2015 年パラグアイ使徒訪問・カアクブのマリアの聖所ミサ聖祭の説教

2015 年パラグアイ使徒訪問・カアクブのマリアの聖所ミサ聖祭の説教
フランシスコ‐ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ
聖父フランシスコのエクアドル、ボリヴィア、パラグアイ使徒訪問
(2015 年 7 月 5-13 日)
ミサ聖祭の説教
パラグアイ、カアクプのマリアの聖蹟前の広場
2015 年 7 月 11 日土曜日
フランシスコ聖下が教皇となられて2度目の南米訪問、待ちわびた大群衆がパパ様を熱狂的に歓迎した。パラグア
イではパラグアイ信徒のみならず、パパ様の祖国アルゼンチンを含む隣国の信徒達の心の拠り所であり、パパ様自
身が深い信心を寄せるカアクプのマリアの聖蹟でミサを捧げられた。80万人の会衆と共に、パパ様は子としての深
い愛を込めて母マリアへの感謝と賛美と信頼を捧げられた。
ここ、カアクプの奇蹟のおとめなる私達の御母の足元にあなたがたと共にいると、自分の家にい
るような気分がします。聖所で我ら子供達は我々のお母様とお会いし、我々同士は兄弟であると
いうことを思い出させて頂きます。祝祭の場、出会いの場、家族の場です。私達が困っている事
をお母様に知らせにきます、感謝しにきます、赦しを願い、新たにスタートしに来ます。どれほ
ど多くの洗礼、どれほど多くの司祭や修道者の召命、どれほど多くの婚約や婚姻が私達のお母様
の足元で生じてきたことか!どれほど多くの涙とどれほど多くの別れがあったことか!いつも
私達は自分の人生を抱えてきます、なぜならここが私達の家だからです、そして、最高の家とは、
私達を待っている誰かがいると知っていることだからです。
他の多くの機会と同様に、私達がここに来たのは福音の喜びを生きるためのエネルギーを取り
戻すためです。
2015 年パラグアイ使徒訪問・カアクブのマリアの聖所ミサ聖祭の説教
フランシスコ‐ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ
この聖所は、あなたがたパラグアイ人の命に係わる所だと認識せずにいられるでしょうか?そ
うだと感じます、そうだと感じて祈ります、その祈りをこう歌うのです、
『カアクプの貴女のエ
デンの中で、清いおとめよ、貴女の民はその愛と信仰を貴女に捧げます』
。きょうここに、私達
のお母様の足元に私達がいるのは、私達の愛と信仰をお母様に差し上げるためです。
福音の中で私達はたった今、『喜びなさい、恩寵に満ちた方、主は貴女と共におられます』とい
うマリアへの天使のお告げを聴きました。喜びなさい、マリア、喜びなさい。この挨拶を前に彼
女は動揺し、これはいったい何を言いたいのかと自問します。何が起こりつつあるのか、彼女は
よく分かっていませんでした。でも、それは神から来ていると理解し、
『はい』と言ったのです。
神の夢に対する「はい」
、神の計画に対する「はい」
、神のみ旨への「はい」です。
その「はい」は、私達も知っての通り、現実に生きるのは決して容易でありません。それが彼女
にもたらすのは特権や優遇扱いではありません、それどころか、シメオンが預言するように『あ
なたも魂が剣で刺し貫かれる』
(ルカ 2,35)
「はい」なのです。本当に彼女の魂は刺し貫かれまし
た!このために私達は彼女をとても愛しています、複雑な状況の最中にも信仰と希望を生き生
きと保てるように私達を助けてくださる本当のお母様を彼女の内に見出すのです。シメオンの
預言に従いながら、マリアの人生の困難な折々を辿り直してみると良いでしょう。
1.イエスの誕生です。
「彼らのための場所はありませんでした」
(ルカ 2,7)。家を、彼らの息子
を迎えるための住まいを持っていませんでした。息子を産めるスペースがありませんでした。近
隣の家族さえもいなくて、ふたりっきりでした。空いていた唯一の場所は家畜小屋でした。間違
いなく彼女の記憶の中で天使の言葉がこだましていたでしょう、『喜びなさい、マリア、主が貴
女と共におられます』。主は今、どこにおられるのか?彼女は自分にそう問いかけていたかもし
