合気道小話「見取り稽古」

合気道小話「見取り稽古」
群馬杉武館代表
杉本
久
長い間、物事を続けていれば、仕事の都合や、体調不良、或いはケガなどで稽古に参加
できないこともある。
そんな時は、それを口実に稽古を休んでしまうことに成りがちである。
どうせ道場に行ったって、稽古はできないんだ。
ところが「見取り稽古」というものがある。
確かに稽古には参加できないのだか、稽古をしている仲間の練習風景を見るのである。
稽古の合間に師範が説明する技の内容を、耳を傾けて訊くのだ。
自分自身が稽古に参加していると、相手との技の習得に気持ちが向きがちであるが、
ひとり離れて、全体を見ていると、とても参考になることが多い。
つまりは「一本の樹を見るのではなく、森全体を見ていることになる」
もともと合気道は「一対一」ではなく「一対多」を意識した武道である。
一対一の仕手受け練習でも、目付けは相手の目を中心に、相手全体を見る。
決して一箇所に凝り固まって見てはいけない。
街中を車で運転しているときも、一点だけ見ながら運転していたら、突発事故に対応で
きないし、次の信号が赤で、その又向こうの信号も赤であることを認識しておかなけれ
ばならない。
稽古の見取りをしていると、個人のクセがよく分かり、後でそっと注意してあげられる。
おかめはちもく
いわゆる傍目八目(囲碁でいうところの、対局者よりも、傍で見ている方が八目は有利
に展開できる意味)である。
逆に、自分が稽古しているときに、上級者の見取りがいたら、「私の動きを見ていてく
ださい」と頼むとよい。自分ではやっているつもりでも、動きが不自然であれば、どこ
かにムリがあるからだ。それを指摘してもらうと上達が早い。
見取り側も、欠点が見つかったら、それをどう伝えたら相手に理解してもらえるかを
勉強にする。それを重ねればお互いが進歩できる。わからなければ師範に尋ねればよい。
師範はそういうことに応えられるような修業をしているから師範なのだ。
わからないことを訊かないでいると、それが直らないだけでなく、だんだんと訊きづら
くなってきてしまう。だから会社でいえば、新入社員のうちなら先輩に何を訊いても恥
ではないのだ。もし先輩がうまく答えられなかったら、その先輩もひとつ勉強になる。
それがだんだん年月が経て、三年もやっていると訊きづらくなり、勇気を出して先輩に
尋ね、もし先輩もわからなくても「お前なぁ、今更そんなこと質問するなよ。常識だろ?
自分で考えろ!」などと、内心は冷や汗かきながらも、はぐらかされてしまう。
会社であればボーナスや昇進にひびくかも知れないが、合気道はそんなことは構わない。
何べん訊いても構わない。なにしろ「覚えて、忘れろ」だからだ。
武道はその繰り返しで体に染み込ませてゆくものなのだ。