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序章
ミスルトウの楽園
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序章 ミスルトウの楽園
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今からおよそ一千年前。
世界は、神の力を持つ鳥たちによって治められていた。
かみどり
神鳥たちが住まうのは、大空の楽園、ミスルトウ。
それは、大地からそびえ立つ巨大な一本の宿り木であった。
神鳥は、地上に住む人々の願いや祈りをその身に宿して生まれる。
人々の最初の願いは、幸福だった。そして幸福を宿した神、青い鳥が生まれた。
こうして、人々は神の存在を信じ、祈りを捧げる。
すると、ミスルトウの宿り木へ、どこからともなく生まれた鳥たちが集まっていった。
神鳥たちは、自らを生んでくれた地上のか弱き生命たちに、その願いの恩恵を、形あるものとして
与える。
神によって願いを形取られたそれを、人々は「エレメント」と呼んだ。
ミスルトウの木は、大地に広がる「人々の神への信仰心」を栄養として育つ。
宿り木はその根から吸い上げた清らかな祈りを、遙か上空、葉上の神鳥たちに届ける。神にとって
信仰心は、存在をあらしめる糧となった。
ミスルトウの木は、人と神、双方を繋ぐ唯一の存在であり、楽園の循環は、美しい形で共存を続け
ていく。
やがて時が経ち、地上には人間が増え、彼らは繁栄の時代を迎える。
神からの様々な恵みを享受し、さらなる「願い」を渇望し続ける彼らは、いつしか、天空に住まう
神への畏敬を忘れ、浅ましくもその羨望を嫉妬に変えて、神々の力そのものを欲するようになった。
楽園の美しい循環の輪が、崩れ始める。
人々は信仰を止め、武器を手に取り、大空にまで手を伸ばし始めた。
『神狩り』と呼ばれたそれは、規模を拡大し、神々と人間との戦争へと発展する。
神の偉大な力の前に、人間は為す術などない……そう信じていたのも束の間。
ある時、楽園でもっとも力のある二羽の神が、仲違いをしてしまった。
人間たちに対する考え方の違いから生じた些細な行き違いは、神と人が織り成す世界の在り方その
ものに対する意見の相違を生む。
ふ
し ちょう
楽園の最初の鳥、幸福を司る青い鳥は、神と人間の共存を貫き、和解の道を願った。
だがそれに対して、破壊と再生の輪廻を司る、朱き不死鳥が異を唱える。
不死鳥は、神を侮るようになった人間など、一度すべて破壊し尽くし、かつての清らかさを持った
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序章 ミスルトウの楽園
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新しい生命として再生させればいい、と言った。
両者はその信ずる道を譲らぬまま、互いを疑い、責め、憎み始める。
その間にも、少しずつ人間たちは力をつけ、弱き神々から順に堕としてく。
人々の信仰の枯渇によりミスルトウの木は枯れ、宿り木を糧として生きる神鳥たちの力は、どんど
ん弱まっていった。
戦は長きに渡ったが、宿り木を失った神鳥は、数で勝る人間に敗北を喫した。
こうして神鳥たちは、楽園とともに、穢れた大地に堕ちることとなる。
彼らはそのエレメントのほとんどを大地へと還元し、失った。
神鳥の魂は人の器へと収まり、堕ちたその先の地で、新たな道を歩んでいく。
人となった神たちを、土地の権力者たちはこぞって求め、仲間に引き入れようと躍起になった。
人間の王族たちとの交配によって血を繋ぎながら、人間の世界に神を祖とした王国がいくつも生ま
れる。
そして、二羽の神鳥の確執……青い鳥と不死鳥の大いなる遺恨は、地に堕ちてなおも残り、彼らを
祖とした二つの王国、青き鳥の国ブルーオークと、朱き不死鳥の国ギーヴェルミリオンは、その後も
千年もの間、争い続けたのだ。
古の神鳥伝記~神託の守護者・メントレの記録より 第一章
朱と青
