Stella Matutina

Stella Matutina
秋 季 号
暁星中学高等学校
平成 27 年 10 月 30 日
Stella Matutina ラテン語で「暁星」の意味。頭文字の S.M.はセーター、鞄に記されています。
初金(二学期)
マリア会日本地区長 青木
勲 神父
今日 1817 年 10 月 2 日はフランス、ボルドーでマリア会とい
う修道会が創設された記念日に当たります.そのような特別
の恵みを受けて 特に、マリア会が持っている教育の理念、
暁星学園の長い伝統と理想について、お話しさせていただき
ます。
暁星学園の創設の母体は、マリア会という修道会です。創
設者は、福者シャミナード神父様で、フランス革命の混乱の
中、社会のキリスト教化をもう一度始めたいという思いで修道
会を始めました.マリア会は、当初から、教育というのは、国、
政治、歴史を作っていく基盤だと考え、教育者を育てる学校、
初等教育に関わりました。シャミナードは、(1761~1850 年)
ほぼ 80 年の長い生涯を生き抜きました。トランケレオンは、晃
華学園の「汚れ無きマリア修道会」の創立者で、39 歳で亡く
なられます。二人が協力し合って、社会の改革の為に自由、
平等、博愛の下で修道会を創りました。
この修道会が日本に来る経緯ですが、1867 年、日本が江
戸時代から明治時代にかわります。その後、初めてキリスト教
の宣教が認められます。明治維新時代、教会の中で一番力
を持っていたパリミッション会の神父様方によって、マリア会
は日本へ招聘されます。四谷の雙葉、お隣の白百合、全部
仏語をしゃべる学校が、パリミッション会、特に、オズーフ司教
によって日本に招かれました。
その結果、1886 年明治 26 年 8 月にマリア会総本部において、
「日本に派遣する」ことが決められ、フランスから 3 人、アメリカ
から 2 人の宣教師を日本という極東の国に派遣することを決
定されました。1887 年 12 月マルセイユから 3 人、アメリカから
2 人来日し、その結果、暁星学園の母体が始まります。最初、
築地にありましたが、九段の地で暁星学園が始まりました。信
仰教育の為に私たちマリア会は教育をしています.決
行
して、単なる優秀大学に入るための学校ではありません。もち
ろん、優秀な大学に入っていただきたい。でも、一番重要な
のは、健全な心をもった暁星紳士を創り上げることでした。
皆さん、この絵がどこにあるかご存知ですか。一番大切な暁
星の宝物です。これを知らなければ暁星ボーイではありませ
ん。上部には、マリア様とイエズス様がナポリのカタリナと言う
絵描きさんによって描かれています。星が輝いています。暁
の星です。太陽が出てくる前の星です。そして、下には富士
山、片瀬、実際は三津(みと)浜ですが、日本とバチカンの繋
がりを作った暁星のOB山本信次郎さんの故郷の景色です。
このようにマリア会は、一番基礎になるキリストとマリア、その
次に聖書の言葉を大事にします。ですから、聖書の言葉は、
わたしたちにとって信仰の土台となるものです。ルカの福音
書「その実によって木が分かる」。皆さんの規則、制服、態度
を見ながら、いま現在、どういった教育がここにあるのかを知
ることができます。おしゃべりをしている人、姿勢を崩している
人、それを見て、私たちは、日本の教育の評価を見ています。
私の頃は、制帽がありました。七つボタンをきちっと締めていま
した.今、皆さんだらしなく歩いています。街であって、「だら
しないな」と思います。それは、今、暁星が示しつつある悪い
傾向ではないかと思います。もう一度暁星ボーイであって欲
しいと思います。
人間にとりまして、大事なこと。建物もそうです。設計図があ
って、土台が大事です。今、暁星で皆さんも自分の生活設計
をしています。それは、全部土台です。皆さんの暁星の教育
は、どこにあっても壊れない、頑丈な教会、ペトロ、岩の上に
