「継続性を求めるプロジェクト・・・VTT」 その1 2680 地区 大島秀夫(神戸

「継続性を求めるプロジェクト・・・VTT」 その1
2680 地区 大島秀夫(神戸垂水)
殆んどの人がこのタイトルを見て「何じゃこれ」と思うに違いない。実はロ
ータリー用語で Vocational Training Team といい職業研修チームと訳す。
2 年前から GSE(研究グループ交換)に変えて VTT となった。今回ネパール
から 3 名の看護師と女性団長の計 4 名が来日し、兵庫県篠山市内の岡本病院で
昨年 11 月 15 日から 12 月 22 日まで 5 週間の看護研修を終えて帰国した。
さて、少しこの顚末について考えてみる。30 年近く前、私は個人奉仕でネパ
ールのアイキャンプに参加している時、参加していた眼科医が加西市民病院の
和田一医師の関係から、その病院の院長室を訪れ、本岡院長と会話を交わした。
本岡院長(北条 RC)は「もう年だし何か出来ることはないか」と聞いてこられ
た。そこで、人材育成、具体的には「ネパールから医師を来てもらい、研修し
てもらったら」と返答した。その後、AOCA の黒住医師と相談の結果、ネパー
ルの首都カトマンズの眼科病院(ボークレル院長)のランパさんが選ばれ、来
日した。宿舎は加古川の本岡院長宅、半年間 YMCA にて日本語研修を受け合計
2 年間研修を受けた。北条」RC が支援したのは申すまでもない。
今から 11 年前の橋本一豊ガバナーの時、オーストラリアと 2 名の大学生の短
期交換語学研修を行った。日本からは約 1 ヶ月語学研修をし、オーストラリア
からの学生は 3 週間ほど神戸東 RC の松下衛会員にお願いしてホテルでの接客
ジョブトレーニングを 4 年続けた。予算は地区の WCS 特別会計と地区親睦委員
会によるチャリティ・ゴルフの収益金でまかなった。
また、赤木文生ガバナーの時カンボジアで色々なプロジェクトを始めたが、
この時にカンボジアの首都プノンペンの義肢装具士の学校に勤務していた日本
人の佐々木さんがタイ北部のチェンマイの学校に転勤となり、彼から森田道太
郎(甲子園 RC)に連絡が入り、タイの義肢装具士 2 名を兵庫県の玉津リハビリ
テーションセンターで研修を受けさせてほしい、との申し出があった。私と森
田さんとでリハビリの所長に「かくかくしかじか」と説明し、申し入れると気
持ちよく引き受けていただいた。但し、食事や宿舎はなしと。そこで考えたの
が伊藤明彦さん(明石南 RC)のご自宅。伊藤さんの家は4~5名が泊まれるよう
にしてあり、しかも 1 階にはキッチンとテーブルがあり自炊が可能。
伊藤さんはロータリークラブに入会する前には PHD の東南アジアからの人た
ちを宿泊させていたらしい。このパイロットプログラムはもちろん WCS 特別会
計。特に 4 回目の 2 人は女性で技術職ではなく管理部門の優秀な 2 人。この方
らは現在チェンマイを中心に診療所を数多く設置している。2 年前に森田道太郎
氏「超我の奉仕賞」をわが地区内で 5 番目に受賞したが、主なる業績はこのパ
イロットプログラムを成功させたからだと思う。このレポートの中で私のこと
に触れていただいたのが嬉しかった。
さて、本論に入るが、ネパールで奥様の史子様と 18 年間も結核やマラリアが
蔓延する無医村で、医療奉仕活動を続けられた結果、岩村昇医師は 1981 年に国
際ロータリーより第 1 回国際理解賞を受賞された。また、岩村昇医師がわが地
区の三木市に在住されていたので、この岩村先生を顕彰するために、ネパール
のバクタプルというところに 2001 年に岩村記念病院を建立した。
この病院の看護師らが、このたび篠山の岡本病院へ何故来たのか。どちらか
と言えば田舎の病院へ。これには約 50 年前に遡るロマンチックドラマがある。
つづく
(2015 年1月 21 日)