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第一章 朱と青
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昼下がりの静かな執務室に、羽ペンがさらさらと滑る音だけが響いている。
朝から淀みなく動き続けるカイトの右手が、乱雑な字で書かれた戦況報告書に確認のサインを施し
ていく。左から右へ、一定のリズムを刻みながら記すその綴りは、もう随分と手に馴染んでいた。そ
れは一滴のインク染みもなく、同じ形をしている。
時折、開け放った窓の外から流れ込むそよ風が、初夏の瑞々しい若葉の香りを運んできては、優し
くカイトの頬を撫でていった。
「王よ。そろそろ、休憩にいたしませんか?」
控えめに掛けられた言葉に顔を上げると、斜向かいの机で昨夜の議事録に目を通していたはずのガ
クが、珈琲を持ってきてくれていた。いったいいつの間に用意していたのだろうか、執務に集中して
いたカイトは、僅かに驚いた顔をして視線を上げる。
「ああ。すまないな、ガク。ありがとう」
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そう言って派手なデザインのカップを受け取ると、カイトは左手で珈琲を飲みながら、再びインク
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壺にペンをつけた。
「いけませんよ、カイト。今は休息の時。その間だけは、貴方は王ではない。……執務の手を止め、
お休みするのですとお教えしたはずですね?」
「そうだな。だが、あと少しで区切りが」
「 貴 方 と い う 人 は、 ま っ た く ……! そ う 仰 っ て か ら、 少 し、 で 済 ん だ 試 し が ご ざ い ま し た か? ……ああ、やはり私の教育は間違って……」
ガクは悲壮な表情を浮かべながら嘆き、右手を額に当てて天を仰いでしまった。まずい……これは、
厄介なパターンになりそうだ、と、カイトは内心で密かに嘆息する。
「わ、わかったよ、ガク。ちゃんと、休むことにしよう」
「……そうですか。わかればよろしいのです」
「……」
カイトが慌ててペンを置く姿を見届けるや否や、ガクは、さっと居住まいを正して自分の席へ戻っ
ていった。カイトが少年の頃から教育係を務めてきたガクは、カイトが一人前の国王となった今でも、
側近としてではなく、かつての『先生』の顔に戻る時がある。そして、朝から晩まで執務に追われる
さ
よ
な
国王を気遣い、根を詰めすぎないようにと叱ってくれるのだ。
心配性で世話焼きなその性格は、やはり小夜啼き鳥の一族らしいなあと感心しながら、いれたての
温かい珈琲を一口含む。程良く焙煎された豆の軽やかな苦みが、するりと喉を通って乾いた胃に落ち
ていった。
「そういえば、このカップ……なんというか……またすごく派手な柄をしているね。こんな柄、見た
ことないな」
「ええ、そうでしょう。先日、先の近衛師団長が、週末の骨董市で偶然見つけた掘り出し物だそうで
す。五百年前の芸術家の逸品だとかで。ぜひこの素晴らしい品を、我らが偉大なる王に使っていただ
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第一章 朱と青
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きたい、と献上していきました。気に入りましたか?」
「……あ、ああ。少し、……いや、かなり派手だとは思うがな」
「それは良かったです。目立つということは、良いことですので」
カイトは口の端を引きつらせながら、曖昧な笑みを浮かべる。虎と狸と猿の三匹の獣が、口から炎
を吐き出し戦う様子が描かれた柄は、どう考えてもカップに描くようなデザインではないと思ったが、
言葉にはしなかった。
この国……朱き不死鳥・ギーヴェルミリオンの民は皆、派手好きで大味である。
我が国民のことながら、この明快かつ豪快すぎる思考はいったいどこから来るのか。やはりかの始
