クリニックだより 気・心・体 第99号 平成27年1月1日 高森内科クリニック *アルボムッレ・スマナサーラによる仏教解説* 「アルボムッレ・スマナサーラ」 スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。 スリランカ仏教界長老。13歳で出家得度。国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭をとる。 1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で 初期仏教の伝道と瞑想指導に従事している。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を 務めるほか、NHK教育テレビ「こころの時代」などにも出演。 1,四つの法則 宇宙全体の生命は四つの法則で機能しています。 ①「自然法則・物理法則」 ②「遺伝の法則(種の法則)」 ③「心の法則」 ④「業の法則」 2,人生を管理している力、法則 仏陀はそれを「カルマ」だと説かれました。日本語では「業」という言葉に訳されま す。生命は「カルマ(業)」によって完全に管理されており、われわれはカルマからの 影響から脱出することは不可能なのです。 3,仏教における「十悪」と「十善」 ①生命を殺すこと ①生命に対する慈しみ(不殺生) ②盗むこと ②与えること(布施) ③邪(よこしま)な行為をすること ③小欲知足 ④嘘をつくこと ④事実を語る(正直) ⑤粗悪語(怒鳴って侮辱すること) ⑤優しい言葉を語る(愛語) ⑥離間語(陰口、中傷) ⑥互いを和合させる話(仲裁話) ⑦むだ話 ⑦役に立つ話 ⑧精神的な異常な欲 ⑧欲を離れる(離欲) ⑨異常な怒り ⑨慈悲の精神 ⑩邪見 ⑩正見(智恵) 4,人から愛されるための四つの性質 ①布施:いろいろ自分のできるやり方で人を助けること ②愛語:よく考えて、相手の喜ぶことをしゃべること ③利行:人の役に立つ人間になること ④同事:平等であること 5,本能のままに生きてはいけない 仏教の修行は、人々に初めから本能のコントロール能力を教えています。普通、生命 は皆同じです。昆虫も人間もまったく同じ衝動で生きています。「生きていきたい」と いう渇愛と、「死にたくない」という恐怖感です。これが生命の本能です。生きること の支えになるものは、なんでも好きになります。自分の生きることに邪魔になるものは すべて嫌いになります。本能のままで生きていると、生命にはなんの成長もありませ ん。 仏教の修行は、本能と闘ってみることだと言っても構いません。普通の生命なら自分 が敵だと思う生命を殺したいのです。栄養になるのだと思う生命を食べてしまうのです。 そこで、仏教は「殺生するなかれ」と言うのです。修行者に「本能と闘って勝ちなさい」 と言っているのです。「原始脳に負けるな」と言っているのです。 6,一切の概念から解放される 智恵があるというのは、心の中に先入観や価値判断がなく、さまざまな概念で固まっ ていないことなのです。一切の概念から心が解放された状態です。価値判断にしがみつ いたり、知識にしがみつくと、心は柔軟性を失って固く狭くなります。その心には、新 しいものは何にも入りません。 智恵のある人の心には、何でも入ります。その瞬間に判断もできます。しかし、それ によって執着することもなく、また空(くう)に戻るのです。 7,この一瞬にできること 生きていく上で一番大事なことは、そのときそのときに最善を尽くすことです。たく さん選択肢はあるかもしれませんが、そのときできることは一つだけというのははっき りしています。その一瞬にできる一つのことをやる。最善というものは一つしかありま せん。みんなはそれをやらないで、後回しにしたり、「観念」でぐちゃぐちゃに混乱し てしまったりします。特に「妄想」で失敗します。妄想したら、それで人生は失敗し、 求めている幸福は得られなくなります。 「智慧」というのは、そのときぴったり正しいことをやることです。その一瞬にする べきたった一つの選択です。そういう一瞬一瞬の選択をするために、「智慧」を鍛える のです。そのためには「自分の妄想と思考」をしっかり監督しなくてはいけません。 8,不幸を回避する慈悲喜捨の念 悪業から身を守るポイントは、日々、慈悲喜捨の念を修行することです。 ①「慈」(メッター) 友情という意味で、「仲良くしましょう」という気持ちに近い感情です。あらゆる生命 の幸せを願う慈しみの感情です。 ②「悲」(カルナ) 見返りを求めず、「困っている人を助けたい」と思う感情です。抜苦の心とも言う。 ③「喜」(ムディター) 嫉妬の反対の心で、人の成功をまるでわがことのようにともに喜べる感情です。人の 良い部分がよく見え、それをわがことのように喜びます。ともに喜ぶ、喜びを分かち 合うという意味です。 ④「捨」(ウベッカー) あらゆる事柄をすべて平等に見つめる冷静な感情です。すべての生命は平等であると 理解できる能力です。人間、動物、魚などなど、生命には無数の種類があります。そ して生命は、みな互いに違う個体です。一切の生命とは、個体の集まりですが、生命 で見ると平等です。同一ではありませんが平等だと理解する、この能力を「捨」とい います。 この四つは、非常に優れた、やさしくて明るい感情です。仏教ではこの四つをまとめ て、「四無量心」といいます。「善行為」「慈悲喜捨」「妄想をやめる」「智恵を育てる」 という悪業から身を守る四つの方法があります。 9,慈悲の行為 自分以外の人が幸福に感じるように行動すること。 10,慈しみの心を持つにはどうすればよいか 次のように、心の中で念じればよいのです。 「生きとし生けるものが幸せでありますように」 これをできるだけ念じつづけると、何かが次第に変わってきます。唱えるほど幸福に なります。「慈しみ」と「感謝」とは親戚同士の感情です。しかし、「欲」と「感謝」は 親戚ではありません。「欲」と親戚なのは「怒り」なのです。 11,慈悲の瞑想とは という、三つのフレーズで自分の幸福を念じてみてください。充分自分の幸福を念じる ことができたら、次に親しい人々の幸福を念じます。 繰り返し念じて、しっかりと親しい人々の幸福を念じることができたなら、最後にすべ ての生命の幸福を念じます。その際に使うフレーズは 仏教では「一切の生命は平等で、自分自身に等しいものであるがゆえに、すべての生命 を愛すべきだ」と説きます。これが仏教的な愛、つまり「慈悲」です。 12,道徳の基本とは何か 仏陀は、何かをする前に、次の三つのことをほんのちょっと考えてみてくださいと おっしゃいました。 これらの三つのことが守られていなければすべて間違った行為です。道徳心のない行 為は罪であって、悪いことなのです。 道徳は、人をいじめる目的でつくった戒めではありません。道徳は、正しい選択をす ることです。正しい選択をしないと生きる闘いであっけなく負けてしまいます。逆境に 立ち向かうために、道徳を守ることを頑張ったほうがよいのです。 道徳の中にある力は何でしょうか? それは慈しみです。嘘をつかないことで、他人 に対して慈しみを実行しているのです。殺さない、欺かない、嫉妬しない、怒らない 場合も、慈しみの実践です。慈しみがあれば、逆境に負けません。 13,真の善行為とは 何かの行為をする前に、まず私にとって善いことか、次に周りにとって善いことか、 最後に生命全体にとって良い結果をもたらすか、その三つの尺度で考えてほしいので す。そうすると、純粋に幸せな生き方が成り立ってくるのです。 14,「悪」とは何か? 「悪」とはとにかく「不幸になる行為は全て悪」と仏陀は明確に定義しています。 15,人間の三つの基本的感情=貪瞋痴 貪(貪り・むさぼり)・瞋(怒り)・痴(無知・愚かさ) 喜びを感じるもの、あってほしいものを、全部「欲」に感じて下さい。 嫌になるもの、気分が悪くなるもの、あってほしくないという感情は、全部、「怒り」 にします。この定義だと嫉妬も、「嫌だという感情」、気持ちが暗くなるものは「怒り」 です。 そしてどちらかわからない気持ちは全部「無知」にします。本当は「欲」と「怒り」 を取った残り全部「無知」にして下さい。不安の感情は「無知」ですが、ちょっと強烈 になってくると、「怒り」になったりもします。「無知」というものは、はっきりとした 形がないものであっても、形をとると「怒り」か「欲」になります。 「怒り」とは「瞋」です。「怒り」はすべて、真理を知らないという無明・無知から 生まれるといいます。心に無知があるから「自分が存在する」という実感が生まれて くるのです。自分がいるという実感が無知のたくらみであると仏教は説明します。 ふつう、皆は実感があるから自分がいる、存在すると考え、次に、自己愛という感情 が「自分がいる」という感情と合体するのです。それで「自分が偉い」とこの世で我々 が何より高く評価するのは自分ということになるのです。 16,世の中の破壊の原因は「怒り」 この世の中にある、ものを作り上げる創造の源泉は愛情であり、創造したものを破壊 していくのは「怒り」の感情です。つまり、世の中には二種類のエネルギーの働きが あり、愛情と「怒り」は一つのセットになっています。 17,「欲」は「怒り」の別バージョン、根本にあるのは「怒り」 「怒り」のバージョン違いに「欲」というものがあります。 