れません。
2. エジプトへの逃亡です。亡命の旅に発たなければならない、行かなければなりませんでした。
そこに居場所がなく家族がなかっただけではなく、彼らの命さえも危険に晒されていたのです。
ふたりは歩き始め、見知らぬ地に行かなければなりませんでした。彼らは守銭奴で強欲な皇帝に
迫害された移住者でした。そこでも彼女は自分に問いかけたかもしれません、天使が私に告げた
事はいったいどこにいったのだろうか?と。
3.十字架上での死です。母にとって自分の子供の死を看取る以上に厳しい状況はないに違いあ
りません。苦悶の時です。そこにマリアがいます、十字架の足元で、死の、しかも十字架の死の
極みに至るまで御自分の御子に寄り添うマリアは、あらゆる母と同様に毅然とし、気を失ったり
しません。そこでも彼女は自分に問いかけたかもしれません。天使が私に言った事はどこ?それ
から、彼女は弟子達の一致を保ち、彼らを支えます。
2015 年パラグアイ使徒訪問・カアクブのマリアの聖所ミサ聖祭の説教
フランシスコ‐ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ
彼女の人生を眺めてみましょう、すると、私達は自分が理解してもらえた、分かってもらえたと
感じます。私達は彼女と共に腰かけて祈り、毎日の暮らしの一連の状況を前にして彼女と共通す
る言葉を用いることができます。たくさんの状況において自分と彼女の人生を重ねて共感して
考えることができます。私達の現実を彼女に語ることができます、彼女はそれを理解してくださ
るからです。
彼女は信仰の女性であり、教会の母です、彼女は信じました。彼女の人生は、神が幻滅させない
ということの証し、神は、たとえ神がそこにいないように見える折々があったとしても、御自分
の民を見捨てたりしないということの証しです。彼女は御自分の御子に寄り添い、困難な折々に
も使徒達の希望を支えた最初の弟子
でした。使徒達は恐怖のために、鍵を
かけてチェナクルム(高間)の中に閉
じこもっていたのです。いくつ鍵が
あったのか私は知りませんが…。注
意していたのは彼女でした、そして、
喜びと祝宴が終わりそうに見えた時
に『見てください、彼らにはワインが
ありません』(ヨハネ 2,3)と言う術
を心得ていたのは、彼女でした。出か
けていき、自分の従姉が出産の時にひとりきりじゃないように『約3カ月』
(ルカ 1,56)共に過
ごすのを弁えていたのも、彼女でした。これが私達の御母です。こんなに善良で、こんなに寛大
で、こんな風に私達の人生に付き添っていてくださる方なのです。
この全てを、私達は福音で知っています。でもこの世で、たくさんの困難な状況の中で、私達の
傍らにいてくださったのは御母であるということも、私達は知っています。この聖所はマリアが
御母であるということ、そして、彼女は自分の子供達の傍に居てくださったし居続けてくださる
ということを知っている民の記憶を嫉妬深いほどに大切に守っています。
私達の病院の中に、私達の学校の中にも家の中にも、彼女は居てくださったし居続けてくださる
のです。仕事している時も歩いている時も私達と共に居てくださったし居続けてくださいます。
どの家の食卓にも座ってくださったし座り続けてくださいます。祖国形成の時に居てくださり、
これからも居続けてくださって、私達がひとつの国家となるようにしてくださいます。常に控え
目で静かな存在です。一枚の肖像画、一枚の御影、一個のメダルの眼差しの中におられます。ロ
ザリオの印の下に、私達は自分がひとりではないこと、彼女が私達に寄り添ってくださるという
ことを知っています。
2015 年パラグアイ使徒訪問・カアクブのマリアの聖所ミサ聖祭の説教
フランシスコ‐ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ
どうしてですか?なぜならマリアが単純に彼女の民の間に、彼女の子供達と共に、彼女の家族と
共に、居続けたいと望んでくださったからです。常にイエスに、群衆の側から従うことによって
です。良い母として自分の子供達を見放したことなどありません。反対に、いつも子供が自分を
