【震災当日】 ●窓から外を見ていると瞬く間に道路が水浸しに 震災当日、私は自宅にいました。実は震災に遭った前の年の 10 月にガンが発覚し、家で静 養しながら次の手術に備えていたときでした。ちょうど妻が出かけようとしていて、私は 妻の代わりに夕食用の切干大根やサバの味噌煮を作っていました。大きな揺れが来たのは、 ちょうど火を消した直後でした。自宅は団地の 4 階にあるのですが、階段を下りかけてい た妻はびっくりして戻って来ました。 突然の揺れにびっくりし、必死で本棚を押さえていたのを覚えています。しばらくすると、 突然地鳴りのような妙な音が聞こえてきました。窓の外を見ると、道路を泥水のようなも のが川のようになって流れているのが見えます。今度は、真下から轟音が響いてきました。 何事かと思っていると、まるで噴水のように地面から泥水が噴き出しています。見ている 間にあたりは水浸しとなり、駐車場の車はタイヤが半分ほど埋まった状態になっていまし た。 ●液状化で地盤が沈下 阪神・淡路大震災以降は埋め立て方法が変わり、海側は地震が発生することを踏まえ、し っかりと埋め立てられていました。それで海側はそれほどの被害を受けることはありませ んでしたが、逆に内陸側の阪神・淡路大震災以前に埋め立てた土地は液状化の被害が激し く、いたるところが陥没してしまいました。 私が住んでいるエリアの道路は 20~30cm くらいの地盤沈下です。建物も浮き上がった状 態となり、ひどいところは 70cm ほどの段差ができてしまいました。私の家の周囲は、45cm ぐらいの沈没だったでしょうか。 ●自治会の対策本部ができ、さまざまな通知を伝達 地震発生後、すぐに水、ガス、下水は使用禁止との連絡がきました。地震が発生したのは 午後の 2 時 45 分頃だったかと思いますが、4 時ぐらいにはすでに自治会で対策本部を立ち 上げ、さまざまな通知をしてくれていたと記憶しています。 発生後の対応に追われながらも、近くに住んでいる長女が気になりました。娘は仕事に出 ており、孫が保育園で娘の迎えを待っている状態のはずです。できれば早くに迎えに行っ てあげたいと思ったのですが、車を出そうにも出すことができませんでした。というのも、 団地の周囲の道路は、まるでプールのような状況になっていて、とてもではありませんが、 歩くことはもちろん、車を出せるような状況ではなかったのです。
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