「苦」を感じると「怒り」 が起こるが、そのとき、「これがなくなってほしい、こうなってほしい」と希望します。 この「ほしい」に焦点のあった感情が「欲」です。 たとえば、お金がない状態でいるとします。「なんでお金がないんだ」と思っている あいだは怒りの感情です。それが、「大金持ちになりたい」というふうに先を意識する と「欲」になります。今の状況・現実に焦点をあてると「怒り」です。その現実がなく なった状況を妄想すると「欲」です。現在を見るか、将来に期待するかという差で、怒 りか欲が生じるのです。しかし、欲より怒りのほうが根本的なのです。 18,「怒り」に対処する、気付いたらすぐに消す 怒りに対処するには、早く気付いて早く消すのがポイントです。燃え上がって消火 不能になるまで、手をこまねいていてはいけません。 怒ってしまったら、そのままじっとからだを止めておく、「怒ったら止まる」という のが、一番楽な方法です。もし一分間止まってもいてもまだ怒りがこみ上げてくるな ら、呼吸を数えるといいでしょう。ゆっくり「一・二・三・四・五」と数えながら、 大きくすいます。次にゆっくり「一・二・三・四・五」と数えながら、大きく吐きま す。数えることで心を止めることができるので、十回ぐらい繰り返せば、怒りの感情は 消えているはずです。簡単にいえば「興奮したら落ち着け」ということです。「落ち着 け」というのは「止まれ」ということです。くれぐれも怒りと戦って、その怒りに燃料 を与えてはいけません。 19,わざわざ苦しむ理由は「欲」 なぜ、私たちは生きること、生存への執着を捨てることができないのでしょうか。 捨てずに、わざわざ苦しむ生き方を選びます。その理由は、「欲」です。すなわち、生き ることはただでさえ「苦」なのに、生きることに執着することでもっと苦しみから逃げ られなくなる、その執着が「欲」です。この、とてもたちの悪い、根本的な欲を仏教の 専門用語で「渇愛 タンハー」と言います。タンハーとは、いわゆる「終わらない」と いう意味です。このたちの悪い欲は、三つに分類できます。 20,「怒り」も「欲」も渇愛です 「怒り」と「欲」は正反対の衝動です。「怒り=引き離すエネルギー」「欲=引き寄せ るエネルギー」です。 21,さまざまな怒り アビダンマ(アビダルマ、論蔵)という釈尊入滅後にまとめられた仏教の理論書で は、「人が不幸になる否定的な心のエネルギー」を細かく分類しており、「怒り」のグ ループには四つの感情があります。 ①怒り(ドーサ):嫌なことがあると怒ってしまうこと。 ②嫉妬(イッサー):嫉妬も怒りの一種です。 ③物惜しみ(マッチャリア):欲の一種と勘違いされるかもしれませんが、そうでは ありません。 ④後悔(クックッチャ):後悔は怒りです。自分を責める、攻撃する感情だからです。 仏教ではこの四つ以外にもっと多くの感情を怒りのグループに入れています。悲し み、悔しさ、憎しみ、恨み、悩み、執念深い感情、これらも怒りに入れています。 22,怒りによって破壊されるのはまず自分から 怒ると、破壊するエネルギーが出ます。他人を破壊しようとします。破壊行為に行く 前に、充分に怒りのエネルギーをためなくてはなりません。エネルギーを溜めると、 他人を破壊する前に自爆することになります。ですから、他人に対して怒りをもつこと で、まず自分自身が破壊されるのです。 23,今何をすればよいのですか? これは今だけでなく、一生自分に聞いておく質問です。死ぬまで自分に聞き続ける 質問です。答えは、「今やらなくてはいけないことをやる」ことです。でないと人生は 失敗します。やらなくていけないことは、今、目の前にあります。「好きなことしかや りません、いやなことはやりたくない」などのわがままを考えたりすると失敗します。 それはただの感情です。自分にとって、自分の将来にとって、大事なことはいつでも 「今やらなくてはいけない」ことなのです。 とにかく、今やるべきことをやっておく。そうすると後悔はないのです。 同時にやりたいことがあるときは優先順位を決めます。 それで優先順位が見えてきます。優先順位の第一が「今やるべきこと」です。 24,今日死んでも大丈夫か 人は必ず死にます。そして、いつ死ぬのかはわかりません。今日かもしれません、 明日かもしれません。「今日死でも大丈夫か」と、いつも念じて暮らしていると、平和 な生き方ができるようになります。「いま死ぬのかもしれない」と思うと、ものを集め たり、人と争う気持ちはなくなります。 いつ死んでも悔いのないような生き方、今を精一杯生きることが大切なのです。今日 できることを明日にのばしてはなりません。 