典型的下痢症,Rhabdomyolysisを呈し

310
感 染 症 学 雑誌
臨
第59巻
第3号
床
典 型 的 下 痢 症,Rhabdomyolysisを
呈 し,長
期排菌の
っ づ い た 国 内 発 生 コ レ ラの1例
川崎市立川病院内科
中村
靖
小花
光夫
小林
芳夫
藤森
一平
(昭和59年7月31日 受付)
(昭和59年9月27日 受理)
Key words:Cholera,Gallbladder
carrier of V.cholerae,Rhabdomyolysis
要
旨
典 型 的 下 痢 症 を 呈 して 急 性 腎 不 全,Rhabdomyolysisを
ら れ た 国 内 発 生 コ レ ラ の 一 例 を 経 験 した.症
瘍 に よ り 胃亜 全 摘.現
と ぎ 汁 様 水 様 便,嘔
病 歴:58年10月9日
吐,全
ニ ン6 .4mg/dl,BUN
例:37歳,男.主
訴:下
痢.既
往 歴:36歳
夕 食 に ス ッポ ン料 理 を 食 べ た.10月11日
身 の 筋 肉痛 が 出 現.無
80mg/dlに
他 覚 所 見 は 改 善 し た.便
合 併 し,さ らに 胆 嚢 保 菌 に 基 づ く長 期 排 菌 の み
増 加,代
尿 と な り12日 夜 本 院 入 院.脱
謝 性 ア シ ドー シ ス を 認 め た.大
培 養 に よ りエ ル トー ル 型 コ レ ラ菌 を 検 出 し,後
時,十
二 指腸 潰
午 前 よ り頻 回 の 米 の
水 症 状 著 明 で,ク
レアチ
量 の電 解 質 輸 液 に よ り漸 次 自
日ス ッポ ン か ら も コ レ ラ 菌 が 検
出 さ れ た.本 例 で は 胃切 除 の た め に 胃 酸 に よ る 殺 菌 能 力 の 低 下 が あ り,重 症 化 の 要 因 と して 考 え られ た .
また 発 病 時 に,GOT,LDH,CPKな
domyolysisの
どの 節 原 性 酵 素 お よ び血 清 ミオ グ ロ ビ ソ の 高 値 が 認 め ら れ,Rhab-
合 併 を 示 し て お り,脱 水 と と も に 腎 不 全 発 症 へ の 関 与 が 疑 わ れ た.さ
失 後 胆 汁 よ り コ レ ラ菌 が 検 出 さ れ,胆
み た 例 は従 来 報 告 が な く,今 後,本
嚢 保 菌 の 状 態 が2ヵ
月 間 持 続 し た.国
感 染 症 を 考 え る場 合,無
ら に本 例 で は 症 状 消
内 発 生 コ レ ラで 胆 嚢 保 菌 を
症 状 胆 嚢 保 菌 者 の 存 在 に も留 意 す る必 要 が
あ る もの と思 わ れ る.
I.緒
言
摘.
今 日国 内 発 生 コ レ ラは 年 間 数10例 に及 ぶ が,そ
の 多 くは エ ル トー ル 型 コ レ ラ菌 に よ る軽 症 例 で あ
家 族 歴:特
記 す べ き こ と な し.
現 病 歴:58年10月9日
夜 川 崎 市 内 の飲 食店 に
る1).今 回我 々 は,輸 入 生 鮮 食 品 を感 染 源 と し,激
て,ス
しい下 痢 に よ る脱 水 の た め に急 性 腎 不 全 に 陥 った
同10月11日 朝 よ り頻 回 の 水 と ぎ汁 様 水 様 便,嘔 吐,
エ ル トール 型 コ レ ラの 一 例 を経 験 した .本 例 で は
全 身 の筋 肉痛 が 出 現 し,同 日昼 か ら無 尿 とな った.
さ らに,発 病 時 にRhabdomyolysisを
10月12日 夜 本 院 を 受 診 し,即
た 症 状 消 失 後2ヵ
合 併 し,ま
月 間 に わ た り胆 嚢 保 菌 の 状 態 を
み る な ど,国 内 発 生 コ レ ラ と して は 稀 な 臨床 経 過
をた ど った の で,若 干 の 考 察 を 加 えて 報 告 す る.
