報告のレジュメ(PDF

2015/1/26
革命とメディア――チュニジアとエジプトの事例から――
千葉悠志
日本学術振興会特別研究員(PD)
東京大学大学院人文社会系研究科
0.はじめに
・ これまでの研究

『現代アラブ・メディア――越境するラジオから衛星放送へ』(ナカニシヤ出版、2014 年 12
月)――2013 年 3 月提出の博士論文をまとめたもの
・ 今回の報告

「アラブ諸国における権威主義的体制を支えたメディアの考察」『国際政治』(178 号、
2014 年)の内容を踏まえながら、今後の方向性示すかたちで、チュニジアとエジプトのメ
ディアを比較

とはいえ、規模も歴史的背景も異なるメディアを単純に比較はできないか…

今後それぞれの状況を分けて、より詳しく論じる(=論文にする)予定
・ 革命とメディアをめぐる先行研究

「アラブの春」におけるメディアへの注目度の高さ
⇔ 日本語で書かれた出版物の少なさ。


[山本 2014]: ソーシャルメディア中心

[保坂 2014]: インターネット中心、ネットの影響力に対する慎重な見方

その他(…)
個人的にも、これまでおこなわれてきた中東とメディアに関する一連の議論をまとめ
てみたいという気持ち

ただし、欧米語、アラビア語で書かれたメディアと革命関連の論文の多さは異常。先
行研究のサーヴェイをもう少し詳しくする必要あり
・ 用語の設定
【メディア】 ラジオ、テレビ、インターネットなどの「媒体」(medium/media)の意味で用いるとともに、ジ
ャーナリストや放送局などの「媒体」に関わる職業人や組織を含めた広い意味で用いる
【革命】
基本的には 2011 年に生じたアラブ 4 か国での政変の意味するものとする
1
1.理論・方法論――中東のメディアと政治をめぐる先行研究
1.1. 中東の政治とメディアをめぐる分析視点の変化
・ 基本的に、中東の政治とメディアをめぐる政治コミュニケーション研究の多くは、
中東政治研究の理論的潮流と一致
(1) 民主化への影響、公共空間の形成に関する議論
・ 民主化研究、公共空間の形成に関する研究
・ メディアの論じられ方: 新たなメディアは中東のグラスノスチとなりうるか?

肯定的/期待的観測: メディアの発達が民主主義を促す可能性に着目

アル・ジャジーラのような革新的な放送局の登場・台頭
(2)権威主義(的)体制の持続/頑強制に関する議論
・
焦点の移動:中東ではなぜ権威主義体制が持続するのか?
・ 権威主義の持続(stability)/頑強性(robustness)/改良(upgrading)/弾力性(resilience)
・ メディアの論じられ方: 新たなメディアはなぜ中東に民主化をもたらさないのか?

悲観論/逆機能論: ガス抜きとしてのメディア、疑似環境論
(3)近年のトレンド?
・
各国で採られた自由主義的政策は、権威主義の持続を目的とし、そして実際に持続を可能に
した側面もある。しかし、一連の政策は社会や政治社会関係にも影響を与え、変化の要因とも
なった。国家の動きとともに社会や人々の変化にも目を向ける必要がある[Bayat 2007; 2009]
・ メディアの論じられ方

慎重論: メディアの変化は政治社会構造の重要な変化を引き起こしつつあるが、それが
民主化に結び付くものかどうかは他の要因や状況に左右される

慎重論(やや肯定的): 「権威主義的改良」の議論の有効性を認めながらも、従来まで
のタブーなトピックが議論される機会や、人々の声を運びうるような変化が水面下で生じ
ており、そして新たなメディア状況が従来の国民統合や均質性への挑戦となっていた
[Haugbølle and Cavantora 2012]
(4)「アラブの春」とメディア研究(もう少し先行研究の洗い直しが必要)
・ とりわけ SNS に注目が集まる

「メディアと近代化論」の焼き直し、楽観論的、技術決定論的(な研究も多い)
・ SNS と政治的動員の関係・メカニズムについて

ただし、一連の「仮説」を証明するのに十分な統計資料が不足

「楽観論」から再び「慎重論」(あるは「肯定的な慎重論」)へ

ただし、多くの研究が「効果」に(ばかり)焦点をあてる傾向
2
(5)メディア研究からのアプローチ――「媒体」分析の意義
・ 「効果」から「媒体」への焦点の移動
・ 政治コミュニケーション研究の展開(1980 年代以降~)

