論文内容の要旨および審査結果

氏名(本籍)
仁田原 翔太(福岡県)
学 位 の 種 類
博士(生命科学)
学 位 記 番 号
博 第92号
学位授与の日付
平成27年3月20日
学位授与の要件
学位規則第 5 条第 1 項該当
学位論文題目
論文審査委員
海洋性マンガンクラストの微生物生態系の解析およびその代謝機能の推定
(主査) 山岸
明彦 教授
渡邉 一哉 教授
藤原 祥子 准教授
玉腰 雅忠 准教授
論文内容の要旨
概略紹介
鉄とマンガンの酸化物沈殿が世界中の海洋底に幅広く分布している。この鉄-マンガン酸化物沈殿が
岩石などの周りを覆ったものはマンガンクラストあるいはマンガンノジュールと呼ばれる。この鉄-マ
ンガン酸化物は海底面の7割近くを覆っているという推定がある。特に北西太平洋には厚さが 10 cm
を超えるものも存在する。マンガンクラストは主成分が鉄とマンガンであるが、微量成分としてコバ
ルト、ニッケル、チタン、白金、希土類元素などを濃集しているため、将来的な鉱物資源としての利
用が期待されている。
マンガンクラストとマンガンノジュールは外見がよく似ているが、その形成プロセスや構成してい
る鉱物などに違いが見られる。マンガンクラストは海水起源(海水からの酸化物の直接沈殿)と呼ば
れるプロセスにより成長する。この海水起源プロセスでは Vernadite という鉱物ができる。一方、マン
ガンノジュールは海水起源と続成起源(マンガンの再溶解、再沈殿)の2つのプロセスによって成長
する。この続成起源のプロセスでは Buserite という鉱物ができる。そのためマンガンノジュールは
Vernadite と Buserite の両方で構成される。
マンガンクラストの形成プロセスには不明な点が多い。Koschinsky らは金属の濃集プロセスのモデ
ルを提唱している。このモデルではマンガンと鉄の酸化物コロイドが海水中で異なる電荷を持つため
に特定の金属元素を濃集し、その後マンガンと鉄酸化物コロイドが結合し、Vernadite になると考えら
れている。しかし、このプロセスが海水中で起きるのか、マンガンクラスト表面で起きるのかなどの
詳しいプロセスは明らかになっていない。
Wang らはマンガンノジュールの高分解走査型電子顕微鏡による観察と高分解能エネルギー分散型
X 線分析による分析をもとにマンガンノジュールの形成のモデルを提唱した。このモデルでは微生物
が初期形成における核となって微小なノジュールが形成され、それらが集まることで大きなノジュー
ルになる。しかしマンガンクラスト、マンガンノジュールの微生物群集に関する論文は限られており、
これらのモデルを検証するのに十分な情報はない。私たちは鉄酸化菌やマンガン酸化菌が環境中で鉄
あるいはマンガン酸化物を作ることが出来る点に着目し、マンガンクラスト形成に鉄酸化菌、マンガ
ン酸化菌が寄与しているという仮説を立てた。
Wang らはマンガンノジュール表面を走査型電子顕微鏡により観察し、球形や繊維状の微生物細胞
が存在することを明らかにした。また Tully らはマンガンノジュール表層、内側と周辺堆積物の微生物
群集を 16S rRNA 遺伝子により解析し、その結果、マンガンノジュール表層には 100 種近くの微生物
が存在すること、Marine Group I というアンモニア酸化古細菌の存在などを示した。またマンガンノ
ジュール表層と堆積物とでは微生物群集が異なることが示された。Tully らは、これはマンガンノジュ
ール表層と堆積物とで微生物の代謝が異なるためであると推定した。
我々はこれまでに拓洋第5海山のマンガンクラスト表層とその周辺の堆積物、海水の微生物群集を
16S rRNA 遺伝子により解析した。その結果、マンガンクラスト表層の微生物群集は海水のそれとで共
通する種がほとんどいないことがわかった。どのサンプルからも Thaumarchaeota の Marine Group I
に属する系統型が共通して検出された。また Nitrosospira 属に近縁な系統型がマンガンクラストから
検出された。Nitrosospira 属や Marine Group I にはアンモニア酸化菌が含まれるため、マンガンクラス
トにはアンモニア酸化菌の存在が示唆された。
