﹁ 雲仙と吉祥寺 ﹂という小さな冊子をはじめました。 ささやかなフリーペーパーでありますが、 雲仙と吉祥寺を結びつける 一つの媒体として育てていきたいと思います。 デザインは雲仙市小浜町を拠点に デザインワークをしているスタジオシロタニ。 編集・発行は僕らオーガニックベース。 雲仙と吉祥寺を勝手に姉妹都市宣言。 遠く離れた二つの土地。地方と街、風土と人。 vol. 5 July 2015 雲 仙 と吉 祥 寺 東京都武蔵野市吉祥寺南町 1- 6 - 7- 3F t / f 0422 - 46 - 0337 食 堂ヒトト それぞれの風を感じていただけたら幸いです。 まんま 全ては小さな一歩から。 東京都武蔵野市吉祥寺南町 4 - 6 - 8 -1F t / f 0422 - 40 - 2467 アトリエ間 間 手にとってくださったご縁に心から感謝です。 ﹁ 雲 仙 と 吉 祥 寺 ﹂ vol.5 2 0 1 5 年 7 月 号︿ 毎 月 発 行 ﹀ デザイン/スタジオシロタニ 発行 / オーガニックベース 「風土とたべる」を考えています。2003 年開業。代表 奥津爾・典子。 http://www.organic-base.com/ マクロビオティック、料理、身体、農、手仕事のクラスを日々開催。時折ギャラリーとしても。 たとえば、数百年つづく伝統的な製法でつくられた保存食。あるいは何代も種どりされた力強い 在来種の野菜。作り手の息づかい、その土地の風と土を感じる料理、空間を。 12:00 -15:00 お昼ごはん / 15:00 -18:00 お茶とお菓子 / 18:00 - 22:00 お酒と季節の料理 定休日/火・水曜日 *夜はご予約承ります。 わが町、雲仙・小浜。 この愛すべき温泉街の中心から歩いて数分の 刈水 ︵かりみず︶地区 で行われた ﹁刈水デザインマーケット﹂に出店しました。 まるで迷路のような細い路地、急な坂道、 苔むした石垣、過疎化の進んだこの小さな集落に 長崎県内はもちろん、 近県からも沢山の方が訪れました。 とにかく、最高の雰囲気。 市外の来場者は勿論、 刈水地区にお住まいのお年寄りと、 地元・小浜の子ども達の笑顔が至るところに。 娘や息子の同級生のお母さんや 子ども達とも沢山会ったなあ。 地元不在のイベントが多い中、それは凄いこと。 出店者も市内と市外の人たちの バランスが絶妙で、 地元密着のマーケットの 一つの完成形を見た気がしました。 オーガニックベースは 雲仙・岩崎政利さんの種どり野菜を 吉祥寺・ダンディゾンの 木村シェフのベーグルで挟んだ 毎回、楽しみにしてくれている ﹁雲仙と吉祥寺サンド﹂を。 地元のおばあちゃんもいるのです。 それは本当にうれしいこと、出店者冥利に尽きます。 つくづく、何かを目指さなくていいのだ、 と思いました。 やれ来場者を何万人動員しようとか、 やれマーケティング的にインパクト残そうとか、 やれテレビや雑誌で大きく紹介されたいとか、 そういうことを目的にする企画から 確かな価値は生まれるはずもない。 本物のイベントは、そういう中からしか生まれない。 その町を愛する人が中心に、じっくり企画すればいい。 ただ、背伸びせず、身の丈にあったやり方でやればいい。 雲仙より 今回、刈水デザインマーケットの空気感を味わいながら、 月。 そう確信しました。 次回は 皆様のお越しを雲仙でお待ちしております。 10 文・編集 / 奥津爾 長崎県雲仙市小浜町にて制作 「都市と地方」「伝統と新しさ」「交換と贈与」など 対立相補するもの ( 陰陽 ) からの創造がテーマ。 風 土とたべるを考える マクロビオティック、日本の伝統食、農と種、身体性、育児、手仕事など様々な企画を通して 吉祥寺では〈アトリエ間間 〉と〈 食堂ヒトト〉を運営。雲仙では在来種の野菜の栽培や自家採種に取り組む。 刈 水デザインマーケット、 ありがとうございました。 文・奥津爾 大 大 弘 写 真 展﹁ 野 鍛 冶 ﹂ 弘さんの写真を観たのは2007年、 忘れもしない雑誌﹁風の旅人﹂での鍛冶屋の写真でした。 