祖鳥の性格に由来しているのだろうかと考え、カイトは少しだけ落ち込んだ。
伝承に語られているかの鳥は、その強大な破壊の炎で、神に刃向かう人間たちを憤怒のままに焼き
ごうほう
尽くしたという。しかし、彼が地に堕ちてからは、忠誠を誓い寄ってきた人間にあっさりと心を開き、
らいらく
その再生の力を施した。あまつさえ、過去の遺恨を忘れて共存の道を歩み始めるという、まさに豪放
磊落な神だったようだ。カイトは純血の国王でありながら、自身はその性格とは似つかないなと感じ
ていた。
ギーヴェルミリオン王国は、今から約一千年前に存在した、破壊と再生という、相反する二つの力
を宿した『不死鳥』を祖とする国である。カイトは、その第三十二代目の王であった。父である先代
国王が、隣接する仇敵・ブルーオーク王国との戦で戦死し、まだ十二才だった少年王が即位して、も
うじき十年になる。
かの国との深い遺恨は解消されぬまま、かれこれ一千年続く争いはいまだに終息の気配を見せない。
それどころか、ここ数年の間に、両国の間にはかつてないほど強い緊張が走っていた。
つい先日も、南の国境にある砂漠の町フラムデゼールで発生した紛争を、やっと制圧し終えたばか
りだというのに、また同じ場所で新たな火種が生まれ、再度鎮圧部隊を向かわせたところだ。
休憩時間、と言われたが、やはり無意識に考えてしまうのは、自国のことだった。カイトは温くなっ
てきた珈琲を一気に飲み干すと、再び執務机の上に視線を落とす。
ふいに、常よりもだいぶ大きなノック音が、ゴンゴンゴン、と響いた。
入室を許可する声を掛けると、豪快に扉を開けて、顔一面に歓喜の笑みを湛えたメイコが入って来
る。彼女は一礼すると、後ろ手で素早く扉を閉めるや否や、興奮を抑えられぬといった様子で、足早
にこちらに近づいてきた。
「ご報告致します。フラムデゼールでの紛争、無事、鎮圧致しました!」
そう言ってにっこりと笑ったメイコ将軍の顔は、まるで、初めて祭に行った子どものような、心底
楽しそうな顔をしていた。
「……それでね~、良質な雷をたっぷりと纏った、この私の雷剣が、こうッ……、えいッと、振り下
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第一章 朱と青
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ろされると、フラムデゼールの砂漠に、ズガーンッ、と稲妻が轟いて炎を巻き起こしッ……」
いまだ戦闘の興奮醒めやらぬ、といった様子で、メイコは目を爛々と輝かせていた。その腕や足を、
今ここでその現場を再現したいかのように大きく振り動かしながら、かの地での戦況を嬉しそうに報
告していく。その様子を見て、話が長くなると察したのだろうか、ガクがメイコの分と一緒に、二杯
目の珈琲をいれて持ってきてくれた。
ギーヴェルミリオン王国軍の頂点に立つメイコは、将軍という立場でありながら、戦うことを何よ
りも好み、常に最前線に身を投じている。一週間前に起きた今回の紛争は、不死鳥軍の数名に、ブルー
オーク軍の兵士が商人の姿を装って近づき、そのまま王都グランオーブまで一気に侵攻しようとして
いる、という噂を聞き付けての出動だった。姑息なことが大嫌いなメイコは、その報告を耳にした途
端、怒りに体を震わせながら止める間もなく出て行ってしまったのだ。
カイトとガクが黙って相槌を打っている間に少し落ち着いてきたのか、メイコはしゃべるのをやめ
て、ようやく手元の珈琲に口を付けた。
「それにしても、随分と早く帰って来られましたね。ほかの隊員たちの様子が気になりますが……怪
我をした者の手当は済みましたか?」
「着いてすぐに医務棟に連れてったから、大丈夫よ。今回はそんなに怪我人は出なかったし。あー
あ、あいつらの汚いやり方聞いたら、頭に血が上って、つい大暴れしちゃった~。あんまり早く片付
いちゃったから、なんかまだ物足りないって感じ。もっと戦いたかったな~」
「……はぁ。部下たちは皆、貴方ほど強くはないのですから、あまり無理をさせてはいけませんよ?