築かれているのです。単に、学問だけではありません。心が、
しっかりした暁星の生徒であって欲しいです。それは、世界
に出ていく皆さんが支えとする力となっていくからです。富、
資本主義社会、消費社会、権力、また、お金、セックス、快楽
が世界を取り巻いています。今、皆さん若いですから、性の
問題、麻薬の問題に、興味があるでしょう。私は、ブラジルで、
麻薬の人達、一番貧しいところで仕事をしていました。皆さん
が履いているようなテニスの靴が無いために殺人事件が 3 回
起こりました。そういう中で私たちは、第一に、神様の心を知
って、神様が何を喜ばれるか、何を善しとされるか、一番適し
たことを、心と善と適用を、神の視点から判断し、決断し、識
事
予
定
※学校での行事は特にありません。
10月
11月
12月
1
金
都制記念日
1
日
創立記念日式典
8
火
期末試験(~12/11)
3
土
エトワール祭(~10/4)
2
月
振替休日
12
金
自宅学習(~12/15)
5
月
文化祭代休
9
月
中3修学旅行(~11/13)
16
水
授業日(答案返却)
9
20
金
火
高3外部模試
中間試験(~10/23)
10
17
火
火
校外学習
学年ミサ(中2)
17
22
木
火
自宅学習(~12/21)
終業式
27
火
高 1 学年ミサ、中2・3学力
推移調査、高2外部模試
24
木
クリスマスイブ・ミサ
25
金
主の降誕※
30
金
保護者会
冬休み前講習
別していく。まさに、識別をして、それを選び取っていく、それ
が暁星の教育のねらいです。神の心を見ながら、神の心を知
り、喜び、善を行い、識別し、行動すると言ったことが、暁星の
教育の基本的ねらいであるべきです。(聖フランシスコの話
割愛)
キリストは将来皆さんを決して失望させません.神様の言葉
は生きていて、力があります。そして絶対に不幸になりません。
ですからこそ、私は今皆さんに聖書の言葉を伝えています。
それは、世界のどこにでも共通する真理だからです。真の宗
教と言うのは、困っている人達、孤児、やもめ、貧しさを糾弾
していきながら、開いていくことです。それは、皆さんが色々
な所で行っているボランティア活動の一番大きな支えであり、
「しるし」でもあります。是非、それを続けて下さい。(フランシス
コ・ザビエルの腕の話 割愛)
聖書の言葉は、ただ聞くだけではなくて、行動を伴います。
皆さん、聞かない人は勉強できません。沈黙を守らない人は
立派な生徒になることはできません。ですから沈黙は、人間
の一番深みのできる特徴です。しゃべりっぱなしの人は薄っ
ぺらくなります。暁星の生徒の皆さんたちは、本当に聞く態度
を改めないと暁星の生徒としては恥ずかしく思います。(シャ
ミナード神父様の遺骸を包んだ布の話 割愛)
歴史を伝えていく、歴史をつなげていくのが皆さんの役割
です.全ての殉教者は信仰と愛の証し人です。単に聞きっぱ
なしではなく、それを生きていく、自分の生き方で示していく、
それを私達は、何とかして暁星の後輩たちに伝えていきたい、
それを通して皆さんが全世界に新しい光として輝いて欲しい
からです。聖書の言葉は、「あなた方は、純真な者となり、邪
悪な世代の中に神の子供となり、いのちの言葉を守って、彼
らの間で輝くためです」と言っています。暗闇のなかで輝く暁
星ボーイであってほしいと思います。私達は、どこにあっても、
神様の御業が反映しています。自然界は全てのものが神様
のみ業を反映しています。暁星の皆さん、心の中で、光を感
じながら、表明していける心の広いマリア様の子供になって
いただきたいと思います。
学校行事特集
Fusion with Tradition
Etoile Festival
2015
5C
赤松 孝則
今年度、私はエトワール祭実行委員長を務めさせていた
だきました。私は入学した頃からエトワール祭実行委員
