「日出ずる処の天子」と聖徳太子の真実

-『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会-
「日出ずる処の天子」と聖徳太子の真実
『盗まれた「聖徳太子」伝承』は、従来聖徳太子のものとされてきた伝承・事績が実は誰の
ものであったのかを、九州王朝説の立場から様々な角度で論証するものです。出版を記念して
古田史学の会・株式会社明石書店の共催で、東京家政学院大学にて、講演会を開催します。
聖徳太子や「日出る処の天子」に関心をお持ちの方、是非ご参加ください。
『日本書紀』では、厩戸皇子が推古天皇の摂政として仏教を
講演会開催次第:
崇拝し、大陸の文化や制度をとりいれ、冠位 12 階や 17 条憲法
平成 27 年 9 月 6 日(日)
を定め、推古 29 年(621)2 月 5 日に没したとしています。
そして厩戸は「日出る処の天子」と名乗り「隋」との対等外交を
13:00 開会
演題Ⅰ(13:10~14;20)
聖徳太子の原像
―姓は阿毎、字は多利思北孤―
正木裕(古田史学の会事務局長)
演題Ⅱ(14:30~15:40)
すすめた「聖徳太子」として様々な伝承が伝えられています。
しかし、同時代の俀(倭)国の実情を記した『隋書』には、厩
戸は勿論、推古天皇も見えず、「日出る処の天子」は阿毎多利
思北孤であり、その国には阿蘇山有りと記されています。
また、法隆寺『釈迦三尊像光背銘』の「上宮法皇」は聖徳太子
とされていますが、その登遐年月日は 「法興元 32 年(622)
日出ずる処の天子と「肥後の翁」
古賀達也(古田史学の会代表)
質疑・応答(15:40~16:00)
16:00 終了
2 月 22 日」と厩戸と相違する上、母・妻の名も厩戸と合わず、
「法興」という年号も大和朝廷にはありません。 それでは「聖徳太
子」として伝えられる人物はと一体誰のことだったのでしょうか。
本講演では九州王朝説の立場からこの疑問に答えます。
◎予約申し込み不要、当日受付。参加費 1,000 円
「盗まれた『聖徳太子』伝承」
学生は無料とします。
古代に真実を求めて第 18 集
日時:平成 27 年 9 月 6 日(日)13 時~16 時
場所:東京家政学院大学 千代田キャンパス 1 号館
4階教室(1407)東京都千代田区三番町 22 番地
古田史学の会編
出版:株式会社明石書店
2015 年 3 月 25 日出版
A5・266 ページ
税込 3,020 円
(内容)
古田武彦講演録「深志から始まった九州王朝
真実
の誕生」や、家永三郎氏との聖徳太子論争の特別イ
ンタビューを収録。また、法隆寺以前の持ち主が書
かれていた部分が切り取られた痕跡が写る『法華義
疏』のカラー写真、更に「法隆寺釈迦三尊像光背銘」
や『隋書』俀国伝の古田氏による訳文や諸研究者の
論文を掲載する古田ファン必見の書。
◆お問い合わせは古田史学の会(開催責任者:服部静尚 [email protected]
℡090-7364-9535)まで