球場で見つけたもの 1615115 1 ビール売り子とは 「おいしくて冷たいビールはいかがでしょうかー?」 ざわざわと混雑した球場の中で、大きな声が聞こえる。笑顔で重い樽を背負い、機敏に 動き回っている。 声をかけられ大きく返事をする。慣れた手つきでビールを注ぐ。笑顔でお金を受け取る。 そして、 「今日も楽しんでいってくださいね」「ごゆっくりどうぞ!」「またお願いします」などと 元気に声をかける。コップにメッセージを書く売り子もいる。写真を撮ることにも慣れた ものだ。 それが、球場のビール売り子である。 私が球場のビール売り子を知ったのは、とある求人誌だった。当時高校生で、友人たち とアルバイトをしようと話をしていた時だった。パラパラとめくっているとき、私の目に 留まったのが、球場のビール売り子だった。今までやっていた飲食店の接客とは全然違う もので、自分の働きによってお給料が変わるいわゆる“歩合給”がはいる仕事だった。 2 見つけたアルバイト 「すみません、求人誌を見て電話しました」 友人たちと一緒にかけたこの電話から説明会、研修と進み、ついにアルバイト初日を迎 えた。実際に、ビールの樽を背負うとその重みで少し歩くことでさえやっとだった。いざ、 試合が始まる球場へ。試合前だというのに、球場はお客さんでにぎわっていた。研修で教 わった通りに、ほかの売り子が入っていない列を見つけて階段を駆け下り、お客さんに向 かって一礼する。私は、きっと不自然な笑顔でお客さんに呼びかけただろう。樽は重く、 階段を上る足に力が入る。お客さんの視線が少し怖かった。 しばらく列に入っては出て、を繰り返しているとすみません、とお客さんに声をかけら れた。初めてお客さんにビールを売る。緊張しながらもビールを注ぐ。その日は気温が高 く、ビールが泡になってしまう。量を計りながら規定量まで注ぐ。代金をもらい、おつり を渡す。お客さんにお礼を言われた。慣れてしまった今では当たり前となったこの一連の 行動が、初めてできた時だった。 3 慣れてから 何回か売り子を続けていると、すぐに慣れるもので、初めはあんなに重いと感じたビー 1 ルの樽も普通に背負えるようになった。怖かったお客さんの視線も、今ではそうは感じる。 笑顔も、きっと自然なものになった。 そんな時、広い球場内で私を見かけると毎回買ってくださるお客さんができた。始めた ばかりの頃で、メーカーが安定していなかった頃からのお客さんで、私のことを見かける たびに 「今日はこれなんだね、1つもらおうかな」 などと声をかけてくれるのだ。始めたばかりの私に、常連さんなどはまだいない中、初め て“常連さん”と呼べるようなお客さんができたのだ。なによりも、私のことを覚えてくれ てることが、とても嬉しかったのを覚えている。ほかのアルバイトでは決して味わうこと のない気持ちを知ることができたと思う。 4 最後に 大学生になった今、あまりはやる機会がなくなった球場の売り子だが、夏の暑い日には ふと、ビールを売っていたことを思い出す。汗をかきながら登った階段、球場に響く声援 を。あのお客さんはまだ私を覚えてくれているだろうか。きっと忘れているだろう。私の 記憶の中にあればいいと思った。このアルバイトをはじめて、これまで知ることがなかっ た感覚を知ることができた。 またいつか、売り子として球場に行けることを私は密かに楽しみにしている。 2
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