二柱の天照大神と鏡速日 尊 の謎に迫る!.

心
御
柱
と
しん のみはしら
大 物
にぎはや ひ のみこと
忌
おおも の いみ
らぬ」 (
「
素議場 の神業」 ﹃
玉鏡﹄
)
ぜあみ
世阿弥 の謡曲
ま した。出 雲 の大国主命 が大物
主 =物部 の祖 鏡連 日尊 であ る
すめみ
ま
な ら、大国主命 の 皇 孫 への国譲
思えば 伊勢と 三輪の神
室町時代 の能役者 、 謡曲作 家
であ る世阿弥 の謡曲 の中 に 「三
わ
輪」があります。謡曲 は昔 から武
たし
な
士や上流階級 の暗 みのひと つ。そ
み
り の物 語と物部 の祖鏡連 日尊 の
うま しまぢの
みこ
と
宇 摩 志 麻 治 命 の神武 天皇
子
へ の国 譲 り は 二 重 写 し と な り
師 は玉鏡 の中 で興味 深 いことを
柱」祭紀 は皇室 の女性 の太陽神 、 迫 ってきます 。出 口王仁 三郎聖
たも のでし ょう。 この 「
心 の御
二柱 の天照大 神 と 儀連 日 尊 の謎 に迫 る出口王仁三郎聖師は太陽神であ った- (
後編)
出口 恒
伊勢 神 宮 の
紀 る信仰 を とど めたも のではな
の太陽神 、男性 の ア マテ ル神を
「
伊勢 神宮 には謎 の神 が いて、 天照大神 が配 られ る以前 の土着
伊勢神宮 の秘中 の秘 とされ る心
い
み
ばしら
御柱 がある。心御柱 は、 忌 柱 ・
天
の御柱 ともよば れ 、神宮正殿床
いでしょうか。なお 「
心御柱」に
の みはしらのみ
か
まき
ばし
ら
御
柱
神 ・ 莫 木 柱 とし
ついて
撞
下 の地面 から に ょき っと顔を出
ての天照大神 (
鏡連 日尊)ではな
コーカ ス山 に降 り姶 ひて、
義
つき
し、本殿 と つなが って いるわ け
いかと考 えます。 (
「
莫木柱」 ﹃
霊
亜 を 平 定 さ れ 治 め ら れ て いた 。
漣
じ
っ
と
尤も大 国主命 が治 められ た国 は
に先立 ち出 雲 の国を
れより東 は天照大神様 の治 め姶
ふ地 であ った。但 し北海道 は違
て これを欺 き '神楽 を奏 し て
舞 ひ絵 へば」
て
んしょ
うだい
じ
ん
「天 照 大 神 そ の時 に岩 戸を '
少 し開き拾 へば 、また常闇 の
じっ
げつ
雲晴 れ て、日月光 り輝 けば 人
も
お て
しろじろと見 ゆる」
乃 面
み こえ
乃」
シテ 「
おも しろやと'神 の
勢 と三輪 の神 。
ば 伊勢 と三輪 の神 、思 へば 伊
ふ ん じん お
ん
1 鱒 分 身乃 御
御 馨
ことがあ った のは、其滋賀 以西
地「
妙なる始 めの、物 がたり思 へ
る 。 故 に 素 議 場 尊 の神 業 は
あ じ あ
大亜細亜に在ることを思はねばな
を譲 れ と の勅命 であ った のであ
ふ。大国主命 に対 し て国譲り の
地
の最後 の 一節を引用してみます。
述 べて います。
あ
ま
「一体 '素議場尊 は大国主命 に シテ 「天乃岩戸を、引き立 て ゝ」
ソ
シ
こ み
とや
日本を ま かされ て、御自身 は朝 地 「
神 は跡なく入り給 へば 、 常 闇
モ
リ
鮮 の国 に天降 り給 ひ、あ る いは
の世 と、はやなりぬ」
あじ
ろ
や およず
亜 細
シテ 「八 百 寓 の神達。岩戸 の前 に
ではな い。-- この心御柱 には、
界物語﹄ 六巻 二十 一章)
臨
てん そん こうりん
二つの国譲 り神 話出雲と 大和
天 孫 降
今 の滋賀県 より西 であ って、 そ
通常 の神 官 は携わ る ことが でき
ず 、「
大物 忌」と いう特別な童女
だ け が紀 って いる のだ と いう 。
(
関裕 二 ﹃
天皇家 の謎﹄学研)