しかし、マンガンクラストと海水の微生物群集が異なるということが一般的に当てはまることなの
かどうかは不明である。また海域、水深が異なる場所から採取したマンガンクラストで微生物群集が
どのように変化するのかも不明である。そこで本研究ではさまざまな海域や水深からマンガンクラス
ト、堆積物、海水を採取し、その微生物群集を解析、比較することによってマンガンクラスト、堆積
物、海水の微生物群集同士の関係を明らかにすることを第1の目的とした。
第2の目的として以前の研究で存在が示唆された Marine Group I のアンモニア酸化能の有無、その
存在量、多様性を明らかにすることである。その解析手法としてアンモニア酸化酵素であるアンモニ
アモノオキシゲナーゼのα-サブユニット遺伝子である amoA 遺伝子の解析を行なうことにした。
結果と考察
1. 16S rRNA 遺伝子による微生物群集解析
マンガンクラストは拓洋第5海山、流星海山、大東海嶺、古仁屋海山の水深 1,000 m から 3, 000 m
までの全9ヶ所から採取したものを解析に用いた。マンガンクラスト、周辺堆積物、海水の 16S rRNA
遺伝子のクローンライブラリーを作製した。シークエンシングにより塩基配列決定し、分子系統学的
解析を行なった。検出されたクローンの系統を分類したところ、さまざまな系統群のクローンが検出
された。
マンガンクラスト、堆積物サンプルから既知のマンガン酸化菌あるいは鉄酸化菌に近縁な配列は検
出されなかった。一方、海水サンプルからは Bacillus に属する配列が検出された。Bacillus sp. strain
SG-1 というマンガン酸化菌が知られているが 16S rRNA 遺伝子解析だけでは、検出された Bacillus が
マンガン酸化能を持っているかどうかは不明である。したがって今後、マンガン酸化機能遺伝子につ
いての解析を行なう必要がある。
いずれのマンガンクラストからも、Marine Group I に属する系統型が高い検出比率で検出された。
この Marine Group I は海洋性アンモニア酸化古細菌を含むグループである。また検出比率は高くなか
ったが、ほとんどのマンガンクラストから Betaproteobacteria に属する Nitrosospira 属が検出された。
また Marine Group I に属する分離株の1つである Nitrosopumilus maritimus SCM1 および Nitrosospira
属が独立栄養性であることがわかっている。これらのことから、マンガンクラストにはアンモニア酸
化菌が存在する可能性、一次生産者としての役割を担っている可能性がある。
分子系統学解析により微生物群集組成を比較し、それぞれのサンプル間での共通する種の数の推定
やクラスター解析を行なった。その結果、マンガンクラストと海水の微生物群集では共通する種がほ
とんど存在しなかった。従ってマンガンクラストへの海水由来微生物の混入は検出限界以下である。
またマンガンクラストと堆積物の微生物群集とを比較すると、マンガンクラストから検出された微生
物のうち 2 ~3 割程度が共通する種であるということがわかった。またクラスター解析でもマンガンク
ラストと堆積物の 2 者は、海水とは明らかに異なるクラスターとなったが、マンガンクラストと堆積
物の枝で有意な差はみられなかった。またクラスター解析で、海域、水深、溶存酸素濃度といった要
因に着目したが、これらの要因ごとの分岐の傾向はみられなかった。
真正細菌と古細菌それぞれの 16S rRNA 遺伝子を対象とした定量 PCR を行ない、微生物細胞数の推
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定を行なった。その結果、マンガンクラスト表層の真正細菌細胞数が 10 ~ 10 cells/g、古細菌細胞数
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が 10 ~ 10 cells/g 程度であることがわかった。これに対して堆積物中の真正細菌細胞数は 10 ~ 10