会に入り、エトワール祭の花形である正門の装飾や校舎
の垂れ幕の装飾を行う装飾課で働いてきました。そして
昨年は4年目にして本部へ異動となり、集大成となる今
年委員長になりました次第です。装飾課上がりの人間と
して、今年は装飾に力を入れたいという強い意志があり
ました。それにしてもまず今年のテーマを決めないこと
には始まらず課長達と会議を重ね、様々な面を考え「和」
が一番良いという結論に至り「和魂和彩~Fusion with
Tradition~」とテーマが決まりました。和の魂を以って
和の彩をする。そして、伝統との融合。127年続く暁
星学園だからこそ、その伝統の上で和を語れるのではな
暁 星 の 校歌 は 、 今
お話しした内容をすべ
てこめた素晴らしい歌
になっています。この
歌の文句にふさわしく
生きて欲しいと思って
いま す。「来たれ、我
に、黎明」。光が出て
来る前の柔らかい光で
す.でも、光に向かって準備していく光です。神の言葉、世界
にかがやいていく光、となってください。「暁星、我らが理想」。
まさに、わたしたちの今、現在、過去の理想でした。皆さんは、
その理想を自分の心の中に、頭、心、からだの中に、前に前
進してほしいのです。「思へ常に平和を」。日本は今回、いま
まで唯一の被爆国であった日本が戦争の放棄、武器の放棄
を変えてしまいました。でも、大事なことは戦争をしない、本
当の平和は、権力、富、快楽から自由になっていくという意味
で、神様が全ての人をお愛しになった、その愛に答えていく
ことです。みなさんは、あなたが誰の隣人として心の広い態度、
あるいは非常に連帯的な態度にもっていけるかです。「守れ
人の信」。嘘ではありません.本当の生きた真面目な意味の
ある生き方を示して欲しい。どんなに周りがざわめいてもどん
なに外の風が強くても、その暁星の旗は、一つの「しるし」を
示していけますように、忍耐は練達を呼び、練達は希望を呼
ぶことを準備します。「暁星、我らが希望」。決して希望は無
駄にはなりません。単に優秀な学校に入るのが目的ではなく、
心の広い、全ての人を大事にし、命を本当に大切にする力の
ある、世界的に広がりを持った、コミュニケーションの専門家
になって欲しいと思います。交流の専門家、歴史と文化、宗
教、神と人間、その交わりの専門家になって欲しい。皆、卒業
生は、芸能、文化、経済、法律 どこにいてもこの暁星の校歌
を歌ってきました。理想と希望を意に受けて、頑張ってくださ
い。今日は 10 月2日、マリア会の記念日です。それをもう一
度皆さんにお伝えして終わりにします。
いか、現代との架け橋になれるのではないかと考えこれ
に至りました。そしていざ始動してみますと、毎年の課
題となっていたデザインの統一がなされておらず、それ
を指摘していただいた美術の教員の一言によりデザイン
の統一を図りました。その統一方針の下、エトワール祭
実行委員全員が一丸となり準備に励みました。赤い瓦葺
の門に浮世絵の垂れ幕、仁王の垂れ幕、歌舞伎の壁画、
それに上り鯉。私たちの一夏を掛けたこれらの作品はエ
トワール祭成功の立役者の一つでしょう。そしてエトワ
ール祭終了後の高校 2 年生の顔には満足感がありました。
このような皆で何か一つを成し遂げるという素晴らしい
伝統ある行事が、講堂が取り壊されても尚、次の世代に
受け継がれていって欲しいと思います。
中1校外学習報告
2015
於 菅平(7/19~22)
菅平合宿の数週間前、菅平委員長になった。その仕事の
中で一番大変だったのが、菅平スポーツ大会だ。この大
会は、基本的には普通のソフトボール大会なのだが少し
特殊な点がある。それは、ソフトボールの試合に出てい
ないチームの人はそれぞれが選んだサブのスポーツの試
合に参加するのだ。そこを考慮したうえで、菅平委員は
試合の計画を立てた。
いよいよ合宿2日目の大会当日になった。まずはチーム
をコートに割り振り始めた。しかし、きちんとタイムが