「行動主義的コミュニケーション研究」からの脱却

ポスト・マルクス主義の影響を受けて 3 つの潮流


政治経済学的アプローチ

構造主義的アプローチ

文化研究的アプローチ
いずれも、一部のサンプルに基づくメディアの「効果」を論じるよりも、メディアと政治経済
や社会構造との動態に目を向けるようになった

メディア(媒体)自体の変化を長期的な観点から論じることを通じて、当該社会の政治社
会構造の変化を読み解く・・・メディア論的転回?
・ 少なくとも、2011 年~2012 年にかけての「革命」を経た諸国では、その後に一連のメディア改
革が生じ、それは他の政治改革に先駆けておこなわれることになったがゆえに、メディアは「革
命」後の各国政治を読み解くうえでの里程標となりうる。
⇒ 本報告では、「革命」を前後としたチュニジアとエジプトのメディアを具体的に分析する
1.2. 政治体制/政治変動とメディアをめぐる先行研究(←まだサーベイできておらず)
(1) 政治体制とメディア・システム
・ 政治体制とメディア・システムには密接な相関があると考えられてきた

早くは、シュラムらによる『プレスに関する四理論』

[カラン・朴 2003]における分類等

多くの国はメディアをめぐるリベラル理論と批判的政治経済学理論のあいだにある

途上国のメディアは「移行期」の状況
(2) 政治変動とメディアをめぐる研究
・ たくさんある

まだ十分に調べきれていない

旧共産圏の事例(C. Sparks による一連の研究)

