安曇川流域に伝わる 「しこぶちさん」信仰とは

子を川底に引 き 入れようとしてい
て立 ち 往 生 。
ふと見ると河 童が息
を 出さないと誓わせま す 。以 来し
を 打 ちのめし 、筏 師には二度 と手
邪 魔を。
しこぶちさんは怒って河童
﹁ まんが日 本 昔 ばな し ﹂にも 登
かっぱ
ま す 。しこぶちさんは息 子 を 救 お
こぶちさんは川のワルモノを退治す
場したこの話は、素直に読めば、筏
な ぜ 安 曇 川 だ けに
﹁ し こ ぶ ち さ ん ﹂?
うと、
ガワタロウと名乗るこの河童
る強い神さまとして祀られるよう
こ
を 懲 らしめま す 。ところが 中 野の
あ かかべ
︵ 注2︶
師が河 童 を 退 治して〝しこぶちさ
古代より知られた筏流しが途絶えたいまも、川の流れでつながる流域文化は健在です。
になったとのことです。
いかだ
赤壁まで下ると、再びガワタロウが
1)
もっとも下流にある
安曇川町中野の思子
淵神社。しこぶちさん
の 昔 話にも登 場する
2)京都市大原百井町
の思子淵神社。立派な
木造鳥居の正面に畑
をはさんで百 井 川 が
流れる
くつ き
朽 木 が 賑 わった
﹁ し こ ぶ ち フォー ラ ム﹂
︵ 注1︶
昨年三月、高島市朽木で
﹁しこぶ
ちフォーラム﹂
なる催しが開かれた。
﹁ 大ホールにこんなに人が集 まるの
は島倉千代子ショー以来﹂
と地元の
人も驚く盛況ぶり。
この一風変わっ
まつ
た名 称﹁しこぶち ﹂とは、安 曇 川 流
域のあちこちに祀られる古い古い神
さまのこと。
かつて安曇川で筏流し
が盛んだった頃 、その安 全 を 見 守っ
てくれたのが
﹁しこぶちさん﹂。筏は
姿 を 消したが﹁しこぶち 信 仰 ﹂
はい
まも流域に根づいている。﹁しこぶち
神社﹂
は、
いったいいつの頃からあるの
か。
そもそも﹁しこぶちさん﹂
とはど
ういうお方なのか。といっても 確か
な 史 料は何 も な く 、ただ 次のよう
な昔話が伝わっているだけだ。
つづき
昔むかし ……
朽 木の筏 師﹁しこ
ぶちさん﹂
が幼い息子を筏に乗せて
川を下っていると、続が原の日ばさ
みというところで、筏が岩に当たっ
ん 信 仰 〟が 生 ま れ た 、と なるのだ
が 、ど う も そ れだけではないよう
だ。というのは、筏流しも河童伝説
も 、近 江 だけのものではな く 全 国
にあ る 。筏の技 術 も 河 童の話 も 、
川から川へ、人から人へと広 まった
だろうに、筏師の守り 神﹁しこぶち
さん﹂だけは安 曇 川 固 有のもので
あ り 、こういう 信 仰の例は全 国で
も 他に見 当 たらないという 。近 く
では京 都の保 津 川など、筏 流しが
発達した川は全国に多いのに、
しこ
ぶちさんはなぜ安 曇 川にとどまっ
ておられるのだろう。
もも い
しこぶち さん を 祀 る 神 社の数
は、最 南 端は京 都 市の大 原 百 井 町
から、一番下流は安曇川町中野ま
で、安 曇 川の流 域 十 五ヵ所におよ
ぶ 。ほかに 神 社 跡 も 見つかって お
り 、古 くにはもっと多かったのだろ
う 。社はなくても﹁しこぶち 講 ﹂と
※注1/安曇川流域文化遺産活用推進協議会が主催した
※注2/『読みがたり滋賀のむかし話』
(滋賀県小学校教育研究会国語部編・日本標準発行)
より筆者要約
「しこぶちさん」は筏流しの神さま。これは全国でも珍しい、安曇川流域だけのものだとか。
京 都 、大 津 、高 島 をつな ぐ﹁ しこぶち さ ん ﹂
1
2015 Summer 10
11 2015 Summer
安曇川の筏風景、船木付近にて
(撮影/石井田勘二、高島市教育委員会提供)
2
安曇川流域に伝わる
「しこぶちさん」信仰とは
都造営のための建築用材を供給し
所 ︶が置かれ 、奈 良 時 代 以 前より
姿 を 消 し た 筏 流 し が 安 曇 川 に よみ が え る 日
して行事を行う地域もある。神社
名には思 子 淵︵ 渕 ︶、志 古 淵︵ 渕 ︶、
かつらがわ
志子淵、志故淵とさまざまな漢字
が当てられ、 川にはシコブチ平と
いう 地 名 も 残る。
フチは川の屈 曲
みにく
部である淵︵ 渕 ︶をさし、
シコ
︵醜︶
は
﹁暗い、恐ろしい、醜い﹂といった意
味ではないかといわれるが、実 際の
ところはよくわからない。
だが、神 社の立 地には共 通 点が
あ る 。水 流 がゆるやかな 中 下
・流
域に比べ、筏の難 所 が 多い上 流に
神 社は多 く 分 布 する。なかでも川
の屈 曲 部や合 流 地 点 、あるいは川
を見 渡せる場 所に鎮 座 する。合 流
地 点にはドバ
︵コバ︶と呼ばれる木
神々に見 守 られながら川 を 下った
育った 木 は 筏 に 組 ま れ 、川 筋 の
