・安倍川 ・富士川 ・富士山 三島 吉原 興津 江尻 府中(静岡) ・天竜川 藤枝 島田 大井川・ 金谷 掛川 浜松 【東海道】 言わずと知れた日本一の街道である。 江戸の日本橋から出発し、品川、川崎、神奈川、 戸塚、藤沢、大磯、小田原などを経由し、 箱根の山越えとこの地で関所を通過することになる。 関所を越えた東海道はさらに、静岡、名古屋を通り、京へと至る。 街道の旅は、歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』や 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』などでも有名だ。 江戸時代の主要街道としての役割だけでなく、 戦後高度経済成長期の産業育成地域 「太平洋ベルト地帯」としても重要な役割を果たした。 身の部分がうまい。東海道・駿州、 遠州の旅。 に 言 う と、 「しょうもないおじさん かの有名な滑稽本『東海道中膝栗 毛』 ( 十 返 舎 一 九 ) の 内 容 は、 簡 単 洋モノのデニス・ホッパー&ピー ターフォンダと和モノの弥次さん& で行こう!」だった。 テーマは、二段ぐらいゆるい「滑稽 いい具合に旅の「コクやうまみ」に どちらも「ダメ」なことに変わり は な い。 だ が、 こ の「 ダ メ さ 」 が、 第三十四回 ふたりの珍道中」である。同じく一 喜多さんを比べてもしょうもない の東海道「イージーウォーカー」の 種の「珍道中モノ」であったアメリ が、若者とおじさんの違いこそあれ、 歳。妻も 50 い、昔の道中モノなんぞはそれほど 人の詰め込み式パックツアーとは違 などを次々と連想する。だが、現代 旅というと人は、「名物料理」「出 会い」「温泉などの楽しみ」「事件」 情なのである。 そんな旅が、もともとよく似合う風 気 楽 で、 そ し て た ま に ワ イ ル ド 」、 州・ 遠 州 部 」 は、「 放 蕩 で 滑 稽 で お が、話の要点は、長い東海道の「駿 何やらダメな己のことをなぞって いるようで居心地の悪さを感じる 決意する。 い く か 」 と、 旅 に 出 る こ と を 「ちょっくらお伊勢参りにでも ら ぬ 身 の 上 に 飽 き 果 て、 (死んで)いなくなり、つま 弥次さんは当時 な ど、 教 養 の 高 い 人 物 だ。 暁 し、 狂 歌 や 漢 詩 も 嗜 む 演奏し、古今の書籍に通 弥 次 郎 兵 衛 は、 楽 器 を 放蕩による借金で、地元・駿河の 国(静岡)から江戸へと逃げ出した 富士の山ほどあるゆへに 「 借 金よは に そこで夜迯げを駿河ものかな」。 なっている。 カン・ニューシネマの名作『イージー その共通点は「無謀な行い」である。 取材協力・自然菓工房・あずき庵 ライダー』のテーマが「ワイルドで (愛知県豊田市) 行こう!」であったのに対して、こ おおたゆうこ 太田優子さん 豊田市で出会った今回の美女。 年、 「そんな立派な肩書では名乗れないんです」 と謙遜するが、彼女はこの世界に入って 仏像巡りが趣味で、創作のヒントと息抜きに 少しづつだが立派に生計を立てている。 趣味が講じ、今では酒器や茶碗などの生活関連の器を作り、 始めたきっかけは公共のスクールだったが、 窯を持って9年になるれっきとした陶芸家さんである。 22 「滑稽で行こう!」の弥次さん喜多さん Squid Squid Photo 写真 駿河 遠江 京都や奈良を訪れているそうだ。 ぬ「 膝 栗 毛 」 (馬に例えた自分の脚 今 回、 改 め て『 東 海 道 中 膝 栗 毛 』 を読んでみたが、彼らはバイクなら がもたない。 たないし、始終贅沢してたんじゃ金 なし事件が起きていたんじゃ身はも たいしたことは起きない。のべつ幕 ンだったように記憶している。 が旅のコクを引き出す、そんな名シー 印象的なシーンがあった。思わぬ言葉 せ た 後、 相 方( ピ ー タ ー・ フ ォ ン ダ ) 者 言 葉 で ) 答 え、 地 元 民 を ポ カ ン と さ だ?」 