ラテンアメリカの事例
(課題)
・ 先行研究をまだ十分に読み込めていない。先行研究の整理が必要
・ ただし、世界的に見ても「革命」を前後としたアラブ・メディアを比較を意識しつつ、理論を踏まえ
ながら論じた研究は(今のところ)世界的にも不足している。
3
2.独立から「革命」までのメディアの比較
チュニジアのメディア
エジプトのメディア
(1) 近代的なメディアの導入
(1) 近代的なメディアの導入
・ 独立
: 1956 年
・ 独立: 1922 年(実質的には 52 年)
・ ブルギバ就任
: 1957 年
・ 1952 年革命
: 1952 年
・ テレビ放送の開始 : 1966 年
・ テレビ放送の開始 : 1960 年
・ 国営通信社の設置 : 1961 年
・ 国営通信社の設置 : 1956 年
・ ブルギバ時代(1957 年~1987 年)に、現
・ ナセル時代(1956 年~1970 年)に、現在
在まで続くトップダウン式の情報統制の基
まで続くトップダウン式の情報統制の基礎
礎が築かれる
が築かれる
1950 年代から 60 年代にかけての「近代化論」(ex. ロストウ、シュラム、
ラーナー等)が、開発独裁を理論的に支えるのに貢献した側面も。「近代化
論的メディア研究」では、メディアは「自由な情報」「人々のメディア」と
いうよりも、むしろ「開発に必要な道具」という位置づけ
(2)1980 年代以降の変化
(2)1970 年代以降の変化
・ 1987 年のベン・アリー(在位 1987-2011)の
・ サーダート(在位 1970-1981)、ムバーラク
時代に、抑圧的なメディア法の制定・改
(在位 1981-2011)の時代に、漸進的にプ
正がおこなわれる
リント・メディアの自由化が進む
・ ベン・アリーとその妻ライラ・トラビルースィ
・ ただし、メディアの国家独占が緩むととも
ー(トラベルシ)一族によるメディアの私物
に、抑圧的なメディア法によって、メディア
化が進む。トップダウン式の統制という意
の統制をおこなうようになる
味では、以前とさして変わらず
1970 年代以降、「近代化論」に変わって「従属論」
「文化帝国主義論」の提
起した問題が大きな議論となる。南北間の経済格差・情報格差を問題視して、
「新たな国際経済秩序」や「新たな国際情報秩序」の議論が UNESCO や国
連などで盛り上がる。焦点は、国家の介入を認めるかどうか。こうした議論
が、政府による情報統制、国家介入の隠れ蓑・言い訳になった側面も存在。
さらに、情報共有を掲げた共同通信社・通信組織を担ったのは情報相などで
あり、一連の動きが国家の情報分野への権限拡大をもたらした側面もある。
4
(3)1990 年代以降の変化
(3)1990 年代以降の変化
・ 衛星放送の登場
・ 衛星放送の登場
- 国営チュニジア・テレビ協会
⁻ 国営エジプト・ラジオテレビ連合
‣ 地上波 Ch.7 と Ch.21 の再送
‣ 1990 年開始の ESC、ほか多数
・ 2003 年:民間の放送メディアの活動が許可
・ 2000 年:民間放送の国内における活動
される。ただしテレビでは政治の話題はタブ
が許可される。多くの民間放送局・新
ー。テレビは娯楽放送の2局。
聞社が登場する。
- Hannival TV(2005 年)
- Dream TV(2001 年)
⁻ Nessma TV (2007 年)
- Mihwar TV(2002 年)
⇒表面的な自由化・民営化の進展
⁻ その他多数
⇒実際には、「私物化」の進展
⇒実質的な自由化・民営化の進展
(資料 1 を参照)
・ 革命が生じた国のなかでは、リビアと似てい
・ 経済や情報の自由化を進めることで得ら
る。ただし、形式的であれメディアの民営化
れるメリットを享受しつつ、政治的脅威をで
が生じ、メディア間の競争も生じたことで、従
きるだけ軽減しようとした
来と比べてメディアに多様な声が反映される
⇒メディア産業の巨大化
・ インターネットと携帯電話の登場普及
・ インターネットの登場・普及
携帯とインタ
携帯電話
携帯電話
衛星放送
100 人あたり
衛星放送
の値、衛星放
インターネット
インターネット
ーネットは
送は 100 世帯
あたりの値
(4)ほころび――統制の限界
(4)ほころび――統制の限界
1990 年代以降の衛星放送、2000 年代以降のインターネットと携帯電話の登場・普及に
よって、アラブ諸国には著しい政治環境、情報環境の著しい変化が生じた。「アラブの
春」は従来の情報統制のあり方が限界に達し、政府系のメディアに変わるオルタナティ
ブ・メディアが大きな意味を持ち始めたさなかに生じた出来事であった
・ チュニジアやエジプトのメディアに限らず、アラブ諸国のメディアの発達は共通性あり。両国の
メディアの違いとしては、メディアの自由化・民営化が形式的なものであったか実質的なもので
あった、また規模の違い(資料2と資料5を比較)などが挙げられようか。
5
3.「革命」後のメディアの比較
チュニジアのメディア
エジプトのメディア
(1)メディアをめぐる諸改革
(1)メディアをめぐる諸改革
・ 組織・制度改革
・ 組織・制度改革
‐ 情報省の廃止(2011 年 2 月)
‐情報省の廃止(2011 年 2 月-7 月)
‐ 「情報コミュニケーション改革のための
国家機関」(INRIC)の設置(2011 年 2 月)
‐ 「革命の目的達成・政治改革・民主的
・ 国営・民間メディアでの人事交代
移行のための高等委員会」(HC、2011 年
- 情報大臣 Anas al-Fiqī の逮捕
3 月~10 月)内部の「専門委員会」による
- 国営放送の
メディア改革の推進
・ 国営・民間メディアでの人事交代
・ ジャーナリズム意識の高揚
‐ジャーナリストらの組織改革
‐アマチュア・ジャーナリストの活躍
‐オンライン・ジャーナリズムの発達
・ 新たなメディアの急増
⁻ 政治的トピックの解禁
⁻ 民間局の急増: 2 局→10 局
(資料3を参照)
・ インターネットの自由化
⁻ 遮断されるウェブサイトの激減
(検閲されていないかどうかは不明)
‐ フェイスブック・カフェ(写真3)の登場
などは象徴的
6
(2) 変化の政治的インプリケーション
(2) 変化の政治的インプリケーション
・ メディアの自由を求める諸改革は順風満
・ 当初よりメディアの自由を求める諸改革は
帆とはいえない。しかし、ジャーナリズム意
困難に直面していたが、その後はさらに困
識の高揚、市井のジャーナリストの台頭、
難な状況に。しかし、ジャーナリズム意識
民間メディアの急増の意味は大きい
の高揚、市井のジャーナリストの台頭、民
間メディアの急増などはチュニジアと共通
した変化
権威主義体制、あるいは権威主義的な性格を温存した体制のもとでの非国営メディ
アの役割の拡大は、権力の構造を掘り崩す可能性が再三再四指摘されてきた。ゆえ
に「革命」後の両国のメディアの変化は、将来的に政治権力へのチェック・アンド・
バランス機能を果たし、一層の政治的民主化の実現に向けての足掛かりになるとも
考えられる。しかし、…
(3) メディア改革は成功したか?
(3) メディア改革は成功したか?
・ ときに懸念が表明されながらも、チュニジ
・ 情報相が廃止から半年後に再開され、肥
アにおけるメディアの自由は「革命」以前と
大化した国営メディアの改革も進まず、さ
比べて飛躍的に改善したと考えられてい
らにジャーナリストの逮捕や公然も「革命」
る。また、組織改革もエジプトと比べた場
以前にもましておこなわれている。新憲法
合、ある程度順調に進んだとの評価されて
が国民の「圧倒的多数」の賛成によって承
いる。2014 年 1 月には民主的な手続きを
認されたが、チュニジアの憲法と読み比べ
経て新憲法が承認され、メディアの自由が
てみると、エジプトのメディアはより政治介
明文化されるなど、メディア改革は一定の
入を受けやすい状況におかれているよう
成功をおさめたと言えよう。
に見える[千葉 2014]。
「国境なき記者団」
による Press Freedom Index での比較(ただし値は恣意的?)
200
150
100
チュニジア
エジプト
50
日本
0
2002 03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
→ それでは、こうしたチュニジアやエジプトにおけるメディア改革の違いは、なぜ生じたのか?
7
4.なぜ違いが生じたのか?
・ そもそもメディアを規定するものは何か?

