前号作品短評A〈小野澤〉

前号作品短評A〈小野澤〉
●「サラブレッドのふる里」なればラッキーよ土に還りて牧草になれ 河村郁子
一連は、ある事情を順に追う。そのきっかけとなったのは一通の封書だ。作者の愛犬(ラッキー、
われわれにも馴染みだ)の遺骨が都内の霊園から北海道の日高牧場に移葬されたこと。航空会社勤
務歴のある作者でも過去に日高地方を訪れる機会はなかったが、
一連中の歌にあるように、
今はユー
チューブで牧場の様子をしることもできる。一連タイトルは「牧場葬」だが、ごく身近には「日高
けふよりは日頃味はふ昆布には〈日高〉を求む〈利尻〉に非ず
昆布」ででもあろうか。思いは深く、拡がっている。そういうことで、さいごはこんな歌のよう。
●反り橋の反りの確かさ曼珠沙華 谷垣滿壽子
反り橋は、中央が上方にふくらんでいる橋と、大辞林にあり。石ででもできているのか。いずれ
にしても意図をもって造作されているものだから、人工のもつ堅固な確かさがある。そこに、橋の
たもとででもあろうか、うつろうものでもある季節の曼珠沙華を配した。色彩もある。前後の句に、
活 け ら れ て 風 忘 れ た り 秋 櫻
子の切りしテープの白さ天高し
気付かず通りすぎるところだっ
いかにもな秋の句。秋櫻、じぶんは昨秋十月桜の咲くのをみたが、
た。花がまばらにさびしく点いている。活けてもなおのこと、と思われた。
●星月夜何もかも入れ温サラダ 新野祐子
や
け
ホットサラダという云い方もあるようだ。温野菜サラダもある。今サラダレシピは多い。サラダ
にはある新しさとざっくばらんなところがある。ダメはないのだ。
「何もかも入れ」に込められる
気持ちは何だろうか。星月夜にして。次の句にもある自棄なものだろうか。
絶望せぬとふ処方箋濁酒
ポ
ネ
やや込みいった字画の絶望に濁酒の濁の字画の多さは合うようだ。結局、酒かよお、という突っ
込みもあるかもしれない。清酒でなく「濁酒」が選択されたのは、「何もかも」にもあるが、〈俗(生
活)〉というところか。
ハ
本人にならむと言へり 布宮慈子
●受賞ののちイラクを撮りし監督は次の世日
下句の思い、には何か重いものが感じられた。それは、イラクのここの今、直近の過去が思い起
こされるからだろう。「受賞ののち」は「山形国際ドキュメンタリー映画祭」
(一連タイトル)で、
市民賞を受賞したという作品『祖国 ― イラク零年』の監督だろう。上映後に監督との間で質疑応
答の時間があったようだ。十月半ばの八日間に作者はつごう二十六本を観たらしい。さいごの歌に
も、その間が何か集中するもののあった日々だったことが出ている。
映画観てわが足元が南米の道となるころ秋は深まる
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展景 No. 81
展景 No. 81
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前号作品短評B〈慈子〉
●亡き母の搔巻の柄思ひ出づ鹿の子模様にビロードの衿 丸山弘子
「搔巻」を知る人は少なくなっただろう。ある時代までは日本中で用いられていたはずだが、とん
と見かけなくなった。掛けて寝ると肩口が寒くなくて、冬は重宝したものだ。掲出歌は、柄と素材
に具体性があり、母につながる思い出として鮮やかである。一首目は、これを引き出すための歌。
●褐色の気根のひげをあまた垂るるバンヤン老爺のごとしと見あぐ
結城 文
ベランダに搔巻といふ夜具干され思ひがけなき懐しさにゐる
ろうや
バンヤンはバニヤンともいい、クワ科の常緑高木でインド原産。高さは三十メートルにも達し、
横に伸びた枝から多くの気根を出すという。作者は世界中を旅していて「八月のフロリダ」の一連
も旅の歌となっているが、「老爺のごとし」と言ったところに大樹に対する畏敬の念も感じられる
甘やかな青海カリブ海わたる朝風にそよぐバンヤンの葉むら
歌と な っ た 。
●竹垣の真新しくて冬陽さす庭隅につつじの返り花あり 池田桂一 「心暗き日」の一連にあって、すこしホッとする歌である。現在、福島県伊達市に住む作者は、季
節の変わり目にいて冬の厳しさを強く感じているようだ。たしかに真冬よりも、冬になりかけのこ
ろが心身にこたえるものだ。また次の歌のような思いは、東日本大震災のあと誰しも経験している
かもしれない。いまの自分を正視するために作歌することもある。
つきまとう署名をさけて人混みに虚しく入りぬ心暗き日は
●澄みわたる秋の陽まぶしわが前の一鉢に咲く小花紫 市川茂子
大きな景から、目の前の鉢植えの花に焦点が絞られる。この転換がうまく決まった。ていねいに
事柄を述べていくこともだいじだが、歌が平板にならないように、意識してどんどん挑戦していく
べきだと思う。「小花紫」は正式な花の名ではないようだが、紫の小花が咲く種類のひとつをいっ
ているのだろう。次も、色を出すことで歌の輪郭がはっきりとした。
色冬の兆しに
にびいろ
高 き よ り 覗 く 夕 ぐ れ 街 の 灯 を 包 む 鈍
●ゼッケンにメッセージ「歩きます。」は中学生走らないという意味か 小 野澤繁雄
タイトルの「第 回スリーデーマーチ」は、作者の住む埼玉県東松山市のイベント。昨年十一月
の一、二、三日にわたって行われたらしい。五キロから五十キロまでさまざまなコースがあり、三日
間のルートも多彩なようだ。作者もこのウォーキングのイベントに参加して、道から見えたものを
うたった。日常と違った人とのふれあい、見え方が新鮮だ。
「みちじゃない」中学生が云う土のみち埃を立てて彼ら歩き方
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展景 No. 81
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