それに貴方自身も、そういつも戦、戦、と。戦以外のことにも、少しは目を向けてみてはいかがですか」
「ええ~! だってガク、人生は一度っきりしかないのよ? だったら、死ぬ間際まで、なるべく楽
しく、好きなことして生きていたいじゃない!」
かみなり ど り
「……そういう考え方も、一理ありますね。私とて情熱の朱き不死鳥の端くれ、貴方のおっしゃりた
いこともよくわかります。ですが、いくら貴方が不死鳥と 雷 鳥、最強の戦鳥の血を持っていても、
その身は人間なのですよ。不死鳥の強力な再生力を持つ肉体とて、所詮は人の体。我々は再生力に長
けた肉体はあるものの、治癒魔法が使えるわけではないですし、それ以前に、肉体とは有限のものな
のです。戦いに明け暮れ、酷使し続ければ、どんなに強靱な肉体とて弱ってしまうものです。翼を出
し続けるのも、炎と雷を同時に使うのも、どちらも、多量のエレメントを消費しますね? これは、
我が国民なら物心がついて最初に習う、基礎の基礎。我々の命に関わる、大事なことですよ、将軍殿」
「うっ……」
ガクの説教染みた正論に、メイコは顔を引きつらせた。
「しばらくは、戦に出るのも控えたほうがいいでしょう。貴方のエレメントの気配が目に見えて減っ
ておりますので……。私の、この察知能力に優れた小夜啼き鳥の目は、誤魔化せませんよ」
「うう~……わかったわよ~。ガクったら、本当、手厳しいんだから」
ガクの諫めるような言葉に、メイコは渋々といった様子で頷いた。周囲の状況察知能力に優れ、世
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第一章 朱と青
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話焼き気質な小夜啼き鳥の一族は、この粗野で喧嘩っ早い荒くれ者ばかりがひしめく不死鳥たちの中
で、良きサポート役として、なくてはならない存在だな、と。二人のやりとりを黙って見ていたカイ
トは、ぼんやりとそう思った。
メイコは、黙っていれば美しく淑やかな妙齢の女性、と表現できなくもない。だが、彼女のその身
の内に流れる血の半分は、紛れもなく、破壊を愛でる不死鳥のものである。そしてもう半分は、何よ
りも戦を好んだといわれる戦いの神、雷鳥の血。自在に雷を操ることができたというその神鳥は、地
に堕ちたあと、各地の戦を渡り歩いていたらしい。その後、流れ着いたこの不死鳥の王国へ定住し、
子孫たちが血を繋いできている。ギーヴェルミリオンの民のほとんどが不死鳥の力を持っているが、
メイコの雷鳥やガクの小夜啼き鳥のように、不死鳥以外の神鳥との混血種も多い。純血種は時代とと
もに随分と減り、今では貴族や王族くらいのものだった。
一般的にはその血が濃いほど、より祖である神に近いため、その身に宿すエレメントも強くなる。
エレメント……神の力は、いわば魂の血液のようなものだった。その身の内にあるエレメントを肉体
の外に出す時、それはこの世界を形作る要素と融合して出現する。
不死鳥の力は炎、雷鳥は雷、青い鳥は水といった自然性質のほかに、治癒や催眠、封印、呪いといっ
た、目には見えない要素を形取ったものも多い。鳥たちは皆、その身に宿る力を使う時、本能的に翼
を出すが、これもエレメントの一つだ。エレメントを体内から外界へ、己の魂と外界との契約の呪文
を使って実体化し、引き出すことは、広く『魔法』と呼ばれる。
だが、ガクの言うとおり、エレメントとは、その肉体と魂に宿るエネルギーなので、肉体を酷使し
たり、エレメントそのものを浪費したりすれば、あっという間に枯渇してしまう。
そのため、神鳥の力を授ってから千年経った今でも、人間たちは皆、普段の生活では、なるべく翼
を出して飛んだり、エレメントを使うことは控えている。特に軍役の者は、いざという時のために、
そのエレメントを温存することが望ましいのだ。
メイコへの説教を一通り終えて満足したのか、ガクは口角を僅かに上げて微笑むと、手元の書類に
目を通し始める。そろそろ仕事に戻るか……。カイトは一つ大きく伸びをしてから、しゃきっと居住
まいを正した。ふと顔を上げると、顔に不満の色を滲ませてこちらを見つめるメイコと目が合う。
「……メイコ。俺もそろそろ仕事を」
「えー! もう少しくらい、いいじゃないですか、王様~。なんか、全然物足りなくって、何か良い
ことないかしら……って、あ!」
つまらなそうに不満を漏らしていたメイコが、ふと思い出したように、ポケットから小さな箱を取
り出した。
「これ、お土産です! 王様に似合うと思って買ってきました」
「ありがとう。これは……?」
「ふふっ。さっそく今、開けてみてくださいな」
手渡された小箱を開けると、中には、金の輪に大きな紫色の宝石が一つ填め込まれた指輪が入って