リースとシューメーカ
ーは、メディアの内容に影響
を与える要因を左図のような
構造として指摘。(ただし論
者により、モデルは異なる。こ
こではあくまで一例として。)
【 出 典 】 [ Shoemaker and
Reese 1996: 64; 大石 2005:
91]
・ 社会システムのイデオロギーのレベル
・ マス・メディア組織外のレベル
・・・・・ 政治経済的状況など
・ マス・メディア組織のレベル
・ マス・メディアの日常業務のレベル
一般に「メディア」として括られる範疇
・ ジャーナリスト個人のレベル
チュニジア
エジプト
(1) 個々のジャーナリストの問題
(1) 個々のジャーナリストの問題
・
権威主義的体制下で培われてきた「上意下達」の(精神)構造
・ 「革命」後も政府や特定の政党のプロパガンダになり下がる傾向
・
欧米の放送機関や人権団体等によるジャーナリストの育成・訓練
- 法的問題、治安問題
- 長期にわたって獲得されたメンタリティ払拭の困難さ
(2) メディアの日常業務/組織の問題
(2) メディアの日常業務/組織の問題
・ 国営: チャンネル名の変更
・ 国営:過剰な人員削除は進まず。
組織改革、情報省の廃止
情報省の再開
・ 民間: ベン・アリー一族の排除、つながり
・ 民間:さほど進まず。すでに政府との結託も
の強い人物の排除
国営のみならず民間メディアは政府と結びつきやすい傾向…利権の維持
8
(例)
(例)
・ Karoui brothers
・ Dream TVのAhmad Bahjat
・ Nessma TV の Nabil Karoui
・ al-Mihwar TV の Hasan Rātib
- 世俗派リベラル
・ al-Hayāt TV の Sa‘īd al-Badawī
・ ON TV の Najīb Sāwīris
⇒ただし、エジプトと比べて、「革命」前のメ
⇒チュニジアと比べて、国営・民間ともに巨
ディア産業の規模が小さかったことは、「革
大。「革命」後におこなわれた組織改革は
命」後に肯定的に働いた側面があると考え
ほとんど手つかずか、十分とは程遠い状
られる。
況にある
(3) メディア組織外の問題――政治経済状況
(3) メディア組織外の問題――政治経済状況
・ 2011 年 1 月~:暫定政権期
・ 2011 年 2 月~:暫定政権期
‐ 多くのメディアの登場
‐ 多くのメディアの登場
‐ 言論の活発化
‐ 言論が活発化
・ 2011 年 10 月~:議会選挙・ナハダ党が第
・ 2011 年 12 月/2012 年 1 月~:議会選挙・
一党、12 月にマルズーキー大統領就任
自由公正党が第一党となる
‐ 連立政権による国家運営
・ 2012 年 5 月/6 月~:大統領選とムルシー
‐ エジプトと違い「独裁」の抑止力となる?
大統領の当選
‐ メディアの自由に向けた法案の提出
- メディアに対する抑圧が強く
【法令 115 号】出版物に関する法令
‐ ただし、同胞団批判のメディアの存在
【法令 116 号】視聴覚メディア 〃
・ 2013 年 6 月/7 月~:政変と軍政への回帰
・ 2014 年 1 月~:新憲法が制定(国民投票の
・ 2014 年 1 月~:新憲法が国民により承認
必要なし)
・ 2014 年 5 月/6 月~:大統領選・シーシー
・ 2014 年 12 月/: 大統領選とカーイド・セ
の当選
ブシー大統領の就任
- メディアの閉鎖、ジャーナリストへの逮捕
‐ メディアの自由の悪化はみられない?
- ムルシ時代よりメディアの自由が悪化?
(4) 社会システムのイデオロギーの問題
(4) 社会システムのイデオロギーの問題
メディアの変化は社会のあり方と密接に関係。急速な変化に対しては反発。
・ 「革命」後に預言者の裸体イラストを投稿し
・ アル・ジャジーラへの抗議デモ、政府による
た人物が裁判にかけられ投獄(2012 年 4 月)
アル・ジャジーラ支局閉鎖への人々の支持
・ 映画「ペルセポリス」事件(2011 年 11 月)
→ メディア自体が辿る経路依存と外部的要因。以上、おおまかな比較ではるが、チュニジアに
比べてエジプトのメディアは、重すぎた過去の遺産と、二転三転する政治状況によって、「革命」
が生じても「メディアの自由」「表現の自由」が達成されにくかったと考えられる
9
5.規制なきメディアがもたらしうる問題
・ メディアの自由、言論の自由が十分に達成されたとは言い難い状況が続く。一方で、メディアの
急増や明確な基準をもったメディア規制法が不十分な状況によって生じつつある(ように見える)
問題についても指摘したい
・ 情報統制が敷かれメディアが限られていた時代