取れていなかったり、ボールが無くなったりと、午前中
は散々で、昼の時点で消化できていた試合は、予定して
いたものの2分の1程度だけだった。この現状を改善す
るため、昼には菅平委員全員があつまり、午後に向けて
話し合いが行われた。それによって午後は午前よりも多
くの試合を楽しくプレーすることができたと思う。
今回によって、この大会を成功させようという決意を持
って取り組むことができ、皆で同じ目的のためにがんば
ることの大切さを学んだと思う。
1B 内海 智玖
古田
陸太(6D)
(公社)日本化学会 銀賞
同
関東支部長賞
名古屋大学で開かれた化学
グランプリ 2015 二次選考
に参加してきました。実技試
験として実際に実験を行うという、これまで経験したこ
とのない試験でしたが、4 時間の試験時間をどうにか乗
り切ることが出来ました。
失敗だらけの実験と、拙い実験レポートという目を覆い
たくなるような結果でしたが、なぜか、銀賞をいただく
ことが出来ました。日頃の勉強の成果を活かす機会を得
ることが出来て、自信を深めるとともに、さらなる勉強
へのモチベーションとなりました。
参加して驚かされたのは、参加者のレベルの高さです。
僕はもともと、化学にはある程度の自信があったのです
が、全国から一次選考を突破した参加者は一味も二味も
違いました。実力面もさることながら、何よりも化学を
愛しているんだということがひしひしと伝わってくる高
校生たちとともに行った実験は、とても貴重な経験とな
りました。一泊二日という短い時間ながら、あの場で知
り合ったたくさんの友人たちとは、大学や、社会に出て
からも、大切な友人でいられることと思います。
学校という枠組みにとらわれず、全国各地の志を同じく
する人々と競い合う。それは自分の中の世界を大きく広
げてくれる体験です。化学に限らず、何かを好きで極め
ようと思っている人が、ひとりでも多くこういった場を
見つけられることを、同じ暁星生として願ってやみませ
ん。
フランス
語学研修旅行
カナダ・ホームステイ
この夏にカナダでホームステイ
をしてきた。行くまでは「三週間もいくのか」
「英語とか
わかない」 などと思っていて、とても不安だった。し
かし、最終的には、とても充実してよい経験になった。
こんなにも気持ちに変化があった理由として一番大きか
ったのは、ホストファミリーの存在であった。私のホス
トファミリーは母親とお兄ちゃん、私と同じ程の年齢の
妹がいて、家族のようにとても親切に接してくれた。私
にとっても年の近い家族がいて話しかけやすく、毎日英
語にたくさん触れることができた。今回のホームステイ
を通して英語が上達したと思う。そして、このような機
会がまたあったら積極的に参加していきたいとも思いま
した。
4C 西村 遼太
「失敗することは考えない」
これは、僕が尊敬する鈴木尚大という野球選手の言葉だ。
それはさておき、自分は夏休みにフランスに語学研修に
行った。海外には家族旅行では行ったことはあったが、
留学などはしたことがなかったため、非常に不安であっ
た。でも、家族とはできなかった自由行動や友達とのふ
れあい、そしてなにより、フランス語という素晴らしい
言葉を作ったフランスという国に行くことができるとい
うわくわく感がはるかにか勝っていた。フランスでの四
週間は自分を劇的に変えることはできなかったが、自分
の中に確かに残る経験になったと自信を持って言える。
「失敗することを考えない」。その言葉も自分の中で大
きな力となった。
4D 名古屋 亮太
2015 夏の活躍
部活動特集
8連覇達成
競技かるた部
団体戦 優勝
個人戦 優勝 亀井雄介(6D)
3 位 東友則(5A)船登勇輝(5C)
優勝 中原 由琳(1D)
僕たちは競技かるたの甲子園と言われる高校選手権で、
今年八連覇を達成することができた。昨年初めて出場し
たとき、とてもワクワクドキドキしたのを覚えている。