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いた。
「これは……魔除けのアメジスト、か?」
「そうです! ちょうど砂漠の町の一帯で夏至祭をやっていたので。私が将軍だって知ったら、店主
に普段店には並ばない良い物が揃ってるからって、引き留められちゃって」
大きなアメジストこそ存在感を主張しているが、それ以外にゴテゴテと無駄な装飾が付いているわ
けでもない。比較的シンプルなデザインのそれを、カイトはいたく気に入った。
「ありがとう。なかなかに良いものみたいだな。デザインも……」
「そうそう! 王様、あんまり派手なもの好きじゃないから、これでもかなーり、地味なものにした
んですよ?」
「はは……それは、気を遣ってくれて、嬉しいね」
不死鳥の民、特に軍役の者たちの間では、親交の深い相手に、親愛の証として高価なアクセサリー、
特に指輪を贈り合うという風習がある。
本来、軍人は美しく着飾る必要などない。だが、純度が高く、質の良い宝石には、エレメントの源
である自然界の聖気が宿っている。身につければ使用者のエレメントを補佐する、お守りのような効
果が期待できるのだ。一般的な魔法は、掌にエレメントを集中させて発動する場合が多いので、指輪
は補助装飾を着ける場所としては最適であった。宝石を装備し、少しでも己の力の足しにしようとい
う、強さへの貪欲さ。不死鳥らしい装飾具だ。
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また戦場では、いつ死が訪れるかわからない。混戦になれば、自身の痕跡すら残せぬこともあるだ
ろう。そんな時、たとえ遺体が滅びても、朽ちずに残る鉱石や貴金属は、これ以上ない目印になる。
そうした理由もあり、軍役にある者たちの間では、装飾というよりは実用性、そして、相手の無事
を祈るという思いを込めて、親しい者同士で高価な指輪を贈り合うようになったのだ。
「そのアメジストには、強力な魔除けの聖気が宿っているらしいから、きっとお役に立ちますよ。そ
れに、ヒーリング効果もあるみたいだから、働き過ぎの予防にもなるかも」
「はは。ありがたくいただくよ。だが、君もしばらくは、ガクが言ったように仕事を休むように」
「あら? 私は本当に大丈夫ですから、王様こそもっとご自分のことを……。ほら、その本の山、ま
た増えてますね! 休憩中に読むとか言って、どんどん積まれていくその難しい本の山、全然減って
ないし、そもそもそれを読んでいたら休憩にもならなそうだし」
そう言ってメイコは、カイトが執務の休憩中によく読んでいる、古い伝記の山を指さした。
この国や敵対するブルーオーク、友好国ヴィオーラヴィスキオ。このミスルトウ地方の三国に関す
る歴史、文化史、古の賢者の手記などが、豪奢な広い執務机の隅に山と積まれている。
「これは……言ってしまえば、我々統率者の嗜みのようなものだよ。この国や、他国と歩んできた歴
史、文化の変遷を誰よりも詳しく知っていたほうが、国政に携わる者としてふさわしいだろう」
「でも……すごい量ですよ。王様は昔から本が好きみたいだけど……最近、またドッと増えたような
気がするし。……いったい何を調べているんです?」
メイコは、何の気なしに、という軽い雰囲気で聞いてきたようだが、カイトは少し狼狽えた。さり
げなく、いつもの趣味に乗じて調べていたつもりが、ばれていたようだ。彼女のその直感の鋭さに、
カイトは改めて舌を巻いた。
「――この国が何故、かの青い鳥の国と争い続けることになったのか……その理由を、ちょっとね」
「えっ? それは、大昔の神鳥と人間の戦争で、あの青い鳥が不死鳥の率いていた神鳥たちを裏切っ
たのが原因で……」
「ああ。我が国の伝記には、そう書かれている。だが、向こうの国の書には、我らの祖が裏切ったと
書かれているんだ。……ほら」
そう言って、まだ読みかけの古書の一部を見せてやると、メイコはとたんに顔をしかめた。
「なになに……えー、その時、蛮族の祖たる朱き不死鳥が、青き幸福の使者たる青き祖を、その残虐
極まりない、おぞましい炎で焼き、清浄な神の翼を奪ったのだ。やがて、青き鳥は、知の化身たる白
きミネルヴァの梟と手を取り……って何これ。大嘘じゃないですか! それにこの、嫌味ったらしく
ねちっこい文章も! 腹立つ~~~~ッ
あの陰険な青い鳥に、この、白き梟って絶対、あのルカ
の始祖ね! こんな昔から、いけ好かない同士で手を組んで企んでたなんて、陰謀が好きな奴ららし
いわ」
いてあった『ミネルヴァの梟』……彼女の大嫌いなブルーオークの将軍、ルカを思い出したのだろう。
メイコはよほど腹が立ったのか、手にしていた本を叩き付けるように閉じた。おそらく、途中に書
!!
