朝の法話 第二十回 十一月十三日 全校の皆さん、おはようございます。 秋も深まり、アルプスの紅葉もピークを迎えていますね。また、朝 早くには吐く息の白さが分かるようになって、寒さを感じる季節にな ってきました。 さて、先日の報恩講はいかがでしたか。仏教の授業でも聞いている と思いますが、報恩講とは、親鸞聖人のお亡くなりになった日を機縁 として、親鸞聖人の教えを聞き、自分自身の生き方を問うという大切 な日です。 今年の報恩講の講師田口弘願先生は「幸福って何だろう」という題 でお話して下さいました。その中で先生がこんなことをおっしゃって いました。 「私の願いというのは自分の思い通りになることであり、そうなっ ている状態を幸せと感じます。反対に思い通りにならないと幸せでは ないと感じるのです。しかし、自分の願いが満たされれば本当に幸せ かというと、どうでしょう。昔の私は、生きるのが辛く、死んでしま いたい気持ちでいっぱいでした。そんなとき、あるお坊さんにたすけ を求めて話をすると、その方は私にこう言いました。 《私たちは自分の 思い通りにならないと幸せではないと思うけど、今ここに生きている こと、自分を受け止められない人は寂しいね》と。つまり、幸せでは ないと感じる原因は、すべて自分の思い通りにしたいという心、これ を仏教では執着といいますが、そこから離れられないところにあった のです。私たちは一人ひとりが他者とは違う人生を歩いています。そ の自分の人生を自分が精一杯尽くすことが、今日の題にあげた幸福と いうことに繋がると思います。今の自分を受け止めることができると、 自分に与えられた境遇にも頷ける世界が開かれてくると思うんです ね。」と、そんなお話でした。 自分中心の狭い見方しかできない私にも、私のことを見守ってくれ ているものがあり、私を生かしてくれるはたらきがあるのです。そう いう存在に自然と頭が下がったとき、「幸福って何だろう」という問い かけに応えられると思うのです。 これで朝の法話を終わります。
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