に多い。就活自殺や入 社 3 年目までの早期離職率の増加、低い就職率など様々な問題があり、特に就活自殺に関 してはよく耳にするニュースである。就活自殺という言葉自体、最近生まれたものであり 昔の人からしたら考えられないことであろう。そのような言葉が生まれてしまうほど現在 の就職活動というのは社会的な問題になってしまっている。そしてこれらの問題の根底に あるのは就職活動の早期化・長期化であり、そこにメスを入れようとしたのが今回の変更 である。 しかし就職活動時期の変更は今回に限ったものではなく、過去に何度も行われてきてい るのだ。その歴史に関しては後で述べるが、時期が何度も変更されてきたにも関わらず就 職活動のマイナスの側面が改善されてこなかったことから、就職活動時期の変更に大きな 効果は期待できないと私は考える。では一体どうすれば就職活動の早期化・長期化に歯止 めをかけることができるのだろうか。 そもそもなぜ就職活動は早期化・長期化してしまったのだろうか。それは企業が優秀な 人材を獲得するために早い時期から学生をじっくりと精査したいという考えが引き起こし てしまった事態なのだ。この企業側の考えの意味することは、企業は大学教育を受けた学 生を信頼していないということであり、その結果長い時間をかけて学生を精査しているの である。つまり企業に信頼される学生を育てることが就職活動の早期化・長期化に歯止め をかけるための第一歩になるのではないかと私は考えた。 では具体的に企業に信頼される学生を育てるにはどうすればいいのだろうか。それは就 職活動時期の変更という外因的なものではなく、大学、そして学生自身が変わっていかな ければならないと私は考えた。そしてこの論文は大学教育を含めて大学、学生がどのよう に変わっていくべきなのかを考察するものである。 以下、1 章で日本の就職活動を歴史とともに見ていき現状を把握する。2 章ではその就職 活動と大学教育が分離してしまっていることを示して、まず大学教育を変えなければなら ない状況にあることを述べていく。そして 3 章では大学教育の現状を把握し、4 章で具体 的に大学教育を含め大学と学生がどのように変わらなければならないのかを述べていこう と考えている。 2 第1章 日本の就職活動 第1節 過去から現在に至るまでの就職活動 (1) 就職協定の歴史 2014 年の就職活動は 12 月解禁 4 月選考開始で就職活動は行われており、2015 年は 3 月 解禁 8 月選考開始で行われる。そもそもなぜ就職活動の時期というのは決められているの だろうか。これは日本経済団体連合会(以下経団連)によって定められた「新規学卒者の 採用・選考に関する企業の倫理憲章」によるものであり、経団連に加盟している企業に遵 守を求めているものである。 「学生が学業に専念し人格や能力を磨く環境を確保すること、 そのために卒業学年に達していない学生に面接等の選考活動を行うことを自粛すること、 正式内定日(10 月1日以降)前に入社誓約書を提出させない」などを通して、学生の自由 な就職活動を妨げたり、男女雇用機会均等法の精神に反する採用活動を一切行わないこと を求めており、この倫理憲章によって就職活動の時期というのは決められている。 この「倫理憲章」は比較的最近できたものであり、それ以前は「就職協定」というもの で就職活動は動いていた。そしてこの「就職協定」は制定から廃止までに紆余曲折あり、 それが現在の就職活動の早期化・長期化の要因の大きな 1 つとなっているといえる。そこ で「就職協定」から始まり「倫理憲章」に至るまでに紆余曲折あった歴史を見ていきたい と思う。1 「就職協定」は 1952 年 6 月に就職活動は 4 年生の 1 月以降に実施するという通達を出し たことに端を発すると言われているが、企業間の取り決めとしては戦前にもそれらしきも のがあった。1928 年には大企業の間で、新卒社員の就職活動の時期は「卒業後」にすると いう「協定」が結ばれている。これは当時の就職活動がなにかと勉学に支障をきたしてい たことにより、11 月か 12 月に行われていたものを卒業後まで遅らせることで学業の弊害 を除去しようとしたのである。しかし協定に参加していない企業はこれを守らず、それら の企業に遅れまいと協定に参加している企業もほどなく守らなくなった。そのため卒業後 ではなく、 「1 月 15 日以降」の選考に変えられ、数年後には「11 月初旬」に早められた。 こうした流れを見ると戦前は 4 年の 11 月以降に就職活動が行われていた。 そして 1952 年には就職活動は 4 年生の 1 月以降に実施するという通達が出たのだが、 実 際には守られず 4 年生の 10 月に採用内定を出す企業が多かった。こうした状況を受けて、 1953 年に就職活動は「4 年生の 1 月以降」という通達を 2 か月ほど繰り上げて 「10 月中旬から一カ月くらい」とすることを取り決めた。そしてこれが「就職協定」であ り、1997 年 1 月に廃止されるまで様々な紆余曲折があった。 1957 年には事務系の推薦は 10 月 1 日以降、試験は 10 日以降に繰り上げられた。このこ とにより大企業の試験は協定に合わせて、10 月 10 日に集中する事態になった。59 年にな ると岩戸景気によって「就職難」から「求人難」に転じ、企業間の人材獲得競争が強まっ て 60 年代初めには「青田買い」が問題になるほど、協定破りが横行した。協定による就職 1森岡孝二著『就職とは何か-まともな働き方の条件』2011 1 月 3 日参考 3 年岩波新書 52~56 ページ 活動は 10 月 10 日以降の中旬からとなっているにも関わらず大企業の中には 7 月末までに 採用活動をほとんど終えるという状況さえあった。このように協定破りが横行している状 況を日本経営者団体連盟(以下日経連)は野放しにするという宣言を出した。この宣言に よりさらに早期化が進み、一時期は 3 年生の 2,3 月に内定を出す企業がいたほどである。 このように早期化した採用内定が問題になるなかで、1973 年には新たな就職協定が取り 決められて施行された。