「個の力を引き上げる」 アルコール性手指消毒剤

「個の力を引き上げる」
アルコール性手指消毒剤
個人使用量モニタリング制導入への
取り組み
公益財団法人 日本心臓血圧研究振興会附属
榊原記念病院 感染制御室 室長
看護師長 感染管理認定看護師
手賀 みちる
1. はじめに
手指衛生は、医療関連感染防止のための最も重要な
対策の一つである。しかし、医療者は、手指衛生の重
要性を理解しながらも、依然としてその遵守状況は十
分な水準には至らず、教育および動機づけなど継続か
つ多角的に介入する必要性が高いとされている1)。
わたしの病院の感染対策
今回、小児患者における術後感染症の経験から、こ
れまでの手指衛生遵守に向けた取り組みを現場の看護
師らと共に振り返り、アルコール性手指消毒剤の個人
携帯ならびに個人使用量モニタリング制を新たに導入
した。その経緯と現状について紹介する。
写真2. 各病棟のリンクナース集合写真
2. 施設の特徴から考える感染管理
心臓疾患患者の多くは、血管内留置カテーテルや尿
施設の特徴(写真1, 2)
など循環動態モニタリングや治療に必要なデバイス類
路留置カテーテル、気管内挿管下での人工呼吸器装着
榊原記念病院
(以下、当院)は、循環器専門地域支援
および人工物が体内に使用される。患者にとっては、
型の急性期病院として、心臓疾患の患者を一人でも多
それらすべての挿入部(刺入部)や接続部などが微生物
く救命するため、365日24時間対応している。特に、
の侵入門戸となる。なかでも、医療関連感染の代表と
心臓血管外科手術は、年間約1,800件(2014年実績:
される CRBSI、CAUTI、VAP、SSI、CDI(表1)の危
成人1,312件、小児513件)と、全国から多くの患者
険に常にさらされている状況といっても過言ではない。
を受け入れている。
また、受け入れている心臓疾患患者は、新生児から高
齢者まで幅広い年齢層であり、既往歴には糖尿病、腎
障害、無脾症など易感染性宿主としてのリスクを抱え
表 1. 医療関連感染の代表例
・CRBSI:カテーテル関連血流感染
〔Catheter related blood stream infection〕
・CAUTI:カテーテル関連尿路感染
〔Catheter-associated urinary tract infection〕
・VAP:人工呼吸器関連肺炎
〔Ventilator associated pneumonia〕
・SSI:手術部位感染
〔Surgical site infection〕
写真1. 病院正面からの写真
・CDI:クロストリジウム・ディフィシル感染
〔
infection〕
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る患者も少なくない。寸刻を争う中で、感染リスクを
回避できないまま緊急手術となる患者も多く見られる。
したがって、当院における感染管理は、病院全体が
ハイリスク、ハイコスト、ハイボリュームであること
を特徴として踏まえ、戦略を企てる必要があると考え
ている。
3. これまでの手指衛生実践と介入について
アルコール性手指消毒剤は、患者ケアを実施するあ
らゆる現場の近くに設置することでスタッフの利便性
を高めるとされており、当院においても廊下や各病室
前、ベッドおよびモニター付近、作業台など、動線を
考慮した設置環境の整備に取り組んできた(写真3,
図 1. フィードバック用ポスター(例)
(定期的に各病棟へフィードバックをしている)
〔丸石製薬㈱院内啓発ポスター素材集活用〕
4)。また、2009年より毎月、アルコール性手指消
わたしの病院の感染対策
毒剤使用量を病棟毎に算出しフィードバックを行って
2002年10月に公開された「医療現場における手
きた(図1)。
指衛生のためのガイドライン」(以下、CDCガイドラ
病棟では、リンクナースや看護単位責任者が中心と
イン)の行動理論から学んだ教訓に、手指衛生キャン
なって自署の目標を設定し、手指衛生の遵守向上に努
ペーンを戦略的に計画策定するには、個人的要因、環
めてきた。
境的制約、施設の雰囲気などの相互作用を考慮に入れ
定量的な目標管理は病棟全体で使用量を意識するだ
なければならない2)とある。また、米国医療の質改善
けでなく、他病棟との競争意識を刺激し組織活性化の
