研究部会<災害と科学技術-管理、制度、政策の視点から> 阪神・淡路大震災の復興事業の神戸市の政策決定の評価 -2段階都市計画の採用の意義- 中山久憲(神戸学院大学) [email protected] 大災害が発生した被災現地では、国民の生命と財産を守るために、考えうる政策が実施される。 その根拠は、災害対策基本法や災害援助法を基本として、政府各省が所管する災害復興のための 法、政令、省令や、細則に基づく。当然その時代の社会や災害に応じた内容になっていることが 望ましく、必要であれば速やかに改正しなければならない。 1995 年に阪神・淡路大震災が発生した。人口 150 万人の大都市神戸の発展を支えてきた市街地 が、震度 7 の激震で壊滅した。被災の特徴は、住宅が老朽化し、道路や公園の都市基盤が脆弱な 密集市街地に被害が集中したことであった。神戸市では、さらに火災が発生し、地震で消防水利 が破壊されたため、周辺都市からの消防自動車の緊急応援があったが、消火活動はほとんどでき ず、延焼が続いた。通常時の 5 年間平均の 104 倍に相当する 82 万㎡の延べ床面積が消失した。 大規模に被災した市街地の復興で、道路やライフラインの管理者による復興と住宅は個人で復 興する従来型の手法では、密集市街地を再生する。安全で安心して暮らせるために、都市基盤を 拡充しながら住宅の復興を進める「創造的復興」が求められた。そのために、土地区画整理事業 や再開発事業の都市計画事業による復興が最適である方針を、震災から2週間で国と県や被災自 治体で決定した。それには、都市計画法による決定手続きが必要となった。 そのための課題の第 1 は、計画決定を完了するまでの建築制限の期間であった。当時の法的根 拠は、建築基準法第 84 条により、発災から最大 2 ヶ月間の期間であった。1976 年に 32ha を消失 した山形県酒田市では、都市計画決定、さらに土地区画整理事業の事業計画認可までを 2 ヶ月で 進めた実例が存在した。そのため、期間についてその後議論されることもなかった。しかし、都 市機能が麻痺するほどの大規模災害を想定していなかったため、手続きの遂行のため期間の延長 を神戸市から国に申出したが、できないと断られた。 第 2 の課題は、都市計画法に基づく住民参加の手続きをいかに図るかであった。建築制限期間 の 2 ヶ月では充分な住民参加を図ることができないため、非常事態の政策として、通常の都市計 画を 2 段階に分け、第 1 段階は行政の責務で事業手法と区域、主要な公園と道路だけを 2 ヶ月で 定めた。そして、第 2 段階で時間をかけて住民参加を推進し、復興事業のための詳細計画を定め た。これが「2段階都市計画」と呼ばれたものである。 窮余の政策であったが、神戸市での住民参加型まちづくりの経験が活用され、まちづくり協議 会を主体とする住民参加が進み、その後「創造的復興」にふさわしい事業が進んだ。震災発生か ら 16 年後の 2011 年 3 月末に、被災者の生活再建を目的とした復興事業は完了した。 通常ならば、その後に、阪神・淡路大震災からの復興事業に関する様々な視点からの政策の評 価が行われるはずであった。 しかし、その準備をする以前の 3 月 11 日に、超巨大災害である東日本大震災が発生した。 政府は直後、矢継ぎ早に、様々な政策を打ち出した。震災復興事業については、発災から 2 ヶ 月以内に特別法を定め、建築制限を最大 8 ヶ月間延長して、宮城県では復興事業に必要な都市計 画の決定をした。しかし、直接被災した市街地復興は進まず、被災していない地区での高台移転 の政策を中心とした事業が進んでいるのが現状である。 本報告では、震災復興事業のための阪神・淡路大震災の政策の決定と進め方の評価を、東日本 大震災の復興の進め方と比較も交えて進めたい。 15
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