II.症
症 例:37歳,男
性,会
既 往 歴:58年3月,十
別刷 請求 先:(〒210)川
例
ッポ ン料 理(刺 身,生 血,雑
入 院 時 現 症:体
体 温35.5℃,血
分,整.皮
日入 院 とな った .
格 中 等 度,栄
養 良.意
識 清 明,
圧 触 診 に よ り100mmHg,脈
拍110/
膚 乾 燥 著 明.眼
瞼 結 膜 に貧 血 な く,眼
球 結 膜 に黄 疸 な し.頚 部 リンパ 節 触 知 せ ず.心 音
社 員.
純,肺
二 指 腸 潰 瘍 に よ り 胃亜 全
浮 腫 な し.四 肢,躯
中村
野 清.腹 部 軟 な る も腹 筋 に 圧 痛 あ り.下 腿
幹 筋 に 強 い 握 痛 あ り.神 経 学
的所 見 正 常.
崎 市 川 崎 区新 川通12-1
川 崎 市立 川 崎 病 院 内科
炊)を 食 べ た.
靖
入 院 時 検 査 成 績(Table
1):赤
沈値 が軽 度 充
311
昭和60年3月20日
Table
進,検
尿 で は蛋 白 ・糖 が 陽 性,尿
1
Laboratory
浸 透 圧 の低 下 が
み られ た.末 梢 血 で は 白血 球 数,ヘ
マ トク リ ッ ト
findings
on admission
ほ ぼ2週 間 で正 常 化 した.一
Tetracycline(TC)を,腎
1日 量o.75gで4日
した.ま たGOT,LDH,CPKと
間 経 口投 与 した が(Fig.2),
そ の 後 も排 菌 が続 くた め,1日
量2gと 増 量 し て さ
ロ ビ ンの 高値 が み られ,筋 傷 害 の存 在 が 示 唆 され
らに7日 間 投 与 した.し
た.ク
に て コ レ ラ菌 が 間 欠 的 に検 出 され,入
レ ア チ ニ ン5.2mg/dl,BUN58.7mg/dlに
日 よ り,
不 全 の 存 在 も考 慮 し て
値 が上 昇 し,総 蛋 白 の増 加 と と もに血 液 濃 縮 を示
と もに 血 清 ミオ グ
方,第5病
か しこののちなお便培養
院1ヵ
月後
増 加 して い た.血 液 ガ ス分 析 で は,代 謝 性 ア シ ドー
Meltzer-Lyon法
シ ス で あ った.入 院 時 施 行 した 糞 便 培 養 の 結 果,
ラ菌 を 検 出 し,胆 道 保 菌 の 状 態 に あ る こ とが 判 明
エ ル トール 小 川 型 コ レ ラ菌 が 検 出 され た .
した.胆 汁 培 養 で 菌 の検 出 が 続 くた め,2ヵ
入 院後 経 過(Fig.1):本
院 入 院 時,コ
レ ラ とは
に よ り採 取 し た 胆 汁 中 よ り コ レ
にAmpicillin(ABPC)1日2gの
ま だ判 明 して い な い段 階 で は あ った が,大 量 の 下
した が,開
痢 に よ る脱 水 と,Na,K,HCO3な
失 し て い る こ とが,そ
ど電 解 質 の相 当
月後
経 口投 与 を開 始
始 直 前 に採 取 した 胆 汁 で す で に菌 が 消
の 後 確 認 さ れ た.こ
のあ と
量 の喪 失 が 疑 わ れ た2).ヘ マ トク リ ッ ト値,総 蛋 白
6回 に及 ぶ 胆 汁,便 培 養 で も菌 は検 出 され ず,患
濃 度 を も と に概 算 さ れ た 水 分 喪 失 量 は 約9,800cc
者 体 内 よ り完 全 に除 菌 され た もの と判 断 した.な
で あ り,Na喪
お 胆 汁 培 養 が 陽 性 の 間 に 経 口胆 嚢 造 影 を 行 な った
推 定 され た.そ
日量4,000ccで
失 量 は 約500mEqに
お よぶ も の と
こで 乳 酸 加 リン ゲ ル 液 の 輸 液 を1
始 め る と同 時 に,経
口摂 取 を 許 可
した.そ の結 果 入 院 当 日中 に 尿 量 の増 加 が み られ,
下 痢 も次 第 に鎮 静化 し,筋 肉痛 も2日 間 で 消失 し
た.ま た 血 清 ク レア チ ニ ン,BUNも
第5病
が,胆 嚢 は 良 好 に造 影 され,胆 石 の 所 見 もな か っ
た.