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同じ将軍として、拮抗したライバル関係にあるあちらの智将のことを、メイコは酷く毛嫌いしている。
「……何が嘘で、何が本当かがわからないから調べているんだ。はっきりしているのは、互いの祖と、
」
その子孫たる我々が、ずっと仲が悪いってことくらいだな。どうしてそうなってしまったのかという
明確な理由は、様々な説があって、判断しづらいんだ」
「まさか……私たちの誇り高き祖を疑っているの、王様
いつくんだもの こないだの紛争での決着も、わざとやられた振りをしていて、こちらを油断させ
るための作戦だった~とか卑怯なこと、あの女ならやりかねないですよ。本当、あの国の人間とは、
「……もう、うちの王様は本当に甘いんですから! 今は優勢でも、いつ反撃されてしまうかもわか
りませんよ。特に、あのしたたかで嫌味な将軍ったら本当に、油断も隙もない卑劣な作戦ばっかり思
恨を解消し……千年の時を経て和解できるかもしれないだろう?」
「そんなこと知って、どうするんです? 今更、本当の原因がわかったって」
「原因がわかれば、今再びこの地に生を受けた始祖鳥の……魂の転生者たる私と、向こうの女王で遺
カイトの言葉に、メイコは困惑しているようだった。
「そうじゃない。なんであちらと仲違いしてしまったのか、ただ純粋に知りたいんだよ」
!?
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ギーヴェルミリオン、西のブルーオーク。そのちょうど中域にすっぽりと収まるように佇む国、中立
だが、今から約三十年前――この二国の争いの歴史に終止符を打つ『予言』がもたらされた。東の
戦い続けてきたのだ。
込まれて負け、負けては勝ち……と、勝率は五分五分のまま、気づけば千年もの間、二国は憎み合い、
いている。二国間の争いは途切れることなく続いてきた。こちらが勝ったと思えば、すぐにまた攻め
たせいだ、と書かれていた。その時の大いなる遺恨は、子孫たちにも脈々と受け継がれ、今も尚、続
この国の伝記には、一千年前、神鳥たちが人間との戦で負け堕ちたのは、青い鳥による裏切りがあっ
う大戦だけは、どうしても負けられないのだから。
わけにはいかない。万が一、罠を仕掛けられていた場合のリスクが大きすぎるのだ。次に起きるだろ
だがそれでも、今は大局を見据えるため、真っ向から大勢で攻め入って大暴れするような作戦を執る
いているからなのだろうが、不死鳥たちにとっては、どうもその慎重な戦い方は性に合わない様子だ。
4
も腹の探り合いをするような、小競り合いばかりを仕掛けられるようになっている。互いに慎重に動
で迫ってきていて、覆されるということが今までに何度もあった。そして最近では、大規模戦闘より
メイコの言うように、戦局に満足して油断していると、あの知略に長けた国がいつの間にか喉元ま
策略の優秀さにある。思いも寄らない手段で勝ちを攫っていくのだ。
個々人の戦闘能力が高い不死鳥が勝つだろう。だが、ブルーオークの特性は、その協調性や、知略・
戦局は、我がギーヴェルミリオンの優勢であった。地の利に偏りのない場所で真っ向から戦えば、
「うーん……」
趣味嗜好から価値観、戦い方の何から何までそりが合わないわ」
!!
