今武田勝頼公夫妻の辞世

今武田勝頼公夫妻の辞世
設 楽 原 か ら 7 年 後 、 天目山下の田野で最期のときを迎一えた勝頼公
夫妻の辞世。
〆
おぼろなる局もほのかに雲かすゑ出典逼慶尼謹
ばれてゆくゑの否の山のは
﹁西の山のは﹂勝頼にとって、ここ︵田野︶から見る西の山の端
は母の故国であると同時に、諏訪四郎であった自分自身の故国であ
る
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時に、現世の全てを越えて旅立とうとする西の浄土を意球し
る︵
同↓
ている。
出典﹃甲乱記﹄
迎いに獅中る滝の玉の緒
や.︽ノみた﹄だら沓そばてI︾なさ︽一
おそらく、夫人の死を見届歴て↑勝頼は最期を迎えたと思われる﹄
琴柵脚帳諦鐸
黒髪の乱れたるせぞばてしなき
息ひに浦ゆる露の玉の緒
﹁黒髪の乱れたる世﹂戦国の女性にとって、いぐさは覚悟の上で
あろうが、それでも、落ち着かない戦禍の日々が続くことは、あら
ゆる願いや望みが、草の葉にできる朝露のひとしずくのようにはか
なく、かなしい。今、置かれた武田の状況は、まさに、こぼれて散
る直前の露の玉と似ている・わが主、勝頼に寄せる自分の気持ちも、
その思いだけで消えてしま、7のであろうが、露の玉のよ、7にかぼそ
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「設楽原をまもる会」では、
毎年4月に参拝しています。
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お受けいたします。
の解釈です。ご意見をいただければ
辞世の意凍は一設楽原をまもる会﹂一
くとも、私のあなたを思う気持ちを差し上げたい。
「景徳院」の勝頼夫妻の墓
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ああ回天の決戦場
栄枯の歴史世に伝う
矢弾くぐりし連吾川
五、英雄ここに相いまみえ
大焚松の火は狂う
兵馬の雷を弔いて
四、のろしあげたる雁峰の
つか
山なみ仰ぐこの信玄塚に
轟然火をふく三千挺
織田徳川の種ケ島
怒潟の大軍迎えうつ
量、稲霧破る雄叫びの
武田が誇る騎馬軍団
部をめざす三河路に
風林火山の旗じるし
・一、遠く甲斐をあとにして
設楽原の古戦場
想いはめぐる戦国の
山野にかげを落すとき
一、真っ赤な夕陽が空を染め
歌島民謡会
補作入山治平
進軍作曲清水とおる
設楽原の古戦場
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