しかしオイルショックによる不況のなかで、今度は内定取消が続 発するという事態が起き、いきすぎた早期化が一因となっていると問題になり、それまで の開始時期を大幅に遅らせて、 「10 月 1 日会社訪問解禁、11 月 1 日入社試験解禁」とする 協定に変更された。 しかしこれも大企業の多くは 11 月 1 日からの入社試験は形式的なもの に過ぎなかった。1979 年には協定破りをした企業に対して注意、勧告そして社名公表など の制裁措置が設けられ、実際に制裁措置を受ける企業もあったのだが、それでも協定は守 られなかった。 1986 年には 10 年ぶりに改定が行われ、 「8 月 20 日に会社訪問解禁、11 月 1 日採用内定 解禁」に変更された。1980 年代後半には、バブルにより人手不足がいわれ労働市場は空前 の売り手市場になった。新卒者の人材獲得競争が強まり、5 月の連休明けには多くの企業 で会社説明会が実施されるようになった。 その後も協定の変更は続き、89 年の就職協定は「8 月 20 日会社訪問解禁、10 月 10 日採 用内定解禁」 、91 年の就職協定は「8 月 1 日会社訪問解禁、10 月 1 日採用内定解禁」とな っていた。結局、協定と現実の企業の就職活動のズレは大きく、就職協定は公然と破られ 続け、守られることはなかった。そして 1997 年には就職協定は廃止されその 44 年の歴史 に幕を閉じた。2 (2)倫理憲章の歴史 新卒学生の採用慣行は就職協定が廃止されて以降、大きく変わっていった。1996 年には 三割の企業が内定開始を早くしたいと回答しており、その反面終了時期は変わらないと答 えた企業が多かった。これの意味することは就職活動の早期化は同時に長期化もともなっ ているということである。 就職協定が廃止された 1997 年に日経連は「採用選考に関する企業の倫理憲章」を定めた が、 この倫理憲章は募集や選考の開始時期について具体的な取り決めはないに等しかった。 その後、新卒学生の就職難が深刻化し、就職活動の早期化と長期化が一段と進んだ。そん な中で 2003 年に日本経団連によって「2004 年度・新規学卒者の採用選考に関する企業の 倫理憲章」が発表された。 この「倫理憲章」の内容というと「1、正常な学校教育と学習環境の確保 2、採用選 2森岡孝二著『就職とは何か-まともな働き方の条件』2011 1 月 3 日参考 4 年岩波新書 52~56 ページ 考活動早期開始の自粛 3、公平・公正な採用の推進 4、情報公開の徹底 5採用内定 日 6その他」というものであった。一見もっともらしいことが書かれているのだが、注 意して見ると採用選考は企業が自己責任原則に基づいて自主的に行うものであって、何者 にも縛られないという基本情勢が表明されている。 そして「卒業学年に達しない学生に対して、面接など実質的な選考活動を行うことは厳 に慎む」という文言が盛り込まれたことによって、いきすぎた早期化に歯止めをかけよう としているように見える。しかし、3 年生を対象に行われる会社説明会の開催時期や、エ ントリーシートの受付時期に関しては特に制限を設けておらず、むしろ「情報公開の徹底」 を強調することで、広報活動を含むスケジュールの前倒しを容認していると捉えることも できる。 2011 年の倫理憲章では広報活動について、 「卒業・修了学年前年の 12 月 1 日以降に開始 する。それより前は、大学が行う学内セミナー等への参加も自粛する」となっている。し かしここで重要なのはその行為を「禁止」しているわけではなく、ただ「自粛」という文 言を使っているだけで大きな効果は期待できない。 その結果、 経団連の参加企業の中には、 3 年生の 10 月からエントリーシートを受け付け、12 月から 1 月に面接などの選考を始め、 3 月あるいは 4 月に「内々定」を出す企業が少なくなかった。 「内定」と「内々定」という ように区分することは、早すぎる内定出しに対する批判をかわすためのものでしかない。 そしていきすぎた早期化を是正しようとまたもや変更が行われ、今回の 3 月解禁 8 月選考 開始という倫理憲章に至った。 第2節 混迷する就職活動 前節では就職協定から始まり紆余曲折を経て倫理憲章に変わり、そして現在に至るまで の就職活動の歴史を見てきた。就職協定、倫理憲章、これらの 2 つは常に破られ続け、そ の度に就職活動の時期は変更されてきた。その結果、現在の就職活動の早期化・長期化を 招いてしまっているといっても過言ではない。 しかし就職活動時期の変更で起こっているのは早期化だけなのではないのか、と思うか もしれない。労働政策研究・研修機構が 2006 年に発表した、大卒予定者の採用にかんする 調査結果によれば、営業・事務系での内定通知時期のピークは 1998 年から 2004 年の間に 6 月下旬から 4 月下旬に二カ月早まっている。内定通知の終了時期は、事務・営業系では 5 月下旬にピークがあるがその後もだらだらと続いている。2011 年卒業者では就職活動を 3 年生の秋から本格的に始め、4 年生の 2,3 月まで続けながらついに内定を得られないまま 卒業するか留年した者の割合が前年に続いて高かった。このことから就職活動の早期化と 長期化は密接に結びついていることが分かる。 そもそも就職協定や倫理憲章で定められた就職活動の時期はなぜ常に破られ続けてきた のだろうか。それはこれら 2 つが「紳士協定」であったからである。紳士協定とは互いに 相手を信頼して取り決めた法的拘束力のない約束のことである。つまりは暗黙の了解とい うことであり、守るも守らないもお互いの信頼すなわち自己責任によるものである。 5 たとえ破ったとしても法的に罰せられることはなく、過去に「注意」や「勧告」をした ことはあったが、何も効果はなかった。もちろん就職協定や倫理憲章に参加していない企 業はこれを守る必要がなく、外資の企業などは一切縛られていないのでどんな時期にでも 採用活動を始めることが可能である。そしてこのような企業が他の企業より早く優秀な人 材を確保しようとする、いわゆる「青田買い」と言われる抜け駆け的な人材獲得を行って きたため、結果的に就職協定や倫理憲章に参加している企業も遅れまいとして決められた 開始時期を破るようになったのである。 