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そび
国ヴィオーラヴィスキオ。かつて神鳥たちが暮らしていたという巨大な神木・ミスルトウが聳えてい
た跡地に立つ小国は、古から続く神鳥信仰を受け継ぐ宗教国家である。国を統べるのは、信仰の頂点
しろばと
に立つ組織、神託の守護者・メントレ。このメントレたちを束ねるのは、聖なる先見の力と、平和を
司る神鳥・白鳩を祖とする一族である。彼らは始祖鳥の『先見』の力を使い、決して外れることのな
い予言を行ってきていた。
三十年前の予言。それは、争いの元となった存在である古の青い鳥と不死鳥、それぞれの魂の転生
者が二国の王宮内で近々誕生し、その転生者のうちのどちらかが、長きに渡る戦争を完全なる勝利へ
と導き、祖国へ永遠の繁栄をもたらす、というものだ。
この予言を聞いた両国は、大混乱に陥った。勝利を治めた国は、その後永遠の繁栄を約束される。
つまり、それ以降は二度と二国間の戦は起きない……負けた国は滅んでしまう、ということを暗に意
味していたからだ。行く末の鍵を握るのは、二人の転生者。
その後争いは熾烈を極め、両国は、十年前の大戦で両王を喪った。そして、まだ若き転生者が玉座
に着くことになる。不死鳥の転生者として生まれたカイトが、戦死した父の跡を継いで玉座に着いた
時、彼はまだ少年であった。常に向けられ続ける、予言の転生者への期待は、少年だったカイトには
重責に感じることもあったが、今では家臣や国民たちにも慕われ、信頼を得るまでに成長している。
たくさんの家臣や仲間たちに支えられて、これまでやってこられたのだった。
「転生者、か……」
溜息とともに、カイトは独りごちる。なんとはなしに発した言葉が、思った以上に憂いの響きを伴っ
て鼓膜を揺らした。
「……」
静かに書類を読み進めていたガクが、手を止めて、どこか心配するような顔でカイトを見ている。
カイトは、うっかり漏らしてしまった内心を悟られぬよう、努めて穏やかな笑みを浮かべると、今思
い出したというように、メイコに質問を投げかけた。
「そういえば……レンは今、どこにいる?」
「レン、ですか? うーん……さっき寄宿舎に寄った時は、見かけなかったですね。あれ、そういえ
ばあの子、今日は王宮警備だったはずじゃ。別の子が代わりにやっていたわね……ちょっと聞いてく
るわ」
メイコはそう言って執務室を出て行く。ちらりとガクを見ると、彼はまた憂い顔をして、首を横に
振った。彼も知らないとなると、いつものように王都にいない可能性がある。レンは、隙を見てはよ
く王都を抜け出していた。たいていは、修行という名目で聖気の多い場所に行っているようだが、社
会勉強だといって、見知らぬ土地へふらりと遊びに行くことも多い。それが国内であればまだ良いの
だが、中立国まで行かれてしまうと監視の目が行き届かない。毎回、何か問題ごとを起こさないかと
冷や冷やさせられる身にもなってほしいものだ。
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第一章 朱と青
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三日前、ヴィオーラヴィスキオまで書状を届けにレンを遣わせたのだが、まだ戻ってきていないよ
うだ。急いで馬を飛ばせば半日ほどで帰ってこられる距離だろうに、いったい何をやっているという
のか。執務に没頭してすっかり忘れていたが、どう考えても、帰ってくるのが遅すぎる。今日も通常
の任務さえ放棄している様子だ。
カイトがレンの職務怠慢ぶりに頭を悩ませていると、メイコが、レンとともに遣いに出ていた新人
近衛兵を連れて入って来た。彼は随分と顔色が悪く、メイコの隣で震えている。
「ああ、君は確か……」
「は、はい! ポールと申します、王様!」
「それで、ポール。君には、三日前にレン少尉と共にヴィオーラヴィスキオまで書状を届けに行くよ
!!
「ありがとう。だが、君の上司からの報告がまだでね。彼、レンは今どこにいるんだい?
