ベルギーにおける「移民問題」の歴史 中條健志(CHUJO Takeshi) 大阪市立大学都市文化研究センター ドクター研究員 1.発表について 目的 ベルギーにおける「移民問題」とは何か? → 移民が語られる際に、何が「問題」とみなされてきたか。 → 近隣諸国(フランス、ルクセンブルク)との違いはなにか? 内容 ・ベルギーにおける移民史を概観しながら、移民がどのように語られていたのかを確認する。 (Caestecker 2000, 2005, 2006 / Martiniello 2007 / Morelli 1988 / Réa & Bribosia 2002) ・「統合」をキーワードとし、2つの談話資料(CRPI 1989 / Dupont 2006)をもとに、今日に おける「移民問題」について検討する。 ベルギー移民史 1. 19世紀(1830年~) 国外からの移住 富裕層が中心。 イギリスの政治エリート、ドイツの銀行家・経営者、オランダの行商人。 政治レヴェルでは経済活動を活性化するための「移動の自由」が語られ、移民 はベルギーの都市における経済・社会状況を改善する存在としてポジティヴにと らえられた。 国外への移住 経済的に貧しかったフランデレン地域からフランスへの移住が中心。 おもに北フランスにおいて鉱山労働に従事。 1880年の在仏ベルギー人は約50万人。 ベルギー移民史 2. 20世紀(~1930年代) 労働力不足と移民(~1920年代) 出生率の低下と労働力人口の減少、重工業の発展による労働力不足。 外国人労働者の必要性が著しく高まる。 鉱山労働従事者がとりわけ減少:子どもに継がせたくない仕事、とみなされるように。 :1930年には4分の1が外国人労働者(近隣諸国だけでなく、南欧や東欧出身者も)。 移民の増加と管理(1930年代) 国境管理が厳しくなる。1918年以降、国内でのパスポートおよび査証の携帯が義務化。 1930年代の経済危機により失業率が悪化。一時的にゼノフォビアが高まる。 ‟移民が「ベルギー人の利益」を害すのではないか‟ ‟移民は「補完的」な労働力である‟ といった言説が支配的に。 ベルギー移民史 3. 20世紀(~1970年代) 鉱山労働者としての移民(~1950年代) 経済危機のあいだも、鉱業における労働力不足は継続。 1947年:約13万人の労働者のうち半数以上が移民。 大戦前は東欧諸国、大戦後はイタリア出身者が中心に。 :マルシネル鉱山での火災(1956年8月8日)により、136人のイタリア人が死亡。 → イタリア政府によって、イタリア移民の労働環境の整備が要請されるも、ベル ギー政府はこれに応じず。移民が外交問題に発展する。 → 以降、ギリシャ、スペイン、トルコ、モロッコからも移民を受け入れる。 経済成長期の移民(~1974年) トルコ、モロッコ出身者を中心に、鉱業、重工業、建設業、繊維業、金属業に従事。 受け入れ産業の拡大と、労働許可証の交付数の増加。 ⇒ 成長が著しかった1960年代を中心に、移民の受け入れが積極的に展開された時期。 ベルギー移民史 4. 20世紀後半~現在 受け入れの消極化と移民(1974年~1980年代) 石油危機、オートメーション化、企業の海外移転を背景に、労働許可証の交付が減少 傾向に転じ、政府は移民の受け入れにたいし消極的に。 IT産業のみ移民労働者を受け入れた:インド、東欧諸国の有資格労働者が対象。 1980年代に入ると、欧州域内の移民現象(南→北)が停滞。 また、欧州統合の展開と、EU域内の移動の自由化により移民政策が変化。 → 域外からの移民を制限する方向に。 ※難民・庇護申請者、家族呼び寄せのみを合法化。 :前者は東欧諸国、後者はトルコ、モロッコ出身者が中心。 ベルギー移民史 5. 20世紀後半~現在 無資格労働に集中する移民(~現在) 建設業、飲食業、(その他)サービス業における低賃金、非正規労働者に需要。 ※非合法な状況におかれた移民を含む。→「不法移民」が問題に。 ※政策的に受け入れをおこなっているのは、農業分野における移民のみ。 出身国別の移民数(2013年) 1.イタリア 434,571人 4.トルコ 229,811人 2.モロッコ 5.オランダ ※帰化者と第二世代を含む。 407,647人 209,725人 3.フランス 6.スペイン 266,453人 81,866人 移民をめぐる政治談話 今日的な「移民問題」への転換 1989年:王立移民政策局(Commissariat Royal à la Politique des Immigrés)設立。 ※1980年代前半からの極右勢力(フラームス・ベランフ、国民戦線)の台頭が背景に。 事例1 報告書第1号(1989年11月)における議論。 ・ベルギーは多文化社会であり、それを否定することはできない。 ・この社会が抱えているのは「統合」(intégration)の問題である。 ・移民たちはこの社会に十分に「適応」(adaptés)していない。 ・解決策は文化的なもの(法、言語、社会文化的価値への適応)でなければならない。 ⇒ 移民たち自身が、極右勢力台頭の要因の一部である。 移民をめぐる政治談話 報告書の影響(Blommaert 2006) ・以降の移民にかんする議論を決定づける。 → 移民問題は統合問題に。 → 統合というタームがメディアにおいても一般化。 → 対極右勢力という文脈のなかで統合政策の展開が訴えられる。 → 移民の文化的差異が強調される。 :西欧社会に相容れないイスラム、という図式。 → 移民の若者(jeunes immigrés)による非行への介入が統合問題に。 :社会の治安悪化は移民に(も)原因がある。 移民をめぐる政治談話 研究集会「移民と統合を別の角度から(autrement)考える」(2004年10月18-19日) 事例2 クリスチャン・デュポン機会均等相の基調講演。 ・統合政策は十分に機能していない。 ・ベルギーは、多様な文化とアイデンティティから成る社会であり、そこでは、多様 性により関心をもたせるための教育が重要である。 ・外国に出自をもつ若者(jeunes d’origine étrangère)は、多様性のなかから自らの アイデンティティを見出し、市民となることができる。 ・文化的多様性とは豊かさを意味する。 ・移民に出自をもつ若者(jeunes issus de l’immigration)は国の未来である。 まとめ 移民(問題)とは? 19世紀 富裕層。経済・社会発展にとって重要な存在。「移動の自由」。 20世紀前半(~1974年) 労働力を補うもの。無資格労働者。情勢によってはゼノフォビアの対象に。 20世紀後半(1974年~) 必要な労働力ではない。難民・庇護申請者、呼び寄せられた家族。 極右勢力の台頭を背景に「統合」の対象に。文化的差異という問題。 現在 第二世代(以降)。文化的多様性という豊かさ。 まとめ フランス、ルクセンブルクとの比較 ・移民の送出国であったという点で、ルクセンブルクと類似。 三国の共通点 ・20世紀前半からの移民という流れ。 ・1970年代以降の、家族呼び寄せや第二世代の社会問題化。 ・移民問題が統合(intégration)問題として語られる(1980年代後半~)。 ⇒ 「文化」の捉え方に差。 【出自の文化や多様性を強調】 【受け入れ国の文化への統合】 ベルギー、ルクセンブルク フランス ⇒ 「移民」の捉え方に差。 【移民に出自を持つ人びと】 ベルギー、フランス 【受け入れ国の国籍を持たない人びと】 ルクセンブルク ベルギーにおける「移民問題」の歴史 中條健志(CHUJO Takeshi) 大阪市立大学都市文化研究センター ドクター研究員 [email protected]
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