このように紳士協定であるがゆえに就職協定や倫理憲章は破られ続けてきたのである。 ここで今回の変更について目を向けてみようと思う。今回の変更について企業がどう考え ているのかをアンケート調査したものがある。 図表-1 今回の変更をどう考えるか 参照:HR 総合調査研究所アンケート http://www.hrpro.co.jp/research_detail.php?r_no=61 図表-1を見ると今回の変更を「よい」と評価する企業は全体で 25%しかなく、 「よく ない」とする企業が 43%と大きく上回っている。そして中小企業に絞って見てみると、さ らに否定的な意見が多くなっている。就職活動の現状を時期の問題にしていることが、そ もそも間違っているなどの意見が多かった。この他にも注目すべきアンケートがいくつも ある。 「時期を変更することで学業に専念する学生が増えると思うか」というアンケートで は、専念するとは思わないと回答した企業が過半数を超えている。時期の問題で解決する 6 ような単純なものではなく、大学教育の在り方や個人の問題であると指摘する意見が多か った。 そして「2015 年からの 3 月解禁、8 月選考開始は守られると思うか」というアンケート では守られると思うと回答した企業は全体の 6%しかいなく、過半数の企業が守られない と思うと回答した。インターンシップという名の選考は現状でも実質執り行われており、 そういう例外がある限りどこも事前の活動は行い続け、結果形骸化するなど様々な否定的 な意見が寄せられた。 アンケートから分かるように企業は今回の変更をよくないと思っており、さらには守ら れることはないと考えている。私もこの考えに賛同している。歴史を見ても分かるように 時期を変更することでは就職活動の早期化・長期化の本当の解決には近付かないと考えら れ、さらにそれ以前に 3 月解禁、8 月選考開始の時期が守られるとも考えられない。倫理 憲章は守るも守らないも企業の自己責任であるのは前述した通りであるが、本当に時期を 守らせたいのであればまず時期を守らなかった企業に対して法的な罰則を下すなどの措置 を設けなければならないと感じるし、さらには外資系の企業などが何にも縛られていない という状況を打破しなければならない。それらのことを行って初めて時期を遅らせること ができるのだと私は感じる。ただ時期を後ろ倒しにするだけの今回の変更では、就職活動 の早期化・長期化に何の効果も持たず、日本の就職活動はますます混迷の一途を辿ってい ると言えるだろう。3 第2章 学生の意識・大学教育と就職活動の分離 第1節 学生は何を考えているのか では一体、どうすれば就職活動の早期化・長期化に歯止めをかけることができるのだろ うか。それは就職活動の時期といった外因的なものではないと私は考える。そもそも就職 活動の早期化・長期化は過去にあった青田買いのように、企業が優秀な人材を獲得するた めに早い時期から学生をじっくりと精査したいという考えが引き起こしてしまった事態な のだ。この企業側の考えの意味することは、企業は大学教育を受けた学生を信頼していな いということであり、その結果長い時間をかけて自らの目で学生をじっくりと精査してい るのである。つまり企業に信頼される学生を育てることが就職活動の早期化・長期化に歯 止めをかけるための第一歩になるのではないかと私は考えた。 そのためには前節でのアンケート結果で企業の意見にもあった、 「時期の問題で解決する ような単純なものではなく、大学教育の在り方や個人の問題である」というように大学と 学生自身に焦点を当てて変えていかなければならないと私は考える。それでは具体的に両 者をどのように変えていけばいいのだろうか。 そもそも学生は何のために大学に入学しようと考えているのだろうか。私は独自に学生 80 人程度に、2014 年の 12 月頃にアンケートを行った。対象としては大学に在学している 3HR総合調査研究所 http://www.hrpro.co.jp/research_detail.php?r_no=61 7 1 月 4 日参考 大学生、または最近まで在学していた社会人である。 質問の内容は1何のために大学に入ったのか、2授業全体の何%を出席しているのか、 3出席点がある授業の場合、どのような意識で授業を受けているのか、4出席点のない授 業の場合、どのような意識で授業を受けているのか、5大学の授業は就職活動に役に立っ たと思うか、6大学教育に関して思うことはあるか、である。 何のために大学に入ったのか、という質問に対しての回答では半数近くが就職のため、 学びたいことを学ぶためであり、4 割程度がみんないくから、なんとなくというものであ った。ある程度予想していた結果ではあったが、私はまず 4 割近くのみんな行くから、な んとなく大学に入るという人たちの意識を変えていくことから始まるのではないかと強く 感じた。何の目的意識もなく大学に入ってもそのままだらだらと大学生活を送ることは明 白である。そしてそのような意識で大学教育を受けている学生を企業は信頼することがで きるであろうか。 そして次に学生が普段どのように大学生活を送っているのかのアンケート結果を見てい こう。大学の授業全体の何%を出席していますか、という質問ではほぼ出席している学生 が 25%程度で、半数近くが 50%程度は出席していると答え、残りはほぼ出席していないと いう回答結果になった。授業をほぼ出席している学生は 25%程度に留まったのだが、この 数字は欧米では考えられない数字であると言える。欧米では授業に出るのが当たり前であ って、その上で色々な発言をしたり分からない点があれば積極的に先生に聞いて理解を深 めるのが普通である。ここにも日本の学生には問題があると言えるだろう。 さらに出席点の有無で授業を受ける意識に違いはあるのかを調査してみた。その結果、 出席点のある授業の場合、授業をしっかりと理解するためと回答したのは 3 割程度、そし てただ出席点を取るためと回答したのが 6 割にまで及んだ。