25,他人と仲良くするということは 二人で仲良く生活しようと思ったとき、成功率は「自分がどの程度、自分を捨てる ことができるのか」ということにかかってきます。自分を後回しにできる人は、他人と 仲良くすることができます。そんな力がないと思うならば、一人で生活したほうがよい でしょう。他人の気持ちに自分を合わせるためには、いくらか落ち着きが必要です。 忍耐力が必要です。慈しみは必ず必要です。逆に言えば、皆と仲良く生活することは 面倒くさいことなのです。 26,人の役に立つ生き方 人間がみんな本来持っている、「認めてほしい」と思う気持ちを、なんとか「慈しみ」 に変えなければなりません。「認められなくてもいいんだよ」と。認めてもらおうとせ ず、ただ自分が他人の役に立つように生きることが大切なのです。「認めてくれ、認め てほしい」ではなく、「役に立つ」ということを基準にするのがよいのです。 27,仕事とは何か 赤ちゃんから寝たきりのお年寄りまで、それぞれ自分がやるべき仕事があります。 仕事をするということは、相手に対して何かをあげるということです。何かをあげて、 生きるための何かを得る。生きるということは、ギブ・アンド・テイクの世界なのです。 私たちはしばしば、自分が「やりたいこと」を仕事にしようとします。これが間違い のもとなのです。そうではなく、自分に「できること」を仕事にするべきです。自分の 能力を最大限発揮できることで、報酬を得るのがよいのです。仕事は社会から与えられ るものであり、必要とされないことをしたところで、無駄なのです。 28,個性はむつかしい 他人に認められる、社会から賛同される、社会が認めてくれる、そのような生き方を すると、それが自分の幸福、幸せ、成功ということにつながってくる。個性といっても わがままだけであって、社会に認められないものはあまり意味や価値がない。 29,自分の世界で固まっていたら後退する 養老孟司先生は、「最近の人は自分に向いた仕事を探している。だからつまずいて しまうのだ。仕事に自分を合わせるのである」と発言されており、「受け入れる恐怖」 「汲々と自分を守る苦悩」を指摘している。 「自分に合っている仕事を探す」ということは、「自分を変えたくない」「発展させた くはない」「プログレスさせたくはない」という進化を拒否する姿勢です。 30,問題を解決するためには 問題を解決するためには、まず自分のエゴに気付くところが出発点です。「あなたの ためにやっている」と思っているところに、問題点があるのです。「人のため」と言い ながら、「自分のために」やっていることが多いでしょう。「やらせてもらって、ありが たいです。充実感が得られて幸せです」という気持ちがあれば、うまくいきます。 結局 、すべては自分のためにやっていることなのですから。 31,共通点を必死にさがす まちがいを指摘したり、攻撃することで相手の性格がなおることは、けっしてありま せん。ただ、争いの泥沼に陥るだけです。相手の不完全なところを探し出すのは、意味 がありません。そんなことよりも、「どこか仲よくできることはないか。どこか共通点 はないか」を、必死で探したほうがいいのです。 32,どう話せばいいのか 自分の利益のみで話すとけんかになります。自分の利益も他人の利益も、ともに実る ように考えて話すならば理想的です。「私もあなたも得する方法は何だろうか」という のが、正しい話し方なのです。 33,他人の嫌な部分を指摘するむつかしさ 他人の嫌な部分を指摘するということはとても危険なことです。まず、本人はそれを 嫌だと思っていないし、変えるつもりもないのに、それをいきなり指摘するというの は、本人の人格を傷つけることにもなります。だから、かなり危険な行為であると認識 してください。ダイナマイトを扱っていると思ったほうがいいでしょう。 他人の嫌な部分を指摘するというのは、それぐらい気をつけなければいけないもので す。軽はずみにはしないほうがよいでしょう。 34,人付き合いの注意点 どうしても性格的に折り合わない人々といるときは、無理に付き合う必要はないので す。「世の中にいる人間はみな仲良く付き合わなければいけない」という法則はありま せん。世間には大勢の人がいます。どうしても駄目なら、自分が合う人と付き合えば よいのです。人格を向上させるために、気に入らない環境でも努力しなさいとは言いま したが、みんなにいい顔をする八方美人にはならなくてもいいのです。それは不自然な 生き方です。仏陀も、「自分の性格に合わない人、自分の質を下げるような人々とは きれいに切って離れなさい」と言っています。切る能力も必要です。 