「
心御柱」 に奉仕 でき る のが、 治 め て いた大国主命 と国譲 り の
と た
け
ふ つぬ
しのみこ
「
大物忌」と いう特別な 「
童女」だ 交渉を した神 が 経 津 主 命 と 武
み
かづちの
みと
こ
け。そして 「
大物忌」と いう のは、 碧 槌 命 です 。武碧槌神 は神武
ふ つ み
た
まの
祭 られ る対象 が大物主神 ・す な 天皇東征 の折 に神剣 「布 都 御 魂
つ
る
ぎ
剣 」を天皇 に献 じて東征を助け
わち鏡 連 日尊 だ から名付 けられ
34
事 今 更何 と
座
や。 そ の
いわ く ら
磐
閲
の
せき
やま と の お お く に
龍
宮
土 。 - -中 国 の史 書 ﹃
魂志倭 人
伝﹄は'卑弥呼 が 二三 九年 、魂 に
を 畏 れ 、宮 の外 で柁 る こと に し
ま した 。 同 天皇 の御代 には国 内
瑞
初 の伊 勢 神 宮 。 そ し て祭 神 天皇
のず
み き
か の
みや
時代 の皇 居 は同市内
に位 置 し 、 それ が
城
こ の時 代 は天皇 と大 神 神 社 、 元
が った の では な いか。 そ の中 で
し き
に疫 病 が流 行 り 、 人 民 の死 亡 す
伊勢 は 一体 でした。
大 王級 古 墳 であ る事 と 、 古墳 時
磯
らん 、覚 むるや名残 な るらん」
おおみわじんじゃ
日本 最古 の神 社 、 大 神 神 社 の
うつ
三輪 の神 が、伊勢 に遷 された。伊
るも の多 く う そ の数 は半 分 に達
さ て、二〇 一〇年 一月 七日、本
年 、宮 中 に 天 照 大 神 と 倭 大 国
ま のかみ
魂
神 の二柱 の神 を 祭 って いま し
た
勢 と三輪 の神 は同 体 。 - - 一般
す る ほど 。 そ こ で神 威 を 恐 れ た
年 七月 の奈 良 二月都 研 修 で桜 井
た が 、 天皇 は 二神 の神 威 の強 さ
に猿楽 者 の教養 は低 く ' 差 別 さ
崇 神 天皇 は' 同殿 同床 にさ れ て
代 初 期 の築 造 であ る事 、 ヤ マい
われ
磐 余の
戸 乃 夜 も 明 け かく あ り が た き
なごり
夢 の告 げ 。覚 む る や名 残 な る
れ た 人 たち だ った と 思わ れ ます
市 を 訪 問 地 と 考 え る 私 た ち に 、 王権 の誕 生 の場 所 であ る
地 であ る事 に注 目 しま した 。 大
です 。さ て、奇 しくも本年 は大 和
タイ ムリ ーな ニ ュー スがも た ら
使 いを 送 り 、皇 帝 から金印 や銅
であ り '鏡 連 日命 を 紀 る、 元 伊
じ じ
ゃ
し き のみ あがたにますん
鏡 一〇〇枚を授 か った と記述 。
」
勢 ・ 志 黄 御 県 座 神 社 が伝 承地
や ま どこく
卑 弥 呼 が いた 邪 馬 台 国 は奈 良
です 。大神神 社も桜井市 にあ り、
や
まと
大 和 朝 廷 に繋
が、「
謡曲 三輪」には、「
あ の伊勢
いた 二柱 の神 を皇 居 の外 に出 す
とよすきいりひめ
こと にされ 、皇女 豊 鍬 入 姫 が、ま
の神 天 照 大 神 は三輪 の神 大 物 主
王墓 と みら れ る奈 良県 桜 井 市 の
ちゃ
う
すや
ま
前方後 円墳 、桜井 茶 臼 山古墳 (
≡
(
奈 良) の地 に平城京 が開 かれ て
され ま した。 「
初 期大 和政権 の大
ず 神 器 であ る鏡 と剣 を 持 ち大 和
かさぬい
の国 の 笠 縫 村 に天 照大 神 を お配
世 紀末 ∼四世 紀 初 め 、 全 長 二〇
千 三 百年 目 に当 た る年 です 。 こ
