1 友だちの死を 受け入れられなかった Aさんの場合 Case&Study Case 1 Case 少なくありません。スクールカウンセラーは 「喪の作業」 を通じて 友の死を受け入れる Case&Study 1 友だちの死を 受け入れられなかった Aさんの場合 被災地で多様化している生活上のストレス要 因を探るため、丁寧に話をしていきました。 ところが、A さんが面接の中で語りはじめ たのは、 「小学生のころ、いつも一緒に遊ん でいた仲良しグループのうちの一人が、津波 で亡くなってしまった。お別れをちゃんとし A さんが震災に遭ったのは小学校 5 年生 1 ていないのに」という話でした。 の時です。津波で大きな被害の出た地 域に住んでいたため、同級生の多くが家族や 親類を亡くし、震災直後の比較的早い時期か ら心のケアの支援活動がされていました。 そんな中で、もともと明るく活発な性格で、 友だちの間でもリーダー的な役回りだった A さんは、特に顕著に心の問題が出たり、問題 行動を起こしたりすることもなく、小学校を 卒業しました。 しかし、震災から 2 年経ち、中学生になる と、時々ぼーっとしている様子が見られるよ うになりました。担任が声をかけると、 「最近、 よく眠れない」と訴えたことでスクールカウ ンセラーの面接を受けることになりました。 仲良しの友だちの死が いまだに信じられない 中 レスやプレッシャーを感じる子どもが 学生になり生活環境が変わると、スト 1-1 スクールカウンセラー 震災直後は、地域の多くの人が避難所で過 学校において、子ども たちの心の援助をする 心理専門家。専門的な 見地から助言ができる 「専門性」と、教職員 とは異なる立場である という「外部性」を併 せ持つ。多くは学校の 非常勤職員として週 1 ~ 2 回学校を訪問する 巡回方式である。 ごしました。学校も、通常より一カ月近く遅 く始まりました。そんな中で、A さんが友だ ちの死を知ったのは新学期になってから、震 災から 1 カ月半も経ってからのことでした。 「私は成長して中学生になったのに、頭の中で、 亡くなった友だちは小学生のままだ」という のです。さらには、 「震災直前に話した時の 表情や言葉が繰り返し思い出されて、亡くな 1-2 A さんの家庭では、スクールカウンセラ した。 ーのアドバイスに基づいて、 「どういう時に、 スクールカウンセラーが、 「一人で抱えて 気持ちが落ち着くか」 「亡くなってしまった きたんだね。辛さを人に見せずに頑張ってき 友だちに何をしてあげたいか」などを家族内 たんだね」と優しく語りかけると、大きな声 で話し合いました。そうして、 「○○ちゃん で泣き出しました。 のお墓参りに行きたい!」という A さんの強 い気持ちを引き出しました。こうして A さん 「お別れ」できないまま 引きずっていた自責の念 お墓参りに行くことができたのです。 接をさらに続けていくと、友だちの死 「大切な日は報告に行く」 事実を受け止めて前向きに 間残っていたことが明らかになっていきまし 葬儀に参列した人がいたのに、自分は参列で そ きなかったという点も気にしていたことが分 「仕方なかったのだ」と思えるようにまでな た。背景には、クラスの他の友だちの中には 受け止めることができるようになり、 りました。 「震災の日だけでなく、これからも、 A さんは両親に悩みを知られたくないよう 大切な日には友だちのお墓に行って、いろい 相談することの大切さを話しました。A さん も分かってくれたようで、両親と話すことが できました。学校の成績も生活態度も良好な A さんが、それほどに悩んでいたのは両親も 意外だったようです。A さんの母親には、ス クールカウンセラーからトラウマやPTSDに ついて説明し、家庭での見守りをしっかり続 けるように伝えました。 1-3 の後、徐々に、A さんは友だちの死を かってきました。 ちを尊重しながらも、一人で悩まず、家族と 1 は、震災から 3 年経って、はじめて友だちの 面 に対して、自責感情と後悔の念が長い でしたが、スクールカウンセラーはその気持 Case&Study ったことがいまだに信じられない」と話しま トラウマ体験とPTSD ( Post-Traumatic Stress Disorder ) ろと報告したい」とまで語っています。 