連覇の重圧はもちろんあったが、それ以上に全国大会を
前に、興奮していた。だが今年は違った。立場は変わり
責任も増え、幾度となく緊張や不安で押しつぶされそう
になった。直前にチームメイトが入院したり、けが人が
出たりと決して楽な道のりではなかった。それでも、た
くさんの人の支えや頼もしい仲間のおかげでいい結果を
残すことができた。こうして、先輩たちのつなげてきた
バトンをあぶなげながらもつなぐことができた。来年は
9連覇をして、今度は僕たちが後輩にこのバトンを渡し
たいと思う。
突然だが、皆さんはどのくらい百人一首を知っているだ
ろうか。僕は入部当初、言えてせいぜい一首か二首であ
った。僕と同様に、百人一首を知らなかったり、抵抗が
ある人はたくさんいると思う。しかし、そんな先入観を
全て排除して、かるた部顧問の田口先生はまず、「競技」
のおもしろさを教えてくれる。先輩達はかるたの「魅力」
を教えてくれる。そして、百人一首と無縁だった生徒が、
かるたに夢中になっていく。
競技かるたはまだまだマイナーな競技かもしれない。だ
が、これをきっかけにたくさんの人に浸透し、広まって
いってほしいと強く願っている。
5A 東 友則
この夏、
多くの方々
の力とご支
援のおかげ
で、僕たち
サッカー部
は、都大会
2連覇、関
東大会優勝、
全国大会ベ
スト16と
いう成績を残すことができました。勝ち進めば進むほど、
自分たちがいかに多くの方々に支えられているのか痛感
しました。先輩が培ってくださった伝統と経験の力です。
都大会では、昨年の先輩方の優勝の経験が糧となり、関
東大会では2年連続21回目の出場という伝統の重みが
勝利に導いてくれたと感じています。
全国大会出場に際しては、諸先輩方、卒業生、小中の後
輩、そして同期の仲間から激励のメッセージをいただき、
理事長先生や校長先生も応援にいらしていただき、身の
引き締まる思いがしました。
この夏の経験を通して感じたのはチームワークの大切
さです。紙一重で勝負を分けた試合では決してあきらめ
ない気持ちの大切さを学びました。この全国大会出場と
いう成績は中学サッカー部員110名で勝ち取ったもの
だと思います。
また、休みの日も朝早くから指導してくださった顧問
の先生方に感謝したいです。
3C 窪田 大輝
東京都予選
優勝
岸本明希(4D)
7月31日に渋谷の東急百
貨店で行われた高校生の将
棋の最高峰の大会である全
国高等学校将棋竜王戦の東
京都予選に参加した。東京都
予選は毎年レベルが高く、今
年も四段以上の実力者がこ
ぞって参加していた。予選では麻布高校と錦城高校の生
徒に勝って二連勝で通過。本戦1回戦では麻布高校の三
将と。これは危なげなく勝てた。2回戦では、新宿高校
の生徒とでは、中盤で有利になり、終盤に少しもつれた
が最後は決めきれた。準決勝は麻布高校の副将との対局。
途中劣勢だったが粘っているうちに相手がミスをして逆
転勝ちができた。決勝は何度か対戦経験もある海城高校
の生徒との一戦。序盤で相手に上手く指されて劣勢に陥
ったが、粘っているうちに相手がミスを連発し、局面は
好転した。その後も難しかったが、接戦をものにできた。
全国大会では、本戦の1回戦で負けてしまい、とても悔
しい思いをした。秋の新人戦では都代表の名に恥じない
活躍をしたい。
4D 岸本 明希
暁星シャリテ
「被災地は今どうなっているのか」これを知るために、
この夏ボランティアに参加しました。
被災地に出発する前後は、4年経った現在何をするの
か、という疑問と、自分が何かをしてあげなければなら
ない、という思いを持っていました。しかし、被災地か
ら帰ってきて今考えると、この2つは、大きく変わった
ように思います。
まず、1つ目の疑問について
ベースに着いて、活動予定表を見て初めて分かったで
すが、4年経った今でも驚くほど多くの活動がありまし
た。僕が参加させていただいたのは、子供たちのスナッ