だ った 、何 を 今 さ ら な ん と いわ
︿ ら や - -」 し か し伊勢 と は何
り にな り ま した 。 聖師 は これを
〇 メ1- ル)で'鏡片 から少 なく
れを 機 に七月 に開催 さ れ る京都
和朝 廷 最 初 の大 王 と考 え る神 武
か
むや
まとい
われひこのみこと
天皇 ・神 日 本 磐 余 彦 尊 の磐 余
でし ょう か。
「
人皇 第十代 襲神 天皇 が、皇 運発
とも 十 二種 、 八十 一枚 の銅鏡 が
天皇 と 大 物 主 神 '
展 の時 機 を待 た せ玉 ふ御 神 慮 よ
やわら ちり まじ
り 、光を 和げ 塵 に 同 はり て、海外
元伊 勢 は 一体
加 頂 ければ 幸 いです 。 謎解 きを
副 葬 さ れ て いた こ と が 分 か り ' 奈 良 を 舞 台 に した ' 研 修 会 に参
しま し ょう。
の文 物 を 我国 に輸 入 せ しめ玉 ひ
そ の 1枚 は卑 弥 呼 の使 者 が中 国
ふたはしら
二 柱 の天 照 大神
さ て開化 天皇 ま では 、 天皇 の
の魂 か ら 帰 国 し た 「
正始元年」
さ
んか
く
(
二四〇年) の年 号 が入 った 三 角
えんし
んじ
ゅ
うきょう
縁 神
獣
鏡 で、初 期大 和政権 の
崇 神 以前 も 初 代 神 武 天皇 から
居 室 に天照 大 神 を 配 った鏡 を 置
尊) と し
います 。
奈 良 ・桜井 市 の三輪 山 の北 の
ひばら
方 にあ る 「
元伊勢」 桧 原神 社 は最
中 心 部 だ った奈 良県 では初 の出
し如く」(
﹃
霊界物 語﹄八巻 四十三
わこうど うじ
ん
和 光 同 塵 の制 度 と し て
いてそ こに奉 仕 L t夜 も そ こ で
ど
うん
で ど うし
ょう
お休 みにな る 同 殿 同 床 が行 なわ
と
はつ
くにしらすすめらみこ
れ て いま した。 御 肇 圃 天 皇 と
の称 を 持 つ皇 祖 ・崇 神 天皇 の六
3
5
九代 開化 天皇 ま で の皇 后 が 、 鏡
し
んえい
連 日尊 の 神 南 から あ が ら れ て い
持統 天皇 六年 (
六九 二年)、中
みわのたけち ま ろ
三 輪 高 市 麻 呂 は 、 天皇 が伊
納言
訓 註﹄ では出 口な お開祖 を 示す
づ
い み
の たま
き
つ さ
かきいの
つ み ま
たあ
まさかる
疎
厳 御 魂 を含 む 撞 賢 木 厳 御 魂 天
むかつ ひ めのみこと
向
津
毘
売
尊
日
勢 に行幸 し て農 事 を 妨 げ る こと
連
ます 。そ の後皇 后も皇 孫 (
母系 は
宮
と呼 ば れ
明命 が最 初 に天降 った と伝 え ら
れ る冠島 があ る。嘗宮 (
古稀 吉佐
沓
島
ま
三部聖師 の'鉄鏡 な のです 。寵神
あま べ
社 の神 職 は代 々 海 部 氏 が つと め
自 ら鏡 連 日尊 を 名 乗 る出 口王仁
在の
司 によ れば 鏡 連 日尊 。 そ し て現
めし
のご 神 体 の ひ と つが 、
御 祭 神 彦 火 明命 こそ が海 部 宮
が偲ば れ る。
」
切 っても 切 れ な い関係 にあ る事
た 常 世 の信 仰 が 、 天 照 大 神 と
と し て の思慕 を 秘 め て持 ち 伝 え
て いる。海 人 族 が 日本 人 の原 郷
ると教 え られ た事 が 、 書 紀 に出
お遷 しした時 、御神 霊 が、この地
ヽ
つ
ユ
蒜
は常 世 の重 浪 寄 す る美 し国 であ
と さ れ て いま す 。 官) に祭 った 天照 大 神 を 、 後 に
や
まとひめのみこと みつえしろ
倭
姫
命 を 御 杖 代 と し て伊勢 に
鏡