災害や事故、犯罪など で、自らが生死に関わ るような危険に遭った り、そうした場面を目 撃したりするような体 験をトラウマ体験とい う。災害など強いトラ ウマ体験ののちに発症 するストレス障害とし て、PTSDがよく知ら れている。 1-4 Case Case&Study 1 友だちの死を 受け入れられなかった Aさんの場合 やがて「回復期」が来ます。喪失した対象にとらわれ ていた気持ちが変化し、 「懐かしさ」として感じられます。 S t udy 新しい人間関係や環境に目が向き、人間的成長につながり 嘆き悲しむ「喪の作業」 正常な感情のプロセス 新しい生活を送っていけるようになります。 ます。自らの悲しみや苦しみに向き合うことで、徐々に 身 乗り越えるために、人には「喪の作業」が必要です。 近な人、大切な人を亡くした時、その深い悲しみを 1 「喪の作業」とは、精神分析学の創始者であるフロイトの 論文『喪とメランコリー』の中で使われた言葉で、大切な 人との死別などで、心の支えを失った時の「悲しむ作業」 「悲嘆のプロセス」のことを意味します。フロイトは、嘆 き悲しむ気持ちは正常な感情のプロセスであり、こうした 感情の発露を押し止めてはいけないと主張しました。 「喪 の作業」の経過には個人差がありますが、プロセスを「急 性期」 「中期」 「回復期」に分けて説明した三段階説がよく 知られています。 1-5 悲しみを誰かと分かち合い 「思い切り泣く」のが重要 「喪 の作業」の「急性期」では、 「泣く」という行為 がとても大事です。A さんの場合は、親友のお葬 「急性期」というのは、大切な対象を喪失し、強いショ 式に出られず、誰かと一緒に泣き、悲しみを分かち合うこ ックを受け、現実を受け止められないでいる時期のことで とができていません。震災後 2 年経っても「いまだに親友 す。喪失直後から数週間続きます。この時期に泣くことは が亡くなったことが信じられない」と語ったことから、 「急 重要です。 性期」からの移行もスムーズではなく、 「中期」の状態に その後、喪失した対象に心がとらわれる「中期」に移行 長くとどまった可能性があります。スクールカウンセラー します。喪失後、短くて数週間、長い場合は 5 年、10年と に気持ちを吐露し、はじめて思い切り泣くことができ、 「お かかります。子どもを亡くした母親などは、とくに長くか 墓参りをしたい」という彼女の思いが果たされたことで、 かります。家庭や職場では、普通にふるまっていても、心 ようやく「喪の作業」が進んだと言えるでしょう。その後 は「うつ状態」にあり、あるきっかけで自分を責めたり、 の「親友を大切にしたい」という発言からは「回復期」へ 落ち込んだりが頻繁にある状態です。 のきざしが見えます。A さんの両親が心の傷の問題に理解 1-6 を示し、子どもの意志を尊重し、実現に向けて学校やスク ールカウンセラーと協力したことも、 「回復期」への移行 を促したと言えるでしょう。 ときには家族で泣くことも 「心のケア」の大きな手助け 被 の作業」のプロセスにいます。男性の場合は、仕事 災地では多くの人が肉親や大切な人を亡くし、 「喪 や職場も喪失対象になっている人もいます。子どもは親を、 親は子どもを心配させまいと、明るく振る舞ううちに時間 は経っても「喪の作業」が進んでいないことも少なくあり ません。時には、親子で思い切り泣くことも必要かもしれ ません。 学校や地域での追悼行事も、 「喪の作業」として捉え、 正しく行い、参加すれば、大切な人を亡くした人にとって、 心を整理するよいきっかけになります。保護者が正しい知 識を持つことで、子どもたちだけでなく、保護者自身の「喪 の作業」をスムーズに経過させ、家族での「心のケア」の 手助けとするようにしてください。 1-7
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