35,親子の間のトラブルの原因 親が子を自分の財産だと思い、自分のもの、自分の所有物、私物だと思い、自分の 好きなようにしてもよいと勘違いしているからからこそ、起きることが多いのです。 でも、人間というものは自由に生まれたものなのです。子供は、決して「親の私物」 や「財産」でありません。自由な人間でいること、自由にさせてやることが親の仕事だ と理解する必要があります。子供は小さいときから独立して頑張ろうとしているので す。 36,親が嫌いだったら 親と意見がまったく一致しないのであったら、家を出て行くというのが普通です。 したがって、親が嫌いだったら出て行けばよいのです。もし、「親元から離れたら生活 できない」と言うのであれば、生活できないと言うほうが悪いのです。 37,親が子供を虐待する時は逃げよう 子供を育てる責任は親にあります。けれども、子供は親の財産ではありません。社会 の所有物です。自分ではどうしてもしつけられない場合、子供が自分の言うことをきか ない場合は、社会にしつけをまかせなくてはいけないのです。ですから社会には、親に 育てられない子供を育てるシステムが必要なのです。 「親が子供を殺そうとしたら逃げろ。親に手を出してはいけない。」というのが正し い対処法である。 38,会社の先輩や上司と接するとき気をつけることは何でしょう? 敬語を使うことです。仕事を終えて、お酒を飲んでいるときでも、上司に対しては 敬語を使う。上司が、自分の立場をすごく強調するようになってきたときは危険です。 ですから、相手が自分の立場を強調する前に、こちらで認めて尊重してあげることで す。会社内で起こる問題というのは、上司たちが自分の立場を強調したいがために起こ ることがほとんどなのです。部下に対して乱暴な口のきき方をしたり、無理な注文を したり、いろいろな問題を引き起こすのはそのためなのです。私たちは、目上の相手に 対して敬意を持つことが大事であると心得ておくべきです。 39,育児のポイント-赤ちゃんに何でも聞きましょう 赤ちゃんにはわからないと思うかもしれないけど、とにかく赤ちゃんに具体的に何で も聞いてみましょう。「いま、おっぱい飲みたい?」「お母さんもあなたにおっぱいを あげたいけど、いい?」と赤ちゃんに聞いてみましょう。そして、よく観察をしましょ う。そうすると子供は必ず返事をしてくれます。 ちいさいときから赤ちゃんの人格を認めて、その人の意思を尊重していると自分から 智慧を出してくるのです。丁寧にいちいち聞いてみることです。「お母さんいまお手洗 いに行くけど、いい?」とかです。 40,「心の基準点」 私たちはしばしば、暗く、気持ちの沈んだ自分を「普通の状態」だと思い込んでし まっています。それを一日一回、行によって気分を明るく、爽やかにして、それを「心 の基準点」にするのです。「心の基準点」を少しでも〈明るい自分〉に設定しておくこと は、静かな心を手に入れる上で、長期的な効果を生みます。 「心の基準点」をいつ作るかといえば、それは「朝」がいいのです。一日の始まり の、なるべく早い時間に心を明るく、しかも静かな状態にしておくことで、心の基準点 を上げた状態で一日を始めることができる。「行をやって心を落ち着けてから一日を始め る」という意識で取り組むことが重要です。 多くの人が朝の時間帯を、不機嫌な状態で過ごしています。ちょっと霞がかかった ような、どんよりとした気持ちでベットの中で数十分、長い人で一時間以上まどろんで いる人が少なくありません。朝起きた後の、どんよりとした暗い気持ちでまどろんで いると、自動思考が生じます。自動思考とは自分の意志とは無関係に生じるさまざまな 思考が頭の中を占拠してしまっている状態です。この思考はネガティブな思考である ことが多く、心の基準点を下げる大きな原因になっています。 「心の基準点を上げる行」 これは毎日やることがとても大切です。 ①「朝、水でシャワーを浴びる」 朝、目が覚めたら、布団の中でグズグズ過ごさず、10分以内に布団から出て、水で シャワーを浴びます。寒い時はぬるま湯でも結構です。 ②「大きな木と呼吸を合わせる(氣をもらう)」 近所の公園などで、幹の太い生命力にあふれた木を見つけておきます。そして、 毎朝、なるべく早起きして公園まで出かけ、両手を木の幹に当て、目をつぶって、 深く深呼吸をする。このとき、自分の呼吸と「木の幹の中にある生命の流れ」のよう なものと同調させることを意識します。自分の中にある澱みを、大きな木によって 洗い流してもらう、ということをイメージしてもいいでしょう。
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