と 訊 か れ、「 LA 」 と( 当 時 の 若 が、 地 元 の 人 間 に「 ど こ か ら 来 た ん て ) の よ う に、 「言葉遊び」で笑っ て」 (保土ヶ谷で女郎を取っ捕まえ く 間 も な く、 「程谷ととめ女戸塚前 の方言にいちいち関心を示し、息つ 「 愚 か な る も の を 駿 遠 に て ひ や う たくれといふ」など、その土地土地 も準備もせずクルマに飛び乗り、そ もしかすると、関東に住む「元若 者」には、夜中に急に思いたち、何 東海道を走った。 経由地・名古屋を目指し、引き続き 東京・日本橋をスタートし、箱根 で 一 段 落 し( 前 号・ 箱 根 編 )、 次 の が「 ロ サ ン ゼ ル ス 」 と 言 い 直 す と い う の こ と ) に 乗 り な が ら、 ふ た り で て み せ る。 現 代 の「 ス マ ホ ピ ッ ピ 」 のまま東名高速で京都や大阪へ向っ ずーっと「だべって」いるのである。 と比べるべくもないが、かように昔 た思い出のひとつやふたつはあるの そ の 途 上、 我 々 は ふ と 思 い 直 し、 軽く後悔したはずだ。 かもしれない。 の旅は口頭遊戯。アナログ感満載の 「青春おしゃべり旅」なのである。 を通り)ニューオリンズの そういえば、海の向こうの『イージー ラ イ ダ ー』 で も、 ロ サ ン ゼ ル ス か ら (ルート わたしは、この店(中村屋)を作 家・阿佐田哲也氏のエッセイのなか 湖のうなぎ。さすが東海道。現代の 焼津の練り物(黒はんぺん)に浜名 「 静 岡、 長 え。 い っ た い ど こ ま で 続くんだ」。 旅の発端なんてものは適当でい い。旅の醍醐味は発端ではなく、む で見つけた。駿府に古くからある店 見にいき、蒲原、由比、清水を経過、 富士山の絶景を楽しみながら三島 を通り、沼津、富士、三保の松原を い。この地ならではの逸品だ。 帰った昭和の折り詰め的素朴さがい らしい。自分の父親たちが時折持ち 後、こぞって出かけていた店だった たいつか戻りたい「心の旅路」だ。 大動脈をひた走った。もちろん、そ やんちゃな若者は「青春のおしゃ べり」を求め、あてもなくその国の 続く。 にのっているスタイルである。 た鶏そぼろと炒り玉子がごはんの上 タイプではなく、甘辛く味付けされ 丼は変わり種で、鶏肉を卵でとじる 市内の中心地に行く途中、一軒の 親子丼専門店に入った。ここの親子 静岡は大きい。これから大井川 旅のコクを感じている。 もなくワイルドでもなく、食い物で おしゃべりすることがなく、滑稽で ようと思う。さすがにひとり旅だと いつまでも包み込んでくれている。 んたちを温かい飯と大きな包容力で と繁栄を支えてきた大街道。おじさ のための旅。さすがニッポンの歴史 そして、もうひとつ用意されてい る「身の上に飽き果てた」おじさん (写真上)三保の松原は、富士山 からの距離の問題で当初は除外 されていたが、「景観を楽しむ最 適の地」として富士山の世界遺 産構成要素に逆転認定された。 (写真中)静岡市中心部にある風 情ある「おでん街」。黒いつゆ、 竹串、だし粉が特長の静岡おで んは、近年観光の目玉に。(写真 下)島田市にある「大井川川越 遺跡」で当時の苦労を感じる。 を越え遠州に入り、焼津、島田、 んな旅は甘酸っぱく懐かしいし、ま 静岡へとたどり着いた。 少し食べ過ぎたか。夜は「静岡お でん」で有名な横丁に顔を出してみ 掛 川、 磐 田、 そ し て、 浜 松 と 続 く。 しろ、 その「長えな」と感じる「身」 で、静岡を訪れた作家たちが酒宴の 「 食 の ロ ー ド ム ー ビ ー」 は ま だ ま だ ニッポンが誇る富士山は、東海道を行き来した数多の旅人を眺め続けてきた。 の部分にある。 片田舎に流れ着いてきた主人公たち 10
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