研究所(Institute for Healthcare Improvement、以下、
一助となり得る。一方で、使用量のみの評価は、本来
IHI)の「手引き:手指衛生の改善」では、手指衛生の実
行われるべき手指衛生の実施場面までは把握が困難で
践の主要な要素に関する成功例を紹介している
(表2)。
あり、行動変容へのアプローチには至らないことか
これらを踏まえ、これまで当院で実施してきたアル
ら、取り組みの限界を感じるようになっていた。
コール性手指消毒剤使用量を算出しフィードバックす
るといった単純な介入だけでは成功しないことを、今
回経験した医療関連感染から改めて学ぶこととなった。
表2. 手指衛生の実践:成功例の紹介 1)
・医療従事者に提供される教材の補足として、手指汚染を
もたらす患者ケア活動の種類を検討する
・医療現場における手洗い及び擦式アルコール製剤の使用
における相対的な長所と短所を臨床スタッフと検討する
・多剤耐性病原菌やウイルスを含む医療感染病原体の伝播
において、汚染された手指が重要な原因となることを強
調する
写真3. PICU入口前の手指消毒剤の設置
・医療関連感染による罹患率と死亡率を臨床スタッフに情
報提供する
「手引き:手指衛生の改善」
(IHI)より一部抜粋
4. 手指衛生実務改善の契機と介入
(1)術後感染症の経験を通して
先天性心疾患の開心術後は、虚血、手術操作、浮腫
などにより心機能が低下する。特に新生児では、心機
能回復に時間を要し、肺の換気条件の変化が肺血管抵
抗の変化を介し、循環動態に大きく影響することか
ら、その間は開胸下で集中管理を要することが少なく
写真4. PICU内部
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丸石感染対策 NEWS
ない。
そのような環境で、患者家族や医療者の思いとは裏
とき同じ理由を口にすることはできない。故に医療者
腹に感染症によって双方にやりきれない現実と向き合
は、非遵守に陥りやすい状況下であっても、患者を感
わざるを得ないこともある。
染から守るために、感染予防への高い意識と正しいタ
当院は、開胸中あるいは小児集中治療室管理下で、
イミングでの手洗い、手袋交換などのテクニックが要
術後患者が菌血症となり人工血管感染や感染性心内膜
求される。手指衛生をはじめとした感染防止技術が、
炎、縦隔炎といった重症感染症を合併し、敗血症に
看護そのものであることを、看護師自身が納得し実践
至ったケースを経験した。
できるようにならなければならない。今後さらに、感
小児開心術後の開胸下患者は、開心術後において
染防止への理解を深め、納得し、実践できる看護師を
もっとも感染ハイリスク状態といえる。術後は、開胸
増やしていくためには、
「個の力」を引き上げる必要が
中の創内清浄化を目的とした洗浄をはじめ、循環動態
あった。
維持のための頻回な薬剤投与や侵襲的処置など、医療
者の手を必要とする場面が顕著である。特に、血管内
に留置されている各デバイスの留置期間は、患者の全
5. アルコール性手指消毒剤使用量モニタリング
身状態によって影響される。中でも、血管内へのアク
(1)アルコール性手指消毒剤の個人携帯義務化
セス回数が高頻度となるのは中心静脈ラインである。
2014年5月、当院での周産期センター開設に伴い、
血流感染(Blood stream infection:BSI)の原因は、
小児病棟、産婦人科病棟、小児集中治療室、新生児管
内因性、外因性の両者が考えられ、決して医療者がす
理室に従事する看護師を対象に、アルコール性手指消
毒剤の個人携帯を義務化した(写真5)。その際、私物
者にとって必要な治療を施す「命を繋ぐ手」であると
化を意識してもらうために、ポシェットにネームホル
同時に、医療者の手技や管理方法によっては、挿入部
ダーと通し番号を付けて配布した(写真6)。加えて、
や接続部などから体内に菌を侵入させ感染症を招く根
アルコール性手指消毒剤の使用量は、個人使用量とし
源ともなり得る。
て毎月モニタリングすることを公表した(図2)。
わたしの病院の感染対策
べての要因にはならない。しかし、医療者の手は、患
だからこそ、日常的に清潔・不潔に対する概念や感
染予防の意識を高く持つ必要がある。
(2)スタッフとの情報共有