市民の声を運ぶ媒体の欠如

共通のメディア体験の存在

思想や信条を超えて会話の契機が存在
・ 民間メディアの急増、オルタナティブ・メディアの登場

「公共性」とは何かという問題

公共的意識を欠いたメディアの増加


特定の主義主張に基づく報道

国内の政治対立・亀裂の助長
メディアの自由・言論の自由を求める声と同時に、メディアに対する適切な規制を求める
声が、研究者や人権団体などからも聞かれるようになっている
・ インターネットは問題の解決になりうるか?

選択の自由を認めるようなメディアのあり方は、意見の「集団分極化」を生みがちである
[サンスティーン 2003]

・
対話の欠如に一層拍車をかけている側面
いくつかの事例
チュニジア
エジプト(調査中)
(1)映画「ペルセポリス」事件
・ 2011 年 10 月 7 日(選挙の約 20 日前)にネ
スマTVがイラン革命後の社会を描いたフラ
ンスのアニメーション映画「ペルセポリス」を
放送
・ 放送直後にデモ、同月 17 日には会長宅へ
の「イスラーム主義者ら」による襲撃事件
・ 単なる「筆禍」事件ではなく、ウルトラ・リベ
ラルとも言われるネスマ TV が仕掛けた事件
10
(2)野党党首シュクリー・ベライードの暗殺とそ
の後のメディアの動き
2013 年 7 月以降
・ 国内の対立を煽るとして、同胞団系のチャ
・ 2013 年 2 月 6 日、野党党首ベライードの暗
ンネルやアルジャジーラ・ライブ・エジプトな
殺事件が発生。直後、リベラル派がナハダ
どに閉鎖命令が下る( Misr25 →Ahrār25,
党の責任を追及してデモを実施。一方、ナ
al-Yarmūk, al-Quds, al-Jazīra Mubāshir
ハダ党支持者も対抗デモ(写真4と5))
Misr)
・ テレビ上の反応
・ 他国(ヨルダン、トルコなど)に拠点を置いて
‐ 民間系メディアはリベラル派、イスラーム
報道
派の主張をそれぞれ反映
- 統制の難しさ
・ インターネット上の反応
・ 同胞団系: Ahrār25, al-Yarmūk, al-Sharq,
‐ 例えばリベラル派が立ち上げたサイト
「我々はすべてシュクリー・ベライード」に
al-Rābi’a, al-Hafīz(サラフィー系?)
⇒特定の主義主張に基づく報道
は、「ナハダ党支持者にはこのページに立
ち入り禁止」と書かれている(写真6)
⇒ インターネット上のサイトが、「意見交流」の
場としてではなく、同様の主義主張を持つ
者たちの空間として立ち現われている
⇒ 対話なきメディア
(3)それ以外については調査中
・ メディアの発達の潜在的な危険性