そして出席点のない授業の場 合、授業をしっかりと理解するためと回答したのは 4 割程度、なんとなくと回答したのも 4 割程度、そして出席しないと回答したのが 2 割程度であった。さらに出席しないと回答 した 2 割程度の人たちに理由を聞いたところ、出席点がないから、テスト前にプリントだ けもらえば単位は取得できるから、面倒くさいからという意見が多かった。 これらのことから分かるのは、学生の多くは出席する授業を取捨選択しており、出席点 のある授業には出席して点数を稼いでおこう、出席点のない授業は出る必要はない、また は休むのも気が引けるのでなんとなく出席しておこうという意識があるということだ。つ まり単位さえ取れれば授業に出ようが出まいが、授業を理解しようがしまいが特に問題は ないと考えているということになる。このような意識で大学生活を送っている学生を企業 側に信頼しろというのは、無理難題である。 しかしこれらの事実は全て学生が悪いわけでもないと私は考える。 アンケートの中には、 「先生が何を喋っているのかが全く分からず理解しようとする前に放棄してしまう」 、 「一 方向的な授業ばかりで苦痛に感じてしまう」 「就活に活かせるような授業は何一つない」な どの意見が数多く寄せられた。これらの問題は学生自身にはどうしようもなく、授業を取 捨選択する学生が現れてしまうのは多少なりとも仕方ないと言わざるをえない。 さらに大学の授業は就職活動に役に立ったと思いますか、という質問では 1 割の学生が 思うと回答し、3 割の学生が少し思うと回答した。つまり 4 割程度の学生が大学の授業は 就職活動に対して肯定的であったと回答している。これに対して 1 割の学生があまり思わ 8 ないと回答し、3 割の学生が思わないと回答している。すなわち 4 割程度の学生が大学の 授業は就職活動に対して否定的であったと回答している。この否定的な 4 割程度の学生が いるというのは私個人的にはとても高い数字であると考える。では一体なぜこのように高 い数字になってしまっているのだろうか。 第2節 大学教育と就職活動の分離 前節では、学生がどのような目的意識で入学したのか、やどのような意識で大学生活を 送っているのかなどを見てきた。そしてアンケート結果を踏まえた上で、学生自身には一 体どのような問題があるのかを明らかにした。 ここでは大学教育にどのような問題があるのかを明らかにしていく。そしてそのヒント は前節の最後で述べた、学生の中には大学の授業が就職活動に役に立ったとは思っていな い人が 4 割もいたことにあると考えている。一体なぜ 4 割という数字になってしまったの かを解明することで大学教育をどう変えればいいのかが見えてくると考えた。 ここで 2 つのデータを見ていこうと思う。 図表-2 大学が教育面で注力している点 出典:日本経団連教育問題委員会 https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/005/ 9 図表-3 企業が大学教育に期待している点 出典:日本経団連教育問題委員会 https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/005/ 図表-2は大学が教育面で特に注力していることで、図表-3は企業が大学教育に期待 していることである。これを見ると大学は「専門分野の知識を学生にしっかり身に付けさ せること」 「知識や情報を集めて自分の考えを導きだし訓練をすること」 「専門分野に関連 する他領域の基礎知識を身に付けさせること」からも分かるように、特に知識や学問に関 することに注力している。 それに対して企業は「知識や情報を集めて自分の考えを導き出す訓練をすること」 「理論 に加えて、実社会との繋がりを意識した教育をおこなうこと」 「専門分野の知識を学生にし っかり身に付けさせること」を大学教育に期待している。企業は大学教育に知識を身に付 けさせることももちろんそうだが、社会に出た後に役に立つスキルを身に付けさせること を特に期待している。これらの事実から考えると大学が教育面で注力していること、企業 が大学教育に期待していることにはズレがあることが分かる。 そして企業は知識や情報を集めて自分の考えを導き出す力を身に付け、さらにそれをア ウトプットできる能力を学生に期待している。つまり一定の知識や理論を持ち、他者と話 をして、 また話を聞きその上で自分の考えを導きだしそれをアウトプットする能力である。 企業はこの能力が高い学生のことをコミュニケーション能力が高い学生であると判断する ことが多く、コミュニケーション能力は企業が学生に求める一番の能力となっているので 学生が就職活動をする上では必要不可欠な能力と言えるだろう。現状では大学は企業が期 10 待していることとは別のことに特に注力していることになる。このズレによって学生は大 学教育が就職活動に役に立っていないと感じているのかもしれない。 企業が学生に求めているものをもっと掘り下げて調べてみようと思う。日本経団連が新 卒採用(2014 年 4 月入社対象)に関するアンケート調査を企業に実施し、回答を得たもの をまとめたデータを見てもらいたい。 図表-4 選考にあたって特に重視した点(5つ選択) 出典:日本経済団体連合会 https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/080_kekka.pdf 図表-4 は企業が選考にあたって特に重視した点を 5 つまで選択し、回答してもらった ものである。これを見ると「コミュニケーション能力」 「主体性」 「協調性」 「チャレンジ精 神」 「誠実性」などの能力・特性が上位にあがっている。調査結果の概要に付された説明に よると、 「コミュニケーション能力」は 10 年連続で第一位であった。上位五位までの項目 も前年と変化はなく、この 5 つが常に上位に位置している。 なお、日本経団連が発表している「産業界の求める人材像と大学教育への期待に関する 11 アンケート結果」の中では「主体性」が第一位で、 「コミュニケーション能力」と「実行力」 が第二位で並んでいる。