彼の仕事も今日は君が代わりにやってあげているそうじゃないか」
「……そ、それは……」
聞けば、
て一人で勝手な行動はせず、仕事が終わったらさっさと戻って来いと念を押したはずなんだが……」
「それで、ポール。おまえはあいつに脅されて、一人で先に帰ってきたわけか。書状の遣い中は決し
メイコがからからと笑いながら、ガクを慰めるように言った。
たに違いないわ」
「そんな細かいこと気にするだけ無駄よ、ガク。だってあのレンだもの~。誰が育てたって、ああなっ
つい先ほど同じような言葉を言われた手前、カイトはガクの言葉を気まずい思いで受け止める。
を間違えたのは、この私です」
「嗚呼……王よ、申し訳ありません。私の教育不行き届きです。彼の教育係を務めたのは私……教育
な表情で天を仰いだ。
「いくらなんでも、これは……一兵卒が王に対して送る書状なのか……? はぁ、まったく」
カイトは辟易しながら、書状をそのままガクに見せる。するとガクはまた、片手を額に当てて悲壮
あまりにも雑なそれは、最後の文字が途中で切れている始末だ。
メイコが横から覗き込んで読み上げたその手紙には、雑な走り書きがたった一言だけ書いてあった。
「えーっと、……『少し修行してから帰る。心配しないでくれ』。わぁ……あの子らしいですね~」
カイトは受け取った手紙を読むにつれ、自然に口の端が引きつっていくのがわかった。
が、やがて決意したように、ばっと、レンから預かったという手紙を差し出す。
新人近衛兵は、緊張で色を失っている顔色をさらに悪くした。何かを躊躇うように目を伏せていた
書状は、しかと、先方のメントレ下士官様を通じて、お渡ししてお
う頼んでおいたはずだが、その報告がまだだと思ってね」
「……も、申し訳ありません
」
ります
!!
「……ん? 無事に書状は届けたということで、いいんだね?」
」
「はい
!!
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第一章 朱と青
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「も、申し訳ございません! でも、脅されたわけでは……その、どうしても頼むと言われてしまっ
て……余程大切なご用事があるのかと……」
「ポール。まだ入ったばかりで右も左もわからないようだから、私が教えてあげるわ。レンは我が侭
!!
俺は本気だ、とな」
ポールは、穏やかだと評判の王が、その瞳に仄かな怒りを滲ませていることに一瞬びくりと体を震
わせながらも、しっかりと約束を守ると誓って出ていった。
「王様ったら、そんなに怒らなくても~。レンの奔放ぶりは今に始まったことじゃないでしょうに」
「そうなんだがな……どうもあいつは心配だ。一人にすると、何をしでかすかわからない。それに、
いざという時に……」
「大丈夫ですよ~。ああ見えてあの子、結構強いんだし……修行ってことは……炎術の、でしょう?
いいんじゃないですか。そこかしこに聖気が漲っているあの国のほうが、修行場としても効率いいん
だし。あー、話聞いていたら、私も修行したくなってきちゃったな~」
「……」
このレアーレの森は、木々も風も、聖気をたっぷりと含んでいて、気持ちがいい。
ていたレンは、その眩しさに、ゆっくりと目を開けた。
中天を過ぎたばかりの太陽が、風に揺らめく緑の隙間から、ちらちらと顔を覗かせる。木陰で眠っ
旋風がざぁっと吹き抜け、びっしりと繁る大木の枝葉を揺らした。
* * *
どこまでも自由奔放な部下たちに、カイトは本日何度目かの溜息をついた。
ず、己の直感に任せて、周囲のことは気にせず、自由に邁進する。
この国の人間は、本当にこういう性格の者ばかりだ。単純明快、粗野で、物事をあまり深くは考え
メイコがさも良いことを思いついたと言わんばかりに、期待を滲ませた目を向けてきた。
「ねえ王様! どうです? 久しぶりに、私の稽古に付き合ってくれません? 私もたまには強い人
と手合わせしないと、感覚鈍っちゃいそうで」
で気まぐれなところがあるのよ。だから、『一生のお願いだ』とか言われても、絶対に信じちゃ駄目よ? 」
一生どころか、三日に一回くらいのお願いだと思っておけばいいわね~」
「そ、そうなんですか、メイコ将軍
「はい カイト王、本当に申し訳ありませんでしたッ 」
「……ああ、気にするな。次から気をつけてくれればいい。それで、次にあいつがまた同じような我
らは、何があっても、王様の命令を一番優先すること!」
「まあ、上官の命令を素直に聞くのは良いことよ。でも、一番上にいるのは王様なんだから、今度か
!?
が侭をおまえに言ったら、こう伝えてくれ。もし王の命令に背けば、一ヶ月の外出禁止令を出す……
!!