インターネットの浸透は「公」の意識を掘り崩し、民主主義の根幹を揺るがす意見性をも
孕んでいる[サンスティーン 2005; パリサー2012]

ただし、上述の議論は何もインターネットにのみ当てはまるものではない

メディアの発達…メディア自身の機能細分化…文化の細分化 [佐藤 1998]
6.おわりに
・ 1990 年代以降のアラブ諸国におけるメディアの自由化の進展(実質的か形式的化の違いあり)
・ ともに「革命」後には、メディア改革は諸改革に先駆けるかのようにおこなわれた
・ 新たなメディアの政治的意味
- ジャーナリズム意識の覚醒、民間メディアの急増、非国営メディア部門の拡大は、今後権力へ
のチェック・アンド・バランス機能を果たし、各国に政治的民主主義をもたらすうえでの足掛か
りになる可能性もある
・ チュニジアと比べた場合、エジプトのメディア状況は好転せず: 経路依存性と政治的要因
- 楽観的な変化を望むことは難しい
・ さらに「革命」後にはメディアの自由化が生じたことで新たな問題も生じつつあるかに見える
11
- 新たに登場したメディア状況が、特定の政党や個人のプロパガンダとして働くことによって、
国内の政治対立が煽られる可能性もある。とくに公共性を欠いたメディアの急増が「公」の意
識を掘り崩し、民主主義の根幹をも揺るがす危険性を孕みうることを認識する必要がある
・
「政治研究ですでに言われていることをただ繰り返しただけ」か?
⇔ 政治研究が示してきたことを、メディア研究の観点からも支持するものとなりうる?
5.今後の予定
・ どうにか本のかたちに…

『革命とメディア――副題未定――』(2017 年度中に出版できるか…)

今後の(具体的な)予定

序章

第 1 章: 理論・方法論

第 2 章: チュニジア

第 3 章: エジプト
2015 年度末までに 4 本の論

第 4 章: リビア
文として仕上げられるか…

第 5 章: イエメン

終章
2016 年度中
に仕上げる
そのために…
・ 理論・方法論をめぐる先行研究・文献を見直す、とりあえず調べて書く
参考文献
「アラブ諸国における権威主義的体制を支えたメディアの考察」『国際政治』(178 号、2014 年)に
用いた文献・資料、および以下の文献を参照。
佐藤卓己『現代メディア史』岩波書店、1998 年
千葉悠志「エジプト」NHK 放送文化研究所『NHK データブック世界の放送 2015』NHK 出版、近刊
保坂修司『サイバーイスラーム――越境する公共圏』山川出版社、2014
山本達也『革命と争乱のエジプト――ソーシャルメディアとピークオイルの政治学』慶應義塾大学
出版会、2014 年
Bayat, Asef. 2007. Making Islam Democratic. Stanford: Stanford University Press.
―――. 2009. Life as Politics: How Ordinary People Change in the Middle East. Stanford: Stanford
University Press.
Haugbølle, Rikke Hostrup and Drancesco Cavantora. 2012, “‘Vive la Grande Famille des Média
Tunisiens’ Media Reform, Authoritarian Resilience and Societal Reponses in Tunisia,” in The
Journal of North African Studies, 14, 2011, pp. 97-112.
12