北 上 川 の 霧 に 育 ま れ る 貴 重 な 茶

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政 宗 が 始めた 茶 栽 培
北上川の川岸から鹿島山への急
坂を、息を切らしつつ上る。杉林が
ぽ っ か り 開 け た か と 思 う と 、い き
うね
な り 美 し い 茶 畑 が 現 れ た 。刈 り 込
まれた茶樹の畝が山肌を覆って整
然 と 並 ぶ 。眼 下 の 樹 間 に 北 上 川 の
もの う
川 面 が 輝 く の が 見 え た 。こ こ は 石
巻市北部、桃生町にある鹿島茶園。
「産業として成り立っているもの
と し て は 日 本 の 北 限 で 、宮 城 に 残
る唯一の茶畑でもあります」
そ う 教 え て く れ た の は 、鹿 島 茶
園 の「 桃 生 茶 」を 一 手 に 扱 う 茶 商 、
ほ ど で 、矢 部 さ ん に よ れ ば 仙 台 市
北上川の
内にも茶畑と付く地名が残ってい
るという。
霧に育まれる
の 関 係 で 収 穫 量 も 少 な く 、静 岡 や 貴 重 な
茶
矢部園茶舗の矢部亨さんだ。
茶人としても知られた政宗は、
茶の樹を取り寄せ領内各地に植え
京都などの有力産地に太刀打ちで
そ の 後 、幕 末 に は 再 び 藩 主 に
よ っ て 栽 培 が 奨 励 さ れ た が 、気 候
させたといわれる。書状に「奥州の
き ず 、明 治 を ピ ー ク に 次 第 に 衰 退
た茶の枝葉が敷き詰められている
が 、こ れ が 雪 や 夏 の 強 い 日 差 し か
ら茶の根を守るのだという。
「茶畑があるなんて思いもしない
よ う な こ ん な 山 の 中 で 、大 切 に 育
て て き た 茶 畑 へ の 熱 い 思 い 、日 々
の努力には本当に心を打たれます」
と 矢 部 さ ん 。桃 生 茶 は 近 年 ま で
地 元 消 費 が 大 半 で 、商 売 に は な ら
宇治といわれるほどになるだろう」
開かれ、その後廃れていたが、昭和
な い 状 況 が 続 い て き た と い う 。茶
の 道 を た ど る 。鹿 島 茶 園 も 明 治 に
年 代 に 現 在 の 園 主 、佐 々 木 浩 さ
え冬に雪が積もる地でいい茶を作
ここでは北上川の川霧がおいし
い お 茶 を 育 む と い わ れ る 。と は い
んの祖父が再興したという。
い。そのために販路を開き、その存
城の茶の伝統を何とかして守りた
味 わ い を 、そ し て 政 宗 か ら 続 く 宮
園を育ててきた佐々木家の熱意と
人々の思いと物語が託されている。
矢 部 さ ん に 至 る 、茶 に 魅 せ ら れ た
に は 、政 宗 に 始 ま り 佐 々 木 さ ん や
風を思わせる香り――。その味わい
や か な 苦 み 、そ し て 山 を 吹 き 渡 る
さ だ っ た 。清 澄 な 甘 み と 旨 み 、爽
お 茶 は 、目 が 覚 め る よ う な お い し
部さんが特別に振る舞ってくれた
「ぜひ茶畑で味わってほしい」と矢
な思いがある。
茶にほれ込んだ矢部さんにはそん
努 力 に 報 い 、こ の 素 晴 ら し い 茶 の
る に は 、大 変 な 努 力 や 工 夫 が 必 要
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在 を 広 く 世 に 知 ら し め た い 。桃 生
上越市本町商店街
だ。畝間には、刈り取って乾燥させ
【矢部園茶舗】 q宮城県塩竈市海岸通2-3 jJR「本塩釜駅」
から徒歩約3分
☎022・364・1515
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AD
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4/鹿島茶園で栽培されている桃生茶の茶葉。5/この日矢部さんが振る舞ってくれた、桃生茶の氷出
し茶。氷で茶の甘みをじっくり抽出して飲むのも味わい深い。6/鹿島茶園が大切に育てている、美しい
茶畑。7/鹿島茶園の現在の園主、佐々木浩さん
1
というような記述も残されている
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矢部園茶舗の矢部亨さん
1/鹿島茶園で、いつから育っているか分からないほど古いものだという在来種の茶。2/桃生茶をはじ
め、さまざまな茶を販売する矢部園茶舗。3/「伊達茶」
として販売しているペットボトル茶。桃生茶の一
番茶葉を100%使用した数量限定品
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