『ウェブ社会のゆくえ 』

●小論文ブックポート 108
通勤・通学など移動中まで慌
『ウェブ社会のゆくえ
〈多孔化〉した現実のなかで』
●鈴木謙介 著
〈連載〉小論文ブックポート
ただしく情報のチェックに追わ
れる状態は「ソーシャルメディ
ア依存」。この問題を考えるには
「携帯電話依存」が参考になる。
NHKブックス(定価 本体1000円+税)
誰が「依存」しやすいか。ケー
タイメールと人間関係に関する
調査からは、ケータイメールの
活発な利用者は「対面関係や対
人関係も活発な人」の一方、「孤
独感に対する耐性が低い傾向」
む 中 で「『 こ の 現 実 』に お け る 他
が見られるという。ここに「孤
者との共生関係をどう維持すべ
立不安という社会関係の問題」
きか」を論じたのが本書である。 を 見 い 出 し、「 本 人 の 意 思 や 意
最後にチェックした情報か
識、 携 帯 電 話 の 利 用 そ の も の 」
ら現在までに何が起きたのかを
で は な く、「 そ の 人 を 取 り 巻 く
閲覧し、「いいね!」を押す。合
環境」を著者は考えようとする。
間に友人とのメールやLINE
ソーシャルメディアについて
でのグループチャット、ミニゲ も、アクセスの頻度は孤立不安
ーム……。ソーシャルメディア
と関係する。ただし、電話やケー
をめぐる日常はこんなところで
タイメールは対人距離感が近い
あろう。だが「携帯電話がスマー
人に用いられるのに対し、ソー
ト に な り、 複 数 の ア プ リ ケ ー
シャルメディアは「対人距離感
ションを同時に起動できる、マ
が遠い人」に用いられる。そし
ルチタスクになったからといっ
て「相手から引かれない」こと
て、人間のタスク処理能力はそ
を目指し、「空気を読みながら」
れ に 見 合 う ほ ど は 進 化 し な い 」 書き込みを重ねる。
と 著 者 は 指 摘 す る。画 面 も 一 つ
こ う し た「 空 気 を 読 み 合 う 」
だから、「ただひたすら忙しい」。 人間関係に疲れた人を「ソーシ ャル疲れ」と呼ぶ。ソーシャル
ループの姿はもはや珍しくない。
スマートフォン(スマホ)に
よるメールや,LINEなどの
筆者が「対面の人間関係がバー
ソーシャルメディアは、高校生
チャル世界の関係に優先すると
も含めて現代人に不可欠な情報
いう規範は、そこではもはやお
ツールである。他方、時間と空
互いに期待されていない」とい
間を選ばず人とつながりあえる
う風景である。一方、ツイッター
状況は、私たちの人間関係をも
の書き込みで、近くのCDショ ップでお気に入りのアーティス
大きく変えつつある。
トのイベント情報を知り、駆け
これら情報環境の変化は、入
試小論文の頻出テーマでもある。 付けるなどということもある。
このように、従来は「現実の
そ こ で 今 号 で は、 鈴 木 謙 介 著
『ウェブ社会のゆくえ〈多孔化﹀ 空 間 」 と 思 わ れ て い た 場 所 に、
した現実のなかで』(NHKブッ 「 複 数 の 情 報 が 出 入 り し、 複 雑
なリアリティを形成すること」
クス)を読む。
を著者は、「現実空間に情報の出
依存の背景に孤立不安
入りする穴がいくつも空いてい
る状態」という意味で「現実の
多孔化」と呼ぶ。現実が多孔化
し、様々な人々の思惑が入り込
ファミレスやハンバーガー店
などで、無言のままスマホに向
か い、 メ ー ル や 検 索 を 行 う グ
疲れの要因には他に、ネガティ
る。
この点を著者は社会学の「役
されないかもしれない」からだ。 信 し て い る 相 手 か ら の 期 待 が
ブな感情を婉曲的に表現する
割」概念で説明する。私たちは
社会学では「親密である」と 「等価」なものとなり、その時々
「ほのめかしコミュニケーショ
自分の役割を、他者からの期待
は
、
「
閉
ざ
さ
れ
た
プ
ラ
イ
ベ
ー
ト
で優先順位を判断しながら、振