III.考
案
本 症 例 は 国 内 発 生 コ レ ラ で あ るが,後
日,川 崎
日を境
市 衛 生 機 関 の 調 査 に よ り,患 者 が 摂 取 し た 輸 入
に 下 降 に 転 じ,そ の 他 の各 種 臨 床 検 査 値 と と も に,
ス ッポ ン と同 じ水 槽 に 飼 育 され て い た 輸 入 ス ッポ
感 染 症 学 雑誌
312
Fig.1
Change
of water
Fig.2
ン か ら2種
の コ レ ラ菌 が 検 出 さ れ,ス
が 感 染 源 で あ る と 考 え ら れ た3).患
菌 な ら び に ス ヅ ポ ン か ら の2種
Table
2の 如 く で あ り,患
enterotoxinを
産 生 し,ま
and electrolytes
Clinical
ッ ポ ン料 理
者 か らの 分 離
第59巻
第3号
balance
course
と同 様 エ ル トー ル 型 コ レ ラ 菌 に よ る も の で あ る
が,そ
の 臨 床 像 は軽 度 の 下 痢 症 状 に と ど ま る例 が
の 分 離 菌 の性 状 は
多 い1).従 っ て激 しい 脱 水 症 状 を 呈 し,急 性 腎不 全
者 分 離 菌 は溶 血 株 で
に陥 る例 は,エ ル トー ル型 コ レ ラ と して は稀 な 重
たTC耐
性 で あ っ た.
今 日 国 内 で 散 発 す る コ レ ラ 患 者 の 多 く は,本
症 例 とい うこ とが で き る.従 来 宿 主 の コ レ ラ菌 に
例
対 す る殺 菌 能 力 は 胃液 の酸 度 に依 存 す る4)とさ れ
昭和60年3月20日
313
Table
2
Bacteriological
patient
characteristics
of the V .cholerae
isolated
from
the
and the turtle
*
て お り,本 例 で も 胃の 手 術 を受 け て い た た め に殺
菌 能 力 の 低 下 が 考 え られ,か
か る重 篤 な症 状 を呈
Fig.3
SIX:Sulfisoxazolum
Possible
and acute renal
relationship
of rhabdomyolysis
failure
す る に至 った 最 大 の要 因 と し て あ げ られ る.
次 に,本 例 で は発 病 時 に 激 し い全 身 の 筋 肉痛 を
認 め,血 液 中 の 筋 原 性 酵 素 お よ び血 清 ミオ グ ロ ビ
ンの 増 加 を伴 って いた .コ
レ ラ患 者 に テ タ ニ ー様
の 筋 肉痛 が しば しば み られ る こ と は よ く知 られ て
い る5)が,そ の 原 因 は い まだ 明 らか で は な い.本 例
で も当 初 テ タ ニ ーを 疑 わ れ た の で あ る が,血 清 カ
ル シ ウ ム濃 度 の低 下 は な か った .本 例 の如 く,全
身 の 筋 肉 痛 と と もに 筋 実 質 内容 の血 中 流 出 を み る
病 態 は,い わ ゆ るRhabdomyolysis6)の
病 像 を示 す
も の で あ り,こ れ ま で に 例 の な い新 し い コ レ ラの
ら10)によ り,エ ル トー ル型 コ レ ラ患 者 の 数%が
臨 床 像 と し て 注 目 さ れ る.本 例 に お け るRhab.
