相馬市訪問(2015 年8月) 8月13日(木)~14日(金)、東日本大震災で被災した宮城県石巻市および閖上(ゆりあげ)地区、福島県 の相馬郡新地町の仮設「雁小屋」、そして”プール・相馬つながるプロジェクト”の相馬市を訪問してき ました。 今年の文化祭の収益は、 ”プール・相馬つながるプロジェクト”のために用いられ、飲食店の食材に被 災地のものを使えないかを考えるため、直接現地へ赴くことになりました。 高校2年生の生徒自治会、 “プール・相馬つながるプロジェクト”のメンバー計5人と、引率教員3人 の計 8 人で、2 日間を急ぎ足で宮城、福島の両県をめぐってきました。 1 日目(8月13日) 伊丹空港を朝出発し、仙台空港に着いた後、電車を乗り継いで石巻に向かいました。 観光タクシーに乗り、大川小学校に到着。生徒 74 名、先生 10 名が亡くなった慰霊碑前に手を合わ せ、傷んだ校舎だけが残され、かつてそこが集落であったことが想像できない周辺をめぐりました。 その後、石巻市内の門脇(かどのわき)地区を訪れましたが、この地域は火災で焼け野原となったところ で、現在は一軒の家もない草が生い茂る野原となっていました。海岸近くの建物には、水位がここまでき たという印が壁沿いにあり、辺りが水中に埋まったことを実感しました。 再び電車とバスを乗り継ぎ福島県へ南下、夜の 7 時に現地の聖公会センターしんち・松本さんの案内 で新地町の「雁小屋仮設住宅」に到着しました。 仮設住宅では、磯山の三宅信幸さんにお越しいただき、話を伺いました。磯山聖ヨハネ教会のあった磯 山地区は 57 軒中 56 軒の家が流され、119 名のうち8名の方が亡くなられたと聞きました。 お話の中で、復興工事は計画どおりには進んでおらず、東京オリンピックの特需もあって、 「公共事業 の落札率が2割」という地元新聞の見出しを見せてもらい驚きました。 2日目(8月14日) 朝から仮設入居者と関係者の方4名から、お話を伺いました。福島第一原発の避難地、浪江町から避難 された方々は、事故のあとの辛い思いを語ってくださいました。 生徒たちは、皆さんの生々しい話に熱心にメモを取りながら聞き入っていました。 お話を聞き終えて、生徒たちは練習してきた「いのちの名前」 「翼をください」 「上を向いて歩こう」の 3曲を合唱させていただきました。 その後、磯山の慰霊碑、聖ヨハネ教会の再建予定地を案内してもらい、二手に分かれて行動しました。 私と「プール・相馬つながるプロジェクト」の生徒3人は、相馬フォロアーチームで大阪に2度引率し てくださった佐藤さんの自家用車に載せていただき、相馬をめぐることができました。 途中ボリュームたっぷりの海鮮丼の店に寄り、本年4月にオープンした伝承鎮魂記念館に入り相馬の 被災状況を学び、それから磯部中学校を訪問しました。 高台にある同中学校は、私と藤井教頭、松倉先生の3人が、震災2ヶ月後の 2011 年 5 月に物資と練 習用バレーボールを車に積んでお伺いした学校です。懐かしさを覚えながら玄関に入ると、幸いにも校 長、教頭両先生がおられ、校長室でお話を伺うことができました。 教頭先生からは、ご当地しかないという伊達の桃“まどか”をいただきました。こちらの桃より固めな のですが、甘くて美味しかったです。 その後、相馬フォロアーチームの事務局のある、LV アートメゾンに行くと、幸いにも去年プールに来 ていただいたスタッフの今井さんがおられ、中を案内していただきました。 最後に相馬市役所もアポなしで伺ったところ、前回訪問の時に応対してくださった横山課長が暖かく 出迎えてくださり、これまた応接室で歓談の時をいただきました。 ここまですべて自家用車で案内していただいた佐藤さんに、空港まで送ってもらえることとなり、午 後半日ずっとお世話になっていました。 二手に分かれた閖上地区組の詳細は、また別の機会にご報告しますが、生徒にとっても、私たち教員に とっても、内容が詰まった、濃い2日間を過ごすことができましたこと、感謝をもって報告します。 チャプレン 井上進次
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