それ に対 し王仁 三郎 聖 師 は 「
王
玉
を中 止 す るよ う求 め ま した 。 天
碧
鏡連 日尊 )か、鏡連 日尊 の神南 氏
櫛
仁 は鏡 連 日だ」 と宣 言 さ れ て い
照
明
皇 は聞 き 入れず 伊勢 に行 き 、 随
国
く
龍
こ の みや
鏡 連 日を主 神 と す る
このじんじゃ
の起 源
寵 神 社 は か つて
寵 神 社
大神 が存在 した のでし ょう か。
の と
み
こ
尊 」 と し て の聖 師 二柱 の天 照
火
行 した 人 と労 役 した 人 のそ の年
さて 「
開祖 は御 所 の中 に入 っ
天
族 から あ が られ 、皇 后 から誕 生
つ
ぎ のみこ
太 子 とな る
ひ
さ れ る皇 子 のみが
の調役を免 じま した。この時 、女
皇
古代 の慣例 でした (
大 野七平 ﹃
先
れ た の か。 三輪 高市 麻 呂 は大 物
る物 部 守 屋 を 倒 し 、 崇 峻 天皇 を
て守 護 す ると い つも 言 ってお ら
彦
ます 。開祖 にかかる 「
大 日霊女貴
す
あま てら
尊」と して の天照大神 と、 「天 照
にてす
ら ひ
こあめの ほ あかりくしみかだまに
ぎはやひ
西 暦 五 八 七年 へ 用明 天皇 が崩
主(
鏡連 日尊 )を 祭 る系 譜 でした
神 ・天照 大 神 が伊 勢 神 宮 に紀 ら
御 、皇 祖 神 鏡 連 日尊 大 神 を奉 斎
から、冠位を脱 いで抗議 。天照大
代 旧事本 記訓 註﹄批 評社)。
す る物 部 氏 は 、崇 仏派 の蘇 我 氏
と 皇 位 継 承 を め ぐ って対 立 し 、 神 は持統 天皇 自 身 の投 影 であ っ
た て て独 裁 的 権 力 を 確 立 。 そ の
れ た」 (
「
鏡 連 日尊 と 二 二岐 命 」
た かも しれま せん。
後 、物 部 氏 を 滅 亡 さ せた蘇 我 馬
﹃
新月 の光﹄ 上巻 。八幡書店) の
蘇 我 馬 子 は穴 穂 部 皇 子を 擁 立 す
子・
聖徳 太子 によ って天皇 記 ・
圃
命
てお り 、海 部 氏 は尾 張 氏 と 同族
明
であり 、開祖 の神 は、大 日霊女貴
に乗 って'海 の彼 方 の
で、男 性 の太 陽 神 ア マテ ルを 紀
火
て いま した 。 そ の名 称 起 源 と し
ひこほ
て 「
普 社 の古 伝 承 で別名 を 彦 火
ほ で みの
みこ
と
火 出 見 命 とも 云 わ れ た御 祭 神
ほ あかり み
の こと
ひこ
尊 と し て の天 照大 神 と考 え ら れ
(
これ を 龍 宮 と か ' 常 世 と も 呼
彦
記 が作 られ ま した 。 物 部 氏 が鏡
ます 。同尊 は、大 と貴 、尊 が尊 称
が、竹 で編 んだ寵 船
だ
わ み
つ
みや
海 神の 宮
連 日尊 を 奉 斎 L t中 臣 氏 は伊 勢
ちの
みこ
と
おおひ る めむ
大 日 霊 女 貴
尊 をわ
神 宮 の祭 神
霊女 ・卑
であり 、太陽神 に仕 え る垂女 ・日
みこ
弥 呼 と読 めます 。
大 日霊
雷 宮 の東 方 海 上 二〇軒 に、彦 火
を龍宮 と云う と伝 えられ て いる。
蕊)に行 かれたと の故事 で、社名
彦」で始 ま る鏡連 日尊 。龍神 社 に
の祖 であり 、御神名 が 「
天照国照
る 1族 で した 。 こ の神 は海 部 氏
が国 最 高 神 と し て' 天 照大 神 の
尊 称を奉 りへこの神を中 心 とす る
女 貴尊 の名 前 が ﹃
先 代 旧事 本紀
ひ
中臣神道を確立 して いきま した。
3
6
彦 火 火 出 見 命 は 神 武 天 皇 の祖 父
の血 脈 が 記 さ れ て いま す 。 な お