必要とするかもしれない所で自分を見つけられるようにいてくださったのです。これはただ偏
に、御母だからなのです。
たくさんの困難の最中で、
『恐れてはならない』、
『主は貴女と共におられる』
(ルカ 1,30.28)と
して、生きること、そして、聞くことを学んだ御母です。私達に『彼があなたがたに言う事は何
でも行いなさい』
(ヨハネ 2,5)と私達に言い続ける御母です。
『彼があなたがたに言う事は何で
も行いなさい』、それが彼女の不変の招きです。彼女
は何も自分独自のプランを持っておられるのでは
ありません。何も新しい事を私達に教えに来られる
のではありません、むしろ、彼女は黙っているのが
好きです、ただ彼女の信仰を以て、私達の信仰に寄
り添ってくださるのです。
それを、あなたがたは御存知です。あなたがたがな
さったこの経験を、私達はちょうど分かち合ってい
る最中です。あなたがたは誰も、パラグアイの方々
全員が、この福音の言葉を受肉させた民の活き活き
とした記憶をお持ちです。私は特に、あなたがたパ
ラグアイの女性とお母さん方について触れたいと
思います。あなたがたは大いなる勇気と自己放棄に
よって、破壊され、陥落し、邪悪な戦争の中に沈め
られた国を立ち上げ直す術を心得ておられました。
あなたがたはその記憶をお持ちです、あなたがたはマリアと共に、あなたがたの民の生活、信仰、
尊厳を築き上げ直した女性達の遺伝子を受け継いでおられます。あなたがたはとても難しい状
況を生き抜いてこられました。本当に難しく、普通の考え方で見れば、どんな信仰をも揺るがす
大変な状況を、あなたがたは逆に、おとめなる母に叱咤激励され支えられて、信じ続けましたし、
『あらゆる希望に反して希望する』
(ローマ 4,18)しながら生き抜かれました。全てが崩壊した
ように見えた時、あなたがたは、恐れるのはやめよう、主は私達と共におられる、私達の民と共
に、私達の家族達と共におられる、彼が私達に仰せになることを行おう、とマリアと共に言って
おられたのです。そこにあなたがたは、この地をカオスに終わらせない力を昨日見出しましたし、
きょう見出していくのです。神がこの粘り強さを祝福してくださいますように、神があなたがた
の信仰を祝福し、労わってくださいますように、神がアメリカで最も栄光に輝くパラグアイの女
性達を祝福してくださいますように。
2015 年パラグアイ使徒訪問・カアクブのマリアの聖所ミサ聖祭の説教
フランシスコ‐ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ
民として、私達は自分の家に来ました、パラグアイの祖国の家に、私達を大変力づけてくれるこ
の言葉をもう一度聞きに来ました、
『大喜びしなさい…主は貴女と共におられます』。それは思い
出を消さない、根源を失わせない、闘いの危険に晒されながら信じた民から受けた沢山の証しを
失くさせないアピールです。命になった信仰であり、希望となった命であり、真愛において秀で
るようにさせてくれる希望です。そうです、イエスと似たものとなり、愛において群を抜くよう
であり続けてください。この信仰の、この命の、この希望を運ぶ者であり続けてくださいますよ
うに。あなたがたパラグアイ人がきょうと明日を築き上げていく当事者なのです。
マリアの御影を再び見つめながら、御一緒に言いましょう、『カアクプの貴女のエデンの中で、
清いおとめよ、貴女の民はその愛と信仰を貴女に捧げます』。[群衆が叫びながら繰り返す]
。
私達のためにお祈りください、神の聖なる母よ、私達の主イエス・キリストの約束と恩寵を戴く
のに私達が相応しいものとなりますように。アーメン。
原文© Copyright 2005-2015 – Libreria Editrice Vaticana
邦訳© Copyright 2015 – Cooperatores Veritatis Organisation
www.paparatzinger.com
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