これらの項目が上位にあがるのは、すなわち企業から見れば、最 近の学生にはそれらの要素が不足していると思われているからである。 就職情報サイト「マイナビ」に大学卒業者の採用選考において企業が「内定を出す際に 重視する項目」に関する調査結果が出ている。それを見ても、 「非常に重視する」で特に回 答割合が多かったのは、 「性格・人柄」の 72,9%と「コミュニケーション能力」の 72,1% であった。上場企業に限ると、 「コミュニケーション能力」は 79,2%で「性格・人柄」の 74%を上回っている。 なぜ企業はそこまで学生の「コミュニケーション能力」を重視するのだろうか。それは、 企業ではチームを組んで仕事を円滑、かつ生産的に進めることのできる能力が求められる からである。そしてそれはどんな能力かというと、 「社会人基礎力」 ( 「社会人基礎力」とは、 「前に踏み出す力」 「考え抜く力」 「チームで働く力」の 3 つの能力(12 の能力要素)から 構成されており、 「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な 力」として、経済産業省が 2006 年から提唱しているものである4)でいわれる「チームで 働く力」にあたり、その中の「発信力」 「傾聴力」 「情況把握力」などを意味する。分かり やすくいうと「話し方」や「聞き方」のスキル、さらには「空気を読む」などといった「言 葉にはならないコミュニケーション」のスキルを指している。 このような能力が求められるのは、 近年の IT 化によって若者の日常的なやり取りが非体 面的になってきており、これらの能力が欠如している背景がある。それだけに企業が学生 の「コミュニケーション能力」を重視するのは当然と言えるかもしれない。すなわち学生 は「コミュニケーション能力」を身に付けなければ企業から信頼され、内定を勝ち取るこ とはできない。しかしこの「コミュニケーション能力」は一朝一夕に変えられるものでは なく、かつ一夜漬けの対策で身につくものではない。つまり大学教育を受ける 4 年の間に この能力をじっくりと高めていくことが重要なのである。 それなのに大学側は「専門分野の知識を学生にしっかり身に付けさせること」に特に注 力してしまっている。もちろん「専門分野の知識を学生にしっかり身に付けさせること」 を疎かにしろと言っているわけではなく、大学が教育の場である以上取り組まなければな らないものであることは間違いない。しかし企業が学生に求めているものが長年、 「コミュ ニケーション能力」 「主体性」 「チャレンジ精神」 「協調性」 「誠実性」といったようなソフ トのスキルである以上、大学教育はそれらのスキルを身に付けさせる教育にも目を向けな ければならないと考える。 私自身、4 年間大学教育を受けてきた身であるが、これらのスキルを磨かれていると感 じた授業はあまり印象に残っていない。そもそもそれらのスキルが就職活動で重視される と学んだのは、大学のサークルの先輩から聞いた話で、大学の授業で学んだ記憶はない。 人によってはそういった話も聞かないまま就職活動に臨んでしまっているかもしれず、結 果的に学生と企業のミスマッチを引き起こしているのだ。つまり大学教育を変えることで この学生と企業のミスマッチを解消することが第一だと私は考える。 4経済産業省 http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/ 1 月 3 日 12 第3章 大学教育の現状把握 第1節 日米の比較 ここではまず、大学教育をどのように変えるか考察する前に現在の大学教育がどのよう なものであるのかをアメリカの大学と比較しながら見ていこうと思う。なぜアメリカの大 学と比較するのかというと、私の友人がアメリカの大学に 1 年間留学していたのだが、そ の人にアメリカの大学の話を聞いて、日本とのあまりの違いに衝撃を受けたためである。 そこで、私が調べたことと留学していた友人から聞いた話からから日本とアメリカで大 きく違っている点を表にまとめてみた。 図表-5 日本とアメリカの大学の比較 アメリカ 日本 入学審査 書類審査 筆記試験 専攻決定 入学後でも可 受験時に決定 課題の有無 ほぼ毎回 皆無に近い 授業スタイル 学生が能動的に授業に参加 教授の一方向的な授業が主 調べていく中で様々な違いがあったのだが、私は特に図表-5 にまとめてある 5 つの点に 注目した。1 つ 1 つ見ていきたいと思う。見ていくにあたり、日米の大学で教員をしてい た方のブログを参考にして、そして友人から聞いた生の声と突き合わせて、実際に違いが あるのか見ていこうと思う。まずは入学審査である。 アメリカの大学には、日本のような入学試験のシステムはない。大学への入学出願に必 要なのは、基本的に高校の成績評価値であるGPAと、SATやACTなどの全米統一試 験の結果だ。SATとは、一般的には〝SAT Reasoning Test〟のことを指し、英語の読み 書きと数学の学力を測ったものである。特に、〝SAT Subject Tests〟という科目別テスト では、 英語、数学のほか、歴史・社会、科学、語学から3科目を選ぶ。最近、受験者数が 増えているACTは、英語、数学、読解、科学の4科目を受けることになっている。これ らの試験は、GPAだけでは学校による格差が大きいため、 全米共通の試験で学力を測る のが狙いで、大学に入るための力を調べるテストである。私立大学の場合、学業成績以外 の業績を積極的に評価するため、エッセイや面接などを重視する学校も多いようだ。 日本の大学はというと、私立大学の場合、入学の学生のうち、試験を受けて入った人は 約半分であり、残りの半分は推薦枠で入学したという。現在は、一般入試と呼ばれる入学 試験のほかに、例えば、高校での成績を添えて学校長の推薦で出願する学校推薦や、学校 や学校での成績とは関係なく自分で自己推薦状を提出する個人推薦やAO(Admission 13 Office)入試など、さまざまな推薦入試がある。しかし日本は少子化に伴って、学生の獲 得競争が激しくなっている。その結果、有名大学に入学しようと思っても、なかなか難し く狭き門となっている。