たようだ。そのためだろうか、山で
田 上 、そ して高 嶋に山 作 所︵ 製 材
呼 ばれた 木 材 産 地 として、甲 賀 、
史 を もつ。古 代より 近 江 国は杣 と
安曇川の筏流しは非常に古い歴
﹁ 安 曇 川リバーマップ﹂が紹 介 され
安 曇 川 は その流 域に広 大 な 森
で奈良の都に運ばれた。
て琵 琶 湖から瀬田川 、宇 治川 経 由
たのが筏で、伐採した木は筏となっ
てき た 。その輸 送 手 段 として用い
のだった。
大 見を開 拓して、大 見の思 子 淵 神
た。
リバーマップにはしこぶち神社の
安曇川と
筏 流 しの 歴 史
筏 流しができるのかと心 配になる
社に祀られているというのである。
最 新 調 査と、筏 師たちが川の状 態
材 作 業 所が置かれることが多かっ
が、
ここでは谷 川 を 部 分 的に堰 止
しこぶちさんが何 者であるかの推
を 情 報 交 換 するために名づけてい
そま
めては鉄砲水を発生させて流すと
察は、郷 土 史 誌では古 くからなさ
た流域の瀬・淵・岩の名称約二百を
︵ 注3︶ やまづくりどころ
いう技術を用いていたそうだ。その
れてき た 。古 代 、安 曇 川 流 域 をさ
聞き取り調査した結果が収められ
たなかみ
安 曇 川から筏 流しが消 えたのは、
かのぼって、それぞれの村 を 開いた
ており、貴重な記録となっている。
せき
昭 和二十三︵ 一 九四八︶年のこと。
人々の歴史につながるのだろうか。
二十五︵二〇一三 ︶年の台 風で倒 壊
る大 見に新 村をつくろうとする若
してし まった 。だが 廃 村 状 態にあ
冒 頭で述べた﹁しこぶちフォーラ
安曇川に
筏 流 しの 復 活 を
大原大見の思子淵神社は、平成
戦 時 中に筏 師が不 在となり 、流 路
がすっかり荒廃したのだという。
﹁ し こ ぶ ち さ ん ﹂は
実 在 し た の か?
もも い
おお み
林 原 野 をかか え 、ま た 、京 都 側で
て汗 を 流 し 、思 子 淵 神 社 再 建への
を見ていると、
こんなに狭い上 流で
を 利 用して搬 出した。現 在の流れ
山中の木を切り 出しては川の流れ
生 川などいずれの支 流 も 山 深 く 、
久多川、朽木では針畑川、北川、麻
く
た
は左 京 区 大 原の百 井 川 、大 見 川 、
2
新たな動きが始まっていると聞く。
こ がわ
ま た 、今 年 五 月 、﹁ 七しこぶち ﹂の
一つである朽木小川の思子淵神社
本 殿 な どが 重 要 文 化 財 指 定の答
申 を 受 けた。
ここにきて、しこぶち
さんが再び影響力をもち始めたよ
うに思う。それも、新しい時代に適
応 するしこぶちさんの復 活 だ 。筏
流しの神さまである強いしこぶち
さんがよみがえ れば、安 曇 川に筏
編集者・エッセイスト。京都人も知っていそうで知らない身近な
“不思議”
を追跡する
『京都の不思議』
『 京都の不思議Ⅱ』を出版。
著書はほかに
『京都語源案内』
『 それは京都ではじまった』
(いずれ
も光村推古書院)
など。
1
流しが復活する日も夢ではない。
文・写真●黒田正子
(くろだ・まさこ)
い世代と元村民たちが力を合わせ
安曇川流域文化遺産活用推進協議会事務局
(NPO法人「結びめ」)TEL 090-5014-1600
ム﹂
では、何 年かがかりで調 査した
このマップは無料配布されています。
ご希望の方は下記までお問い合わせください。
なな
1) 川坂下の思子渕
神社前を流れる安曇
川 。神 社 は 川 の 屈 曲
部に鎮座する 2)坂
下の思子渕神社は旧
道沿い、川岸に突き出
た大 岩 の 上に祀られ
ている
参考/安曇川リバーマップ
(安曇川流域文化遺産活用推進協議会)
しこぶち さん を 祀 る 神 社のう
4
ち 、代 表 的な七社 を﹁ 七しこぶち ﹂
と呼んでいる。そのなかの 一つ、京
都 久 多の志 古 渕 神 社では、河 童の
いん べ
ガワタロウを 退 治した筏 師の犬 部
︵ 忌 部 ︶志 古 淵が祭 神で、その上 流
にある大 川 神 社に祀 られているの
が 妻 だ として、
いかにも 実 在の人
物のように言い伝えられている。
また﹁ 七しこぶち ﹂
には入らない
3)
2014年3月、朽木やまびこ館大ホールで
開催された
「しこぶちフォーラム」 4)
しこ
ぶちさんの最新情報はこの「安曇川リバー
マップ」
に詳しい
2015 Summer 12
13 2015 Summer
が、久 多から近い京 都 大 原 百 井の
思 子 淵 神 社には、古 代にこの地 を
開いた 三 人 姉 妹の長 女 が 祭 神 と
なって祀られており 、その妹は大原
3
※注3/石田敏(高島市文化財保護審議会委員)
著「安曇川と筏流し」
(2013年)
の記述より