山岳気象講座 山の天気の落とし穴と遭難事故(その5) 「春一番と南岸低

山岳気象講座
山の天気の落とし穴と遭難事故(その5)
■「春一番と南岸低気圧」~大平洋側山岳にも大雪~
大塚
忠彦
標高が高い冬山ではいつも暴風雪の地獄が待っているので、「山の天気の『思わぬ』落し穴」などと
いう悠長なことを論じている余裕は無いのが実情であろう。従って、雪山の登山者は程度の差はあれ悪
天を覚悟で入山するので、天気予測にも十分な考慮を払っていると思う。
冬山は年間を通して一番厳しい気象環境になっているが、上述のような観点から、今回は冬山・雪山
の気象自体の厳しさについてお話するというよりも、「冬山の天候の思わぬ落とし穴」のトピックスと
して厳冬期が緩み始める頃の天気の急変とその入れ替わりの速さについてお話しすることとしたい。
2月の声を聞くようになると、それまで卓越していた西高東低型の冬型気圧配置が緩み始め、大陸か
らの季節風や寒気の流入にも消長が見られるようになってくる。実際には未だ未だ厳冬期の厳しい天候
が続いているのであるが、気圧配置の上では季節が真冬から早春に切り替わり始めているのである。こ
の頃、大陸からの移動性高気圧や低気圧が日本海を交互に通過するようになる。このような折、地上で
は日本海を通過する低気圧に向かって太平洋高気圧から暖かい南の強風が吹き込むために、一時的に南
からの強い暖湿な風が吹き込み気温が上昇する。一方、上空には寒気が停滞しているので、そのため、
低気圧や前線付近では大気が不安定になり対流雲が発達して暴風雪(雨)をもたらす。
大平洋側からの強い暖風が列島の脊梁山脈を越えて日本海側に吹き降りると、山陰地方、北陸地方や
東北地方の日本海側ではフェーン現象により気温が更に上昇するので、この地方の山では全層雪崩が発
生し易くなる。その後は寒冷前線の通過に伴い大荒れの天候になったり西高東低の冬型の気圧配置が強
まったりして日本海側山岳は再び暴風雪に戻る場合が多いので天気の変化に格段の注意が必要である。
うつろい
このような季節の推移を一番分かり易く知らせてくれる「風の便り」が「春一番」であろう。2月4
日(または3日)の立春から3月21日の春分までの間で、その年に最初に吹いた強い南風を「春一番」
と呼ぶことは御承知のとおりであるが、詳しく言えば、①日本海に低気圧が存在し、②風速が概ね 8m/s
以上、風向が東南東から西南西、③気温が前日より上昇した時の最初日を「春一番」と呼ぶ。春一番が
吹く日は地方によって異なり、また春一番と判定するための風速や気温上昇の基準値も地方によって若
干異っている。上の①から③までの条件が満足されなかった年は春一番の発表は無い。発表がなくても
春一番と同じ天候は存在するし、2月初旬から5月までは同様な悪天がしょっちゅう起こること忘れて
はならない。春一番が2月初旬に吹く年もあれば3月下旬以降になって初めて吹く年もある。今年 2013
年の春一番は、北陸地方では平年より 32 日も早い 2 月4日に吹き、関東などでは 3 月 1 日であった。
右の天気図は関東などに
春一番が吹いた 3 月 1 日
(左側)と翌日 3 月 2 日
のものである。1日の気
温は東京で 18℃、松山で
20℃と 5 月下旬並みの陽
気となり、潮岬では瞬間
最大風速 25m/s となった。
翌日 2 日には西高東低型
の冬型配置に戻り北日本
は暴風雪の大荒れとなった。所により、瞬間最大風速 45m/s、降雪量 80cm/日。日本海の縦縞模様が非
常に混んできて、山雪型の完全な冬型気圧配置に戻っていることに注意頂きたい。たった1日の間にこ
れだけの激しい天候変化をきたしているのである。(天気図は、「実況天気図」(気象庁 HP)に筆者加筆)
「春一番」という言葉には春の訪れを告げるような響きがあり春山への心が浮き立つが、強い南風や
気温上昇による融雪・なだれ、暖気の流入による大雨にも警戒する必要がある。また、低気圧からのび
る寒冷前線が通過する際には、短時間ではあるが強い雨や雷、突風、時には竜巻が発生することもある。
その後、寒冷前線が通過すると強い北風に変わって気温も下がり、大荒れの天気となることが多いため、
様々な気象遭難への警戒も必要である。
「春一番」が吹いた翌日に天気が急変するもう一つの例として、翌日に南岸低気圧が通過して大平洋
側山岳に暴風雪をもたらした時の例を紹介しよう。下図は少し古くなったが、2005 年 2 月下旬に春一番
が吹いた時の連続天気図である。左側の 2 月 23 日、関東地方は春一番が吹いて4月中旬並みのポカポ
カ陽気となったが、その翌日・翌々日には南岸低気圧が発生・通過し一転して関東甲信、北陸、東北地
方は雪となった。東京では気温が前日比-19℃の 0.1℃まで下がり、水戸では 14cm の積雪があった。
この時の連続天気図を下に掲げる。
(天気図は、
「日々の天気図」
(気象庁 HP)に筆者加筆)
【2/23 春一番吹く】
【2/24 南岸低気圧発生】
【2/25 南岸低気圧通過】
左側の 23 日に春一番が吹いた。上述の春一番の気圧配置で説明したとおり、日本海を強い低気圧が
通過中であり、大平洋では強い高気圧が西に張り出している。このため、大平洋高気圧の西縁から日本
海低気圧に向かって南からの暖風が日本に吹き込み春一番となった。
ところが、中図の翌 24 日には、前日 23 日に沖縄の南東海上に出来た低気圧(左側 23 日の天気図で、
停滞前線のキンク部分に発生した)が南岸低気圧となって紀伊半島沖を通過し、右側の 25 日には南岸低
気圧は関東の東に抜けた。本州の南岸を低気圧が通過した 24 日から 25 日にかけて、本州の大平洋側の
山岳にも大雪が降り、南アルプス南部の赤石岳や聖岳では 1 日間で 70cm の降雪があり、奥多摩などの
低山でも相当の雪が積もった。この時の春一番も前述の 2013 年の時と同様に、或いはそれ以上に天気
の急変の度合いが大きい。
春一番のポカポカ陽気に誘われて、簡単な装備で近郊の丹沢や奥多摩に出掛けると、遭難事故には至
らないまでも思わぬ積雪に足を取られて難渋したり、風雪に打たれて道を失ったり、凍傷になったりと
いう遭難寸前の危険に遭う可能性が高い。
2月を過ぎてからは、日本海の低気圧の動き、南岸低気圧の動きを充分にチェックすることが大切で
ある。低気圧の動きが速いので天気の急変に注意すべきことも重要なポイントとなろう。 (本項 完)