その点、アメリカは日本よりも入学は容易である。 次に専攻決定である。最大の相違点を簡単に説明すると、アメリカの場合は、大学に入 学して、 色々な分野の授業を取りながら徐々に自分の専門を決定していく。 日本の場合は、 基本的に入学の際に学部学科を決め、入学後の専攻の変更は困難である。 アメリカでは元々、英文学を専攻していたが他の授業で良い先生に出会え、良い成績が 取れたなどという理由で数学を本格的に専攻することも可能であるし、実際にそのような 人は数多くいるという話である。色々な授業を履修する中で、自分のフィーリングやテイ ストに合った分野を進んでいくことができる。 日本は、入試で入ったか推薦で入ったか程度の違いはあるが、それでも大学に入学する 以前に専門分野を決めなければならない。有名大学や志望大学でさえあれば、学部学科は どこでもいいという考えの人が多いだろう。このような状況では自分の学びたいことなど 学ぶことはできないだろうし、そもそも自分が一体どのようなことを学びたいのかすら見 えてこないまま卒業してしまうかもしれない。しかしこの事態は学生には一切非がなく、 入試という日本の制度がもたらしてしまっているものである。 次に課題の有無である。アメリカの場合は、この課題というか宿題が授業のメインとな っており、授業のレベルに関係なく毎週宿題が出される。文系の授業でいうと、教科書や 論文の類を読みながら授業を進めることが多いので、 「次の授業までに何ページから何ペー ジまで読んできてください」といったように宿題が出される。このタイプの宿題を一般に reading assignment と言ったりする。教科や先生によって内容や量にある程度の違いはあ るものの、アメリカの大学では基本的にこの宿題に追われる日々がずっと続いている。 実際に留学した友人も、あまりの宿題の多さに正気の沙汰ではないと率直に感じたらし く、先ほど言ったような宿題が出されるらしいのだが、教科書を読むにしても全てが英語 なので慣れるまでは、宿題を終えるとすぐに授業があり、また宿題に追われるという日々 がしばらく続いていたということであった。なぜ、そんなにも追われるのかという質問を してみたところ、授業が宿題をやってきている前提で進むのでしっかりとこなさないと理 解が追い付かず、結果的に単位を落としてしまうらしい。もちろんたんに留学生だから宿 題に追われているわけではなく、学生のほとんどが宿題に追われており、そういう状況が 普通なのだと言う。その結果、1 週間に取る授業のコマ数は日本より大分少なくなってい る。5 日本の場合は、通常の授業で宿題が出されることは皆無に近い。たまに、ちょっとした レポートが出されることはあるが、提出前に少し時間を取れば終わらせてしまえるような 軽いものばかりである。基本的には教授が講義をして、それが学期の初めから終わりまで 続くだけであり、学生に要求されるのは授業に出席してノートを取ることぐらいである。 次に授業スタイルである。アメリカも日本も基本的にレクチャー方式ではあるのだが、 学生の取り組み方が大きく異なっている。アメリカの場合は、多くの授業で授業中に先生 あるいは、学生同士の議論を含む場合が多い。良いも悪いもアメリカ人は自己主張が強い 5 アメリカ大学教員の日記 http://grothendieck-jr.blogspot.jp/ 1 月 4 日参考 14 ので、授業中でも色々なことに関してムキになって発言してくる者もいるが、その中の多 くの学生は授業内容から感じたことを素直に発言したり、それと関連する自分の経験を他 の学生とシェアしようと積極的に手を挙げているのだ。そういった意見や質問に先生がコ メントし、さらには他の学生が同意や反対意見を述べて、徐々に議論が盛り上がっていく 授業が多くを占めているのだ。 友人の話だと授業の中で当然、自分の意見を求められることがあるのだが、最初のうち は授業中の発言などしたこともなかったので他の人と同じような意見を言ってお茶を濁し ていたらしい。しかしどんな意見でも周りの学生は真剣に耳を傾けてくれて、理解しよう と努めているのが分かると、自然と発言もしやすくなったと言っていた。この話を聞いて 意外だなと思ったことが、アメリカ人は自分の意見を言うのがとにかく好きな印象を持っ ていたが、他人の意見を聞くことも割と好きなのだろう感じたことである。自分の意見も 言いたいし、他人の意見も聞きたい、そんな思いがあるからディスカッションの多い授業 スタイルになっているのかもしれない。 日本の場合は、本当にレクチャーをするだけの先生が学生に話をしていくだけの授業が 多い。ゼミなどの少人数の授業では、先生と学生または学生同士で意見を交換し、議論を 白熱させることもあるが、ゼミ以外での少人数の授業は非常に少ない。そのため多くの授 業で要求されることは、 授業に出席して先生の話を聞きノートを取るぐらいのものである。 第2節 比較して見えたもの 前節では日米の大学教育の比較をインタビューを交えながら見てきたが、その比較から 何が見えたのかを述べていきたい。まず最初に言いたいことが、前節ではあらゆる点でア メリカの現状の方を肯定的に述べてきたが、ならばアメリカの大学教育を目指せばいいで はないかと思われるかもしれない。しかし友人も言っていたのだが、両者に違いがあるの は国民性や社会の違いからきているものもあるので、一概に真似をできるものではない。 それでもアメリカの学生の意識が高いことには変わりはないので、参考にして改善点を見 出すことに異論はないだろう。 まず、入学審査の部分だが、今まさに物議を醸している所である。従来の筆記試験では なく、まず一定の学力を測る「達成度テスト・発展レベル」を行い、その後各大学におい て面接や討論から「人物重視」で合否をはかるものにしようという動きがある。この案に は反対の声も多くこの先どうなるかに関心が高まっている所であるので、動向を見守って いこうと思う。 そして、第一に「専攻決定」について改善の余地があると考えた。専攻決定においては 高校時代から何を専攻したいかが決まっている学生は非常に少ない。