レ ラ罹 患 後 無 症 状 胆 嚢 保 菌 者 と な る こ とが 明 らか
domyolysisの
に され た.長 期 保 菌 例 と して は,Azurin,Kobari
背 景 と して は(Fig.3)ま
ず脱水 の
コ
存 在 を考 え る こ とが で き る.し か し また,Cholera
ら11)が12月間 胆 嚢 保 菌 が持 続 した フ ィ リ ピ ン人 女
enterotoxinが
性 の1例 を 報 告 して い る.本 例 も また,一
細 胞 内adenylate
cyclase活
性を
時的 な
高 め る こ とに 作 用 機 序 の本 体 が あ る7)ことが 判 明
無 症 状 胆 嚢 保 菌 者 と して み る こ とが で き るが,国
して 以 来,心 臓 や 肝 臓 な どenterot6xinの
内 発 生 コ レ ラで は従 来 報 告 が な く,興 味 深 い1例
多臓 器
親 和 性 が 明 らか に され つ つ あ り8)9),従っ て 本 例 で
と思 わ れ る.胆 嚢 保 菌 に 至 り易 い宿 主 側 の条 件 が
もenterotoxinに
存 在 す る か否 か は,こ れ まで の報 告 例 を み て も明
よる横 絞 筋 へ の 直接 の 侵 襲 が
あ った 可 能 性 を否 定 で き な い と思 わ れ る.さ
らに
らか で は な い.胆 石 の合 併 を 示 唆 す る症 例11)もあ
本 例 の 腎 不 全 で は 尿 浸 透 圧 の低 下 が み られ るな ど
るが,本 例 で は 入 院 中 に 施 行 した 胆 嚢 造 影 に異 常
腎 性 腎不 全 の 要 素 を 有 して い る こ とか ら,脱 水 と
を 認 め な か った.他 方,本 例 で は 胃 の 手 術 歴 が あ
相 ま って,ミ
る が,こ れ は 必 ず し も従 来 保 菌 者 に共 通 の 既 往 歴
オ グ ロ ビ ン に よ る 腎実 質 へ の障 害 が
腎 不 全 の発 症 に関 与 した こ とを窮 わ せ る.
つ い で 本例 で は,臨 床 症 状 が 消 失 した あ と も糞
で は な く,菌 の繁 殖 が 起 りや す か っ た とい う以 外
に胆 嚢 感 染 との直 接 の 因 果 関 係 は 考 え に くい .ま
便 中 へ の排 菌 が 持 続 し,こ の 間 胆 汁 か らの コ レ ラ
た 菌 側 の 要 因 に 関 して も,本 例 で の 分 離 菌 を 含 め
菌 の検 出 が2ヵ
従 来 報 告 例 の 分 離 菌 に 共 通 す る特 性 は な お 不 明 で
ど った.コ
月 間 続 く とい う特 異 な 経 過 を た
レ ラ菌 の胆 道 感 染 につ い て は 前 世 紀 末
あ り,今 後 の 症 例 の 蓄 積 を待 た ね ば な らな い.本
も
よ りそ の可 能 性 が 指 摘 さ れ,1960年
代 にWallace
例 で は菌 の 自然 消 失 を み た の で あ るが,今 後 国 内
感染 症 学 雑誌
314
発 生 コ レ ラの疫 学 を 考 え る場 合 に も,か か る無 症
状 胆 嚢 保 菌 者 の 存 在 す る可 能 性 に留 意 す る必 要 が
あ る も の と思 わ れ る.
最後 に,本 例 の分離菌 に関す る細菌学的資料を提供 して
いただいた川崎市衛生研究所の中村武雄,大 久保吉雄両氏
に感謝致 します.
文
1)
厚 生 統 計 協 会 編 集:
特 集,
2)
169,
藤 森 一 平,
解 質.
3)
29:
東
冬 彦,
臨 床 病 理,
102,
国 民 衛 生 の 動 向, 厚 生 の 指 標.
468,
26:
厚 生 省 保 健 情 報 課:
3106:
献
1982.
関 田 恒 二 郎:
8-12,
下 痢 の 際 の電
1978.
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日医 新 報,
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−
859, 1978.
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Rhabdomyolysis
Yasushi
第59巻
第3号
The spectrum of rhabdomyolysis. Medicine
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Sullesta, E., Kobari, K. & Kotera, K.: A longterm of cholera: Cholera Dolores. (not published).
Occured in Japan, Presented
with Severe Diarrhea
and
Followed by Long Term of Excretion of V. cholerae
NAKAMURA,
Mitsuo OBANA, Yoshio KOBAYASHI
& Ippei FUJIMORI
Department of Internal Medicine, Kawasaki Municipal Hospital
Several dozen cholera cases occur each year in Japan. Most of these are mild cases due to Vibrio
cholerae eltor. This report presents one case of El Tor cholera,contracted
from imported perishable
foods and resulting
in acute renal failure due to dehydration
from severe diarrhea. This case was
complicated by rhabdomyolysis
at the onset, and bacteria were present in the gallbladder
for up to 2
months after the disappearance
of symptoms. This case was remarkable. in its clinical course, which
differed from those for cholera usually seen in Japan.