手指衛生の実務改善に向け、小児患者から分離され
た各種細菌の検出状況を経時的に分析し、スタッフの
動線や看護行為による感染の機会についてディスカッ
ションを行った。スタッフとのディスカッションで
は、単に標準予防策や手洗いの重要性を伝えるもので
はなく、看護師としての原点に立ち返る内容とした。
自身が目指す看護や知識を高めることの意義、変革は
自身が変わらなければならないことなど、感染対策だ
けではない視点でディスカッションを繰り返し行った。
写真5. PICUでのケアの様子
小児看護では、Less Invasive Care(低侵襲治療)の
考え方が主であり、処置やケアを迅速かつ的確に行う
ことが、心負荷や苦痛を最小限にする。しかし、様々
な処置やケアが短時間に連続して行われるため、手指
衛生のタイミングを逸脱することがある。CDC ガイ
ドライン『手指衛生遵守の影響要因』で、手指衛生の
必要回数が通常、最も頻繁な場所であるべきはずの
ICU が最も遵守率が低かったとある。臨床現場におい
ても、
“忙しすぎる”
、
“過重業務”
、
“忘れていた”といっ
た要素を否定できない状況にしばしば遭遇する。
また、ディスカッションを始めた当初においても、
手指衛生の非遵守理由について、環境要因を主張する
スタッフが多かった。しかしながら、患者を前にした
写真6. アルコール性手指消毒剤の個人携帯
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「個人名」
と
「個人の使用量」
を表記し
病棟の掲示板で掲示
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〔横軸に個人名を表記〕
図2. 個人別アルコール手指消毒剤使用量
わたしの病院の感染対策
(2)個人使用量モニタリング
の交差伝播につながる可能性のある患者ケア行為の種
個人使用量モニタリング方法は、個人で使用したア
類についてのスタッフ教育の充実や、手指衛生行動と
ルコール性手指消毒剤の空ボトルを各病棟で所定の場
スタッフの各集団における手指衛生促進の主要要素の
所を設け回収する。リンクナースは、月末に空ボトル
評価など、教育との関連性についていくつかの課題を
を感染管理認定看護師(Certified Nurse in Infection
挙げている。
Cotrol、以下、CNIC)に提出する。CNICは、提出され
個人使用量モニタリングを導入して、十分な評価に
た空ボトルを測量、使用量を算出しフィードバックして
は至っていないが、感染管理の視点に囚われず看護師
いる。
や他職種の思いを理解した上で、
「手指衛生」が互い
フィードバック内容は看護師個々の使用量を表記
に必要な実務として導き出せるよう関わることが感染
し、病棟に掲示している(図2)。個人使用量が明らか
管理者としては重要だと痛感することができた。
になることで、手指衛生行動に関する動線やタイミン
感染管理者は、手指衛生の実務改善を成功させる戦
グなど具体的な個人指導が可能となった。また、
「他
略の中で、常に組織の特徴や成長度を査定し、それに
者との比較により不足していることを実感した」な
見合った教育や実践指導、リーダーシップをとってい
ど、従来のフィードバックでは得ることができなかっ
く必要がある。
た監視効果を引き出すことにつながった。
引用文献────────────────────
6. 今後の課題
今回の取り組みは、発展途上である。昨今発表され
ている手指衛生に関する研究数は増加している一方
で、課題も多く残されている。CDC ガイドラインで
は、手指衛生研究の課題として、手指の汚染や微生物
6
丸石感染対策 NEWS
1)How-to Guide:Improving Hand Hygiene−A Guide for
Improving Practices among Health Care Workers−:
Institute for Healthcare Improvement;
http://www.ihi.org/resources/Pages/Tools/HowtoGuide
ImprovingHandHygiene.aspx
2)監訳 満田年宏:医療現場における手指衛生のための CDC
ガイドライン.国際医学出版:39, 2003.