それなのに入学前に 専攻の選択を迫られてしまっており、そのままその専攻が自分の学びたいこととマッチし ていれば良いのだが、違ってしまった場合には変更するにも条件が多く結局断念してしま うことが多い。このケースはモチベーションの低下に繋がり、学業への意欲を失くさせて しまう。実際にアンケート中には、 「学びたいと思う授業がない」などという意見も見受け られた。学びたいことを学べないのは非常に好ましくない状況であり、専攻決定の自由を 15 もっと広げる必要があると考えた。 次に「授業スタイル」について改善の余地があると考えた。アメリカの授業は、日本と 同じようにレクチャー方式ではあるが、頻繁に意見を交換し議論をしている点は日本とは 大きく異なっている。 さらに私はアメリカ人だからとにかく自分の意見を言いたいがために積極的に発言をす るだけだと思っていた。しかし実際は人の話にも真剣に耳を傾け、他人の意見を自分の中 に落とし込んで、さらにそれを自分の考えへと昇華させ、それを再び意見として述べ議論 を白熱させている。この他人の意見を聞いて、それをしっかりと理解した上で、また自分 の意見を述べていく、これがまさしく日本の企業が学生に求めている「コミュニケーショ ン能力」なのではないだろうかと感じた。 「社会人基礎力」の 3 つのうちの1つである「チームで働く力」 、そしてその中の「発信 力」 「傾聴力」 「情況把握力」 、これら全てをアメリカの授業というのは育てているのではな いだろうか。 第4章 大学教育をどう変えるのか 第1節 見えてきた課題 ここまで述べたことを踏まえると、企業、大学そして学生、この三者にそれぞれ問題が あることは十分に理解できることであろう。まず企業はというと、現在社会問題になって いる就職活動の早期化・長期化、これらを引き起こしたのは企業が青田買いによって就職 協定、そして倫理憲章を破り続けてきたことが招いた事態と言える。 そして大学はというと、まず、企業が期待している教育とは違うものに注力してしまっ ている点である。大学は学生と社会を繋ぐ架け橋としての教育を期待されているのに、期 待とは違う教育をしていてはまずいと言える。そしてその結果、大学の成績に対する日本 社会の期待感の低さや、 信頼感の欠如といった事態を招いてしまっていると言えるだろう。 学生はというと、少し他の二者とは違い、二者の「負のスパイラル」に巻き込まれてし まっていると、捉えることもできる。それでも授業に出席しなかったり、楽に単位さえ取 れればいいという意識には問題があると言わざるを得ない。 このように三者三様に問題を抱えているが、まずは大学教育を変えることから全ては始 まると私は考える。今回のように就職活動の開始時期を後ろ倒しにしても、企業が学生を 信頼していない以上、やはり自分達で学生を精査しようと考えるので、開始時期が守られ ることはないだろう。学生も「大学の成績に対する日本社会の期待感が低い」という事実 がある限り、大学の授業に真摯に向き合うことはないだろう。やはりまず大学教育を変え るべきなのだ。それではどう変えるべきなのか、私の考えを述べていこうと思う。 16 第2節 教える側 大学教育で一番、問題なのがやはり企業が期待している教育とは異なる点に注力してし まっていることにあると考える。長年、企業が学生に求めている能力が「コミュニケーシ ョン能力」といったソフトのスキルである以上、これらの能力を伸ばす教育に力を入れな ければならない。そしてそういった教育にしていくには、前章で述べた「専攻決定」と授 業スタイル」を改善していくことから始まると私は考える。 まず「専攻決定」である。現在の学生は大学に入学する前に専攻の決定を迫られてしま っているのだが、入学前に自分の学びたいことが決まっている学生は多くはないだろう。 一番良いのは入学前に決まっていることであるが、現在の入試・推薦といった制度にメス を入れることは容易ではない。それでは一体どうすればいいのか。それは今よりも他学部 他学科の授業を履修しやすい環境に変えていくことだと考える。 現在は、学部学科の必修授業を履修し、そして学部内にある授業を履修している学生が ほとんどである。大学に入学して、そして学んでいるうちに所属している学部学科では学 べないような分野に興味が出てきても、その分野の授業はもちろんない。仮に他学部にそ の分野の授業があり、履修して単位を取得したとしても、その単位が卒業必要要件の単位 になることは非常に少ない。 このような状況では、興味のある分野を積極的に学ぶことは困難であると言わざるを得 ない。まず、他学部の授業の単位を取得したら卒業必要要件の単位に含まれるようにする べきである。むしろ他学部の授業を積極的に履修する学生が出てくるまでは、必ず他学部 の授業をいくつか履修しなくてはならないと、してもいいのかもしれない。つまり、何が 言いたいのかというと、大学は学部学科に強く縛られない教育を展開していく必要がある のだ。前述した私の言った方法にする必要があるわけではなく、そういった教育を展開す ることに意味があるのである。 入学する前に決めた学部学科に何の意味があるのだろうか。 入学した学部学科で学ばせておく方が大学側としては楽であろう。しかし所属している学 部学科に学びたい分野がなく、授業に出席する意義を見失い、学生のモチベーションが低 下することが一番、憂慮するべきなのではないだろうか。 そして次に「授業スタイル」である。現在の大学の授業はというと、真面目に授業を聞 いているのは前の方に座っている学生だけで、その他の学生はスマートフォンをいじった り、居眠りしたり、授業とは関係のないことをしているのがほとんどである。ではこのよ うな状況を打破するには一体どうすればいいのだろうか。 そもそも大学は、大教室で大人数が履修できる授業が多すぎるのではないだろうか。も ちろんそういった授業を失くすことは不可能であるが、ゼミ、語学以外の授業で少人数の 授業を履修する学生はどれほどいるだろうか。日本人の国民性から考えるに、大教室で大 人数がいる状況で質問したり、意見を述べることはなかなかできることではない。もっと 学生が少人数での授業を履修するような環境にしていかなくてはならない。