祖 、鏡 連 日 尊 た る 天 火 明 命 か ら
は 海 部 氏 系 図 が あ り 、 同 氏 の始
いは ざ れ で匂 ん であ る 。 袋 も 底
つく った 袋 に は い ってお り 、 赤
司 か ら 見 せ て いた だ く 。 錦 地 で
な ど 四 民 、 海 部 光 彦 八 十 二代 宮
一月 十 三 日 (
月 )出 口和 明 ・穫 子
す 。事 件 前 に 、そ の人 は こ の鏡 の
人 だ け が 見 て いた と いう こ と で
ら れ 、 打 って お ら れ る のを あ る
い て いま す 。 聖 師 が 内 緒 で つく
ま のお 宮 (
※沓 島 )にあ った と き
が 代 わ り に 拝 む よ う に頼 ん だ 。
(
女 性 だ った 、 と も 聞 い て ま す )
いた 先 代 が 口 を だ す と そ の 人
に ゆ かれ て いた 。 そ の間 答 を 聞
た の で、 よ く 古 書 店 や古 道 具 屋
本
(「神 武
日
互 に名 も 名 乗 らず に 、 鏡 が 受 け
皇
神
こ と が 判 れ ば 大 変 な こと だ ' と
天
いう こと で、隠 そ う と さ れ た が 、
の縫 い目 が ほ ころび かけ てお り 、
見
鏡 を つ つむ 赤 いは ざ れ は 、 か な
海 事 ・山 草 伝 説 の山 幸 彦 の別 名
かむやまと
出
土 にう め れ ば 錆 び は て る し 、 家
火
り 痛 ん で いて ' 昭 和 十 年 以 前 か
にも って かえ っても 震 え が で て、
いる こ と も あ り 、 こ こ に こ ら れ
火
紀 」・﹃
日 本 書 紀 ﹄) と さ れ て いま
ら のも の と 推 測 さ れ る 。 鏡 は 約
ど う しよ うも な く '苦 慮 さ れ て、
る べく し て こ ら れ た のだ と 思 っ
余 彦
す 。安 部 童 子 丸 伝 説 、浦 島 太 郎 伝
九 セ ンチ ほど で 、鉄 製 。表 は十 六
京 都 の古 道 具 屋 にも って い った 。
て いま す 」
磐
であ り 、 神 武 天 皇 自 身 も
いはれぴ こ ほ ほ でみのすめら みこと
説 も 含 め て全 て竜 宮 の舞 台 冠 島 ・
菊 花 紋 が 刻 印 さ れ て いる 。 錆 び
古 道 具 屋 の主 人 に 「こう いう も
おろ か
知ら
「い や 、 そ ん な こ と が わ か れ ば
け る な り)」 と いえば 古 道 具 屋 は
あ った ら - - (※売 る な り あ づ
し 、 「こ れ を ほ し いと いう 人 が
話 を いた だ いて いた 。 海 部 氏 は
お 譲 り し て も い い です よ 」 と お
「こ の鏡 は 出 口聖 師 の鉄 鏡 です 。
母 穫 子 は海 部 光 彦 宮 司 か ら 、
親 交 が あ った と いわ れ て いま す 。
な お先 代 は 、 王 仁 三 郎 聖 師 と
島
沓 島 に 関 わ り 、 こ の謎 にも 迫 り
がす こ し目 立 つ。裏 に は 、つぎ の
の が あ り ま す - -」 と 事 情 を 話
海部光 彦 宮 司 は ' 「
弾 圧事 件 当
-- (
※あ ぶ な い)」 と押 問 答 を
聖 師 の因 縁 か ら か 非 常 に好 意 的
杵
た いと 思 いま す 。丹 後 一ノ宮 「
元
歌 が 刻 ま れ て いる 。
ち
渡 さ れ た 。 弁 天 さ ん の神 体 で
い きしま
あ った と いう は 、 当 社 が 市
ひ
め
姫 を 重 要 な 神 さ ま と し て祭 って