燃え上がる火と真っ赤に熱せられた鉄、 何十年も同じ作業を繰り返してきたであろう 熟練の職人から立ち上る気配。 吉祥寺より かつてどの集落にも野鍛冶がいた時代がありました。 一つのものだけ作る専門鍛冶ではなく、 生活必需道具なら何でもつくる野鍛冶は 地域の暮らしぶりを写す鏡。 畑作地域なら鍬、鋤、鎌。 漁村だったら魚をさばく包丁、銛。 その全てがオーダーメイド。 型を使わず、作り手にあわせ一丁ずつ 赤めて叩いてカタチを生み出します。 鋤などの畑道具はその土地の土質、固さ、 石の混ざり具合に合うように作られ、 使い手の身長、体格によって 柄の長さや角度をまで考えて作られるそうです。 そんな、かつての豆腐屋のように 生活に密着していた野鍛冶という職人も、 年で何人残るか … 安価で使い捨ての工業製品の波にさらされ激減。 高齢化も進み、あと というところまで追い込まれています。 鍛冶屋の継ぎ手は少なく、 写真に写っている職人さんの中には、 後継者がいないまま亡くなられた方も たくさんいらっしゃるそうです。 さんが撮った写真一枚一枚と向かい合いながら、 野鍛冶がいきいきと道具を生み出してきた時代は、帰ってこない。 大 これは鎮魂の展なのだと思いました。 僕らの祖先の魂への。 写真展にあわせて、アトリエ間間では の展示を開催しました。 福島・いわきの omoto ﹁生まれ育ったいわきに、鍛冶屋の風景を残したい﹂ 設営を終え一杯呑む大 弘さん︵右︶と、 ライターのかくまつとむさん︵左︶。 さんが撮った写真が鎮魂ならば、 展示をして初めて、 自分がずっとやりたかった仕事は こういうことだったのだと気がつきました。 ほっておいたら失われていく佳きもの、 営々と継いできた人々の魂。 奥さんの智子さんは藍や柿渋で ノスタルジーに逃げず、 自分自身に問う仕事がしたい。 それらと、どう向かい合っていくのか、 美しく染め上げた手縫いの服やミトン、 吉祥寺で企画したこの小さな展でぼくが得たのは、 けている人たちと共に。 目の前の現実に自らの全てを そんな小さな、とても大事な確信でした。 それぞれの、それぞれにしかない アメツチに訪れた全ての人にとって、 伝統的な鍛冶技術受け継ぎながら、 本当にありがとうございました。 気付きがあったことを信じたいと思います。 ︵本人は﹁そんなつもりないよ﹂と笑い飛ばしそうですが。︶ 新しい野鍛冶の在り方を模索しています。 〝 漆かき 〟 の制作に挑戦中。 鉄と布、絶妙な調和。 〈 メール [email protected] 奥津まで 〉 康人さんは今、作り手が日本でただ一人の 智子さんは柔らかな陰。 康人さんが固い陽ならば、 ヌルい楽観でやり過ごさず、 藍染のケースは智子さん作。 大 また置いていただけるお店があれば是非ご連絡を。 職人の魂への。 ヒトトとアトリエ間間で販売しています。 風土とともに、道具とともに暮らしてきた、 アメツチの展にあわせ写真集を作りました。 のような職人の在り方は、 omoto 失われいく鍛冶屋の風景の中に兆した小さな光。 写真 |大 弘 文 |かくまつとむ デザイン|松井雄一郎〈 suigen 〉 発行 |オーガニックベース 刃を包むような包丁ケースを作ります。 という康人さんは様々なスタイルの包丁を。 イヌイットの包丁を模した康人さんの作品。 弘写真集「 野鍛冶 」 大 野鍛冶たちの息吹がすぐそこに聴こえるかのような さんの野鍛冶の写真。 生々しい営みと神聖なカタチ。 あれから8年間、 何度も見続けてきた大 まさかその展示会が実現するとは、 当時夢にも思いませんでした。 会場には写真と共に、 点も展示。 かくまつとむさんが全国の鍛冶屋取材で集めた 鉄の道具約 見たこともない牛の爪切り、白菜の収穫用の包丁、 漆かき等の道具は、 その土地に住んでいた人々の生活そのもの。 それらはかつてキャバレーの控え室だった ヒトトの朽ちた空間に、土や海の匂いを 運び続けてくれていたように思います。 10 文・奥津爾 〈 アメツチ 〉、ありがとうございました。 o m o to 布と鉄の展 50
© Copyright 2024 ExpyDoc