そこでの授業 で自分の意見を述べ、他人の意見を聞き、それを理解しようとすることで「コミュニケー ション能力」を身に付けることができるようになるのだ。 もちろんこの 2 つのことを改善したからといって、問題が解決するものではないし、改 17 善しなければならない点はまだまだある。それでも私はこの 2 つを改善することがまず、 問題解決の足がかりになるのではないかと考えている。そしてこれは少数の大学がやるだ けでは意味がない。全ての大学が取り組むことで初めて、大学の教育は変わっていこうと していると企業側に思ってもらえ、取り組み続けることで企業から信頼される学生を育て ることができるのである。その結果、選考の際に企業が大学の成績も重要視するようにな り、学生も大学の授業に真面目に取り組むようになるといった「正のスパイラル」が生ま れるのである。 第3節 教わる側 だが、前節まで述べてきたことは学生の意識が変わらなければ何の効果もない。いくら 大学の教育を変えて、企業から信頼される学生を育てようとしても学生自身が「どうせ大 学に通っても就職活動にはあまり役には立たない」 「つまり単位さえ取れれば授業に出よう が出まいが、授業を理解しようがしまいが特に問題はない」という意識のままでは大学教 育を変える意味がない。もし、大学教育がここで述べてきたような方向に変わっていくの であれば、まずはそれを学生全体に知ってもらうことが大事である。方法としては大学だ けがアピールするのではなく、あらゆるメディアを使って学生に意識してもらわなければ ならない。 そしてその後は学生自身の問題である。今まで学生は、企業の都合などで就職活動に振 り回されてばっかりきた。しかしそういった状況を嘆いているだけでは、どうにもならな いところまできているとまず認識しなければならない。今回の就職活動の時期の変更のよ うに、学生を取り巻く環境が変わって、好転するのを期待するだけではだめなのだ。就職 活動を良いものにしていきたいのであれば学生自身が意識的に変わろうとしなくてはなら ない。そうすることで、企業、大学そして学生の三者の関係がうまく回り始め「正のスパ イラル」にはまっていくのだと私は考える。 18 おわりに 現在、就職活動の早期化・長期化が原因で起こっている問題が社会問題になっているこ とは言うまでもない。就活自殺がいい例である。就職活動を苦に自殺するなんて実際に就 職活動をしてみるまで想像もできなかった。しかし、いつまでも内定をもらえない友達を 見ているうちにそのような人達の気持ちが少なからず理解できた。一体、自分の何がダメ なのかも分からず、ただただ企業から落とされる、そんな状況が続いてしまえば自分には 存在価値などないという考えに至っても不思議ではない。そしてそれは学生が悪いのでは なく、企業が就職協定や倫理憲章を破り続けてきたことで就職活動が早期化・長期化して しまい、その結果として学生は常に振り回されてきた。そんな状況を変えるべく、今回の 研究に至った。 そして調べを進めているうちに、いくら就職活動の時期を後ろ倒しにしても何の解決策 にもならないことが分かった。解決するためにはまず大学教育の変革が必要であり、さら に学生の意識改革が必要なのではないかと考えた。大学の教育を「学部学科の垣根を越え て学ぶことができる場」にすること、 「少人数で取り組む授業を増やしコミュニケーション 能力を育てる場」にすることで企業からの信頼を得ることができる。そして大学教育が変 革したことを学生に知ってもらい、学生の意識改革をすることで日本の就職活動は「正の スパイラル」になっていくことができると考えた。 しかしこの考えで一番難しい点は、学生の意識改革をすることだろう。いかに説得性を 持たせて、大学教育が変革していると知ってもらうかが重要である。それでも学生の意識 改革がなければ就職活動が良い方向に向かっていくことはないだろう。そして現在の就職 活動というのは学生自身が変わっていかなければ好転していかない状況まできてしまって いるのである。そのことをまず学生に知ってもらいたい。この卒業論文が少しでもその手 助けになることを願って執筆を終えたいと思う。 19 参考文献 石渡嶺司・大沢仁著『就活のバカヤロー企業・大学・学生が演じる茶番劇』2008 年光文社 森岡孝二著『就職とは何か-まともな働き方の条件』2011 年岩波新書 辻太一朗著『就職革命』2010 年生活人新書 参考URL 経済産業省 http://www.meti.go.jp/ 1 月 3 日 厚生労働省 http://www.mhlw.go.jp/ 1 月 3 日 HR総合調査研究所 http://www.hrpro.co.jp/ 1 月 3 日 日本経済団体連合会 http://www.keidanren.or.jp/ 1 月 4 日 アメリカ大学教員の日記 http://grothendieck-jr.blogspot.jp/ 1 月 4 日 ベネッセ教育総合研究所 http://berd.benesse.jp/ 1 月 3 日 20 あとがき 今までの人生でここまで多くの文字を書くことはなかった。正直、難しいテーマを選ん でしまったなと何度も後悔したが、それでも書き上げることができて非常に嬉しく思う。 就職活動にはここで書いたこと以外にも様々な問題があって、どこに焦点を絞って話を 進めていくのかを考えたり、絞ったら絞ったで一体、問題の根底はどこにあるのかを突き 止めることに非常に苦労した。私が考えた解決策、とまで言えるかは分からないが、それ が実現されることは難しいかもしれないが、この論文が少しでも多くの人の目にとまれば 嬉しく思う。 そして卒業論文を書き終えたということは、ゼミがそろそろ終わってしまうということ でもあり、とても寂しく思う。それと同時に黒田先生に、色々な迷惑をかけてしまったこ とがよみがえってきた。それでも先生は優しく助言をしてくれ、そして見守ってくれた。 黒田先生のもとで学ぶことができて本当に良かったとしみじみ思っている。 3 年という短い間でしたが、指導して頂いて本当にありがとうございました。 21
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