伊 勢 」 寵 神 社 。寵 神 社 に は ' 「
黄
時 に表 に出 た ら 大 変 な こ と だ っ
し て いる と ころ へ、 先 代 が 偶 然
に接 し て く だ さ り ' 碍 子 は欲 し
ます 。
出 口 王 仁 三郎 聖 師 の
れけ る
な ら ぬわ
神 乃 まも り の
事 有 る時 ぞ
た で し ょう 。 十 六 菊 花 紋 の鏡 で
に通 り か か った と いう こと です 。
か った が 言 い出 せ な か った 。 そ
世乃中 乃
十 六 菊 花 紋 の鉄 鏡
し ょう」と 、先 代 宮 司 のと ころ に
先 代 (※明 治 三 十 三 年 生 で 三
金 の マナ の壷 」 伝 説 が 残 って い
次 の話 は 私 の母 出 口薦 子 か ら
あまべよしさだ
聞 いた も の です 。 先 代 海 部 穀 定
こ の鏡 が 入 って き た 経 過 を 次 の
の後 ' 数 年 お いて 母 が 海 部 宮 司
宮 司 が 預 か り 、 龍 神 社 に保 管 さ
十 六 才 ころ 。 昭 和 七 年 か ら 寵 神
に そ の話 を 持 ち 出 し か け た 時 に
よ う に語 ら れ た 。
宮司 「
綾 部 の金 龍 海 の弁 天 さ
社 宮 司 に) は 古 書 籍 が 好 き だ っ
れ て いる 出 口 王 仁 三 郎 聖 師 製 作
の鉄 鏡 に つ いて 、 一九 八 九 年 十
3
7
は、 「
そ の鏡を譲 るなん てとん で
も な い。 これ は沓 島 のご 神 体 で
す 」 と いわ れ て取 り つく しま が
な か った と の こと 。 そ の頃 に は
寵 神 社 の社 殿 も 整 って いた よ う
です 。 あ る人 が そ の話 を 同 宮 司
に持ち出 した と ころ'宮司 は 「
本
来 、大 本 は当 社 の奥 宮 た る冠島
然 の事 でし ょう。
」 と言われ た と
帰 ってき た のも 御 縁 と いう か当
だ か ら ' そ の御 神 鏡 が 当 社 に
ラン ・イ ラク戦争 の時 'サダ ム 。
家 の紋 と し て使 わ れ ま した 。 イ
ラ エル、イ ンドあたり で、神 や王
ソポ タミ ア地域 、エジブ -、イ ス
沓 島 から神 霊 的 に現 わ れ た宗 教
のこと。
フセイ ン大 統 領 が 十 六菊 花 紋 の
菊 花 紋 は、 神 や最高 権 力者 の象
豊
とよ
徴 。 メソポ タミ アは ﹃
霊界物 語﹄
あしはら みずほ くに
葦 原
(瑞 穂 の 国 )
中津 国 (
「
悔
で
そして元伊勢の噂矢
は 「この紋 章 は、我 が国 の祖 先 が
いる ので尋 ね た と ころ 、 大 統 領
記者 が ' 日本 の皇 室 の物 と似 て
て咲 く花 。 十 六菊 花 紋 が普 及 し
文芸社)。
世 界 最 古 の都市 文 明 は メ ソポ
悟 の歌」 ﹃
霊界物 語﹄ 三十 二巻十
聖師 鉄鏡 の十 六菊 花 紋 。 同紋
世 界 最 古 の 文 明 を 築 いた シ ュ
指 輪 を し て いて、 ヨー ロ ッパ の
章 は 、中 央 の円 が や や小 さ いも
メ ー ル王 朝 時 代 に 用 いて いた 、 た 地域 が太 陽光 の強 い地 域 。 菊
タミ アの シ ュメー ル文 明 。 神 素
こひめ
子 姫 を 含 む五 人 の
ます 。
英
も に朽 ち 果 て た 舟 に 載 せ ら れ 、
娘達 が、曲津 のた め に、侍女 とと
蓋鳴 大 神 の
ひで
界物 語﹄ では 同名 で呼 ば れ て い
七章)とされ ており 、日本も ﹃
霊
の の、 ユダ ヤ の へロデ 王 の紋 章