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cells/g、古細菌細胞数は 10 ~ 10 cells/g 程度と、マンガンクラスト表層の細胞数と比べると 1 桁程度
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多いか同程度であった。また海水中の真正細菌細胞数は 10 ~ 10 cells/g、古細菌細胞数は 10 ~ 10
cells/g 程度であり、マンガンクラスト表層の細胞数よりも 4 桁以上少なかった。
2. amoA 遺伝子の系統解析結果
いずれのサンプルからも古細菌 amoA 遺伝子が検出された。またマンガンクラスト、堆積物サンプ
ルから真正細菌 amoA 遺伝子が検出された。真正細菌 amoA 遺伝子は海水サンプルからは PCR 増幅
されなかった。検出された amoA 遺伝子の塩基配列を BLAST サーチで検索したところ、古細菌 amoA
遺伝子は Marine Group I に属するもの、真正細菌 amoA 遺伝子は Betaproteobacteria の Nitrosospira
属に属するものであることがわかった。古細菌 amoA 遺伝子の系統樹から、マンガンクラスト、堆積
物の amoA 遺伝子と海水の amoA 遺伝子とでは異なるクレードに属することがわかった。
真正細菌、古細菌それぞれの amoA 遺伝子の定量 PCR を行い、アンモニア酸化菌の存在量を推定し
た。その結果、マンガンクラスト表層では真正細菌 amoA 遺伝子および古細菌 amoA 遺伝子のコピー
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数がそれぞれ 10 ~ 10 copy/g であることがわかった。16S rRNA 遺伝子の定量 PCR 結果と比較する
と、アンモニア酸化真正細菌は真正細菌の 1 ~ 14 %、アンモニア酸化古細菌は古細菌の 2 ~ 78 %を占
めていることがわかった。
結論
拓洋第5海山、流星海山、大東海嶺、古仁屋海山それぞれから採取したマンガンクラスト、堆積物、
海水の微生物群集を 16S rRNA 遺伝子により解析、比較した結果、つぎのことがわかった。
(1) マンガンクラストの微生物群集は、海水のそれとは異なっていること。
(2) マンガンクラストと堆積物の微生物群集には明確な差がみられないこと。
(3) マンガンクラストの微生物群集は水深、海域、溶存酸素濃度ごとの変化が見られないこと。
(4) 溶存酸素濃度とマンガンクラストの微生物群集の多様性には相関関係があること。
マンガンクラストと堆積物の 2 者、海水とでの微生物群集の違いはサンプルが固形試料、液体試料
であることという環境の大きな違いが反映されていると考えられる。またマンガンクラスト、堆積物
で微生物群集に違いが見られなかったのは、その 2 者が隣り合って存在して、あたかもマンガンクラ
スト、堆積物の2つで1つのような環境であるためであると考えられる。
また 16S rRNA 遺伝子解析に加え、amoA 遺伝子の解析結果からマンガンクラストにはアンモニア
酸化菌である Marine Group I と Nitrosospira 属が存在することが示された。16S rRNA 遺伝子、古細菌
amoA 遺伝子の系統樹からマンガンクラスト、堆積物の Marine Group I と海水の Marine Group I は系
統が異なることが示された。これは Marine Group I の性質の違いを反映している可能性がある。
定量 PCR の結果からアンモニア酸化真正細菌は真正細菌の 1 ~ 14 %、アンモニア酸化古細菌は古
細菌の 2 ~ 78 %を占めることが示された。これらのアンモニア酸化菌は独立栄養性であることおよび
その存在比率の高さから、マンガンクラストの微生物生態系においてアンモニア酸化菌が炭素固定を
行ない、一次生産者としての役割を担っていることが示唆された。
本研究によってこれまで限られていたマンガンクラストの微生物群集についての情報、特に微生物
群集組成、海域や水深ごとの分布、存在量また代謝機能を明らかにした。当初期待されたマンガンク