プゴルフ教室、地元のお祭り「釜石よいさ」の交通整理、
花火大会の露店の手伝いなどです。ほかにも、お茶っこ
サロンでの傾聴やゴミ拾いなど様々な活動があり、まだ
まだボランティアは必要とされているのだと感じました。
次に2つ目の「してあげなければならない」という思
いについて
今回の活動を通して、これはボランティアをする側の
勝手なものだ。ということを痛感しました。実際は、こ
ちらが受け取り、感じ取るものが多かったと思います。
驚いたのは、釜石の人々の元気さです。東京にいる人た
ちと比べて、子供も大人もとても元気で、みんなで街を
盛り上げようという思いが感じられました。
被災地に行ってボランティアをして、今の状態を少し
知ることができましたが、すべてではありません。機会
があればまたぜひボランティアに行きたいと思います。
4A 久武 祐輝
今回初めて被災地ボランティア活動を行いました。活
動に向かう途中、南三陸町では震災前まではあったとさ
れる街が跡形もなく、ただ盛り土と津波によって骨組だ
けになってしまった建物があるだけでした。その光景を
目の当たりにした時、改めて津波の脅威を思い知ったと
ともにいかにあの津波がもたらした被害が甚大だったか
ということを痛感しました。
3 日間のボランティア活動では 1 日目が農業支援、2
日目がお茶っこ、最終日が漁業支援といった今までの人
生で経験したことのない様々な体験をさせていただき、
色々なことを感じました。僕が活動した農業支援は、ビ
ニールハウスの中での苺の葉っぱの間引きであり、炎天
下の中での細かな作業は大変つらく、この作業を夫婦 2
人でやるには厳しいと思ったので、これからもボランテ
ィアを通して支援していくといことは、必要不可欠だな
と感じました。お茶っこでは集まりに来てくださったお
ばあちゃんたちがとても元気で、笑顔で話しかけてくだ
さり、こちらも温かい気持ちになることができました。
また、お茶っこが行われた仮設住宅は、テレビ、炊飯器
といったあらゆる家電製品が全て備わっているという反
面、壁が物凄く薄くて隣に住んでいる人の会話が筒抜け
になってしまうといった課題点もあるようで、もっと多
くの正規の住宅の建設が必要だと思いました。最後に行
った漁業支援は、ホタテの養殖用のピンをロープから抜
く作業で、こちらも苺農家の作業同様大変な作業で、も
っと多くの支援が必要だなと思いました。
今回このボランティア活動を通して、被災地は大分復
興してきたと思われがちだが、まだまだ支援を必要とし
ている人が多くいるので、今後もより多くの人達にボラ
ンティア活動をして欲しいと感じました。
5C 小池 亮介
3C
鶉橋
央揮
9 月 27 日(日)17 時ごろ、
自宅最寄駅から帰宅途中に、倒れ
ている男性を発見しました。駆け
寄ると、頭が血だらけになってい
てびっくりしました。急いで
119 番に電話をして状況を説明
し、救急隊の到着を待つことにしました。男性は、お酒
に酔っている様子で、自分が怪我をしたということもわ
からないようでした。
「大丈夫だ」と言って立ち上がろう
とするので動かないようにお願いし、ティッシュペーパ
ーを使って止血をしました。幸い目の前は大型スーパー
だったので氷をいただきに走り、頭を冷やすことができ
ました。
僕は、幼稚園のころから野外活動のクラブに参加して
います。そこでおもに自分が怪我をした時の対処法を教
えていただきました。暁星に入学してからは学校でもA
EDの使い方や緊急時の救命救急などを学ぶ機会があり、
後から考えると、その知識がとっさの行動につながった
のだと思います。消防署の署長さんから「災害時、中学
生は立派な戦力です」というお言葉を頂き、僕たちは、
もう守られるだけではなく、誰かを守る存在にならなく
てはならないということを改めて実感しました。まだ何
もできませんが、いつか誰かの役に立てるようになりた
いと強く思いました。