の紋 章 は放 射 状 の形 から太 陽 に
は、太陽を向 い
(
ヒ マワリ紋 ) と ほぼ同 じデ ザ イ
王家 の紋 章 であ る」 と答 え られ
なぞ られた でし ょう。
日 葵
ン。彼 は へロデ 王家創始者 で、イ
たよ う です 。 (
岩 田明 ﹃
日本超古
シ ュメー ル最 高 神 アン の十 六
向
エス ・キ リ ス-が 生 まれ た時 の
代 王朝 と シ ュメー ルの謎﹄ 日本
シ ュメー ルと 十 六 菊 花 紋 、
こ
ー
つ
しゃ
ツタンカーメン王 の棺 か ら出土 した十六菊花紋
ユダ ヤ の王様 。 ま た菊 花 紋 は メ
ひ ま わ り
十六菊花 紋 と十字架
シュメールの粘土板
アッシリア黄金杯に刻まれた十六菊花紋
3
8
章)のも'メソポ タミヤの顕恩郷
(
「
天橋立」 ﹃
霊界物語﹄十六巻 一
海 に流 され宮津湾 にあ る天橋 立
りゆ
うと
うまつ
の 竜 燈 松 の根 元 に漂 着 し た
沖 、伊勢 の御灯 は示唆的 ですね
勢神 宮を運営 します が、 丑寅 の
子姫 は丹 波 の元伊勢 に い って伊
竜灯松 から'本宮山を介 し て英
り立ちます。
辺地域 から来 た と いう仮説 が成
あ る いはイ スラ エルなど そ の周
神 の御 用を致 さすぞ よ。 大 正八
だ -」 --。
るひこ のみこと
あ
まて
「天 照 彦 之 命 の御魂 に日 の出 の
ます。伊勢 の神 は メソポ タミヤ、 て き ま し た 。 「王 仁 は 鏡 連 日
神 は肉体を代 え て守護 が致 さ し
年 の旧 二月十 日 から、 日 の出 の
が異 の天照大 神 であ る ことを見
から です 。竜灯松 は実際 にあ っ
(
「
神定 の地」 ﹃
霊界物語﹄十六巻
真 の太 陽神
通 し て日本 と深 く結び ついて い
た松 で'「
天橋立 に毎月十六日夜
十六章)0
メソポ タミ アは、過去 のベ ル
元伊勢 寵神 社 のあ る天橋立 の
半ご ろ、丑賓 の沖 から竜灯 が現
れ文殊 堂 の方 によ ってく る。 堂
シ アの 一部 、現在 のイ ラク。 ﹃
富
まれた聖師鉄鏡 が沓島 にご神 体
ライジ ングサ ン、天照彦之命 。そ
あか
り
あめのほ
として納 められました。 天 火 明 ・ して宮中 に永遠 に経 られ る、其
て在 るぞよ。
」(
﹃
神霊界﹄大正八
の前 に 一本 の松 があり 、 これを
士古文書﹄ の記載を根拠 にして
の天照大神 と し て の鏡連 日尊 で
聖師 出 口王仁 三郎
竜灯 の松 と いう。伊勢 の御灯 と
「
国 常立尊 は ペ ルシ ャから来 た」
太陽神鏡連 日尊 が冠島沓島 に天
年 三月十 五 日号) 日 の出神 こそ
いうも のもあ る」 (
「
諸国里人談」
(
三浦 1郡民)と の説 があり、 メ
十 六菊花紋 、太陽 の紋章 の刻
﹃
日本随筆大成﹄第 二期 二十四巻)
降り、そ の同尊 ・
大物主大神 こそ
身 が 太 陽 神 で あ る こ と の宣 言
ス
だ った のです。 ◎ の母音 を持 つ
す。 「
王仁 は鏡連 日だ ・
.
」 は、自
ソポ タミヤは シ ュメー ルなどを
天皇家に古 くから伝 わる紋章
はな いでし ょう か。
ス
出 口聖師 は◎ の栂印 を持 ち ま
ス
す。◎ の形 は日 ・
太陽を意味 しま
世界大百科辞典)
(
平凡社
聖師 は、霊国 にあ っては月 です
が、天国にあ っては太陽と顕現さ
れるのでしょう。そして天照 (
皇)
大神は神素蓋鳴大神な のか--。
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ユダヤ
イシュタル門の十六菊花紋
バ ビロニア