ン」もある。ほのめかしコミュ (予期)で獲得する。学校では「学
な領域で、お互いの深い部分を
る舞い方が決定されているので
ニケーションをする意図は幾つ
生」
、アルバイト先では「店員」 見 せ る よ う な 間 柄 」「 他 人 に は
あ る。 最 も 親 密 な 関 柄 で す ら、
か考えられるが、そのうちの一
など、場面に応じた役割を引き
見せられないような部分まで見 「 現 実 空 間 は メ デ ィ ア を 通 じ て
つとして、著者は「他者に見ら
受けることが求められる。
る/見られることで育まれるも
複数の期待が寄せられる多孔的
れることを前提に自分について
の」だと考えられてきた。
な も の 」 と な り、「 同 じ 空 間 に
だがメディアの存在は、空間
書くことで、他人から見られる
を分けることによる「役割間の
しかし、 世紀に入り、産業
いる人同士がその場所の意味を
自分を演出し、安定的な自己像
壁」を無効化する。その一つの
化と都市化による若者の大都市
共有せずに共存する」のである。
を 獲 得 し て い る の で は な い か 」 現れが、従来から指摘され続け
への移動などにより、人々は「見
後 半 部 で 著 者 は、「 多 孔 化 し
と推測する。だがそこでは「見
る、車内や公共空間での「携帯
る/見られる関係」の強制を疎
た社会の中で、どう共同性を紡
て欲しいように見てもらってい
電話をめぐるマナーの問題」だ。 ん じ、「 放 っ て お か れ る 権 利 」 ぎ、連帯していくのか」をテー
る か ど う か の 不 安 」 も 生 じ る。
を
求
め
て
き
た
。
今
は
「
素
の
自
分
」
マに、「地域」や「記憶の継承」
これを先鋭化させるべく考察
こうした流れから、さらなる依
されたのが「デート時の携帯マ
すらも「どのように、誰に見せ
へと、論考を深めていく。
存に陥ってしまうと考えられる。 ナー」である。恋人がデート中
るのかを選択できる」ものに
著者は阪神・淡路大震災後に
に携帯電話ばかりに気を取られ
な っ て い る。「 見 せ た い 相 手 を
神戸に移住し、さらに東日本大
一緒にいて も 、 別 の 空 間
ている状況を「不快」と思う人
選んで見せたい自分だけを見せ
震災に対する現実を踏まえつつ
は 少 な く な い。「 な い が し ろ に
るようにしたい」、「自己情報コ
本 書 を ま と め た。「 現 実 の 多 孔
自分について過度な演出が可
能となると、「ソーシャルメディ
されている」と感じるためだ。
ントロール権」も登場している。 化とそれによる共同性の継承の
ア 上 の 私 」 と「 現 実 空 間 の 私 」
著者は「この感覚はまったく
困難というモチーフは、そのま
その結果、ウェブ情報で自分
の間に齟齬が生じる可能性もあ
もって正しいが、その前提は必
の「 恥 ず か し い 部 分 を 削 除 し、 ま 現 在 の 神 戸 で 起 き て い る こ
ずしも正しいものではなくなっ
自分が理想とする自分」を描き、 と」と言う。他方で著者は「人
ている」と言う。何故なら、「携
それらを見せられる相手を「親
が人に遺せるものは『場所』と
帯電話の向こうにいる相手より
密
」
と
考
え
る
人
も
出
て
く
る
。
『
智 恵 』」 と も 語 る。「 多 孔 化 」
も、目の前にいる私の方が、近
する現実の中で、どう私たちの
こうした感覚の変化が、先の
くにいる以上は親密で、あなた 「 デ ー ト 中 の 携 帯 電 話 」 に も 影
足場を作っていくか。本書はそ
にとって大事な人物であるはず
響している。つまり、目の前の
の手がかりとなるだろう。
(評=福永文子)
だという期待は、相手には共有
恋人からの期待と、ウェブで通
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