ラスト形成と微生物との関係性は明らかにはできなかった。しかし、マンガンクラスト微生物生態系
における一次生産者や周辺環境サンプルとの関係を明らかにした、という点で今後のマンガンクラス
トの微生物生態学に重要な情報を提供できたと考える。
研究結果掲載誌
Nitahara S., Kato S., Urabe T., Usui A., and Yamagishi A. (2011) Molecular characterization of the
microbial community in hydrogenetic ferromanganese crusts of the Takuyo-Daigo Seamount,
northwest Pacific. FEMS microbiol Lett, 321, 121-9
審査結果の要旨
本申請者は、マンガンクラストの微生物群集解析を行った。マンガンクラストとは、
鉄とマンガンの酸化物が岩石の周りを覆ったものであり、コバルト、ニッケル、チタ
ンや希土類元素を含むため将来的な資源としての価値が期待されている。
マンガンクラスト、マンガンノジュールの微生物群集を解析した例は少なく、海域、
水深ごとの分布は明らかになっていない。そこで本申請者は拓洋第5海山、流星海山、
大東海嶺、古仁屋海山において、およそ 1,000 から 3,000 m の深度でマンガンクラス
トを採取し解析をおこなった。申請者は、マンガンクラスト、堆積物、海水の微生物
群集を明らかにすること、またその解析から存在が示唆されたアンモニア酸化菌の存
在量や多様性を明らかにすることを目的として研究を行った。
本申請者は、真正細菌と古細菌それぞれの 16S rRNA 遺伝子の定量解析から、マン
ガンクラスト表層には 106 ~ 108 細胞/g 程度の微生物が存在すること、水深、海域ご
とでの微生物細胞密度の差はほとんどないこと、マンガンクラスト表層は周辺海水よ
りも 4~5 桁程度多い微生物細胞密度であることを明らかにした。次いで 16S rRNA
遺伝子クローンライブラリー解析を行った。マンガンクラスト、堆積物から既知の鉄、
マンガン酸化菌は検出されなかったが、海水から Bacillus に近縁なクローンが検出さ
れた。Bacillus sp. SG-1 はマンガン酸化菌として知られているため、この系統が海水
中でマンガン酸化の役割を担っている可能性がある。Marine Group I や Nitrosospira
に属する系統型が、すべてのサンプルから検出された。そこで申請者は、マンガンク
ラストにはアンモニア酸化菌が普遍的に存在していると推定した。また分子系統学解
析により微生物群集組成を比較し、マンガンクラストと堆積物中の微生物群集は、海
水とは明らかに異なることを明らかにした。マンガンクラストの微生物群集に、海域、
水深、溶存酸素濃度による大きな差はみられなかった。
さらに、申請者はアンモニア酸化の機能遺伝子である amoA 遺伝子を標的とした
PCR 解析を行った。マンガンクラスト、堆積物で真正細菌 amoA 遺伝子の増幅が、
またマンガンクラスト、堆積物に加え海水で古細菌 amoA 遺伝子の PCR 増幅が確認
できた。マンガンクラスト表層では真正細菌 amoA 遺伝子および古細菌 amoA 遺伝
子のコピー数がそれぞれ 105 ~ 106 コピー/g であることがわかった。16S rRNA 遺伝
子の定量 PCR 結果と併せて考えるとアンモニア酸化真正細菌は真正細菌の 1 ~ 14 %、
アンモニア酸化古細菌は古細菌の 2 ~ 78 %を占めていることがわかった。アンモニア
酸化菌が独立栄養性であることとその存在比率の高さを考えると、様々な環境のマン
ガンクラストの微生物生態系でアンモニア酸化菌が一次生産者としての役割を担っ
ていることが示唆された。
本研究によってこれまで限られていたマンガンクラストの微生物群集についての
情報、特に微生物群集組成、海域や水深ごとの分布、存在量および代謝機能が明らか
となった。また、マンガンクラスト微生物生態系における一次生産者や周辺環境サン
プルとの関係が明らかとなった。
以上、本申請者の提出した論文と発表の内容、および口頭試問の審査の結果、本申
請者は博士の授与に値すると結論した。